2012年01月29日
円城塔との一方的な思い出
円城塔さんが芥川賞を受賞しました。これによって、広範な読者が得られるのであれば、多くの人にとって小説観が更新される可能性のある、とても素晴らしい受賞だと思います。数年前、自分が参考にしている書評家の方々のあいだで、盛んに「円城塔がすごい!」という評を目にしたので、『Self-Refarence Engine』(早川書房)を買い、大きな衝撃を受けて以来、僕もファンです。で、どれくらいファンかと言うと、僕が持っている円城さんの本は、(結果的にですが)全部サイン入りです。とは言え、受賞作の「道化師の蝶」をはじめ、近作で読んでいないものもあるので、無邪気にファンというのは少し抵抗もあります。それにしても、みなさんはご存知ですか? 『オブ・ザ・ベースボール』(文藝春秋)における、空から落ちてくる人をバットで打ち返すというモチーフが、崖から落ちそうな人をキャッチするという、J・D・サリンジャー『キャッチャー・イン・ザ・ライ』のオマージュであるという事実! キャッチャーに対してバッターということなのでしょうが、素晴らしいユーモアのセンスだと思います。それで、僕はかつて、『Boy's Surfiace』を持って、例によって円城さんにサインを求めたことがあるのですが、そのとき、かなり嫌だろうなとは思いつつ、「こんなこと訊かれても困ると思うのですが」と前置きしつつ無礼にも、「この作品の意図はなんですか?」という質問をしました。文学研究者にあるまじき、作者の特権化!
円城さんは、「自分にもわからない。むしろ、自分がなにを書きたいのかを探すために書いています。」という超クールな、本音だとしても建前だとしても満点の答えをさらっと言っていただきました。ありがとうございました。『烏有此譚』(講談社)がとくに大好きです。
2012年01月14日
佐々木敦『未知との遭遇』(筑摩書房)を読んで
佐々木敦『未知との遭遇』(筑摩書房)を読みながらずっと頭に浮かんでいたのは、保坂和志のことである。具体的に言うと、佐々木さんが採用する「この世の出来事は理由抜きに起こり、なおかつすべてが決まっている」(=「自然的―全面的運命論」)という考えに、保坂の「そうでしかない小説」(感銘を受けた言葉だったのでメモをしておいたのだが、いくら該当箇所を探しても見つからず、まことに遺憾ながら出典失念。おそらく『小説の自由』に登場する言葉)という言葉を連想し、その運命論が「「因果」とはまるで無関係」である点には、保坂による石川忠司との対談の際の「コップが落ちたから割れたというけど、割れたから落ちたという言い方も可能なんだ」という言葉を思い出した。それで、このコップの例は、それこそ佐々木さんと保坂の対談(「音楽を考えるときに小説のできること」『群像』2009.3)の際に、保坂が「以前こんなことがあってね…」といったかたちで持ち出したものなのだけど、それを受けた佐々木さんは「八〇年代のニュー・アカデミズムと、そしておそらくゼロ年代以降の若い世代とは、そういうわからなさの魅力とは対立する知性のあり方だと僕には思えます」と述べ、その「若い世代」の「手っ取り早く結論が欲しい、出来るだけ効率的にわかった気持ちになりたい、というオブセッション」の傾向を指摘している。『未知との遭遇』冒頭で紹介される「いったい、何から入ってどこまで行けば、テクノを極めたことになるんでしょう?」という学生さんの質問は、まさに「わかった気持ちになりたい」オブセッションのようであり、こういうオブセッションに追い込む時代状況の分析がされる。これは「ゼロ年代」の文芸評論にも関わってくる。大澤信亮などがしばしば「社会学的」と言うような「ゼロ年代」的な評論のスタイルは、小説を〈時代を映す鏡〉のように(保坂などからすれば、矮小化して)捉えていたきらいが少なからずあった(ちょっと、これも単純化した見取りなのだが。筆者としては、ここでは宇野常寛を念頭に置いている)。大澤なんかは逆に、結局、科学的な知なんていうのは悟性のレベルの話であって、でもその悟性に回収できないものが人間のなかにはあって、それを理性批判というかたちで考え直す必要があるという」(『ロスジェネ4』2010.4)
