2020年04月08日

仕事制限されるなかの4月頭メモ

・4月頭から再開される予定だったが、休校期間延長。まあ、仕方なし。高体連は6月まで大会を取りやめ。人の密集を避けなければならない期間続く。とりあえず、一ヶ月ぶんの課題を用意するが、長期戦になる気配ひしひし感じ、オンライン授業化を本格的に見据える。僕も含め、いまだ腰の重かった教員が向き合う局面。人によっては遅すぎると言うのだろう。たしかに、こういう事態は想定していませんでした。ICT推進派、先見の明あったと言わざるを得ない。
・ただ、急なぶん、ネット環境がどのくらい準備されているか、という問題残る。99%ネット環境あったとしても、1%こぼれるのなら教育機会の平等性に反する。そして、1%に目を向けるのが「文学」の領域なのだ、とは福田恆存の有名な態度。
・総じて、自宅での環境に依存する心配。自分の現場、都内私立で文化資本格差はそれほど顕在化していない印象。しかし、公立ではそうもいかないはず。この超基本的な議論あまり出ていない印象。現場では出ているだろう。いずれにせよ、この1年の文化資本格差がそのまま学力格差に直結する強い不吉な予感。
・オンライン授業。ICT活用という意味では「21世紀型スキル」(文科省)にかない、教育改革方向。しかし、興味深いことに、現時点では、これにより昔ながらの講義形式の復権起こりつつある印象。Youtuberモデルなら当然属人性(キャラ)が重要になり、これは教育改革と逆の教員主導の復権方向。芸能モデルで、圧倒的なステージングで巻き込みたいスタイルの自分としては基本的には望むところだが、メディアと身体の関係には注意必要か。教室でやって成り立つことも画面上ではスベる可能性じゅうぶん。逆もしかり。
・もちろん、ウェブを活用したうえで双方向性のアクティヴラーニングを模索していくのだろうが、アクティヴラーニングこそ身体的な近接性を前提にしてるでしょう、という気も。個人的には思わぬかたちで議論が新展開した思い。
・個人的には、ラジオ講座モデルを模索したい。ますますラジオパーソナリティ夢見ていた初心に返る。
・政府。結果的に「全校一斉休校」のタイミング良かった論出ているが、最低限の「説明」すらないコミュニケーション不足には、変わらず批判的な気持ち。2月27日から現在まで僕の考え変わらずかな。
・マスク2枚とかいろいろ。相変わらず「要請」にとどまり、「補償」や「責任」を曖昧化する振る舞いが目に付く。条件付きの給付金にも批判多数。批判当然と思う。多様であるがゆえに一律を求めるのは、ベーシックインカム議論の反復。だとすれば、国民(あえて「市民」ではなく)側による「自粛要請とセットの補償」論の次に、政府側の「補償とセットの自己責任論」(金は出したからあとは自己責任ね)の可能性もあるか。注視。
・職業の中身で給付対象を、恣意的に、というか意図的に、線引きするのはひどすぎる。
・浦沢直樹がマスク風刺画を描いたら「一生懸命やっている人を茶化すな」的な批判があり、その批判に対してさらに、「政治家に対する批判を批判するな」という批判。当然後者よりの意見だが、この議論により、ああいう風刺(画)自体の面白さがわからない、という僕個人の昔から変わらぬ感情は抜け落ちた。大事にしたい感情。
・最近よく見る、文句があるなら怒るべき!論。実は個人的にはノレないという気持ち強い。性格か。大事にしたい感情。
・さきほど「緊急事態宣言」出されたが、パフォーマンス的な機能以外に実質さほど変わらない印象。業種によっては生存に関わる問題なのだから、当然シビア。幸いにして給料に大きな影響のない立場だが、自分中心には考えないように。
・「緊急事態」なのであれば、社会を維持するために外を出歩かない、仕事を制限する条件を整えるしかなく、だとすれば生存のためのカネが要求される。その意味で国家の機能を強く求めたい場面ではある。
・しかし、この強権力待望論が本当に良いことか。迷いは当然ある。
・と、こういう議論は、自分のなかでは4年ほどまえの緊急事態条項とか改憲をめぐる議論のさい(もっと言えば、10年くらいまえ)から考えたことで、「国家」権力や「法的根拠」を超えた権力をただ批判しているだけではダメだなと、当時思った。国家の重要性見直さざるをえなかった。しかし、こういう局面で機能するためにある種の権力のありかたを自分のなかでアリと踏み切ったはずなのに、どうも想像していたものと異なる。これは、現政権の問題なのかなんなのか。
・国家の権力を健全に発動させるための仕組みが整っていないことの問題という可能性。
・首相が国家の権力を運用させるほどの国民の信頼を獲得できていない可能性。経済政策の成果ある一方、ここまで、あまりにも保身に見えるのはたしかか。
・逆に、当時、緊急事態条項的なものを批判していたあたり(いわゆるリベラル)から、いま、「命令&補償」というかたちで強い「国家」権力を求めている事態が、メタ的な観察としては興味深い。といか、大事な論点な気がする。15年まえ国家批判論者は、いまどのような立場を採っているか。
・一方で安倍は、この「緊急事態」のタイミングで「改憲議論に期待」とも言っているらしい(共同通信)。どこまでも自己中心で腹立たしい。神経を逆なでする。
・しかし、「緊急事態」に対する「議論」が必要だ、ということもセット。そこは冷静に。とは言え、安倍の保身と自己中によってそれを主導されることのムカつき。
・安倍「最悪の事態になった場合、私が責任を取ればいいというものではありません」という発言。この政治家まわりで見られる責任回避の言語運用のことが最近気になっている。
・たまたまいまツイッターの書き込みで見たが「安倍政権によるジェノサイド」と? 「ジェノサイド」という言葉がこんな軽々しく使われるのは嫌だ。いや、書き手のそのくらいの危機感を読み取るべきなのだろうけど。書き手からしたら「軽々しく」ではないのだろうけど。
・凡庸な結論だけど、現政権は保身ばかりで、他人(ここでは「国民」だけど、国籍は多様なので日本社会に生きる人)のことを本当には考えていない。そういう態度には信用が置けない。あるいは、そのように「保身ばかりに見せてしまう」というコミュニケーションの下手さの問題。


