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目次:

はじめに
日露通商条約、1855年
日ソ共同宣言、1956年10月
プーチンと森首相、イルクーツク声明、2001年
メドベージェフの国後訪問、2010年11月
菅首相が駐ロシア大使を更迭、2010年12月
ロシア国防相が択捉訪問、2011年1月
メドベージェフが千島列島に軍隊配備、2011年2月
プーチンとメドベージェフの対日方針の違い、2011年9月
クリール諸島(千島列島と北方四島)共同開発、2011年11月
プーチンの大統領復帰、2012年3月〜5月
プーチンと野田首相が和解、2012年6月
メドベージェフが択捉訪問、2012年7月


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はじめに


プーチン(プ)とメドベージェフ(メ)の相違。.廚楼汰簡歉磴悩蚤腓龍式劼話羚顱F本は対抗するため利用するカード。メは日本と敵対。∨綿領土に対しプは歯舞、色丹を返還する56年宣言は義務だが、それを餌に日本を外交利用。メは始めから無視して白紙。E形灰スをプは日本へ。メは朝鮮半島へ


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日露通商条約、1855年


1855年の日露通好条約(下田条約)で当時の日本(江戸幕府)とロシア帝国は択捉島(えとろふ)の北を国境線とし、それ以南は日本に。1945年ソ連が終戦後、北方4島に侵攻。1956年の日ソ共同宣言で歯舞群島(はぼまい)・色丹島(しこたん)を日本に引き渡すとした。しかし約束は実施されず


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日ソ共同宣言、1956年10月


日ソ共同宣言(日本国とソヴィエト社会主義共和国連邦との共同宣言)。1956年10月に日本とソビエト連邦がモスクワで署名し、国会承認をへて、同年12月に発効した条約。両国の国交が回復、関係も正常化。条約締結後にソ連が歯舞群島と色丹島を引き渡すという前提だったが、実施されず


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プーチンと森首相、イルクーツク声明、2001年


プーチン。北方領土問題については「2島返還」論者。前大統領期、平和条約の締結後に色丹、歯舞を引き渡すとした1956年の「日ソ共同宣言」が有効と発言。2001年、森首相との「イルクーツク声明」は同宣言が交渉の出発点だと明記。だが、その後の交渉は停滞。メドベージェフは対日強硬論だった


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メドベージェフの国後訪問、2010年11月


ロシアのメドベージェフ大統領が、北方領土の国後島を2010年11月1日に訪問した。ロシア最高指導者が北方領土を訪問したのは、ソ連時代を含めて初めてのことだった。中止を求めていた日本との関係は悪化した。大統領は東アジアサミットのあったベトナムからサハリンへ。小型機に乗り換え国後島へ

メドベージェフ大統領の北方領土訪問。1)国後島内では日露関係に触れずあくまで国内の視察を強調。2)日本の4島返還要求を否定。色丹・歯舞の2島返還での妥協を暗示。3)次回のロシア大統領選でプーチンを上回る支持欲しい、4)アメリカ・中国はロシアの領有を否認、5)APECで日露首脳会談

菅首相とロシアのメドベージェフ大統領が、2010年11月、横浜市で開かれるアジア太平洋経済協力会議(APEC)首脳会議に合わせて会談。ロシア大統領は11月初旬ソ連時代を含むロシアの最高指導者としては初めて北方領土を訪問。菅首相は、「言うべきことは言う。北方四島は日本の固有の領土」

北方領土問題と「共同経済活動」。2012年3月に大統領復帰が見込まれるプーチンが、2000年の訪日時に2島返還を容認したのは確かだが、10年11月、横浜のAPECでメドベージェフは、北方領土における水産加工、漁業、地熱エネルギー、観光などの分野での協力(日露の共同経済活動)を提案


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菅首相が駐ロシア大使を更迭、2010年12月


菅政権は2010年12月、河野雅治駐ロシア大使を退任させ、後任に原田親仁駐チェコ大使を起用。河野は11月のメドベージェフ・ロシア大統領の北方領土訪問の際の対応が疑問視。また菅政権としてはロシアの情報収集が不十分だったことを認め責任者の駐ロシア大使を交代させることで、けじめをつける