という立場である。それで「ゼロ年代」的「社会学的」な評論とは、佐々木さんが保坂に言ったような「わかった気持ちになりたい」人のための評論として機能していたと考えられる。保坂の文芸評論家への批判は、
この人たち(『神聖喜劇』を評した二人の文芸評論家―注・引用者)は小説を読むときに間違った「わかり方」をしようとしている。というか、「わかる」こと、「わかろうとする」ことが、結局、小説を読む前に持っていた自分の思考の材料を更新することではなく、事前にあったそれらで小説を腑分けすることでしかないということを示している(『小説の自由』新潮社)
というものだ。『神聖喜劇』への評は「ゼロ年代」のものではないだろうが、このような語り口が「ゼロ年代」の一傾向としてあったと言っていいと思う。それに対して、保坂の小説観において重要視されるのは、「『城』においては、城とはそこに書かれているとおりのものでそれ以上の何かなのではない」と言うように、小説が〈なにかである〉というメタの措定を許さないことである。したがってまずは、『未知との遭遇』が「ゼロ年代」的なもろもろのアンチと言うかオルタナティヴなのものを目指している、ということは指摘しておきたい。言うまでもなく、かもしれないが。もう少し、「わからなさ」との格闘をしてもいいんじゃない、っていう。
それで、「最強の運命論」につながっていくキーワードとして「偶然性」という言葉が出てくるわけだが、佐々木さんはこの言葉について、九鬼周三『偶然性の問題』を参照して考察している。また、『偶然性の問題』は1935年に発表され、同じ年には中河与一『偶然と文学』も発表されており、ちょっとした「偶然性ブーム」が起きた、おそらく戦争へ向かっていく日本の社会状況がかかわっているのだろう、という説明が添えられている。うむ、「未知」について考えるにあたって、まずはじめに1935年という舞台を選ぶのは、僕的にはかなりグッド・ジョブである。僕の関心(というか安藤宏の関心というか日本文学の関心というか)からすると、1935年と言えば、なにより太宰治が「道化の華」を書き、第一短編集『晩年』を用意していたときである。身辺雑記的な私小説の可能性と限界を示した、不思議なメタ私小説(?)「酔狂者の独白」(『新潮』1927・1)を遺した同郷の葛西善蔵をリスペクトし、プロレタリア文学とマルクス主義の弾圧を脇目にした太宰治の『晩年』には、「道化の華」をはじめ、どこまでも揺れ動く不確実な「私」の姿が、「コラージュ」「サンプリング」(中村三春『係争中の主体』翰林書房)などといったポストモダンな表現方法を駆使して描かれている。つまり、『晩年』に象徴的なように1935年というのは、文学史的に言えば、私小説の行き詰まりとプロレタリア文学の挫折(あと、「シェストフ的不安」(三木清「シェストフ的不安について」『改造』1934.9、というのもあったな)――すなわち、自明だったものが崩壊していく時期であった。まさに「未知」の時代の到来である。「人々がめいめい勝手に物事を考えていることが事実であり、作中に現れた幾人かの人物も、同様に自分一人のようには物事を思うようでないと作者が気附いたとき、それなら、ただ一人よりいない作者は、いったいいかなるリアリズムを用いたら良いのであろうか」と問う横光利一「純粋小説論」(『改造』1935.4)も、「彼等は自分のなかにまだ征服し切れない「私」がある事を疑はないであらうか」と批判する小林秀雄「私小説論」(『経済往来』1935.5-8)も、「白いものを一様に白いとするかどうか、その社会的共感性に、安心がならない。或は黒いとするかもしれない分裂が、今の世の中には渦巻ゐている」と惑う高見順「描写のうしろに寝てゐられない」(『新潮』1936.5)も、すべて1935年前後の文章である。ついでに、柄谷行人の「60年周期説」を紹介しておけば、起こるはずのなかった関西地方の地震が、エリートによる信じがたい犯罪が起こった1995年とは、まさに1935年の反復と見立てることもできる。