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このブログは、前回の続きです。

青年海外協力隊を受験した二人の27歳女性の合否の謎,その1,学歴と職歴 5800字
http://blog.livedoor.jp/toshiharuyamamoto128/archives/65441283.html


・・・レモンさんが、青年海外協力隊に応募した動機・・・


山本   (大学時代から)現職(に就くまで)は聞いたので、
     では、なぜ青年海外協力隊に行くことを考えたのか
     という応募する動機をお聞かせ願えますか。

レモン  凄く遡(さかのぼ)るんですけど、
     なりたいと思ったのが中学生くらいのときで、
     うちのお父さんが自分の趣味で
     色々な伝記の本を買って読ませてくれていて、
     沢山ある本の話の中でも
     特に「ナイチンゲール」の話が好きだったんですよ。


(注:ナイチンゲール, 1820-1910年、イギリス人の看護師。
   クリミア戦争(ウクライナの一部)で負傷した兵隊へ献身的な行動をした。
   その経験を生かして、近代看護教育の元を作った。教育者。)


     私こういう人になりたいと思って
     小さいころ憧れていたんですよ。
     どうしたらこういう人になれるんだろうとか思っていて、
     その後に「マザーテレサ」の話を知って、
     こういうのも素敵と思って。


(注:マザーテレサ、1910-1997年、コソボ(現マケドニア)出身の修道女。
   インドのカルカッタなどでおこなった貧しい人に対する慈善事業が有名。
   孤児の家、死を待つ人の家、ハンセン病(らい病)患者の家などを作った。)
http://www.ets-org.jp/hosoku/mirai_002_11.html


     その時に協力隊のポスターを見て
     下に応募はがきがあったので資料請求をして、
     内容を見て感動しました。

     こういう人になれたらいいなと思う人が載っていて、
     看護師として青年海外協力隊として
     途上国に行って途上国の人を支援できるようになりたいな
     と強く憧れを抱きました。

     しかし、それが高校一年の時に打ち砕かれたんですけど。

山本   何故ですか?
     ナイチンゲール、マザーテレサときたら
     もう看護師になるしかないですよね。

レモン そうですね。
    ずっと看護婦になると思ってたんです。

    そのころ老人保健施設でボランティアをしていたんですよ。
    食事介助だったりとか、洗濯とか、
    あと、話し相手だったりとか、週1回行ってたんですね。

    そこでの生活が、結構辛くて…
    別にやるのが嫌だとかではなくて、感情的に辛いんですね。

    そこの施設の
    1階が「デイケア」(日中、病院で高齢者をあずかること)とか
    2階が症状の軽い人が入所して、
    3階に「認知症」の人が入所していて、
    4階がなくて(4は、死を意味するため病院では使わない)
    5階が重症患者が入所していて、
    6階が金持ちの人が入ってる。

    ここ(6階)は皆穏やかで優しいんだけれども、

    私が担当していたところは(3階の)痴呆棟で、
    ヘルパーさんもストレスでギスギスしていて、

    そこでされていたのが、
    おむつ交換の時間が決まっているとか、
    車いすに紐で縛りつけられていたりだとか、
    もちろん理由があってそうしているんですけれども、
    結構それがきつくてですね、

    (注:病院側としては、上記のようにしないと、
     認知症患者に手がかかりすぎて、とても運営できない。
     スタッフの仕事がきつくなりすぎて辞めてしまったり、
     人手を増やすために雇うと人件費がかさんで経営が破綻する。)

    (患者さんが)皆(みんな)、なんか、
    話し相手とかしていても
    「私はもうすぐ死ぬのを待つだけだ」とか
    暗い事を考えているんですね。

    あと、痴呆の人の3階の痴呆棟とか
    徘徊防止にそこだけエレベーターのボタンに細工がされてあって
    牢獄みたいなところんですよ。

    (注: 痴呆は差別用語。正式には、認知症。)

