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1990年頃、南アフリカの写真家、
ケビン・カーター(1960-1994年)は、
内戦の続くスーダンに入り、
「餓死寸前の少女と、それを狙っているハゲワシ」
の写真を撮った。

1993年3月26日付けのニューヨーク・タイムズ紙に
その写真が掲載されると、
そのインパクトの強さから、
称賛と同時に、たくさんの強い批判が新聞社に寄せられた。

「写真を撮る暇があったら、
 少女を助けるべきではなかったのか?」
と。

しかし、翌年(1994年)、
『ハゲワシと少女』という題名のこの写真が
ピューリッツァー賞を受賞。

(注:ピューリッツァー賞とは、
 報道写真系の賞としては世界最高の賞。)

授賞式から約1ヶ月後、
カーターは南アフリカの
ヨハネスブルグ郊外に停めた車の中に排気ガスを引きこみ、
自殺した。

彼はもともと、精神的に不安定な人間だったと言う。

http://www.asyura2.com/09/hihyo9/msg/114.html

・・・

この事件が、もっとも象徴的な事件だが、
写真に限らず、
「ジャーナリズム」と「人道的行為」の
バランスというのは、非常に難しい。

途上国や紛争地帯にいって写真をとったり、
あるいはそれ以外のジャーナリズムをすることが、

1.純粋に世界の(悲惨な?)現状を伝えるためなのか?

2.自分の名誉やお金のためなのか?

で、難しいのは、このどちらかだけでやっている人はおらず、
どんな写真家、あるいはジャーナリストであれ、
両方の部分を多かれ少なかれ持っている、ということである。

・・・

もう少し、メリットとデメリットについて、考えてみよう。


A.社会にとって

(1)メリット

報道されることにより軍事大国の横暴などがあばかれ、
それが国際社会で報道されれば外交的な圧力をかけられる。

人権侵害や人道上の問題点を世の中に広報すれば、
貧困に対する支援などのため、お金や人が集まってくる。

問題がなんであれ、一つの事実を世界に広報することにより、
多くの人がそれを知り、多くの人が議論をするようになる。
それによって、より公平で適切な(その問題に対する)対策が、
生み出される可能性が高くなる。

(2)デメリット

その国に悪いイメージが定着する。
例えば、アフガニスタンといえば戦争、
コロンビアといえば麻薬、など、
その国の悲惨さだけが誇張される可能性がある。

一般の視聴者は、
「AはBだ」という固定観念(ステレオタイプ)を
もちたがるので、
報道で、ある一面を強調してしまうと、
もう、その国はそれだけだ、と思われてしまう。

具体的な弊害としては、
その国に行こうとする観光客が減ったり、
その国の中にある企業と取引をする企業が減ったりする。


B.写真家やジャーナリスト、本人にとって

(1)メリット

報道することによって、お金が得られる。
新聞やテレビなどに、そのネタを売り込むことにより、
お金が得られる。
それにより、自分が生活していくことができる。

取材内容が良かった場合、
あるいは衝撃的なインパクトのある内容の場合、
自分が有名になれる。
有名になると、テレビに出られるようになったり、
いろいろ副次的な利益が得られることが多い。

上記のように、ある程度、仕事が成功すると、
自分の「自己実現の欲求」を果たせた気がするため、
ますます、やる気になり、
より危険な地域で、よりインパクトのある写真をとろう、
などと思うようになる。
これは、
その人個人が、自分の人生の意味を見つけた、
という部分においては、良いことかもしれない。

(2)デメリット

紛争地帯も、貧しい途上国も、基本的に危険である。
死ぬ可能性がある。

死ぬならまだよく、
(地雷で両足を、ふっとばされて失うなど)
半身不随になって生き残ることも多い。

B型肝炎、C型肝炎、HIV/エイズなどの
完全に治ることが難しい病気に感染してしまう危険が高い。
なった場合、
一生、精神的・肉体的に苦しむことになり、
かつ、医療費などのお金もかかる。

写真家やジャーナリストとして成功する人は、
「ひとにぎり」にすぎない。
おそらく、0.1%〜1%の間ぐらいで、
「めしを喰える」ほど収入を得られる人は、稀(まれ)。