まあ、「60年周期説」はアレとしても、とにかく1935年とは、たしかに社会的な自明性や必然性が様々な分野で急速に疑われるような言説が飛び出した時期であり、これを補助線に考えるのは興味深い。安藤宏は、こうした社会状況と小説表現の行き詰まりの結節点に、「現象としての私」を論じていた(『自意識の昭和文学』至文堂)。「現象としての私」とは、私小説的な「私を見る私」に自覚してしまった瞬間に生じる「私を見る私を見る私を見る私・・・・・・」というメタ視線の連鎖とその先に生じる曖昧ななにか、といった「私」をめぐるプロセスを指したものである。安藤によれば、芥川龍之介の有名な最期の言葉である「ぼんやりとした不安」の「ぼんやり」感も「私」をめぐるメタゲームの果てに現れたものだという。この、単一のものに還元できない、世界の営みにおける一表れとしての、運動体としての「私」の姿は、
これは、書くことのなかに絶えず自分を織り込むタイプの記述がもたらす感覚だが、べつに方法的なトリックによるものではない。目の前の現実を問おうとすれば、その現実を見つめつつ、それを疑う「この私」が要請されるだけだ(だから、「私」と書けば疑っていることになるわけでもないし、必ずしも「私」と書かれる必要もない。そこから問いが始められているのか、単なる知的パズルなのか、情報の整理なのか、あるいは自己懐疑を偽装した自己肯定なのかは、記述と分析の過程において示されるほかない)。
このような、対象自体に自分が含まれる記述を続けていると、やがて能動と受動、主体と客体が入り乱れる瞬間がやって来る。自分が言葉を書いているのか、言葉が自分に書かせているのか。(「復活の批評」『文学界』2011.3)
と言う大澤信亮がしきりに問題にする、「自己反省を強いる他者」としての「私」を連想させる。大澤は、『存在論的、郵便的』(新潮社)の頃にあった東浩紀の「他者」や「誤配」の概念が、『動物化するポストモダン』(講談社現代新書)の頃には単なる営業先の話になってしまったことを強く批判したが(「これは「誤配」を、自らの言説や本をひたすらバラ播く「実践」へと短絡させ、のみならず、思い通りの解釈をしてくれなかった読者に文句を言うという、東氏の現在に直結している。」「復活の批評」、引用部は少し文脈が違うが)、『動物化するポストモダン』があらゆる意味で「ゼロ年代」の先鞭をつけたことは周知である(それこそ、佐々木敦『ニッポンの思想』講談社現代新書、を参照のこと)。そこでは、言葉の表象可能性/不可能性が問題になる。言葉が(統一的な)「私」の考えを透明に表象できる、あるいは社会をうまく説明できる、もしくは小説をうまく説明できる、といった考えが、「ゼロ年代」的ゲームボードを支えた前提条件である。この点を確認することで、「そこに書かれているとおりのものでそれ以上の何かなのではない」――すなわち、言葉はなにものかを表象するものではない、言葉はただただ言葉としてそこにあるのだ、という保坂の言葉がふたたび召還されることになる。
私小説の問題に大きく関わるが、僕は『未知との遭遇』をどこまでも「私」をめぐる問題として読んだ。いかに「私」から解放されるかという問い、と言い換えても良い。ここで、「有限のワタシ」という問題に触れることができる。それこそ、いつぞやのエクス・ポナイト(トークテーマは「メタ国家論」だったか。舞台上には、東浩紀と萱野稔人と鈴木謙介)で東浩紀がカール・シュミットに触れて言ったことで、「人間はバカだから二分法でしか考えられない」(記憶に頼ったニュアンス)みたいな問題がある。この東浩紀の発言はとても面白く(僕は佐々木さんもこの発言を記憶されているだろうと確信しているのだが)、たしかこの数年前のトークで東浩紀は初めて、「一般意志2・0」の構想を語っていたのではないかと、「ゼロ年代」ウォッチャーの僕なんかは記憶している。話がずれたけど、東浩紀が言うように、たしかに人間というのは、複雑なものを、言葉によって分類し簡略化することでしか物事を認識できない。認知心理学用語で「心理的本質主義」(三中信宏『分類思考の世界』講談社現代新書、を参照のこと)と言っても良い。この、簡略化/分類化することでしか物事を認識できない存在こそが、ここで言う解放を目指されるべき「私」(=「有限なワタシ」)である。