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アウシュビッツ編の目次

序文
ユダヤの格言
ユダヤとは?、イスラエルとは?
タルムードとは?
シオニズムとは?
パレスチナとは?
アラブとは?
ユダヤ人の迫害の歴史、その原因は?
ナチスのユダヤ人虐殺とアウシュビッツとは?
傍観者と無関心
アンネ・フランクとは?
コルチャック先生とは?
コルベ神父とは?
その他、ユダヤ人を助けた人々
ユダヤ人のナチスへの僅かな抵抗と、イスラエルへの決意
戦後、欧州諸国がユダヤ人に謝罪
ユダヤ教とキリスト教の問題


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序文

イスラエル・パレスチナ問題が現代世界の最大の問題だと考えている理由は、1)国連の欠陥である米国の拒否権に守られイスラエルが核保有を容認されていること。2))企業と政治の癒着が遠因。3)両国の経済格差が絶大で、格差社会の象徴。4)パレスチナ難民の数が5百万で世界最大。5)宗教の是非

ポーランドでの「ユダヤ人虐殺」の取材の感想ですが・・「人間という生き物の本質」を見た思いです。一言で言えば、「何か自分に悪いことが起こった時、人は自分のまわりにいる『いじめやすいやつ』のせいでそれが起こったのだと決めつけ、そいつを憎むことで自分の心を安定化し、生き抜いてゆく動物」


ユダヤの格言

「他人を幸せにするのは、香水をふりかけるようなものだ。ふりかける時、自分にも数敵はかかる」 ユダヤの格言。ユダヤの成立は、紀元前1280年頃、モーセが社会的下層の人々をひきいてエジプトから脱出(出エジプト)し神ヤハウェと契約を結んだ。現イスラエル定住後、12部族からなる民族が繁栄


ユダヤとは?、イスラエルとは?

イスラエル・パレスチナ問題の根本は「ユダヤ人とは何か?」。ユダヤ教を信じる人をいうのか、ユダヤ民族のことをいうのか?日本では後者をさし、古代メソポタミアから現在イスラエルの場所に移住してきた「ヘブライ(移住民)」のこと言う。長い差別の歴史の中で混血が進み純系はもういないはずだが?

ユダヤとは、パレスチナ南部の地方の名前。ユダヤ人たちの先祖とされるアブラハムはBC3千年にウル(現在のイラク)から出発しカナン(現イスラエル)に移住。その子孫がヤコブ(別名イスラエル)。その子のユダに与えられた土地が後にユダヤと呼ばれた。古代イスラエル王国はBC1021年に成立。

ユダヤ人とは何かには二つの考え方がある。1)ユダヤ教を信仰する者(宗教集団)、2)母親がユダヤ人の者(民族集団)。これはイスラエルのユダヤ人帰還法による。母親がユダヤ人だと証明する方法はユダヤ教を信じていることなので、つまり現在においてはユダヤ人とはユダヤ教を信ずる者と考えられる

ユダヤ人とは何か。元来は、紀元前3千年頃に、ウル(現在のイラク)から出発し、カナン(現イスラエル)に移住した人々(これをヘブライ(移住民)と呼ぶ)と、当時のカナンに住んでいた先住民との間でやがて混血がすすみ、紀元前1021年に古代イスラエル王国が誕生した頃に、住んでいた人々の総称

ユダヤ教とは何か。古代の中近東で始まった唯一神ヤハウェを神とし、選民思想やメシア(救世主)信仰などを特色とするユダヤ人の民族宗教。『タナハ』、『ミクラー』とよぶ『ヘブライ語聖書』を聖典とする。これはキリスト教の『旧約聖書』と同じ。この他に『タルムード』(モーセの口伝律法)も重視。

イスラエル国とは、中東のパレスチナ(地中海の南東)に位置するユダヤの国家。まず古代イスラエル王国が紀元前1000年頃から紀元前700年頃まで存在。1947年国連総会でパレスチナをアラブ国家とユダヤ国家に分裂する決議。1948年イスラエル建国。以後周辺のアラブ諸国と4度にわたる戦争


タルムードとは?

