M教授:(人工的にせよ、自然の影響にせよ、人口が減る可能性については)
   あの、自然のリズムで言うとね、
   僕が言ったように、寒冷化しますよ。

   問題は、それ以外の大変な混乱が起きるでしょ?
   中央アジアで莫大に増えた人間が、
   (寒冷化で農業生産が落ちて)食料が無くなるんだから。

   だから、4世紀から5世紀の間というのが一つの例でね。
   僕が最初の頃、ちょっとお話した、
   あの、過去に学ぶという意味での、過去の寒冷化が起きた時にね、  
   その、たいした寒冷化じゃないですよ。

   4世紀から5世紀の間に起きた寒冷化というのは、
   何が起きたかというと、
   中国で、結局は、我々が歴史で学んでる、
   ゲルマンの大移動の話なんだけどね。

参考;
ゲルマン民族の大移動とは、
4世紀から5世紀にかけてヨーロッパと北アフリカで起きたゲルマン人の移動。
この大移動をもって、ヨーロッパの古代と中世を分けるほどの影響が起きた。
375年、フン族(北アジアの遊牧騎馬民族)に押されて、
ゲルマン人
(現ドイツ北部等に居住していたインド・ヨーロッパ系を祖先とする諸民族)
の一派であるゴート族が南下し、ローマ帝国領を脅かしたことが始まり。
その後、多数のゲルマニア出身の民族が南下をくり返しローマ帝国領に侵入。
原因として気候変動(寒冷化)もその要因の一つとされる。
この後すぐに西ローマ帝国(395-476年)は滅亡した。

M教授:あの時に、黄河の下流のところに、漢民族が大帝国を築いてた。

参考;
中国の「漢」を国名に入れた王朝と漢民族の流れ。
前漢(紀元前206年 - 8年)
後漢(25年 - 220年)
蜀漢(221年 - 263年)三国時代の魏・呉・蜀の一つ。
(実際は、後漢から国を正式に受け継いだのは曹操孟徳らの魏。
 これに対抗して劉備玄徳が自分は漢王朝の子孫だと言って蜀漢を興したが、
 その正当性には根拠がない。このため正当な漢は、前漢と後漢のみ。)
漢民族という言葉の下敷きとなった漢朝(前漢・後漢)では
最盛期には人口が6000万人を数えたが、
後漢末期の天候不順、黄巾の乱(新興宗教による反乱)、三国鼎立の戦乱のため、
戸籍に登録されている者は500万人を切った(10分の1未満になった)。
4世紀頃から北方の鮮卑などの北方遊牧民族に華北平原(黄河の北)を支配され、
魏を受け継いだ国家の晋も離散し、五胡十六国時代となった。
また再び気候変動(寒冷化)が起こり農業生産が低下。
この結果、中原(黄河周辺)に居住していた民族の一部は南方に移動した。
この一部の民族を「客家(はっか)」と呼ぶ。
中国広東省・福建省などの国内に移り住んだものの他、
タイなどの海外で華僑となったものもいる。
彼らは台湾の歴史にも大きく関与し、また日本にも来た。
このことが、M教授の口から、この後で述べられる。
なお、余談だが、台湾と客家については、私のブログの以下。
独立したそうで、実はしたくない国 5309字
http://blog.livedoor.jp/toshiharuyamamoto128/archives/65330119.html

M教授:なんで、築くことができたかというと、世界四大文明の中で、
   中国の黄河の下流域、今の遼東半島の付け根のあたりなんだけれど、
   あそこに膨大な鉄の鉱床があった。

   その他は、ヨーロッパやエジプトもメソポタミアもインダスも、
   鉱床は無い。
   せいぜい、青銅ですよ、ブロンズね、しか無かったんだよ。

   だから、当時、2千年前に、西ではローマ帝国が起きたんだけど、
   ローマ(前27年 - 476年)と漢(紀元前206年 - 220年)が
   戦争したら、そんなもん、大人と子供のけんかだね。
   要するに、鉄で武装した軍団と、わずかな青銅を武器にしたって、
   そんなん、どっちが勝つかっていうのは決まってるじゃないですか。

   で、遠すぎたから、戦争にはならなかったけども、
   東側では、鉄を農耕用に大量生産できたから、
   だから、それまでは木で耕してたのを、
   鉄で耕すということが起きたために、
   空前の食料生産性の向上が起きて、
   大帝国ができたんだよ。