自分さがしの旅をしているだけで、
かつ、
最終的にそこから抜けだして
(めしを喰えるようになる)可能性が少ない分野。


C.被写体にされた人(途上国や紛争地帯の人)にとって

(1)メリット

現状が報道されることにより、
国際機関や政府機関、NGOなどが、
支援をするために動き出し、
実際に、お金や支援物資が、その人のもとに届いたり、
現状を改善するために人も動き出す可能性がある。

あるいは、
社会に対して、
自分のメッセージを伝える機会がない人の代わりに、
写真家やジャーナリストがそれを伝えてあげるという、
役目を担(にな)っているかもしれない。

また、
単純に、テレビ、新聞などに自分が登場するのが
嬉しい人もいる。

上記のメディアで報道されたことにより、
その人自身が有名になり、
他のマスコミで取り上げられることを繰り返し、
有名になっていくことがある。

その有名になったことを利用して、
自分で自分の地域の問題点を改善する活動を始め、
最終的に「世界の偉人」となった人もいる。

このように、
マスメディアが、「世界の偉人」を
(よくも悪くも)作ることがある。

(2)デメリット

肖像権の侵害や、人権侵害になっている場合がある。

基本的に、
本人の肖像権は、その人個人のものであり、
他人が使用することは、できない。

その人の顔写真などを使って、
(その人の許可がないのに)
お金などを得た場合、
大変な犯罪行為に相当する可能性がある。

これは、
上述してきた、
「社会へのメリット」などが(仮に)あるとしても、
容認できない。

また、
報道されたくもないのに、報道された場合、
その人に迷惑がかかる可能性もある。

例えば、
麻薬関係の記事にその人の写真をのせれば、
その人は、麻薬製造の関係者だと思われる可能性。
エイズ関連の記事なら、その人は、エイズだと。
内戦の記事なら、その人は反政府ゲリラの一味だと
思われる。
貧困の記事なら、その人は「貧乏人だ」と
レッテルを貼られる。

いずれにしても、周囲の人が、その人を見る目が
変わってしまう。

さらに、他のマスコミが、
相乗効果で、どんどん集まってきて、
取材されたくないのに
取材されてしまう可能性もある。

(一般に、社会的に弱い立場にある人は、
 人目につくことを好まない。
 理由は、目立てば目立つほど、
 差別や迫害を、より受けることを知っているからだ。)

・・・
・・・

さて、以上のような感じが、
社会にとって、
写真家にとって、
被撮影者にとって、
の、メリットとデメリットだ。

で、
最後の、被撮影者のデメリットに関係するが、

写真家やジャーナリストが
紛争地帯や途上国で撮影をする場合、
本人の許可をとる場合と、とらない場合がある。

例えば、
とりあえず、その写真を使うかもしれないから、
撮っておこう、と思って(誰かの様子を)撮影した。
(いろいろな人の写真を、数百枚、撮影した。)
その後、
いろいろ社会の状況を取材したら、
さきほど撮った写真のうちの「1枚」は、
使えることがわかった。
しかし、
さきほどの場所に戻っても、その人はいなかったので、
許可がとれなかった。
しかし、
高い交通費をかけて、ここまで来ているので
なんらかの結果をださないわけにはいかないので、
「このネタ」を新聞社かテレビに売り込むことにした。
という流れである。

つまり、
写真家やジャーナリストが、
本人から許可をとるかどうかは、
1.必ずとる人もいるし、
2.とるかどうか、そこそこ努力する人、
3.まったくとらない人、
の3種類がいて、
「とらないと掲載しない」という
新聞やテレビ側での、「基準はない」。

また、
許可のとり方だが、
1.(本人から)口頭で、軽くOKをもらう場合と、
2.(本人から)書面にサインをもらう場合、
3.2.に加えて、なんらかの関連組織からもサインをもらう場合、
がある。

で、余談だが、
私が出版した写真絵本
「HIV/エイズとともに生きる子どもたち ケニア」
に登場するHIVに感染している方々からは、
2.の本人からの書面によるサインと、
3.の関係する病院・国際協力組織からも許可を得ている。

さて、
ここからは、私の個人的な、
撮影に関する(上記の件に関する)スタンス(考え方)を
紹介しよう。

・・・

もともと、私は、国際協力や人権には、興味がなかった。
私の場合、中学二年生の時に一眼レフを手にしてから、
趣味で写真を撮りだした方が先。

だから、学生時代などに、写真をとっている時、
途上国にいって写真をとっても、
その貧しい人から、
許可をとらなければならない、という認識はなく、
なんとなく撮っていた。