タルムードとは、モーセ(紀元前13世紀ごろ活躍した古代イスラエルの民族指導者・預言者)が伝えた(出エジプト記などのモーセ五書(トーラー)と並んで)もう一つの律法とされる「口伝律法」。ヘブライ語で「研究」の意。タルムードを「ユダヤ教徒の聖典」と認める宗派と、そうでない宗派がある。

「他民族の有する所有物は、すべてユダヤ民族に属すべきものである。ゆえになんらの遠慮なく、これをユダヤ民族の手に収むること差し支えなし。」 ユダヤ教の聖典「タルムード」の教えの一つ。

「イスラエルの戦争戦略としての「タルムード」を考える」 夏野繁造 「イスラエルが、目的のためには占領地拡大や殺戮さえも正当化しているものは何か?それはユダヤ教の主要教派のほとんどが聖典として認めている聖典タルムード」 2009/01/17 http://bit.ly/beBU1h

ユダヤの律法タルムード。1)世界はただイスラエル人の為にのみ創造された。イスラエル人は実にして他の民は空なる殻皮。2)人間の獣に優れる如くユダヤ人は他の諸民族に優れる。3)汝殺すなかれとの掟はイスラエル人を殺すなとの意なり。4)他民族の有する所有物はすべてユダヤ民族に属すべきもの

ユダヤ教においてモーセの「口伝律法」とされる「タルムード」の中には、一部に「ユダヤ人至上主義」的な意見もあるが、一方で「神の愛は平等」のような記述も。中心に設問が置かれ10人程度の議論が並列に掲載。本の厚さは百科事典40冊分で、数千人の意見が飛び交う。過激な意見と穏健な意見が併記


シオニズムとは?

シオニズムとはイスラエルの地(パレスチナ)に故郷を再建しよう、またはユダヤ教文化の復興運動。元来は「シオン」(エルサレムの丘の名)の地に帰るという意。1917年イギリスが「パレスチナにおけるユダヤ人居住地の建設とその支援」を約束。1947年の国連決議を経て1948年イスラエル建国

シオニズム(ザイオニズム、Zionism)とは、1)イスラエルの地(パレスチナ)に故郷を再建しようとする運動、2)ユダヤ教・イスラエル文化の復興運動。元は「シオン」(エルサレム市街の丘の名)の地に帰るという意味。フランスでユダヤ人が冤罪をきせられた1894年のドレフュス事件が契機

シオン(ザイオン)とは、イスラエルのエルサレム地方の歴史的地名。「シオンの丘」と言った場合「神殿の丘」を指す。旧市街のソロモン王のエルサレム神殿があった。「嘆きの壁」として残存。現在イスラエル領だが管理はイスラム教指導者。そのためユダヤ人とキリスト教徒は宗教的儀式は禁止されている

約束の地(Promised Land)とは、ヘブライ語聖書(キリスト教では旧約聖書)に記された、神がイスラエルの民に与えると約束した土地。エジプトの川(ナイル川)からユーフラテス川までの領域とされ、アブラハム(ユダヤ人の祖)に最初に与えられ、出エジプトの後は、約束された者の子孫に



パレスチナとは?

パレスチナとは地中海東岸にある「歴史的シリア南部」。歴史的シリアとは、北はトルコ、東はゴラン高原を挟んでイラク、南はアラビア半島に囲まれた地域。第一次世界大戦後オスマン解体、1922年シリア地域をイギリスとフランスが分割。イギリスはヨルダンとパレスチナ。フランスはシリアとレバノン


アラブとは?

アラブとは、アラビア人を意味する英語の『arab』のこと。よってアラブ人というと、直訳するとアラブ人人となり文法的に間違い。アラビア半島、西アジア、北アフリカのアラブ諸国に居住し、アラビア語を話し、アラブ文化を受容している人々。7世紀からのイスラム教の拡大にともない勢力を拡大した

アラブ連盟の加盟国。1)原加盟国。エジプト、シリア、イラク、ヨルダン、レバノン、サウジアラビア、イエメン。2)追加加盟国。リビア、スーダン、モロッコ、チュニジア、クウェート、アルジェリア、UAE、バーレーン、カタール、オマーン、モーリタニア、ソマリア、パレスチナ、ジブチ、コモロ


ユダヤ人の迫害の歴史、その原因は?

