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政府系の国際協力に興味のある、
20歳代前後の方は、是非、お読みください。

しかし、長いので、目次を作りました。


目次:

前半:

第一節 はじめに、注目すべき理由
第二節 簡略化した年表
第三節 ODAの概要
第四節 訴訟の始まり
第五節 案件発掘をしたのは、日本企業
第6節 円借款を担当してきた組織の変遷
第7節 被告(訴えられたの)は、誰か?
第8節 日本企業による環境評価の『改訂(改竄?)』
第9節 客観的な事実関係の歴史
第10節 円借款の際の、二つの契約
第11節 円借款の発動と、ダムによる被害
第12節 利権と、開発独裁

後半:

第13節 ODAの目的、世界の潮流による変遷
第14節 地元NGOと、日本のNGO
第15節 国際協力における、環境問題への配慮の潮流
第16節 裁判における、住民の要求
第17節 裁判の判決、外交
第18節 裁判の判決、損害賠償
第19節 注意義務があるか?
第20節 注意義務違反があるか?
第21節 疑問その1.現地調査を本当にしたか?
第22節 疑問その2.環境ガイドラインの法的根拠
第23節 疑問その3.日本企業が案件発掘した事実
第24節 最後に


・・・

第一節 はじめに、注目すべき理由


インドネシアの住民が、
日本政府とJICA(国際協力機構)を提訴した
「コトパンジャンダム訴訟」は、
将来、国際協力に関わりたい人にとって、
以下の点から、注目すべき事件である。

1.
日本政府とJICAが、
ODA(政府開発援助)関連の事業による結果(失態?)で、
途上国(インドネシア)の現地住民から訴えられた
『前代未聞、初めての事例』
であること。

2.
インドネシア住民らの原告が要求した、
賠償責任の金額が、
『約420億円』と、
通常の日本の裁判としても、かなり高額な部類に入ること。

3.
しかも、仮にも
インドネシアの住民が、
『わざわざ日本までやってきて』、
東京地裁(東京地方裁判所)で提訴したこと。

(インドネシア国内では敗訴したためだが。)

4.
提訴したインドネシア住民(原告)の人数は
『8000人を超えて』おり、
建設されたダムの周辺に住んでいた
(子どもを除く)大人のほぼ全員であること。

5.
提訴された内容は、深刻で、
日本のODAによって建設されたコトパンジャンダムは、

インドネシア住民に対し、
重大な環境問題と社会問題を起こし、

以下の、
『4つの破壊』を起こした。

(1)人権破壊(政府による暴力的強制移住、脅して同意書にサイン)
(2)生活破壊(移住先での収入源なし、補償金少額)
(3)文化破壊(イスラム共同体及びミナンカバウ民族文化消失)
(4)自然破壊(スマトラ象・虎・バクが死滅、マラリア発生増加)

6.
通常、外務省やJICAなどが行う、
ODA(政府開発援助)に含まれる援助は、
贈与(無償資金援助)、貸付(円借款)、技術協力などがあるが、
いずれも、

(途上国政府側と、日本政府側の、両方にとっての)
『外交上の秘密』のため、
一般市民には、(その内容が一切)公開されない。

しかし、この
「コトパンジャンダム」の一件は、
幸か不幸か、
インドネシア住民が提訴し、問題が起きたために、
外務省やJICAが、
ふだん秘密裏のもとに行っている外交上のやりとりが、
裁判所という場所で、白日のもとにさらされた、
初めての事件だ、ということである。

つまり、
日本政府やJICAによるODAが、
どのように、ひどいのか、
あるいは逆に、
どのように、素晴らしいことを普段からやっているのか、
を、
これまで我々は、全く知る機会すらなかった、
ということである。

(ちなみに、これが、本当の問題である。
 要するに、透明性がないこと。
 第三者機関による監査さえできない状況が、
 いまだに続いていること。
 詳細は、後述。)

ちなみに、
ダム建設などの、大規模な自然破壊、住民移転などが
生じる可能性があるプロジェクトの場合は、
(国際機関の世界銀行であれ、政府機関のJICAであれ)
事前に、「環境調査・環境評価」を行い、
もしも、あまりに環境上・社会上の問題を生じそうな場合、
プロジェクトは中止になる。
(実際の事例もあり、後述する。)

