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昨日参加した、長崎の「平和祈念式典」で
長崎市長が発表した「長崎平和宣言」の内容をここに掲載し、
それだけだと一般の人には、何のことを言っているのか
わからないと思うので、
その背景にある世界情勢の動きを詳しく解説する。

(ここ2年ぐらいで、核開発とその規制に関し、
 良くも悪くも大きな動きがあったからだ。)

私の解説は、全て括弧()内に記した。

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長崎平和宣言・全文(1886字)

・・・

被爆者の方々の歌声で、今年の平和祈念式典は始まりました。

(式典の最初に、被爆者などが
 「もう二度と」(作詞作曲:寺井一通)という歌を合唱した。)

「あの日を二度と繰り返してはならない」
という強い願いがこもった歌声でした。

1945年8月9日午前11時2分、
米国の爆撃機が投下した一発の原子爆弾で、
長崎の街は、一瞬のうちに壊滅しました。

(8月6日の広島の原爆は、プルトニウム型原爆のリトルボーイ。
 8月9日の長崎の原爆は、ウラン型原爆のファットマン。
 ちなみに北朝鮮は、
 既にプルトニウム型原爆を開発し核実験(2006,2009年)を行い、
 現在ウラン型原爆の開発を進めている。)

すさまじい熱線と爆風と放射線、そして、燃え続ける炎…。

(一般の人が誤解していることの一つは、以下の事実。
 原爆で生じたエネルギーは、50%が爆風になり、
 30%が熱線になり、20%が放射能になった。
 つまり、(主に)強烈な「爆風」によって、建物が壊され、
 人々が吹き飛ばされて、壁や地面にたたきつけられて死んだ。
 放射能による死亡は、当初恐れられていたほどではなかった
 ことがわかっている。)

7万4千人の尊い命が奪われ、
かろうじて死を免れた人々の心と体にも、深い傷が刻み込まれました。

(広島では原爆により14万人が死亡。
 なお、
 沖縄では原爆ではない「通常の戦闘」により、
 (1945年の3月から6月までの3ヶ月間の戦闘で)
 22万人以上が死亡している。
 また、世界では、現在でも、
 小型兵器(兵士一名または複数名で運搬が可能な兵器・爆発物)
 による死亡者が毎年10万人以上生じている。
 このように、原爆を取り締まるだけでは、あまり意味がなく、
 (人類が生み出す)あらゆる兵器をとりしまることが必要。
 生物兵器・化学兵器・クラスター爆弾などは、
 原爆に劣らない殺傷能力を持つ。)

(当初、放射能による遺伝子の障害は、精子や卵子にも残り、
 子どもや孫にも遺伝するのではないか、
 すなわち、被爆者の子孫も、白血病や癌になりやすいのではないか、
 と危惧されたが、
 その後、長崎大学などによって行われた
 膨大な疫学(統計)調査の結果、
 子孫(二世など)の発癌率などは、一般人と変わらないことが
 証明されている。
 原爆の威力は、それほどではなかった、とも言えるし、
 また一方で、
 子孫への悪影響を恐れ、結婚や子どもを作ることを
 ためらっていた人々にとっては、大きな朗報となった。)

