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JICA職員離職後、NHK英会話などマスコミ関係の仕事をし、
現在は自転車普及の活動を行っている女性を紹介する。

・・・

このインタビューの主旨について


山本 まぁ、(今回のインタビューの)趣旨が
   二つありまして

   結局その、国際協力をやりたいっていう人がですね
   よく私のところに相談に来るんですけれども

   まぁ、結局その、
   (国際協力関係に)就職しようと思っても

   (永久就職できる職場はほとんどなく、
    一応、その最大の候補となる)

   JICA(国際協力機構)職員がですねぇ、
   例えば(大学新卒の枠で、毎年大きく変動するが))
   1000人応募して40人(前後)合格とか。

JICA-国際協力機構
http://www.jica.go.jp/

絹代 そうですねぇ。

山本 国連JPOが1000人受験して65人(前後、合格する)とかですねぇ
   非常に狭き門なのですよ。

外務省国際機関人事センター JPO派遣制度
(国連職員になるための、登竜門)
(ジュニア・プロフェッショナル・オフィサー)
http://www.mofa-irc.go.jp/boshu/boshu_aejpo.htm

   それ(就職したくても就職できない現状)が一つと、

   2番目が、まぁ、
   (国際協力関係の組織に)
   運良く入れたとしてもですね、
   例えば、あの…

   国連は実は2年間の(登竜門である)JPOが終わった後に、
   運よく国連内に再就職できるケースは、
   50〜60%程度。

   しかもそれも(再就職できたとしても)
   数カ月から2年までの「短期」契約で、
   その後、死ぬまで再就職(のための自分の売り込み)
   の繰り返しが待っていたり。
   
   要するに安定雇用ではなかったりしてですねぇ。

   さらに、
   JICAに入ったけれども、ちょっと何らかの理由で
   その(官僚的な)縦割りの関係が
   あまり(自分に)合わないとかですねぇ

   まぁ、そういう方もいっぱいいて
   (せっかく狭き門を突破して入っても)
   すぐにその国際協力組織をやめてしまう方も多いんですよ。

   えっと、こういった中で・・

   こういった中で、というのは、(整理すると)

   (給料のもらえる)国際協力組織には、簡単には就職できないし、
   (運よく)一度就職できても、離職してしまう人も多い中で
  
   一体、結局自分の人生において

   「国際協力を(一時的にでも)やる」
   ということが、
   「どのように(自分の人生のキャリア(経歴)を)
    考えることにつながるのか?」

   ということを
   お話しいただければなと思っております。      
 
   えっとまぁ、結局ですねぇ、

   最終的にその多少なり国際協力、国際貢献に
   興味があった方々が

   一時的にせよ、そういう活動をされて、
   その結果、
   「その後の人生をどう考えていくか」
   ということを、

   「私の人生はこんな感じに考えてます」、
   みたいな感じのことを
   おっしゃっていただければと思いますね。
   
   それがひいては、
   (この話を読んだ、国際協力をやりたい)若い方が
   これから自分の中でですね、  
 
   自分のやりたいことと
   「色々な制約がある現実」とのギャップ・・があって、

   (その中で)バランスをとってやっていくんだ
   (自分の将来を設計していくんだ)
   と思うんですが。

   ま、「夢と現実のバランス」(を考えるための参考)
   と言いますか。
   
   で、最後は、できれば「人生観」みたいなものを・・

   平たく言うと、
   幸せとは何か、とかですね、

   自分の人生において1番重要視していることは何か、
   ということをお聞かせいただければなと思っております。
   
絹代 はい。
   それは「一人しゃべり」でしゃべるんですか?
   なんか、聞いていただくんですか?

山本 あぁ、えーっとねぇ
   基本的に時系列で 
   あの、生い立ちからお聞きしようかと
   思っているんですけどね。

絹代 あぁ、そうですか。

山本 あの、なんかね、ネットを見ますと
   (絹代さんの)プロフィールが思いっきり公開されておりまして、

   ということは
   全然(きいても)問題ないってことですよね?

絹代 特に問題はないですね。

Kinuyo World
http://www.kinuyoworld.net/

Kinuyo Profile
http://www.kinuyoworld.net/profile/profile10.html

山本 ですよね。
   えっと…絹代さんですね。

   (肩書が)
   「サイクル・ライフ・ナビゲーター」となっておりますが
   自転車関係の(活動の)ことは・・あのぉ、
   まぁ…、後ほど聞きますね。

絹代 はい。

・・・

生い立ちは?


