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JICAを辞めた理由は?


山本 で、8ヶ月間でやめる事になったんですけれども
   その理由は何だったんでしょうかね?   

絹代 んー、そのー…。

   「自分は組織の中にいる人間じゃないな」という。

   で、この辺り聞いて
   (国際協力をやりたいと思ってこの記事を読んでいる人が)
   がっかりすると思うんですけれども。
   
   …なんというか、…んー
   あぁいう、一つの団体の中で何かをやっていくってことが
   すごく向いてないなぁってって思って。

   で、もうちょっと自分はフレキシブルに   
   色んな人と接して、色んなことをやっていた方が
   自分らしいなぁってっていのうがあって。
   
   で、(JICAに就職した年の)夏に休暇を頂いて、
   グランドキャニオンに行って。
   で、まぁ一人旅だったんですけれども
   グランドキャニオンになぜか2泊か3泊したんですよ。
   で、朝日と夕日を毎日見て。

   現地の方と色々お話していて。

   で、(子どもたちも)もう学校にも行ってないっていう
   ご家族がいらっしゃって、
   
   で、そこで何か色んな話をして。
   なんかこう、
   「大学を出て就職をして、そこの組織にずっといてっていう枠」
   が
   なんか全てではないんだなぁって
   すごくその時に思ったんですね。

山本 グランドキャニオンの地域の人の(ご家族)?

絹代 いや、一般の(ご家族)。
   もちろん、アメリカの方ですよ。

山本 はい。

絹代 アメリカの方で多分休暇とかで
   お子さんを連れて色々と転々とされているみたいで。

   そういう方の生き方とかを聞いていると
   やっぱり、中学校高校大学を出て
   企業に就職して、終身雇用でっていう枠って
   なんかもう、全然絶対のものでないんだなっていう。
   
   人生は一回しかなくて、
   でー、この枠は普通だからって生きていくのが
   すごくもったいないなって思って。

   それで、帰ってきて、課長に辞めさせて下さいって。
   だから、9月の段階で、もう(決めていました)。
  
山本 あぁ、そうですか。
   
絹代 早い方が次の人材も補充できるっていうのもありますし。
   税金で動いている以上、
   ともかくJICAに無駄な出費をさせてはいけないので。 
   
   でー、最初の海外…
   え−、出張って 一人では行けないんですよ。

   課長か課長代理と一緒に行かなくてはならなくて
   で、そうすると100万円単位のお金がかかるわけであって
   それを将来のない私に使わせちゃいけないと思って。
   で、9月の段階で言えば、そう、出張がなくなる。
   
山本 じゃ、(その年の)秋ぐらい、
   10月頃には(海外出張が)予定されてたってことですか?

絹代 えーっと、12月ですね、多分。

   最初の海外出張っておそらくみんな
   11月12月にすると思うんですけど。
   9月の段階でやめさせてくださいってお話をして。

山本 …わかりました。
    
絹代 なんか、特にその段階で国際協力にも
   もうこだわっていませんでした。

   ある意味その、
   あぁ自分には何もできないって悟りもあって。
   
   その、学生時代ってなんかこう、
   (ペルーなどの)
   国を変えるじゃないですけれど、
   色んな国の現状を見て、
   これを良くするために何かできるんじゃないか
   っていうのがあったんですけれども、
   だんだんこう世の中が見えてくると
   私が頑張っても何も変わらないなって。
   
   で、JICAって、すーっごくみんなが熱くて、
   同期もお昼休みに勉強会をして
   より効率的な援助をするためにはどうしたらいいか
   ものすごくみんな一生懸命なんですね。
   
   で、やっぱりまぁ、
   (最近、事業仕訳で、無駄づかいが見つかり)JICA叩かれてますけど
   内部の人とたちってほんっとに一生懸命で。
   同期の人たちが(特に)。

   で、中も質素ですし、打ち上げとかいっても(質素で)。

   私、外部に出てから、
   イベントとかでも(派手に)打ち上げとかやってるんですけれど、

   (JICAの場合は)
   打ち上げも全員自費なんですよ。
   もう、公金(国の予算)使えないからって。
   
   で、すごくみんな高い志を持っていて。
   あぁ、自分はこの志を持ってみんなと一緒に動けない
   っていうのが多分1番大きな自分が辞めた原因ですね。
   
山本 なるほど。

絹代 国際協力って言うのをやっても自分が動いても
   なんかこう、歯車の一つにはなるかもしれないけれど
   特に何も大きな物を落とせない(残せない)って。

   だったら仕切りなおそうって。
   自分の人生は1回きりだから、
   何か自分に合っているもの、
   そういうものを探した方が人生としていいかなぁって。
   そういうのがあって辞めさせていただいた。
   
山本 なるほど。
   わかりました。
   
   うーんと、ちょっと余談ですが、
   「それの前」に辞められているので参考にはなりませんが、

   JICAはですねぇ、
   その私の本「世界と恋するおしごと」にも登場する
   JICA職員の廣澤さんが話してくれたんですが、

   毎年12月かなんかに(移動したい)希望の職場を表明できて。
   例えばですね。
   あのー仮にその…。
   
絹代 申請できると思います。

山本 申請は(出来た)。
   自分の職場を変えたいって言うシステムは
   (その当時も)あったはずなんですけれども。

   まぁ、その前に辞めちゃったってことですよね?