    その経験が結構つらくて、
    でも、看護婦は違うだろうと思っていたら、
    うちの高校って、1年生の時に職場見学というのをやるんですね。

    その、自分がやりたい職場を選んで、
    先生とかが手配して
    そこで内科の看護婦さんの手伝いを
    1日経験をさせていただいたんですけども、

    長期療養型の病院だったんですけども
    やってることが全く(老人保健施設と)一緒だなと思って、
    現実を見たらその時凄いショックを受けて、
    自分のやりたいことってなんだったんだろうって思って、
    それが一番ショックだったのと、


(注: 長期療養型の病院に行ったので、彼女は、
 老人ホームと同じ内容の看護を見ることになった。
 しかし、もし、
 救急病院や、大学の付属病院の外来や一般病棟などにいけば、
 病気を治すほうの、看護が見られたはず。
 つまり、
 レモンさんがいた高校の先生が、
 もし、他の病院を探してくれていれば、
 レモンさんは当初の夢どおり、看護師になっていた可能性が高い。
 人生の選択に、影響を与える立場にある人の責任を強く感じる。
 自戒をこめて。)


    あと、副次的理由として、
    そもそも数学も生物も苦手だという話と、

山本  その点については(以前から私は、レモンさんから)聞いてたけどね。

レモン それは、副次的要因なんですけど、
    1番の理由として大きかったことは、そもそも、

    「私なんで看護師になりたかったんだろう」と思って
    そのことで悩んでしまって、
    看護師じゃなくって
    「もっと自分に興味のあること、関心のあることで、
     途上国の人たちの為に働けないかな」と、
    考え方を変えたんですよ。

    「国際開発ジャーナル」だとか本をいっぱい読んで、
    やっと見つけたのがその、「国際公務員」の仕事でした。

    確かに今から考えると大それたことを考えたなと思うんですけど、
    そしたら、どうしたら国際公務員になれるかなと思うと、
    さっき言った、
    「英語力と、現地での経験、専門性」。

    で、専門性ってなんだろうと思うと
    「最低修士号」が必要で、協力隊に行こうとしてる中で、
    じゃあ大学院まで行かないといけないなということなんですけど、

    大学にはお金がなくても行く方法はわかったんですけども、
    その後に大学院に行ける方法は思いつかないと、
    で、どうやって大学院行こうかなと思ったら、
    何とかお金を稼いで大学に行くのはいいけど、
    大学院に行くのに学費と生活費とどうしようと思ったんですよね。

    最低400万くらいはないと通うのは難しいなと、
    そうだ、海外青年協力隊があったと。

(注:海外青年協力隊は間違い。青年海外協力隊が正しい名称。)

    これだったら、現地経験も積めるし、お金もたまるし、

(注: 協力隊に2年間いって、その後日本に帰国すると、
 自分の銀行口座に、約二百万円が振り込まれている。
 再就職準備金という名前のお金がもらえる。)

    ちょうどいいと思って、
    大学行って、働いて、協力隊行って、院(大学院)に行こう
    という計画が、高校1年生(15、16歳)の時に出来上がって、
    協力隊行こうって思いました、その時。

山本  なるほど、非常に現実的でいいんじゃないですか。

レモン 結構、人生打算的に動いていますね。


・・・カリメロさんが、青年海外協力隊に応募した動機・・・


山本 では、カリメロさんのほうは何故、協力隊に行きたいんですか?

カリメロ レモンさんとは違って、
     私は思いつきに近いかなぁと思っています。

     なぜ、行きたいかというと、
     (他の方法で長期、海外にいくよりは)
     いちばん身近な親が安心するだろうと。

     短い期間で行くのは何度か経験しているんですけども、
     長期で現地に行きたいなと思っていました。

     年が27歳で、(後述の理由のため)
     長い期間行くにも限界があるだろうと・・・

     日本で帰ってきて親の支援もしたかったし・・・ 

山本   ちょっとすみません、失礼ですけれども、
     (ちょっと前に話していた、親の)耳が不自由だ、というのは
     どちらの親御さんですか?