   それは、秦(紀元前778年-紀元前206年)の始皇帝とか、
   漢の時代がそうね。
   で、それで、その時は良かったんだけど、4、5世紀に寒くなった。

   そうすると、中央アジアで遊牧民達が暮らしていけないから、
   みんな武装して、何かした(中国へと南下した)わけですよ。
   それで、漢民族は散り散りになって、揚子江の南まで逃げた。

参考:
匈奴(きょうど)とは、
紀元前4世紀頃から5世紀にかけて中央ユーラシアに存在した遊牧民族。
及びその遊牧国家(紀元前209年 - 93年)。
モンゴル高原を中心とした中央ユーラシア東部に一大勢力を築いた。
ローマ帝国を滅亡においやった(ゲルマン民族の大移動をおこした)
「フン族」と匈奴が同一であるという説もあるが、議論もある。
いずれにしても、気候変動(寒冷化)が起きた場合、
遊牧民族である彼らは、その影響を受けやすく、そうした時期がくるたびに、
(軍事力の高い)騎馬民族でもある彼らは、南下して戦争を起こし、
東の「漢民族系の国」や西の「ローマ帝国系列の国」の存亡に影響を与えた、
可能性が高い。

M教授:で、その時に(漢民族の)
   300万人が移動したといわれるんだよね。
   それで、漢民族は周辺の異民族と交わることを嫌って、
   「客家(ハッカ)」という、客の家と書く、
   100世帯くらいの集団住宅を建築様式として作ったんだよ。
   それは今もあるんだよ。

参考:
福建土楼(ふっけんどろう)とは、
中国福建省南西部の山岳地域にある、
客家その他の人々による独特の建築物。
客家土楼(はっかどろう)ともいう。
12世紀から20世紀にかけて建てられた。
外部立ち入り禁止の大きな建物で、長方形か円形。
厚い土壁(180センチ以上)と木の骨格から成り、
高さは3階か5階、80家族以上が生活していた。

M教授:で、揚子江の南までも逃げたけど、相当の人がさらに、
   そこから台湾とか、東シナ海に押し寄せる。

   それで、一部は山東半島のところから、
   遼東半島づたいに朝鮮半島の南まで逃げてきた。

   で、そこで作ったのが、百済(346年-660年)という国で。
   百済とか任那(みまな、?-562年)とか、あるだろ?

   で、あれは、その時の、4、5世紀の、その、大寒冷化ですよ。
   (百済の成立は、寒冷化による漢民族の移動が原因ですよ。)

   で、それで、その時に「突厥(とっけつ)」というグループが、
   要するに、北京の南くらいまでワーッと逃げて来た後に、
   トルコの方に行って、それで、居ついて作った国がトルコ。

参考:
突厥(とっけつ)とは、
6世紀に中央ユーラシアに存在したテュルク系遊牧国家。
552年に突厥可汗国(突厥帝国)を建て、
中央ユーラシアの覇者となった。
だが582年には内紛によって東西に分裂。8世紀に東西とも滅んだ。

参考:
テュルク系民族とは、
テュルク諸語を母語とする人々のこと。
「テュルク」とは、日本語では「トルコ」のこと。

参考:
楼蘭の美女
中国の新疆(しんきょう)ウイグル自治区にある
博物館に展示されている女性のミイラ。
1980年、タクラマカン砂漠の東にある
楼蘭鉄板河遺跡で発掘された。
ミイラから復元された要望は、白人女性のそれであったため
(ネットで画像を検索して、一見の価値あり)
当時から、コーカソイド系(白色人種系)の人々が、
現中国の一部に住んでいた可能性が示唆される。

解説:
上記でM教授が、突厥(テュルク系民族)が、北京に侵攻し、
それで逃げた民族がトルコを作った、と発言しているが、
もともとトルコ系民族である突厥が現在のトルコに国を作った可能性と、
突厥の南下で逃げた中国人(そこに当時から住んでいた白人系民族)が、
現トルコを作った可能性もある。

解説:
ともかく、M教授の話で一貫しているのは、
中央アジア(中央ユーラシア)は、気候変動(寒冷化)に弱いため、
それが起こった場合、農業生産が下がり(そこに住む家畜が死に)、
困ってしまった遊牧民族(の国)が南下して、各国に侵攻し、
国の存亡にかかわる大きな事件を起こす、ということ。
この後も、その例が、繰り返し説明されている。

