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目次:

はじめに
明石康とは?
国連カンボジア暫定統治機構(UNTAC)
明石康への批判、スレブレニツァの虐殺
最近の、明石康
日本と国連の歴史
日本人で、国連『事務次長』(国連ナンバー2の1人)に就任した人
関連ブログ

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はじめに


「雄弁な事が重要ではない。我々調停者の間で一致している事は、まず、『良き聞き手』になるべき。相手が何を心配し、何を怒り、何を不安に思い、何をやりたがっているか、それを徹底的に聞き出すこと。交渉とは相手の心に耳を澄ますことだ」 明石康(1931年生)。元国連事務次長(国連No.2)

「人は、いつも日が当たる所にいるとは限らない。障害物にぶつかることもあれば、努力しても報われないと感じたり、成果が上がらないこともある。それでも、一生懸命自分を磨いていくことが大事。若いうちは、いろんなことをやってみると良い。問題にぶつかることで各自の適正がわかってゆく」 明石康

「事態が緊迫するほどジョークを飛ばす癖がある。自分と周囲の人をくつろがせ、冷静に判断するのに役立つ」 明石康(1931年生)。元国連事務次長。1957年、日本人として初めての国連職員に採用された。「望むこと、必要とすることは口に出して伝えることが必要。言わなければ何も伝わらない」


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明石康とは?


明石康(1931年生)。国連事務次長を2度(1979年は広報担当、1996年は人権担当)。秋田生まれ。旧制山形高校を経て東大教養学部へ。フルブライトで留学。1957年、日本人として初めての国連職員に採用。1992年、国連カンボジア暫定統治機構・事務総長特別代表に就任、和平に貢献。


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国連カンボジア暫定統治機構(UNTAC)


国連カンボジア暫定統治機構(UNTAC)。平和維持活動(PKO)機関。1991年のパリ和平協定に基づき、1992年に国連事務総長の下に設立。事務総長特別代表に、国連事務次長だった日本の明石康が就任。停戦の監視、治安の維持、武装勢力の武装解除、難民の帰還促進など。自衛隊もPKO参加


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明石康への批判、スレブレニツァの虐殺


明石康への批判。1994年、旧ユーゴ問題担当・事務総長特別代表に就任。文官として国際連合保護軍(UNPROFOR)の最高指揮権を附与されていたが、ボスニアにおいて攻勢を強めるセルビア人勢力に対し、指導力・決断力を発揮し得なかったことが原因となり『スレブレニツァの虐殺』発生を招いた

スレブレニッツァ(スレブレニツァ)の虐殺。1995年7月11日。1990年代ボスニア・ヘルツェゴビナは旧ユーゴからの独立を廻り民族対立。8割がボスニア人・イスラム教徒、2割がセルビア系。1995年セルビア武装勢力がイスラム教徒の男性と男児を8000人殺害。いわゆる「民族浄化」。

スレブレニツァの虐殺。ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争中(1992-95年)スレブレニツァで95年7月に発生した大量虐殺(ジェノサイド)。ユーゴスラビア解体の中セルビア人がボスニア人イスラム教徒8,373人を虐殺(民族浄化)。国連PKOは物資と人数が足りず無力で傍観。以後批判を受ける

1990年代の国連PKOの失敗。。坑嫁、第二次国連ソマリア活動で内戦に軍事介入するも失敗。米兵が殺され全面撤退へ。■坑看、ルワンダ虐殺を傍観。5譽罅璽瓦猟篝鏨道襪鯒ぬ海箸靴森駭∨標羞海蓮■坑鞠「スレブレニツァの虐殺」(セルビア人によるボスニア人のイスラム教徒の殺害)を防げず

Robust PKO(第二世代PKO)の失敗。1)1992年、第二次国連ソマリア活動で平和強制に失敗。米兵も殺され全面撤退へ。2)1992年、旧ユーゴの停戦監視を任務とした国連防御軍は、1995年「スレブレニツァの虐殺(セルビア人によるボスニア人のイスラム教徒の殺害)」を防げず。

「民軍関係・民軍連携・民軍協力と援助関係者の死亡増加に関するツイート」  その1 http://t.co/IXPPtMY その2 http://t.co/jgKYYxx その3 http://t.co/FqXgmOX 山本敏晴のブログより 長大なので、その1に『目次』あり。


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最近の、明石康


外務省、日独模擬国連会議の開催、2011年8月。31日から二日間。日本とドイツの若者の国連及び国際関係に対する理解を促進することを目的として、明石康国際文化会館理事長(元国連事務次長)とシュタンツェル駐日ドイツ大使の呼び掛け http://t.co/9zJ0vRA


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日本と国連の歴史


日本と国連の歴史。。隠坑毅嫁主権回復。国連加盟申請。ソ連の拒否権で不可。56年加盟。■毅固から安保理の非常任理事国を数度。69年、愛知揆一外相の国連総会演説で常任理事国入り希望。ぃ沓嫁国連大学創設を受け73年招致、92年完成。ィ沓糠、明石康が国連本部・事務次長。96年も

日本と国連の歴史。Γ隠坑牽固WHO事務局長に中嶋宏。99年ユネスコ事務局長に松浦晃一郎。В牽糠ナミビアでPKO参加。文官が選挙監視。92年PKO法で自衛隊がカンボジア。┌坑映UNHCRトップに緒方貞子。94年ラザリ案提出するも失敗。95年敵国条項削除可決、だが削除されず

日本人が国連機関のトップになった例。1979年、明石康が国連本部・事務次長、96年も。1988年WHO事務局長に中嶋宏。1991年UNHCRに緒方貞子。1999年ユネスコ事務局長に松浦晃一郎。2009年天野之弥が国際原子力機関事務局長。2011年柳井俊二が国際海洋法裁判所所長。

日本人の国連での活躍。〔誓亶(事務次長1979−97年)。中島宏(WHO事務局長:88−98年)。緒方貞子(UNHCR91年−2000年)。ぞ庄差鍵賚此淵罐優好鎧務局長99−09年)。ゾ和田恒(国際司法裁判所所長09ー11年)。ε渓酣渓 (IAEA事務総長:09年−)


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日本人で、国連『事務次長』(国連ナンバー2の1人)に就任した人


日本人で、国連『事務次長』(国連ナンバー2の一人)に就任した人。 \崔源一(広報担当、1978−1979年)。¬誓亶(広報担当・軍縮問題担当・人道問題担当、1979−1997年)。Kヾ齋鮑遏聞報担当、1999−2000年)。ぢ臈膰三(人道問題担当、2001−2003年)。

日本人で、国連『事務次長』(国連ナンバー2の一人)に就任した人。 グど信泰(軍縮問題担当、2003−2006年)。ε鎮羶明(軍縮問題担当、2006−2007年)。Ю嶌綫粁粥聞報担当、2007−2012)。┨眇楾雄(財務担当、2012年−)


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関連ブログ


「国連改革、安保理改革に関するツイート 20120122まで 14683字」 http://t.co/hiFhot1S 山本敏晴のブログより

「高須幸雄・前国連大使の国連事務次長(人事や予算を所管する管理局長)への就任に関するツイート 20120514まで 1989字」 http://t.co/IxngS2OL 山本敏晴のブログより