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2020年03月30日

新型肺炎以降の生活〜志村けんさんの訃報

2月27日、職場から帰宅しようとした直前に、全国の小中高に対して「一斉休校の要請」が出され、その後、バタバタと休校のための準備がなされました。28日に腹立たしさを感じていたことを覚えています。学年末テストを含めたラスト2週間がいかに重要な期間か。その2週間を「一斉」に休校にするということは、当然のことながらそれだけの根拠が求められるはずですが、その根拠がよくわからなかった。まあ、いまでも「一斉休校」処置がふさわしかったかどうかの議論はされているので、その妥当性はこれから検証されるのでしょう。世界中で新型肺炎が猛威を奮っている昨今、もしかしたら、あのタイミングでの「全国一斉休校」の処置はある程度妥当なことだったのかもしれません。しかし、それでもなお腹立たしいのは、やはりじゅうぶんな説明がなかったこと。「なぜ/このタイミングで/全国一斉休校の/要請なのか」。ざっと見ただけで4点は説明の必要があったはずだけど、いっこうになされなかった。それでいて、28日には「各自治体・各校の裁量にまかせる」というアナウンスも出てきた。しかし、政府レヴェルで「全国一斉休校」の方向性を示しているなかそれに反する道を進むことが、「各自治体・各校」にとってどれだけの過剰な負担を強いることか。ここまで考えたとき、今度は「要請」という言葉の問題性が浮上します。

あの「タイミング」での「全国一斉休校」が感染拡大防止の観点から妥当だったとしても、それが「要請」にとどまる限りにおいては、対応としてはやはり不十分だったと思います。実際、ニュースで見ましたが、根拠曖昧な政府の「要請」に対するアゲインストの表明として、数日ほど「休校」を遅らせることを決めた私学の校長もいたようです。気持ちとしては共感します。しかし、万が一、その学校で新型肺炎が発症したらと考えると、これはおもに対外的な対応(保護者対応・メディア対応など)という観点からリスク(ここは保身の発想)がともなう決定だったと思います。その学校の校長からしてみれば、だからこそ、保身を度外視したアゲインストの姿勢だったかもしれませんが。したがって、誰もが指摘しているとおり、決定が妥当だったとしても、いや、妥当ならなおさら、「要請」という最終的に自己責任に委ねられるような、責任主体を曖昧にした呼びかけ自体が問題だと思います。

ただ気をつけなくてはいけないのは、この「要請」批判の立場が同時に、政府による「命令」を求めている、ないしは、「命令」を正当化する、ということです。とくにリベラル的な発想だと、「要請」と「命令」の両方を批判するというダブルスタンダードになりがちです。個人的には、民主主義が機能不全になる非常時には、国家権力による「命令」もありうると考えています。ただし、そのときには当然のことながら、その決断主体(総理大臣)は全責任を負うべきです。だからこそ、内閣には強大な権力が付与されているわけです。「要請」ばかりで「命令」をしない現政府は、責任を負わずして権力を行使するという、これまたダブルスタンダードな振る舞いに見えます。現政府のこの基本姿勢が、「自粛要請」はするものの補償はしない、という中途半端な態度につながっている印象です。

このあたりで、緊急事態法の問題がちらつくわけですが、上記の考えでいくと、緊急事態法的なものはある程度必要となります。しかし、一時的にでも権力を委ねることになるわけなので、限定をいかにかけていくべきかが重要です。安倍政権が数年前に出した緊急事態法案は、限定のかけかたがゆるゆるだった印象があります。数年間の経緯を見ていても、責任なき権力を得たいというしょうもない欲望にしか思えません。だから、その意味で、僕自身、現政府が「命令」を発したとしても、まったく従う気持ちになれない、という少しダブスタな感情はあります。とは言え、いまの社会に生きるということは、最後の最後、選挙で選ばれた政府の「命令」に従わざるをえないことを意味するのかな、とは考えます。だとすれば、いまの社会・国民国家を生きるとはどういうことなのか。もちろん、だからこそ、そんな権力主体に対してはいつでも真っ当な批判を投げかけるべきで、その意味では、「批判は生産性がない」論は良くないと思います。ごく一般的なコミュニケーションにおいては「批判は生産性がない」と思うことはよくありますが、権力との関係で考えるべきだと思います。ただし、批判とは自分の足元を問う行為であるというカント‐小林秀雄的な態度とともに。「要請」批判の意味についても、もう少し考えたいです。

そんなことを考えつつも、理屈や理性ばかりの世界はうんざりで、音楽を聴くことが増えました。というか、レコードの整理をずっとしています。『コミックソングがJ-POPを作った』の版元であるエレキングのウェブサイトでは、音楽ライターや音楽評論家がいま聴きたい音楽を紹介しています。僕も自分の本にならったかたちでコミックソング系で10曲選びました。エレキング的な傾向とはずいぶん違って、少し浮いている感じもしますがよろしければ。以下、サイトにもある紹介文と選曲です。

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「Playlists During This Crisis この非常事態下における家聴きプレイリスト」
http://www.ele-king.net/columns/007515/

人と会えず、話もできず、みんなで食事をすることもできず……という日々はつらく寂しいものです。落ち着きのない僕はなにをしたらいいでしょうか。うんざりするような毎日を前向きに乗り越えていくために、少なくとも僕には音楽が大事かもしれません。現実からの逃避でもなく現実の反映でもない、次なる現実を呼び寄せるものとしての音楽。そのいちばん先鋭的な部分は、笑いのともなう新奇な音楽(ノヴェルティソング)によって担われてきました。志村けんのシャウトが次なる現実を呼び寄せる。元気でやってるのかい!?

