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新潟県の北部で、江戸時代に、
鮭の絶滅を防ぎ、
「持続可能な」形で、
鮭が獲れるように導いた人物がいる。

当時、地球温暖化どころか、
環境問題も訴えられていなかった状況で、
江戸時代の一人の武士が、
この事業を始めたことを知り、私は驚いた。


なにが正しいのかわからない、
混沌として現代の日本において、
私たちがするべきことの
参考になるかもしれないと思い、

ちょっと詳しく、彼のやった事業と、
その後、後世に起こった出来事を紹介する。


(以下、基本的に、鮭の養殖の話です。)


・・・

現在の、新潟県(北部)、村上市の場所に、
江戸時代、村上藩、という藩があった。

当時、そのあたりに
「三面川(みおもてがわ)」という川が流れ、
毎年やってくる鮭を漁師たちは獲り、
その儲(もう)けたお金の一部を、漁師たちは、
村上藩に「運上金」(うんじょうきん)
として納めることになっていた。

もともと、運上金は、
毎年、400両ぐらいあったのだが、
漁師たちが、鮭を乱獲しすぎたせいで、
年々、鮭の獲れる量は減っていき、
ついに、
ほとんど鮭は、川に上ってこないように
なってしまった。

村上藩への運上金は、5両まで減った。


このままでは、
藩の財政が破綻してしまうと思った村上藩主は、

1763年、
青砥武平治(あおと ぶへいじ 1713-1788年)を
「川普請(かわぶしん)」という役職につけ、
なんとかして鮭の数を元に戻すよう命じた。

青砥は、鮭の生態と、
森林から流れ出る川の水源を調べ、
さらに、漁師たちの漁獲の方法を調査した。

その結果、青砥は、

「鮭には、自分の生まれた川に戻る、
 回帰性があるのではないか。」

「鮭を保護し、産卵の手助けをすれば、
 三面川(みおもてがわ)に、
 鮭をよみがえらせることができるはず。」

「よって、三面川に分流を作り、
 そこを、鮭の産卵に適した場所にするべきだ。
 この分流を、「種川(たねがわ)」と呼ぼう。」

ということを提案し、
同時に、次のような法律を作った。

「三面川の本流を上ってくる鮭ならば、
 漁師はとってもよいが、
 分流(種川)を上ってくる鮭をとってはならない。
 それをとったものは厳罰に処す。」

「種川をのぼってきた鮭は、
 無事に産卵を行わせることにする。
 それまでは、手厚く保護する。」

この法律を「種川の制」と呼んだ。


もちろん、鮭が安全に産卵する、
人工的な分流である「種川」を作る「土木工事」をすることは
当時の技術ではそうとう難しかったはずだが、
30数年かかって、彼はそれに成功する。

しかも彼は、単に、川に支流を作っただけではなく、
以下のようなことに配慮していた。

1.森林から鮭の好む湧水を種川まで誘導
2.川底に砂じゃりを敷き、産卵に適するよう配慮

これらを実施し、成功したことにより、
青砥は、
「世界で初めての鮭の天然産卵の保護」
を行ったものとして、
(後に)歴史に名をとどろかせることになる。

ともかく、以後、
鮭の漁獲高は漸増を続け、
村上藩の財政は回復し、
なんと、3000両まで増えていった。

(一時期は、5両まで減ってしまったものが、
 数百倍まで増えたのである!)


青砥は、乱獲を止めようとしなかった
漁師たちに向かって、こう言っていた。


「鮭を大事にすることは、
 お前たちの子孫を大事にすることだ。」



・・・


1876年、
アメリカ・カナダなどから、鮭の人工孵化(ふか)の技術が
日本に伝えられた。

1882年、
青砥の方法を改良しながら守ってきた人々は、
上記の人工孵化の技術をとりいれ、
「村上せいさん育養所」を作り、
(それまでの「天然産卵の保護」だけでなく)
「人工孵化」も開始する。

1963年、
現代的な、大規模な、人工孵化と養殖が始まり、
川を上ってくる鮭たちの
「一括採捕」(いっかつさいほ)
が行われるようになった。


以下、現在、村上市の漁業協同組合(漁協)で
確立されている、鮭の養殖の方法を
概説しておく。


・・・

「鮭の採捕と孵化と放流」

1.許可

まず、新潟県北部の「三面川(みおもてがわ)」では
鮭の捕獲は基本的に法律で禁止されている。
県知事などの許可がないと捕獲できない。
よって、まず、その許可をとる。

2.捕獲

9月から1月の間、
川に上がってくる鮭を、
川に設置した「落とし棚」などで捕らえる。
一気に大量につかまえるので、
「一括採捕」(いっかつさいほ)と呼ばれる

3.蓄養(ちくよう)

