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生い立ち、大学卒業後は?


山本 卒業した後にどこの企業に入りました?

S子 フランスの「ソシエテジェネラル銀行」って銀行に入りました。

ソシエテ ジェネラル銀行
http://www.sgcib.co.jp/sgcib/sg_bank/

山本 ってことは外資系の銀行に入ったということですね?

   それは日本の支社ですか? 
   それともフランス本土で勤務したんですか?

S子 日本支社です。

山本 どんな部署で仕事していました?

S子 為替ですね。ディーリングをやっていました。

注:ディーリングとは、銀行などが、
自分の資金を使って株式や債券、為替などに投資すること。

山本 例えば、個人や法人からいただいたお金を銀行がどっかに投資して、
   更にお金を儲けようとするじゃないですか。
   その部分をやってたということですか? 
   簡単に言うと。

S子 そうです。
   で、個人客は持っていなかったので法人だけ。

山本 あーなるほど。
   何年くらいそこにいらしたんですか?

S子 3年いました。

山本 大学院は行ってないですね?

S子 行ってないです。

山本 ってことは22歳で入って25歳になって、
   次どうしました?

S子 わたしは3年働いてお金を貯めたら
   本当は大学院に行きたかったんですね。

   やっぱり昔から国際開発とかやりたいなって思いはあったので、
   イギリスの大学院とかに行きたかったんです。

   でもですね、
   仕事がすごい面白くて仲間もすごい面白かったので、、

山本 それは銀行のディーリングが(面白かったん)ですか?

S子 はい。若干迷いはあったんですけどね。

山本 はい。

S子 それまでは日本が
   為替市場のマーケットとして非常に盛り上がってたんですけど、

山本 それは何年前までですかね? 20年前?

S子 20年弱前ですね。

   どんどん金融の中心が
   香港とかシンガポールに移っていったので、
   忙しかったのがだんだん暇になってきたんですよね。

山本 はい。
   
S子 で、これは日本にいてもアレかな
   (つまらない)とも思ったので、
   シンガポールに留学をしました。

山本 25前後で?

S子 はい。
   (勤務して)3年目の春に辞めて、
   3年目の6月から国立シンガポール大学へ。
   中国語の専修過程があるんですよ、留学生用の。

山本 プレスクールみたいなやつですか?

(注:プレスクールとは、外国人学生向けの
 その国の言語の習得をするため、大学に行く前に行く学校。)

S子 いや、そうじゃなくて外国人専用の中国語のスクールです。

山本 そうですか。

S子 そこだったら(学費が)安かったんですよ。

山本 それは大学院?

S子 院ではないです。

山本 院ではないですよねぇ。
   それじゃあ今度は中国語を勉強しようと思ったわけですか?

S子 はい。

山本 英語、フランス語の次は中国語か、すごいな。
   それじゃ北京語ですね?

S子 北京語です。
山本 あ、マンダリンか。なるほど。1年?

S子 1年ですね。1学年。

山本 わかりました。それじゃあ
   シンガポールが経済の中心のひとつになってきた
   ってのが一つの理由ですね。

S子 そうですね。
   それから私その時考えたのが、
   英語、フランス語、中国語ができれば、
   とりあえずどこに行っても死なないと思ったんですよ。

山本 なるほど。はい。

S子 あとは、

   車を運転できて、
   馬に乗れて、
   潜(もぐ)れて、
   走れたら
   死なないと思ったんですよ。

山本 なるほど。

S子 だからその、死なないと思ったことをやろうと思いました(笑)。
   どこに行っても生きていけるように。

山本 なるほど。
   さきほどインタビュー始める前に、
   東京マラソンにおいでになった、
   要するに、走るのが趣味だ、とおっしゃってましたもんね。

   なるほど、それと繋がっているということですね。
   それはある意味人生観や哲学をお持ちだということですか?

S子 はい。

山本 なろほど。
   で、1年間のシンガポールでの
   中国語のスクールを終わってどうしました?

S子 帰ってきて、、、
   あ、私実家が赤羽というところにあって。
   東京の北ですけどね。そこに戻ったんですね。

   で、しばらくどうしようかなと思っていて。
   で、なかなか日本になじめなかったんですよ、
   1年間シンガポールで過ごしてすごく良い経験をしたので。

   でもまあ、仕事でもしなくちゃなぁと思ったら、
   たまたま隣の隣の駅かな、西日暮里っていうところに、   
   トーメン(株式会社トーメン)の
   ODA部門が別会社を作ったんですね。

注:株式会社トーメンとは、
1990年まで存在した総合商社。
豊田通商に合併吸収され、消滅した。
http://www.toyota-tsusho.com/index.cfm

外務省国際協力 政府開発援助 ODA
http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/oda/index.html

山本 …ト―、ん?