絹代 そうですねぇ。

   もう、JICAに対する文句は全っくありませんでした。
   同期もすごーっく人間的にも優れていて、
   私、みんな尊敬していましたし。
   
   上司もすごくしっかりしていたし、
   あの、私がいた課(の上司と)未だに
   年賀状やりとりしてますけど。

   すごく課長代理も私の教育係だった先輩もすごくいい方で。
   JICA自身に不満とか不安とか疑問とか
   何もありませんでしたね。
   だから私はその課で満足でしたし。
   
   ただ、私が、組織の中にいて、
   何かコツコツ仕事をやっていくのが(出来なかった)。

   大学時代は就職就職って思って就職したけれども
   どうだったんだろうって。 

・・・

国際協力と、結婚・子育て


絹代 あとは、なんか、私は、
   まぁ未だに結婚はしていないんですけれど、
   結婚をして子供を産んで家庭を作りたくて。

   JICAって在外(海外勤務)もありますし、
   なんかこれってどうなんだろうって。
   
   やっぱり、変な話なんですけれど、
   そういう中で1番大切なのは自分であり、
   自分の家庭であり、そういうものなんじゃないかって。

   JICAってやっぱり、離婚も多いですし。
   その、インドネシアとケニアに別れちゃったりとか
   っていう夫婦もいたりして。
   
   私が1番大切にするのは「そこ」じゃなくてまず自分で。
   自分がしっかりして初めて何かができるって。

   自分がその、組織の中で中にいる人たちの
   生活っていうのに、
   いいなって、
   ああなりたいって、思えないのであれば、
   それはたぶん違うに違いないって思って。
   で、辞めてもう1回探そうと思ったんです。

山本 なるほど、わかりました。

   (余談ですが)私もその・・

   自分(一人)がやっても何も世界は変わらないって
   思っているくせに
   その上で
   (それでも国際協力を)やっている一人ではあるんですけれども。
   
   あのー…、えっと参考までに、
   えっと、昨年度のですね、日本人の離婚率が
   確か大体35%で。

絹代 あぁ、そんなに。

山本 あの3分の1強ぐらいなんですけれども。
   えっと、まぁ国際協力をやっている
   JICAであり国連であれ、
   まぁその離婚率が高いのはどこもそうなんですけれども。
   
   まぁJICAさんは例えばその、
   最初の2週間の研修の時に、
   うちは離婚率高いよ
   っていうのは正直にしゃっべてたんですか
   
絹代 言ってたと思いますよ。
   言ってたし、研修中でも、
   うちは在外(海外勤務)、
   面接でも、うちは在外がありますよって。
   
   でも、私も正直に(面接の時に)、
   私も子供は産みたいですし(と言いました)。

   ただ、今の段階でどんなに言っても、
   旦那がなかなか見つからないかもしれないし、
   正直わかりませんって答えました。
   
   で、実際、私の同期(の)、女子は1人出産後(JICAを)辞めてますが、
   残りはほぼ全員出産して、
   今もJICA内で育休取ったりして、仕事してますね。

山本 はい。
   あっ、仕事を続けて(いる件について、ですが)

   女性でも仕事を続けているような人は?

絹代 実際みんな子供を産んでもJICAの中で仕事をしてますね。
   ただ…、すごく…。

   男性にしてもJICA内結婚をして、
   ものすごく遠く離れている方も
   実際はいらっしゃいますし。

   あとはまぁ、関係ないところというか
   他の所から(JICA外の方と)結婚されて、
   奥様がついた状態で
   在外に行っている人もいますね。
   
   結構みんな、そうでもないんだなっていう。

   まぁでも…、まぁねぇ、世に出てしまえば
   別れて暮らしている夫婦はたくさんいるわけで、
   仕事の関係で。
   なんでもないんですけれども。
   
   なんかその当時は色んなものを考え合わせたときに、
   この組織の中にいた自分、
   4年後の自分っていうものが
   こう自分として想像して、
   自分が子供のころから欲しかったものなのかなぁって
   思った時に、
   そうじゃないかもって。
   それもあって、決断は早い方がいいなと。
 
山本 はい、わかりました。
   えっと、
   (今までの話をまとめると、JICAを辞めた)理由としては
   2点あると思いまして。

   それは、
   (官僚的な)組織に合わないのと、
   周りは国際協力にすごく熱い人なのに
   自分はちょっと違うということの
   2点なのかなって(思って)お聞きしていたのですけれど。

・・・

JICAを辞めた後、体調を崩した件



山本 それではですね、もし組織に合わないとすると、

   今あなたの履歴書(の掲載されているホームページ)
   を見ながら言ってるんですが、
   その後、いわゆるかっちりした会社のような組織には?
   
