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・・・1891年、エジプト・・・


ハワード 「ピー先生。
      ぼく、ピラミッドとかに興味があるんで、
      エジプトにやってきました。
      遺跡の発掘の仕方を、教えて下さい。
      昔のファラオ(王様)の宝物を見つけ出したいんです!」

ピー先生 「・・君は、何歳だね?」

ハワード 「17歳です。」

ピー先生 「高校は、卒業しているのか?」

ハワード 「いいえ」


ピー先生 「お父さんは、何をしている人かね?」

ハワード 「画家です。・・ロンドンの、売れない画家です。」

ピー先生 「・・では、君自身は、絵が描けるのか?」

ハワード 「見よう見まねで、多少、できます。」

ピー先生 「では、遺跡の壁画の模写ぐらい、できるかね?」

ハワード 「はい!」


ピー先生 「・・ハワード、最初に言っておこう。

      遺跡の発掘や研究は、個人の『宝探し』ではない。
      『考古学』の一つなんだ。」

ハワード 「『考古学』?」

ピー先生 「人類が過去に行った活動と、その歴史的な変化を
      調べる学問だ。

      つまり、遺跡を見ているのではないのだ。
      過去に、人々がどのような思想に基づいて
      生きていたのかを、知る学問なんだよ。」

ハワード 「はあ・・」

ピー先生 「私のところで、考古学の勉強をする気はあるか?」

ハワード 「はい。なんでもやります!」



・・・数か月後・・・


ピー先生 「壁画の模写は、だいぶうまくなったな。
      ではそろそろ、遺跡の発掘の仕方を、教えよう。」

ハワード 「やったー!」

ピー先生 「地下に埋もれている、ファラオの墓などの遺跡を
      探し当てるには、闇雲に掘ってはいけない。

      少なくとも三つの方法がある。」

ハワード 「三つ、ですか?」

ピー先生 「ひとつは、ほとんどのファラオの墓は、
      既に、地元の泥棒により、墓荒らしをされており、
      見つかってしまっていることが多い。

      しかし、
      金(きん)でできたものや、宝石は盗まれるが、
      泥棒には価値がない、パピルス(古代の紙)に書かれた
      当時の記録などは、残っていることが多いのだ。

      つまり、
      地元の人々と仲良くなり、
      そうした盗掘品を商って(あきなって)いる、
      闇取引の市場から情報を得ることが、その一つだ。」

ハワード 「はい。泥棒から教えてもらう、ということですね(笑)」

ピー先生 「もう一つは、非常に地道に発掘してゆく方法で、
      地面をかたっぱしから掘ってゆくやり方だ。

      具体的には、
      幅およそ1mで、横に20mぐらいの長さの穴を、
      5m間隔で、どんどん掘っていく、という方法だ。

      で、それらの穴から、もしもなんらかの痕跡が
      発見された場合、それが見つかった穴の周辺を
      徹底的に採掘する、というやり方。」

ハワード 「はい。これは、つらそうですね・・」

ピー先生 「3番目の方法は、自分で考えるやり方だ。」

ハワード 「は?」

ピー先生 「自分が発掘したい、と思っているファラオの墓が
      あるのであれば、
      まずは、
      そのファラオが生きていた時代のことを詳細にしらべ、
      いつ、どこで、どうして、そのファラオが死んだのか、
      いや、どのように生きていたのかを調べる。

      そして、
      もしも『わたし』が、彼または彼女だったなら、
      どこに自分の墓を作ろうとするだろうか、
      ということを、想像してゆくのだ。

      これを行うためには、
      これまでの、ファラオたちに関する研究の全てを、
      自分の頭の中に入れる必要がある。
      わかるな?」

ハワード 「は、はい。」

ピー先生 「それが、考古学の第一歩なんだ。」



・・・数年後・・・


ハワード 「ピー先生!、ぼく、ファラオの一人、
      『ツタンカーメン』の墓を探したいです!」

ピー先生 「ふふ。ついに気づいたか。それでよい。
      これまでに記録されてきた歴代のファラオの中で、
      唯一、墓が見つかっていないものが、
      その、『ツタンカーメン』、であることを。」

ハワード 「つまり、まだ、盗掘されていない、可能性が
      高いってことですよね?」

ピー先生 「その通りだ。
      だから、エジプト考古学者の間では、
      最大のロマン(浪漫)とされておるよ。」

ハワード 「ぼく、絶対、ツタンカーメンの墓を見つけてみせます!」

ピー先生 「・・よいか、ハワード。

      発掘の作業は、
      個人が名声を得るための、宝探しであってはいけない。

      人類がどのような思想をし、どのように行動してきたのかを
      今を生きる人々に、『伝える』ことだ。

      それもまず、地元の、エジプトの人々に『伝える』ことだ。


      そして、人間とは何か? よりより人生とは何か? 
      これからどのように生きれば良いのか? 
      を、考えてもらうために、『考古学』は存在する。

      もちろん、エジプトの人だけではなく、
      できれば、世界中の人々に、それを知ってもらえれば、
      なおよい。」

ハワード 「わ、わかりました。
      もし、見つかったら、ピー先生の言葉を、思い出します・・」


・・・数年後・・・


ハワード 「ピー先生、ツタンカーメンの正式名称は、
      トゥク・アンク・アメン(アメン神の大いなる命)とも、
      トゥト・アンク・アメン(アメン神の生ける似姿)とも、
      考えられます。