あの日から65年、「核兵器のない世界」への道を
一瞬もあきらめることなく歩み続け、
精いっぱい歌う被爆者の姿に、わたしは人間の希望を感じます。

『核保有国』の指導者の皆さん、
「核兵器のない世界」への努力を踏みにじらないでください。

(『核保有国』とは、誤解を招きやすい言葉の一つ。
 まず、核実験の歴史は、以下である。
 1945年 アメリカ、トリニティで核実験。広島・長崎で使用
 1949年 ソ連、核実験(アメリカに対抗)
 1953年 イギリス、核実験(世界の元・宗主国の意地)
 1954年 アメリカ、ビキニ環礁で水爆実験(日本漁船も被爆)
 1957年 国際原子力機関(IAEA)が設立(核の平和利用目的)
 1960年 フランスとイスラエルが共同で核実験
 1962年 キューバ危機(米ソの核戦争が一触即発で最大の危機)
 1964年 中国が核実験(これで国連常任理事国五カ国全てが保有)
 1966年 フランスがポリネシアで核実験。被爆者多数で問題に
 1970年 核拡散防止条約(NPT)が発効
 1974年 インド、核実験
 1979年 イスラエル、核保有(中東のイスラム諸国に対抗)
 1998年 パキスタン、核実験(インドに対抗)
 2006年 北朝鮮、核実験(日米韓に対抗するつもりが爆発に失敗)
 2008年 北朝鮮、再び核実験。今度は成功。
 以上の核実験を行った国のうち、
 核拡散防止条約(NPT)発行前までに既に核実験を行った国を
 『正式な核保有国』というのである。(ただし、イスラエルを除く。)
 一方で、それ以降に核実験を行い、核保有していることが明らかな国を
 『事実上の核保有国』と言う。
 『正式な核保有国』は、国連の安全保障理事会の常任理事国である、
 アメリカ、ロシア(ソ連)、イギリス、フランス、中国の五カ国と、
 まったく一致している。
 つまり、1970年に作られた核拡散防止条約(NPT)は、
 この国連の常任理事国たちが、自分たち以外には核保有を認めない、
 という「非常にゆがんだ理由で」創設された経緯がある。
 (どう考えても、公正で公平な条約ではない。)
 で、話を戻すが、長崎市長が、この平和宣言の中で、
 『核保有国』という言葉を使っているが、おそらく、
 『正式な核保有国』のことをさしているのだと思う。
 それはともかく、長崎市長は、この核拡散防止条約(NPT)に
 問題があることを認識しており、以下の発言につながっていく。)

ことし5月、核拡散防止条約(NPT)再検討会議では、
当初、『期限を定めた核軍縮への具体的な道筋』が
議長から提案されました。

(核拡散防止条約(NPT)には、二つのことが条文に書かれている。
 1.核保有国は、徐々に核兵器の数を減らすこと。
 2.核を持っていない国は新たに持つことを禁ずる。
 アメリカとソ連(ロシア)は、多少、数を減らしたものの、
 原爆を(より強力な)水爆に変えるなどしたため、
 持っている「威力」はむしろ増加した。
 この状況で、他の国には核を持つな、という理屈がおかしい。
 だから、
 インド、パキスタン、北朝鮮が核実験を行い、
 イラン、シリア、ミャンマーが核開発しようとするのは
 むしろ当然である。
 まず、必要なことは、
 『正式な核保有国』全てが、例えば、
 『2020年までにすべての核兵器を放棄します』
 と五つの国に同時に約束させることが大切なのだ。
 それにより、
 『事実上の核保有国』やこれから核開発したい国も
 説得することができる。これが、物事の筋道である。
 この約束をしていないのに、
 「俺は持つ。おまえは持つな。」
 といっているのが、
 今の核拡散防止条約(NPT)の真実である。)

この提案(『期限を定めた核軍縮への具体的な道筋』)を
核兵器を持たない国々は広く支持しました。

世界中からニューヨークに集まった非政府組織(NGO)や、
わたしたち被爆地の市民の期待も高まったのです。

その議長案を米国、ロシア、英国、フランス、中国の
核保有国の政府代表は退けてしまいました。

(今年(2010年)5月の核拡散防止条約(NPT)再検討会議で、
 フィリピンのカバクトゥラン議長は
 「2014年までに核廃絶までの行程表の策定に向けた国際会議を開く」
 ことを目指していたのだが核保有国の反対によりそれは姿を消した。)

核保有国が核軍縮に誠実に取り組まなければ、
それに反発して、新たな核保有国が現れて、
世界は逆に核拡散の危機に直面することになります。

NPT体制は核兵器保有国を増やさないための最低限のルールとして
しっかりと守っていく必要があります。

(長崎市長は、NPT体制に問題があることを知りながらも、
 当面、それが崩れると、世界はもっと悪くなることを知っているため、
 苦渋の表現として、このようなことを言っているのだと思う。
 私も、賛成だ。)

核兵器廃絶へ向けて前進させるために、
わたしたちは、さらに新しい条約が必要と考えます。

潘基文(パン・ギムン)国連事務総長は
すでに国連加盟国に
「核兵器禁止条約」の検討を始めるように呼び掛けており、
NPT再検討会議でも多くの国がその可能性に言及しました。

