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昔から苦手なことが、電話をかけること。

私が電話をかけた時に、かけられた人が、

大好きなテレビドラマを見ているかもしれず、
なんらかの重要な仕事をしているかもしれず、
恋人と二人でいるかもしれない。


ものすごい迷惑になる可能性がある。


だから、もし電話をするなら、
少なくともテレビドラマをやっていない、
午後8時56分などの、?時56分ごろに電話をして
3分で要件をすませることにしている。

しかし、
会話がなんらかの理由で続いてしまった場合、
午後9時からテレビ番組は始まってしまう。

も、もしかすると
この人は、9時から見たい番組があったんじゃないかしら、
と思うと、
気が気ではない。


と、いうわけで、この「?時56分作戦」も
完璧ではないので、
つまり、
やっぱり電話をするのは迷惑になる可能性が
あるのである。


だから、20歳代のころ、
私は、他人(ひと)に(自分から)電話をすることは、
ほとんどなかった。

(ちなみに、10歳代は、電話をする必要が
 そもそもなかった。)


30歳代になると、仕事の立場が上になってゆく関係で、
電話をしないわけにはいかず、
「これは、仕事だから、絶対必要なんだ!」
と心を鬼にして、電話をすることにしていた。

(あいてに迷惑がかかろうと、
 この電話は、(それより重要な?)仕事なんだから
 電話をしていいんだ、と
 無理矢理考えるようにしていた。)


もちろん、電話をしても。

「もしもし、山本敏晴と申します。
 なになに様のお電話でしょうか?

 ・・今、お時間、よろしいのでしょうか・・?」

と、おっかなびっくりしゃべることになるのだが。



で、
こんな私は、やっぱり、
コミュニケーション能力が低く、社会適応性がない、
んだと思われるのだが、
まあ、それでも一応、今日まで生きてきている。


よく、
仕事もせず学校にもいかない、「ニート」
(NEET : Not in Employment, Education or Training)
の人が、批判されているが、

私は、どちらかというと、
そのニート側の人間である。


電話に限らず、通常の会話でも、

「「私なんか」から話かけることが、
 その人の迷惑になるかもしれない。」

と考えるならば、
他人と口をきくことは、できないからだ。

会話をすることで、
ついうっかり、その人が傷つくことを
(意図しなくても)
口にだしてしまう可能性はあり、
それを恐れるならば、何も会話はできない。

つまり、
会話をする、ということは、
「他人を傷つける可能性をつくる」
ということなのである。

(少なくとも、そういう側面がある。)


だから、
「他人を傷つけたくない」と考えるならば、
人といっさい口をきかない、ことしかない、
という論法が成立する。


もちろん、これを実行したからといって
その人が、「優しい、立派な人」であるわけではなく、
単に
「自分が傷つきたくないことの、裏返し」
にすぎない可能性が高い、のだが、

それにしても、
一義的に(直接的に)
他人を傷つけないためには
他人と口をきかない、ということが
一つの事実であることは間違いない。


こう書くと、(反論をよびそうで)

他人と口をきくことで、
相手の人が、
幸せになる(楽しくなるような)会話ができたり、
有益な情報を与えられる
(または、情報を交換できる)
と、思う方もいるかもしれないが、

そういう結果になるかどうかは、
会話をする前には、わからない。


で、結末がわからない場合、

楽観的に、大丈夫、と考えるか、
悲観的に、まずいことがおこる可能性がある、

と考えるかの
どちらのスタンスをとるか、ということである。
それにつきる。


どちらのスタンス(楽観主義または悲観主義)を持って
人生を生きていくかで、
もはや、
話がまったく異なってしまう、ということである。


で、いうまでもなく私は、
悲観主義者であるので、上記したように考えている。


「電話をするのは、苦手。」

「人と会話をするのも、相手を傷つける可能性が。」


もちろん、
こうしたことを考えている「本来の私」では、
他人とのコミュニケーションの多い、
宇宙船地球号・事務局長の仕事はできない。

だから、
仕事モードの時の私は、
「ある種の仮面」をつけて、仕事をしている。

別な人格になって、そんな
仕事の鬼の「山本敏晴」を演じているのである。



この人物は、本来の私からは、
ほど遠い人である。





毎晩、夜、寝る前に、
私は、シャワーを浴びる。

熱いシャワーを、ダイレクトに顔に受けながら、
私は、自分の「仮面」をはがす。


すると、その日、
電話の会話で、あるいは、仕事上の会話で、
相手を傷つけてしまった可能性のある言葉を思い出す。


怒りが、悲しみが、慙愧(ざんき)が、恥ずかしさが、
私の心に稲妻となって降り注ぎ、
私は、叫び声をあげる。



「あ、あんなこと口にしてしまった・・」

「お、オレは、最低だーーーっ!」

「うわあああーーーっ」


「・・・自殺しよう・・」





シャワールームで、
毎晩、こんなことをわめいている。

自分が傷つきたくないから、
他人を傷つけることを恐れるだけの
卑怯者(ひきょうもの)。


それが、本物の私だ。




で、明日も、
仮面をはりつけて、なに食わぬ顔で、仕事をする。


この「不可思議な繰り返し」の日常を
もう、30年も続けている。


腰のベルトに、いつもつきささっている携帯電話をみるたび、
私は少しの嫌悪感を抱き(いだき)、
同時に、
そんな「不可思議な繰り返し」を行っている自分自身を
哀れに思う。



それでも、私は携帯電話を強く握りしめ、今日も

「あなた」に電話をかける。



「山本敏晴と申します。

 ・・今、お時間、よろしいのでしょうか・・?」



















参考ブログ:

仮面をかぶった少女 3144字
http://blog.livedoor.jp/toshiharuyamamoto128/archives/65237199.html