佐々木さんが、「偶然性」とか「自然的―全面的運命論」とかを言葉で論理的に説明しようとするのは、「ほら、ワタシの認識をちょっといっかい外してごらんよ」というメッセージだと受け取った。「因果」とは、まさに、個別具体的に起きている出来事を、「私」が認識できる範囲で説明することである(そして、認識が言葉によってなされている以上、やはり「私」と言葉の問題は切り離せない。くり返すが、だからこそ、保坂の小説への態度がいつでも召還されるのである)。しかし、佐々木さんが採用する運命論においては、「この世の出来事は理由抜きに起こ」るのである。時間に関する議論についても同様で、佐々木さんがマクタガートを引用して語るのは、「現在」というのは「主観的な幻影」に過ぎないかもしれない、ということである。実在するのは、波形編集ソフトで言うところの「波形画面」という、ただただ世界の営みなのであり、「私」とはその一部分に過ぎないんだよ、というわけである。だから、その「私」という枠組みをちょっと外すとラクになれる場合もあるんじゃないの、と。もちろん、「有限」な「私」たちは、完全に「私」から逃れることはできない。もし、完全に逃れて「私」と世界が一体化したら、それは人類補完計画みたいなもので、オカルト的で危ないし、考え方としても安易と思う。ただ、「ゼロ年代」があまりにも、統一的で明確な「私」性のようなものに寄りかかっていた、という状況も踏まえて、「最強の運命論」の方向性を提示しているのではないかと思う。
しつこく私小説の話で恐縮だが、素朴な私小説の考え方では、あるいは素朴な近代文学は、統一的な人格を持った「私」が語る物語であった。柄谷行人『日本近代文学の起源』(講談社文芸文庫)は、「内面」形成という側面から近代文学の成立を論じたものだ。しかし、「私」は解放されたって悪くない。むしろ現代の感覚からすれば、統一的な「私」のほうがよほどフィクショナルであるかもしれない。とすれば、佐々木さんが言うように、「複数であることを、多重人格であることを、自ら進んで認めてしまえばいい、と思うのです」。その意味で、私小説的成分を含みながら、冒頭で「私、という一人称が超然にふさわしくないのではないか」と、一人称に疑問を投げかける町田康『どつぼ超然』(毎日新聞社)は、もはや戦略的ですらある。まあそれは措くとして、僕なんかは最近、多重人格を認める以上に、むしろ、多重人格を目標にすれば良いと思うのである。自意識すら無理矢理なくしていく、というか。佐々木さんと大澤真幸のジュンク堂でのトークショーをポッドキャストで聴いたが、話題の中心を占めたのは東北大震災のことで、終了後、会場から控えめなトーンで質問が出された。内容は、自分は実際は東京にいるから福島の地震や原発との架け橋になるようなものがなくて、身近に感じられないのですが・・・・・・みたいなものだったと思う。質問した方に誠実さを感じた。佐々木さんは、それに対する答えとして次のようなことを話していた。
たしかに福島で起きたことは身近に感じられないかもしれません。でも、僕は福島で起きたことと架け橋になるようなものは必要ないと考える立場なんです。そんな風に考えなくてもあなたは福島で起きたことを知ってるし、もっと言うと架け橋になるようなものがない、という苦悩だけで十分だと思います。それでも、やっぱりなにかしたいと思ったら、できることたくさんあるじゃないですか。でも、それをしなきゃならにわけでもない。
便乗するようですが、僕もやはり同じようなことを思います。具体的に自分のことで言うと、僕は、震災の直後は明確に自分のなかで「人助けプレイ」をしました。これは、みうらじゅんの「親孝行プレイ」にインスパイアされたものです。僕もやはり質問者の方と同じように、友人は東北にいたものの、本当の本当には自分のこととしては考えられなかった。でも、こんな明確に、確信的に、わかりやすく「人助け」を出来る機会もないと思って、「プレイ」として自分に出来ることを続けました。まあ、心がこもっていないという意味では、言ってしまえば偽善なのだが、僕は自分の心をそもそも信じることができないタチなので偽善で超オーケーです。別に、誰かに自慢をするという目的でもないし。身近に感じられない、心がこもらない「私」から遠く離れて、「人助けプレイ」として募金でもボランティアでも節電でもすれば、そこには大きな意味があると思う。それこそ、その行為は、「私」を超えた世界の営みとして機能するものだと思う。僕は、理由なんか無くても、「人助け」すれば良いと思う。理不尽に。偶然見舞われた天災のように。
