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目次:

毛沢東語録
毛沢東の略歴
毛沢東思想(マオイズム)
大躍進政策
文化大革命(文革)
改革開放後の再評価、毛沢東回帰
温家宝が批判
その他の周囲の人々
中国新世代、80后(パーリンホウ)
ネパールでの毛沢東主義派が政権奪取
インドでの毛沢東主義派
北朝鮮でも最高指導者は冷凍保存
リビアのカダフィに影響


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毛沢東語録


「共産主義は愛にあらず、共産主義は敵を叩き潰すためのハンマーなり」 毛沢東(1893-1976年)、中華人民共和国、建国の父。 「政治は血を流さない戦争であり、戦争は血を流す政治である」 「戦争は、別の手段による政治の継続である。」

「革命は、客を招いて御馳走することでもなければ、文章を練ったり絵を描いたり刺繍をしたりすることでもない。そんなにお上品で、おっとりした、雅やかな、そんなに穏やかで、大人しく、慎ましく、控え目なものではない。革命は暴動であり、一つの階級が他の階級を打ち倒す激烈な行動である」 毛沢東

「西側諸国と話し合いすることは何もない。武力をもって彼らを打ち破ればよいのだ。核戦争になっても別に構わない。世界に27億人がいる。半分が死んでも後の半分が残る。中国の人口は6億だが半分が消えてもなお3億。我々は何を恐れるというのか」 毛沢東、1957年、社会主義陣営首脳会議にて

「人はいずれ死ぬものだが死の意義には違いがある。司馬遷は『人はもとより一死あれども、あるいは泰山より重く、あるいは鴻毛より軽し』と。人民の利益のために死ぬのは泰山(山東省の山)よりも重い。ファシストのために尽くし民を搾取し人民を抑圧して死ぬのは鴻毛(鳥の羽毛)よりも軽い」 毛沢東

「毛沢東語録(Little Red Book、毛主席語録)」とは、1949年に中華人民共和国を建国した毛沢東(1893-1976年)の著作から引用された本。マルクス・レーニン主義を発展させた思想。1964年初版。文化大革命の象徴となった赤い表紙の本。「東風が西風を圧倒する」など


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毛沢東の略歴


毛沢東(1893-1976年)は中華人民共和国の建国の父。1911年の辛亥革命に参加したが以後共産主義に傾倒。1921年中国共産党大会に出席。1924年幹部に。国共内戦(1934−1949年)に勝利し、1949年建国。1958年の大躍進政策、1966年の文化大革命などは批判の対象

毛沢東(1893-1976年)。中国共産党の創立党員の1人で国共内戦に勝利し中華人民共和国を建国。タイム誌は「20世紀の重要人物の一人」。だが、大躍進政策、文化大革命での失政が批判の元に。結局、マルクス主義を中国社会に導入しようとした彼の試みは失敗に終わった(?)という意見もある

毛沢東の評価。|羃攷楊蔚ο孫顱1949年)の建国の父とされ国民から人気。大躍進政策(58年)、文化大革命(66年)が問題となり、大きな批判。死後、小平が改革開放(78年)を開始するも、貧富の差が拡大。平等を目指した毛沢東は再評価。じ渋綯羚颪任盞国の父・毛沢東の批判は禁忌


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毛沢東思想(マオイズム)


毛沢東思想(マオイズム、Maoism)とは、毛沢東を中心とする中国の共産主義者によってつくりあげられた中国共産党の指導理念。中国化されたマルクス主義。その信奉者はマオイストと呼ばれる。中国共産党綱領では、マルクス・レーニン主義、毛沢東思想、小平理論と「三つの代表」思想を掲載。

毛沢東思想。毛沢東(マオ・ツォートン)らが作った中国共産党の指導理念。マオイズム(Maoism)とも呼ばれ、その信奉者はマオイストと呼ばれる。「中国化されたマルクス主義」であり、マルクスとレーニンが確立した共産主義を指針とし、中国で『農民』を中心とする革命を実施しようとした。

毛沢東思想。毛沢東は小作農の家庭で生まれ、若い頃から農村社会と親しみ、その経験を元に中国社会を発展させようとした。‖膰無私(個人の利益より公共の福祉を優先する)、大衆路線(農村大衆の意見に政治的指針を求めそれを理解させて共に行動する)、実事求是(現実から学んで理論を立てる)


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大躍進政策


大躍進政策。社会主義改造済みの中華人民共和国にてマルクス主義の原則の元、数年間で経済的に米英を追い越すことを目的に、毛沢東が1958-60年に施行した農工業の大増産政策。だが農村の現状を無視したノルマを課した上、自然災害も重なり、最大5000万の餓死者を出して失敗。毛沢東は失脚へ