で、もちろん、
このコトパンジャンダム建設の前にも、
JICAなどが、事前の環境調査を行っているのだが、

それが
「適切であったか?」
「必要十分であったか?」
「日本企業の利権のために、歪んだ報告書が作られていないか?」
ということなども問題になっている。

7.
そもそも、日本政府がおこなう
ODA(政府開発援助)というものは、
日本国の税金を使って行っているため、
『日本の利益』のために行われる。

(日本の利益とは、一般に、
 日本の『大企業』の利益のことである。)

途上国が開発されて経済発展してゆく、、
ということは二次的な結果であり、

一義的な目的は、
「日本企業が途上国や新興国に経済活動の場所を広げ、
 より多くの利益を得られるようになること」
であり、これがODAの本質と言っても過言ではなかろう。

「日本企業が、経済活動の場所を広げる」ということの意味は、

(1)(石油、レアメタル、レアアース等の)資源の獲得、
(2)(安い人件費で現地の工場で働かせる)労働力の獲得、
(3)(経済発展すれば上海のように)販売する市場の獲得、
(4)(インドなどの広大な新興国での)インフラ事業の獲得、

などもできる、ということである。

ただ、その結果として、
途上国も経済的に豊かになり、
いわゆる「ウィン・ウィン」(相互利益)の関係になれば、
まあ、良いのだが、

もしも途上国側で、
(開発のために)環境破壊や人権侵害が行われた場合、
(仮にも)
『国際協力もしくは援助』という大義名分を銘打っている
国の事業としては、『まずいだろう』、
と、思うか思わないか、という
倫理的問題も入ってくる。

8.
ただ、最初に結論を書いておくが、

原則としてODAは、
途上国側が、日本政府に対して
「こういう事業をしたいので、お金を出して下さい」
と、お願いをしてきたので、
それに対して、日本政府やJICAが、
「お金を出してあげている」、
「技術協力を、やってあげている」、
という形をとっている。

今回の形も、
公式な(国と国との書類上は)

インドネシア政府側が、日本政府側に、
「ダムを作りたいので、お金を出して下さい」
と言ったことになっている。

(実際は、日本企業による事前の計画の「仕込み」があって、
 インドネシア政府に、そのように言わせていたのだが、
 国と国との間の、公式の書類上はそうなっている、
 ということ。)

このため、ダム建設で環境や住民に問題が生じたところで、
一義的な責任は、インドネシア政府にあるわけで、

日本政府も、JICAも、
「頼まれたから、やっただけだよ。」
という言い訳が通用することになる。

で、実際、どうなったかというと、
2009年9月に下された、東京地裁の判決は、
(インドネシアの8000人の住民の)
原告の提訴をしりぞけ、
「インドネシアの内政上の問題」として、
敗訴、となっている。

が、
インドネシア原住民らを応援している
現地NGOおよび日本のNGOや弁護士らは、
それでおさまりがつかず、現在、
『上告』中である。

高裁、最高裁で、どうなるかは、不明だが、
上記した理由で、原告が勝つことは難しいと、
私は思っている。


・・・

以上が、主な概要と論点であり、
以下は、詳しく知りたい人のために
記述したものである。

(私の主観や、原告の主観などを入れない、
 裁判所の認定した『事実関係』だけの
 年表も、間に挿入してある。
 ODAに詳しい人は、
 そこだけ見れば、概要がわかるはずだ。)

では、以下、冗長になるかもしれないが、
「コトパンジャン・ダム裁判」の一件である。

冗長になる理由は、
ODAとは、極めて複雑な構造(と歴史的流れ)のもとに
運営されている事業(?)であり、
その背景を説明しないと、
今回のコトパンジャンダムの一件を、
一般の人は、理解できないだろう、と思うからである。


・・・
・・・

第二節 簡略化した年表


概要


コトパンジャンダムは、
日本のODA(政府開発援助)の内の
円借款(貸し付け、有償資金援助)により、
インドネシアのスマトラ島に作られたダム、である。

現在既に稼働している。

・・・

まずは、
「コトパンジャン・ダム建設の簡略化した年表」
を紹介する。

最初に、
事件全体の概要を、知ってもらうためだ。


1979年、日本企業の東電設計が、案件発掘。
1981年、インドネシア政府は、JICA(当時)に
 実現可能性調査(F/S)を依頼。

1987年、東電設計は、
 アングラス大学の行った環境影響評価報告書(EIA)を
 リアウ大学に頼んで『改訂』。

1990年、日本政府は、125億円の円借款(貸付)を決定。
さらに、
1991年、日本政府は、175億円の円借款(貸付)を決定。

同年、
海外経済協力基金(OECF、後に現JICAが吸収した組織)
とインドネシア政府は、借款契約(貸付契約)を締結
同年、東電設計がダム工事の建設管理の契約を締結。