ザ・ドリフターズ / ドリフのバイのバイのバイ
雪村いずみ / チャチャチャはいかが
ザ・クールス / ラストダンスはCha・Chaで
セニョール・ココナッツ・アンド・ヒズ・オーケストラ / YELLOW MAGIC (Tong-Poo)
Negicco / カリプソ娘に花束を
スチャダラパー / レッツロックオン
4×4=16 / TOKISOBA Breakbeats
イルリメ / 元気でやってるのかい?
マキタスポーツ / Oh, ジーザス
水中、それは苦しい / マジで恋する五億年前
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と、このような紹介文&プレイリストをアップしてもらった直後に、志村けんさんの訃報が舞い込んできました。厳密に言うとドリフに間に合っているわけではないので、他の多くの方々のような世代的な思い入れはないのかもしれません。ただ、その存在の輝かしさは、幼少の頃に見ていたテレビやドリフターズの曲のシャウトを思い出せば、一発でよみがえります。笑いと音楽を同じ地平で捉えていた、いまいちばん求められる愛すべき芸能‐人だったと思います。以下、自分の本で志村けんさんに触れた部分を引用して、追悼の意に代えたいと思います。

 このように、ある時期以降、ドリフターズはディスコやソウルの色合いが強くなっていく。これはもちろん、時代の変化に他ならないのだが、もう少し個別的な事情で即して言えば、荒井注と入れ替わって志村けんが加入したことが大きい。いかりやより二〇歳近く若い志村は、年長世代とは違ってソウルやR&Bのファンである。この志村の加入以降、「ディスコばあちゃん」(一九七七)をはじめ、黒人音楽の要素が強くなっていく。ヒゲダンスで有名な「「ヒゲ」のテーマ」(一九八〇)は、アメリカのソウルシンガー、テディ・ペンタグラス「Do Me」を大胆に下敷きにしたファンキーな曲だし、「ドリフの早口ことば」(一九八〇)は、ボビー・バード「Hot Pants-I’m Comin」が元ネタだ。「ドリフのわんダー・ドッグ」のB面「わんダー・ドッグ(ディスコ編)」なんていうのもある。というか、そもそも「東村山音頭」(一九七六)における志村のシャウトはファンクそのものだった。
 ジャズ、ロカビリーからロック、そして、ソウル/ディスコへ。ドリフターズは、そのときどきの新しいリズムを参照しながら、コミックソングを歌い続けた。これは、逆に言えば、新しいリズムは、いったんコミックソングを経由するかたちで一般的に認知されていく、ということでもある。ファンキーな演奏に乗せて早口言葉が歌われる「ドリフの早口ことば」を指してラップの先駆とする向きがあるが、まだまだ馴染みのないラップという歌唱法も、たしかにその定着過程においては、コミックソングが関わっていた。ドリフターズはある面において、新しい音楽の紹介者という側面があった。
 最後に、ノヴェルティをフックにした音楽の広がりかたについて紹介しておく。それは、フォークシンガーの友川かずきをめぐってである。
 一九九五年、フジテレビ系『志村けんのオレがナニしたのョ』というコント番組が放映された。志村はその番組において、ちあきなおみ「夜へ急ぐ人」(一九七七)という曲をコミカルにモノマネしていた。この「夜へ急ぐ人」の作者こそ、友川かずきである(友川は、B面の「海のそばで殺された夢」も手がけている)。
 なぜ、志村はマイナーなこの曲をコントに採用したのか。それは、「夜へ急ぐ人」という曲とそれを歌うちあきのパフォーマンスが、あまりにも奇妙なものだったからだ。実際、ちあきが「夜へ急ぐ人」を引っ提げて、一九七七年の紅白歌合戦に出場したさい、司会の山川静夫アナウンサーが「なんとも気持ちの悪い歌ですね」と言った、という有名なエピソードがある。しかし、そんな奇怪なパフォーマンスこそ、新奇さ(novelty)としてコントを誘発する。志村は、ちあきの奇怪なパフォーマンスをなかば茶化すように、仰々しく「夜へ急ぐ人」を歌っていた。そこには、ジャニス・ジョプリンを意識したという友川かずきのアーティスト性など忘却されているだろう。しかし、このように笑いをフックにしてこそ広がっていく音楽のかたちがありうる。ノヴェルティソングとして作られていないにもかかわらず、その表現のすさまじさゆえに、かえってノヴェルティ化してしまうことがありうるのだ。
 話はまだ終わらない。このときの志村版「夜へ急ぐ人」を、二一世紀にYouTubeで観た人がいる。ナインティナインの岡村隆史である。以下のエピソードは、ニッポン放送『ナインティナインのオールナイト・ニッポン』(二〇一二・五・一〇)で、興奮気味に語られたものである。
岡村は、はじめこそ志村のコントを観ていたが、リンクを追うなかで、ちあきなおみの「夜へ急ぐ人」の映像を観た。岡村はその映像について、「めちゃめちゃおもろかってん! 志村さんのコントより面白い」と言っている。さらに岡村は、ちあきの動画からリンクをたどって、友川に行き着く。岡村は、友川については「とんでもない個性もっててん!」と説明し、その放送では、友川の代表曲「生きているって言ってみろ」が流された。友川の歌声を聴いた相方の矢部浩之は、爆笑しながら「自分でわろてはるやん」とツッコむ。強烈な表現が、スタジオに驚きと笑いの両方をもたらしていた。
 このときの友川をめぐってのやりとりは本当に面白い。その後、番組は何週にもわたって友川の話題が続き、そして、ついには友川本人がゲスト出演するにいたる。二〇一二年六月二一日のオンエアでは、友川がネタコーナーにも参加し、最後には生ライヴも披露した。友川とナインティナインのやりとりは楽しいもので、この回はおおいに盛り上がっていた。友川は、最近ナインティナインのおかげで若いファンが増えた、ということを話していた。
 ちあきの「海へ急ぐ人」が不気味であること。それを志村が面白おかしくモノマネすること。友川のパフォーマンスがすさまじいこと。その友川をめぐってナインティナインの番組が盛りあがること――これら一連の出来事すべてが、滑稽かつ奇怪という音楽の根源的なおかしさをめぐって起こったことに思える。作り手や歌い手の思いとは無関係に、軽薄に、問答無用に、無方向的に広がり続けるノヴェルティソングの運動に思える。ちあきや友川の表現は、それほどインパクトとしてあったのだ。そういう表現が、解釈に余る事態に直面したときの反応としてのおかしさをもたらす。
 筆者自身、友川作品のファンだが(とくに、『俺の裡に鳴り止まないもの』が好きだ)、かつて友川の曲に覚えた感動も、ナインティナインの面白さも、同じ音楽の喜びである。音楽の根源的なおかしさが、ときに人を不気味にさせ、ときに笑わせ、ときに感動させる。そうやって、新しいリスナーが生まれる。二〇一二年における一部の友川かずきブームには、そのような音楽の喜びが詰まっていた。(『コミックソングがJ-POPを作った』「第4章 戦後2――コミックバンドの系譜」より)