「世の中で何か悪いことが起こったら、それは全て『ユダヤ人』のせいだ。金儲けの得意なあいつらが、影で何か悪いことをしているに違いない。」 こうした考えをヨーロッパの人々が持つようになったのは、少なくとも14世紀のペスト大流行の前からである。「悪いことが起これば、それはユダヤのせい」

1923年、関東大震災が起き東京が壊滅した時、社会は混乱。理不尽な災害に直面した民衆は不満のはけ口を求めた。在日朝鮮人が「井戸に毒を入れた」「家々に放火している」というデマが流れた。このため多数の朝鮮人がリンチにあった。人間は、何か悪いことが起きると、その不満をぶつける相手を探す

反ユダヤ主義とはユダヤ人およびユダヤ教に対する差別思想。その根拠は、1)ユダヤ教は強烈な選民思想で排他的、2)イエスキリスト殺害の張本人。3)金儲けがうまく金融業で成功。このユダヤ差別はキリスト教圏の方がイスラム教圏よりひどかった。キリストがユダヤ人であったことの裏返しの反発か?

反ユダヤの歴史。元々選民思想なので他民族から嫌悪。キリスト教誕生後イエスを殺した張本人。1096年十字軍で弾圧。14世紀ペスト流行の原因だとデマ。1597年シェイクスピア「ベニスの商人」で金貸し強欲。1894年ドレフュス事件。1918年第一次世界大戦後経済が低迷するドイツで生贄に

中世ヨーロッパのキリスト教社会ではユダヤ人の職業は制限されていた。ユダヤ人ができるのはキリスト教徒が忌み嫌う職業のみ。当時、他人に金を貸して利息を取ることは罪悪だと考えていた。そこでユダヤ人は金融業に従事するようになった。その結果ユダヤ人に金貸し・強欲のイメージが定着することに。

『ユダヤ人と彼らの嘘について』。1543年に、マルチン・ルター(Martin Luther、1483-1546年、ドイツの神学者、宗教改革の中心人物)が書いた反ユダヤ主義のパンフレット。 http://bit.ly/foEL9j

「ユダヤ教のシナゴーグ(礼拝所)には火を放て。ユダヤ人の家は取り壊されるべし。家畜小屋に押し込めてしまい、この国土で彼らが主人ではないことを思い知らしめよう。これら有毒な苦虫から私財を取り上げてしまえ。そして二度とこの地に帰ってこないように国外に放逐してしまえ」 マルチン・ルター

ポグロム(破壊を意味するロシア語。ユダヤ虐殺)。19世紀後半の東欧ではユダヤ人に対する集団的迫害行為(殺戮・略奪・破壊・差別)が頻発。特に旧リトアニア公国の領域(ベラルーシ・ウクライナ・モルドバ)でポーランド貴族に依存して生活していたユダヤ人が農民やコサックによる一揆の巻き添えに

ドレフュス事件とは1894年フランス陸軍に勤務していたユダヤ人のアルフレッド・ドレフュス大尉に対する冤罪。フランス情報部はドイツへの密告者がいるらしい情報を得た。たいした証拠がないまま彼を逮捕。新聞が「ユダヤ人は祖国を裏切る売国奴」と報道。軍は彼を終身刑に。1906年に再審で無罪

テオドール・ヘルツル(1860-1904年)はオーストリア生まれのユダヤ人。新聞記者としてフランスのドレフュス事件(1894年)の取材をした時、いまだ根強いユダヤ人に対する偏見を知り、失われた祖国イスラエルを取り戻すための「シオニズム運動」を起こす。イスラエル「建国の父」とされる


ナチスのユダヤ人虐殺とアウシュビッツとは?

ホロコースト(holocaust) には、いくつかの定義がある。1)ユダヤ教の宗教儀式で、獣を丸焼きにして神に捧げること。2)第二次世界大戦の最中にヒトラー率いるナチス・ドイツが約600万人のユダヤ人をヨーロッパで虐殺したこと。3)一般に組織的な大量虐殺(genocide)のこと

ナチス・ドイツが、アウシュビッツ・ビルケナウ強制収容所(抹殺キャンプ)で虐殺したユダヤ人の数は、一時400万人とされていたが、現在はその数字が正され、150万人前後に落ち着いている。しかし一方で、ヨーロッパ全土で殺されたユダヤ人の数が、600万人であったことに、異論はないようだ。

アドルフ・ヒトラーは、ウィーンにいた時、1)キリスト教社会党を指導していた「カール・ルエーガー」の反ユダヤ主義演説に感動し、2)汎ゲルマン主義と反ユダヤ主義に基づく民族主義政治運動を率いていた「ゲオルク・フォン・シェーネラー」からも強い影響。ヒトラーは2人を「我が人生の師」とした

