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2年間の青年海外協力隊が終わって、結局状況は改善されたのか?


山本  で、ここ(活動の2年間)は話すと長くなるんで、飛ばして。
    で、2年間経ちましたと、で結局どうなりました?

マック あんまり変わらなかったですね。

山本  あ、そうですか、最初の状況と?

マック 最初の状況と変わらなかったですね。

山本  なるほど。県へのCBOの登録数、基準を満たしたという状況が、
    2、3グループだったのが4、5くらいにはなったんですか?

マック それは増えましたね。最終的には4グループが登録されましたね。
    なので1つか2つ登録されたくらいでしょうか。

山本  で、
    モデル地区がうまく行かないとしょうがないんですけれども、
    期待した女性(リーダー)は、結局頑張ったんでしょうか?

マック 頑張ってくれましたね、彼女なりに。

    私が最後に思ったのは、
    彼女にとっては、HIV/エイズの活動でもあり、
    障害者グループの活動でもあった訳です。

山本  右手が不自由なんですよね?

マック そうです。

    グループのメンバーも障害を持った方が多くて、
    足が悪かったりで。
    で、メンバー30名くらい集まって、村から首都まで歩こう、
    というイベントを開催しまして。

    首都まで行ってNGOや政府に訴えれば、
    何らかの支援をしてもらえるかな、と。

山本  それはパフォーマンスとして、デモ行進みたいな感じですか?

マック そうですそうです。
    「チャリティー・ウォーク」のようなものをやりました。

山本  でどうなりました?

マック それで、国際NGOなんかに状況を訴えまして。
    
    私が帰る頃には、その団体(国際NGO)から
    「養鶏のスターターキット」と
    「200羽のひよこ」を貰ったり、
    あと、
    「村で灯油を売るための建設費用」
    を支援してもらえるような話でした。

    ある程度、まあよかったね、と言えるところまでは
    彼女なりには結果を出してました。

    まあ彼女としては成果なんですが、
    協力隊の活動しては少し違うと。
    あーそっちに走るんやと。

    そんな納得いかない部分も多少はありましたが。
    でも一番、他のグループと比べれば、活動的でしたし、
    成果を出してました。

山本  障害者としての活動は、それなりに支援を取り付けたと。

マック そうですね、あーよかったね、とは感じましたね。

    でもHIV/エイズの活動に関しては、特に目立った活動はなくて。
    そのグループが登録できたというくらいで。

    村人が計画を出して、
    その計画に対して予算がついた事もなかったですし。
    その意味では、成果らしい成果はなかったですね。

・・・

国からお金が降りてこない。だからやる気がなくなる。協力隊の限界


山本  なるほど、他には何かありました?

    その、(県へのCBOの)登録数が(一つ)増えたのと、
    女性が、障害者グループとはいえ、少し結果をだしたという、
    (それら)以外に2年間での活動は?

マック あとやりたかったのは、
    彼らは無償でボランティア活動をしてくれていたので。

山本  それは現地のCBOの人たちですね?

マック そうです、CBOの人たちは、
    活動に関してはお金を貰ってなかった訳です、基本的には。
    
    その状況って言うのが、
    例えばVCTのカウンセラーがいたんですが。

注:
VCT(Voluntary Counseling and Testing=自発的相談と検査)
自分がHIVに感染しているかもしれない、と思った人が、
自発的に検査を受けようと思った時に、専用の施設で、
事前に詳しい説明をうけ、無料で検査を受けられ、
その後のカウンセリングなども受ける包括的システムのこと。

    それはグループのメンバーだったんです。
    その人は無給でカウンセラーとして働いてもらってました。

    で、VCTがある病院では
    (普通は)有給のスタッフがカウンセラーも兼ねていて・・

    その病院の一角に間借りして(HIVの)検査場を作ってたんです。

    普通に考えて、病院のスタッフは有給なので、
    彼らがカウンセリングをすれば良いんじゃないかと、
    そう思う訳です、単純に。
 
    なにも(CBOの人が)ボランティア(無給)で、
    ただ働きする必要はないじゃないの、と。

    でも何故か彼女はそこで働いてくれてた訳です。

    まあ彼女もやりたいと言うので、そのままにしていたんですが、
    結局無給なのであまり強く要望とかが出来ないですし、
    彼女もやってくれない訳です。

    例えば書類の書き方とか気になっていても、
    でも無給だしなあ、(注意しづらいし)しょうがないなと。
 
    彼女にしてみれば、ボランティアで時間を作って来てくれてる訳で。

    で同じような事は、グループ全体でも、活動なんかに関して、
    言いたい事が言えない状況になっていました。

    なんとか活動が収入につながるようにしてあげたいなと。
    村人には、企画を作ろうよと、ハッパをかける訳です。
    でも村人には企画を考えてまとめる能力もないんですが。