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2019年10月21日

『JOKER』観ました。

『JOKER』、物語の展開的には、あのくらいわかりやすすぎるのがむしろ良いのかな、という微妙な評価。普通にスタイリッシュな映画という印象が強いです。ジョーカーを共感・理解可能な存在にしてしまうのは、『ダークナイト』からの致命的な後退ではないか、と思いました。同テーマなら加藤シゲアキの小説のほうが良いと思いましたが、同テーマと言っていいかはなんとも言えないです。

toshihirock_n_roll at 22:37|Permalink 日記的 | 映画

2019年10月17日

ダグ・サーム

ユニオン。ダグ・サームのこれ、すごく高価だった印象がありましたが、なんと800円でした(そんなもん?)。ボブ・ディランやドクター・ジョンが参加しているテックス・メックス名盤です。素晴らしい!_20191007_205119

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2019年10月15日

シティズンシップはいかに教育されるか

路上生活者が避難所拒否された件、「税金を払っていないから当然」的な発想があるということなんですね。この類の自己責任論のような、等価交換のような発想、たしかに生徒からも感じることがあって、「自分は努力したから、このような見返りがあるのは当然だ」という主張は(自分からすると)過剰に強い印象です。教育なので、その「努力」に向き合えない生徒にいかに手をかけるか、ということを考えもするわけですが、このような考えは一部不平等に映って、努力している自分たちが不当な扱いを受けていると感じることがあるみたいです。もろ反在日・反フェミニズム的な発想ですよね。教育現場で(あるいは、実社会においても)難しいと感じるのは、そのように主張する彼らの「努力」には文句のつけようもないこと。自分がおこなったことに対して正当な(正当な?)評価が欲しい、という欲望もかなり強い印象です。

「自分にとって必ずしも大切でない人の自由や権利をも大事に考えるのだ」という近代社会の初歩的な発想を偽善的でないかたちで伝えたいと思っていますが、そのためには、まずは自分の振る舞いが利他的でなければ、と、いまは考えています。実践できているかわかりませんが。とは言え、かりに実践しているとして、そのさなか上記のようなニュースを見ると、本当にどう考えたらいいのか。「自分にとって必ずしも大切でない人の自由や権利をも大事に考えるのだ」という話は国民国家と税制の論理でもいけるが、ではそのメンバーシップに路上生活者や移民は入るのか、というのが問われるところで、これは現行の教育制度の枠内だとうまく説明できない部分があります。あまり言語化できていませんが、教育制度の枠内でシティズンシップを謳うことのちぐはぐさをたまに感じます。教育制度自体が排他的な側面をもっているので。

toshihirock_n_roll at 21:17|Permalink 教育 | 雑感

2018年12月29日

滝口悠生『愛と人生』(講談社文庫)の解説を書きました!

2010年代でいちばん好きかもしれない、滝口悠生『愛と人生』が講談社文庫になりました。よくぞ無名の俺に文庫解説を依頼してくだすった、滝口さん! 日本でいちばん『愛と人生』の魅力をわかっているとマジで思い込んでいるので、他の人が書いていたら耐えられなかったかもしれない。滝口さんの本領は、記憶の問題を繊細に描くところにはない、というのが僕の印象です。そうではなく、非常に音楽的に言葉のつらなりを捉えている。その意味では、寅さんの口上になぞらえられるもので、だからこそ、「愛と人生」という作品はスペシャルなものになっている。文庫解説、憧れていたのでとてもハッピーです。しかも『愛と人生』だなんて。絶賛発売中。ぜひ、お買い求めくださいませ。
愛と人生 (講談社文庫)
滝口 悠生
講談社
2018-12-14



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2018年06月30日

渡部直己氏の問題と教育と批評

渡部直己氏のセクハラ問題の推移を見て、思うところがいろいろと出てきた。他にすべきことがたくさんあるが、頭がすっきりしないので書こうと思う。数年前に群像新人文学賞(評論部門)の優秀作をもらったものの、ろくに第1作も発表できずにいる僕は、自分としては「文壇」のプレイヤーとはほど遠いと思っているが、その一方で、「新人小説月評」を担当したり、定期的に書評を書かせてもらったりしているので、はたから見たら「文壇」のプレイヤーなのかもしれない。渡部氏とは面識があって、一緒に呑んだこともある(向こうは覚えているかわからない。名前くらいは認識していると思うけど)。あとは、『すばる』(2016年2月号)の批評特集内記事「近代日本の文芸批評を知るための40冊」で『不敬文学論序説』を紹介したことがある。文芸批評に携わる者としてはそのような立場から、加えて、中等教育の現場で働く教育関係者の立場から、自分の考えを表明しておきたい。