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ロシア国防相が択捉訪問、2011年1月


ロシアのセルジュコフ国防相が2011年1月5日、北方領土の択捉島(えとろふとう)を訪問。社会経済開発だけでなく軍事的観点からも北方四島を実効支配。2010年11月のメドベージェフ大統領の訪問はクリル諸島(千島列島)社会経済発展計画(2007)に基づくインフラ整備の視察が目的だった

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メドベージェフが千島列島に軍隊配備、2011年2月


ロシアのメドベージェフ大統領は2011年2月「北方領土(千島列島)はロシアが主権を持つ領土だ。北方領土の軍事力は、必要で十分、かつ現代的でなければならない。ロシアの一部として不可分の島々の安全を保障するためだ」と述べ、近代化を進める意向。北方領土には2千〜3千人のロシア部隊が駐留


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プーチンとメドベージェフの対日方針の違い、2011年9月


ロシアのプーチン首相とメドベージェフ大統領は「双頭体制」を組んで事実上の独裁。実際はメドベージェフはプーチンの傀儡。が、最近メドベージェフは、1)次期大統領選に向け北方領土訪問など国民にアピール。2)司法権の独立というリベラル改革にも取り組みプーチンと亀裂か?2人のスタンスに注目

ロシア、メドベージェフの失敗。2011年9月。.廖璽船鵑話羚颪鮑蚤腓龍式劼塙佑─△修譴紡亶海垢襪燭疇本を利用しようと考えていた。だがメドベージェフの北方領土強硬策は対日関係の悪化を招き、そのカードを使いにくくなった。∨鳴鮮と友好関係を持ったが、拉致問題を抱える日本はやはり反発


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クリール諸島(千島列島と北方四島)共同開発、2011年11月


ロシアのメドベージェフ大統領は2011年11月、北方領土の共同開発を日本に呼びかけた。「韓国であれ中国であれ全ての投資家がウエルカムだ。クリール諸島(千島列島と北方四島)を共同開発する用意があることは日本の首相に一度ならず言ってきた。日本がこの(列車の)車両に乗り遅れないことだ」


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プーチンの大統領復帰、2012年3月〜5月


ロシア大統領に返り咲いたプーチン。2012年3月。北方領土問題について、柔道家として「引き分け」という日本語を使い、相互に受け入れ可能な妥協点を探り、「最終決着させたい」と表明。大統領1期目の2000年9月、歯舞・色丹の引き渡しに言及した1956年の日ソ共同宣言の有効性を認めた

プーチン。ロシアが中国に国力で大きく引き離されつつある状況を踏まえ、2012年からの2回目の大統領職で、メドベージェフ時代に険悪化した日露関係の改善に動くとの見方が多い。|羚颪粒し確漏搬腓紡个垢詢捷颪琉汰簡歉磧↓天然ガス等の資源外交、『外交カード』としての北方領土の2島返還。


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プーチンと野田首相が和解、2012年6月


ロシアのプーチンと野田首相の北方領土を巡る会談。2012年6月。停滞している領土交渉を再び活性化させることで一致。前メドベージェフは対日強硬派で10年に国後島を訪問。またクリル諸島(千島列島)社会経済発展計画(07年)に基づくインフラ整備などで日露関係は悪化。その関係の仕切り直し

ロシアのプーチンと野田首相の北方領土を巡る会談。2012年6月。プーチン大統領は(趣味の)柔道の用語の「引き分け」を使い、1956年の日ソ共同宣言に基づく(歯舞・色丹)の2島返還で「引き分け」にしよう、という提案。野田首相はこれを拒否。それでは「引き分け」にならない、と発言した。


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メドベージェフが択捉訪問、2012年7月


ロシアのメドベージェフ首相が北方領土の択捉島を2012年7月に訪問すると極東の通信社「サハリン・インフォ」が6月下旬に報道。同通信社によると、首相は現在、ロシア極東の訪問計画を準備中。7月2日にウラジオストクに入り次いでサハリン州と択捉島を訪れ最後にカムチャツカ半島に向かうという

ロシア極東サハリンの通信社はメドベージェフ首相が北方領土の択捉島を2012年7月月上旬に訪問すると報道。同首相は大統領時代の10年11月に国後島を訪れ、北方領土訪問は2回目。野田首相とプーチン大統領は6月中旬に初会談し北方領土交渉の「再活性化」で一致したばかり。日本側の反発は必至