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目次:

はじめに
アウンサンスーチーとは?
2010年の動き
2011年の動き
2012年のミャンマー国内での動き
スーチー、タイへ、2012年5月
スーチー、ILO総会で演説、2012年6月
スーチー、ノーベル平和賞受賞演説、2012年6月
ノーベル平和賞
映画 The Lady アウンサンスーチー ひき裂かれた愛
ビルマとは?、ミャンマーとは?
関連ブログ


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はじめに


「人間だから衝突することもある。それを解決する手段は銃で殺しあうのではなく対話です。必ず協調点はあります。絶えず相手の気持ちをわかろうとすること。自分が希望や恐れを抱いているのであれば、相手も希望と恐れを持っていることを共感を持って理解することから始めましょう」アウンサンスーチー

「一人の人間としてこの世に生を承けながら、ただただ自分のことだけを考えて生き、それで死んで行くなんて。…せっかく人間として生まれた甲斐が、ないのではないでしょうか。」 アウンサンスーチー(1945年生)


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アウンサンスーチーとは?


アウンサンスーチー(1945年生)。ミャンマーにおける非暴力民主化運動の指導者。「ビルマ建国の父」とされるアウンサン将軍の娘。69-71年、国連に勤務。89年、軍事政権に抵抗する政党(NLD)を作り90年の選挙で勝利するも政権委譲を拒否され自宅軟禁される。91年ノーベル平和賞受賞

「日本と異なるのは、ミャンマーの人々の名前に姓がないこともあげられます。アウン・サン・スー・チーさんの名前は父親と母親の名前をとって付けられていて、「アウンサンスーチー」でひとつの名前です。世界の人々の名前は、どの国も姓・名でできているわけではありません。」麻布高校・鳥越泰彦

ミャンマーのアウンサンスーチーが2010年までの自宅軟禁中に65歳に。彼女はオクスフォード大を卒業後(国際協力で有名な)ロンドン大学東洋アフリカ研究学院(SOAS)で助手をし国連本部に勤務。1988年頃から帰国し民主化運動。1990年、総選挙で勝利したが軍事政権は権力の委譲を拒否

国民民主連盟(National League for Democracy、NLD)。ミャンマーの政党。議長はアウンサンスーチー。1989年軍事政権に抵抗するため作られたがスーチーは自宅軟禁され党も政治活動を停止。だが90年の選挙で大勝(485議席中392)。だが軍政は政権委譲せず


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2010年の動き


ミャンマーは2010年に選挙が行われたが、その前にスーチーの国民民主連盟(NLD)が解党させられた。選挙に出ないことで選挙の非民主的やり方を批判しようという元NLD幹部と、選挙に出られなければ意味がないとする幹部が分裂。後者が「国民民主勢力(NDF)」を設立。軍事政権の思うつぼに


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2011年の動き


日本政府はミャンマーのアウンサンスーチーとの会談のため菊田真紀子外務政務官を2011年6月にミャンマーに派遣する方向。政務三役でスーチーと会談するのは02年の川口順子外相以来9年ぶり。3月末に発足したテインセイン政権との会談も調整中。双方との会談で民主化と和解に向けた動きを後押し

「ビルマ(ミャンマー) アウンサンスーチー氏がイラワディ川ダム開発に懸念を表明」深刻な社会・環境的悪影響が起きる可能性があると懸念。豊富な食料の源、様々な水棲動植物のすみか、伝統的な暮らしの支え、数え切れないほどの散文や詩を生む霊感の源泉 http://t.co/pB2qadLr

アウンサンスーチーは2011年10月、東南アジア諸国連合(ASEAN)議長国インドネシアのマルティ外相と会談した際、2014年のASEAN議長国にミャンマーが就任することに一定の理解を示した。3月の民政移管で発足したテインセイン政権は、国際社会への復帰第一歩として議長国就任を希望

日本の対ミャンマーODA再開へ向けた両国の事務レベルによる政策協議、2011年11月、ミャンマーの首都ネピドー。バルーチャン水力発電所の補修や、人材開発センターの創設などがODA対象案件として話し合われる見通し。日本はスーチーが拘束された2003年以降、人道支援を除くODAを凍結

