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このブログは、前回の続きです。
まず以下から、お読みください。

神様はいるのでしょうか?前編 7959字
http://blog.livedoor.jp/toshiharuyamamoto128/archives/65497539.html

・・・

第八節 自然選択説


先生 神の存在を論じる時に、
   もう一つ触れないといけないことがある。

   それが、「ダーウィンの進化論」だ。

美咲 流石に、それは知っています!

先生 ま、魚が上陸して、爬虫類になり、
   そのうち哺乳類が生まれて、猿ができ、
   猿から人間が誕生した、という話しだ。

美咲 はい。

先生 基本的に、
   (ユダヤ教・キリスト教・イスラム教の共通聖典となる)
   「旧約聖書」の「創世記」の「天地創造」には、
   神は七日で世界を作った、と書いてある。

美咲 私の卒業した中学校がミッション系だったので、
   それ、習いました。

   たしか・・

   1日目 神は暗闇の中に光を作り、昼と夜が出来た。
   2日目 神は空を作った。
   3日目 神は大地を作り、海が生まれ、植物が出来た。
   4日目 神は太陽と月と星を作った。
   5日目 神は魚と鳥を作った。
   6日目 神は獣と家畜と『神に似せた人』を作った。
   7日目 神は休んだ。

先生 そうそう。
   だいたい、そんな感じ。

   神は、七日で世界を作った、と書いてあるわけだ。

   で、さっき登場した現代の物理学者のホーキングが、
   宇宙誕生のビックバンには神は必要ない、
   と言っているんだけど、

   100年以上前から、
   この天地創造の記述を否定していたのが、
   イギリス人の、チャールズ・ダーウィン(1809-1882年)。


美咲 はい。

先生 彼は、
   「全ての生物は、共通の祖先から生まれ、
    多様な進化をした後、
    純粋な『自然選択』(または自然淘汰)により、
    環境に適応したものだけが、残って言ったのだ」
   と、提唱した。

   いわゆる、『ダーウィンの進化論』だ。
   『自然選択説』ともいう。

   これは、「地動説」などと違って、
   (婉曲に神の作った世界を懐疑するものではなく)

   旧約聖書に書いてある内容を、
   まっこうから否定することになるため、
   ものすごい反発を受けた。

   もし、『ダーウィンの進化論』が真実であるならば、
   「旧約聖書に書いてあることは、ウソだ」
   ということになり、

   ユダヤ教徒・キリスト教徒・イスラム教徒たちが
   よりどころにしているものを、否定することになる。
   
   このため、彼は1838年には、「自然選択説」を
   大筋で構築していたにも拘(かかわ)らず、
   慎重に裏をとり、理論を確立し、結局、
   それを発表したのは、1858年だった。

美咲 ええと、・・20年後!

先生 そう。
   彼の結論は、

   「人類には、慈しむ心があり、神のような知性があるが、
    それとともに、

    人間の、その体の中には、
    未だに、その祖先である『猿』の痕跡を残している」。

   キリスト教(イギリス国教会)に配慮した上で、
   彼は、このように言った。

美咲 つまり、「猿から人間への進化」を・・

先生 明言した。

   『聖書が否定された』ともとれる瞬間だった。


・・・

第九節 生命の神秘


先生 ダーウィンの進化論が、
   現代生物学の基礎を気付いたのは
   間違いないんだが、反論もある。

美咲 反論?

先生 もしも、「自然選択説」のみで、
   生命が進化していったのなら、
   地球の時間が流れるに比例して、
   『徐々に』、生物が多様化し、種の数が増えていったはずだ。

   ところが実際は、
   カンブリア紀(約5億年前)に、
   「突然、生命(種)の数が一気に増えた事件」、
   いわゆる、
   『カンブリア爆発』があった。

   生命は、「段階的に、急に増える時期」が、
   何回か、あったんだ。

美咲 へーえ。

先生 その時期たちに、神さまが、生物の創造をし、
   しかし、人間の創造に失敗したから、
   また、次の「生物の大発生」を生じさせ、
   そして、
   何度目かのトライ(挑戦)で、
   ついに人間を誕生させた、という風に、
   宗教学者たちの一部は、考えているんだ。

   だから、神はやっぱりいるんじゃないか、と。

   しかし、もちろん、
   科学的に、
   この「段階的な種の進化」を説明する方法も、ある。
 
   例えば、「二つの偶然が同時に起こった仮説」
   というもの。

美咲 ??