カリメロ 両親ともにです、

山本   生まれつきですか?
     それとも年をとってからの老人性難聴ですか?

カリメロ 生まれつきではないんですが、
     小さい時に発熱が原因でなったって聞きました。

山本   じゃあ、「突発性難聴」ですね、わかりました。


(注:突発性難聴とは、風邪などのウィルス感染の後、
 本来は、体を守ろうとする免疫システムが、過剰に反応し、
 耳の、聴神経(ちょうしんけい)細胞を、あやまって攻撃し、
 難聴になってしまう病気。誰でもかかりうる。
 発症早期に、免疫システムを止めるステロイド剤を飲まないと、
 一生、難聴になる可能性がある、怖い病気。)



     両親?、両耳ともですか?

カリメロ はい、両親、両耳ともです。
     だけど私、手話出来ないんですけどね。

山本   わかりました。

カリメロ なので、日本に帰ってくることは必須なんです。
     なので、
     将来的には日本で、
     (海外の)ボランティアで見つけた活動を継続的に活動したい。

     そのための、ネタ、というか種(たね)というか、
     見つけたいので実際に現地に何年か行って、
     やるべきことを見つけたいと思っていました。

     この歳(27歳)になってそろそろ、やばいと思ったので…

山本   何がやばいの?

カリメロ 両親に心配かけちゃうし、それに子供も欲しいので

山本   ちょっとすいませんね。あの・・

カリメロ なんで、やばいと思ったのか?

山本   そうです、そうです。

カリメロ 体力的にですね、
     私カンボジア行った時に周り8人全員「赤痢」だったりとか、
     体を壊すっていうのを見てきたので、
     「現地に長いこと住むなら若いうちに行かなきゃ」、
     と変に思いこんでいたので。

     年齢と体力面と、
     日本に帰ってきてから「子供を産みたい」と思っていたので。

山本   子供を産むって、35歳くらいまでに、ってこと?
     あとそして、ご両親に心配かけたくないってこと?


(注: 女性が、35歳ごろをすぎてから出産しようとすると、
 ダウン症候群などの染色体異常を持つ子どもが生まれる確率が高くなる。)


カリメロ 海外にそろそろ行きたいなと思っていたので、
     そのなかで、余計な心配を親にかけたくないのと、

     自分も実際に現地へ行って(やることを探さなくても)、
     JICAだと自分でコネクション作らなくても
     (既に案件(途上国からの要請内容)が)あるじゃないですか。

     なので、短期間で効率的に動けるし、
     もちろんお金の面でも(帰国後)200万円位貯まってるし、
     帰ってきてから動きやすいかなと思って、応募しました。

山本   わかりました…


・・・レモンさんが、職種と案件を選んだわけ・・・


山本   では、なんで(職種を)「村落」(村落開発)にしたか?

     (また、村落にある無数の案件の中でも)
     なぜ、その「案件」(途上国からの要請内容)を
     具体的に選んだのか、について聞きます。

     (職種が)村落(であること)と、(応募した)案件の理由は?

レモン  えっと、本当は、今の会社入る前は
     (職種の一つの)「経済・市場調査」のほうが
     (自分がやってきた仕事の)専門的にいいな、
     と思っていたんですが、


(注: 2010年春の協力隊応募のデータをみると、
 村落開発普及員の案件は、53件も要請があるが、
 経済・市場調査の案件は、1件しかない。
 上記のように、経済・市場調査の要請自体は少ない。)
 

山本   あ、ちょっと・・コメント。
     今(彼女が言った)のはね、最終的に決まった案件ではなくて、
     あなたが第一希望から第三希望まで
     (協力隊の応募用紙に)書くよね。

     そっち(第一志望)のことを話してくれる?

     あ、その前に、
     最終的に決まったのが(第一希望の案件と)同じだったの違ったの?
     どっち?第一志望通ったの?