ミャンマーを訪問中の玄葉光一郎外相は2011年12月、ヤンゴンで民主化運動指導者、アウンサンスーチーと会談した。玄葉外相は会談で、スーチーの近い将来の訪日を正式に要請。スーチーも「行きたいという希望を持っている」と前向きな考えを表明し、2012年にも訪日が実現する可能性


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2012年のミャンマー国内での動き


ミャンマーの民主化運動のリーダー、アウン・サン・スー・チーが立候補を表明しているミャンマー議会の補欠選挙が2012年4月に実施。スー・チーは、年明けから政治活動を活発化させ、政府はこれを全面的に容認。補欠選挙には、軍事政権時代に解党されたスーチー率いるNLD(国民民主連盟)が参加

ミャンマーで2012年1月、テインセイン大統領の恩赦による受刑者651人が釈放。焦点となっていた著名な政治犯も含まれる。政治犯の釈放は、アウンサンスーチーや欧米が繰り返し求めてきたもの。1988年の反政府デモで中核となった「88世代学生グループ」の指導者ミンコーナインも釈放へ

アウンサンスーチーの初の政見放送。2012年3月。〔閏膕修亮存修妨けた憲法改正の必要性を指摘。言論の自由などが制限されている現状に触れ、法による支配の尊重を訴えた。議席の25%を軍人が占める現在の連邦議会の構成も変えると表明。6軌蕁医療、農業の発展と労働者や若者の生活向上

ミャンマー補欠選で当選後に問われるスーチーの政治手腕。2012年3月。「公職に就く公算が大きいが、このことは、南アのマンデラやインドのガンジーと並ぶ反体制運動の象徴的立場から、経済・社会問題に苦しむ同国の中心的政治家としての挑戦の始まりを意味する」。ウォールストリートジャーナル

ミャンマーで、国会の補欠選挙。2012年4月。野党・国民民主連盟(NLD)は、下院に立候補している党首のアウンサンスーチーが当選したと宣言。長く自宅軟禁に置かれた彼女とNLDの国政参加は、改革が進むミャンマーの歴史的な節目。2010年の総選挙は「公正な選挙でない」としてボイコット

ミャンマー連邦議会補選。2012年4月。与党の連邦団結発展党(USDP)は大敗。計45議席が争われた今回の補選で、野党、国民民主連盟(NLD)が8割以上の議席を獲得。NLDを率いるアウンサンスーチーへの強固な支持が裏付けられた。全議席が改選される15年の総選挙次第では、政権交代へ

ミャンマーの最大野党国民民主連盟(NLD)は、2012年4月下旬に開かれる国会をボイコットする可能性。アウンサンスーチー党首らが議員に正式就任する際の宣誓に「憲法を守る」などの文言があり、改憲を目指す公約に反するという。憲法を「守る」から「尊重する」に文言を変えるよう要請

ミャンマーの国会補欠選挙(2012年4月)で圧勝した最大野党、NLDのアウンサンスーチー党首は、4月末、議員就任の宣誓文をめぐって初登院を見合わせていた問題で、一転して、「国民の要望などをかんがみ、国会に行くことを決めた」と述べた。「憲法を順守する」という宣誓文に反発していた


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スーチー、タイへ、2012年5月


ミャンマーで民主化運動を率いているアウンサンスーチーがタイを訪問。2012年5月末。1988年以来15年間の自宅軟禁をはさみ、24年ぶりの外国訪問。\こΨ从僖侫ーラム東アジア会議に参加。▲丱鵐灰郊外でミャンマーからの出稼ぎ労働者と面会。タイへのミャンマー難民や活動家らと会談

タイを訪れているミャンマーのアウンサンスーチーはミャンマー人移民が多数働くバンコク南郊サムットサコン県を視察し熱烈な歓迎を受けた。2012年5月。「私たちは皆さんを見捨てません。皆さんが帰国できるよう、力を尽くします」。エビなどの水産加工場で200万人のミャンマー人の出稼ぎ労働者


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スーチー、ILO総会で演説、2012年6月


ミャンマー最大野党の党首アウンサンスーチーが国際労働機関(ILO)総会で演説。2012年6月。「民主主義の促進につながる投資を期待する。経済成長は民主化プロセスの促進につながる」。一方で国営石油ガス公社について「まだ透明性が十分に確保されていない」として当面は投資を控えるよう要請