先生 例えば、
   ある魚が、陸上に住む爬虫類に進化するためには、

   突然変異を起こして、
   「水かきを足に変化させ」地面を這いまわれるようになる、
   とともに、
   「陸上で呼吸する」ための変異も、
   『偶然、同時に』起きないといけない。

   片方だけでは、意味がない。

   この二つの突然変異が、同時に生じる確率は非常に低いため、
   とても長い時間の中で、二つが偶然に重なった瞬間、
   そこから、一気に生物の進化が進み、
   種の種類もドバッと増える、というもの。

美咲 なるほどー

先生 今のは、あくまで「例(たと)え」で、
   実際に、カンブリア爆発の時に起こったことは、
   その時期、海底火山の噴火が続いたため、
   海水中の「リン酸塩」の含量が増えた。

   そのリン酸塩を、効率よく利用できるようになる
   二つの突然変異が、偶然重なったため、
   進化が急速に進み、
   生命の大発生が起こったと言われている。

   ちなみに「リン酸塩」は、

   第一に、
   「細胞膜」などを作るのに必要な最も重要な栄養素の一つであり、
   それを効率的に利用できる突然変異が起きれば、
   自身の増殖などをおこなう時に、かなり有利になる。

   第二に、
   このカンブリア爆発の頃までは、海綿などの軟体動物だけだったのだが、
   この後から、急に、
   虫のように「外骨格」を持つ生物と、
   魚のように「内骨格」を持つ生物が、ともに誕生した。
   つまり、海水中に増えたリン酸塩を使って、
   それをカルシウムと結合させ、「リン酸カルシウム」、
   すなわち、「骨」
   を作る生物が生まれたんだ。

   こうして生物は、「リン酸塩」を効率的に使う、
   二つの突然変異を同時に起こしたことで、
   急速に多様化が始まったんだと考えられている。

   ともかく、
   『偶然が、二つ以上、重なる』ことが、
   生命の「段階的進化」には必要だった可能性がある。

   で、この偶然が、必然的に起こったのか、
   あるいは、神様が起こしたのか、という、
   切りのない、どうどう巡りの議論も存在する。

美咲 うーーん


・・・

第十節 永遠に実験好きの科学者


先生 さて、次の議論は、
   神様の正体の一つの可能性が、
   「宇宙人の科学者」というもの。

美咲 宇宙人?

先生 ただしそれは、「人」の形をしてはおらず、
   寿命が少なくとも100億年以上ある存在。

   一つの可能性としては、
   コンピューターのようなもので、
   自分自身の部品が古くなった場合、
   部品を交換することで、永久に稼働を続けられる
   「永久思考回路」。

美咲 永久思考回路?

先生 そうそう。
   好奇心だけを持つ、思考回路。

   あるいは、
   ある実験をする命令をプログラムされた思考回路。

美咲 あはは。
   ほんとですか?

先生 あくまでフィクション、または可能性の話しだ。

   ともかく、
   まずは、ビックバンを起こし、
   数十億年して、太陽と惑星が生まれてきたら、
   そのうち、生物が住めそうな水のある惑星たちに、
   かたっぱしから、

   最初の生命のもとになる、
   蛋白質(あるいはアミノ酸)と、

   最初の遺伝子のもとになる、
   リボ核酸(RNA)を、隕石等に乗せて送りこむ。

   そして、数億年待つ。

   「今度は、どんな知的生命体が誕生するかなぁ」
   と考えながら。

   爬虫類の恐竜がずっと続いたケースもあれば、
   イルカの脳味噌が巨大発達したケースもあった。

   そして、今回の「実験」では、
   たまたま、木から降りた『変な猿』が・・

美咲 人間に進化した!

