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目次:

はじめに
第三世界
中印首脳会談、平和五原則、1954年4月
コロンボ会議、1954年4月〜5月
アジア・アフリカ会議、平和十原則、1955年
中ソ対立、1956年
中印国境紛争、1962年
非同盟諸国運動(NAM)、非同盟諸国会議(CNAC)
国連事務総長・潘基文が出席、2012年8月
エジプトが参加、2012年8月
北朝鮮が参加、2012年8月
イラン外相が、イスラエル敵視演説、2012年8月
印パ戦争、1947〜1971年
コロンボ・プラン、日本のODAの歴史、1950年
国連憲章、地域的取り決め
関連ブログ


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はじめに


世界には様々な問題があるが、最重要な課題の一つが国連の機能不全。安保理・常任理事国の利害対立による拒否権発動がその根幹。これを改善できる見通しは当面ないが、遠い将来にそれを実現するため、米欧以外の勢力が中心となる『第三世界』の経済及び安全保障共同体の発展が必要。いくつかは既に萌芽


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第三世界


第三世界(Third World)。アジア、アフリカ、中南米等の途上国の総称。冷戦期に東西両陣営いずれにも属さなかった国々を、フランス革命時の第三身分(貴族、聖職者に対する平民)になぞらえこう呼ぶ。西インド諸島の精神科医フランツ・ファノンが命名。第一世界が資本主義、第二が共産主義


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中印首脳会談、平和五原則、1954年4月


平和五原則。1954年、中国の周恩来首相とインドのネルー首相が合意した、一般の国際関係における原則。[療據主権の相互尊重、∩蠍濾垈朕、A蠍瀑眄不干渉、な薪互恵、ナ刃其β検だが1950年代、チベット、ダライ・ラマ14世亡命を巡って両国関係は悪化。1959年から中印国境紛争


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コロンボ会議、1954年4月〜5月


コロンボ会議(Colombo Conference)。1954年、スリランカのコロンボで開催された国際会議。この会議に参加した5国(インド、スリランカ、インドネシア、パキスタン、ビルマ(ミャンマー))は「コロンボ・グループ」を結成、翌1955年のアジア・アフリカ会議の開催に尽力

コロンボ会議(1954年)からアジア・アフリカ会議(55年)へ。1954年にディエンビエンフー(ベトナム北西部)で仏軍が大敗し第一次インドシナ戦争は終結へ。だが停戦交渉は大国主導のジュネーヴ会議で進められアジア諸国は発言できず。これに反発したアジア諸国は結束し、独自の会議を開催へ


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アジア・アフリカ会議、平和十原則、1955年


アジア・アフリカ会議(Asian-African Conference、AA会議、バンドン会議)。戦後独立したインド首相ネルー、インドネシア大統領スカルノ、中国首相周恩来、エジプト大統領ナセルが中心となり、1955年にインドネシアのバンドンで第1回が開催。第2回以降は開催されず

アジア・アフリカ会議(バンドン会議)。1955年開催。多くは欧米の植民地から独立したアジアとアフリカの29ヶ国。平和五原則(1954年中国の周恩来とインドのネルーが合意した国際関係の原則)を拡張した『平和十原則』を制定。だが1962年の中印国境紛争等の影響で第二回以降は開催されず

アジア・アフリカ会議から非同盟諸国首脳会議へ。1955年にインドネシアで旧植民地諸国による第一回アジア・アフリカ会議(バンドン会議)が開催。だが1962年の中印国境紛争等で第二回以降は開催されず。しかしその精神は1961年第1回非同盟諸国首脳会議に引き継がれ、2005年から定例化

平和十原則ヾ靄榲人権と国連憲章。∩瓦討旅颪亮膰△販療敲歔粥A瓦討凌洋爐諒薪、全ての国の平等。て眄不干渉。ス駭憲章の単独・集団的自衛権を尊重。集団的防衛を大国の利益に利用せず。Э略の脅威で他国を脅かさない。┨餾殃響茲亙刃妥手段で解決。相互利益促進。正義と国際義務


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中ソ対立、1956年


中ソ対立。1956年フルシチョフがスターリン批判。以後中ソでイデオロギー論争。57年毛沢東が「東風は西風を圧す」と暗にフルシチョフの平和共存政策を批判。59年ソ連が原爆供与を破棄。62年中印国境紛争でソ連がインド支援。64年中国が核実験。69年珍宝島、新疆ウイグル自治区で軍事衝突


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中印国境紛争、1962年


中印国境紛争。1962年、国境問題により、中国がインドに侵攻。元々、チベットはダライ・ラマ政権の統治下にあったため両国の国境は曖昧だった。だが1950年、中国がチベット侵攻したため、それと接するインドとの国境問題も勃発。またダライ・ラマがインドに亡命したため、両国関係はさらに悪化

