.

目次:


はじめに
国連、PKO
米軍、地方復興チーム(PRT)
アメリカの公民権運動
アメリカの文化への影響
イギリス
フランス
ジャマイカ、ラスタファリ運動
南アフリカ共和国


・・・
・・・

はじめに


国際協力をやる場合人権への配慮は必須でいつも問題になるのが「区別と差別」の違い。区別は単に違いによって分けること。差別は分けた後その取扱いに差をつけること。だったのだが最近は例えば黒人のように「区別に使われた言葉」自体が「差別的」であるとされ「アフリカ系の人」などと表現する時代に


・・・

国連、PKO


国連の人種差別とルワンダ虐殺。安保理の常任理事国に黒人の国が入っていないため人権配慮が少なく腰が重い。特に資源の少ない国は無視。1994年PKO司令官からルワンダ虐殺計画の報告があったが無視。4月、虐殺が始まると現地の欧米人のみ救出。また同時期のユーゴのボスニア紛争には積極的介入

ルワンダ虐殺に国連が動かなかった理由。1)内政不干渉の原則(国連憲章第2条7項)によりツチ虐殺前にフツへの武力行使は不可。2)1993年にPKOの米兵がソマリアで殺され米世論が消極的。クリントンも躊躇。このため安保理は動かず。3)黒人よりも白人が虐殺されていたコソボを安保理は優先

「欧米の政府からアフリカの虐殺の様子を見るための視察団が来て、こう言いました。『この国には石油などの資源もなく何の戦略的な価値もない。白人兵士を一人送るためには、この国の黒人8万5千人の死が必要だ」と。それが白人にとっての、アフリカの人々の命の価値だったのです」 ロメオ・ダレール

「アフリカのいくつかの国に対する先進国の関心は、ゼロに等しい状況です。私達は黒人に対して殖民地時代よりもひどい仕打ちをしています。私達は勝手に格付けを行って、いくつかの国を最低だと決めつけてしまったのです。自分たちには利益がない場所には、決して関与しない、と」 ロメオ・ダレール

欧米の白人国家にとっては、自国の白人兵士の命の重さは、アフリカの黒人8万5千人分に相当するとの意見がある。だが、その大切な白人兵士の命よりも重要なものがある。それが石油だ。イラクやリビアには石油があるから白人を派兵する。つまり、最も価値があるのは石油。次が白人の命。最後が黒人の命

「無力だと思ったわ。1993年ボスニアで取材していた時に。仕事としては、最高のレポートをしたわ。でも、毎日泣いてたの。でもこのルワンダでは、涙がでない。ボスニアでは白人女性が死んでた。だから母や娘を想像したの。でもここでは、『ただの黒人の死体』が転がってる。最低よね。あたしって」

ルワンダ虐殺に関する映画。1)『ホテル・ルワンダ』、2004年。ホテルのオーナーが虐殺されそうな住民を救う。2)『ルワンダの涙』、2006年。イギリスの青年海外協力隊の教師が学校を避難所に。3)『愛の叫び ~運命の100日~』、2006年。白人ジャーナリストと黒人ウエイトレスの恋


・・・

米軍、地方復興チーム(PRT)


アメリカはアフガニスタンとイラクで民軍連携による「地方復興チーム」(PRT)を組んで地域の治安維持などを行っているが米兵が死ぬと米国内の世論がうるさい為、民間軍事会社を使って2〜3万の黒人等の傭兵を雇い、中東の治安を担わせようという計画もある。米兵の命は他国民より重いという伝統だ


・・・

アメリカの公民権運動


公民権運動とは、1950〜1960年代にアメリカの黒人が公民権の適用と人種差別の解消を求めて行った大衆運動。16〜19世紀にアフリカから1500万人が奴隷として輸出。1776年アメリカ独立したが奴隷制は存続。1865年、南北戦争終結で奴隷制終結。1883年の最高裁で人種差別合法化

キング牧師(マーティン・ルーサー・キング・ジュニア1929-1968年)はアメリカのプロテスタントバプテスト派牧師。アメリカ黒人公民権運動の指導者。1964年、ノーベル平和賞受賞者。1955年、黒人が白人にバスの席を譲るのを拒んで逮捕されたローザ・パークス事件をきっかけに活動開始

米公民権運動の黒人指導者マーチン・ルーサー・キング牧師の偉業をたたえる記念碑の完成式典が2011年10月ワシントンで開催。米国初の黒人大統領となったオバマ大統領も式典に出席。米首都の新しい観光名所。1963年「私には夢がある」と演説したリンカーン記念堂に近いポトマック川沿いの一角

マルコムX(Malcolm X、1925-1965年)はアメリカの黒人公民権運動活動家。旧名はマルコム・アール・リトル。非暴力的な指導者だったキング牧師とは対照的にアメリカで最も攻撃的な黒人解放指導者。「ネーション・オブ・イスラム教団」のスポークスマンだったが後年対立し暗殺される

企業の社会的責任(CSR)における「人権」は、海外では(1950年代のアメリカ黒人公民権運動に端を発した)人種差別問題や、児童労働・強制労働(の禁止)が注目されるが、日本では(関西等での)同和問題(部落差別問題)、男女共同参画(女性の権利向上)、障害者雇用率などに注目が集まる傾向

