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山本  「あなたの大切なものは何ですか?」

マリア 「私の大切なものは、・・・」

山本  「・・?」

マリア 「・・・どこから来て、どこへ行くか、忘れないことです。」


・・・・・

2000年ごろから、徐々にスタートした
当法人の運営する、「お絵描きイベント」。

世界中の子どもたちに
「あなたの大切なもの」の絵を描いてもらい、
かつ、
その子の家までいって家族にインタビューし、

どのような政治・宗教・環境の中で
その子が生まれ育ってきたのかを調べる。

ご両親の職業や、好きな食べ物などについても質問し、
その子の生活、全体の様子を、
なんとか理解しようと努力する活動だ。

その結果、
「どうして、その子が、
 その絵に描いたことを、大切だと思うようになったのか」
を把握し、
それを写真絵本の形で出版し、世に紹介する。

(例えば、カンボジア写真絵本などは、日本で出版するだけでなく
 十数か国語に翻訳し、韓国・台湾などでも出版された。)


世界には193の国連に加盟している「国」と、
10前後の国連に国として認めてもらえない「地域」があるが、

その全てで、
このお絵描きイベントを実施することにより、
「世界の多様性」を表現し、
国や宗教を超えた相互理解を実現しよう、
というのがその主旨である。


最終的には、
(渋谷の文化村などの)ある程度大きな会場で、
世界の全ての国の絵と写真を集めた
巨大な展覧会を実施するのが、
一応、最終的な目標となっている。


・・・

が、
実は、もう一つの目的がある。

それは、
その国の「社会の背景に眠る問題」を
見つけ出すことである。

通常、一つの国において、
最低でも100人以上の子どもたちに絵を描いてもらうのだが、
すると、
10〜20%の子どもたちが、
自分の国にある、問題点についての絵を描くことがあるのだ。

つまり、「その問題点をなくすこと」が大切なことだ、と。


その問題点として描かれるものは、
貧困、紛争、病気、差別、病気、など多岐にわたり、
各国の裏の多様性が、そうして表現されている。


・・・

2005年ごろから、
全世界80カ国以上で活動している青年海外協力隊の方々が
協力して下さるようになり、
エジプトなどから始まって、一気に協力者が増えていった。

2006年に書籍「世界と恋するおしごと 国際協力のトビラ」、
2007年に書籍「国際協力師になるために」、
を出版したことにより、

当法人の存在は、
国際協力をやりたい若者たちに知られることとなり、
この「お絵描きイベント」の認知度も、あがっていった。

その結果、現在では、
常に、10人以上(20人以上?)の協力隊員が
世界各国で「お絵描きイベント」を実施して下さっている状態が
続いている。

(実際は、協力隊の方々だけでなく、
 NGO(非政府の援助組織)や、
 学校の先生なども、協力して下さっている。)


で、世界各国で集められ、郵送されてきた絵や写真の内容が、
ある程度よかった場合、
(その国だけで、1冊の本になりそうだと考えられた場合)

私を含む宇宙船地球号のメンバーがその国を訪れ、
写真撮影と、ビデオインタビュー撮影などを行い、
その国の「社会背景にある問題点」の詳細な取材を
行っていくことになる。


・・・

そのような流れの中で、
ある日、次のメールが来た。

「ルーマニアで、青年海外協力隊として、
 環境隊員をやっているものです。
 お絵描きイベントに協力させてもらえませんか?」

名前を、M君といった。

ルーマニアでは、まだおこなっていなかったので、
私は、二つ返事でOKした。

「お願い致します。」と。

これが、2007年7月のことだった。


・・・

Eメールにて、お絵描きイベントの実施の詳細を説明し、
クレヨンなどの購入費用等の経費はこちらで負担することを
通知し、
さらに、見本として、「カンボジア写真絵本」などを
彼のもとへ郵送した。
「こんな感じでやるんです」という参考のために。


