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本日、2010年12月10日は、
中国で民主化を主導した劉暁波の
ノーベル平和賞受賞式だが、

本人は投獄中、妻などの家族も軟禁状態のため、
ノルウェーでの授賞式には誰も出席できない状況。

その是非を問う。

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ノーベル平和賞

ノーベル平和賞とはノーベル賞5部門のうちの一つ。他部門の授与主体がスウェーデンであるのに対し平和賞はノルウェーが担当。選考はノルウェー国会が任命する委員会(5人)。各国に推薦依頼状を送り推薦された候補者から選考。人権・民主化活動家など母国で政治犯とされている人物が受賞する事も多い

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劉暁波

ノルウェーのノーベル賞委員会は2010年のノーベル平和賞を、中国共産党による一党独裁の見直しや言論・宗教の自由などを求めた「08憲章」を起草した中国人人権活動家で作家・詩人の劉暁波(リウ・シアオ・ポー)氏(54歳)に授与すると発表。「中国での基本的人権を求める非暴力の闘い」を評価

劉暁波(りゅう ぎょうは1955年生)は中国の文芸家。1988年北京師範大学で文芸学博士取得。同年ノルウェーとアメリカの大学で中国文学・政治を教える。1989年中国民主化運動に参加、6月4日の天安門事件で投獄。2008年言論の自由を求める零八憲章の発表直前に拘束。懲役11年の判決

劉暁波のノーベル平和賞受賞に対し中国政府は猛反発。中国外務省は「劉暁波は中国の法律を犯し中国の司法機関が懲役刑を科した罪人。罪人に同賞を与えることは賞の趣旨に背き、これを汚すものだ。中国とノルウェーの関係も損なう」。中国在住の中国人がノーベル賞を受けるのは自然科学系も含めて初めて

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民主化?

ノーベル平和賞と民主化。1989年ダライ・ラマ14世(中国)1990年ミハイル・ゴルバチョフ(ソ連)1991年アウンサンスーチー(ミャンマー)1993年ネルソン・マンデラ、フレデリック・デクラーク(南ア)2003年シーリーン・エバーディー(イラン、女性)2010年劉暁波(中国)

「自国の監獄にいる人にノーベル平和賞が与えられたのは3回目。1)ドイツのナチス政権に反対して投獄されたカール・フォン・オシエツキー、2)ミャンマーのアウンサン・スー・チー、3)中国民主化の劉暁波。ノルウェーのノーベル平和賞委員会は「中国はナチスやミャンマーのような極悪と一緒だ」と

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中国の反発

ノルウェーで2010年12月に開かれるノーベル平和賞授賞式に、日本や欧米など44カ国が出席する一方、中国など19カ国が欠席。異例の多さ。中国の反体制作家、劉暁波の授賞に強い不満を表明していた中国は「授賞式に参加する国は相応の結果がもたらされることになる」と各国に出席しないよう警告

劉暁波ノーベル平和賞授賞式に日本や欧米等44カ国が出席。欠席は中国など19カ国。アフガニスタン、イラク、イラン、ウクライナ、エジプト、カザフスタン、キューバ、コロンビア、サウジアラビア、スーダン、セルビア、チュニジア、パキスタン、フィリピン、ベトナム、ベネズエラ、モロッコ、ロシア

国連総会第3 委員会・北朝鮮人権状況(拉致等の非難)決議に反対した18カ国は、中国,北朝鮮,マレーシア,ミャンマー,ベトナム,キューバ,ベネズエラ,ベラルーシ,ロシア,ウズベキスタン,アルジェリア,エジプト,イラン,オマーン, スーダン, シリア, リビア, ジンバブエ

社会主義国体制で政治運営されている国は、1)ソ連型社会主義。中国、北朝鮮、ベトナム、ラオス、キューバ。2)現政権が社会主義的な諸政策を実施。ベネズエラ、ニカラグア、ボリビア、エクアドル、リビア、ネパール。3)共産党が政権を握るが社会主義ではない国。モルドバ、キプロス、サンマリノ等

悪の枢軸(axis of evil) とは、2001年にアメリカのブッシュ大統領が、北朝鮮、イラン、イラク。2005年ライス国務長官が、イラン、北朝鮮、キューバ、ミャンマー、ベラルーシ、ジンバブエ。2008年イスラエルのオルメルト首相が、北朝鮮、イラン、シリア、ヒズボラ、ハマース