絹代 一切入ってないですね。
   自分の会社の社長をという形で(やっています)。
   一人(で)会社を持っていますけれども。

   ただ、決定的なのはJICAをやめる時のストレスで
   体を壊しまして、
   まったく普通の人のような暮らしを
   できない体になっちゃったんですね。

山本 あぁ、そうですか。 

絹代 で、当然就職もできませんし、
   それで「体の勉強」を始めたんです。

山本 はぁ、そうですか。

絹代 はい。

山本 えっと、失礼ですが、私、医者なんであえて聞きますが、
   身体的な病気ですか、それとも精神的な病気ですか?
   
絹代 うーん、身体でしょうね。
   わからないです、私も。

山本 あぁそうですか。
 
絹代 原因不明の腹痛で、病院に入って、
   で、そのまま・・

   すごく「やぶ病院」だったんですよ。
   処置をしてもらえなくて、
   痛いって(言うと)モルヒネを打たれていたりしてて。 
  
   で、そこにいる間に免疫機能が完全に崩れたらしく、
   退院した時には激しい喘息になっていて、
   小走りになっても、喘息になってしまう。
   
   でー、すぐ熱も出すし、1日まともに他の人のように
   動くっていうことができないくらい体力的に落ちてしまって。
   で、その時婦人科に私、入院していたんですけれど、
   婦人科だったのかどうかもわからない

山本 はい。
 
絹代 で、そこを出て、心療内科に一応通って。
   でも、心療内科って問題でも実はなくて。

   で、中国の先生がやっていた漢方クリニックに行って、
   そこで漢方治療を2年間ぐらいして
   やっと普通になった。

山本 あぁ、そうですか。
     
絹代 その間、2回ぐらい入院してますけど。

山本 あぁ。ほんと。
   まぁ、医者としては耳が痛いですね、それは
 
絹代 特にもう、喘息がひどくなってしまって。
   (もともと)小児喘息が生後11カ月からありまして。

   もう、もともと超虚弱体質の
   大人になる前に死んでたような感じだったんですけれど。
   小児喘息は中学生で落ち着いていて。
   
   発作は起こしてなかったんですが、
   当時の喘鳴が聞こえるような喘息とは違い、
   気管支に炎症が広がるような喘息だと。

注:医学的には、おそらく当時、
喘息性気管支炎、という病名だったと思われる。

   あと声帯の周りがおかしくなる、
   声帯結節で声が出なくなってしまったり。
   
   で、少しその時、私、演劇をやってたんですよ。
   で、女優さんになりたかったんですけれど、
   もう、その辺りからひどい煙草のアレルギーになって。
   煙草で今も私、ものすごく(声帯が)痛いのと喘息を起すんですけど。
   
   現場がもう、煙草のある現場がこなせない、
   と、埃がダメ。

   で、猫、鳥もダメだし、花粉も私、熱出すんですね。

   で、あるゆる条件でもう多分女優は絶対できない。
   で、じゃぁ、どうしよう。
   で、「体の勉強」を始めたっていう。

・・・

テレビ関係の仕事へ
   

山本 なるほど、わかりました。
   またそんで、で、そのまぁ、女優っていうか
   モデル等(の仕事)もかじった時代に
   私の友達のマルさんに会ったっていう(ことですね)。

注:モデルの、まるさんから、
今回、絹代さんを山本は紹介してもらった。
二人は、以前、横浜のドレスショーで
モデルとして共演したことがあったため。
  
絹代 そうですねぇ。
   その時はもう元気になっていた。

   比較的元気になっていて
   NHKの英会話のオーディションとかに
   受かってやってた時代じゃないかと思います。

NHK教育 英会話
http://www.nhk.or.jp/gogaku/english/index.html

山本 NHKの英会話(のMC:master of ceremony(司会者))
   に受かったて言うのは?
   もちろんその、NHKの職員になったわけじゃなくて?
 
絹代 なったわけじゃないです。
   タレントとしてです。

山本 ということは、その、タレントを雇う
   いわゆる(芸能)プロダクションは
   いっぱいあるわけじゃないですか。
   その中に所属していたっていう(ことですか?)…。
 
絹代 当時は、1個、プロダクションを通しましたね、
   それに関しては。

   ただ、所属っていうかもう、
   ほんとに仮に数カ月、籍を置いていて。
   最初のオーディションがそれだったっていう(だけです)。

山本 なるほど。
   わかりました。

・・・
・・・

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