『シオン賢者の議定書』(ユダヤ議定書、The Protocols of the Elders of Zion)とは1900年頃ロシア帝国により捏造された文書。「秘密権力(ユダヤ)の世界征服計画書」という触れ込みで世に広められた。ヒトラーがユダヤ人虐殺を正当化するための根拠になった

1918年、第一次世界大戦後、ドイツでは経済が低迷していた上、他国への賠償責任もあり、国民の不満は頂点に。そんな中「ドイツ人は世界最高の民族だ。今の、この不況の原因は全てユダヤ人が悪い。」という、(うっ屈した不満のはけ口を探していた)ドイツ国民の心に響く演説をしたのが、ヒトラー。

ナチス(ナチ)とは、国家社会主義ドイツ労働者党のこと。1919年に結成され、アドルフ・ヒトラーが指導者となり、1933年に民主的な選挙のもとでドイツ政権を奪取した。アーリア人至上主義(インド・ヨーロッパ語族の中で最も純粋な民族がドイツ人?)、反ユダヤ主義、反共産主義を謳っていた。

アウシュヴィッツ (Auschwitz)はポーランドの都市、オシフィエンチムのドイツ語読み。同様にビルケナウはブジェジンカ(Brzezinka)のドイツ語読み。ナチスドイツによる150万人のユダヤ人虐殺が行われた強制収容所があった場所。1979年ユネスコは「負の世界遺産」に登録。

ツィクロンB (Zyklon B、チクロンB) とは第二次世界大戦中に使用されたドイツの殺虫剤。ナチス・ドイツによってアウシュビッツ等の強制収容所のガス室で頻用。シアン化水素(青酸化合物)などの青酸ガスは拡散しやすいため兵器としては不適当だったが密閉された場所では強烈な威力を発揮

「武器に触れたこともない女性や子ども、赤ちゃんでさえ連れて来られ、アウシュビッツ収容所内に建設されたガス室で、「チクロンB」という害虫駆除薬を吸わされた。15分で数百人が死んだ。死体からは金歯やイヤリング、指輪など貴重品が抜き取られ、女性の髪は刈られた。髪から生地を作るために。」

アイシュビッツ強制収容所で殺された女性は、死体から髪を刈られた。「生地」(きじ)を作るために。女性の髪から、何に使う生地を作るのかと思ったら、1)上着などの内側に貼る裏地、2)靴下の内側、肌に触れる部分に貼る布地、などに使用されるのだと言う。しかし、それを身につけられる人って・・

第二次世界大戦は1939年9月1日のドイツ軍によるポーランド侵攻で開始。ソ連は独ソ不可侵条約の秘密議定書に基づき、9月17日、ソ連ポーランド不可侵条約を一方的に破棄してポーランドへ侵攻。70周年の2009年ロシアのテレビ局がポーランドにも開戦責任があったと放映。ポーランドが猛反発

1943年、ドイツは「カチン(カティン)の森」で、2万5千人にものぼるポーランド将校の埋葬射殺死体を発見。ドイツはそれを「自軍の侵入以前に同地区を占領していたソ連軍の所業だ」と発表。しかしソ連は「ドイツこそ事件の張本人だ」と。その後、国際調査団の調査の結果「ソ連の犯行」と断定した

「ナチス・ドイツの排他主義は、(ユダヤ人やロマ人(ジプシー)、ソ連軍の捕虜などの)人種や民族を基準としたものばかりではない。知的障害者・精神障害者や同性愛者、そして「エホバの証人(キリスト教の一宗派)」の信者などは、ドイツ人でさえ、その対象となり、強制収容所でまとめて殺害された」

アウシュビッツ強制収容所において少数のドイツ人が多数のユダヤ系ポーランド人などを反乱させず管理することができた仕組みはイギリスのインド支配に似る。支配される側に階層構造を作り上位階級を味方に引き入れ利権を与え下位階級を抑圧させる。これにより下位階級の恨みはその上位階級の方に向かう

ヘスはユダヤ人虐殺の象徴、アウシュヴィッツ所長であったため、戦後絞首刑となった。しかし実際の彼は植物や鳥を愛する温厚な人柄で上からの命令に従順な人だった。敗戦が濃厚になると、妻に「旧姓を名乗れ」と指示し、息子に「上から言われたことをやると馬鹿をみるから自分で判断できる人間になれ」