山本 じゃあ、生まれが
   (ホームページを見てみると)
   1975年生まれで、
 
絹代 はい。

山本 出身地はどちらに…?
   神奈川で?

絹代 横浜です。

山本 あぁそうですか。
   で…あの高校までは神奈川、横浜に
   いらっしゃったってことですね?

絹代 はい。

山本 で、大学はいちお東京大学・文科3類ということですよね?

東京大学
http://www.u-tokyo.ac.jp/index_j.html

絹代 いちお、そうです、はい。

山本 私ちょっと不勉強で申し訳ないのですが
   (東大の)文科3類、文科1類2類3類っていうのは
   どういう分類になっているのですか?

絹代 1類は法学部、2類は経済学部、
   3類はそれ以外の文系です。

山本 それ以外というと語学とかですか?

絹代 文学部、教養学部、教育学部ですね。

山本 その中は…?
   その中は別に、それぞれ別れてないんですか?
   3類にはいっちゃえば(別れていないのか)?

絹代 1、2年が教養学部になるんです。
   たぶん、どの学校も同じだと思うんですけれども
   3年から専門に入るという形で(進学します)。

   法学部にしてもおそらく
   あの、法律の種類によって学科は
   細分化されていると思うんですが。

山本 はい

絹代 それと全く同じように3類も
   学部と言うか、
   自分が入りたいところを
   3年生から選ぶという(形になっている)。

山本 なるほど。
   じゃ、それは2年生の末あたり(に決めるんですか)?

絹代 そうですね。

山本 12月ぐらいに決めるということですかね?

絹代 何月っだったかはちょっとごめんなさい、
   記憶がないんですけれども。

山本 はいそうですか。
   で、そこでは何を選ばれたんですか?

絹代 そこで農学部に行きました。

山本 あぁー、そうですか。   
   …農学部を選んだ理由は?

絹代 それはーですねぇ、すごく勉強があまり好きではなく、
   でー…、文学部にしても、教養学部にしても
   すごくその知識がある人が多くて

   まぁ、この中に入って劣等感みたく生きていくよりは
   食べ物がすごく好きだったので。
   で、農学部に行ったらもう少し楽に(卒業できる)
   と思って。

・・・

高校大学時代、国際協力に興味はあったか?


山本 あー、はい、そうですか。
   ちなみにその段階では国際協力に
   興味はあったんですか?

   高校(から)大学(まで)の頃には
   (国際協力に興味がありましたか)?

絹代 どうでしょうねぇ。
   …その環境問題とかそういうことに関しては
   すごく興味はありましたけれども。

   国際関係論か比較文化論をやろうと思って入って。
   で、まぁちょっと種類が自分と違うと感じて。
   
   それで、まぁ当時ペルーのことを
   やっていらっしゃる考古学の先生の講義がありまして。   
   で、まぁそこで、ペルーという国にすごく興味を持って。

   それは途上国という国であるという興味よりも
   インカの時代のまだ文明が残っていて
   その標高差があるところに畑があるとか。
  
   あと当時、
   「トゥパク・アマル」と「センデロ・ルミノソ」という
   テロ集団が山に残っていて

   インカの時代から組まれていた文化が 
   テロが入ったことで色々うまくいかなくなったり

   後は他の情報が他の国からはいいてきて
   そのよかった仕組みも今は
   崩れ始めるっていう状況にあったんですね。

   でー、あの標高差をうまく利用した村作りっていうのも
   すごく興味があって
   それであのーペルーの勉強をしようかな
   っていうのはありましたけれども、

   特に当時その、途上国をっていうのが
   メインではなかった思います。
   
山本 なるほど。
   つまり最初は
   単にぺルーの標高の違いによって…
   (いろいろな文化や文明が生まれたことに興味があったと?)