そして、半年が過ぎた。


・・・

2008年3月

しばらくして、M君からルーマニアの絵が送られてきた。

その絵たちは、
想像を絶する、素晴らしいものだった。


この時点で、少なくとも50か国以上で
お絵描きイベントを終えており、
既に、1万枚を超える数の絵が当法人には届いていたが、

ルーマニアの絵たちは、
どんな国の絵よりも、ずばぬけて上手で、
かつ、
なんというか、叙情性(じょじょうせい)のあるものばかりだった。


わたしは、仰天(ぎょうてん)し、
すぐに、ルーマニアに行きたい、行くから、と
M君にメールを送った。


・・・

テレビ局で働いているプロのビデオカメラマンに
ボランティア(無給)で協力してくれる約束をとりつけ、
私は、旅行代理店に、二人分の航空券の手配を頼む。

その他、
ホテル、車、ドライバー、通訳などの手配が必要だが、
それらを全部、この時はM君が手配してくれた。

おんぶ、に、だっこ、の状態であり、
なにからなにまでやって頂き、感謝の念にたえない。


かくして、2008年7月、
我々は、ルーマニアの地へと向かった。

(ここまでで、最初に、M君のメールが来たときから、
 既に1年が経過している。)


・・・

ルーマニアにつくと、
大学生の女の子が、
ルーマニア語から英語への通訳をしてくれることになっており、
また、
現地のコミュニティーを育成する活動をしている
NGOの代表が、車を貸してくれて、かつ、
自ら運転手をしてくれることになっていた。

準備はすべて、万端に整っていた。


・・・

さて、
M君から送られてきた絵は、
120枚ぐらいだったのだが、
ルーマニアの子の描いた絵には、
うまいだけでなく、
決定的な特徴があった。

それはもちろん、絵の内容であり、「テーマ」である。

そのテーマとは、
「過去、先祖、伝統、文化」など
なんらかの形で、「過去に関係するものたち」が
描かれていたことだった。


ちなみにこれらは、
(日本でも、20回以上、お絵描きイベントをやっているが、)
日本の子どもたちでは、まず思いつかないものである。


・・・

どうして、
ルーマニアの子どもたちは、
「過去」にこだわったのだろうか?

素朴な疑問から始まって、
私は、絵を描いた子どもにあって質問をし、
家族にあって、いろいろな話をきく活動を始めた。


その結果わかったのは、ルーマニアの複雑な歴史だった。




・・・・・
・・・・・以下、ちょっと、長文の歴史です・・・・・
・・・・・




ルーマニアのある場所には、もともと
「ダキア人」という民族が住んでいた。

それが、
紀元後106年ごろに、ローマ帝国に滅ぼされ、
ローマ帝国領となる。

このため、
ルーマニア人の起源は、
ダキア人であるという説と
ローマ人であるという説が
混在している。

が、
少なくとも、一度、ローマ帝国領となったことは事実であり、
このことから、
「ルーマニア」(ローマニア、ローマ人の国)
という名前が付いた。


・・・

その後、中央アジアの遊牧民族などの支配を受けていたが、
13世紀ごろから、
ルーマニアを構成する、三つの重要な公国(公爵の国)が誕生してゆく。


ルーマニアは、単純化すると、

1.北西を、「トランシルヴァニア」
2.北東を、「モルドヴァ」
3.南を、「ワラキア」

という。

トランシルヴァニアは、美しい町並みが続く最大の観光地。
モルドヴァは、美味しいワインと世界遺産となった寺院たち。
ワラキアは、ドラキュラのモデル「ワラキア公」で有名。


これらの公国は中世ごろに確立していったが、
完全な独立国ではなく、
周囲の大国の属国となることが多く、
また、戦乱に巻き込まれることが多かった。


理由は、おもにその地理的な要因による。
詳細は、以下である。


1.
ルーマニアは、バルカン半島の中央にあり、
南東に、トルコがあるため、
イスラム教の
「オスマン帝国」(1299-1922年)が侵略してきた時、
その属国にならざるを得なかった。

