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子どもの頃、
家に来たお客さんが帰る時、

必ず、父は、下駄(ゲタ)をひっかけ、
カツカツと音を鳴らしながら、家の外まで出ていき、
そのお客さんを見送っていた。

そのお客さんが、道を曲がるのは、
100メートルぐらい先なのだが、
父は、道路の端(はし)に立って、
その方が角を曲がって見えなくなるまで
ずっと見送っていた。

私は、その父の後ろ姿を、
なんとなく、見ていた。


そんな父をみていても、
私は彼を、尊敬することは、なかった。

・・・

父は、いわゆる「外面」(そとづら)のいい人で、
家の外から来た人には、
非常に礼儀正しく、優しい人だった。

一方で、
家庭内では、いろいろ問題があり、
母とは喧嘩(ケンカ)が絶えなかった。


今、(私が大人になってから考えてみると)
外での精神的ストレスの「はけ口」が、
家庭だったのだろうと思う。

だから、まあ、
そんな生き方、というか、
精神のバランスのとり方もあるだろう、
と、
冷静に受け止められるのだが、

当時、子どもだった私は、
「外面」(そとづら)のいい父が、
嫌いだった。


・・・

その父は、私が18歳の時、死んだ。

彼が、59歳の時、
大動脈瘤の手術を受けたのだが、
その時の輸血で肝炎になり、
その後、さらにいろいろ(?)あったようで、
ともかく、亡くなった。

危篤の時、私は大学1年生で、
地元の仙台から、東京に出てきており、
大学の試験期間中だった。

もともと父が嫌いだったこともあり、
危篤の知らせを聞いても、
「試験期間中だから」と言って、
私は、仙台に帰らなかった。

だから、
いわゆる、「親の死に目」を見ることもなく、

また、
長男だから、喪主になる可能性もあったのだが、
通夜にも出席しなかった。


・・・

その後、二十年以上が経って、
私は、大人になっていった。

社会で生きていると、
いろいろな人に会い、
いろいろな家庭の問題を知るようになった。

それぞれの家庭に、それぞれの問題がある、と知った。

父がとっていた、
「外面」(そとづら)のいい態度は、
ある意味、
社会人としては、普通だったのかな、と
思えるようになった。

人間として、一つの生き方だったのだと。


・・・

ふと、気がつくと、
いつの頃からか、
私は、お客さんを見送る時、

父と同じように、
その人が歩いていって、角を曲がるまで、
ずっと見送るようになっていた。


道に突っ立って、お客さんを見送っている時、
私は、
そのお客さんの後ろ姿を見ているのではなく、

たまにしか見せてくれたことがなかったが、
子どもの頃、私の脳裏にしみこんだはずの、
父の、あの優しい笑顔を、
なんとか思いだそうとしているのかもしれない。

カタカタと音のなる、
父の下駄を、時折り、ひっかけながら。