欧米のCSRの歴史1950〜60年代。米国では南北戦争(1861-1865年)終結で奴隷制度が廃止されたはずが、人種差別が存続。1955年、黒人がバスで椅子を白人に譲らなかったローザ・パークス事件で公民権運動勃発。63年キング牧師が有名な「私には夢がある」演説。翌年ノーベル平和賞


・・・



アメリカの文化への影響


「ちびくろサンボ」(The Story of Little Black Sambo)とは、スコットランド人、ヘレン・バナマンが、自分の子供のために書いた手作りの絵本。1899年に英国で出版。アメリカで海賊版。主人公をインドの少年から米国の黒人に置き換えたため人種差別問題に発展した

新しいスパイダーマンは、10代の黒人とヒスパニック(中南米系)のハーフに。2011年8月、米国の書店などに並んだコミック誌「スパイダーマン」のリメーク版で、その素性が明らかにされた。オバマ大統領も、ケニア出身の父と白人の母を持つハーフ。出版元のマーベル社は「現実を反映したかった」

「何もかも失われた時にも、未来だけは、まだ残っている」 ボブ・ディラン(Bob Dylan、1941年生)。アメリカの歌手。1963年、黒人公民権運動が高まりを見せた時、『時代の代弁者』として活躍。 「あの頃、自分はずいぶん、年をとっていた。今は、あの頃より、もっとずっと若い」


・・・

イギリス


1993年にロンドンで黒人青年が殺された事件で英刑事裁判所は2012年、白人男性2人に殺人の有罪評決。16、17歳の少年が黒人を侮辱する言葉を叫び、黒人であるため警察が救命措置や初動捜査を怠ったことなどが判明。加害者側も捜査する側も人種偏見に染まっていた事件として衝撃を与えた。

英国・ロンドンの暴動が全国に飛び火。2011年8月、主要都市で若者たちによる放火や略奪が相次ぎ、ロンドン南部クロイドンでは建物が炎に包まれた。失業や歳出削減に対する若年層の不満が、暴動に拍車。発端はロンドン北部トットナムで警察官に29歳の黒人男性が射殺され警察への抗議活動が暴徒化


・・・

フランス


フランスは階級社会か。1)貴族、2)企業経営者(ブルジョワ)、3)労働者(プロレタリアート)の階層がある。貴族階級が未だに存在している。政治家や軍の将校は特定の大学の卒業者のみ。肉体労働はパリ18,19区に住む黒人か下層民。国内で最下層のフランス人が旧植民地国に行くと、おおいばり


・・・

ジャマイカ、ラスタファリ運動


ボブ・マーリー(Bob Marley、1945-1981年)ジャマイカのレゲエ・ミュージシャン。ラスタファリ運動を普及。Buffalo soldier (ユーチューブで2500万回再生) http://t.co/M8aZpuG 米陸軍第10騎馬連隊のニックネーム。黒人だけの部隊

ラスタファリ運動(ラスタファリアニズム)。1930年代ジャマイカの労働者階級を中心にして発生した宗教的思想運動。中南米の黒人のアフリカ回帰運動の要素。エチオピア最後の皇帝セラシエ1世(1892-1975年)をジャー(ヤハウエ、唯一神)の化身とする。レゲエ音楽家ボブ・マーリーが普及


・・・

南アフリカ共和国


「転ばないことより、転ぶたびに立ちあがること。そこに人生の栄光がある」 ネルソン・マンデラ(1918年生)。南ア元大統領。アパルトヘイトに抵抗していた黒人の武装を解除し、白人の罪を許し対話の道へ。1993年ノーベル平和賞。11の言語を公用語とする全民族融和の国 、『虹の国』を建国

南アフリカ共和国の別名は「虹の国」。1950年アパルトヘイトが実施されたが、ネルソン・マンデラは抵抗していた黒人たちの武装を解除し、白人の罪を許し両者が対話する道を作った。1993年ノーベル平和賞。1996年11の言語を公用語にする全民族融和の国 ”rainbow nation"

移行期の正義(transitional justice)に関連する事例。1)アルゼンチンで軍政から民政への移管後、訴追(1983年)。2)ユーゴスラビア紛争(1991-2000年)。3)ルワンダ虐殺(1994年)。4)南アフリカ共和国のアパルトヘイト撤廃(1948-1994年)。

南アフリカとワールドカップの歴史は複雑。1950年アパルトヘイト開始、1976年ソウェト蜂起(黒人学生デモ)で警察が500人を殺害、全国に反アパルトヘイト運動。同年FIFA(国際サッカー連盟)は南アフリカを除名。1994年マンデラ大統領がアパルトヘイト撤廃、FIFAは除名取り消し

サリバン原則とは1977年に黒人公民権運動家レオン・サリバン(Leon H. Sullivan)牧師が提唱した8項目の人権に関する企業行動原則。アパルトヘイト実施中の南アフリカにおいて米国企業に対し自発的な企業行動規範を定めた。1999年に改定されグローバル・サリバン原則となった

「我々の政府は、アパルトヘイト(人種隔離)政権よりもひどい」。南アフリカのノーベル平和賞受賞者、デズモンド・ツツ元大主教は、同氏が招待したチベット仏教最高指導者ダライ・ラマ14世に対し、南ア政府がビザを発行しなかったことに対し、激怒。同氏はアパルトヘイト撤廃に指導的な役割をした。


・・・

その他


差別用語・差別的表現の参考に。 放送禁止用語一覧  http://bit.ly/T3ZMQ 放送禁止用語 http://bit.ly/d8boh8 放送禁止用語集 http://bit.ly/7A7uaa