「真珠の首飾り」戦略。1962年の中印国境紛争の頃から中国とインドは仲が悪い。インドが南シナ海での資源探査をベトナム等の東南アジア諸国と進めることに中国は不快感。中国はミャンマー、バングラデシュ、スリランカ、パキスタンの港湾整備支援などで、インドを封じ込めるような真珠の首飾り戦略


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非同盟諸国運動(NAM)、非同盟諸国会議(CNAC)


非同盟諸国会議(Conference of the Non-Aligned Countries、CNAC)。東西いずれの陣営にも属さない約120か国で構成される非同盟諸国運動(NAM)が、ほぼ3〜5年間隔で開催している非同盟諸国首脳会議。南米、中東、アフリカの諸国のほとんどが参加

非同盟諸国会議(非同盟諸国国家元首・政府首班会議)。(欧米に植民地化されていたが、戦後独立し、以後も東西冷戦にくみしなかった)非同盟諸国が、ほぼ3年ごとに開催。第1回会議は,1961年ベオグラード(ユーゴスラビア)で開催。参加国・組織は25,オブザーバー・ゲストは3。

非同盟諸国運動(Non Aligned Movement、NAM) 公式サイト http://t.co/lqlt5JLI

非同盟運動参加国組織(大阪AALA、Osaka Asia Africa Latin America Solidarity Committee) http://t.co/dyPxz9jo 


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国連事務総長・潘基文が出席、2012年8月


国連のネザーキー報道官は、潘基文事務総長が、『非同盟諸国会議』の首脳会議に参加するため、イランを訪問すると発表。2012年8月下旬。潘は米国とイスラエルから参加しないよう求められていたが「国連加盟193カ国中約120カ国が加盟する非同盟諸国会議は非常に重要」(国連幹部)と判断した

潘基文国連事務総長がイランでの非同盟諸国会議に出席。2012年8月。イランは核開発により安保理決議で武器禁輸などの制裁下にあるがシリアへの武器輸出を継続。このため米国とイスラエルは「(会議への)国連事務総長の訪問はイランの政治的正当性を認めることになる」として不参加を要請していた


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エジプトが参加、2012年8月


エジプトのモルシ大統領は2012年8月末、イランの首都テヘランでの非同盟諸国会議に出席する意向を固めた。2012年8月中旬。1979年のイラン革命後、両国は断交状態にあり、エジプト大統領の訪問は初。モルシ政権が関係改善に乗り出せば、中東の勢力図に影響を与える可能性


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北朝鮮が参加、2012年8月


イランのニュースサイト「タブナック」は、テヘランで開かれる非同盟諸国会議の首脳会議に、北朝鮮の金正恩(キム・ジョンウン)第1書記が出席すると報じた。2012年8月下旬。事実なら、正恩が北朝鮮の最高指導者になってから初の外遊。ただし、イランの国営メディアは報じておらず、真偽は不明

北朝鮮の朝鮮中央通信はイランで開かれる非同盟諸国会議に金永南(キム・ヨンナム)最高人民会議常任委員長が出席すると公式発表。2012年8月末。イランの現地メディアは金正恩が出席すると報じたが、北朝鮮の憲法上、対外的に北朝鮮を代表する国家首脳は金永南。その出席が誤って伝えられた可能性


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イラン外相が、イスラエル敵視演説、2012年8月


途上国を中心とする非同盟諸国会議(約110か国参加)がテヘランで開催。2012年8月末。議長国イランは「イラン史上最大の国際会議」(外務省高官)と位置づけ国際社会からの孤立脱却に向け外交攻勢をかける。サレヒ外相は「平和的利用が目的の核開発は正当な権利」と欧米による経済制裁を批判

イランが非同盟諸国会議の代表団を受け入れ。2012年8月末。非同盟諸国会議は、120の加盟国を有し国連に次ぐ世界最大規模の国際的組織。議題は、世界の平和と安全、国連の構造改革、各国の主権の維持、各国による互いの内政不干渉、社会、文化、環境の問題、加盟国の経済協力法案の提示、と可決

イランラジオによれば、イランのサーレヒー大臣は非同盟諸国会議で、国連や国連総会の役割の見直し、パレスチナ問題、人類に対するシオニスト政権イスラエルの犯罪、国民の蜂起など、中東・北アフリカ地域の情勢変化について発言。2012年8月末。世界における非同盟諸国の影響力を強調した。

