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ペルーでの経験


山本 ペルーはどうでしたか?
   行ってみて。

絹代 当時、「トゥパク・アマル(革命運動)」だったかな?
   トゥパク・アマルですね。
   大使館公邸で事件を起していて、
   その武力突入の日に着いたんですよ。

注:
在ペルー日本大使公邸占拠事件とは、
(1996年(平成8年)12月17日ー翌1997年(平成9年)4月22日)
ペルーの首都・リマで起きた
テロリストによる駐ペルー日本大使公邸の襲撃および占拠事件。
青木大使などが、人質にされ、日本でも大きく報道された。
トゥパク・アマル革命運動(MRTA)という集団による犯行だった。
(Movimiento Revolucionario Tupac Amaru − MRTA)

   だから機動隊がすごくいるような状況の中で
   リマに着いて、ホテルでも
   道路封鎖でなかなか行けない状況で、      
   すごく衝撃的ではありましたね。

   まぁ、その日に当然(偶然)、
   人質になっていた方も解放されて。

   で、お店も当然、全部鉄格子のなかに入っていましたし、
   で、スーパーに入るにも警備員がいて
   当然、ちゃんとした人しか入れない。

(注:南米の国々は、普段から、小売店の店が、
 シャッターと鉄格子で守られている。
 それほど拳銃などを使った強盗が頻発している。)
     
   で、ステイさせていただいたお店というか
   一般のお宅で時々、
   邦人に宿として開放しているようなところに
   泊めていただいたのですけれど、
      
   そこのご婦人もやっぱり、
   こう、信号待ちしている間に
   ガラスが割られて強盗が入ってきたり、
   そういう経験があるって話されていて。
   
   すごい、世界って違うんだな(笑)
   って実感しましたし。
   
   で、カハマルカという北部の町では
   えっと、「プレ・インカ」の遺跡を発掘されていたんですね。

   で、その村に行きまして、
   で、やっぱり畑にしても、
   日本で見ている畑とは全然違う、
   作物の高さにしても全然違う(って思って)。

   やっぱり日本は品種改良されていて
   すごく短く栄養の詰まっているのが
   均一にできる畑になっているんです。
   
   やっぱり、あぁいう国の畑っていうのは
   品種改良もされていない、
   ものすごいまばらに生えた作物が
   急傾斜のところにあって。
   
   土自体は結構黒くてよかったと思うのですが
   肌も日焼けしすぎてボロボロになったような方が、
   おばあちゃんもこんな大きな荷物を背負って
   そんな坂を上ってきて、農作業されている。

   子供たちもほぼ裸足(でいる)。
 
   で、建物にしても、
   藁(わら)がたくさん出てきたような、石で固めたというか、
   あの、セメント塗りというか…。
   
   なんかこう、今まで自分たちの国で見てきたものとは
   全く違うものがそこにはあって。

   で、それはやっぱりすごく衝撃的でしたね。
   どうしてトウモロコシはこんなに背が高いんだろうとか
   どうしてこんなところに畑を作って
   どうしてこんなところに人が住まなくてはならないのか
   疑問に思って(いました)。

   で、その時ジャガイモの改良センター
   といったものにも興味があって
   で、教授のコネというか、
   (教授からジャガイモ改良センターに)お願いをしていただいて
   中を見せていただいて。  
   
   で、まぁその(笑)

   この辺りはちょっと微妙で、
   遺伝子操作の話になってしまうのですけれども。   

   やっぱり途上国の方というのは。

   今、種子って「F1ハイブリット」っていうか、
   うーん、改良されている種って、
   1代しか持たない。

   で、1回1回種子を買わなくてなはらないんですね。

(注:ある特性を持つ親と、別な特性を持つ親を、
 交配させて作った子どもを、F1、という。
 有名な、メンデルの法則、などを説明するために必要な用語。
 例えば、収穫量の多い芋と、害虫に強い芋を交配させて、
 両者の特性を持つF1を作る、など。)

山本 ほー。そうなんですか。

絹代 それが、コストとしてすごく圧迫している。
   で、もうちょっと現地の方が繰り返し繰り返し使える、
   さらにまぁ、作業量が少なく、
   収量が上がるようなものということで

   (他にも)色々、虫が寄ってこないような(工夫をした)お芋とか
   (そんな風に)改良されていたり。
   
   ペルーの中にある、なんて言うんでしょうね。
   あの、最先端の部分と

   あのー、クスコとかリマからも遠く離れた田舎の町と
   色々状況を見て

   …ポテンシャルはすごく高い国だと思うです、
   ペルーって。
   
   全ての気候帯を持っていて

   で、まぁー、多分インカの時代には
   すごくよく機能していたはずで。   
   あそこが原産という食物も沢山ありますよね、
   トマトであったりお芋であったり。
   
   だけれども、
   どうしてここまで崩壊しちゃうんだろうっていう。

   だけど人はすごく明るくて星空もすごくきれいで。

   なんというか…
   あの時見た映像っていうのがすごく
   自分の中に影を落としているというか
   大きなインパクトはあったと思いますね。

・・・

国際協力への興味


山本 まぁ、わかりました。

   非常に治安が悪いから(衝撃を受けたことや)。
   (田舎の人が)裸足で歩いている(こと)とか。
   
   まぁ一方で最先端技術が入ってきて、
   その遺伝子操作も含めた技術の改良を
   行っているところも見て、

   その中で人々は結構貧しいと思うけれども
   ある程度幸せに暮らしている側面もあった、

   という
   色んな事(側面)を見たということですかね?

