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今後の未来を、私は次のように予想している。


1.第一段階: 2011年〜2060年

市場経済と資本主義の暴走による様々な問題
(貧富の差の拡大、環境問題など)
が顕在化してゆく。

途上国で起こってる貧困などの問題に対し、
「国際協力師」たちによる援助活動が行われたり、

先進国の経済活動を制御するために
「企業の社会的責任」(CSR)の普及が試みられるが、

グローバル化した世界では、
企業同士の競争が熾烈(しれつ)となり、
綺麗事が言っていられる状況ではなく、

結局、
世界に対して負の効果をもらたす経済活動のほうが、
正の効果をもたらす活動よりも、はるかに大きい状況が続く。


2.第二段階: 2061年〜2160年

2060年前後に、人類の人口が100億を突破する。
(国連の世界人口予測の統計データによる。)

また、中国・インドなどの人口10億を超える国の人々が、
アメリカや日本のような「豊かな」暮らしを望む。

それにともない、水・食糧・エネルギー源など、
全ての資源が急速に枯渇してゆく。

人口が120億に達したあたりで、
(資源の量と人口のバランスが)限界に達する。

世界の半数以上の国々で、
十分な水と食料、そして職場が提供されなくなり、

人々の栄養失調率が25%を超え、
失業率が30%を超えてしまう。

その結果、各国で暴動(反政府活動)が起こる。
世界中の治安が崩壊する恐れ。

(失業率が30%を超えると革命等が起こることは、
 過去の歴史により証明されている。)

テロ組織がその暴動を吸収し、急速に成長。
アメリカなどの各国で原子力発電所を狙ったテロ、
いわゆる「原子力テロ」が起き、
地球上は、徐々に放射能で汚染されてゆく。

それと同時に、貧困層による各国での暴動は止まらず、
特に都市部での経済活動はほぼ完全に停止する。

同時に、この頃、農村部でも、
石油(などの化石燃料)の枯渇により、
トラクターなどの機械化された農業の実施が困難になり、
かつ、
リン鉱石(という資源)の枯渇により、
リン酸肥料という最も重要な化学肥料が使えなくなる。

すなわち、農業生産量が落ち、穀物の供給も減る。

これらにより、人口は120億から30億付近まで激減。

(複数の環境学者によれば、
 地球を持続可能な状態にしたい場合、
 人類の適正人口は、20〜30億人の間。)


3.第三段階: 2161年〜2300年

(市場経済や資本主義ではない)
全く新しい社会の(世界の)構造が必要だと、
この段階で、ようやく人類は悟る可能性がある。

それは、新しい政治・経済の体制かもしれないし、
なんらかの、新しい思想(倫理?、宗教?)かもしれない。

しかし、そうした動き(啓発活動)が出たにもかかわらず、
しばらくして、ほとぼりが冷めた後、

人類は、
結局、また元の道(いつか来た道)を進みだし、
市場経済・資本主義・人口増加を再び始めてしまう。

こうして、この後も、
一部の狡猾な金持ちが「豊かさ」を独占しながら、
その周囲で、社会が隆盛し、また崩壊する、
という減少が、数回繰り返された後、

ある段階で、テロ組織によって開発された、
強力な小型核兵器(あるいは生物兵器)によって、
各国の政治・経済の中枢が攻撃され、
(世界各地で)放射能の汚染が進んでゆき、
これを何度か繰り返した後、

人類は完全に滅亡する。


・・・

と、いうようになる確率が、
私は、70%以上だと思っている。

上記は、それなりの科学的論拠に基づいている話で、
こうならないほうに(運命が)転ぶ(ころぶ)方が
難しいのが現状だ。

(詳細は、私のブログの他の記事に書いてあるので
 そちらを参照。
 今回は、あくまで大局的及び観念的な話。)

・・・

で、
ここから今回の話の「本質」に入る。

(以前から、自分でも思っていたのだが)
私のやっていることや、言っていることは、
時々、矛盾していることがある。

それが生じてしまう理由は
私には、上記した三つの「世界の大局観」と、
その、それぞれに対して行っている活動があり、

「そのどれに対して、今、私が、対処しようとしているのか?」

によって、発言する内容が全く変わってしまうからである。
(だから、矛盾してしまうことがあるのだ。)


三つの大局観と、それに対する対策は、繰り返すが、以下である。

1.市場経済・資本主義からくる弊害を
 少しでも緩和するための現実的な対策。

 具体的には
 1)途上国における国際協力活動(富の再分配)
 2)先進国における企業の社会的責任(CSR)の普及

2.約100年後、世界の人口増加と資源の枯渇からくる
  現代社会の崩壊に対する警告

 具体的には
 1)人口増加問題を一般の人々に認知してもらうこと
 2)資源の枯渇、再利用可能エネルギー(自然エネルギー)の開発、
  それらと経済活動とのバランス

3)約150年後に必要になる資本主義でも共産主義でもない
 全く新しい社会のシステムの創造

 具体的には、
 1)新しい政治・経済の仕組み「新平等主義」(?)の創造
 2)人権を超えた、「生命権」(?)という概念の提案

(詳細は、また別のブログで触れる。)