1、渡部直己氏は「教育者」なのか

まず一般論として、権力の非対称性を利用した渡部氏の行為は明らかにセクハラだと、僕も思う。そして、セクハラは許してはいけない。本人も認め、辞表願いを出しているし、謝罪含め、被害者のかたが少しでも納得するかたちで事が進むことを願う。「文学」とか「文壇」とかいう話とは別に、「非対称的な関係性を利用したセクハラ案件」として、粛々と対応すべきだ(しかし、報道されている早稲田大学側の対応は現状ひどい)。ちなみに、渡部氏のセクハラ行為が有名だったかそうでないか、という議論があるけど、僕は初めて聞いた。

さて、今回の件で個人的に腹立たしく、また、ぬるいと思ってしまうのは、例えば、渡部氏の教え子の倉数茂氏のnoteの文章に出てくる、このような一節。

私の知っている渡部直己は、傲慢な怪物でも、鈍感な権威主義者でもない。いや、威張りんぼではあるけれど、他者の痛みにも敏感で、学生の資質に惚れ込む献身的な教育者でもあったというべきか。その教育スタイルと今回のセクハラが結びついているのが悩ましいところなのだが。

渡部直己は学生に入れ込む教師だった。(…)これぞ、と思った学生にのめり込み、時間を割き、力を伸ばすために努力を惜しまない。そういう教師だった。そもそも学生と一緒にいるのが好きだった。私たち大学院生は、毎週のように彼と飲みに行き、カラオケに付き合わされ、時には野球で汗を流した。今、そういうタイプの教員がどれほどいるだろうか。

「学生の資質に惚れ込む献身的」な姿を、そのまま「教育者」(の鑑)として扱ってしまう点がぬるい。あるいは、社会との接点を見失っている。現在の「教育者」に求められているのは、昔ながらの濃密な人間関係だけではない。いや、濃密な人間関係を求めること自体は良いだろう。でも、例えば「それは教え子への無理強いとなっていないか」「教え子の保護者はどう考えるのか」「お気に入り以外の学生はどう思うのか」などなど、現在(いや、昔からか)の「教育者」には、当然のことながら考えるべきことがたくさんある。それを無批判に甘美な思い出とともに語ってしまう点がぬるい。

中学校・高校の教育現場で働いているからなのか、過剰に反応してしまう。中等教育の現場において、授業にしても部活にしても、生徒のために「時間を割き、力を伸ばすために努力を惜しまない」という態度は、良くも悪くもわりとよくある光景である。そして、そのうえで、同時に、保護者対応、相性の合わない生徒へのケア、もちろん授業準備や雑務などをおこなっている。「学生の資質」があろうがなかろうが「献身的」であらざるをえない。それが「教育者」の通常的なモードではないか。というか、基本的には「献身的」な性格の仕事だ(もちろん、ここにブラック労働という問題も潜んでいる)。だから、「学生の資質」から判断して「献身的」「のめり込み」の度合いを変えてしまう点が、僕の基準からすると、すでに「教育者」としてはダメなのだ。ましてや、今回のセクハラは、他ならぬその「献身的」「のめり込み」の過剰さが生んだものに他ならないではないか。

したがって、腹立たしいのは、倉数氏の文章が「教育者」としての立場の延長としてセクハラ行為を位置付けている点にある。そうではなく、渡部氏は端的に「教育者」的ではない、と言うべきなのだ。もちろん、学問にしても部活にしても、個別の才能に期待をかけることはあるだろう。しかし、その才能を伸ばすために「のめり込」むというのは、単なる前近代的な徒弟制度でしかない。近代的な「教育」の制度に乗っかっているのだから、社会との接点を保ちつつ、個々の才能を伸ばすことを考えるべきである。くり返すが、渡部氏が抱くような学生への期待や「献身的」な態度は、ごく普通にありうる情熱である。その情熱自体は否定されるべきものではない。しかし、例えば中等教育で問われるのは、その情熱をどのようなかたちで発揮するかである。自分や信頼すべき同業者がそういう地点で日々試行錯誤しているときに、渡部氏のような、特定学生に対する「のめり込み」や周囲を無視した安易な囲い込みを「教育者」の姿としてしまうことが、とても腹立たさしい。むしろ、「教育者」としてのスキルがないことのあらわれではないか。あるいは、お気に入り以外の学生に対する情熱がないことのあらわれではないか。倉数氏は「その(渡部氏の)教育スタイルと今回のセクハラが結びついているのが悩ましい」と書いているが、「悩まし」くなんてない。真っ当な教員は、普通にハラスメントなしで情熱的に向き合っている。

たいした学問的業績もないので説得力はないが、僕が大学の教員を目指さなかった(中等教育の現場で踏ん張ろうと思った)のは、そういう「大学的なぬるさ」(「大学的」という偏見まじりの雑な言いかた、申し訳ないです)によるところもあった。いや、もちろん、見聞きする限りでは、ほとんどの大学と大学教員は試行錯誤をくり返しているし、全然ぬるくない。逆に、中等教育の現場にだって異常なことはたくさんあるだろう。それらは個別の問題としてつねにある。しかし、ろくにカリキュラムへの意識もなく、年間授業予定の提出ひとつで文句を言い(面倒な作業であることはよくわかる)、自分の関心のみを言い連ねるような一部の「大学的な」光景を目にするにつけ、「大学的なぬるさ」を感じる。教養主義的なツッパリかたかもしれないし、実際、正しく教養主義的な態度というのもありうるだろう。ただ、僕自身は反教養主義者なので、モチヴェーションに欠ける子どもたちに対して、エンタメ的に学問や批評的営為を実践することのほうが「教育」の意義を感じる。端的に、難しい用語を自己満足的に使う感じが好きではない、というのもある。ポピュラー文化が好きなので。