1992年、建設開始。
1997年、ダムに湛水(たんすい、水を貯め、水をはること)。
1998年、コトパンジャン・ダムの運用開始。

この頃までに、住民に対する人権侵害や環境破壊をNGO等が報告。

(1)人権破壊
(2)生活破壊
(3)文化破壊
(4)自然破壊

2002年、インドネシア住民、3861人が、東京地裁で、
 日本政府、OECF(現JICA)、東電設計らに対して提訴。

2003年、インドネシア住民、さらに4535人も追加提訴。
 (結局、計8396人のインドネシア住民が原告に。)

 また、インドネシア側の環境系NGOである、
 WALHI(インドネシア環境フォーラム、ワルヒ)も、
 ダムによる環境破壊(動物の死滅等)を巡って、提訴。

2009年、東京地裁の判決で、
 原告(インドネシア住民ら)が敗訴。

現在、上告中。


・・・
・・・

第三節 ODAの概要


政府開発援助(ODA : Official Development Assistance)とは、
以下からなる、日本政府の国家予算の一部のこと。

(以下の金額は、2009年度の一般会計予算より)

1)贈与(無償資金援助) 5449億円

 A)二国間贈与 4607億円

    経済開発等援助(資金援助) 1608億円
    技術協力          2904億円

 B)国際機関への出資拠出 842億円。

2)貸付(有償資金援助、円借款) 1273億円

以上の合計 6722億円

(簡単にいうと、ODAは、
 贈与と、技術協力と、貸付からなる。)

(贈与は、お金と技術協力を含む場合と、
 お金の贈与だけを指す場合があり、
 用語の混乱がみられる。)

(二国間贈与とは、
 途上国政府と、日本政府との間で、契約が交わされた
 お金や技術の授与のこと。)

http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/oda/shiryo/hakusyo.html

余談だが、
日本のODAの額は、徐々に減少中。

2001年度までODAは1兆円を超えていた。
以後徐々に減少し、
2009年度は6722億円。

また、
ODAは四層構造になっており、

1)内閣府の「海外経済協力会議」が全体の戦略を練る。

2)外務省等が各途上国に対し「国別国家戦略」を作る。

3)実施機関となるJICAが、それを統括して実施する。

4)その下請けをするのが、
  開発コンサルタント会社、
  (日本側及び途上国側にある)NGO(非政府組織)、
  大学、地方自治体、商社等の企業など。


・・・
・・・

第四節 訴訟の始まり


コトパンジャン・ダム(コタパンジャン・ダム)とは、

インドネシア・スマトラ島中部、
リアウ州プカンバル郊外に位置する、
水力発電用のダム。

日本のODAにより建設され、1997年に完成した。

地域住民への補償などが満足に行われず、
環境破壊なども起こしたため、訴訟問題に発展した。

これがNGOなどによってアピールされ、
日本国内でも、一時、報道された。

・・・

コトパンジャンダム訴訟は、最初は、

2002年に、3,861名のインドネシア住民
(後に8,000人超に増える)が、
日本政府、国際協力事業団(現JICA)らに
東京地裁で419億円の訴訟をしたもの。

最初の主な訴えは、

1)住民の立ち退き補償が不完全で生活基盤損失。
2)水没する予定でない村がダムの湛水後に冠水。

・・・

現地の住民(8000人以上)が、日本に来て、
日本政府、JICA(国際協力機構)等を相手に訴訟したのは
他に、前例がない。

2009年9月の東京地裁では、原告が敗訴したものの、
その時の判決文を題材に、以下の解説をする。

・・・

ODAの実施機関である、
JICA(国際協力機構)が、
途上国で開発プロジェクトを行う場合、
環境配慮や社会性の配慮に関して、
いったいどういう責任を負うのか?

(あるいは、負う必要はないのか?)

前述したように、(基本的に)
ODAは、途上国から頼まれただけの事業で、
お金や技術を出してあげただけなので、
責任など、始めからないのか?

(そうだ、という人もいる。)

また、
プロジェクトを開始する前に、
環境調査・評価などを、一応、しているものの、

それは形式的なもので、
JICA側に、それによる「判断をする責任」はなく、
すべて途上国政府側に責任があることなのか?