    そもそも県には計画に払う予算がなかったんですよね。

    1年ぐらいたって、県の担当者に、
    「そろそろ予算のおりる時期じゃないの?」
    と聞くんですが、
    「いや、まだ予算は政府からおりてきてない」と。
    「理由は分からないけど、降りてこないんだ」と。

    で私の活動が終わる3か月くらい前に、
    ある北部のエイズ対策課の職員が、
    活動予算を使い込んだと、
    それが原因で予算の配分が停まってると。
    実はそんなこんなで、県にはCBOに渡すお金がないんだと。

    いくら企画書を提出しても、全然お金はもらえなくて、
    そんな状況に嫌気がさしていたのはありました。

山本  あなたが(嫌気がさしていた)?

マック そうです、結局、村人を変える事も必要だけど、
    まずは政府から変えていかないといけないのか、と。

    そうなると、自分の職域からは離れていくんですね、
    自分のポジション(協力隊員)では出来ないレベルの活動だと。

    でどうしたら良いんだろうかと、思ってましたね。

山本  10個のCBOを県に登録させる理由は、
    200万円貰えて、(そのお金で)何か良い事できるだろうと。

    ところがお金が
    県だの政府の不正によっておりてこないのなら、
    登録させる意味すらなくなる、と。

    根本的に意味がないよね、ってことになるわけですね。

    それはその協力隊のレベルでは出来る事ではないから、
    いったい何なんだろうって。

    私もそこにいたら、そう思うと思いますね。

マック そうなるとお金がいらない活動を、
    村人がやってみようかな、と思う程度の活動を、
    サポートするくらいになりましたね。

    それはもう細々した活動の支援でしたね。
    
    VCTセンターの手伝いであったり、
    時々(HIV)陽性の方のお宅にお邪魔して、
    訪問看護のような事に付き添ったり、
    薬を持っていったりとかですね。
    それぐらいの活動を続けてました。

    とにかくCBOのメンバーがやる気をなくさないように、
    「日本から来たJICAの人間が見てるよ」と、
    そんなのが多少はやる気の持続につながればなと。

    CBOの活動を続けてもらうという意味で、
    それぐらいしか出来なかった部分はありますね。

    むなしかったですね、企画書作っても、
    お金がおりてこないじゃないかと、言われて。

    4年前の企画書がまだお金がもらえてないと。

山本  はあ、お金が。

マック まあ確かに稚拙な企画書で、
    大した事は書かれていないんですが。

    せっかく書いても音沙汰なしかとなると、
    次を考えようとは思わないかもしれないですよね。

    まずは最初の企画書をなんとかしなければと、考えてしまうんです。

・・・

2年間の青年海外協力隊に行って、良かったか?


山本  で、結論として、2年間行って、帰ってきましたけれども。

    1)自分にとって良かったという部分と、
    
    2)現地の(人々)、カウンターパートや、
    CBOの人たちにとって自分が行った事はよかったのか、
    という部分と、

    3)後は日本の政府として、JICAとして、
    日本の外交政策や、ODA(政府開発援助)にとって良かったかと。

外務省国際協力 政府開発援助 ODAホームページ
Official Development Assistance
http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/oda/index.html

    その3つに分けて聞くとですね。

    まずは自分にとってどうでしたか、2年間は良かったですか?

マック 良かったか悪かったかで言えば、良かったですね。
    私さっきも言った通り、旅行がとても好きで、
    そういうアフリカの片田舎に
    2年間住ませてもらったという時点で、まず。

山本  最低ラインをクリアしている?

マック 良かったですね。

    今思えば、その2年間のおかげで、
    さらに、私には何が出来るのかを考える
    きっかけになったと思いますし、

    あの現実を見てしまった以上、
    何かをしなければという思いに駆られますね。

    そんな事も自分にとっては良かったかなと。
    何が自分に出来るのかは、まだまだ考えてるところですが。

    ただ協力隊の成果や結果としては、
    めぼしいものは残せなかったですから、
    満足は出来てないですね。

山本  次は、現地の人にとって、
    あなたが2年間いた事は、良かったと思いますか?