これは、批評家としての僕の態度表明でもある。ネット上で「渡部氏は批評家か、教育者か」という問いかけを見かけたが、僕自身は、批評的な実践として教育者であり続ける、という自己意識がある。「資質」のある、もともと批評的なセンスのある人と批評の話をするのは、楽しいかもしれないが、閉鎖的だと感じる。そうではなくて、批評のことなんかこれっぽちも知らない、興味のない相手に対して批評を開いていくことのほうが、批評的で教育的で刺激的だと感じる。だから、日々、必ずしも関心の高くない中高生に対してあれこれと話をするのだ(とは言え、自分が関わる生徒はいわゆる頭のいい生徒ではある。テストという装置ももちろんある)。エンタテイメントとしての批評を披露するのだ。それが、かつて聴く耳をもたなかった白人に対して黒人の歴史を訴えた、敬愛するKRSワン流「Edu-tainment」である。はなから聴く耳のない者に届かせる言葉はいかなるものか。日々そういう言葉の錬磨をしている、という実感がある。例えば、ネトウヨっぽいやつもいる教室で、どのようにエスニック・マイノリティの話をデリバリーしよう。そういう言葉の強度を探っているつもりである。ろくに文芸誌に文章も発表できていないのでえらそうに言う気はなかったが、この機会に言うと、そういう意味で、日々、自分は批評を生きているというつもりでいる。そのとき、いわゆる肩書きとしての「文芸批評家」にどのくらい意味があるのだろう、とか考える。文芸誌に掲載することにどういう意味があるだろう、とか考える。

さきほど、大学を悪者かのように書いてしまったけど、多くの大学だって同じように日々学生たちに直面しているだろう。だから現在、大学職には、エンタメもできて危機管理もできる中等教育の経験者が重宝されるとも聞く。そんな時代にあって、渡部氏的な、普通に「教育者」としてダメな振る舞いが見過ごされていたのはなぜか。本当に「文壇」的な力学が渡部氏的な振る舞いを容認にしていたのか。大学の人事を掌握するほどのわかりやすい権力が「文壇」にあるとは考えにくい。しかし、「文芸誌などのメディアで活躍している有名批評家だから、教育者としてはダメでもそんなものだ。むしろ個性的じゃないか」という雰囲気はありそうな気がする。その雰囲気がずるずるとセクハラ容認の雰囲気を醸成していた可能性もある。以上は推測だが、個人的にはリアリティを感じる。それがぬるいし、腹立たしい。大学と中高は異なるとは言え、また、活躍の規模も異なるとは言え、こちとらメディアで活動しながら、同時に教育者であることに心血を注いでいるつもりなのだ。

2、口止めをした「教授」と「男性教員」について

ネットの情報を総合すると、「教授」=水谷八也氏、「男性教員」=市川真人氏だろうと推測されるが、なにが確定情報かわからない状況ではある。以下、「教授」と「男性教員」とする。被害者にあたる女性が目の前で相談している状況において、目の前の彼女より体裁を優先する、という「教授」の行為がすごく嫌だし、おおいに問題だと思う。ここで組織を優先するというインセンティヴが働いている時点で、組織として歪みも感じられる(ただし、内部で真っ当に動いている人がいるのだとも思う)。そして、「男性教員」のほう。口止めにまわるとか、本当にこそこそしていて嫌だ。また、記事で告発されている授業のありかたもひどく、もし事実だとすると、やはり「教育をなめてくれるな」である。ごくごく一般的な意味で、学生のほうを向くこと。それができないのであれば、「教育者」にあたいしない。別に「毎回90分みっちり授業しろ」とか「祝日も授業やれ」とか、融通のきかないことを言うつもりはない。良い感じに力を抜いてやればいいと思う。ただ、大学の文系学部で語られがちな「授業を真面目にやらない」系エピソードは、昔から好きではない(これも「大学的なぬるさ」として捉えている)。ましてや、学生が問題視していたにもかかわらず(実際に別の教員に報告もしている)、「男性教員」の振る舞いが野放し状態だったとすれば、それは、「男性教員」の大学教員というポストへの執着と大学側の「文芸誌などメディアで活躍している人」へのひいきが、両側から絡み合った結果ではないか。くり返すが、そういう全体の雰囲気がずるずると今回のようなセクハラに発展した、という感触がある。

ちなみに、市川真人氏については個人的に印象に残っていることがある。というのも、かなり昔、前田塁の文章がわりと好きで、講演会かなんかに行った。でもそのとき、「僕は3か月働いたらひと月くらい休まないとダメなので(3か月以上働けないので、だっけか)教員業しかできないんだよね」みたいな発言をうっとりとしていて、「休みたくても休めない人もいるだろうに、大学教員なんていう立場からそういうことを言うとは、なんか鈍感な人だな」と良くない印象をもった。2回ほど一瞬話したことがあるけど、向こうは覚えていないだろう。『早稲田文学』周辺に独特な閉鎖的サークル性を感じていたのはたしかだが、それは、どんな集団も少なからずそういう部分があるだろうとも思う。

3、(女性)批評家という存在について

今回、「文壇」関係者が渡部氏を追及しない点、市川真人氏の名前がなかなか出てこない点に、「文壇」の「隠蔽」体質が指摘されている。この「隠蔽」批判が、もし、「渡部氏や市川氏に対してヘタに言及すると「文壇」で干される」みたいなことをイメージしてのことだったら、それはさすがにないと思う。渡部氏や市川氏が「文壇」を牛耳っているわけはない(ただし、両氏に気に入られたい小説家・批評家志望者はいたと思う)。だから、沈黙=隠蔽というのは良くない決めつけだと感じるし、応答責任がどこまで発生しているのかも、正直よくわからない(名前の出ている『早稲田文学』および市川氏、水谷氏はあるだろう)。もし、今回、渡部氏や市川氏を批判することによって「あいつの仕事を無くしてやろう」みたいな動きが起こるのだとすれば(さすがにないと思うが)、そんなのはしょぼ過ぎるので、勝手にすればいい(さすがにないと思うが)。しがみつく理由もない。いわゆる肩書きとしての「文芸批評家」にこだわっているわけではないので、もともと多くない自分の仕事がなくなったところで、日々、一生懸命、自分なりの批評を実践するまでである。