ま、もちろん、常識的な範囲で、
(個人を、ある程度近くから撮影する場合)
「あなたの写真をとってもいいですか?」
というような質問を、口頭でしてから撮影していたわけだ。

(逆に、個人を撮影する場合でも、
 遠くから望遠レンズなどで撮影をする時は、
 許可などとっていなかったと思う。
 例えば、
 ヨーロッパの公園のベンチで新聞を読む老紳士、など。
 また、群衆(集団の人々)を撮影する時も、
 許可をとっていなかった。)

当時、アマチュアの写真家だったので
それを「売る」ことはなく、
基本的に問題はなかったと思う。

・・・

さて、
国際協力をするようになってから、
話がだいぶ変わってきた。

国際協力の基本の一つが、「人権の尊重」だ。
その中に、当然、
「肖像権」も入ってくる。

「人権」の中でも、
「社会的弱者」の人権には、
特に配慮しないといけないことになっているので、
アフリカの貧しい人の写真を勝手に撮って、
「肖像権」をないがしろにしては、いけない、
ということに、ある段階で気づいた。

特に私の場合、
撮影したものを、
出版社から書籍として販売することが多いので、
明らかに「営利活動」を行っているのだから、
許可をとらない場合、
問題になる可能性がある。

いくら、印税の全額を、
NPO法人・宇宙船地球号に募金していると言っても、
その途中の段階で、
山本敏晴個人が、営利活動をしているのは事実なのだから、
問題にならない方がおかしい。

と、いうわけで、
基本的に、そうした活動をするようになってからは、
「許可をとれる場合は、とる」ことにしている。

逆に言えば、
「許可をとれない場合は、今でもとっていない」
ということだ。

これが発生する理由は、以下だ。
とれる場合から、順番に説明しよう。

1.個人と直接会話をしたことがある状態で、
 かつ、その人の写真掲載することが確実な場合、
 基本的に許可をとる。
 社会的弱者の場合、必ず書面でサインをもらっている。
 一般の人の場合、口頭でのOKだけをもらっている。

2.集団を撮影する場合でも、
 会議室の中などの「閉じた空間」の場合、
 事前に、
 「皆さま、撮影をしてもよろしいでしょうか?
  もしも問題のある方は、事前に教えて下さい。」
 などといって、拒否される方を撮影しないようにする。

さて、ここからが、問題だ。

3.基本的に、海外で取材をする場合、
 短期間に何百枚〜何千枚を撮影をし、
 そのうち、実際に使うのは、数枚のことが多い。
 だから、
 使うかどうか、わからないで、
 とりあえず撮影しておくことの方が多いのである。
 しかし、その
 何千枚の写真をとるときに、
 一々、本人から「書面で」許可を撮っていたのでは、
 時間がかかりすぎて、仕事にならない。
 だから、
 現実的には、
 その人の写真を使うのが確実な場合や、
 後日、明らかに問題になりそうな、
 社会的弱者の写真を撮るときにのみ、
 書面で許可を得る、ということになる。
 それ以外は、口頭での許可が一般的だ。

4.群衆(集団の人々)を撮る時も、
 許可をとるのは難しい。
 前述のように、
 会議室などの閉じた空間で撮影することはまれで、
 路上で、デモ行進をする人々や、
 伝統的な行事や祭りなどを撮影する場合、
 「写真を撮っていいですか?」
 と声をかけるタイミングすらなく、
 許可をとることが不可能な場合も多い。
 実際、
 新聞などの1面にも、
 上記のようなイベントでの群衆は、
 どうどうと掲載されているので、
 (人道上はともかく)
 法律上は、問題にされないようだ。

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つまり、
人道上、もしくは各自(個人)の倫理観的に問題がある行為と、
法律上、実際に問題になる行為には、はっきり違いがある。

現状で、法律上、はっきり問題になるのは、

1.芸能人などの有名人の写真を、
 マスコミが無断で使用した場合、
 賠償責任などを求められる種類のこと
 (民法の一般原則とされている、
  財産権(パブリシティー権)の侵害による民事訴訟)
と、
2.性的な盗撮行為を行った場合の、
 わいせつ罪として起訴される場合、
 などが、ある。

要するに、
肖像権自体に関する法律はないので、
他の法律や条例にもひっかかる場合のみ、
問題になる、ということである。


次回、
憲法・法律・条例・過去の最高裁の判例、
などについて詳しく述べる。

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