1958年から1960年まで中国の毛沢東は、農工業の大増産政策(大躍進政策)を実施。その一つが四害駆除運動。スズメ、ハエ、カ、ネズミが四害とされ、特にスズメは農作物を喰い荒すとして1年間で11億羽以上を捕獲。その結果、スズメが捕食していた昆虫類が増え害虫となり、逆に農業生産は減少


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文化大革命(文革)


文化大革命(文革、無産階級文化大革命、プロレタリア文化大革命)。中国で1966-76年に、「封建的文化、資本主義文化を批判し、新しく社会主義文化を創生しよう」という名目で行われた改革運動。政治・社会・思想・文化の全般にわたる改革運動という名目。実際は、毛沢東による内部クーデター

文化大革命。毛沢東は1958-60年の大躍進政策で失敗し、失脚。これにより中国共産党内に、修正主義(革命ではなく社会の安定を優先する社会主義の一派)が優勢に。毛沢東は自身の復権を画策し、文化大革命と称して内部クーデタを起こした。これが引金となり、一般民衆の大粛清にも発展していった

文化大革命。 1966-76年。大躍進政策の失政で失脚していた毛沢東による共産党内のクーデターで始まった大規模な粛清。毛沢東思想を信奉する10代の少年少女が「紅衛兵」を結成。マルクス主義で宗教が否定されたためチベット等で虐殺。粛清された人数には諸説あり40万〜1億人が被害にあった

中国の宗教。国教はなく、主な宗教は仏教、道教、イスラム教、キリスト教。宗教信者は総計1億人。憲法は「公民は宗教信仰の自由を持つ」。だが未成年者への宗教教育は禁止。共産党の指導に従わない宗教は邪教として弾圧。文化大革命の時期には宗教が徹底的に否定。特にチベット仏教とキリスト教が迫害


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改革開放後の再評価、毛沢東回帰


毛沢東回帰。中国市民の中には今なお「毛沢東万歳!」を叫ぶ者たちがいる。薄熙来の「唱紅」運動を後ろ盾とし「毛沢東」と「薄熙来」を一つにして「薄沢東」という新語。当時の「毛沢東讃歌」のような「薄熙来讃歌」が(ユーチューブに相当する中国の「優酷」(ユークー)に。ウェブサイト「烏有之郷」

薄熙来(はくきらい、1949年生)。中国の政治家。毛沢東の文化大革命期は紅衛兵のメンバー。80年、中国共産党入党。93年、大連市市長。2001年、遼寧省省長。04年、商務部部長。07年、重慶市委書記に就任、市公安局を巻き込んだ大規模汚職事件の摘発に乗り出し、1500人以上を摘発


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温家宝が批判


「中国国内に二つの勢力が現れている。一つは封建社会の遺物、もう一つは文化大革命の負の残滓(ざんし)だ。(中国の政治の世界に現れた)彼らは真実を語らせず、好んでうそを言う」 。温家宝(ウェン・チアパオ)首相の発言。2011年4月23日、香港にて。その政治的意図を巡って臆測が飛び交う

「中国共産党内で、文革の誤りと封建的な問題が完全には取り除かれていない」。中国の全国人民代表大会(全人代)で温家宝首相が最後の会見。2012年3月。これまで主張してきた政治体制改革を進められていない現状への危機感をあらわにし、改革が挫折すれば「文化大革命の悲劇がまた繰り返される」

「文化大革命の過ちと封建的な影響は完全には払拭できていない。政治改革を成功させないと歴史的悲劇を繰り返す恐れもある」。温家宝首相は、毛沢東の専横で暴力が吹き荒れた文化大革命に言及。共産主義の原点回帰を志向する保守派の台頭を念頭に、改革開放路線が揺らぎかねないと警鐘。2012年3月


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その他の周囲の人々


胡錦濤。中国の最高指導者。文化大革を総括し、1978年、改革開放を始めるに当たって、毛沢東路線を完全には否定しなかった。何と言っても建国の父で、(日本の天皇のように)彼のために「命をなげだす」のが美徳だと教育されてきた中国人民に対し、毛沢東を完全否定しては、改革などできなかった

周恩来(1898-1976年)。1917年、日本に留学。明治大学政治経済科に通学。1920年パリで中国共産党フランス支部を組織。毛沢東の信任を得、1949年、中華人民共和国が建国されてから死去するまでずっと首相。1972年、日本の田中角栄首相と日中共同声明に調印(日中国交回復)。


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中国新世代、80后(パーリンホウ)


中国の新世代の若者のことを「80后」(パーリンホウ)と言う。1980年代以降に生まれた若者のこと。1970年代まで続いた文化大革命後の「経済開放路線」の恩恵をフルに受けた中で成長してきた人たちが20歳代後半に。アニメなどの影響で対日感情はよく、今後日本経済をささえる存在になるかも