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孔子平和賞

獄中の劉暁波のノーベル平和賞授賞式の前に中国が独自の「孔子平和賞」を創設し最初の受賞者に台湾の連戦・元副総統。中台関係の改善を進めたのが理由とされるが連戦は授賞について「いっさい知らない」。1935年ナチス・ドイツで獄中のオシエツキーが受賞した時も対抗して自らの平和賞が創設された

連戦(1936年生)は台湾の政治家。中華民国行政院長(首相)、中国国民党主席などを歴任。2000年から党内ナンバー1となった。元々本省人であり、国民党内の「本土派」。対中接近、国共党間交流を志向。2005年、中国を訪問し胡錦濤中国共産党総書記(国家主席)との会談を60年ぶりに実現

国のようで国でない国、台湾。その複雑な歴史と、現在の難しい立場について、以前、ブログに描きました。 「独立したそうで、実はしたくない国 5309字」 http://bit.ly/f3qAee

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ノーベル平和賞に対する批判

「この20年くらいノーベル平和賞は極めて政治的な色彩を帯びており問題だ。公正な選考ならいいが釈然としないケースが続いている。あまりに政治的に傾斜することはノーベル賞の値打ちを落とすだけではなく様々な問題を起こしかねない。主権国家としての中国が抗議するのは仕方のないこと」 浅田次郎

ノーベル平和賞は極めて政治的な理由で選考されているという批判がある。「民主主義が絶対に正しい」という概念の元、そうでない国を批判する体制が続いており、中国、イランなどが槍玉に。実際はイラク、アフガニスタンをアメリカ型民主主義で統治しようとしてもうまくいかなかったケースもあるのだが

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キング牧師

キング牧師(マーティン・ルーサー・キング・ジュニア1929-1968年)はアメリカのプロテスタントバプテスト派牧師。アメリカ黒人公民権運動の指導者。1964年、ノーベル平和賞受賞者。1955年、黒人が白人にバスの席を譲るのを拒んで逮捕されたローザ・パークス事件をきっかけに活動開始

「私には夢がある。『万人は生まれながらにして平等』という理念が実現される日が来るという夢が。いつか元奴隷の子たちと元奴隷所有者の子たちが、友愛の精神を持ち同じテーブルを囲む日がくるという夢が。私の子どもたち4人が肌の色でなく中身で判断される、そんな国に住むという夢が」 キング牧師

欧米のCSRの歴史、1950~1960年代。アメリカでは南北戦争終結で奴隷制度が廃止されたはずが人種差別が存続。1955年、黒人がバス内で椅子を白人に譲らなかったローザ・パークス事件で公民権運動勃発。1963年キング牧師が「私には夢がある」という有名な演説。翌年ノーベル平和賞受賞

"I Have a Dream"とは1963年キング牧師(マーティン・ルーサー・キング・ジュニア)によって行われた演説の一節。「私には夢がある。いつの日かジョージア州の赤い丘の上で、かつての奴隷の子達と、かつての奴隷の所有者達の子達が、兄弟愛でつながり、同じテーブルにつけること」

マルコムX(Malcolm X、1925-1965年)はアメリカの黒人公民権運動活動家。旧名はマルコム・アール・リトル。非暴力的な指導者だったキング牧師とは対照的にアメリカで最も攻撃的な黒人解放指導者。「ネーション・オブ・イスラム教団」のスポークスマンだったが後年対立し暗殺される

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ダライ・ラマ

ダライ・ラマ14世。1935年生。インドに基礎を置くチベット亡命政府の長。法名はテンジン・ギャツォ。1940年から在位。1950年に中国の人民解放軍がチベット制圧。1956年からチベット動乱(抗中独立運動)。1958年チベット臨時政府樹立。1989年ノーベル平和賞受賞。中国は無視

1989年、ダライ・ラマ14世がノーベル平和賞を受賞した時、当時、今よりもさらに『左』(左翼的)だった朝日新聞は、その社説において、「チベットの緊張を高めるおそれさえある。そうなれば『平和賞』の名が泣こう」とノーベル賞を批判し中国を支持した。が、ソ連崩壊後、同紙はよりどころを失う

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ムハマド・ユヌス

バングラディシュのムハマド・ユヌスが主催するグラミン銀行のマイクロ・クレジット(無担保・低利率での貧困層への少額貸付)はよく知られているが、アメリカのFlannery夫妻による「KIVA」(キーバ)のマイクロファイナンスも有名。 Kiva http://www.kiva.org/