      アメン神っていうのは、どんな神様なんでしょうね?」

ピー先生 「アメン神は、エジプト神話の主神(しゅしん)である、
      太陽の神、ラーと、同一であるという説が強い。」

ハワード 「なるほど、そうですか。
      ツタンカーメンは、
      紀元前、約1342年頃に生まれて、
      王位についたのは、紀元前1333年頃、
      そして、
      紀元前、約1324年頃に死んだようです。」

ピー先生 「そうしたわかっている事実から、場所を捜すしかない。
      あとは、前の王と仲が良かったか、悪かったなどでも、
      墓の場所は、変化する。」

ハワード 「わかりました。そうすると・・。
      尊敬していた王の『すぐ隣り』にあるかもしれないんですね?」

ピー先生 「そういうことだ。」



・・・1907年・・・


ピー先生 「ハワード。いるか?」

ハワード 「はい。」

ピー先生 「昨日、エジプトの考古学局から問い合わせがあり、
      ファラオの発掘をしたい、という
      イギリス人貴族が、わしのスポンサーになりたい、
      という申し入れがあった。

      発掘には膨大なお金がかかるから、
      スポンサーが必要だが、
      わしはそろそろ、インドに移動する。

      よって、エジプト発掘のスポンサーは、必要ない。

      だから、お前がやってみないか?」

ハワード 「は、はいっ?」

ピー先生 「お前のスポンサーになってもらい、
      お前の夢である、ツタンカーメンの発掘のための
      採掘費用をだしてもらってはどうか、と言っておるのじゃ」

ハワード 「あ、ありがとうございます。
      願ってもないことです!」

ピー先生 「お前には、私の持つ、すべてを教えた。
      今後も、『考古学』を行う理由を、決して忘れるでないぞ。」

ハワード 「はいっ、先生の教え、決して忘れません。」



(かくしてハワードは、イギリス人貴族のスポンサー、
 カーナヴォン伯爵(カーナ伯)と、巡り合うことになる。)



・・・1921年、年初・・・


カーナ伯 「ハワード、まだ、ツタンカーメンの墓はみつからんのか?」

ハワード 「すみません。カーナ伯。あ、あと1年、時間を下さい。」

カーナ伯 「そう言い続けて、もう数年が経つ。
      よいか、今年、ツタンカーメンが見つからなければ、
      私は出資を停止する。よいな?」

ハワード 「・・は、はい・・」



・・・1921年、年末・・・

カーナ伯 「ハワード、何もでなかったようだな。
      では、今年で、私はスポンサーから降りる。」

ハワード 「ま、まって下さい。カーナ伯。
      発掘に成功したあかつきには、
      その『名誉』のすべてを、あなたにさしあげます。
      ですので、後生(ごしょう)です。
      あと、1年だけ、発掘をつづけさせて下さい。」

カーナ伯 「・・わかった。
      だが、ハワード。来年が、最後の1年だぞ。
      (第一次世界大戦後の混乱による)
      最近のイギリスの物価高のせいで、
      私も、それほど余裕がないのだ。」

ハワード 「わかりました・・」



・・・かくして、運命の、1922年・・・


ハワードは、あらゆる可能性を考え、その全ての場所を掘りだした。

そして、10月下旬、

壁画が最も美しいために、当時でも観光客が多く集まっていたため
原則として、採掘禁止になっていた
「ラムセス6世」の王墓(おうぼ)周辺の発掘を、
エジプト政府の考古局に頼んで採掘させてもらった。


そして、

その「ラムセス6世」の墓を採掘するために、
その採掘する労働者たちのために(以前に)建てられた「宿舎」の跡や、
また、
採掘のときに、掘りだしたために生じた、
「いらない土砂(どしゃ)を積んだ山」
の下、まで
彼は、徹底的に採掘を続けた。


その結果、彼は、

「いらない土砂(どしゃ)を積んだ山」の下に、

見つけたのだ。





地下へ降りてゆく、12段の階段を。






















・・・

補足1:

1922年、11月5日、
ハワードの発見は、まさに「世紀の発見」であった。

ツタンカーメンの『黄金のマスク』を始めとする、
それを守る、3重の金でできた棺(ひつぎ)、

さらに、
それを守る、4重の『厨子』(ずし、大きな箱)。

それらの周りにある、金(きん)や宝石で作られた
(未来に王が生き返ったときのための)調度品たち。


地下12段の階段の先にあったものは、

黄金に光輝く部屋であったと同時に、

3000年以上前にあったエジプトの「思想」と、
それによる人々の「行動」、そのものであった。



この年、
ハワードは、48歳になっていた。

ピー先生から、『考古学』の教えを受けてから、
30年以上が経っていた。


・・・

補足2:

人物たちの正式な名称は、以下。


ハワード:

ハワード・カーター
(Howard Carter、1874-1939年)


ピー先生:

フリンダース・ピートリー
(Flinders Petrie、1853-1942年)


カーナ伯:

カーナヴォン伯爵
ジョージ・エドワード・スタンホープ・モリニュー・ハーバート
(George Edward Stanhope Molyneux Herbert, 1866-1923年)


・・・

補足3:

もともと、ほとんど全ての
エジプトの王様、すなわち「ファラオ」の墓は、
盗掘されていた。

通常、
ファラオの墓が作られた、数年以内に、
泥棒が入ってしまうケースが多く、

さらに近年になって、発掘の技術が進んでからは、
盗掘に拍車がかかってゆき、
残りの無事だった王墓も、ことごとく盗みとられてしまった。


この理由の一つが、
イスラム教が、エジプトに入ってきたため、である。

もともとの、太陽神ラー(アメン神)をあがめる
伝統的な宗教が、すたれていってしまい、
それを尊敬する人々が、ほとんどいなくなったからでる。


このため、
まだ盗掘されていないファラオの墓が見つかることなど、
まずなく、

すなわち、ハワードが見つけたこの
「ツタンカーメンの墓」
は、歴史上唯一、盗掘されていないファラオの墓である、
ということになる。

つまり、
世紀の発見、どころか、
紀元前3000年前から存在するエジプト文明の
唯一の「てつかずの遺跡」
であった。


(実際には、小規模な盗掘があったようだが、
 ほとんど大勢に影響ない程度であった。
 金銀財宝が、そのまま残っていたのだから。)


・・・

補足4:

通常、イギリス人の考古学者が発掘したものは、
イギリス人によって、ヨーロッパに持ち去られ、
大英帝国などに展示されるのだが、

ハワードは、それに疑問を持ち、
結局、
ツタンカーメンの『黄金のマスク』も、
その副葬品たちも、
そのほとんどが、
エジプトのカイロにある、考古学博物館に
まとめて展示されている。


・・・

補足5:

余談であるが、
「ファラオの呪い」という迷信がある。

ツタンカーメンの墓が発掘された5か月後に、
(発掘のスポンサーであった)
カーナ伯は、肺炎で死亡しているが、

もともと彼は、気管支喘息などの
呼吸器系の持病をもっており、
肺炎などを起こすと致命的になりやすかったため、
と考えられる。

また、発掘の中心人物であったハワードのほうは、
その後、17年経ってから普通に死亡している。

よって、まず、
「ファラオの呪いは迷信である」と考えてよい。


・・・

補足6:

私が、今回、これを書いたのは、
次の理由による。

国際協力をしたい人の多くは、
17歳の、ハワード少年のように、

外国にいって、自分の興味のあることをやって、
途上国で一発「花を咲かせる」ような活動をし、
自分の夢を実現させよう、と思っていると思う。

まあ、
それは自然であり、最初は、それでよい。

しかし、
ピー先生が教えた『考古学』とは何か、のように、

国際協力は、最終的には、自分の夢のために
行うものではなく、
その地域の人々や、世界中の人々のために、
その知識や行動を還元してゆく、作業である。

ハワード少年は、
成長してゆく過程で、
幸運なことに、ピー先生という師匠に出会い、
技術的にも、思想的にも、
非常に高いレベルに成長させてもらった、
ということになる。

(えらくなってから、本人が、
 その恩師のことを覚えているか、
 忘れてしまったかは、別にして。)

もっと、言えば、
ハワード少年は、
ツタンカーメンの王墓を見つけたことにより、
その名前を歴史にきざまれたが、

このハワード少年の功績の何分の1かは、
(歴史上、ほとんど知られていない)
ピー先生のお陰ではないか、と私は思っている。




で、私は、
(到底およばないだろうが)
国際協力の分野において、
ピー先生のような存在になりたいと思って努力しているつもり。


やがて、歴史に名を刻む、
偉大な業績を残す人物の、礎(いしずえ)になることを。






参考:

「ツタンカーメン」(第1〜4巻) 山岸涼子 潮出版社
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4267016445


「ツタンカーメンの黄金のマスク」

画像1
http://stat001.ameba.jp/user_images/20090607/23/emina0216/81/a9/j/o0800114110193186071.jpg

画像2
http://image.blog.livedoor.jp/maimitsu/imgs/4/4/44addcab.jpg?432576

動画
http://www.youtube.com/watch?v=oadyMEjAtVU


ツタンカーメン王の像の「トリノ・エジプト展」 
仙台で2009年12月20日まで開催中
http://www.asahi.com/event/TKY200910050219.html


世界で一番悲しい国、悠久四千年エジプト 2,168字
http://blog.livedoor.jp/toshiharuyamamoto128/archives/50936002.html