(核兵器禁止条約(NWC)は、
 モデル核兵器禁止条約(MNWC)とも呼ばれる条約の原案。
 まだ採択されていない。
 2007年コスタリカ・マレーシア両政府の共同提案として
 国連に提出されたもの。
 以下の全ての段階における核兵器の禁止。
 1.開発、2.実験、3.製造、4.備蓄、
 5.移譲、6.使用、7.威嚇としての使用。
 ちなみに、日本はそれに対する参加を棄権。
 (核の傘が当面必要なため。)
 今年5月にNPT再検討会議で
 潘基文(パン・ギムン)国連事務総長が
 核兵器禁止条約(NWC)の支持を正式に表明した。)

すべての国に、核兵器の製造、保有、使用などの一切を
平等に禁止する「核兵器禁止条約」を
わたしたち被爆地も強く支持します。

 長崎と広島はこれまで手を携えて、
原子爆弾の惨状を世界に伝え、核兵器廃絶を求めてきました。

被爆国である日本政府も、『非核三原則』を国是とすることで
非核の立場を明確に示してきたはずです。

(『非核三原則』とは、「核兵器を持たず、作らず、持ち込まさず」
 という三つの原則からなる概念。
 ノーベル平和賞を受賞した佐藤栄作首相が
 1967年に国会で言った言葉。
 日本の国是(こくぜ)とされるが、法律にはなっておらず、
 実際には、なんの効力もない「絵空事」であった。)

しかし、被爆から65年が過ぎた今年、
政府は『核密約』の存在を明らかにしました。

(『核密約』とは、
 日米安保条約が締結された1960年に
 次のような密約があったことを言う。
 アメリカのライシャワー駐日大使は、
 「1960年の安保改定の時に、日本とアメリカとの間で、
  アメリカ海軍の艦船が核兵器を積んだまま
  日本の基地に寄港しても良い、とする密約があり、
  実際に何度も核弾頭を搭載した船が、日本に来ていた。」
 と以前から何度もマスコミに話していた。
 2008年9月、村田良平・元・外務省事務次官が
 上記の内容を詳述した書籍を発行。
 「村田良平回想録 上下巻」(ミネルヴァ書房)。
 で、2009年、政権交代が起こり、
 民主党政権になったことにより、外務省内に調査委員会が作られ、
 過去の自民党政権時代の『核密約』の内容が暴かれる報告書が、
 2010年に作られ、マスコミで報道された。
 要するに、米軍は日常的に日本に核兵器を持ちこんでいたのだ。)

非核三原則を形骸化してきた過去の政府の対応に、
わたしたちは強い不信を抱いています。

さらに最近、NPT未加盟の核保有国であるインドとの
『原子力協定』の交渉を政府は進めています。

(『事実上の核保有国』インドと日本が
 今年6月頃から『原子力協定』の締結を始めた。
 これは、アメリカ政府から日本への圧力による。
 アメリカは最近、中国と(経済的に)仲良くしているが、
 そうしたら(軍事的に中国と対立している)インドから反発がきた。
 アメリカは「インドとも仲良くするよ」という姿勢を見せるために、
 アメリカは、まず自分自身がインドと原子力協定を結び、
 インドの核技術の発展に貢献することを約束した。
 さらにアメリカは、自分の「子分」である
 軍事同盟を結んでいる韓国と日本にも、原子力協定を結ぶよう、
 要求してきた。
 しかし、インドは、核不拡散条約(NPT)の非加盟国である。
 (NPTの条文によれば)日本などNPT加盟国は、
 加盟国以外への核技術の移転は禁止とされている。
 しかし2008年、この条文は軟化し、
 (NPT非加盟国でも)
 核不拡散を実行していることが明らかであれば、
 それを条件に解禁する(核技術を移転してもよい)ことになった。
 が、インドは明らかに核兵器を保有している国の一つで、
 その国に「核技術を協力する」ことが妥当かどうか、
 という議論がある。)