ルドルフ・ヘスは二人いる。1)ルドルフ・ヴァルター・リヒャルト・ヘス(1894-1987年)は、ナチス・ドイツ副総統、親衛隊大将。戦後、終身刑に。2)ルドルフ・フェルディナント・ヘス(1900-1947年)は、ナチス・ドイツ親衛隊中佐。アウシュヴィッツ強制収容所所長。戦後に絞首刑

「君たちに戦争責任はない。でも、それを繰り返さない責任はある。・・そしてそれは多分、私も同じなのだ。」アウシュビッツを訪れたドイツ人の若い世代に対して強制収容所博物館元館長のカジミエシュ・スモレンは言う。彼はユダヤ系ポーランド人で、この収容所内に収容されていたが奇跡的に助かった人


傍観者と無関心

ユダヤ虐殺はナチス・ドイツのせいということになっているが、実際はそれ以外の多くの国や組織が協力していた。例えばフランスの鉄道がユダヤ人を強制収容所に輸送することに協力。カトリック系ポーランド人でドイツに味方し虐殺を手伝った人も多い。つまりユダヤ虐殺は「世界的なシステム」だったのだ

「傍観者」の是非。ヨーロッパにおいて600万人のユダヤ人が虐殺された時、ナチス・ドイツの指示に従った(ドイツに)占領されていた欧州諸国の政府も、その市民も、「傍観者」となることで、「間接的な加害者」になっていた。「愛情の反対は憎悪ではなく無関心」という諺があるが、それと同じことか

人間の持つ感情の中で、最も恐ろしいものは何か? それは、周りで起きていることに関心を持たないこと。 愛情の反対は憎しみではなく無関心 3135字 http://blog.livedoor.jp/toshiharuyamamoto128/archives/65233962.html

ドイツがポーランドでユダヤ人を虐殺た時カトリック系ポーランド人はどうしていたか? 1)ドイツに協力(アメリカ系ユダヤ人はこう主張。映画「シンドラーのリスト」もこの説)。2)ユダヤ人を救出しようとし同様に被害者だった(アウシュビッツの展示ではそう説明。映画「戦場のピアニスト」でも)

カトリック系ポーランド人の多くは、ドイツのことを「もう恨んでいない」と言う。祖父母の頃に殺し合いをしたことで孫たちがケンカをしてもしょうがない、というのが一般的な意見だ。またポーランド人の多くが、戦時中ドイツ軍に雇ってもらいドイツのために働いた人も多かったので、むしろ同罪の側面も


アンネ・フランクとは?

アンネ・フランク(1929-1945年)は『アンネの日記』の著者でユダヤ系ドイツ人の少女。フランクフルトに生まれたがナチス政権誕生後アムステルダムに亡命。隠れ家に2年間潜んでいた時に日記を執筆。ゲシュタポに発見されアウシュヴィッツ=ビルケナウに移送。発疹チフスを発症し15歳で永眠

「薬を10錠飲むよりも、心から笑った方が、ずっと効果があるはず」 アンネ・フランク(1929-1945年)。ユダヤ系ドイツ人。収容所で永眠。「「アンネの日記」の著者。本当に他人の人柄がわかるのは、その人と大喧嘩をしたときです。その時こそ初めて、その人の真の人格が判断できるんです」

「怠惰は魅力的に見えるけど、満足感を与えてくれるのは働くこと」 アンネ・フランク(Annelies Marie Frank、1929-1945年)。ユダヤ系ドイツ人の少女。「アンネの日記」の著者。「今でも信じています。たとえ嫌なことばかりだとしても人間の本性はやっぱり善なのだと」


コルチャック先生とは?