けっこう、微妙な問題(倫理的問題)なので、
みなさんも、自分が裁判官(裁判員?)になったつもりで
考えて頂きたい。

・・・
・・・

第五節 案件発掘をしたのは、日本企業


ダムの設計をしたのは
東電設計コンサルタント。
これは、東京電力の子会社。

ODAは、巨額のお金が動く事業のため、
その事業の案件になりそうなものを、
「案件発掘」して、途上国政府にもちかけ、

途上国政府から、
日本の在外公館(大使館など)を通じて、
日本の外務省などにODAの依頼をさせる、

というのが、
通常、日本企業がおこなっている、
『金儲けの構図』である。

これ自体は、昔も今も、日常的に行われていることなので、
(倫理上はともかく)
法律上は、特に問題はない。

巨額のお金が動く、ODAの案件を作る時、
東電設計などの日本企業は、
その事前の環境調査などの実施とその判断において、
責任があるのか、ないのか?

・・・

補足:
東電設計株式会社(TEPSCO)とは、
東京都台東区東上野に本社を置く、建設コンサルタント会社。
東京電力の子会社。
事業内容は、土木、建築、電気、通信に関するコンサルタント。 
http://www.tepsco.co.jp/

・・・

コトパンジャン・ダムの建設で被害にあった
インドネシアの住民たちは、
ともかく、お金が欲しい。

ダム建設のための強制移住により、
現在、収入を得る手段がないからだ。

(主な収入源となっていたのは、
 ゴムの木や、ココナッツの木の栽培だったが、
 インドネシア政府は、
 住民の移住先に、ゴムの苗木を植えておく、
 と約束していたにもかかわらず、
 実際は、まったく植えられておらず、
 おまけに、水すらない『不毛の土地』だった。)


影響を受けた住民の数は、8000人。
彼らの一部が、実際に、日本に来た。

実際に日本に来たのは、一回あたりは数人で、
ここ数年の間に、合計で十数人程度らしい。(未確認)

・・・
・・・

第6節 円借款を担当してきた組織の変遷


コトパンジャンダム事業の経緯を説明するが、
その前に、

『円借款を担当してきた組織』
の複雑なうつりかわりを説明する。

(これが、今回の件を理解するために、まず必要。)

(コトパンジャン・ダム計画の進行と並べて、解説する。)


1979年に、東電設計が、
インドネシア・スマトラ島にある、
カンパル・カナン川全流域に関しての調査
(コトパンジャン・ダムの案件発掘)をした。

1981年、インドネシア政府は、
コトパンジャンダムへの
実現可能性調査(F/S)を(当時の)JICAに実施要請。

参考:
実現可能性調査
(feasibility study : F/S)

1982−1983年、東電設計は、
JICAからの委託を受け、実現可能性調査(F/S)を実施。

この事業に対して、お金を出したのが、
『海外経済協力基金(OECF)』。

・・・

日本の政府開発援助の歴史と、円借款の担当組織の変遷


1950年、まず、日本輸出銀行(輸銀)が発足。
これは、
一般の金融機関が行う輸出入と海外投資を奨励する目的で
設立されたもの。

元々は、
ODA(政府開発援助)以外の公的資金による予算である、
OOF(other official flows、その他政府資金)を
担当する組織だった。

この組織が、
後に一時、「円借款」業務を担当することになる。

1952年、日本輸出入銀行と改称。

で、日本のODAは、
1954年、ビルマ(ミャンマー)等の東南アジア諸国へ
戦後賠償として無償資金援助などを行ったことで始まる。

日本政府は、
1961年に、海外経済協力基金(OECF)を作り、
(日本輸出入銀行から業務を移転させ)
円借款を大規模に行うようになった。

途上国政府にお金を大量に貸してあげ、
その代わり、途上国政府は、
そのお金を用いて
『日本企業に事業を依頼しなければならず』、
インフラ(道路・ダムなど)を建設していきなさいね、
という枠組みを作った。

この、
「あげたお金や、貸したお金で、日本企業を使わないなら、
 お金は、あげませんよ」
という契約のやり方のことを、
『タイド』(紐付き援助)という。

ちょっと余談だが(うがった見方だが)、
円借款(貸付)の場合、
途上国は将来、
日本に、そのお金を返さないといけないので
実は、
『未来の』途上国のお金を使って、
『現在の』日本企業が利益を得る(儲ける)、という仕組みが、
円借款だ、とも言える。

実は、
日本経済が高度成長を実現できた理由の一つが、
(1950年代の)朝鮮戦争特需とともに、
この
(1960年代の)円借款戦略だった、とも言われている。

この「円借款」事業は、その後、別の組織に引き継がれた。
1999年、国際協力銀行(JBIC)に。
2008年、国際協力機構(JICA)に。

ややこしいのは、単純に組織名が変わったのではなく、
各組織が担当する事業
(途上国への円借款・贈与・技術協力、一般の日本企業の支援など)
の分担が変わったのである。