絹代 そうですね。
   もともとインカの時代には栄えていたはず。
   そこからスペイン人が入ってきて
   色々な物が狂ってきたと。

   で、すごく厭世的(えんせいてき)なんですよね、向こうの人って。

   そのどうにかなるさって部分と
   誰々が何とかしてくれないからって(どうしようもないと思う傾向の)
   二つの要素を持っていて。

   どーしたらこの国は持っているポテンシャルを生かして
   もっと楽に暮らせる国になるんだろうって。
   
   で、特に大使館公邸襲撃事件があって
   まぁ、コロンビアから麻薬系のものが入ってきたり
   すごく色んな問題があって

   当時はフジモリ大統領・・・

   なんか、どうやったらこういう国は
   まともなレールに乗るんだろう
   っていうのが、自分の中ではすごく(疑問に感じました)。
   
   まぁ、まだ私も若かったので
   どうやったらこの国を良くできるんだろう
   っていうのがすごくなんか自分の中でこう、
   ぐるぐる回るというか。
   
   そのステイ(滞在)自体は1か月ぐらいで終えて帰ってきて
   まぁ当然、農学部にいて、
   私は開発政策経済学専修っていう
   開発経済学が自分の専攻だったんですね。

   当然、JICAの方も講義に来ていらしてましたし。
   で、そういう中で、なんかやっぱり色々(考えました)。
   
   当時はなんだろう…。

   自分に何かができる
   そういうものよりも
   知りたいっていう欲の方が強くて。

   どうして、どうしてこうなっちゃうんだろう、
   どうしたら良くなるんだろうって
   それがわかりたくて。
   
   帰ってきて、
   私、(第)2(外国)語がフランス語で
   スペイン語がわからなかったので、あんまり。

   で、スペイン語をやって。
   で、グァテマラという国に行って1か月ぐらい
   ホームステイをしてスペイン語をやったんですね。
   
   その時も、
   グァテマラっって皆さんもご存じだと思うんですが、
   アーテガワという街には(青年海外)協力隊の方々も
   語学研修でたくさん来ている語学で有名な街で。
   そこに1カ月ステイをして
   
   まぁ、またグァテマラという国を見て、
   その時も協力隊の方々の現場を見させていただいて。
   また病院で、色々な海外から色んなお医者様が
   こう、休暇を利用してくるような病院も
   見させていただいて。
   
   やっぱりなんか、こう、うまく動いていない国と

   あとは日本に帰ってくると
   何不自由なく数メートルおきに自動販売機があり、
   夜遅くまでコンビニがやっている。
   
   「なんだろう、これは?」っていう。

   私たちはこれだけ恵まれたものを持っている国に
   暮らしていて、
   知らないで過ごしては絶対にいけないことが
   世界にはたくさんあって。
   
   で、私たちは、我慢をしなければならないものが
   たくさんあるはずだと思って。

   足りないものがある国がこれだけある現状の中で
   こんなに満ち足りた暮らしで
   その中で文句を言っていていいのかなって言うのがあって。

   当然、私の専攻も途上国に関係するものが多かったので。
   
   で、まぁ当時も完全に
   国際協力というものを視野の中に入れて。

・・・

就職をどうするか?


絹代 後は…、まぁ、どういう仕事をしようかなと。
   で、私自身も、まぁ、うち(家族)がだれ一人
   …何て言うんでしょう。

   勉強で大学にも行ってなくて。
   カメラマン二人、両親がカメラマンで
   姉がピアニストなんですね、家。
   
山本 はい。

絹代 普通とはたどっている経路が違って。

   さぁ、どうしようっていう部分を持ちながら。
   まぁ、途上国のことをどんどん勉強して。

   で、就職のときとかも、最初メディアを受けたんですよ。
   
山本 はい。

絹代 で、なんかこう、
   やっぱり私たちは生活を変えていかなければいけない。

   で、それにはやっぱりメディア(マスコミ)を使わなきゃいけない
   というのもあって。

   で、メディアは「キー局」は一通り受けたんですけれども、
   受からなくて。

注:キー局とは、
テレビの民放放送局の全国ネットワークの中心となる局のこと。
フジテレビ・日本テレビ・テレビ朝日・TBS・テレビ東京の五つ。

   で、これは…。

山本 アナウンサーを(受けたんですか)?