先生 そういうことだ。


・・・

第十一節 あやふやなもの


先生 このあたりで、一度、最初の話しに戻そう。

   いろいろな神の側面があるが、
   基本は、最初に話した通り。

美咲 神はいることも、いないことも、
   科学的には証明されていないから、
   どちらかわからない、ということですね?

先生 そうそう。

   で、ここで重要なのが、二つある。

   一つは、
   いるかいないかわからないものとしては、
   神様、幽霊、宇宙人、ネッシー(ネス湖の恐竜)など、
   現代の世の中でも、いっぱいある。

   だから、
   もしも、いるかいないかわからないものを
   現代社会が認めてしまう、などということをしたら、
   世の中は、とんでもないことになる。

   例えば、殺人事件が起こった時に、
   「あれは、宇宙人が殺したんだ」とか、
   「あいつは神様に殺されたんだ」とか、
   そういう「へ理屈」がまかりとおったら、
   『社会の秩序』が維持できない。

   だから、
   「いるかいないかわからないものは、
    原則として、いないと考える」
   のが、現代社会としては妥当だ、ということ。

   「法の秩序」を守るためだ。

美咲 はい。それはそうですよね。
   殺人事件の犯人・神様説があったら、笑っちゃいます(笑)。

先生 ところが、
   これだけ科学が発達し、
   ダーウィンの進化論や、
   ビックバンの解明がなされてきても、
   世界人口の約70%が、なんらかの宗教を信じている、
   と言われている。

   ま、実際は、本当に敬虔な信者は、その半分の
   35%ぐらいだと思うが、
   それにしても、20億人ぐらいが神を信じてるわけだ。

   彼らは、自分の持つ宗教なりに、
   神様を漠然と「定義」し、
   その集団の中では、疑うことをしない、
   という方法で神の存在を認めている。

   この『事実』を、どう考えるか、ということ。

美咲 ??

先生 「神がいるかどうか」を議論することなど問題ではなく、
   神はいると信じ、それを信じる人が、
   たくさんいる、という『事実』のほうが、
   『重い』可能性がある。

   『重い』というのは、人間として、
   (おそらくは、幸せになるために)

   「真実を追求する姿勢」よりも、
   「信仰を持つ姿勢」のほうが、
   より大切だ、と考えている人が、世界には多い、
   ということ。

美咲 へえー

   日本人の、私の周りには、
   宗教のある人、あまりいないですけど、
   他の国では多いんですね。

先生 そうゆうこと。


・・・

第十二節 信仰


先生 と、いうわけで、次は
   「信仰とは何か?」だ。

美咲 信仰、ですか。
   あまり使わない言葉ですよね。

先生 そうだね。
   信仰とは、どちらかというと、
   宗教を信じている方が使うことが多い単語だ。
   「信仰が大切」などという風に使われる。

   宗教を信じていない人が多い日本では、
   あまり使われない表現。

美咲 で、信仰とは?

先生 なんだと思う?

美咲 神様か仏様を信じることじゃないんですか?

先生 ふむ。
   一般的には、そうだ。

   しかし、それは「信仰の核心」ではない。

   信仰の本質は、おそらく、
   『証拠ぬきに確信すること』だ。

美咲 ふうーーん。?

先生 例えば、
   ヒヨコが産まれた時に、
   動いているオモチャの列車を見せると、
   ヒヨコは「母親だ」と確信してついていく。

   人間も同じだ。
   異性を見た時に、
   「この人は運命の人だ」
   と思って一目ぼれすることがある。

   このように
   人間に限らず、動物の脳味噌には、
   「本能的に、こいつは味方だ」と直感し、
   それを確信する、という性質があるんだ。
   (それが正しいかどうかは別にして。)

   また、
   生まれてからずっと、
   まわりにいる家族や近所の人が、
   毎週お祈りを捧げている姿を見続けた場合、
   その祈りの対象(神)の存在を、
   (潜在意識的に)確信してゆく人もいるだろう。

   さらには、
   人生について、とっても悩んでいる時に、
   誰かから聞いた言葉や思想が、
   心の奥深くまで入り込み、
   一気に確信してしまうケースもあるだろう。

美咲 でも、あまり悩んでいなさそうな人で、
   宗教を信じている人、わたし、知ってますけど。

先生 もちろん、悩みを持っていた人だけが、
   信仰を持つわけではないよ。

   信仰には、もう一つの側面がある。

   それは、えてして、
   『直感的な確信は、
    その人にとって最も大切な真理へ導くことがある』、
   という話。

美咲 へえー。
   最も大切な心理?