ノーベル平和賞を受賞したグラミン銀行のムハマド・ユヌスはフランスの飲料水メーカー「ダノン」や、同じくフランスの水道関連企業「ベオリア」など、世界のさまざまな企業と組んでソーシャルビジネスを展開。ベオリアとグラミン銀行は合弁事業を作りバングラデシュの貧困層に「安全な水」を届ける事業

カジュアル衣料品店「ユニクロ」を展開するファーストリテイリングは(マイクロクレジットで)ノーベル平和賞を受賞したムハマド・ユヌスのグラミン銀行と合弁会社を設立。バングラデシュで貧困削減に取り組む「ソーシャルビジネス」(社会的事業)を開始。同社はバングラデシュに既に工場を持っている

ノーベル平和賞を受賞したムハマド・ユヌスの講演が先日都内であったのだが300人以上の満員で入れず残念。「マイクロ・クレジット」(貧しい人に事業開始の資金を貸すこと)はバングラデシュではうまくいったがアフリカなどの他国では全くうまくいかない。その理由を創始者にきいてみたかったのだが

「グローバル・ゼロ」宣言とは、世界の有識者およそ百人が2008年12月9日フランス・パリで核兵器の廃絶を目指すために創設した新たな運動。目標の日程までに核兵器を廃絶するため、検証可能で拘束力を伴う合意を呼びかける。ミハイル・ゴルバチョフ、ジミー・カーター、ムハマド・ユヌス等が署名

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アウン・サン・スー・チー

ミャンマー(ビルマ)軍事政権は2010年11月、ノーベル平和賞受賞者で民主化運動指導者のアウン・サン・スー・チー(65歳)の自宅軟禁を解除。3度目の拘束が始まった2003年5月以来、約7年半ぶりに解放。民主化運動の象徴として今も強い影響力を持つスー・チーの今後の行動が注目される。

軍事政権下のミャンマー(ビルマ)で民主化運動指導者アウン・サン・スー・チー(65)の自宅軟禁期限とされていたのが、2010年11月13日。11月7日に20年ぶりに実施された総選挙で、圧勝を宣言した軍政だが、国内最大の民主化勢力「国民民主連盟(NLD)」を率いるスー・チーは今も脅威

ミャンマー(ビルマ)は年内に選挙を予定しているがスーチーさんの国民民主連盟(NLD)が解党させられた。選挙に出ないことで選挙の非民主的やり方を批判しようという元NLD幹部と、選挙に出られなければ意味がないとする幹部が分裂。後者が「国民民主勢力(NDF)」を設立。軍事政権の思うつぼ

ミャンマーで2010年11月7日20年ぶりの総選挙。軍事政権側は選挙戦を優位に進めており多数を確保するのは確実。民主化勢力側はアウン・サン・スー・チーさん率いる国民民主連盟(NLD)はボイコットする方針。それから分裂してできた国民民主勢力(NDF)は選挙に参加するが過半数とれない

ミャンマー(ビルマ)のアウンサンスーチーが軟禁中の自宅で65歳に。彼女はオクスフォード大を卒業後(国際協力で有名な)ロンドン大学東洋アフリカ研究学院(SOAS)で助手をし、国連本部に勤務。1988年頃から帰国し民主化運動を。1990年、総選挙で勝利したが軍事政権は権力の委譲を拒否

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歴代のノーベル平和賞受賞者

カール・フォン・オシエツキー(1889-1938年)とはドイツの記者。反戦運動を展開し、1931年ドイツの軍がヴェルサイユ条約に違反して、軍備を拡張していることを暴いたため反逆罪で投獄。1935年、欧州諸国はナチス・ドイツを非難し弱体化させるため、投獄中の彼にノーベル平和賞を授与

南アフリカ共和国の別名は「虹の国」。1950年アパルトヘイトが実施されたが、ネルソン・マンデラは抵抗していた黒人たちの武装を解除し、白人の罪を許し両者が対話する道を作った。1993年ノーベル平和賞。1996年11の言語を公用語にする全民族融和の国 ”rainbow nation"

