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目次:

はじめに
足尾鉱毒事件
渡良瀬遊水地がラムサール条約に
田中正造
足尾鉱毒事件田中正造記念館
環境省
四大公害病と公害国会
関連リンク


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はじめに


「真の文明ハ山を荒さず、川を荒さず、村を破らず、人を殺さゞるべし」。田中正造。1841年(天保12年)現在の栃木県佐野市生まれ。栃木新聞(現・下野新聞)の編集長を経て、衆議院議員選挙に当選6回。政治家として足尾銅山鉱毒事件を告発。


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足尾鉱毒事件


足尾鉱毒事件(足尾銅山鉱毒事件)。19世紀後半から栃木と群馬の渡良瀬川周辺で起きた公害。原因は古河鉱業(古河機械金属)。排煙、鉱毒ガス、鉱毒水が環境を悪化。1890年代、田中正造が問題提起。だが精錬所は1980年代まで稼働。2011年の震災で渡良瀬川下流から基準値を超える鉛が検出

「『公害の原点』と呼ばれる事件を日本は二つ持つ。「足尾鉱毒事件」と「水俣病事件」だ。足尾鉱毒事件は明治時代に栃木県の足尾銅山から出た鉱毒により渡良瀬川の流域が冒された。昭和が生んだ水俣病事件は化学工場から水俣湾に流れ出た有機水銀が原因。」 西日本新聞、コラム、春秋、2012年6月


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渡良瀬遊水地がラムサール条約に


足尾鉱毒事件の地域がラムサール条約に登録。2012年夏。栃木や群馬など4県にまたがる渡良瀬遊水地が湿地保全を目的としラムサール条約に登録される。遊水地は足尾銅山の鉱毒被害にあった村を廃村にして造られた。明治政府は名目に洪水防止を謳ったが田中正造は鉱毒水を沈殿させるのが目的だと指摘

渡良瀬川。北関東を流れる利根川水系の川。流域面積は利根川の支流中で最大。栃木県日光市と群馬県沼田市との境にある皇海山(すかいさん)が源。現在は利根川の支流となっているが、かつては太日川(ふといがわ)と呼ばれ江戸湾まで達した。江戸時代に治水と利水のため利根川と接続する工事が行われた

ラムサール条約(Ramsar Convention、特に水鳥の生息地として国際的に重要な湿地に関する条約)。湿地の保存に関する国際条約。水鳥を食物連鎖の頂点とする湿地の生態系を守る目的で、1971年に制定、75年に発効。日本は80年に加入書をUNESCOに寄託、同年日本国内で発効


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田中正造


田中正造(1841年-1913年)。日本の政治家。足尾銅山鉱毒事件(鉱毒ガスと酸性雨で禿山、渡良瀬川の鮎の大量死、稲も枯れて農民が蜂起)を告発。1890年の初当選の年に上記の被害が拡大し、91年に視察。1900年、国会に「亡国に至るを知らざれば之れ即ち亡国の儀につき質問書」の演説

「足尾鉱毒事件(国の公害事件隠蔽を)を衆院議員として告発し、被害民救済に全てをなげうった田中正造(1841年-1913年)は、(鉱毒水を沈殿させる遊水地作成のため)強制破壊された谷中村の村民たちと最後まで寝起きを共にした。そのなかで得たものを正造は「谷中学」と呼んだ」 西日本新聞

「物質上、人工人為の進歩のみを以てせバ社会ハ暗黒なり。デンキ開ケテ世見暗夜となれり。 日本の文明今や質あり文なし、知あり徳なきに苦むなり。悔改めざれバ亡びん。今已ニ亡びツヽあり。否已ニ亡びたり」 田中正造(1841年-1913年)。日本の政治家。亡くなる直前の日記に書かれた言葉。