マック どうなんでしょうかね(笑)、よかったんでしょうか。

    言えるのは、
    私の前任者がいて、私がいて、後任のボランティアがいて。

    私が赴任した時点で、今後6年間の活動にしようと、
    私が初代で、まだ4年間ボランティアの派遣は続く訳で、
    村人にとってはまだ4年あるので良かったのかもしれないですね。

    何らかの形で日本人と関わりを持ち続ける事で、
    ひょっとしたらチャンスがやってくるかもしれないので。

山本  お金がおりてくるチャンス?

マック そうです。

    協力隊が引き上げてしまえば、
    あの地域の状況はこれからも変わる事はないと思います。

山本  永久に?

マック おそらく。

    上の組織が変わらなければ。

    なので協力隊とつながっていれば、
    何か起こるかもしれないと思いますね。

    自分がいたときには、
    かれらにとってのメリットって
    たまに美味しい物を食べられたりとか、
    私が任地に残していった物を安くで購入できたりとか、
    それぐらいかなと思ってました。

山本  なるほど。

マック 日本人の考え方とかを彼らが学んだとかは思わないですし。
    押し付けようとも思いませんでしたし。

    彼らには彼らのやり方があるなと思ったので。

    その意味で、私と接した事で、
    私から彼らが何かを学んだとか、
    別にないんだろうなと思ってます。

山本  よく協力隊の多くの方が、日本の文化を紹介して、
    文化の交流になったのが非常に良かった、
    とか言う人が多いんですけども。

マック あー、協力隊の枠組みで現地に行って、
    そんなことはどうでも良いのかなと思いますが。

    お金もかかってるじゃないですか。
    文化交流やったら、
    何百万も何千万も出さなくても良いのかなと思います。

注:
協力隊員を一人、アフリカなどの途上国に派遣するため、
日本の国の税金から、約1千万円が使われている、と言われている。

山本  そうですね。

マック (文化交流したいのなら)
    1ヶ月か2ヶ月行って文化交流して帰ってくればいいのかなと。

    そんな事さえ出来なかったのは、駄目だ・・
    とは自分でも認めますが。

山本  まあ背景には、
    日本の文化を押し付ける気は毛頭ない、ってのが(あったと)。

マック そうですね。

・・・

日本の外交政策として、青年海外協力隊の事業はどうなのか?


山本  3番目は、難しい話になる訳ですが、
    日本の外交政策も含めたODAの枠で、
    協力隊もその枠の中に入ってるという感じで、

    日本にとってこういう事(協力隊事業)やってるのは
    良いと思いますか?

マック 政府にとっては、協力隊員が任地に派遣された時点で、
    ある程度の目的は達成しているのかなと。

山本  金だけじゃなくて、人も派遣してますよと、
    (いわゆる)「プレゼンス」ということですね。

マック まあ目的は果たしているのかなと。

    まあ向こうでどんな活動をして、
    どんな成果を出したのかも関係あるかもしれないですが、
    今のところそれを評価する訳でもなく、
    やりっ放しのような気はします。

    隊員が帰国後、日本で何をするかによっては、
    日本国内でも何か還元できるのかと。

    任地で見て感じた事から、どんな行動を起こすのかによって、
    日本に還元できるのかなと思います。

    任地でこんな事やりましただけでは、
    あっそう大変やったねで終わるのかなとは思います。

    帰国して報告会を開くとか、
    学校とかで体験談を話したりとかの活動から、
    少しずつ還元していけるのかなと。

    次の仕事で何をするかにもよるとは思いますが。

山本  いやー、でもそれは難しいですよね。

    協力隊員が1人、2年間いくに当たり、
    研修や安全保障等も含めると、
    約1千万円のお金が使われていると言われてるんです。

    それはよく考えれば、国の後ろにいる、
    国民の皆さんの税金で・・、ま、私も払ってる訳ですが。

    ご自身は、たまたま
    (帰国後に就職した)S団体という(所にいるので)、
    小学校に行って授業をしたりですね、
    イベント等で啓発する場所にいるので、
    (そうした啓発活動ができますが、
     通常の協力隊員OBは、そうした場所や機会も、
     あまりないかもしれないですね。)

    もちろん(今いる職場も)
    期間限定で2年契約とか1年契約ですよね?

マック 1年ですね。

山本  たとえば(あなたが)それが終わった場合とか、
    もともとそういう場所に入らなかった
    (協力隊)OBの方とかっていうのは、

    しばらくプータロー(無職)やった後に
    普通の会社に戻ると思うんですけども、
    そういう人は別にその、国民に対して還元する機会がないし、
    やろうと思ってもできないですよね?