絹代 アナウンサーと一般職両方受けました。
   で、アナは当然ものすごい狭き門だったので。

山本 そうですね。
   アナウンサーの倍率はものすごい。

絹代 一万倍とかなんですね。
   で、当然受からなくて。
   私の友達、結構アナウンサーなってますけども。 

   でー…、次にペルーに行かれる企業ってことで
   商社とあと味の素とか、ああいう企業を受けて。 

味の素
http://www.ajinomoto.co.jp/
   
   で、最後にJICAの受験があって、
   もちろんJICAに受かったら行くつもりで。
   JICAは受かったので。
   で、そのままJICAに入ったっていうかんじですね。

人材募集・研修 - JICA
http://www.jica.go.jp/recruit/index.html

山本 なるほど。

   それとまぁ、他の方もそうなんですけれども

   (結局、就職活動をしても、どこに受かるかわからないので、
    かたっぱしから、企業などに願書を提出するのですが、
    その送りつける先を考える際に)

   大学時代に、興味のあったことを勉強されていて
   それがたまたま開発経済学系のもので
   農業分野にも関係してて、
   それがペルーにも興味があったと。
   
   で、その、大学3年生ぐらいの時に就活、
   就職活動を始めるときに

   当然あのー、どれが本当に受かるかわからないから
   いっぱい受けるっていう(ことになる)わけじゃないですか。

   まぁ、はっきり言って、(就職に)人気のある
   マスコミ系のテレビ局、出版社等々、
   (その他)いわゆる普通の大企業系のものと。
   
   で、あなたの場合、経歴、学歴等と興味から
   国際協力系も受けてみようという形に(なったわけですね)。

   例えば、JICA、ジェトロ、ジャイス等々も…
   JICA以外(の政府系の国際協力団体)も受けました?

JETRO ジェトロ - 日本貿易振興機構
http://www.jetro.go.jp/indexj.html

JICE 財団法人 日本国際協力センター
http://jice.org/

JICS 財団法人 日本国際協力システム
http://www.jics.or.jp/

絹代 ジャイスは出願はしたかもしれないですね。
   ジェトロは全く考えてなかったです。

・・・

商社と国際協力

絹代 もう既に三井物産は受かっていたので
   三井物産かJICAっていうつもりで。

三井物産株式会社
http://www.mitsui.co.jp/

山本 そうですか 

絹代 はい。

山本 で、まぁ、その色々受けた結果残ったのは
   三井物産とJICA?

絹代 そうですね。
   三井物産は受かっている状態でJICAを受けて
   JICA受かったらJICA行くつもりで。
   
山本 なるほど。

絹代 はい。

山本 三井物産ですか。 
   例のその、ペルーとの取引のある企業だと。 

絹代 まぁ、あの、商社であればどの国にも行かれるので・・

   あのやっぱり、
   大人になってくると色々なものが分かると
   思ううんですけれども。

   大学生の頃ってそんなに世の中がわからないんですよ。
   
山本 はい 

絹代 だから、就職活動をする中でも
   自分はどこに行ったらいいのかってわからなくて。

   今考えたらなんでそこで商社なのって
   もしかしたら思われるかもしれないんですけれど。

   やっぱり当時はそんなに世の中を
   見通せていなかったので。
   
   自分が比較的興味の持てるものであったり、
   まぁ、農業分野であったり、
   そういうペルーっていう切り口があったところで
   (就職先を考えました)。

   今、多分商社であれば中に入ってから
   色んなことがあるでしょうし。
   いろんな選択肢があるかなぁってのもあって
   受けた感じです。
  
   そこまで、自分の特性もわからないし、
   そんなに知恵があったわけではないので。
   いい判断だったかどうかもわかりませんが。
   そん中で商社を(受けました)。    

山本 あっ、いえ、私は、
   商社を受けたのを(批判するのではなく)
   いい方向にとらえてまして。
   
   多分、その、国際協力をやりたい子が
   例えばですね。
   JICAとか国連、(受験して)全部落ちた場合ですね、
   で、
   途上国を発展させるために
   逆に、いわゆる
   ロジスティック(物資の運搬)っていうとあれですけれど
   「物流」を通して途上国の経済を発展させることに
   貢献するために、
   あえて商社に行くって言う方も、数名知っております。

絹代 あぁ、おりますねぇ。

   ただ、当時の私はそこまでのビジョンとかは
   なかったと思うんですよ。

   まぁ、当然最初はマスコミも受けてましたし、
   自分は国際協力をやらなきゃ死んじゃうっていう
   感じみたいではなくて。

   当然、大学で2年間、ほぼ途上国のことをやって
   完全、関心はそちらの方に向いておりましたし。
   それはって言うのはありましたけれども。
   
   なんかその、商社に入ってその中でうまく動いて
   国際協力をやろうとかって
   そこまでの、その、なんていうんだろうな…。
   信条はなかったですね。

・・・

・・・

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