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足尾鉱毒事件田中正造記念館


群馬県館林市の民間施設「足尾鉱毒事件田中正造記念館」が、2013年度中をめどに、歴史的景観が残る市中心部の木造家屋に移転することになった。13年に正造翁の没後100年を迎えることを記念して、市が所有する建物を貸すことを決めた。2012年6月。武家屋敷街を再現した「歴史の小径」地区

「陽気発処 金石亦(また)透 精神一到 何事不成」(陽の気が発するところでは、金や石も突き通してしまう。精神を集中して行えば、どんなことでも成し遂げることができる)。 足尾鉱毒事件解決に半生をささげた栃木県佐野市の政治家・田中正造が残した書の企画展「田中正造遺墨展」2012年6月


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環境省


環境省、世論の動向 http://t.co/u6QqpU3v 「わが国の公害の歴史のなかで公害に関する世論は、足尾鉱毒事件、水俣病事件、公害対策基本法の制定等をめぐりいくつかのピークはあったが、昭和45年(1970年)5月から46年にかけ、長期間にわたり全国的かつ深刻な議論」

環境省、環境問題と地域住民 http://t.co/mwMIx1rL 栃木県渡良瀬川流域での足尾銅山からの鉱毒による農作物被害。これについては渡良瀬川流域住民が県へ陳情するとともに政府に対し学術調査を要請し、更に住民の意向を受けた地元議員が国会へ質問書を提出する等の対応が採られた

環境省、第ー章 水質汚濁の近代史 http://t.co/dUWOMSAI 足尾銅山の鉱毒事件は現代に至るまで公害に対する住民の抵抗史の原点。1891年、足尾銅山の 鉱毒事件について国会で討議がなされた。しかしこれらに対し企業は、何ら実質的な公害防止の措置を講ずることはなかった

環境省、化学物質に依存する現代社会と環境問題 http://t.co/IeZHDLuF 化学物質による汚染は、明治時代の足尾銅山鉱毒事件にまでさかのぼることができる。鉱毒による渡良瀬川流域の土壌等の汚染により農作物などに被害が生じ、住民を移住させ遊水池を建設する措置がとられた。

環境省、公害行政の成立(昭和30年代) http://t.co/nrzcfiug 公害問題は戦前においても発生。明治10年頃からの足尾銅山の鉱毒事件のように排煙や排水によって農作物等に重大な被害。当時は局地的な問題として認識され、その後は工場から排出される黒煙が経済の発展の象徴に


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四大公害病と公害国会


日本の四大公害病。1)1910年頃、イタイイタイ病、岐阜、カドミウム (三井金属鉱業)、2)1956年、水俣病、熊本、メチル水銀(チッソ)、3)1960年、四日市ぜんそく、三重、亜硫酸ガス(石原産業、中部電力、三菱油化等)、4)1965年、第二水俣病、新潟、メチル水銀(昭和電工)

環境政策の歴史。1960年代、日本の高度経済成長に伴って公害問題が悪化。四大公害病も発生。1970年、第64回国会(通称、公害国会)において、公害対策関連14法案が成立。1971年、環境庁が設置され各種排出規制がさらに強化。これらにより1975年頃には産業公害は、一応克服された。

廃棄物の処理及び清掃に関する法律(廃棄物処理法、廃掃法)とは1970年の『公害国会』において清掃法を全面的に改める形で制定された法律。2008年に最終改訂。1960年代、経済の高度成長で大量消費・大量廃棄によるごみ問題が発生。ごみ焼却場自体も公害発生源として問題となったことが背景

日本のCSR、環境問題系。高度成長に伴い1950〜60年代に四大公害病が発生。1967年、公害対策基本法制定。1971年、環境庁が設置され、1975年頃には公害は沈静化。1979年、省エネ法。1993年、環境基本法制定。1998年トップランナー方式。2000年、循環関連6法制定。


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関連リンク


オルタナ。脱原発で高まる田中正造の再評価――100年前の日本で物質文明を否定。2011年12月 http://t.co/wRLTWJPi