イランのサーレヒー外相。2012年8月末。「中東の平和は、イスラエルの国家テロへの盲目的な(欧米からの)支持によって実現されることはない。パレスチナと中東の恒久平和は、(イスラエルによる)パレスチナ、シリア、レバノンの領土の占領の終結、パレスチナ難民の祖国帰還によって実現される」

「ユダヤ・イスラエル・パレスチナに関するツイート」 その1、アウシュビッツ編 http://t.co/yI6EQvcn その2、イスラエル建国編 http://t.co/DcmaSJzV その3、現代パレスチナ編 http://t.co/LV84pyst 山本敏晴のブログより


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会議にて、2012年8〜9月


120カ国で構成する非同盟諸国の首脳会議が、イランの首都テヘランで開催。2012年8月末。シリア情勢、イランの核開発などを討議。潘基文国連事務総長は全てのイスラム諸国がアサド政権に「影響を与える努力をし惨状を止めるべきだ」と指摘、同政権と同盟関係にあるイランにも協力を求めた

イランの首都テヘランで開かれていた非同盟諸国首脳会議は、イランの平和的な核開発の支持を明記した最終文書を採択。2012年8月末。国営テレビによると、文書にはイスラエルで収監中のパレスチナ人全員の釈放要求なども盛り込まれた。シリア情勢については、具体的な合意には達しなかった模様

イラン国営放送が、非同盟諸国首脳会議でのムルシ・エジプト大統領の演説を改竄したとされる問題で、同放送は「通訳が間違えただけだ」と弁明。2012年9月。ムルシは演説で、イランと同盟関係にあるシリアのアサド政権を非難したが、イラン国営放送は「シリア」を「バーレーン」に置き換え報道した


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印パ戦争、1947〜1971年


印パ戦争。インドとパキスタンの戦争。第一次は1947〜1948年。結果カシミールを両国が分割して実効支配。国連インド・パキスタン軍事監視団が派遣。1962年の中印国境紛争の影響で第二次が1965年勃発。第三次は1971年、東パキスタン(バングラデシュ)独立運動に介入した両国が紛争


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コロンボ・プラン、日本のODAの歴史、1950年


コロンボ・プラン。戦後最も早期に組織された途上国援助のための国際機関。主に技術協力を通じてアジア太平洋地域の経済・社会開発を促進し生活水準を向上。1950年にスリランカのコロンボで開かれたイギリス連邦外相会議が起源。日本は1954年加盟、翌年から途上国研修員受け入れ、技術協力開始

日本のODAの歴史。。隠坑毅看、コロンボ・プラン(戦後初の国際援助機関、スリランカで開催されたイギリス連邦外相会議が起源)に加盟。■隠坑僑看、OECD(経済協力開発機構、資本主義同盟)に加盟。1980年頃、防衛予算の1%枠議論。ぃ隠坑坑闇頃、日米貿易摩擦(資金還流計画)

国際協力機構(JICA)とは外務省所管の独立行政法人。1950年コロンボ・プランに日本は1954年に加盟。翌年から途上国の研修員受け入れ。技術協力開始。1974年、特殊法人・国際協力事業団誕生。2003年、独法JICAに。2008年、国際協力銀行からODAの円借款事業を引き継いだ

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国連憲章、地域的取り決め


国連憲章・第8章・地域的取極。第52条、1)この憲章は地域的取極又は機関が存在することを妨げない。但しその行動が国連の目的及び原則と一致することが条件。2)地方的紛争を安保理に付託する前に、地域的取極又は機関によってその紛争を平和的に解決するようにあらゆる努力をしなければならない

世界の地域的取極による経済圏の規模。)綿銅由貿易協定 (NAFTA)、GDP17兆ドル、人口5億人。欧州連合 (EU)、GDP16兆ドル、人口5億人、上海協力機構、GDP10兆ドル、人口26億人、づ貽逎▲献⊇国連合 (ASEAN)、GDP2兆ドル、人口6億人


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関連ブログ


「国連改革、安保理改革に関するツイート 20120122まで 14683字」 http://t.co/hiFhot1S 山本敏晴のブログより

「中南米共同体、ラテンアメリカ共同体のツイート 20111205まで 2305字」 http://t.co/RAlcbVxL 山本敏晴のブログより

「上海協力機構(SCO)についてのツイート 20120513まで 3598字」 http://is.gd/Lf7SeA 山本敏晴のブログより

「核兵器禁止条約、非核兵器地帯、核兵器廃絶研究センターのツイート 20111126まで 3064字」 http://t.co/hLXPhMyv 山本敏晴のブログより

「世界の核兵器の新しい枠組み 900字」 http://t.co/iUiPqBy0 山本敏晴のブログより