S子 トーメンって商社ありますよね。
   あそこに当時はまだODA部門があって、
   そこが子会社を作ったんです。
   で、そこの手伝いを募集してたんです。

山本 ほぉほぉ。

S子 手伝いっていうか社員だったのかな。
   私は最初バイトとして行ったんですけど。

山本 はい。

S子 んで、もともと(私は)
   ミッションスクールでの教育を受けているので
   国際協力とかをやりたいなと思ってましたし、、

(注:ミッションスクールとは、キリスト教系の学校。
 隣人を助けよ、などの概念を啓発する。)

   私お誕生日が8月15日なんですね。

山本 (太平洋戦争の)終戦記念日だと。

S子 はい。

   で、カトリックの国で言うと、
   聖母アリア被昇天祭なんですよ。
   だから、なんとなくそういうところ(国際協力)に
   かかわるんだなとは思っていたので。

   まあ、ODAって聞いて
   これはきっとよさそうなところに違いないと思って
   お手伝いに行ったんですよ。

山本 はい。

S子 で、むこう(株式会社トーメン)も
   やっぱり英語とフランス語ができる人を欲しかったので、
   しばらくお手伝いをしてたんですね。

山本 はい。

S子 で、そのころですね、
   先生(山本)も 覚えていらっしゃると思うんですけど、
   商社の「ODA談合疑惑」ってのがあったんですよ。

山本 あ、はいはい。ありました。 

S子 まさにその渦中にいたんですよね、
   その会社(株式会社トーメン)は。

山本 えっと、、

S子 私が27歳のときですよ。27歳の時だから…

山本 1990年代のどっかですね。

S子 15年前だから、、そう、1990年代のどっかです。

山本 ですよね。

S子 で、それが非常に新聞紙上でも取り上げられましたし、
   で、実際に談合してましたからね当時(笑)。

山本 はい。

S子 まあ談合しなければならないような
   入札の仕組みだったってのもありますけどね。

山本 はい。

S子 で、その資料を隠すために、
   本当に壺の中に資料隠してたりしてたんですよ。

山本 はい(笑)

S子 で、こっちまだ27歳だし、
   やっぱそういうこと嫌じゃないですか。

   そしたら、日経新聞で…日経ゃない。
   ジャパンタイムズかな。
   ジャパンタイムズで
   VISAインターナショナルって会社で
   フレックスの人を募集してたんですね。

Visa Worldwide Tokyo
http://www.visa-asia.com/ap/jp/index.shtml

注:フレックスとは、フレックスタイム制のこと。
労働者自身が、始業時間と修業時間を決められる。

山本 ほう。

S子 ちゃんと為替チャートが読める人っていうんで。

山本 結局トーメンにはどれくらいいたんですか? 
   1年?

S子 そんなにいないです。半年くらい。

山本 あーはい。

S子 で、(トーメンの人から)社員になりませんか?
   って言われたんですけど、
   ちょっとそれはやめてたんですよ。

山本 はい。

S子 で、そこ辞めて、VISAが募集していたので、、
   まあ運よくVISAに受かって、
   VISAインター(ナショナル)に9年間くらい
   お世話になっていました。

山本 VISAインターナショナルって
   カード会社のVISAのですか?

S子 はい。

山本 ああ、そうですか。
   その中ではどんな仕事をしてたんですか?

S子 ほんとにいろいろしてましたね。
   最初は、(私が)為替が読めるってことで
   市場の予測とかしてたんですけれども、
   その後その部署が法人営業に統合されたので、
   私も法人営業担当になって、

   まあご存じのクレディセゾンさんだとか、ニコスさん、
   ちょっと今名前変わってるかも知れませんけど、、
   とかイオンクレジットさんとかを担当させていただいて。

   で、VISAインターって、、
   割と高飛車な会社というか、
   営業しなくてもお客さんが来る会社なので、
   法人営業という形かというよりは、
   法人のサポートという形でしたけれども、

   アメリカのブランドの会社なので
   そのブランドの名前を説明したりだとか、
   新しい商品の導入をお手伝いしたりだとか、
   そういったサポートをしていました。

山本 なるほど。
   VISAとかアメックスとかいっぱいありますけれども、
   やっぱり世界シェアが一番はVISAですよね?

S子 そうですね。

山本 ですよね。
   私も海外(の仕事)が多いので、
   VISAを持つようには友人から言われてたので、
   それは認識しております。

   まあとにかく9年いましたと。
   それで結局9年終わった段階で何歳ですかね?

S子 何歳だぁ…?

山本 27歳から9年だから36歳?

S子 そのくらいですかね。
   …36歳くらいですね。

山本 (今から)7年前だから…2003年くらいか。
   で、辞めてどうしました?