(だから、消滅していない組織もある。)

・・・

余談だが、

国際協力銀行(JBIC)は、消滅したわけではなく、
現在も、
日本『企業』の海外進出を支援する組織として、存在している。

要するに、
国際協力を通じて、日本企業にメリットを与える、
という(二次的な、日本企業への利益誘導の)形ではなく、

直接的に(一義的に)
日本企業の海外進出支援だけを行う組織に
変貌したのである。

・・・

さらに余談だが(歴史的背景だが)、

1999年に、円借款が、
「輸銀」(日本輸出銀行)から、
国際協力銀行(JBIC)に事業が移転された理由は、
いわゆる、「橋本行革」のせいである。

(当時の)橋本首相の行政改革で、基本的に、
『省庁削減・統廃合』が行われたため、
その影響を受けて、組織が再編されたのである。

円借款業務に関して、やや重複した事業(?)を行っていた
日本輸出入銀行(輸銀)と
海外経済協力基金(OECF)が合併させられて、
国際協力銀行(JBIC)ができた。


・・・
・・・

第7節 被告(訴えられたの)は、誰か?


コトパンジャンダムの
プロジェクトの『絵』を描いた(デザインした)のは、
(2008年にJBICなどと合併する前の)
旧JICAと東電設計で、
お金をだしたのは、
OECFつまり、のちのJBIC。


つまり、訴訟の時点では、訴訟の対象(被告)は、
日本政府、旧JICA,OECF、東電設計だった、ということ。

しかし、現在では(2008年に)それらが統合されたため、
日本政府と、新JICA、東電設計が、訴訟の対象となっている。


・・・

歴史的背景の補足:

日本のODA(政府開発援助)の
贈与・貸し付け・技術協力の、それぞれの担当機関は、

(新JICAが誕生する2008年以前は)

1)外務省が、贈与(無償資金援助)。

(正確には、準備・調査段階はJICA。実施が外務省)

2)JBICが、貸し付け(円借款)。

(正確には、準備・調査段階は相手国政府等。実施がJBIC)

3)国際協力機構(JICA)が技術協力。

(正確には、準備・調査段階も、実施も、両方ともJICA)

という分担だったのだが、
2008年に、ほぼ全てをJICAに統合した。

(注:現在でも、外務省が、
 贈与(無償資金協力)の「実施」の一部などを直接担当しており、
 JICAが完全に全てを統括しているわけではない。)


ともかく、
これを見てもわかる通り、
コトパンジャン・ダム建設の問題は、
上記の2)「円借款」にあたる事例なので、
「準備・調査段階」で責任を負うのは、
基本的に、「インドネシア政府」
(またはそこから依頼されたなんらかの組織)
である、ということになる。

だからJICAやJBICに責任はない、
とも言えるが、

一方で、
インドネシア政府が実現可能性調査を依頼したのは
JICAなので、やはり責任がある、
ともいえる。
(詳細は、後述。)

・・・

補足:
国際協力機構
(JICA : Japan International Cooperation Agency)
とは、外務省所管の独立行政法人。

1950年に作られた「コロンボ・プラン」
(戦後初の途上国援助のための国際機関)に、
日本は1954年に加盟。
1955年から途上国の研修員を受け入れて、技術協力が開始。

1974年、特殊法人・国際協力事業団が誕生。
主に技術協力を担当。

2003年、独法(独立行政法人)JICAに。
2008年、国際協力銀行等と合併し
円借款事業等も担当するようになった。


補足:
コロンボ・プラン。
戦後最も早期に組織された途上国援助のための国際機関。

主に技術協力を通じて
アジア太平洋地域の経済・社会開発を促進し、
途上国住民の生活水準を向上させる目的。
1950年にスリランカのコロンボで開かれた
イギリス連邦外相会議が起源。


・・・
・・・

第8節 日本企業による環境評価の『改訂(改竄?)』


話を戻して、

1981年以前から、
東電設計は、
ODAの予算がつく(もらえるようになる)前から、

インドネシア国有電力公社(PLN)に
『こんなプロジェクト、いいんじゃない?』、と
(コトパンジャン・ダム計画の)絵を描いて、見せていた。

インドネシア国有電力公社(PLN)は、
インドネシア政府に、そのアイデアを持ち込み、
日本政府へODA案件として提出させた。

で、日本政府とJICAに、
東電設計が、その調査をやらせてくれとお願いをして、
東電設計が、その実現可能性調査(F/S)を実施した。

繰り返すが、
旧来のODAは、このように、
日本企業が
まず自分で現地調査をした後、
それを途上国政府に『しこんで』、
ODA案件として、日本政府にに
「援助してくれ」という話をさせるという手法だった。