レモン  はい、(第一志望)通りましたよ。

     「経済・市場調査」というのが、
     経営コンサルタントの様な面を含んでいたので、
     私の能力では無理だなと思ったので・・。

     一応「中小企業診断士」の勉強もしていたので、


(注:中小企業診断士とは、国家資格の一つで、
 経営や業務へのコンサルティングの専門家であることを証明するもの。
 「企業の主治医」や「ビジネスドクター」とも呼ばれる。)
http://www.fromthejungle.com/business-financial/0810181814.html


     今は村落くらいしか応募できないなと思っていたので、
     今やってる仕事の内容もなんかこう
     村落開発普及と似ているところがあったので、
     案件を発掘をして改善を提案するだとか・・。

     なので村落開発部門に応募しようと考えて、
     案件の中で1番がU国のこの合格した案件で、

山本   「ネリカ米」のやつね

レモン  はい、そうです。

山本   開発普及、ネリカ米のやつね


(注:ネリカ米(ねりかまい)とは、
 アフリカの飢餓状態を改善するために研究開発された米。
 アジア米の高収量性と、アフリカ米の耐乾燥性を併せ持つ。
 一時、奇跡の米、と呼ばれた。)


レモン (第一志望が)「ネリカ米普及振興計画」

    2番目がベトナムの災害予防… 
    これはタイで津波ボランティアをしていたので、
    経験があるということと、

    3番目が、フィリピンの「一村一品運動」を支援する・・


(注:一村一品運動とは、その地域において、
 農業や工芸品などで特産物をつくり、
 いわゆる目玉商品を作って、村おこしをしようというもの。)


山本  (その地域では)産業は何を一品に充てる(予定だった)の?

レモン 農業とかかな?
    あまり触れてなかった。
    生活調査をして何を一村一品運動にするか考えなさい、
    というような。

山本  なにが、一村一品運動(の目玉商品)になるか探しなさい
    という感じだね。

レモン 調査するということが、一応、私の得意としていることなので。

山本  そうだね、調査が(あなたの)専門だよね。

レモン それは、いいなと思って。

    フィリピンでの経験もあったし、
    そして2次試験(面接)ではフィリピンのことばかり聞かれてたから
    (第三志望の)フィリピンなのかな、と思ってたら、
    結局第一志望のU国の案件になりまして。

    なぜ、このネリカ米振興の案件なのかといいますと、
    まず、何故アフリカなのかという理由が2つありまして、

    私は最終的に貧困削減の仕事をしたいという理由がありましたので、
    行くんならなるべく貧困が深刻な国に行こうと思っていました。

    U国はアフリカの中でも多分発展しているほうだとは思うんですけど、
    行くんだったらアフリカに行こうと思っていたんです。

    フランス語も勉強していたし。

山本  フランス語も勉強していたし・・っていった?
    フランス語、勉強しているんだ?

レモン はい、でも、大学で第二外国語として勉強して、
    フランス語、まだ、3級までしか取ってないので。

    だけど、U国(の公用語は)英語だから
    あまり関係ないんですけど、
    なるべく、貧困が深刻な国に行きたいという理由で
    アフリカを希望したので。

    今後国際協力に関わる仕事をして行くのなら、
    日本がアフリカの支援を強化していくということを
    アナウンスしているので。

    将来的に長い目で考えて
    アフリカでの経験があるというのは
    自分のキャリアのアドバンテージになるかな、
    という打算的なところがあって、
    それがアフリカ選んだ2つ目の理由です。

    で、なぜU国のネリカ米の振興のなのかというと、
    今の会社で米の流通について調査していたことがあったんですね。
    ある地域の米を普及させるにはどうすればよいか
    という調査をしていたんですね。