ヤヌシュ・コルチャック(1878-1942年)とはポーランドの小児科医、児童文学作家。ナチス統治下のワルシャワ・ゲットーでユダヤ人孤児の孤児院を運営。ナチスが孤児たちをトレブリンカ強制収容所に移送し殺害しようとした時、国内で有名な自分だけが助かることを拒否。いっしょに殺害された

「子どもの権利条約」の元になった、コルチャック医師の考え。「子どもは親の所有物ではない。」、「子どもにも秘密を持つ権利がある。」、「子どもは『過ち』をおかす。それは子どもが大人より愚かだからではなく、人間だからだ。完璧な子どもなどいない。あなたが完璧な人間でないのと同じように。」

「ナチス・ドイツの政策は、『個性』を消すものであった。民族が違うという個性、考え方の個性、障害を持つという個性。それらが全て抹殺された。その分、私たちは一人一人の個性を尊重しなければならない。子どもたちが、あるがままの個性を、自由奔放に延ばしていけるような社会に」 コルチャック

「みんな、これからピクニックに行こう」 1942年ナチス・ドイツは「ユダヤ人問題の最終解決」のため、小児科医コルチャックの運営する孤児院にいた二百名のユダヤ人孤児をトレブリンカ抹殺キャンプに輸送する決定。コルチャックは孤児らと一緒に行くことを決意。死への旅路に際し、彼はこう言った


コルベ神父とは?

コルベ神父とは、マキシミリアノ・コルベ(1894-1941年) のこと。ポーランド人のカトリック司祭。アウシュヴィッツ・ビルケナウ強制収容所で餓死刑に選ばれた男の身代わりとなり、「アウシュビッツの聖者」と呼ばれた。「無原罪の聖母の騎士」という小冊子を発行しナチスを批判したため投獄

アウシュビッツで脱走者が出たため無作為に10名を餓死刑にすることに。選ばれた一人が、「私には妻子がいる」と叫びだした。コルベ神父は、「私はカトリック司祭で妻も子もいません。私が彼の身代わりになります」と言って刑を受けた。2週間後の地下牢でまだ息があったため殺害された。以後、聖者に


その他、ユダヤ人を助けた人々

オスカー・シンドラー(1908-1974年)。メーレン(当時オーストリア領、現チェコ共和国の東部)生まれのドイツ人の実業家。第二次世界大戦中、ナチスにより強制収容所に収容されていたユダヤ人のうち自身の工場で雇用していた1,200人を虐殺から救った。後に映画『シンドラーのリスト』に

杉原千畝(ちうね、1900-1986年)とは、第二次世界大戦時リトアニア領事館に赴任、ポーランドなどから逃げてきたユダヤ人難民が亡命できるよう大量の日本へのビザを発給。外務省の命令に反する行為だったが、ナチスドイツによる迫害を受けていた約6千人のユダヤ人を救った。東洋のシンドラー

イレナ・センドラー(Irena Sendler、1910-2008年)とは、ポーランド人のカトリック教徒。第二次世界大戦中、ナチス・ドイツによりワルシャワのゲットー(ユダヤ人居住地区、ghetto)に収容されていたユダヤ人の子ども、2500人を救いだした。看護師に変装し連れだした


ユダヤ人のナチスへの僅かな抵抗と、イスラエルへの決意

ナチス・ドイツによる大虐殺を受けたユダヤ人だが、その心境は複雑。早く忘れたいという気持ちがある一方、まわりの人に「そういうことがあった」ということを知ってもらいたい気持ちもある。もちろん、具体的な賠償を求める人も。一方で、精神的トラウマを抱えながらそれを忘れずに黙して生き続ける人

ナチス・ドイツによるユダヤ人虐殺が行われた時、同時にナチスは他国の紙幣(にせ札)作りを一部のユダヤ人に命じた。これに協力したユダヤ人は同胞から「ドイツに協力するなんて」と批判を受けた。しかし彼らは「ドイツの目的はユダヤ人の抹殺。だからなんとしても『生き残ること』こそが最大の抵抗」

第二次世界大戦の間ポーランドはドイツに占領。この間(同じ占領されている身なのに)カトリック系とユダヤ系は仲が悪かった。1943年ゲットーでユダヤ人がドイツに反攻した時カトリック教徒は助けず見殺しに。1944年カトリック系パルチザンがワルシャワ蜂起をした時は今度はソ連が裏切って全滅

「人の死を比較することはできないかもしれません。でも私たちは戦って殺されたのではないのです。戦えずして家族ごと殺虫剤(青酸ガス)で虫けらのように殺されゴミのように捨てられた。私たちユダヤ民族が持つのは戦って負けた悔しさではなく、恐怖心・羞恥心などが複合した複雑なトラウマなのです」