M教授:それで、アーリア人はずっと南下して、
   ヒマラヤ西の縁からインドに来て、カーストという制度を作った。

参考:
アーリア人。広義と狭義がある。
広義には、
インド北西部を出自としたグループ。
前15世紀以降にイラン集団(イラン・アーリア人)が拡大。
その後はテュルク・モンゴル民族の勃興と
中央アジア・北部インド・西アジア(にあった国の)支配により
さらに細かい複数の集団に別れそれぞれが次第に独自の文化を形成。
現存する近縁の民族としては、
パシュトゥーン人(現アフガニスタンで最大の民族)、
ペルシア人(イランを中心に住むペルシア語を話す人々)、
タジク人(タジキスタン等に住む人々)、
北部インドの諸民族などがあり、彼らはアーリア人の末裔とされる。
狭義には、
トゥーラーン(ペルシア語で中央アジア付近の地域)
を出自としたグループ。イラン神話の登場人物に由来する。
古代のトゥーラーン人はイラン系民族だったが、
6〜7世紀ごろ、
アムダリヤ川(現アフガニスタン・タジキスタン等の中央アジアが流路)
の北に居るテュルク系(トルコ系)民族を指す様になった。
なお、
ここでM教授が指しているアーリア人は、前者の広義のアーリア人のうち、
インドに残った人々のことを指していると思われる。

参考:
バラモン教。
インド・アーリア人が創り出した宗教
古代インドの民族宗教。ヴェーダなどの聖典を持つ。
階級制度(カースト制度)である四姓制を持つ。
司祭階級バラモン(ブラフマン、ブラーフマナ)が最上位で、
クシャトリヤ(戦士・王族階級)、
ヴァイシャ(庶民階級)、
シュードラ(奴隷階級)によりなる。
また、これらのカーストに収まらない人々はそれ以下の階級
パンチャマ(不可触賤民)とされた。
バラモン教は、仏教以降に再編成され、ヒンドゥー教となった。
なお、カーストについては手塚治虫の漫画「ブッダ」で詳細に描写。

M教授:それはちょっと前の寒冷化の時から。
   その時もそうね。

   それから、ハンガリーとかフィンランドとかという、
   あの辺りの民族は皆、そういう中央アジアにいた人たち。
   それが、皆、西に逃げた。

参考:
ハンガリーには元々、パンノニア族などが住んでいた。
西暦6年、ローマの属州となり、以後、混血化が進む。
その後、フン族(中央アジアの遊牧民)が対等し、
フン族のアッティラ王(406-453年)の時代に、
現在のハンガリーだけではなくローマ帝国の一部も支配下に入った。
だが、フン族はすぐ分裂し、弱体化した。
その後、ハンガリーは、フランク王国などの支配下に入るが、
1000年、ハンガリー王国が建国される。

M教授:ドイツ人はスカンジナビア半島で暮らしてた。
   バイキングの人たちとかね。
   それで、その時に4、5世紀に寒くなって、
   今のドイツに定住したわけ。
   だから、一部のドイツ人は残ってるんだよ、スカンジナビア半島に。

参考:
ゲルマン人とは、
現在のドイツ北部・デンマーク・スカンジナビア南部地帯に居住していた
インド・ヨーロッパ系を祖先とした諸部族。
古代に地中海の勢力として認識され、
中世にローマ人の文化やキリスト教文化との混合によって
ヨーロッパ世界を形成した。
現代においては、ドイツ、オーストリア、スイスなどが
この集団の系譜を引くとされる。

参考:
余談であるが、
ドイツ民族の、その定義について大きな論争がある。
上記のゲルマン人が、そのままドイツ人ということには、ならない。
古代の時点においては、ドイツ周辺の地域
(ローマからはゲルマニア (Germania) と呼ばれた)の住人は
複数の小規模な民族(部族)に分かれていて盛んに争っていた。
(ゲルマニアとは、ドイツだけでなく、
 ポーランド、チョコ、デンマーク等の地域の総称だった。)
(またドイツ人の祖先らは、当時、文字をもっていなかったため、
 ローマやギリシャにおける歴史書で散見するしかない。)
その後、古代末期になると、
(現ドイツを含む)フランク王国が誕生するが、多民族の共同体だった。
分裂後の東フランクは、名を神聖ローマ帝国に改めるが、
イスラム帝国に負け続け、国威を失墜。
1871年にドイツ帝国が建国され、ようやく(最近になって)、
ドイツ民族による国家が成立し、国家意識が構築されていったと
考えられる。
なお(昔から)ドイツ語を話す民族がドイツ人だと考えることにしても、
例えば、ドイツ語による「福音書」(聖書の一部)が記載されたのは
9世紀ごろである。
これらのためドイツ人の祖先は、不明であり、してみると、後の
ヒットラーによる「ドイツ人が優良民族で他民族は下等」という
イデオロギーは、なんとも根拠が薄い。
基本的に、ヒットラーは、
「アーリア民族を中心に据えた人種主義」を唱えていたが、
アーリア人とは、現アフガニスタン、イラン、トルコなどに住む
トルコ系民族の総称を指すことが多く、
ドイツ人がアーリア人だと主張していた根拠は不明である。