2.
ルーマニアの、北には、強大な
「ロシア帝国」(1721-1917年)およびその属国たち
が広がっていた。
当時、ロシアは、自国のことを
「第三のローマ」と自称しており、
「キリスト教をまもるために、イスラム教のオスマン帝国を蹴散らすのだ」
と言って、
ルーマニアにたびたび侵攻してきた。

3.
ルーマニアの、西には、
ハンガリー、さらにオーストリアがあるが、これらの地域で
「ハプスブルグ家」(1273年頃-1918年)
が隆盛を極めた時期があり、
「神聖ローマ帝国」(962-1806年)の皇帝に即位し、
周辺国を威圧するなどした。
その際の強大な国力の前に、
ルーマニアは、従属せざるをえなかった。

4.
その他、
ルーマニアは、言語的な分類でいうと、
スラブ語族が多い東ヨーロッパの中で、
唯一、ラテン系の言葉(イタリア語など)
を話す民族であること。

5.
また、キリスト教の教派の一つである
「東方正教会(ルーマニア正教会)」が
主な宗教でありながら、
すぐ西に、ローマ・カトリックを国教とする国が
つらなっており、このため、
キリスト教の内部対立にも
巻き込まれることになる。


以上のような原因によって、
中世以後、

北西の「トランシルヴァニア公国」、
北東の「モルドヴァ公国」、
南の「ワラキア公国」、

という三つの公国たちは、
それぞれが、
オスマン帝国、ロシア帝国、ハプスブルグ家の
いずかについたり、
まとめて滅ぼされ支配されたり、
一時的には自治権を勝ち取ったり、
という歴史を繰り返すことになるのである。


・・・

この、中世の戦乱に登場したのが、
かの有名な「吸血鬼・ドラキュラ」である。

しかし、彼の素顔は、一般に知られているものとは
大きく異なる。


モデルとなったのは、
ワラキア公国(ルーマニア南部)を治めていた
「ヴラド3世」(1431-1476)という公爵である。

彼は、ルーマニアが、
イスラム教のオスマン帝国から侵略された時に、
敵の兵士を「串刺し」にして処刑したことから、
ツェペシュ公(串刺し公)と呼ばれ、他国から怖れられていた。

(この他国からの「恐怖心」により、彼は、のちのモンスター、
 吸血鬼・ドラキュラのモデルとされたのである。)


しかし、ルーマニア側から見れば英雄であり、
自国を守り続けたヒーローであった、
という側面が強い。


ちなみに、ドラキュラとは、ルーマニア語で、
「ドラゴンの子ども」という意味。

彼の父(ヴラド2世)は、
神聖ローマ帝国から竜騎士団の騎士に任命されていたため、
人々は「ドラクル」(竜公)と呼んで尊敬していた。

このため、彼の息子(ヴラド3世)も、
「ドラキュラ」(竜の息子)と呼ばれ、
地元の人々から愛されていた。


これが、伝説の吸血鬼、
「ドラキュラ」の真実の姿である。


・・・

さて、
20世紀の初頭、
おもにハプスブルグ家に支配されていたが、
その衰退とともに、
ルーマニアは独立を宣言する。

1877年、
ワラキアと、モルドヴァが合併して
独立宣言を行った。

1918年、
第一次世界大戦(1914-1918年)の終結とともに、
トランシルヴァニアを併合し、
ほぼ現在のルーマニアの姿が完成する。


しかし、
1940年、ソビエト連邦(1917-1991年)の攻撃にあい、
モルドヴァの一部を奪われる。

1945年、
第二次世界大戦(1939-1945年)が終わると、
ソ連からの強烈な圧力のため、共産主義国家となった。


・・・

以上のように、周辺諸国の属国となり続け、
国土の分割・割譲(かつじょう)を繰り返してきた
ルーマニアは、
その歴史的背景ため、
(それを防ぐために)

中央集権的な、強力な国家体制が必要だ、
と、ルーマニアの政治エリートたちは、
考えるようになる。

(これが、次の不幸を産む、土台になる。)