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ネパールでの毛沢東主義派が政権奪取


「テロとは何か」を考える上でネパールは好例。1996年、共産党毛沢東主義派が王政打倒のため武力闘争を開始。貧困層を取り込むため地方で教育なども実施。10年で王政打破し共和制に移行、テロ組織の指定が解除された。現在は与党で首相を輩出。要するに「革命に成功すれば英雄、失敗すればテロ」

ネパール共産党統一毛沢東主義派(マオイスト(Maoist)、毛派(もうは))。1995年ネパール共産党毛沢東主義派として結成。1996年、王政打破のため武装蜂起し内線。2006年、王政から共和制に移行。テロ組織の指定が解除された。2009年に小政党を合併し現在の名称に。現在、与党

ネパールで、政府軍と武装勢力の停戦の監視などに当たってきた国連の代表団が、2011年1月に撤収。政府軍と毛沢東主義派の間で10年に及んだ内戦が終わったあと、王制が廃止され、政府の要請で、国連は2007年から停戦の監視などを行なう代表団を派遣し、日本からは自衛隊員6人が参加していた

ネパールの制憲議会は2011年2月、首相の選出を行い議会第3党・統一共産党(UML)のカナル議長を選出。内戦時代のゲリラ勢力で議会第1党のネパール共産党毛沢東主義派(毛派)も支持。2010年6月、前首相が辞任した後、首相が決まらず7カ月間、政治空白。が、新憲法制定には3分の2必要

ネパールのカナル首相は2011年8月、ヤダブ大統領に辞表を提出。ネパールでは王制廃止後の新憲法を作るため制憲議会が2008年に発足したが成案を得られないまま辞任した首相はこれで3人。共産党毛沢東主義派(毛派)の旧ゲリラ兵の国軍への統合問題などの主要課題を巡って政党間の対立が続く。

ネパール制憲議会は2011年8月、議会第1党のネパール共産党毛沢東主義派(毛派)のバブラム・バタライ副議長を新首相に選んだ。王制廃止後の新憲法を作るため2008年に議会が発足したが、それを制定できないまま政党間の対立で首相交代が繰り返されている。ちなみに前政権も半年間の短命だった

長年にわたる内戦のあとも、政治的な混乱が続くヒマラヤ山脈の国ネパールでは、かつて内戦を戦った武装勢力を抱える左派政党(ネパール共産党・毛沢東主義派(マオイスト))から新しい首相が選出された。2011年8月。民主的な国作りに向けて野党側と協力関係を築くことができるか、注目される。

ネパールでは内戦後に王制が廃止されたが新憲法の制定を巡って政党間の対立。制定できず前首相は引責辞任。2011年8月、与党の共産党毛沢東主義派のバッタライが新首相に選出。‖臈領に強い権限を与えることや、軍や警察に民兵を統合することを主張し、ほかの政党と対立、していたが選出された


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インドでの毛沢東主義派


インド東部ジャルカンド州ガルワ地区で2012年1月、地雷によって警察の車が爆発し、警官13人が死亡、2人が負傷。治安当局は反政府武装勢力のインド共産党毛沢東主義派(毛派)の犯行だとみている。毛派は農村部で支持を集め、警察などへの襲撃を繰り返す。前月にも警官10人と子供一人が死亡

インドで政府に批判的な著名言論人に対し扇動罪が適用。最高刑が終身刑の重罪で「国家による言論弾圧だ」との批判。1)少数部族の保健医療に携わり国際的に表彰された医師が共産党毛沢東主義派に関与したとして終身刑。2)分離独立を求めるカシミール地元民を支持した女性作家(英ブッカー賞受賞)も


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北朝鮮でも最高指導者は冷凍保存


北朝鮮が2011年12月17日に死去したと発表した金正日総書記の遺体が、父親の金日成主席と同様に永久保存処理される模様。防腐処理を施した遺体の永久保存は、共産国家の指導者によく見られ、旧ソ連のレーニンやベトナムのホー・チ・ミン、中国の毛沢東らの例。クムスサン記念宮殿に永久保存か。


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リビアのカダフィに影響


「緑の書(The Green Book)」とは、リビアのカダフィ大佐の革命思想書。1975年に発表。資本主義でも共産主義でもない独自の理論「世界第三理論」が中核。1964年に中国で刊行された「毛沢東語録(Little Red Book)」に影響を受け、コーランの世界観を加えたもの

カダフィは悪人だったのか?国連開発計画が毎年発表している人間開発指数を見る限り、そうは思えない。アフリカの中ではトップクラスの開発状態で国民の健康レベルは先進国並み。自著「緑の書」(毛沢東とコーランの影響を受けた独自理論)通りの理想国家を目指した。独裁国家なのは、中東では全部そう