で、
東電設計が、自分でその案件を受注する、
という「流れ」が、
もう始めからできていたのである。

・・・

ただし、
東電設計は自分で「環境調査」をやっていない。

ダムを作った時に、
環境(と社会)にどのような悪影響が出るかの調査を
自分ではやっていなかった。

代わりに、
インドネシアの「アングラス大学」という大学にお願いした。

インドネシア国有電力公社(PLN)を通して、
アングラス大学に環境調査の依頼をしたのだ。

1982〜1983年の間、
その環境調査がおこなわれた。

そうしたら、
『環境影響あります』
というレポートがでて来た。

(で、東電設計は、ちょっと困った。
 計画を中止・変更しないといけないかもしれないからだ。)

が、
実は、
アングラス大学からの
環境影響評価報告書(EIA)が
提出されたのは、
1984年だったのだが、

その前の
1983年に、別の大学である、
「リアウ大学」に
ダムの
エンジニアリング・サービス(E/S)
(建築工事における第三者による監査など)
をやってもらうための
11億5200万円を限度とする円借款供与が
日本政府により、既に決定されていた。

と、いうわけで東電設計は、
(高額のお金をもらっている)リアウ大学に
環境影響評価報告書(EIA)を『改訂』してもらい、
(環境影響を少なめに見積もってもらい??)
1987年、最終的な「評価文書」が完成した。

そしてついに、
1990年、日本政府が、
125億円を限度とする円借款を出したのである。


以上が、ダム建設開始までの、「流れ」である。


・・・
・・・

第9節 客観的な事実関係の歴史


ここで、
(私の個人的な意見だけが書いてあってはいけないので)

(東京地裁が認定した)
『客観的な事実関係の歴史』を掲載しておく。


1979年、東電設計は、
インドネシア国有電力公社(PLN)からの依頼により
スマトラ島の、カンパル・カナン川全流域について、
プロジェクト・ファインディング(案件発掘)
及び
プレ・フィージビリティー調査
(実現可能性調査のさらに前の調査)
を実施。

1981年、インドネシア政府は、
コトパンジャンダムへの
実現可能性調査を実施要請。
JICAとインドネシア国有電力公社(PLN)は、
実現可能性調査の実施細則に合意。
JICAは
事前調査報告書を作成。

1982−1983年、東電設計は、
JICAからの委託を受け、実現可能性調査を実施。
インドネシア国有電力公社(PLN)は、
アングラス大学に委託して環境調査を実施。

1983年、日本政府は、
インドネシア政府に対し、
ダムのエンジニアリング・サービス(E/S)のため
11億5200万円を限度とする円借款供与を決定。

1984年、アングラス大学は、
インドネシア国有電力公社(PLN)に、
環境影響評価報告書(EIA)を提出。

同年、海外経済協力基金(OECF)とインドネシア政府は、
エンジニアリング・サービス(E/S)の借款契約を締結。

1987年、東電設計とヨドゥヤ・カルヤ社は、
インドネシア国有電力公社(PLN)からの委託による
詳細設計書を
インドネシア国有電力公社(PLN)に提出。
リアウ大学は、
東電設計からの委託による
アングラス大学の環境影響評価報告書(EIA)の
改訂報告書を東電設計に提出。

1989年、インドネシア政府は、
改訂された環境影響評価報告書(EIA)
・環境管理計画・環境モニタリング計画を承認。

1990年、日本政府は、
インドネシア国政府に対し、ダムのために
125億円を限度とする円借款供与を決定。

同年、OECFとインドネシア政府は、
借款契約を締結。

1991年、日本政府は、
インドネシア政府に対し、ダムのために
175億2500万円を限度とする円借款供与を決定。

同年、
OECFとインドネシア政府は、
借款契約を締結。

同年、
東電設計ほか2社と、
インドネシア国有電力公社(PLN)との間で、
ダム土木工事の建設管理契約を締結。

1992年、OECFは、
インドネシア国有電力公社(PLN)と請負業者間の
建設工事契約を承認。

同年、建設開始。

1997年、ダムに湛水(たんすい、水を貯め、水をはること)。

1998年、ダムの運用開始。


(以下、コトパンジャン・ダム訴訟について)

