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むかしむかし あるところに、
1本の大きなリンゴの木がありました。

近くに住んでいた女の子は、
この木がなんとなく好きで、
毎日、この木の所にきて遊んでいました。


木の葉っぱを集めて、まるい髪飾り(かみかざり)を作り、
頭にのせて、おしゃれをしました。


木に登って、枝からぶらさがり、
ゆらゆら揺れて、遊びました。


友だちと、かくれんぼをしている時は、
この木に登り、
葉っぱの多い枝の中に隠れました。


太陽の日差しが強い時は、
木の影に隠れて、お昼寝をしました。


女の子は、このリンゴの木が
大好きだったのです。


だから、
この大きなリンゴの木も、女の子のことが大好きでした。


・・・

数年がたち、
女の子は、ちょっと大きくなり、
お友だちと遊ぶことが多くなりました。

木のところに、
もう、来なくなりました。


大きな木は、いつも、一人ぼっちです。



・・・

さらに数年が流れ、
女の子は、大きくなりました。

女の子は、綺麗な服が欲しくなりました。
素敵なお化粧品が欲しくなりました。

でも、女の子には、お金がありません。


女の子は、ひさしぶりに、木のところにやってきました。

そして、木に頼みました。
お金が、欲しいんです、と。


大きな木は、こう答えました。
わたしはお金は持っていないから、
わたしの枝になっている、リンゴを売るといいよ、と。


女の子は、リンゴの木になっている、
リンゴ「全部」を持っていってしまいました。

そしてたくさんのリンゴを売り、お金を手に入れました。


でも、木は、それで嬉しかったのです。


・・・

またまた数年が流れ、女の子は、大人になりました。

そして、結婚をし、子どもを作りました。

いまや、女の子にとって、
自分の一番たいせつなものは、
自分の子どもを育てることになりました。

でも、
子どもを立派に育てるには、家が必要です。


女の子は、ひさしぶりに、木のところにやってきました。

そして、木に頼みました。
お家(おうち)が欲しいんです、と。


大きな木は、こう答えました。
では、私の枝をきって、その枝で家を作るといいよ、と。


女の子は、大きな木の枝を「全部」切り落とし、
すべての枝をもっていってしまいました。

そして、自分のお家を作りました。



でも、木は、それで嬉しかったのです。


・・・

そこから、長い年月が経ちました。

女の子は、結婚していた夫と、離婚をしました。

育てていた子どもは、大きく育ち、
遠くの町に行ってしまいました。


そして、
女の子の顔には、いくつか、しわができました。
髪の毛には、少し、白髪(しらが)が混じるようになりました。


女の子は、ひさしぶりに、木のところにやってきました。

そして、木に頼みました。
世の中、つらいことばかり、悲しいことばかり。

遠くにいって、やりなおしたい。
新しい人生を始めたい。

だから、船が欲しい、と。


大きな木は、こう答えました。
では、私の幹(みき)をきって、その幹で船を作るといいよ、と。


女の子は、大きな木の幹を根本から切って、
その木で船を作りました。

そして、どこかへ出かけていきました。



でも、木は、それで嬉しかったのです。

「きりかぶ」になっても、それで嬉しかったのです。




・・・



ああ、

ああ、


でも、この大きな木は、本当に幸せなのでしょうか?




・・・



長い長い時が流れ、
女の子は、よぼよぼのお婆さん(おばあさん)になりました。


遠くの町に行った女の子は、
その町でも、幸せになれませんでした。


女の子は、大きな木のところにもどってきて、
これまでの人生をふりかえりました。


そして、
「きりかぶ」しかない、大きな木のあった跡に、
こう、話しかけました。


わたしは、もう、たいして欲しいものがなくなった。

でも、
疲れた体を休める、椅子が欲しい。



大きな木は、こう答えました。


では、私の木の「きりかぶ」に腰かけなさい、と。



女の子は、「きりかぶ」に腰かけました。



女の子は、「木のあった跡」に腰をかけ、






やがてずっと動かなくなりました。








木は、それでうれしかったのです。


























・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・



補足1:

「おおきな木」は、
シェル・シルヴァスタイン作の絵本。

原作の題名は
"The giving tree"

アメリカ人が作った英語とシンプルな絵の童話である。
(名前からすると、ユダヤ人かも・・?)

原作は、男の子が主人公になっているが、
女の子だとどう変わるかな、と思って創作してみた。


補足2:

最初、これを読んだときは、
「与えるだけの(与え続けるだけの)、
 (みかえりを望まない)
 無償の愛」
を、意味しているのかな?
と考え、
キリスト教(またはユダヤ教)の考えが背景にあるのかな、と思って
この作者の過去を調べたが、
どうも、そうでもなさそうだった。


補足3:

一方、環境問題に興味のある人が読んだ場合、
その人は、
このストーリーを、
自然と、人類との関係だと捉(とら)えるようで、

自然から、資源などを搾取し続けた人類が、
勝手気ままな行動のかぎりをつくし、
すべての、資源を奪いさり、
ついには、木(自然)そのものを切り倒してしまう、
そうしたストーリーだと、捉えるようだ。


補足4:

ま、作者が、どういうつもりで
このストーリーを書いたのかは、
まったく謎であるが、
私としては、次のように考えている。


おそらく、大きな木とは、地球全体のことであり、
女の子(あるいは男の子)は、人類の象徴であろう。

太古の昔には、
人類は、「アニミズム」を信仰しており、
すべての「もの」に、精霊がやどっていると
信じていた。

(日本だけでなく、世界のどこでも、である。キリスト教が生まれる前は。)