M教授:で、結局アングロサクソンは、
   その時(寒冷化の時期)に追い出されて、
   イギリスに行った。
   で、グレートブリテンの原住民は、
   今、ウェールズに、日本のアイヌと同じような格好で、
   押しやられて、マイノリティって言うけどね。

   で、その時に日本で、何も起きなかった、東アジアで。
   で、日本の(民族の移動の)歴史はそうじゃなくて、
   日本には我々の原住民がずっと昔からいて、
   大量の(大陸からの)帰化人が来たんだけど、
   日本人のために、一生懸命奉仕してくれたという歴史になってんだ。
   多分、それは、全部うそだというのが、僕の主張なんだけど。

   その時に4、5世紀に起きた、、
   大規模な漢民族の華僑、第一世代の華僑が作った亡命政権が
   日本の古代国家。
   だぶんそれが真相なんだけど。

参考:
中国は、(三国志時代を統一した)晋(西晋)が崩壊後、
混沌とした小国乱立の戦乱時代に入った。
年表は以下。
晋(西晋)。(265年 - 316年)。
五胡十六国時代。(304年 - 439年)
南北朝時代(439年 - 589年)
隋(581年 - 618年)

参考:
ヤマト王権(大和朝廷)。
3世紀から始まる古墳時代に
「王」「大王」(おおきみ)などと呼称された倭国の王を中心に、
いくつかの有力氏族が連合して成立した政治組織。

M教授:だけど、重要なのは、そのときに起きた民族の移動と、
   寒冷化が引き起こすシナリオですよ。

   で、それは、京都の太秦(うずまさ)という
   映画を撮るところがあるでしょ?
   あそこだけでも、1万人来たと書いてある。

参考:
秦氏(はたうじ)とは、
「秦」を氏の名とする氏族。
有力な渡来系氏族。
『日本書紀』において、応神14年(283年)、
百済より百二十県の人を率いて帰化したと記載されている。
秦(しん)の始皇帝の末裔と自称していた模様。真偽は不明。
山背国葛野郡(現在の京都市右京区太秦(うずまさ))などに土着し、
土木や養蚕、機織などの技術を発揮して栄えた。

M教授:で、今ね、1万人日本に来ただけでも大変だろ?
   で、当時の日本の人口は300万ですよ。
   それで、おそらく、300万で、
   山口県まで含めて、全部アイヌが住んでた。

   それから、九州は熊襲(くまそ)とか、様するに縄文人ですよ。

参考:
熊襲(くまそ)とは、
九州南部に本拠地を構えヤマト王権に抵抗したとされる人々。

M教授:要するに縄文人のところに、大量に、あそこの朝鮮半島つたいで
   日本に漢民族がやってきて。
   我々、日本人というのは、
   おそらく、もっとも純粋種に近い漢民族の末裔だと思う。

   で、中国にいる、本土にいる漢民族は、
   その後、異民族と、もう、混血せざるを得なかった、
   生きていくために。

   で、まあ、そういうふうにして日本はできたたわけだけど、
   今、言ったのはユーラシアという規模で、寒冷化が原因で、
   ユーラシアの隅々まで、民族が大移動を起こすくらいの変化が起きる。

   4、5世紀って言ったら、ちょっと先だ、手が届くくらいだろ?
   時間的に。
   そういうこと(寒冷化)が、(これから)起きたときに、
   (現代の)日本はどうするかと。

   一番大きな被害は、当時の世界人口3億人。
   日本300万人。
   ね?笑

   今は、世界人口が68億いてね、日本だけで1億3千万近くいて、
   中国は、当時6千万だったのが、今は、13億もいるわけ。

   で、日本どうする?
   ということを、念頭においた形で、どうすればいいかということを
   日本だけで済む問題じゃないからね。

   日本は自然地理という意味では、アジアから逃げられない。
   だから、中国とどうやって、うまく寄り添って、
   そうことが起きたときに
   どう対処するかということを、考えなきゃならない。
   で、そういうのは、待ったなしだからね。

