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目次:

はじめに
水俣病とは?
公害対策への二つのきっかけ。足尾鉱毒事件と水俣病
四大公害病、1950〜60年代
公害国会、1970年
特措法の成立、2009年
チッソが分社化、2010〜11年
国の基準で認定されない人に健診したら9割に水俣病、2012年1月
特措法の申請の締め切りに抗議、2012年7月


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はじめに


その病気に罹ると、まわりの人や社会から偏見をもたれ、『差別に遭う病気』がある。一番有名なのは、HIV/エイズ、結核、ハンセン病(らい病)だ。上記は全て日本にもある社会問題。水俣病などの四大公害病にかかった人、原爆で被爆、原発事故で被曝した人も。他人にうつらない病気なのに差別される

水俣病。09年、特別措置法が成立し企業が一人当たり210万円を賠償する方向。法律では13年4月をめどに対象者を確定する予定で、環境省は審査に一定の期間が必要なことから12年7月末で申請を締め切った。被害者団体は差別を心配して申請をためらう人が多く「締め切れば切り捨てになる」と反対


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水俣病とは?


水俣病。メチル水銀による中毒性神経疾患。症状としては、四肢の感覚障害、運動失調、求心性視野狭窄など。熊本県水俣市とその周辺で化学メーカーのチッソが工場排水の有機水銀を海に流したことが原因。1956年に公式確認。65年には新潟県の阿賀野川流域でも昭和電工からの排水で同様の症状が報告


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公害対策への二つのきっかけ。足尾鉱毒事件と水俣病


「『公害の原点』と呼ばれる事件を日本は二つ持つ。「足尾鉱毒事件」と「水俣病事件」だ。足尾鉱毒事件は明治時代に栃木県の足尾銅山から出た鉱毒により渡良瀬川の流域が冒された。昭和が生んだ水俣病事件は化学工場から水俣湾に流れ出た有機水銀が原因。」 西日本新聞、コラム、春秋、2012年6月

環境省、世論の動向 http://t.co/u6QqpU3v 「わが国の公害の歴史のなかで公害に関する世論は、足尾鉱毒事件、水俣病事件、公害対策基本法の制定等をめぐりいくつかのピークはあったが、昭和45年(1970年)5月から46年にかけ、長期間にわたり全国的かつ深刻な議論」


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四大公害病、1950〜60年代


日本の四大公害病。1)1910年頃、イタイイタイ病、岐阜、カドミウム (三井金属鉱業)、2)1956年、水俣病、熊本、メチル水銀(チッソ)、3)1960年、四日市ぜんそく、三重、亜硫酸ガス(石原産業、中部電力、三菱油化等)、4)1965年、第二水俣病、新潟、メチル水銀(昭和電工)


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公害国会、1970年


環境政策の歴史。1960年代、日本の高度経済成長に伴って公害問題が悪化。四大公害病も発生。1970年、第64回国会(通称、公害国会)において、公害対策関連14法案が成立。1971年、環境庁が設置され各種排出規制がさらに強化。これらにより1975年頃には産業公害は、一応克服された。

廃棄物の処理及び清掃に関する法律(廃棄物処理法、廃掃法)とは1970年の『公害国会』において清掃法を全面的に改める形で制定された法律。2008年に最終改訂。1960年代、経済の高度成長で大量消費・大量廃棄によるごみ問題が発生。ごみ焼却場自体も公害発生源として問題となったことが背景


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特措法の成立、2009年


水俣病。国は1977年に患者として認定する基準を作ったが、複数の症状があることが認定に必要だとしてこの基準に適合しなかった人達が裁判を起こした。04年に最高裁判所が国の基準より広い範囲で賠償の対象を認めたことをきっかけに09年、特別措置法が成立し企業が1人当たり210万円の一時金


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チッソが分社化、2010〜11年


松本龍環境相は2010年12月、水俣病の原因企業チッソ(東京)を、被害補償を専門とする親会社と液晶生産などの事業を担う子会社に「分社化」する事業再編計画を認可。これを受け、チッソは早ければ11年1月にも子会社を設立。多額の債務を抱えるチッソが子会社株を売って債務の返済費用を確保


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国の基準で認定されない人に健診したら9割に水俣病、2012年1月


国の基準では水俣病と認定されない被害者を対象とした新救済策をめぐり、申請者らでつくる水俣病不知火(しらぬい)患者会(熊本県水俣市)と民間の医師団が2012年1月、熊本、鹿児島両県と大阪市、岡山市で400人規模の集団検診を開いた。受診者の約9割に水俣病とみられる症状を確認した。


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特措法の申請の締め切りに抗議、2012年7月


水俣病の症状がありながら国の基準では水俣病と認められない被害者に一時金などを支給する水俣病被害者救済特別措置法に基づく救済策の申請が12年7月末、締め切られた。申請者は熊本、鹿児島、新潟の3県で5万7589人。国は8月以降の救済の具体策を示しておらず一部の患者団体は「切り捨てだ」

水俣病被害者救済法の申請が締め切られた。2012年7月末。被害者団体は街頭活動を行い、最後まで申請期限の撤廃を求めた。被害者団体「水俣病不知火患者会」(熊本県水俣市、約6000人)は、出水市の商業施設前で救済措置の申請締め切りに反対する街頭活動を実施。「被害者はまだたくさんいる」


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関連ブログ


「足尾鉱毒事件、足尾銅山鉱毒事件、田中正造に関するツイート 20120626まで 1730字」 http://t.co/y1rAG82b 山本敏晴のブログより