ただ、今回の件で考えてしまうのは、そんな僕自身、良くない権力に加担している可能性がある、ということだ。思い出すのは、同業界の女性と雑談程度に「批評」の話をしていたときに、僕の「批評」に対する考えを聞いた女性が、ふと「ああはいはい、男の子的な批評ね」と言っていたことだ。その言葉はすごく心に残っている。今回、ネットで「文芸界隈自体がホモソーシャル」とか「女性の批評家がおらず書評家やライターばかり」といった話題を目にした。今回の件が起こる以前から、「女性の批評家がいない」という問題はずっと考えていて、何人かの知人や編集者とも話題にしたことがある。ブログに書こうとしたこともあったけど、考えがまとまらないので辞めていた。なぜ、女性の「批評家」は少ないのだろうか。

例えば、「批評」(「評論」でなく「解説」でなく)という響きに込められた、作品から自立するのだ、という態度。実作者である小説家をも押しのけて「この作品はこうなのだ!」と言い張る「批評」の態度そのものが、もしかしたら、ホモソーシャルな文芸業界に生きる女性にとっては、かなり現実的にしんどいものなのではないか。作品や作家に対抗するように「批評」するなんてただでさえしんどいことなのに、女性はそこにさらにしんどさが上乗せされているのではないか。女性の論者が「批評」を避けるとき、そこには男性中心的な文芸業界に対するうっとうしさがあるのではないか。「批評」業界という実体があって、それが「女人禁制」を敷いている、というそんなわかりやすく悪い話はありえない。しかし、微細な力学が女性を「批評家」という肩書きから遠ざけている、という可能性はある(だから、故・田中弥生氏はやはり重要だった)。だとすれば、男性である僕が無邪気に批評の自立性を謳うこと自体が、ある種の特権としてあるのではないか。「文壇」の権力になど加担した覚えはない。だけど、権力と無縁でいられないのもまたたしかだ。群像新人文学賞の優秀作を受賞し、「批評」の自立性を基本態度とし、あれこれ評してきた。ときには偉そうに。それ自体は誠実なことだと信じてやっているし、それ自体が否定されるべきことではないと思う。だけど、その「否定されるべきことではない」行為が、すでに男性の既得権としてある気が、「男の子的な批評」という言葉を聞いて以降、していた。『批評空間』周辺の言説から「批評」に触れ始め、その歴史性を意識しながら「批評とはこういうもの」というイメージを抱き、あれこれ書いたり考えたりしていたが、それ自体がすごく男性中心的なパラダイムにいる気がしてくる。「文壇」プレイヤーとはほど遠いと思っている僕もまた、男性中心的な「文壇」をずるずると延命させているひとりではないか。考えすぎ、あるいは、余計なお世話かもしれないが、けっこう悩んでしまう。この「ずるずる」が、自分の気がつかないところで、誰かの声を抑圧する雰囲気に加担していそうで心が暗くなる。渡部氏のセクハラ問題がそうだが、権力から無縁であるかのような、あるいは、権力に対して反発しているかのような振る舞いこそ、別の権力や抑圧に支えているという凡庸な構造がある。見ようによっては「別にお前は関係ねーよ」かもしれないが(そういう気持ちもなくはない)、とにかくいろんなことをあらためて問い直したい。

自分のことばかり書いてしまいましたが、あらためて、被害者が少しでも納得できるようなかたちを望みます。


toshihirock_n_roll at 00:25|Permalink 雑感 | 教育

2018年04月08日

加藤秀行『海亀たち』(新潮社)の書評を『すばる』に!

海亀たち
加藤 秀行
新潮社
2018-01-31

いま売りの『すばる』5月号に、加藤秀行『海亀たち』(新潮社)の書評を書きました。本作もまた、これまでの加藤作品と同様、グローバル化した資本主義社会を舞台としています。交換によって実体以上の価値が発生するという資本主義のダイナミズムを徹底的に描いた本作は、いまだ単純な反グロ/反資本主義を掲げがちな文学業界(というか、最近だと『文学界』か)に対して、挑発的で良いと思います。ただ、本作には、このような作品世界を内側から喰い破るような契機があって、それが、労働生産者と商品の二重性を生きる(ベンヤミン)「街娼(たちんぼ)」の存在。本作は、そのことに無自覚なように見えます。一方、グローバル社会を背景に「街娼」的なものについて描いているのは、同じくタイを舞台にした空族の映画『バンコクナイツ』で、新人小説月評でも書いたように、僕はやはり、『バンコクナイツ』のほうが良いと思ってしまう。本作・書評ともども、よろしければ!


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2018年03月29日

インディー文芸誌『Witchenkare』に寄稿しました!

多田洋一さん主宰のインディー文芸誌『Witchenkare』が4月1日発売ですが、そろそろ書店に並び始めています! 今回の装丁はなんとなくラスタなイメージ! 僕はまた学校シリーズで、「学校ポップスの誕生 アンジェラ・アキ以後を生きる」と題して、Jポップ化する合唱コンクール(「学校ポップス」と名付けた)や、ユニコーンやブラフマンを替え歌するサッカー部の応援歌(チャント)、吹奏楽部やダンス部の音楽など、学校という場所に流れる音楽のかたちについて書きました。遠く、柳田國男『民謡の今と昔』を意識しています。よろしければ!


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2018年03月28日

1991年と小室哲哉のコンプレックス――LL教室の試験に出ない90年代J-POP[1991年編]に向けて

いよいよ、星野概念さんを迎えたLL教室のイベントが近づいてきました! まだまだ席に余裕があるみたいなので、ぜひ予約・参加して欲しいです!