S子 私、VISAインターにいたころから
   そんなにものすごく忙しくはなかったので、
   英語の学校に通ってたんですね。

   そこで、特許翻訳の先生に出会いまして、
   たまたまその先生も二駅(ふたえき)先で、
   すごいかわいがっていただいたんですよ。

   で、まあ、翻訳だったらどこにいてもできるし、
   まあ勉強していて損はないかなと思って、
   しばらくおうちで翻訳の仕事をしていたんですね。

山本 (VISAインターナショナルを)辞めた後にってことですね?

S子 辞めた後。

山本 個人として?

S子 個人として。はい。

山本 誰か仕事等で知り合った人の
   コネ等の紹介でってことですね。

S子 はい。
   それだけやっていて、、

   でもまあ、
   ずっと家で一人でいるのも寂しくなってしまい(笑)、

   エージェントさんに頼んで、
   また企業に戻りたいんだけどってことで探していただいてぇ。

山本 それはリクルート等の
   就職斡旋企業も入れてってことですか?

S子 そうですね。それでYahooにいきました。

Yahoo! JAPAN
http://www.yahoo.co.jp/

山本 Yahooにいったんですか!?

S子 Yahooがちょうど自社カードの発行を考えていて、
   国際カードブランドがわかる人を探してたんですね。

山本 はい。

S子 で、ちょうどその話が入ってきたので、
   うまく需要と供給が合って。

   Yahooに2年くらいはいましたかね。
   …あ、違う2年もいないや、1年くらいか。

山本 36、7歳から1、2年いたということですね。

S子 ごめんなさい、1年です。

山本 でも、Yahooのカードってのは
   (現実世界にあると)聞いてないので、、
   その話はなくなったんですか?

S子 一応あったんですけどぉ、
   でもどうしてもSB(ソフトバンク)の方が強いので、
   ま、ま、細々とやっているって感じですね。

山本 あーなるほど。

S子 あと、そこで銀行の買収も手掛ける
   という話もあったんですけど、
   銀行の買収って日本もそんなに簡単じゃないので。
   それもちょっと頓挫(とんざ)して。

山本 なるほど。
   で、1年くらいで(Yahooを)辞めまして次はどうしました?

S子 で、辞める前からですね、
   あまりにもYahooが忙しかったので、
   んーその割にあまりペイ(給料)がよくないので、
   どうしようかなと思っていて。

   そしたら、またエージェントが、
   Yahooの隣の駅にある神谷町ってところに
   ハートフォード生命っていう
   アメリカの変額年金の会社があったんですよ。

   んで、そこで
   プロジェクトマネージャー探してるからどうですか?
   って言われて。

   んでとんとんと決まって。
   ハートフォードに3年半いまたね。

ハートフォード生命保険株式会社
http://www.hartfordlife.co.jp/

山本 はぁはぁ。
   それは何のプロジェクトマネージャーですか?

S子 商品を作って売るまでです。一連の流れ。

山本 何系統の商品?

S子 変額年金です。年金。

山本 なるほど、年金の…なるほど。

S子 変額年金っていうのは、
   年金ていうか、
   投資して入ったものを年金としてもらうものなので、
   日本では年金の枠で入ってますけど、
   アメリカでいうと投資商品ですね。

山本 なるほど。それが3年でしたっけ?

S子 はい、3年くらい。

山本 (すると今から)3年前くらいになりますね。

S子 2008年12月で、例のリーマンショックで私たちの…

山本 サブプライムが2年前でしたっけ? 
   で、リーマンショックは去年かな?…2年前か。

注:
サブプライムローン(低所得者向け住宅ローン)の問題が
アメリカで住宅バブルの崩壊につながったのは2007年夏ごろ。

注:
リーマンショックは、2008年9月に、
アメリカの大手の投資銀行である
リーマン・ブラザーズが破綻し、
全世界の経済に大きな打撃を与えたこと。
http://lehman.ohebashi.com/

S子 おととしの12月までいて、
   ポジションクローズ(解雇)になったんですね。

山本 リーマンショック等で?

S子 そうですそうです。
   で、失業いたしまして、2008年12月で退社しました。

   でその後しばらくどうしよっかなと思って。
   でまあ失業手当も出てましたしい。
   私、プロジェクトマネージメントって仕事が
   本当に好きだったんですね。

山本 ほぉほぉ。

S子 モノを作って、準備をして、
   ポンっとインプリメント(実施)するっていうのは、
   大変なんですけど
   終わりが見えるし始まりもあるし、
   その中でいろんなことをコーディネートしていくのが
   すごい楽しかったんですよ。
   天職だと思ったんですね。

山本 はい。

S子 んで幸いなことに、
   ポジションはなくなりましたけど
   最終的にはシニアマネージャープロジェクトで
   シニアまでいったので。

   できたことをやりたいって思ったんですけど、
   その頃日本はあんまり元気なかったんですよ。

   で、今はちょっと探さないほうがいいなと思って、
   昔取った杵柄(きねづか)で
   翻訳の仕事等々をしているときに、
   さっきのお友達からの電話があったんですよ。

・・・

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