さて、「人助けプレイ」の「プレイ」とは演劇(=play)のことである。さっき、多重人格を目標にすればいい、と言ったが、これは具体的には、「演じろ」ということである。ということで、あまり人には言っていないが、ここ数年、実は俳優業とコスプレに興味がある。普段の自分とかけ離れた衣装で俳優として演技をしてみたい。内面ではなく、あくまで外面をコスプレすることで「私」から解放されたい。手始めに、いまアディダスのジャージとベースボール・キャップを安く手に入れたので、Bボーイ化を進めている。似合う/似合わない、のオシャレとは違う水準で、被り慣れないキャップを被ると本当に気持ちがすがすがしい。ブランドの力はすごい。あまりコスプレ的ではないが、同じフリースでもティンバーランドのロゴが入っているだけで、気分が本当にNORIKIYOのPVに出ているみたいなのである。僕が単純なだけかもしれないが、そうすると本当に、自分が歩いている小金井市がGAMI RIVAXIDEに感じてくる。佐々木さんが紹介する小沼丹的「吃驚」は、僕にとってはそういうイメージである。「ごく些細な、何でもないような日常の出来事にさえ、ひとはびっくりできる」のである。いつもと違う存在に身を投じることで、世界は鮮やかになることがある、と本気で思っている。これも、ことあるごとに言っている気がするけど、だから、3歳のときに「自分に精神の自由がない!」と叫び、「多数的な生を生きたい」という動機で俳優になった中野裕太は、その一点において、とても素晴らしいと思えるのである。僕は妄想癖が強いのかどうか、他人と比べようもないのでわからないが、そのテの「私」から解放される想像は、けっこう得意だと思う。このあいだ、9千円を落として、一瞬けっこうヘコんだのだけど、すぐに自己防衛的に想像力を働かす。9千円を落とすことと9千円を拾うことは、「私」という枠組みを外せば、世界の営みという点でまったく等価の出来事である。ならば、僕は必ずしもヘコむことはないのではないか。むしろ、拾ったかもしれない、確認もできない、存在すら疑わしい誰かの存在に自分を投企しよう、という思考回路が、けっこうすんなりと働く。拾った「私」に同化して、むしろラッキーみたいな(もし自分だったら交番に届けますが)。自分が楽観的だと言われるゆえんだが、なんにせよ、こういう「私」からの解放に魅力を感じるので、『未知との遭遇』には、不遜にも肯くことしきりなのである。さて、「演じる」というキーワードを出すと、『未知との遭遇』に書かれている本谷有希子のことが、やはり外せない。そもそも、演劇という表現が、「私」との関係を考えるうえで非常に重要だとはずっと思っているのだが、いかんせん観劇体験がほとんどなく勉強不足である。僕は「ファイナルファンタジックスーパーノーフラット」という作品は観ておらず(俄然観たくなっている)、だから実は詳しい設定も理解しきれていないのだが、少し紹介されているあらすじを読むだけでグッと来る。「もともと存在してさえいない「縞子が演じるユク」にトシローは恋していたのです」という、その、「私」に囚われていない世界観がまずは素晴らしい。ユクという人の気持ちというか心は、「私」という水準で言うと、どこにも存在していないはずなのに、でもその恋は、世界の営みとして動いている。そして、「演じる」ことをめぐることで繰り広げられる、世界と「私」の攻防線。この「私」と世界の関係は、仏教思想を補助線にすると分かりやすいかもしれない。「私」=仮観、世界=空観、「最強の運命論」モデル=中観、というイメージで。