先生 例えば、
   仏教という宗教には、
   『諸行無常』(しょぎょうむじょう)という概念がある。

   形あるものは必ず壊れ、
   生あるものは必ず死ぬ。

   万物は、同じ状態で続いてゆくことは決してなく、
   常に、その形を変化させてゆく。

   というもの。
   まさに、真理だ。

美咲 それ、中学校の教科書に載ってました。
   平家物語の冒頭だったかな。

先生 そうそう。

   で、
   仏教には、上記のような普遍的な真理が説かれているが、
   釈迦が生きていた紀元前400年頃には、
   まだ科学が全く発達していなかったため、
   教義や、世界の理解の仕方に、
   いろいろおかしい部分がある。

   例えば、殺生(せっしょう)はいけないといって、
   虫を踏まない命令を出したりしたが、
   実際、世の中には微生物があふれているので、
   それらを踏まない(殺さない)ことは不可能なことなど。

   しかし、そんな細かいことは、ともかく、
   上述の「諸行無常」などの概念が、
   その人にとって最も大切な真理であった場合、
   「細かいことには目をつぶって、理由なく確信する」
   という生き方があっても、いいのではないか、
   と私は思う。

美咲 なるほどです。

先生 キリスト教も同じ。
   「なんじの隣人を愛せ」など、
   人間の生き方の上で、参考になることを言っている一方、
   聖書に書いてある内容は、
   「詩」のような難解な文体が多く、
   それを理解することは極めて困難であり、このため、
   キリスト教の数百ある教派によって、
   まったく解釈が異なっている部分も多々ある。

   しかし、
   そうした細かい部分に目をつぶり、
   ともかく、その教義の中で、
   心の奥底まで、いきなり突き刺さってきた、
   自分にとって最も大切な「思想」、
   すなわち(その人にとっての)「真理」を、
   無条件で理由なく信じること、確信することが、
   信仰の根幹だと思う。

美咲 最も大切な部分が、自分の心にぴったりくれば、
   それ以外の、細かいことには目をつぶれ、
   ということですね。

   ・・もしかすると、その人は、
   無意識的に、
   都合の悪い部分は、見ていないのかもしれない??

先生 多分、そうだね。

   で、信仰に対する、私のこのような解釈が、
   正しいかどうかは別にして、

   「信仰を持つ人の方が、おそらく幸せだ」

   ということは言えると思う。
   少なくとも、その人本人は、信仰があった方が幸せ。

   なぜなら、
   「もっとも大切な真理」を、
   心の中に常に持っており、揺るぎないのだから。

美咲 そっかー、
   じゃあやっぱり、神様を信じた方がいいんですか?

先生 いや。
   問題は、自分だけ幸せになりたいなら、
   信仰をした方がいいんだけど、
   信仰を持つことは、
   まわりに問題を起こす場合もあるんだ。

   一番典型的な例は、
   キリスト教とイスラム教との戦いだ。
   11世紀から13世紀まで、十字軍等による、
   8度にもおよぶ戦争が起こった。

   どちらにも、正義はなかった。

   信仰を持つ、ということは、
   他の信仰を持つ人や、信仰を持たない人との間に、
   ある種の「壁」ができてしまい、
   理解しあえない状態に陥る危険性がある。

美咲 うー・・
   やっぱり、やばいかも?