    この案件の中に、
    「米の流通システムの把握と課題」というのがあって、
    それが自分の専門と関わるとこがあったので、
    この案件を選びました。

    あと、「MRネリカ米と言われている坪井さんに会ってみたい」
    と思うのも選んだ理由になります。


(注:坪井達史さん。ミスター・ネリカ米、と呼ばれている人。
 1949年、大分県出まれ。日本大学農獣医学部卒。
 青年海外協力隊(フィリピン)参加後、JICA稲作専門家となる。)
http://www.jica.go.jp/story/media/media_29.html
http://www.jica.go.jp/story/media/media_33.html
http://www.maff.go.jp/j/pr/aff/0809/opinion.html


・・・カリメロさんが、職種と案件を選んだわけ・・・


山本   なるほど、では、次は、カリメロさん。
     まずなぜ村落を選んで、(案件の)何をやりたかったの?

カリメロ 村落のテーマは「マイクロファイナンス」に関われること。
     で、要請を選んでいした、

山本   (志望案件の)1・2・3 は何を選びましたか?

カリメロ 1が、(第1・2・3希望の国)全部アフリカがよくて、
     ザンビアにしました。
     他の希望は・・・なんだっけ・・・

     (今回は)練習で受けたので・・・


(注:カリメロさんが言うには、この「落ちた」時は、練習で受けた。
   次の半年後の、次回が本番の受験のつもりだった、と言っていた。)


山本   まあいいや、
     (今年の)春(青年海外協力隊は春と秋、1年に2回の募集がある)
     を本番にして昨年の秋は練習のつもりで受けたんだね。

カリメロ 思いつき系なので、私は。

     なぜそこを選んだのか、何故、村落にしたのかというと、

     まず、大学の社会福祉学科で、地域福祉学を専門にしていました。
     地域振興をどうすすめればいいかとか、
     都内港区を中心に貧困活動の行われている現地調査とか、
     現地ヒアリングとか、沖縄でもやっていて、
     楽しかったんですよ。

     現地調査して現地の人と話をして、
     こうしたらいいよとかアドバイスをして、
     その経験を、
     海外ボランティアしていたカンボジアやフィリピンで生かしてみて、
     楽しかったんですよ。

     それが一番の理由なので、村落開発普及委員会を希望しました。
     PCインストラクターではなくて、というのがまず第一報です。

     で、かつ、アフリカがよかったんです。
     エリアの中でなぜかというと、
     貧困が激しいところに行きたいと思っていたので、
     ボランティア活動をしている時にそれを凄くショックに思えて、
     それに対して何もアプローチできない自分も嫌だったので、
     それを学ぶためにもアフリカ地域に行きたいなと思っていて、
     日本に帰ってきてからのアドバンテージの観点でもおなじです。

     日本のODAをあげていこう、企業誘致をしていこう、
     といった流れになるだろうと思っていたので、
     アフリカ行くとアドバンテージになるだろうなと。

     あと、今の会社を説得できるだろうな、と。
     可能であれば休職して行きたかったので、
     なのでアフリカにしました。

     で、そのなかで、マイクロファイナンスにしたかというと、
     日本に帰ってきてからも動きやすい、
     物理的に自分が動かなくてもなんとかなる、
     頭を使うことが生かせる。

     そういう意味でマイクロファイナンスに興味があり・・
     かつ、それを専門にやってる人、
     政府系の人と飲み屋で話すことができて、飲んでたら仲良くなって、
     色々、
     ユヌス(モハメド・ユヌス:マイクロファイナンスの創設者)
     の本とか紹介されて読んで、
     こういう考えがあるんだとか、凄い衝撃を受けたというか。

     こういう風にやったら貧困へのアプローチができるんだなとか、
     と思ったので、
     マイクロファイナンスに関われる要請を3つ見つけて応募しました。


(注:モハメド・ユヌスは、バングラデシュの経済学者。
 マイクロファイナンス(マイクロクレジット)は、
 貧しい人々に無担保・低利率でお金を貸し、
 貧困から脱出するための事業を開始させる手法。
 バングラデシュではうまくいったが、
 他の地域ではあまりうまくいっていない。)


(続く)

・・・

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