山の神様、海の神様、狼の神様、クマの神様、
およそどんなものにも、動物も、神様であった。

人々はそれらを尊敬し、
秋には豊作に感謝し、
ときには、神様に生贄(いけにえ)を捧げ、
自然と共存し、暮らしていた。


しかし、
1800年前後から、
人類の人口の急激な増加と、
産業革命による資源の大量消費が始まり、

人類は、地球から、
リンゴ(石油などの化石燃料)を根こそぎ奪い、

やがては、

全ての枝(地球の環境修復能力)までも、奪いさる。

(アマゾンの原生林を始めとする森林が減っていき、
 生物多様性が、どんどん失われてゆくなど。)


そして、おそらく、
(私の予想では)
150年後から200年後の間のどこかで
すべての資源をとりつくし、
かつ、
環境修復能力もなくなった地球の上で、

そのころ、120億以上まで増えた数の人類が、
なんらかの壊滅的な破局をむかえる。


(それが、なんなのかは、わからない。
 地球温暖化などのなんらかの環境問題か、
 生物多様性の消失による新興感染症の発生か、
 全世界的な核戦争か、
 はたまた、
 世界各地の原子力発電所を狙った、同時多発テロか。)


そして、おそらく、人口が10%以下まで減った人類は、
ボロボロになってしまった、
(例えば、放射能だらけになった)
地球の上で、
初めて反省し、考えなおすのだ。


これまでの、われわれの搾取は、間違いだったのだ、と。

それを知っていながら、やめることができなかったのだ、と。


人類は、(放射能だらけになり修復不能になった)
地球という名の木の「きりかぶ」に座り、


そこで何を想うのだろう?



補足5:

たびたびブログでとりあげているように、
現在の世界の最大の問題は、
1.人類の異常な人口増加と、
2.資本主義・市場経済のグローバル化
である。

これらにより、
A.貧富の差の拡大、
B.地球温暖化、ゴミの蓄積などの環境問題たち、
C.化石燃料などの資源の枯渇、
D.世界各地の紛争(戦争、内戦、いわゆるテロ)
などが生じている。

で、
私は、上記の、1.2.を直さないと
基本的に、A.B.C.D.の
二次的に発生してくる問題の対策をたてても、
いわゆる「焼け石に水」にしかならないと
考えている人なのだが、

結局、
1.2.を止めるための有効な方法がない現在、
人類は、(残念ながら)いくところまでいかないと
自分たちの愚かさに気付かず、
(または、気づいても、結局止められず)
大規模な破局を迎えるのだろうな、
と考えている。

それが、
150年後から200年後の間におきる、
一回目の、決定的な破局である。

(もちろん、運が悪かった場合、
 人類は、ここで絶滅する可能性がある。)

が、ここで完全に絶滅する可能性は、
私は低いと考えており、

そこで生き残った10億人(?)前後の人類が
流石に、ある程度は、考えなおすであろう。


どうすれば良かったのか、と。


しかし、もしその頃の地球が
「自己修復能力」がほとんどないほど
ダメージを受けており、
木の「きりかぶ」になってしまっていたら、
人類は、どうしようもないことになる。


残念なことに、人類にとって致命的なことは
「第二の地球」がないこと、である。


かけがえのない地球。


陳腐(ちんぷ)な表現ではあるが、
その言葉を頭に思い描きながら、
できれば、もう一度、
上記のストーリーを読んで欲しい。

童話を、童話で終わらせず、
現実世界の、実際に存在する問題を変えるための

「きっかけ」にするために。


補足6:

上記の童話の部分で、
最後に、年老いた少女は、
きりかぶに座ったまま、死んでゆく。

(この部分は、私の創作である。)
(原作は、ただ座って、休むだけ。)


で、
この時、もし、地球に意識があった場合、
どう思うのだろうな、と私は思った。

一般には、
自然と人工(人間の影響)を分けるが、
考えてみれば、
「人間も自然の一部」である。

よって、
人間が、資源を使い果たし、ゴミをだし、
放射能をまきちらす活動をしたとしても、
それも、
自然の一部、なのである。

だから、
かりに、人間が他の生物を全て滅ぼし、
地球を回復不能にしたとしても、
それも、
地球にとっては「想定内(そうていない)」のこと、
予想していたこと、なのかもしれない。

だからこそ、
地球は、人類にすべてを与え続け、
どのような結果になっても、
(仮に自分のすべてを失っても)
与え続け、
それに満足していた、ともとれる。


はたして、
人類は、「自然の一部」なのだろうか?


はたして、
地球にとって、それは「想定内」なのだろうか?



ここまで読んでから、「童話」を読みなおすと、
あなたは、
ある 「恐ろしい事実」 にきづくだろう。

それが何かは、2回読めば、わかるはず・・




・・・



長い長い時が流れ、
女の子は、よぼよぼのお婆さん(おばあさん)になりました。


遠くの町に行った女の子は、
その町でも、幸せになれませんでした。


女の子は、大きな木のところにもどってきて、
これまでの人生をふりかえりました。


そして、
「きりかぶ」しかない、大きな木のあった跡に、
こう、話しかけました。


わたしは、もう、たいして欲しいものがなくなった。

でも、
疲れた体を休める、椅子が欲しい。



大きな木は、こう答えました。


では、私の木の「きりかぶ」に腰かけなさい、と。



女の子は、「きりかぶ」に腰かけました。



女の子は、「木のあった跡」に腰をかけ、






やがてずっと動かなくなりました。








木は、それでうれしかったのです。