4月1日(日)@荻窪velvet sun
LL教室の試験に出ない90年代J-POP[1991年編]
ゲスト:星野概念(精神科医、ミュージシャン)
http://www.velvetsun.jp/new-events/2018/4/1/41-ll90j-pop-1991ll

「1990年代」というディケイドの括りではなく、1年ごとの区切りで見て行こう、という趣旨で始まったこのシリーズ、なるほど「1991年」という共時性で見えてくるものがありそうです。LL教室・ハシノ先生のブログもぜひご一読ください。

「1991年のこと」―森の掟
http://guatarro.hatenablog.com/entry/2018/03/25/010506

思ったのは、1991年には、次なる時代を彩る多くのジャンルが出揃っているな、ということ。ハシノ先生のブログで言えば、ニルヴァーナ『NEVERMIND』の出現もあって、アメリカでメタルからグランジへの移行が始まったこと(映画『レスラー』における「ニルヴァーナが出てきてダメになった」というセリフは、「プロレス」的フィクションが受け入れられなくなった時代を示す名セリフだ!)。とは言え、日本ではまだまだメタル人気が高かったこと。ダンスカルチャーのがロックに合流した、マイ・ブラッディ―・バレンタイン『LOVELESS』の年であること。ダンスカルチャーと言えば、電気グルーヴがメジャーデビューをして、日本でテクノが市民権を得ていく時期とも言えます。あるいは、レッド・ホット・チリペッパーズ『BLOOD SUGAR SEX MAGIK』の年であること。ヒップホップの領域では、デ・ラ・ソウルやア・トライブ・コールド・クエストなどのネイティヴ・タン勢によるニュースクールの時代で、その日本版とも言えるスチャダラパーがメジャーデビューをしています。あらゆる音楽をコラージュしたフリッパーズ・ギター『ヘッド博士の世界塔』がリリースされたのも1991年です。

「1991年」という年で輪切りにしたとき、国境を越えてさまざまな音楽が流れ込み、それがかたちになっていったようなイメージを抱きます。このような傾向はもちろん、戦後からゆるやかにあったのだろうけど、一方で、湾岸戦争が起こった1991年が冷戦崩壊前後の時代であることを考えると、グローバルな経済活動の促進と歩みをそろえているような気にもなってきます。前述のスチャダラパーは、この年、「ボーズBar〜Yo! 国際Hah」という曲を歌っています。「24時間働けますか」というバブル直前の狂騒のなかで、強迫的ながんばれソングや、それとは裏腹の新興宗教問題とかも潜在しており、当時の社会背景がおぼろげに浮かんでくるようです。

久しぶりに、烏賀陽弘道『Jポップとは何か』(岩波新書)を読み直したら、1991年に関することで面白いことが書いてありました。1980年代以降の音楽現場におけるデジタル化に触れたところです。

このデジタル技術がもたらした機械化・省力化・効率化がどれほどすさまじい大量生産を生んだか数字を挙げよう。九一年、なんと一年で五百十組の歌手・バンドがデビューしたのである。


このような音楽バブルとでも言うべき状況が、90年代のメガヒットの時代を形成します。そのトップに君臨するのはやはり小室哲哉だと思いますが、興味深いことに、楽譜も読めない小室はまさに、音
楽におけるデジタル化の申し子だったということです。烏賀陽も「こうしたデジタル技術が楽器や音楽制作の現場に入ってこなければ、小室の成功もなかっただろう」と書いています。

1991年のヒット曲のひとつに、チャゲ&飛鳥「SAY YES」がありますが、飛鳥は小室との対談(『小室哲哉 with t vol.1』幻冬舎)のなかで、デジタル技術が自身の楽曲制作に与えた影響を語っています。

八〇年代、いわゆる打ち込みものが主流になる頃、僕は新しもの好きだったから注目しててね。そしたら、たまたま知り合いがそれに飛びついて、そこに足繁く通っててね、興味湧い
ちゃったんだよ。
(中略)で、実際作り出して、それで打ち込みも自分で始めちゃったでしょ。それからだよね、曲作るのが面白くなって、いわゆる量産体制っていうのかな? いいものも悪いものも含めてたくさん作ったかな。

その後、小室と飛鳥は、吉田拓郎がいかに機材マニアかという話で盛り上がるのですが、1980年代を通じて普及していくデジタル技術が、表面的にも潜在的にも、1990年代の音楽を支えているのが面白いです。飛鳥に関して言えば、デジタル化という外在的な要因が創作意欲につながっている、ということです。ちなみに、ゲストの星野概念さん(精神科医・ミュージシャン)は今回、「SAY YES」はじめ、チャゲ&飛鳥の歌詞について語ってくれるのですが、これがとても面白かったです。僕も文芸批評的な立場から、歌詞分析を試みることができたらと思っていますが、まだなんとも。

さて、小室とデジタル技術の話ですが、たしかに、小室にとってシンセサイザーというのはとても大事なものです。ナンシー関が以前、「小室にとってシンセサイザーはアイデンティティそのものだ」といったことを指摘していました。というのも、もともとメタル少年だった小室は、その細い腕がコンプレックスだった。そんな小室少年は、シンセサイザーを手にしたとき、これでエレキギターに対抗できると確信した、というエピソードがあります。小室にとってテクノとは、日本人であらざるを得ない自分がメタル的なハードさを表現するものだったというわけです。

このことは、小室に限らないのかもしれない。1991年は、B’z「Lady Navigation」、SMAPのデビュー曲「Can’t Stop」の年でもありますが、これらに共通するのは、打ち込みのビートとエレキギターということです。ビーイング勢含め、この頃のJポップは妙に、打ち込みとハードのギターという組み合わせが多いです。デジロック的ということなのかもしれませんが、印象としては、同じBPMのもと、メタルのノリをテクノとふしだらにつなげているような感じ。個人的には、この打ち込みとハードなギターというのが、すごく日本的なJポップの風景に見えます。その感じは例えば、宇多田ヒカル「Movin’ on without you」とかにまで感じます。

もしかしたら、日本人によるメタルの夢としての「Jテクノ」とでも言うべき磁場が、Jポップのある一角を占めているのではないか。例えば、小室とYOSHIKIによるユニット、V2はその儚い夢として見るべきではないか。「Jテクノ」があるとしたら、その萌芽は1991年にあるのではないか。さまざまなジャンルが出揃った1991年に。「1991年」という区切りで見えない風景が見えてくるような、そんなイベントになればと思います。ぜひ、来てください!

toshihirock_n_roll at 22:44|Permalink 音楽 | イベント