・・・

1965年、かの有名な、
「ニコラエ・チャウシェスク」(1918-1989年)が
ルーマニア共産党の書記長となり、国家元首となる。

ここから、彼の独裁体制がスタートする。
その背景となったのは、上記のとおりで、
他国からの干渉をゆるさない、超・中央集権体制が
この国に必要だ、と政治エリートたちが考えていたため
だった。

それを考えると、彼が行った政治は、
一方的に悪いことばかりではないのだが、

一般には、以下のようなことが、
悪行(あくぎょう)として知られている。


1.国民の館という世界最大級の建物を建設。
(自分の権力を示すため、莫大な税金を浪費した。)

2.ヒットラーを尊敬し、それを真似した演説を行った。
(机をどんどん叩きながら、「我がローマ民族の優秀性」を説く。)

3.国力は人間の数だとして多産政策をとった。4人以上産むのが義務。
(国民は貧しく、産むと子を捨てたので、ストリートチルドレンだらけ。)

4.上記のため、マンホール・チルドレンが犯罪の温床になる。
(孤児院にあぶれた子どもたちはマンホールに住み、盗みをして生活。)

5.飢餓輸出。国民に必要な食糧なども海外に輸出。結果、国民は飢餓。
(国民の館の建設などに使った莫大な借金を外国に返すため。)

6.秘密警察による、言論の統制。
(朝鮮民主主義人民共和国の影響を受け、徹底的な思想管理体制)


などがある。


・・・

1989年、ルーマニア革命が起こり、
西部の小さい町から起こった暴動は、
全国に広がり、
おおくの民衆の血が流れたが、

最終的に、
チャウシェスクは失脚し、
銃殺された。

(この模様は、テレビやインターネットで
 同時中継され、世界に衝撃が走った。)


一応、これでルーマニアは民主化されたが、
他国の革命後のケースと同じように、
一時期、
政権は混乱し、以前より民衆の生活は苦しくなった。

が、
10年以上たってから、ようやく安定化の兆し(きざし)をみせ、

2007年、ルーマニアは
ヨーロッパ連合(EU)の仲間いりをはたし、
一応、先進国の中に入ることになった。


・・・

以上が、
中世以来、混乱を続けた、ルーマニアの歴史の概要である。

・・・

しかし、
民主化され、資本主義となってから、
生活は、かえって苦しくなった、
という人々もいる。

例えば、こんな意見がある。


「昔は(チャウシェスクの頃は)
 みんなが、ちょっとずつ貧乏だったよ。
 でも、みんなに仕事があり、仕事のない人は、いなかった。
 ものすごく貧乏な人はいなかったんだよ。

 今は
 ものすごくお金もちになった人も、ちょっといるけど、
 ものすごく貧乏になった人のほうが、いっぱいいるよ。
 
 あたしは、昔のほうが、良かったと思うねぇ。」


おおむね、高齢者の方は、このような意見が多い。


逆に、若い人は、次のような感じ。

「自由が一番!
 誰にでもチャンスがあり、
 言いたいことがいえて、
 好きな職業につける。

 ルーマニア革命は最高さ!
 民主化で資本主義・市場経済になってバンザーイだよ。
 EUにも入れたし、おおきなマーケットになって最高!」


思うに、(私見だが)
若い人は、自分が(将来)成功する、と思っているので
このような意見になるのだと思う。

(実際には、
 資本主義社会では、成功するのは、ごく一部の人なのだが・・)


・・・

さて、以上が、ルーマニアの現状である。


このような歴史からの流れの中で、
私は、ルーマニアの子どもたちに聞いたわけである。


「あなたの大切なものは、なんですか?」と。


その答えとして


「過去」

「歴史」

「伝統」

「文化」


などと答えた子どもが多かった。


子どもたちは、何を想いながら、
そんな


「過去につながるものたち」


を絵として描いていたのだろう。



・・ローマ人の国だった、その誇りか?

・・3つの大国に翻弄(ほんろう)された、悲しみか?


・・ドラキュラのモデル・ブラド3世への、敬愛か?

・・ニコラエ・チャウシェスクへの、怒りか?