ユダヤ人はヨーロッパにおいて千年以上にわたり迫害され続けてきた。しかしそれに対して抵抗をしたことがほとんどなかった。戦って敗れたのではなく恐怖ですくみあがっていたことに対する羞恥心があるのだと言う。だからこそ、ついに建国したイスラエルを守るためには、どんなことをしても戦うのだ、と



戦後、欧州諸国がユダヤ人に謝罪

フランスとユダヤ。1929年世界恐慌と1933年ヒトラー政権誕生によりユダヤがフランスに流入。フランス人は職を奪われ失業を懸念。1941年ヴィシー政権はユダヤ人帰化の再審をし40%が国籍剥奪。ユダヤ人身分法で官公庁等に就職不可。パリ北東のドランシー収容所にユダヤ女性が拘束され餓死

1997年、フランスのカトリック教会のオリヴィエ・ド・ベランジェ司教が、ユダヤ人に謝罪を表明。1)ナチ占領下のフランスでユダヤ人迫害を黙認していたこと。2)キリスト教会に巣くう宗教的反ユダヤ主義への自戒。この「懺悔声明」の発表の場所は、フランスのユダヤ迫害の象徴、ドランシー収容所

フランスは階級社会か。1)貴族、2)企業経営者(ブルジョワ)、3)労働者(プロレタリアート)の階層がある。貴族階級が未だに存在している。政治家や軍の将校は特定の大学の卒業者のみ。肉体労働はパリ18,19区に住む黒人か下層民。国内で最下層のフランス人が旧植民地国に行くと、おおいばり

ドイツに占領されたオランダから多数のユダヤ人が強制収容所へ送還。その大多数が死亡。生き延びて帰って来た人も、住んでいたはずの家が他の人の所有になり強制送還時に置いてきた財産が略奪されていた。その権利を主張しても政府は融通の効かない態度で黙殺。2000年オランダ首相がユダヤ人に謝罪

2000年1月、オランダ戦争記録研究所は、オランダにいたユダヤ人がドイツに強制収容された間、オランダ市民によって略奪された財産が2.5億ギルダーになると発表。オランダ首相は最初「遺憾に思う」と言ったが、後日、大蔵大臣と相談後に「謝罪する」に変更。謝罪するの場合「法的遡及力を持つ」

イェドヴァブネ事件とは、第二次世界大戦中の1941年に、ポーランドの町で起こったユダヤ人の虐殺(ポグロム)のこと。長い間ドイツ軍の仕業であると考えられてきたが、ほぼ全て非ユダヤ系ポーランド人住民の手によるものであることが判明した。2001年ポーランド大統領が、公式にユダヤ人に謝罪

2005年デンマーク首相は同国がナチス・ドイツ占領下にあった1940年代にドイツから逃れて来たユダヤ人を追い返し、強制収容所での死を招いたことを認め謝罪した。「謝っても歴史を変えることはできないが、歴史的な過ちを認めることで、新たな世代が将来、同じような過ちを犯さないことを望む」

ベルギー政府が第二次世界大戦中ナチス・ドイツに協力しユダヤ人の強制連行に積極的に加担していたことを示す報告書が2007年上院に提出。ベルギー首相は「この事実を歴史教科書に盛り込むべきだ」との考えを示した。同首相は2002年ユダヤ人大虐殺におけるベルギーの役割についてユダヤ人に謝罪

ベルギーの「戦争・現代・社会資料編さん研究所」(CEGES)によると、1)1933年ベルギーはドイツから逃れてきたユダヤ人難民の受け入れを拒否。2)1940年ドイツに降伏後ユダヤ人登録を開始。3)5万6千人いたユダヤ人のうち2万5千人が収容所へ送られ、生き残ったのは僅か1200人

2010年9月ドイツ連邦銀行(中央銀行)は理事会を開き、「すべてのユダヤ人は特定の遺伝子を所有している」との持論を展開したザラツィン理事(65歳)の解任をウルフ大統領に申請することを決めた。同大統領はザラツィン理事を批判しており、解任を承認するのは確実。発言は「人種差別」との非難

アウシュビッツのガイドは「最近の世界経済の不況の時に『ユダヤ人のせいだ。また、あいつらが悪いことを企んでいるんだ』と言った人はいなかった。先日、フランスがロマ人を追放した時も国際社会が批判をした。こうした世論ができあがったのが、負の世界遺産になったこの施設の効果ではないかと思う」