結局、まずは「私」から解放されることを目指すのが大事だと思うのである。もちろん、「私」からの解放と解放され得ぬ「私」との衝突は、さまざまな水準で起こるだろう。それについては、佐々木さん自身も、もっと具体的な作品論もしたいとおっしゃっていたので期待して待ちたい。もう、論理も起承転結も無くなってきたのだが、「私」からの解放と解放され得ぬ「私」の衝突、と言うと思い出す僕の好きなエピソードがある。
文化放送『グリーン・フェスタ』の「いとうせいこうの知らない世界」で、本多静六という林学者を知った。明治神宮の人工森林を設計した人である。明治神宮は、もともと荒れ地でなにもなかった。本多は、そこに種を蒔きながら100年後の森を設計した、種を蒔きながら、専門的な知に基づいた想像をしながら。その森の姿こそ、僕らが目にしているあれである。昼でも薄暗い圧倒的な、自然としか思えない自然は、完全に人ひとりの許容を超えたスケールながらも、たしかに人によって想像された人工的なものでもあった。いや、人工/自然なんていう対立自体が馬鹿らしくて、ただただ世界の営みとしか言いようがない。(2010年12月2日の自分のブログより)
『未知との遭遇』に関連させて言うと、やはり「最強の運命論」の話である。佐々木さんがいちばん直接的にメッセージを発しているように読める箇所の一つは、次の部分(とその前後くらい)だと思う。
「どうせもう決まっているのだからやらない」ということは、すなわち「何も起こらないことが決まっていた」ということです。しかし、そこで自分の意志に沿って何ごとかをする、とにかくやってみることにした場合も、それはそうすることが「決まっていた」のです。
暇があったら、原宿に行って明治神宮を参拝するといいと思う。もちろん「最強の運命論」的風景は、どこにでも広がっているのだけど、明治神宮の森はとくに感応しやすいと思う。明治神宮の森は、本多が種を撒かなければ生まれなかった。その意味で、紛れもなく「私」の意志の産物である。その一方、現在の森がああいう形をしているのは、誰の意志も介在しないほとんど「偶然」に等しい出来事である。だとすれば、明治神宮の森は、意志とか「偶然」とか全部ひっくるめて、露骨に「そうなることが決まっていた」としか言いようのない存在である。こういうことに考えをめぐらすと、感動的だとさえ思える。そうやって、大地に種を撒くように、「私」の意志を、「私」という存在を、世界に投げかけていくことは、「つらいことが起きても運命だと思って引き受けましょう」ということとは、まるで別の水準の話である。「もーしょーがない!」(古谷実『グリーンヒル』)「でも、やるんだよ!」(根本敬『因果鉄道の夜』KKベストセラーズ)「もーしょーがない」「でも、やるんだよ!」の連続で、どこかで開き直って世界に関わっていくことに賛成である。というか、本当はあらゆるものが神宮の森みたいなものなのである。ともすれば僕らは、人工/自然という二項対立を立てがちで、「私」/それ以外、に切り分けるが、あらゆるものが「私」の意志と「偶然」が包み込まれた「最強の運命論」として現前しているのである。そういったものとして世界を見ることは、たしかに豊饒なのだ。
「最強の運命論」的に行動をしていくことも大事だが、事物を「最強の運命論」的に見ることも大事である。それが、小沼丹的「吃驚」につながると思う。で、結局それは具体的にどういうことか。僕なりに示したい。『未知との遭遇』において、マクタガートの時間論は音楽の「波形編集ソフト」の比喩で説明される。そして、こんな文が。
じつは「主観的な幻影」でしかないのかもしれない「過去」や「未来」というものが、われわれの「現在」に非常に強いエフェクトを及ぼしてくる。