絹代 あとまぁ、気質であったり
   もともと比較文化論をやろうと思っていたので
   結構、その国の民族的なことには興味があって。
   そのバリ島ではこういう民族儀礼があるとか、
   それの興味の延長線上とういか。
   
   まぁ、当時ペルーという国は
   私にとってものすごい遠い国で
   どういう状況にいるのかもわかりませんでしたし。  
 
   それで、…まぁ色んな意味で
   文献を読んだりして色んな意味で
   興味を持ったりしたっていう。
   
山本 なるほど。
   で、実際ぺルーには何回か行かれたんですか。

絹代 1回だけですね。

山本 私も1回か2回行ったことがあって。

絹代 あぁ、そうなんですか。

山本 2回行ってますかねぇ。

絹代 えぇー。

山本 そうですか。
   確か、高山病になって
   数日死んでた(寝てた)ような気がします。(笑)
 
絹代 あぁ、本当ですか。

山本 しましたけれど。

絹代 えぇ。
   それでまぁ、どうしても畑が見たくて
   ただ当然、ペルーの畑に行くようなツアーはなく

   マチュピチュであったり
   クスコであたりは行かれるんですけど。
   特に観光地には興味がなかったので(参加しませんでした)。

   で、どうにかして行って、
   農村がどういう状況になっているのか見たいという欲から、
   イミダスとかそういうところで(調べました)。
  
   当時は知識もなかったので
   色々その関係団体を調べて
   農水省とか外務省とか色々なところに連絡をっとって、

   その中に農水の国際協力をっやているとこ、
   (つまり)外務省の国際協力をやっているところに行きついて、

   そこからJICAの国総研っていうのが
   市ヶ谷にあるんですけれど、
   そこを、ご紹介いただいて。
   そこでJICAの専門員の方をご紹介いただいて。

JICA研究所について 国際協力人材部総合研修センター
http://jica-ri.jica.go.jp/ja/about/index.html

注:
JICA専門員とは、
JICA専門家の中の専門家と呼ばれる人。
通常、JICA専門家(技術協力専門家)は、
(途上国に派遣される)数か月から1年程度の任期を終えると、
そのまま「さようなら」となり、JICA内に席はない。
このため、就職活動を繰り返さないといけない、
ある意味、フリーターのような立場となる。
JICA専門員は、始めから、
上記の国総研などの常勤職員となっている。
で、そこからの出向という形で、JICA専門家として
途上国に数カ月から1年派遣されても、
その契約が終了しても、
国総研などにそのまま戻ることができるため、
就職場所として非常に安定している。
つまり、国際協力を職業としてずっと行いたい場合、
最高の職場の一つが、このJICA専門員、という立場なのである。
なお、
JICA職員とJICA専門員の違いは、
JICA職員は、大卒でよく、新卒でいきなり就職可能。
ある意味、誰でも応募できる。
JICA専門員は、大学院修士は必須で、その上、
国際協力を実際に行った実績が多数求められる。
   
山本 えっとー、それは当然、
   学生時代に?

絹代 大学2年か、3年で。

山本 2年か3年の時に…。
   
絹代 2年ですね。はい。
   大学2年の時に。

   それでまぁ、色々話をしていく中で
   でも、そういうのを見たいのであれば
   スタディーツアーもあるけれど

   そういうものに行くよりも
   大学にそういう先生がいるのであれば
   その先生にお願いするのがいいんじゃないか
   っていう風にアドバイスを頂いて。
   
   で、全く面識はなかったんですけれど
   その講義をされていた
   「大貫良夫(オオヌキヨシオ)先生」っていう
   考古学の先生の研究室に行って、

プレ・インカの謎に迫る 東京大学教養学部 文化人類学 教授 大貫良夫
http://www.athome-academy.jp/archive/history/0000000249_01.html

   「私はこういう理由で先生の講義を聞いて
    すごくペルーに興味を持った。
    だけどまぁ、どうしても
    現状を見たいと思っても見られる手段はないので
    何か先生の方でいい知恵はありませんか。」
   
   という風にご相談したら
   お嬢さんが来月修士論文でペルーに行くので
   もしよっかったら一緒に行きませんか
   って言ってくれて。

   で、大学を1カ月休んで
   3年生になった年の4月にペルーに行ったっていう。

山本 なるほど。
   ペルーに行くための、その手続きの過程で
   (国際協力関係の団体である)JICAの国総研に
   接触したことがあったっていうことですかね。 

絹代 はい、そうですねぇ。
   
山本 じゃあ、そこで、繰り返し(確認)ですが
   JICAに接触されたのは
   ペルーに行きたい方法を探っていく過程であって、
   JICA自体に興味とかは?

絹代 なかったですね。

山本 なかったわけなんですね。
   そうですか。

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