リーマン・ブラザーズ (Lehman Brothers) は、アメリカのニューヨークに本社を置いていた大手投資銀行及び証券会社。ドイツから来たユダヤ系移民、ヘンリー、エマニュエル、マイヤーのリーマン兄弟によって1850年に創立。2008年9月に倒産。世界金融危機の引き金になった。

フランスは治安の強化を理由に不法滞在の移民や少数民族を国外退去。サルコジ大統領は犯罪を起こすことが多いとして、ジプシー(移動民族、ロマ等)の一掃を宣言。一か月で千人をルーマニア・ブルガリアに強制送還。(両国は2007年EUに加盟し人の移動が増加。)しかし暴動。排外主義だとの批判も

ロマとは、移動型民族(ジプシー)の一つで北インドの(サンスクリット語の起源である)ロマニに由来。西暦1千年頃、中欧から東欧に移動。ルーマニアでは15世紀までにロマ奴隷制が成立。1935年ナチスが劣等民族として絶滅政策。戦後も迫害と偏見が続き、しかたなく犯罪を起こす人が増え悪循環へ

ヨーロッパにおける『ユダヤ人虐殺』の研究をしている日本人に会うと、次のような意見を言う方が多い。「ドイツも、フランスも、ポーランドも、デンマークも、オランダも、ベルギーも、ユダヤ人に対して謝罪したのに、日本は謝っていない。日本は中国で『南京大虐殺』という似たようなことをしたのに」

南京大虐殺(南京事件)とは、日中戦争中の1937年に日本軍が中華民国の首都・南京市を占領した際、約2ヶ月にわたって中国軍の捕虜や一般市民などを不法に虐殺したとされる事件。その被害者数について議論があり、中国側は30万人以上と主張、日本側は20万人説から否定説まであり、現在も論争中

アウシュビッツでガイドを続ける中谷剛はガイドをする時3点に留意すると言う。1)民主主義の是非。ヒトラーは民主的選挙で政権を奪取しホロコーストを実行。2)歴史の相互認識。ドイツは戦争責任を認めたが、日本は認めない。3)少数派が自分より優位になると嫉妬する、人間の潜在的エゴの恐ろしさ



ユダヤ教とキリスト教の問題

キリスト教は「パウロ教」である、とする意見がある。イエスはあくまでユダヤ教の宗教指導者の一人だったが、イエスの死後数十年経ってから、パウロ(A.D.?-65年)はキリスト教を全く新しい宗教として創造した。彼は新約聖書の著者の一人で教会システムを作りキリスト教大発展の基礎を作った人

「ナザレのイエス」(B.C.4-A.D.30)はユダヤ教の宗教指導者で、ユダヤ教の過激な改革運動を行ったユダヤ人。ナザレとはイスラエル北部の地名。西暦0年は、6世紀のローマの神学者ディオニュシウスが「イエスの生年」を算出したものだが、現在推定されているものとは4年ほどずれている。

アウシュビッツ・ビルケナウ強制収容所(抹殺キャンプ)には、1979年(ポーランド出身の)ローマ教皇ヨハネ・パウロ2世が訪問。2006年には(ドイツ出身の)ベネディクト16世が訪問。パウロ2世は他宗教との交流を推進していたが、カトリック至上主義のベネディクト16世が訪問したのは意外

ヨハネ・パウロ2世(1920-2005年)は、ポーランド出身のローマ教皇。在位は1978-2005年。1981年に広島・長崎を訪問し核廃絶を訴えた。2000年から2001年にかけて「カトリック系市民がユダヤ人虐殺に関与したこと」に対しての『謝罪』を表明。評価と批判が内外で起こった

カトリックは一般に保守的で、他宗教との交流に制限がある。具体的には、現ローマ教皇のベネディクト16世が「仏教やヒンズー教は『東洋の文化』である」と発言した。すわわち『宗教とすら認めない』姿勢を示したことが問題になった。ユダヤ教とイスラム教は、同じ「旧約聖書」から派生した兄弟らしい

ローマ教皇ベネディクト16世は『避妊、人工妊娠中絶、同性愛』に対し断固反対という立場をとっている。国際協力の世界では、1)妊産婦死亡率・乳児死亡率を下げるため、母親の体力が回復しないうちに連続した妊娠はしない方が良いという統一見解がある。2)HIV/エイズの予防にコンドームも必要


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続く
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