僕はこの文を読んだときに、「エフェクト」という言葉に考えをめぐらせた。「影響」で良いじゃないか、と。なぜ、佐々木さんが「エフェクト」という言葉を選んだかは知らない。明確な理由があるのかもわからない。でも、それでも「エフェクト」という言葉は選ばれている。「最強の運命論」的に選ばれている。読み手としての僕は、佐々木さんがかつて紹介してきたような音楽には、かなり疎いと思うが、でも、代表的なシカゴ音響派と呼ばれたような人の作品は、まあ一応聴いて、トータスのいくつかのアルバムなんかにはそれなりに感銘も受けた。僕の理解で言うと、例えばトータスなんかは、サウンドを波形として微分していくことが可能になって以後の音楽である。微分して細かく切り取りながら再配置していく。もちろん、そこでは、再配置したサウンドをどのような音像にするかということで、「エフェクト」をかけることも、これまで以上に重要になる。先の文に登場した「エフェクト」という言葉には、こうした言葉自体の記憶が刻まれている! と、僕はそういうことを思った。佐々木さんが、「波形編集ソフト」を例に出し、その流れで「エフェクト」という言葉を選んだのは、もはや書き手・佐々木敦の意志とか、どう意図があったとか関係なく、読み手の僕のもとに、僕が知りうる佐々木さんをめぐる記憶とともにやってくる。そのとき、「エフェクト」という言葉の背後には、トータスの美しい音楽が鳴り響いている! 折口信夫は『言語情調論』で次のように言っている。
再生概念をあらわす言語をもって形成した判断、すなわち文(口語、文語)の内容は、はなしての予定によって第一次思想から一直線に来る第二次思想、すなわち直接内容とこの予定なくして第一次思想を表現するために排列した言語が、偶然にある内容を有する形式となる場合、すなわち間接内容とが並び存することを認めなければならぬ。
折口によれば、言語というのは、単なる「描写」「写実」という機能の裏側に「情調」「気分」とでも言うべき機能がある。枕詞を思い浮かべればわかりやすいかもしれないが、和歌などで「母」と言うとき、「母」の裏側には集合的な記憶として「垂乳根の(たらちねの)」という姿が存在している。枕詞は、その可視化である。集合的な記憶とは言えないかもしれないが、同じように、佐々木さんが「波形編集ソフト」の例を出した直後に、「エフェクト」と言ったとき、その「エフェクト」という言葉の裏側には、トータスの音楽が「情調」「気分」として存在している。引用部の折口が「偶然」と言っていることは重要で、これは書き手・佐々木さんの意図を度外視しているという点で、「私」の水準を超えている。とは言え、読み手の僕が、それでも、他でもない佐々木さんが「エフェクト」という言葉を発したからこそ僕がトータスを思い浮かべたという点では、やはり書き手が佐々木敦であり、読み手が矢野利裕であることは意味を持つ。でも、やはり、佐々木さんが「エフェクト」という言葉を選び、僕がそれに感応したことは、依然として「偶然」なのである。つまり、そういったすべての意志や「偶然」を飲み込んで、あの文章は、あの文章であることが、「最強の運命論」として定められていたのである。
*
最後に、僕が『未知との遭遇』のサウンドトラックにふさわしいと思うのは、大好きなマヘル・シャラル・ハシュバズ「Faux depart」という曲である。何よりも歌詞が素晴らしい。
失敗した出だしから始まった歌
互いに呼び交わす鳥のように
歌うのは相手の言葉
五線譜のように定められた失敗
出だしの失敗から始まった歌
互いに呼び交わしながら進む歌
歌うのはいつもあなたの言葉
五線譜のように定められた幸福
出だしの失敗から始まった歌
五線譜のように定められていた
(10968字)
2012年01月03日
本年もよろしくお願いいたします。
あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いします。
さて、2011年は大きな地震があって、いまだにその記憶はこびりついているわけですが、ネットその他で非常によく議論されていたのは、震災以降に表現はいかにあるべきか、といった類の問いです。このことは、阪神・淡路大震災や911の際にも少なからず議論されていたみたいですが、創作に限らず批評行為なども含め、圧倒的な現実に対してどう向き合うべきか、という議論がいくつか勃発していました。僕自身の基本的な立場としては、やはり佐々木敦さん的な「「音楽になにができるか」などと問う必要はまったくない」(『季刊アルテス』)という言い方がしっくりくるし、加えて、表現者のあり方としては、ツイッターにおける吉田アミさんの発言の「そもそも震災でブレるような表現をしているつもりはない」(ニュアンス)的な啖呵の切り方が素晴らしいと思っています。そう、少なくとも震災以前/以後で表現自体を変更させるという考え方は、あまりない。それは、ある意味、僕が表現というものをやはり〈テクスト〉として捉えているところがあるからです。
