.

2002年のユニセフの統計によると、
世界で一番「いのちの短い国」は、
西アフリカにある「シエラレオネ」共和国だ。
平均寿命34年、
5歳までに子どもが死亡する確率が35%。

ここで2001年頃、医療活動を行ったのだが、
人々が死亡する原因疾患が、日本とは全く違っていた。
マラリア、肺炎、下痢による脱水、が3大死因で、
それぞれ30%ずつで合計で90%という状況。
ちなみに日本の三大死因は、
癌、心筋梗塞、脳血管障害なので
だいぶ致死的な疾患の内訳が違うことになる。

シエラレオネの田舎では、
電気も水道もなく、近代的な設備は何もない。
だからまず、医療をする以前の問題として、
自分自身の体調を管理してゆくだけで大変だった。

朝、パンと水を口につっこんで病院に行き、
患者さんを300人ほど診察する。
マラリアにはキニンを点滴し、
肺炎には抗生剤(アンピシリン等)を点滴し、
下痢には脱水用の点滴をする。

疲れきって宿舎に帰ると、
シャワーはないので、手桶で水をかぶって体を洗い、
ストレス解消のためにと日本からもってきた小説を
繰り返し読む。

最初の一か月めに、精神が耐えられなくなり、
「情動失禁」という状態になった。
わけもわからず、涙が止まらなくなったのだ。
しかし、現地の病院スタッフに
励まされて、なんとか回復。
しかし、あの時、耐えきれず日本に帰っていた可能性が
50%ぐらいはあったと思う。

それを乗り越えた後は、
現地スタッフ、すなわちシエラレオネ人スタッフの
教育を試みた。
日中、医療活動を行った後、
夕方から空いている部屋を教室とし、
看護師の育成を行った。

なぜ、医師ではなく、看護師の教育をするかというと、
アフリカの多くの国には、医者(臨床医)はいないからだ。
医学部に入れるような人は元々お金持ちなので、
医者になっても、
シエラレオネ保健省(厚労省)の偉い役人になるか、
大病院の院長になるか、
または、ヨーロッパなどの外国に移住してしまう。
(ちなみにこれを、ブレイン・ドレイン(頭脳流出)という。)
要するに、アフリカの医師は、元々お金持ちなので、
田舎にいる貧乏人の患者など診療しないのである。
だから私は、確実に地元に残る、
貧乏な家庭出身の人を生徒とし、看護師の育成を行った。

医療だけでなく、教育も行った理由は、
「未来に残る医療」を実現したかったからだ。
なぜなら、(私を含めて)外国人はいつか帰るから、
いつかいなくなってしまうから、である。
私が帰った後、医者も看護師もいない状態になっては
この地域の医療が再び崩壊してしまい、意味がない。
(私の自己満足で終わってしまう可能性がある。)
なんとしても「持続可能な、未来に続いて行く医療」を
この地域に打ち立てる。
それが私の目的だった。

私はもともと「国際協力は偽善ではないか」
と思っていた。
当時の国際協力の多くは、
1)一時的にお金を渡す形の援助が多く、
2)欧米や日本の文化をおしつけるものが多かった。
だから私は、
1)外国人がいなくなってからも持続可能な援助を行い、
2)現地文化を尊重するような形で、
その土地の医療を実現したかった。

このため、シエラレオネの言葉も覚えることにした。
ティムニ語というのを勉強し、
通訳を介さずとも患者さんの診療ができるようにした。
言葉が話せるようになったことで、
現地の文化に触れる機会が増え、
この国には、日本よりも長い歴史があるのだと知った。

ふと気付いたことがある。
この国の人は、電気のない状態で、
何百年も、何千年も、暮らしてきたのだと。
そして、それなりに幸せな暮らしを送ってきたのだと。
当たり前のことだが、忘れてはならないことだと思う。

もしかするとこのような素朴な生活の方が
「持続可能な」という意味では
正しい生活なのかもしれないと、悟った。
やがて無くなってしまうかもしれない石油を消費して、
電気を使った「束の間の豊かな生活」を謳歌する、
どこかの国の人々の暮らしの方が、
もしかすると間違っているのかもしれないと。

「日本の医療を教えてあげる」つもりで行った私が、
「アフリカの素晴らしい長大な歴史」を教えられた瞬間だった。

両方の国の文化を尊重する形で、
(西洋医学と現地の伝統文化との板挟みの中で)
私は、どんな形の医療を行えば良いのだろう?
結局、答えはでなかった。

よくわからないまま、
とりあえず医療を続け、
とりあえず看護師の育成を行い、
とりえあず私が日本に帰っても大丈夫な状態にした。

そして、シエラレオネを離れ、
次は、さらに状況の悪い国、アフガニスタンへ向かった。

その後、数十の国を回ったが、
相変わらず、どんな形の医療が最善なのか、
どんな形の人間の暮らしが最善なのか、
答えは見えないままである。

それでも私は、今も、国際協力を続けている。

莫大な量の電気を消費する日本の医療を横目で眺めながら、
(太陽電池で生産できる程度の)僅かな電気しか使わない
持続可能な医療を目指してゆきたい。

数十年後、石油などの化石燃料が枯渇し、
近代文明が行き詰りを見せた時、
長期的な意味で、地域の人々の幸せに貢献できるのは、
果たしてどちらのタイプの医療だろうか?

「未来に残る医療」と「持続可能性」
とりあえず私は、この言葉を胸に、世界を駆けてゆく。










・・・

補足:
某雑誌に寄稿するための原稿。