先生 ともかく、話しを戻そう。
   
   神の定義と証明の話しに戻るけど、
   信仰をする人にとっては、

   神の定義は、おそらく、
   自分にとって最も大切な真理を与えてくれる存在、
   であり、

   その証明方法は、
   直感的に、証拠なしに確信する、
   という方法で存在を肯定している、とういことだ。

   また、ある程度、信者の多い宗教の場合、
   その集団においては「社会的に」神は存在する。

美咲 納得です。


・・・

第十三節 論じる人たち


先生 ここで気が付くのが、
   自分で議論しておいて言うのもなんだけど、

   神がいる、神がいない、ということを
   議論しようとする人は、
   どういう種類の人間か、ということ。

美咲 つ、つまり?

先生 神がいるかいないか、議論しようという人は、
   多くの場合、
   始めから「神の存在を疑っている」ケースがほとんど。

   さっき言ったように、
   信仰を持っている人は、
   (悪い意味ではなく)それを疑いもせず、

   自分が真理を得て幸せになるために、
   または、
   社会全体がその方が幸せになると信じて、
   信仰の道を選択している、ということ。

   だから、信仰を持つ人は、
   「神がいる、いない」ということを
   始めから議論したりはしない。

美咲 それは、そうですね。

先生 逆に、それを議論しようとする人は、
   神などいない、という可能性が、
   少なくとも50%以上あると考えているはずで、

   また、同時に、
   最初に書いた通り、
   「悪魔の証明」はできないため、
   「神がいない」ことも科学的には証明できないことを、
   知っているはずだ。

美咲 ・・

先生 では、どうして、この議論をしているのだろう?


・・・

最終節 サンタクロースの真相


先生 あなたは、なぜ私に、
   「神様は、いるんですか?」
   という質問をしましたか?

美咲 あ、あの、単純に、知りたかったからです。

先生 そうだよね。

   ええと、覚えているかな?

   この、神様の説明を始める前に、
   私は最初にきいたよね?

   「サンタクロースはいると思うかい?」と。

美咲 はい。覚えてます。

先生 君は、「いいえ」と言った。

美咲 ・・はい。

先生 もしも、君がサンタクロースは「いる」と信じていて、
   全く疑っていなければ、
   それが、いるとかいないとかの議論をしようなどとは、
   始めから思わないはずだ。

   そして、その結果、
   あなたの頭の中にある
   自分のサンタクロースの「定義」のもとで、
   サンタクロースは存在することができる。

   例えば、
   「12月24日の夜、大きな靴下をぶら下げておくと、
    翌朝までに、その中にプレゼントを入れて置いてくれる、
    不思議な人」
   というのが定義だとする。

   で、実際、それをおこなっていたのが、
   貴方のお父さんかお母さんだったとしても、
   別に、その「定義」は、揺るがない。

   (サンタクロースは否定されることには、ならない。)

   サンタクロースは、実在したのだ。
   もしも、あなたがそれを全く疑わず、信じてさえいれば。

美咲 ・・

先生 結局、
   神様がいるかいないか、という議論の答えは、
   おそらく、同じ性質のものだ。

   いるいないの議論など、しようとさえ考えず、
   「信仰をすることが、自他の幸せにつながる」
   ことを『確信』している人にとっては、

   その人が信じる(神の)「定義」のもと、
   神は存在するのだと思う。

   この場合、始めから『確信』しているのだから、
   「証明」など必要ない。

美咲 ・・うん

先生 一方、神がいるかいないかを議論しようという人は、
   「定義」や「証明」の方法を巡って、
   延々と議論を続けるだけだ。

   果てしのない、終わりのない議論なのに。
   まさに、今の、我々のように、ね。

美咲 あは

先生 こうした議論を続けている人の頭の中では、
   神の「定義」すら、揺らいでいるのだから、
   もはや、「絶対的な神」など、いるはずがない。

   別な言い方をするならば、

   「真実を知りたい」という好奇心をとるか、
   「信仰をする」という道をとるか、

   という二つの選択肢があり、

   どちらが人間の幸せにつながるか、
   どちらが自他の幸せにつながると、

   思うか?

   という話しだ。


   ・・さて、君は、どっちをとるかい?

美咲 あ、あたしは、・・多分