2002年、損害賠償等請求事件(第1事件)
2003年、損害賠償等請求事件(第2事件)
2004年、費用請求事件(第3事件)

2009年、原告、敗訴。


・・・
・・・

第10節 円借款の際の、二つの契約


コトパンジャン・ダム訴訟を理解するために、
必要となる情報の、もう一つは、

「日本政府がインドネシア政府にお金を貸す時には、
 『二つの契約』があること」。

1.
インドネシア政府と、
日本政府の間の契約。

2.
インドネシア政府と、
海外経済協力基金(OECF)の間の契約。

(この二つの契約の詳細を、
 以下に記載する。

 後述するように、
 日本政府も、OECF側も、
 一応、それなりに、環境配慮や住民配慮をしていた。

 そのような、事前の配慮が、契約書上は、
 あったにも関わらず、問題は起こったのである。)

・・・

1.
インドネシア政府と日本政府の間での契約。

交換公文の、討議記録(R/D)より。

これは、円借款が行われる際に、
まず交わされる、ただの政府同士の約束。

『司法上の契約』であり、一種の条約。

お金を出すのは、また別の組織で、
お金は、関係ない。

この討議記録(R/D)に記載されていたのが、
3条件。

1.全ての象(スマトラ象)を適切な保護区に移転すること

2.影響世帯の(生活)水準につき、
  移転前と同等かそれ以上のものを確保すること。

3.影響世帯から移転・補償への同意を
  公正かつ平等な手続きにより取り付けること。


補足:
R&Dは、
一般的には、
Research and Development(研究・開発)
を指すことが多いが、
こうした政府間の契約の場合、
R/Dは、
討議記録または討議議事録
record of discussion
を指す。

・・・

2.
インドネシア政府と海外経済協力基金(OECF)の間の契約。

これが、融資契約(L/A)。

繰り返すが、OECFは、現在のJICAである。
こちらが実際にお金を出す方の、契約をした。

これには、
上記(交換公文)の3条件に加えて、

『履行確保特約』
というものが、追加で記載されている。


補足:
L/Aは
loan agreement
借款協定

・・・

インドネシア政府とOECFとの間の
融資契約に記載されている、
『履行確保特約』とは、

(上記(交換公文)の3条件に加えて)

A.OECFによるコンサルタント契約同意の条件として

 1.移転について影響世帯と地方政府との合意の成立。
 2.補償基準についての合意の満足的進捗(しんちょく)。
 3.移転地が利用可能であること。

B.OECFによる土木工事契約同意の条件として、

 1.野生生物のための適切な保護、
  モニタリング計画の作成・提出。
 2.移転問題の良好な解決。
 3.3か月ごとの進捗状況報告書を提出。
  (補償、移住、野生生物保護を含む)


(以上のような契約があったにも関わらず、
 これら全てが守られることは、なかった。)


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・・・

第11節 円借款の発動と、ダムによる被害


そして、ついに、円借款の発動。


1990年に125億円、
1991年に175億円の円借款が出た。

1997年に建設工事が進み、
ダムに水を貯めた。

(水を貯めることを、湛水(たんすい)と言う。)

ここで、騒ぎが起こった。

水没が予想されなかった地域が、
そこにある世帯ごと、水没した。

(となると、
 建設計画、環境・社会評価が、
 間違っていた可能性がある。
 その(リアウ大学の)評価を依頼した東電設計と、
 そのためにお金を出したJICAに、
 責任がない、と言えるか?)

・・・

住民移転の同意書にも問題。

住民は、強制的に
インドネシアの地方政府から、
署名させられた。

軍隊によって、脅され、
書類にサインをさせられた、と言う。

(地元の住民の「人権」を無視し、
 脅しによる契約と強制移住を実施するような
 政府や地方自治体に、お金をだしたJICAに
 『人道的・倫理的な』責任がないと言えるか?)