で、
矛盾してしまう例をいうならば、

とりあえず、当面の50年間は、
(世界を滅ぼす元凶が、資本主義と市場経済であることを
 わかっていながらも、あえてその中に入り)
現実的な対策として、
「企業の社会的責任」(CSR)の啓発、など、
無難で、中庸性のある対策(活動)を行っていこうと
していることである。

さらに今後、
宇宙船地球号は、
(NPO法人のままで行うか、
 あるいは、別に、株式会社・宇宙船地球号を作るかは、
 まだ決めていないが、いずれにしても、)
フェアトレードや、BOPビジネスなど、
(市場経済・資本主義の枠組みの中で)
途上国または日本の貧困層を支援するための
事業を始めようか、とも思っている。


似たような例で言えば、
(これは、世界的な枠組みで行われていることだが)
地球温暖化・気候変動への対処として、
(そもそも市場経済がそれを起こした元凶なのに)
市場原理をとりいれ、「排出権取引市場」を創設し、
CO2を減らす事業に市場価値を見出し、
経済活動の一貫として、
地球温暖化対策を企業や国に行わせること、
などがある。

(これも、ミイラとりがミイラになっている、
 ともとれるし、
 現実的な対策を打ち出している、とも言える。)

生物多様性に関しても、
上記の地球温暖化とほぼ同様の仕組みが作られようとしている。


で、
こうした、
環境や資源に「市場価値」を認めさせることにより、
企業や国家に、なんらかの対策を行わせる、
という方向性(戦略)では、
本質的な問題
(なんにでも市場価値を持たせ、なんでも金儲けの道具にすること)
の解決にはならない、どころか、むしろ助長している。

だから、
もしも、私の、最終的な目標が、
「持続可能な世界の構築」であるならば、
当面、私が「現実的対策」として行おうとしていることは、
明らかに矛盾している、というか、本末転倒だ、
ということになる。

が、しかたがない、と考えているのである。


・・・

昔の中国の思想に、「天地人」という考え方があった。

なにか、事(こと)をなそう(達成しよう)とした場合、
以下の三つの要因が必要だと言う。


1.天の時 (適切な時期)

2.地の利 (自然から得られる資源(リソース)の量の状態)

3.人の和 (賛同する人々の数)


要するに、
人口増加を続けてはならないし、
市場経済と資本主義を続けてはいけないのだ、
ということを(最終的には)言いたいのだが、
現状で、そんなことを主張しても、
聞く耳を持ってくれる人は、誰もいない。

(仮に頭では理解してくれても、
 実際に行動をともにし、
 協力してくれる人は、まずいないだろう。)

と、いうわけで、上述の「天地人」が必要なわけだ。

残念ながら、
人類は、まず一回目の「カタストロフィー」(大破局)
を迎えなければ、ならない。

それによって、
1.近代文明の崩壊という「天の時」を得、
2.資源の枯渇という「地の利」(説得力のある事実)を見せつけ、
3.新しい社会システムの創世に賛同する「人の和」が得られる。

つまり、その時までは、
「新しい政治・経済の制度を作る」
などと、誰かが言っても、人々は耳を貸さないだろう、
と私は思っている。

・・・

さて、
最初に書いた、これから起こる、三段階での「人類の終焉」を
もう一度、読み直して欲しい。

はたして、これが私の、世迷いごと(よまよいごと)だと思うか?

あるいは、あなたは、
「もしかすると、そうかもしれない・・」
と思いながら、
ただ、(現実から)目をそむけるのか?


私は、どうしているかと言うと、
自分の考えを、半分疑いながらも、
なんらかの行動を続けている。

・・もちろん、いろいろな面で、矛盾しているのだが。


上記した(市場経済に取り込まれて活動せざるを得ないという)
細かい矛盾だけでなく、

「そんな途方もない問題に対して、
 私なんかが何かを多少やったところで、
 まず結果(人類の破局)には影響しないだろう」

と言うことも分かっている。

が、
それを知りながらも、私は活動を続けている。

なぜだろうか?


科学的論拠に基づき、合理的な活動を繰り返すのが
山本敏晴のアイデンティティー
(自己同一性、自分が自分だという認識そのもの)
のはずなのに、
今も、答えのでない衝動に駆りたてられ、
世界をなんとかしようと「動いて」いる。

いや、「蠢(うごめ)いて」いるだけ・・か。


これもまた矛盾。 

解決できない矛盾を抱えながら、
何かわからない衝動(好奇心?、不安?、焦燥感?)
に駆り立てられながら、ともかく今日も、
目の前に転がっている仕事をこなしている。


・・そうか、わかった。

自分自身の行動が理解できないからこそ、
説明できないからこそ、

私は徹底的に論理的であり、
世の中の事象を、私の行動原理も含めて、
理解しようと必死になる。

なぜ、必死になっているかというと、
その背景に、理屈では説明できない、
「わけのわからない衝動」があることに、
私は、うすうす気づいているからなのだろう。

理屈で説明できないからこそ、
(自分の生き方が)不安になり、
だから、それを理屈で説明しようと必死になる。

愚かなり、山本敏晴。
これぞ、矛盾の極み。


・・しかし、まあ、これこそが「人間」か。