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コプト教とは?


コプト正教会(コプト教)とはキリスト教の東方教会(東欧や中東に普及したキリスト教諸教派)の一つ。紀元2世紀にエジプトで独自に発展。451年に(現イスタンブールの)カルケドン公会議で「キリストに神性と人性の両方があること」が確認されたがそれを否定する教派のため非カルケドン派とされる


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エジプトの歴史・経緯


エジプトの歴史。1)古代王朝時代(BC5000年頃)。世界四大文明。2)ペルシア時代(BC525年)ペルシア帝国の支配。3)ギリシア時代(BC332年)プトレマイオス朝の支配。4)ローマ時代(BC30年)。5)コプト教(原始キリスト教)時代(0年)。6)イスラム教時代(640年)

エジプト・アラブ共和国は、アフリカ北東部で中東に近くイスラム文化圏にあるが、キリスト教(コプト教)等も。有望な投資の対象となる新興国「NEXT11」に入っているが、主力の綿製品が国際価格競争で苦戦。食料は輸入に頼り、2004年には物価上昇率10%。2008年世界的な食料高騰でデモ


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イスラム教とコプト教の対立


エジプト北部アレクサンドリアで、2011年1月1日未明、キリスト教の一派コプト教の教会前で爆弾を身につけていた男が自爆し、保健省によると21人が死亡、97人が負傷。事件後、コプト教徒とイスラム教徒の間で投石など小競り合い。宗教間の対立が高まる恐れ。教会には約千人が集まっていた。

エジプトの首都カイロで2011年3月、キリスト教の一派コプト教徒とイスラム教徒との間で数千人規模の衝突があり、少なくとも11人が死亡、110人が負傷。前週、カイロ郊外のコプト教会がイスラム教徒によって放火された事件がきっかけ。コプト教徒は人口8千万の1割。政府に信教の自由を要求。

カイロ西部で2011年5月、イスラム教徒とキリスト教の一派のコプト教徒の間で乱闘が起き、コプト教の教会が炎上。10人が死亡、200人近くが怪我をした。エジプトでは2月の政変以降、治安機関が弱体化し、多数派のイスラム教徒と、同国人口の1割程度とみられるコプト教徒との対立が暴動に発展

エジプト・カイロの中心部で2011年10月「信教の自由」の保障などを求めるキリスト教の一派コプト教徒らによる抗議デモと、軍治安部隊が衝突。少なくとも23人が死亡。軍最高評議会は夜間外出禁止令。コプト教会に対する攻撃が起きている事態に対し軍政が信教の自由を保障していないことへの抗議


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教皇が死去


エジプトのキリスト教の一派、コプト正教会(Coptic Orthodox Church)の教皇シェヌーダ3世が死去。2012年3月。サンマルコ大聖堂で遺体が公開。遺体を一目見ようと殺到した信者が押し合いになり、3人が圧死。ローマ法王ベネディクト16世、オバマ米大統領などが追悼の意

コプト正教会。中東最大のキリスト教派でエジプトの人口の約10%にあたる8000万人以上が信仰していると推計されている。2012年3月に死去したシェヌーダ3世は、約40年にわたって教皇を務め、イスラム過激派による攻撃から信者を守った。サダト政権時代、イスラム教擁護を批判し幽閉された


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エキュメニズム(キリスト教の教会一致促進運動)


エジプトのキリスト教多数派であるコプト正教会の教皇シェヌーダ3世が死去。2012年3月。1971年から中東教会協議会(WECC)の代表としても指導的役割を担い、数十年間にわたってエキュメニカル運動(キリスト教の教会一致促進運動)を推進。世界教会協議会(WCC)は追悼文を発表。

エキュメニズム (Ecumenism、世界教会一致運動、エキュメニカル運動、世界教会主義) 。キリスト教の超教派による結束を目指す主義、キリスト教の教会一致促進運動。20世紀に起こった、プロテスタントを中心とするキリスト教の教会一致運動。1910年のエジンバラ世界宣教会議が源流