マイレッド・コリガン=マグワイア。1944年イギリスの北アイルランドに生まれる。妹の子ども3人がアイルランド共和軍(IRA)の車に轢き殺されて以来、平和活動家に。「暴力を終わらせる最も効率的な方法は暴力ではなく再教育だ」が信念。ベティ・ウィリアムズとともに1976年ノーベル平和賞

ジョディ・ウィリアムズは、1950年生のアメリカ人。NGO地雷禁止国際キャンペーン(International Campaign to Ban Landmines,ICBL)初代コーディネーター。オタワ条約(対人地雷全面禁止条約)を実現。1997年ICBLと共にノーベル平和賞受賞

シーリーン・エバーディーとは、1947年生の、イランの弁護士。人権活動と民主化運動を行う。イスラム法の元で女性や子供の地位が制限されていることを訴え、現代の人権思想に適合した法改正を要請。2003年ノーベル平和賞を受賞。ノーベル賞を受賞した最初のイラン人で、最初の女性イスラム教徒

国際原子力機関(International Atomic Energy Agency,IAEA)。原子力の平和利用と軍事転用防止のための国際機関。2005年ノーベル平和賞をエルバラダイ事務局長と共に受賞。1953年米大統領アイゼンハワーの「平和のための核」演説により1957年創設

ウィキリークスが公表した米外交公電。国際原子力機関(IAEA)の天野之弥事務局長が2009年の就任直前、「重要な決定で常に米国側に立つ。幹部の人事案件からイランの核兵器開発疑惑への対応まですべての重要な戦略的決定で米側に立つ」と、米国の駐ウィーン国際機関代表部大使に述べていた。

事実上の核保有国であるイスラエルの核問題を巡り、アラブ諸国がイスラエルに対し核不拡散条約(NPT)加盟などを迫る決議案を国際原子力機関(IAEA)に提出。2010年9月のIAEA年次総会で採択を目指した。イランやシリアが批判されているのにイスラエルが黙認されているのは不公平と主張

IPCCとは、気候変動に関する政府間パネル (Intergovernmental Panel on Climate Change) 。1988年に創設された地球温暖化についての調査機関で約5年ごとに報告を作成。130ヵ国以上から800名以上の科学者が協力。2007年ノーベル平和賞

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2010年ノーベル平和賞受賞者世界サミット

歴代のノーベル平和賞受賞者が集い平和や人権などの世界的課題や暴力のない世界に向けた具体的提言などについて議論する「2010年ノーベル平和賞受賞者世界サミット」が、11月、広島で開催。テーマは、「ヒロシマの遺産:核兵器のない世界」。ダライ・ラマ等が出席。ゴルバチョフは体調不良で欠席

チベット仏教の最高指導者ダライ・ラマ14世ら歴代のノーベル平和賞受賞者が集まり「核兵器のない世界」をテーマに討議する第11回「ノーベル平和賞受賞者世界サミット」が2010年11月、広島で開催。日本での開催は初めて。受賞者6人と13団体が参加。核兵器廃絶に向けた国際社会の努力を提唱

2010年ノーベル平和賞受賞者世界サミット参加6人。マイレッド・コリガン・マグワイア(北アイルランド)、ダライ・ラマ14世(中国)、フレデリック・デクラーク(南アフリカ)、ジョディ・ウィリアムズ(アメリカ)、シーリーン・エバーディー(イラン)、ムハンマド・エルバラダイ(エジプト)

広島で2010年11月に開催されたノーベル平和賞受賞者サミットで、イタリアの元サッカー選手、ロベルト・バッジョが平和サミット賞受賞。2002年から国連食糧農業機関(FAO)の親善大使。2004年の現役引退後、ミャンマーのアウン・サン・スー・チー解放運動支援、ハイチなどの被災地支援

2010年ノーベル平和賞受賞者世界サミットで、デクラーク元南アフリカ大統領は、「一時は核兵器を持っていたが、その核兵器を解体して放棄した国の元大統領として、ここに立っている。多くの国が核兵器を持とうとしている根本的な原因がなぜなのかを探らずに、廃棄だけを呼びかけても無駄。」と主張

2010年ノーベル平和賞受賞者世界サミットで、エルバラダイ前国際原子力機関(IAEA)事務局長は「たった一つの原子爆弾で7万人が亡くなり14万人が火傷や放射能で死亡した。冷戦終結後も2万3千以上の核弾頭が残っている。核廃絶だけでなく核兵器を持とうとする原因を一掃しないといけない」