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スーチー、ノーベル平和賞受賞演説、2012年6月


ミャンマー民主化運動指導者アウン・サン・スー・チー(66)はオスロ市庁舎で1991年に授与されたノーベル平和賞の受賞演説。2012年6月。1988年から民主化運動に身を投じ、「民主主義と人権のための非暴力の戦い」への取り組みを理由に平和賞を受賞。だが軍事政権により自宅軟禁中だった

「完全な世界平和の実現は到達できない目標だ。でも、私たちは星に導かれる砂漠の旅人のように、平和を目指して旅を続けなければならない」。ミャンマーの民主化運動指導者のアウンサンスーチー(66)がノルウェーの首都オスロで、1991年にうけたノーベル平和賞の受賞演説を実施。2012年6月

「平和が意味するのは、暴力や戦争を終わらせることだけではない。平和を脅かす差別や不平等、貧困などの要因すべてを排除することだ」。アウン・サン・スー・チーがノーベル平和賞の受賞演説の直前に、米CNNに対し、ミャンマー北部の民族紛争や、西部で激化している宗教対立を懸念。2012年6月

「自宅軟禁中、自分が現実世界の一部でなくなってしまった感覚を持った。私個人にとってノーベル平和賞の受賞は、民主主義や人権に対する自分の関心が国境を越えて広がったことを意味する。ノーベル平和賞は私の心の扉を開いてくれた」。アウンサンスーチーがノーベル平和賞の受賞演説。2012年6月

ミャンマー民主化運動指導者アウン・サン・スー・チーがノーベル平和賞の受賞演説。2012年6月。「ノーベル平和賞が世界の注目をビルマ(ミャンマー)での民主主義や人権への戦いに引きつける役割を果たしてくれた」と謝意を述べ、民主改革に対する国際社会の協力の重要性を強調した。


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ノーベル平和賞


ノーベル平和賞と民主化。1989年ダライ・ラマ14世(中国)1990年ミハイル・ゴルバチョフ(ソ連)1991年アウンサンスーチー(ミャンマー)1993年ネルソン・マンデラ、フレデリック・デクラーク(南ア)2003年 - シーリーン・エバーディー(イラン)2010年劉暁波(中国)

「ノーベル平和賞に関するツイート20101210まで 6794字」 http://t.co/wIVUp695 山本敏晴のブログより


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映画 The Lady アウンサンスーチー ひき裂かれた愛


映画「The Lady アウンサンスーチー ひき裂かれた愛」 http://t.co/0elt8c3n 2012年7月21日から日本公開予定 http://t.co/Kf0HUT7c ビルマ民主化運動のリーダーであり、ノーベル平和賞を授賞したアウンサンスーチーの半生を描いた映画

アウンサンスーチー(1945年生)。いつも髪に差している鮮やかな花の髪飾りは、再会することなく死別した英国人の夫(マイケル・アリス、1946-1999年、チベット研究者)と、かつて誕生日に贈りあった品種(オーキッド、蘭の一種)。彼女にとってこれをつけることが無言の抵抗の証とされる


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ビルマとは?、ミャンマーとは?


ビルマ族。起源は中国青海省(西部)に住んでいたチベット系の氐(てい)族。8世紀、中国西南部、雲南地方で南詔(なんしょう)というチベット・ビルマ語族の王国を建国。1044年(現ミャンマー中央に位置する)エーヤワディー川でパガン王朝を樹立。これがビルマの起源か。9割が上座部仏教を信仰

ビルマ。1044年ビルマ族がエーヤワディ川周辺でパガン王朝。1314年モンゴル侵攻で滅亡。1752年コンバウン王朝として復興。1886年から英国統治。1942年アウンサンが日本と共に英国を駆逐、43年ビルマ建国。45年英国に寝返り再び英国領。48年英連邦離脱、ビルマ連邦として独立

ビルマとミャンマ−の国名の混乱。1948年にイギリス連邦を離脱し、ビルマ連邦として独立。中国の国共内戦の影響の後、1962年ネ・ウィン将軍の軍事クーデターでビルマは社会主義を標榜。1989年6月、軍政はミャンマー連邦へ国名を変更。同政権は国連代表権を持つため、日本政府もそれを承認


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関連ブログ


「ミャンマーへの日本企業の進出に関するツイート 20120223まで 7250字」 http://t.co/lIjzZof5 山本敏晴のブログより