それとも

・・ルーマニア革命で死んでいった民衆への、祈りか?



繰り返すが、子どもたちの絵は、
信じられないくらい、うまかった。

これまでおこなった50数か国中、
だんとつ、である。


(立ち読みでもいいから、
 是非、この子たちの絵を見てあげて欲しい。
 既に、写真絵本になり、発売されているので。)


・・・


最後に、
私の心に、深く刻(きざ)まれた、

マリアちゃんの
この一言を、再掲する。





「大切なことは、どこから来て、どこへ行くのか、忘れないこと」





















ルーマニア どこからきてどこへいくの (小学館) 2009/04/27出版
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4097263730/





















・・・

補足1:
上記の、ルーマニア写真絵本が発売された
2009年4月末から5月にかけて
運の悪いことに、メキシコで豚インフルエンザが流行り出し、
それが「新型インフルエンザ」となって日本までやってきた。

このため、
私は、このルーマニア写真絵本の宣伝活動を放棄し、
ほとんど全ての時間を、
新型インフルエンザの情報を集めることに投入し、
それをブログに記載していった。

http://www.ets-org.jp/hosoku/blog_000.html

おかげで、ルーマニア写真絵本の宣伝は、ついにできなかった・・(涙)


補足2:
私は、特に有名人ではないので、
出版した本が、馬鹿売れすることはない。
通常、
出版して、一か月程度は、
大型書店(紀伊国屋書店など)であれば
平積みしてくれるが、
一か月をすぎると、回収され、
もはや店頭で探しても、見つけられないと思う。

よって、それ以後は、事実上、アマゾンでのみ、
本が売れることが多い。

http://www.amazon.co.jp/


補足3:
文章の本である
国際協力師になるために」(第7刷り)
あるいは
世界で一番いのちの短い国」(第16刷り、でも印税なし)
などの
ロングセラーとなっている書籍たちは、
いまだに、店頭に時々並んでいる。

これは、文章の本は、なかなか全部、立ち読みできないからだと思う。
(情報量も多いし。)
だから、そこそこ売れるのだろう。

これに対し、写真絵本は、
3分程度で、ぱらぱらっと「立ち読みできてしまう」ため、
買うまでの行動を起こす人はほとんどいないので、
基本的には、あまり売れない。

が、誰も買わないと、出版社が出版させてくれないので、

もし、私が、この「お絵描きイベント」という活動を
続けることが、多少なり、世の中のためになる、と思うのであれば、
是非、本を買って欲しい。

そうでないと、出版社が、出版させてくれないからだ。

当法人は、1冊の写真絵本を作るために、
(上記したように、1年半ぐらいの時間と)
交通費や撮影機材の代金などで
最低でも250万円以上を投入しており、
それに対して印税は7%程度なので、総額で70万円程度であり、
つまり、
100万円以上の赤字になることを覚悟で、出版しているのである。

当法人としては、それがうちの団体の「存在意義」なので、
赤字になっても別にかまわないのだが、

出版社のほうは、営利活動でやっているので、
赤字になることは許されず、
すると、
「売れない本のシリーズ」は、出版させてもらえないことになり、
お絵描きイベントの写真絵本化が、「途絶」してしまう。

このため、最近は、
複数の出版社に並行して検討してもらうようにしているが、
それでも、かなり厳しい状態だ。


と、いうわけで、当法人を応援している人が、もしもいるならば、
是非、写真絵本のほうも購入して頂きたい次第である。

繰り返すが、それはお金のためでは「全然なく」、
出版を続けていきたいため、である。






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参考リンク:

PENTAX FORUM
山本 敏晴 「ルーマニアの記憶 ・・大切なものは何?・・ 」
http://www.pentax.jp/forum/gallery/20100414/

PENTAX FORUM
オンライン写真展「ルーマニアの記憶 ・・大切なものは何?・・」
http://www.pentax.jp/forum/gallery/20100414/online/index.html

PENTAX FORUM
ペンタックス・フォーラム・アクセス
http://www.pentax.jp/forum/access.html