   人間て、1週間、飯を食べなかったら死ぬんだから。
   だから、ヒューマニズムもへったくれも何もないよ。
   戦争っていうのは、これは、そういう格好
   (寒冷化による農業生産の低下・食糧の不足による民族の移動)
   で起きてきてるわけね。

   今のままだと、(今後)決着つけるのは戦争で、
   もう、要するに、中国は大量に(日本に)やってきますよ。
   過去の例ではね。

   中国だけでなしに、その北にロシアがあってね。
   ロシアだって、昔と違って、今、いっぱい人がいるんだから。
   だから、そういう連中が皆、なんかするわけで。

   中国だってそういう意味ではもう被害者の国になり・・・
   「民族の玉突き現象」ってのは、そういうことなんでね。

   最後は海を越えてやってくる・・・
   それに対して日本はどうするかということを、
   今から念頭においた対応をしないと、
   ただ、(最終的な決着は)混乱と殺戮だね・・・まあ、日本では。

   で、五木寛之は、仮にそういうことが来ても、
   「ああ、日本という国はみんなあげよう。みんな集団自殺しよう」と。

参考:
五木寛之。1932年生。小説家。

M教授:今までの人間の歴史の中で、
   そうやって自分の国を外国にやった国なんて、
   一回も無かったんだから、
   人類史に残る、すばらしい国になれるんだと言うね・・・

   あんな爺さんさ、もう、死にかかってるんだから、
   言いたい事、言ったらいい。

   ただね、若い奴に対して、それは言えないよ。
   これから、面白いさ、一生が始まるという連中に対してさ、
   もう、やりたいことやりつくして、金も名誉も全部もらって、
   最後に死んでいく爺さんがいう話・・・
   それは無責任だろうね。

M教授:今起こっていることは、逆のことでね、
   日本人は、全部自分の首を絞めて、
   せっかく貯めた銭も全部ただで、外国にあげると。
   (温暖化問題に対し、日本はCO2削減できないので、
    京都議定書のCO2排出権取引制度で、
    外国に、お金を払って、勘弁してもらっていること。)

   それから、日本の会社は、政府が率先して、政府が潰そうと、
   倒産させようと思って、政府が一生懸命やってると。
   (日本政府は、各企業のCO2排出量の上限をもうけ、
    それ以上の排出をした場合、罰金を課すか、または、
    上記の排出権取引制度で賠償しないといけない制度を作った。)

   だから、それは、人為的な問題だからね。
   それを皆さんががんばって、どれくらいさ、これがばかげているかと。

   日本て、もともと、3千万人しか、
   持続可能な社会をするときにはね、許されない人間なのに、
   1億人も増えてきたことを解消するために、
   我々は戦争をしかけた訳だろ?  

参考:
日清戦争(1894年から1895年)
日露戦争(1904年から1905年)
第二次世界大戦(1939年から1945年)

M教授:その、明治(1868から1912年)になってね。
   増えた人間の食料を賄(まかな)えないからさ。

   それを、戦後、(現在の日本政府は)どうしたのかというと、
   戦後は、経済侵略で、もってる訳なんだね。
   外国からの資源を入れてね、経済で侵略しようと思って、
   食料を買って、それでやっと、どうにか暮らしていけてるわけだけど。

   もう、外国から食料を買う銭が無いという国に、
   今、落ちぶれようとしているわけだ。

   で、その商売をやるには、隣に中国がいてさ、
   どんな商売をやっても、全戦全敗になるという
   運命が、待ちかまえているわけ。

   で、政府はそのことがわかってないわけ。
   だから、それが今の日本の現状でね。
   で、どうするかというと、もう、本当、暗いことばっかりでね、
   今までためたわずかな銭で、
   開発後進国(開発途上国)を援助するというようなことを、
   毎度やってきたわけだけれど、だけど、もう、
   そのお金も無くなりつつあるよね?

   だから、そういうふうなことを何もできなくて、
   国全体が、もう、赤字国となって崩壊していくと。

   今、少し先行したギリシャがね、今、えらい目になってきたろ?
   で、ギリシャよりもっと深刻なのは日本だろうということを
   一部の人が、警告を言い始めてるけど・・・


(次回に続く)

・・・

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