卵子が成熟している鮭は、そのまま採卵するが、
成熟していない鮭は、一時的に養殖し、栄養をつけさせ、
卵子を成熟させる。

4.採卵

基本的に、切開法にて採卵する。
メスの鮭の腹を切って、卵巣を取り出す。

5.受精

メス10匹の卵子に対し、
オス3匹の精子が必要とされる。

6.粒数(つぶすう)

メスから、3000粒の卵子が採れる。
このうち、2900粒が受精卵となる。

7.洗浄

受精後、1〜2分、水で洗う。

8.移植

孵化槽に、受精卵を移動する。
受精卵は直射日光を嫌うため、室内を暗くする。

9.発眼(はつがん)

受精卵は、やがて卵膜を通して、
眼の黒い点が見えるようになる。

10.検卵

死んでいる受精卵を取り除く。

11.孵化

受精した時から数えて、
「積算温度」が480℃になると、
通常、孵化する。

積算温度とは、以下のような考え方を言う。

水温が8℃で、その状態が60日続いた場合、
8x60=480で、鮭は孵化することになる。
要するに、温度が高いほうが、孵化は早い。

12.浮上

孵化した稚魚には、腹の下に、
自分の体よりも大きな「サイノウ」と呼ばれる
赤い袋をぶら下げる。
要するに、受精卵時代の卵黄(栄養)を
そのまま腹の下にぶらさげる。

13.飼育

二ヶ月間、飼育をする。
この時期、酸素消費が多くなるので注意。

14.放流

体長6cmになり、
かつ、
水温が、7〜10℃の時に、
3月から4月上旬にかけて、
一気に放流する。

現在、約1000万匹の稚魚が
毎年この時期に放流されている。


・・・

このようにして養殖された後、
川をくだり、海にでていった鮭は、
北太平洋を周遊し、約4年で成魚になった後、
故郷の川に戻ってくる。
産卵をするために。

しかし、幼魚のうちに外敵にくわれるなどの理由で、
「回帰率」は、1000分の3程度。

毎年1000万匹、放流しているので、
4年後に、
約3万匹が、故郷の川に戻ってくることになる。


川に戻ってきた鮭は、
また再び、捕獲され、採卵され、
その後、
頭の先から尾の先まで、
余すところなく、すべてが料理され
地元の人々に食される。

村上地方に伝わる「鮭料理」の種類は、
ゆうに100を超え、鮭の体で捨てられる場所は、ない。


また、毎年、
(採卵されて死んだ、大人の)鮭の胸ビレを
小さい船に乗せて川に流し、お祈りをする行事がある。

こうして、鮭に感謝することを人々はかかさない。



七五三の日、11月15日に、
この地方では、「袴着」(はかまぎ)を
子どもに着せる風習がある。

この時、
家族でいっしょに食するものは
もちろん100種に及ぶ「鮭料理」である。



「海を駆け、川をさかのぼる鮭のように、
 わが子も、健(すこ)やかに成長して欲しい。

 世間の荒波に負けることなく、
 たくましく、人生を乗り切って欲しい。」


これが、江戸時代から、
いや、未来永劫、伝わっていく、
鮭とともに生きる、この地方の文化である。




















・・・

補足1:

日本の鮭は、正確には
「シロザケ」という。

英語では、Chum Salmon

キングサーモンや、紅鮭とは異なる種。


補足2:

鮭が母川回帰できる理由は、
いまだに解明させれいない。

仮説としては、

1.地磁気説(地球の磁気を感知)
2.太陽コンパス説
3.臭覚回帰説(稚魚の時に、川の匂いを記憶)

などがある。


補足3:

採卵の時、切開法で鮭の「腹をきる」と書いたが、
武士は、「切腹」を嫌う、ことに配慮した場合、
鮭の胸のあたりだけをきって採卵し、
腹のあたりを切らない場合もある。


補足4:

鮭が、淡水と海水に適応できる理由は以下。

淡水魚は、(浸透圧の関係などで)
     水が体の中に入ってくる。
     よって、水を体外に出す体の仕組みがある。

海水魚は、水が体の外に出ていく。
     よって、海水を飲んで水をとり、
     塩だけ体外に出す体の仕組みがある。

鮭は、淡水と海水を行き来するため、
上記の二種類の体の構造へ、変化させる能力がある。


補足5:

イヨボヤ会館
http://www.iwafune.ne.jp/~iyoboya/

新潟県村上市にある。世界初の鮭の博物館。

イヨボヤとは、現地の方言で、
「魚の中の魚」を意味する。

村上では、
生活と一体となっていた、鮭が、そう呼ばれている。

かつて、村上藩の財政を救い、
今でも、人々の伝統をつなぐ、もっとも大切な魚として。