これは、被爆国自らNPT体制を空洞化させるものであり、
到底、容認できません。

日本政府は、何よりもまず、国民の信頼を回復するために、
非核三原則の法制化に着手すべきです。

また、核の傘に頼らない安全保障の実現のために、
日本と韓国、北朝鮮の非核化を目指すべきです。

(ここも、ポイントの一つ。
 『北朝鮮の非核化をしよう』というのは間違い。
 『日本・韓国・北朝鮮の非核化をしよう』と
 考えるのが正しい。
 要するに、日本・韓国・北朝鮮
 (いわゆる北東アジアの三国)の中で、
 唯一、核兵器を持っていなかったのは、
 北朝鮮だけだった、のである。
 日本は、1960年の日米安保以来、
 日常的に米軍が日本に核兵器を持ちこんでいたのだ。
 韓国も、1951年の朝鮮戦争の最中に、
 アメリカのマッカーサーが原爆を使用しようとした。
 以後、韓国内にも何度も核兵器が持ち込まれている。
 つまり、
 『日本と韓国が(アメリカが持ち込んだにしろ)
  核兵器を持っているのに、
  なぜ、北朝鮮が核兵器を持ってはいけないのか?』
 という疑問が生じてくる。
 つまり、
 北朝鮮の核開発は、(自国を守るための)正当な行為、なのである。
 だって全ての隣国が、核兵器を持っているのだから。
 だから、
 もしも北朝鮮の核開発を防ぎたいならば、
 まず、アメリカ・韓国・日本という軍事同盟が、
 (朝鮮半島を含む)北東アジアで核兵器を持たないようにし、
 さらに、何年(2020年?)までに
 アメリカも核兵器を全て破棄しますよ、
 ということを宣言しないといけない。 
 これをやらないのに、
 北朝鮮に核開発をするな、というのは論理的におかしい。
 と、いうことを長崎市長もわかっているので、
 次のような提案をしている。)

「北東アジア非核兵器地帯」構想を提案し、
(日本は)被爆国として、
国際社会で独自のリーダーシップを発揮してください。

 NPT再検討会議において、
日本政府はロシアなど41カ国と共に
「核不拡散・軍縮教育に関する共同声明」を発表しました。

わたしたちはそれに賛同すると同時に、
日本政府が世界の若い世代に向けて
核不拡散・軍縮教育を広げていくことを期待します。

(広島・長崎が被爆したのは、1945年。
 今から65年前だ。
 当時、10歳だった子どもも、今では75歳。
 あと10年足らずで、恐らく全員が死亡する。
 よって、今、後世につたえないと、
 『原爆の記憶』を持つ人が、いなくなってしまう。)

長崎には原子爆弾の記憶とつめ跡が今なお残っています。

心と体の痛みをこらえつつ、
自らの体験を未来のために語ることを使命と考える被爆者がいます。

被爆体験はないけれども、被爆者たちの思いを受け継ぎ、
平和のために行動する市民や若者たちもいます。

長崎は核不拡散・軍縮教育に被爆地として貢献していきます。

世界の皆さん、不信と脅威に満ちた「核兵器のある世界」か、
信頼と協力にもとづく「核兵器のない世界」か、
それを選ぶのはわたしたちです。

(繰り返すが、おそろしい武器は、核兵器だけではない。
 人間の知恵(?)は、毎年、新しい兵器を産み出している。
 そもそもの、教育や研究などのあり方、あるいは、
 研究者や軍需産業で働く人の倫理観が重要になってくる。)

わたしたちには、子供たちのために、
核兵器に脅かされることのない未来をつくりだしていく責任があります。

一人一人は弱い小さな存在であっても、手を取り合うことにより、
政府を動かし、新しい歴史をつくる力になれます。

わたしたちの意志を明確に政府に伝えていきましょう。

世界には核兵器廃絶に向けた平和の取り組みを続けている
多くの人々がいます。

長崎市はこうした人々と連携し、被爆地と心を一つにした
地球規模の平和市民ネットワークを張り巡らせていきます。

被爆者の平均年齢は76歳を超え、
この式典に参列できる被爆者の方々も、少なくなりました。

国内外の高齢化する被爆者救済の立場から、
さらなる援護を急ぐよう日本政府に求めます。

原子爆弾で亡くなられた方々に、心から哀悼の意をささげ、
世界から核兵器がなくなる日まで、
広島市と共に最大限の努力を続けていくことを宣言します。

2010年(平成22年)8月9日
長崎市長 田上富久