・・・

住民は言う。

「補償水準が低い(補償金の金額が少ない)。」

「移転地にいってみたら、
 約束されてたインフラがない。
 収入を得るための、ゴムの苗木もない。」

「5000世帯、23000人の家が奪われ、
 強制移住先は、水も手に入らない不毛な土地」

(3条件と、履行確保特約に、明らかに違反している。)


参考:
「インドネシアのコトパンジャン。
 ダム建設前は豊かな村でした。
 それがダム建設で一変しました。
 生活が困窮し、
 娘が売春したお金で生活する父の涙。
 道路の路肩の石を一日砕いて100円程度の収入の家族。
 危険を承知で沈みかけた村に帰る一家。
 彼らに元の生活を取り戻すため訴訟は続きます」
河村健夫 東京弁護士会


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・・・

第12節 利権と、開発独裁


現地のNGOと弁護士などによれば、

「完成後のコトパンジャン・ダムの発電量は
 当初、計画されていた発電量の、わずか、15%。
 これは、
 その周辺地域での、電力需要が、
 思っていたより少なかったため。
 つまり、
 日本企業や地元の政治家などが、利権獲得のため、
 実際よりも、電力需要を水増しして、
 事業の事前評価を行った可能性が高い。」

(これは、ODAの体質上、いつものことか?)

(そうはいっても、やはり必要ないダムを作ったのなら問題。)

(とはいえ、
 中立をきすために、JICA側のかたも持つと、
 ダムを作る目的は、通常、
 発電だけが目的ではなく、治水・灌漑用水確保など、
 多岐にわたる理由があるはずなので、
 発電以外にも、いくつかのメリットは、あったはず。
 だから、
 発電の必要量が、事前の見積もりよりも少なかったとしても、
 コトパンジャン・ダムが、完全に無駄、とは言い切れない。)

・・・

上記してきたことに関連して、
歴史的背景として、
「開発独裁」の説明も、必要になる。


インドネシアのコトパンジャン・ダム建設は
スハルト政権時代に行われた。

日本はその、「開発独裁」体制の
最大の支援国だったとも言われている。

強権的政治体制のもと、上からの経済開発の推進は
「開発途上国のある段階ではやむを得ない」
とも言われている。

だが、プラス面の筈だった開発が
住民の生活破壊、自然破壊でしかなく
ダム事業の面からも成果があやしいとすると??


開発独裁(developmental dictatorship)とは
経済発展のためには政治的安定が必要であるとして
国民の政治参加を制限し、独裁を正当化するもの。

それにより達成した経済発展の成果を
国民に分配することによって
支配の正当性を担保。

なお、開発独裁の原典は
「イタリアのファシズムと開発独裁」1979年。


完全に余談だが、
2011年1月から2月に、
チュニジアやエジプトなどの独裁政権が
あいついで倒れたが、
これらの国は、
アメリカによって、経済的及び軍事的に支援され、
「開発独裁」が支えられていた国だった。

アメリカは、世界各国の共産主義化を防ぐためと、
中東においてあやういイスラエルを支援するために、
上記の国々と友好関係を保ち、支援していた。

(アメリカがイスラエルを支援する理由は、
 アメリカの経済界(銀行など)が
 ユダヤ人によって掌握されているため。
 政治献金の量などが、ものすごい。)

つまり、アメリカは、
(表面では、民主化が大事と言っているが、実際は)
中東の独裁国家を、自国の国益のために、
ささえていた国だ、という側面がある。

これと同じ状況だったのが、
日本が支援していた、
インドネシアのスハルト政権であり、
その「開発独裁」の最大の象徴が、
「コトパンジャン・ダムだ」
とも言われている。

コトパンジャン・ダム周辺住民に
軍による脅しをかけ、同意書にサインをさせ、
強制移住をさせることが可能だった背景には、
軍人出身のスハルトによる、
強権体制があったからだ、とも言われている。

参考:
スハルト(1921-2008年)はインドネシアの軍人。
第2代大統領(1968-1998年)。
1965年、左派系軍人が起こしたクーデターを鎮圧。
50万人の共産党系市民を虐殺。
30年に及ぶ長期独裁へ。
同国の工業化、開発独裁を強権的に推し進めたが、
アジア通貨危機後の混乱で大統領職を辞任

参考:
インドネシア住民たちは、
このコトパンジャン・ダム訴訟を
インドネシア国内でも起こしており、
既に敗訴している。

インドネシアは、初代大統領からずっと
軍部による強権体制が続いており、
このような政権下では、
とても裁判での勝ち目はない、と判断し、
だから、
(一応、民主的な国家である)日本くんだりまで、
やって来たわけだ。

(注:起訴当時、スハルト政権だった。)


で、上述したように、

コトパンジャン・ダム訴訟の背景となる要因の一つが、
インドネシアの軍部による「開発独裁」を
ささえてきたのが、我が国、日本である、
という側面も、あるようなので、

つまりは、因果応報か。


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後半に続く
http://blog.livedoor.jp/toshiharuyamamoto128/archives/65583887.html