マック そうですね。

山本  まあたまに(学校で)授業をしてくれって
    (JICAなどから)頼まれることが、
    メール等であるかもしれませんが、
    何かやった方が。。。

    客観的に考えて税金使わして
    (2年間派遣させて)もらったんだから、
    何かやった方が良いんじゃないかと(いう気が)
    ちょっとしますけどね。

マック そうですね、その1千万円の話は、出発前に聞いていたので。

    でも1千万円なり2千万円の活動は出来るかと問われれば、
    多分不可能だと思うんですよね。

    プロフェッショナルが行って活動する訳ではなくて、
    素人に毛が生えたような人たちが活動する訳ですから、
    費用対効果は低いですよね。

    それでも、自分なりに任地で活動したなら、
    それはそれで良いのかなと思うんですよ。

    で帰国してから、うーんそうですね、

    そういう(国際協力や啓発活動の)仕事に進める人が
    多ければ良いんでしょうが、
    結構な数の人が一般の企業に戻ったりという感じなので、
    おっしゃるとおり還元する事も困難だなと感じますね。

    私などは、今はとある団体におりますので、
    協力隊OBに声をかけて、
    ちょっと体験談をやってくれませんかとか、
    そんなことでも広げていきたいなとは思ってます。

    そういう場を少しは提供してますよという事を、
    知ってもらう事くらいしか出来ないんですが。
    ちょっとずつでも広まってくれれば良いなとは思います。

    帰国して時間が経つと、社会に戻っていって、
    (会社員などとして働きだしたOBは)
    時間もなくなって来て、断られる事も多いですね。

山本  普通に考えると、
    そこの団体の中の人たちだけが
    小学校とかに授業しにいってるんではなくて、
    OBの方に広く呼びかけているわけですね?
    もしくは個別に連絡を取るか。

マック 目星をつけて連絡は取ったりはしますね。

山本  ところがもし会社で勤務しだしてたら、
    当然9時(から)5時(まで)で働いてるでしょうから、
    小学校の授業がある時間帯に参加できる可能性は、
    普通に考えれば低いですよね?
    ていうことですよね?

マック そうですね。

    プータロー期間なら、ちょっとやってみようかなともなるんですが、
    本格的に仕事が決まればそちらが優先されてきますし。

    そのプータロー期間にしか声は掛けにくいですね。
    働きだすと難しくなってきますね。

    自分だってそうですからね。
    月金で働いて(いて)、土日にやってくれるかと言われても、
    プレゼンを作る時間さえ確保するのが難しいかも知れないですね。

山本  パワーポイントとかですか?

マック そうです。

    なんでやっぱり、あー難しいよなとは感じてます。
    だからといって、そんな活動がしたくても、
    国際協力を専門にする仕事に就くには、
    協力隊参加の前から、
    人生プランとして考えていないと
    進路としては選択しにくいですから。

    今自分が思うのは、どこかの会社に籍を置きながら、
    少し踏み込んだ、募金なんかよりも、
    もうちょっと踏み込んだ活動を
    出来る方法はないのかなということですね。

    S団体ではなく、違う仕事をしながら、
    国際協力に携わるにはどうすれば良いのかなとは考えますね。

    今私は、国連とかの
    大きく物事を動かす世界にはまず進めないですから。

山本  35歳過ぎてますから、JPOも受けれないですからね。

注:
JPOとは、
ジュニア・プロフェッショナル・オフィサーのことで
日本人が国連職員になるための登竜門の試験のこと。

マック 経歴もないし、学歴もないし、
    じゃあ私には何が出来るのかなと、
    毎日考えますね。
    難しい事ですね。

山本  それに関連して、
    この間質問したケニアのエイズ対策のアズさんに、
    ブログに出てもらいましたけれども、

    例えば歯科衛生士として再就職する前の、
    いわゆるプータロー期間の半年間に、
    JICAから頼まれて
    小学校でのイベントやトークなどをやってたみたいですけども、

    結局現実問題としては、
    いわゆる、帰国後の数ヶ月のプータロー期間に、
    まあ言われたらガンガンしゃべると。

    国民の皆さんにこういう活動しましたと説明するのが、
    よくも悪くも、
    その数ヶ月だけが唯一のチャンスなのかな、
    という気はしますけど。

マック 普通に仕事に就く人はそうかもしれないですね。

・・・
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