『文化系トークラジオLife』の12月のメールテーマは、1年を振り返るという意味で「今年響いた作品」というものでした。発表されたのが今年でなくとも、今年響いたものであればオーケーという趣旨です。良いテーマだと思う。放送では、速水健朗さんが、斉藤和義「ずっとウソだったんだぜ」に対する菊地成孔からのコメントを紹介していました。そうなのだ。圧倒的な出来事を前にして人間が小手先で考えるよりもっと先に、表現はつねに/すでに/とっくに、表現者を離れて自律しており、圧倒的な出来事として生まれていたのである。基本的には、その表現の力を信じていたい。だから、菊地成孔の言う通り、斉藤和義が小手先で考えた(と言ったら、超語弊がありますが)「ずっとウソだったんだぜ」以上に、すでに「歩いて帰ろう」は圧倒的な表現の力を有していたのです。同様に、かつてオウム真理教の事件に際した村上春樹は、『アンダーグラウンド』によって、圧倒的な出来事に対抗しようと試みていましたが、そのイメージはすでに『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』の「やみくろ」として示されていた。このことを指して、自分の先生でもある千田洋幸は、「「やみくろ」は、(略)テクストがかかえこんでしまった根本的な過剰さとしての側面をあらわにすることになる」(『国文学』98・2)と述べていました。起こった出来事に対して、個別にどう向き合っていくかという点は、もちろん、その都度されて然るべきですが、〈起こった出来事〉に対峙する以上に、表現そのものを〈起こるべき出来事〉として世界に放り出す態度のようなものを感じたいと思います。
年末に、佐々木敦『未知との遭遇』(筑摩書房)を読みましたが、とても良い本だと思いました。もっとも僕個人としては、ラジオその他で言われていた佐々木さんの「未知との遭遇」的な考えを少しずつ聴いて、それで少しずつファンになっていったような経緯があるので、共鳴するのは当然と言えば当然です。いろいろと刺激になった部分はあるのですが、やはり「最強の運命論」がハイライトでしょうか。「最強の運命論」の良いところは、個人の視線を離れてもっと大きい世界の視線に同化しちゃうところだと思います。こういう言い方をするとオカルトチックに思われ、ゼミなどでも、こういう発想の仕方を意見すると「矢野はそっち系か」みたいな空気が流れるのですが、でもとにかく、文学や思想などにおいて、個人の視線からいかに逃れていくか、という問題意識は極めて正統なものです。いや、正統とは言えないのかもしれないけど、でもある種の水脈として色濃く存在します。ざっくり言うと、閉鎖的で限界を抱えざるを得ない〈個人〉という枠を外して、もっと豊穣な仕方でこの世界と接しよう、というメッセージとして受け取りました。
すごく悲劇的で、しかもほとんど偶然性に支配されたように感じられる事態に対面したとき、人はその偶然性を恨むわけですが(大澤真幸の言う「終わりの感覚の鈍化」)、その悲劇的な事態とまったく同じように、日々の取るに足らない日常が超奇跡的であるという想像を働かせることは、とても日常を豊かにすると思います。そして、この圧倒的で悲劇的な出来事と取るに足らない出来事を並置させる考え方こそが、「最強の運命論」である、と。僕なんかは、中観仏教で言うところの「空(くう)」をとても連想させるのですが、どうなんでしょう。ちなみに、佐々木さんと千葉雅也のトークを見に行ったのですが、千葉雅也はドゥルーズが引用したホワイトヘッドの言葉を紹介していましたが、僕も2年前に仏教思想とホワイトヘッドに少しだけ関心を持っていたので非常に得心がいきました。加えて言っておくと、なぜ、仏教とホワイトヘッドに関心を持ったかと言えば、その頃、佐々木さんがしきりにおすすめしていた保坂和志スクールの作家たちを読み解くヒントになると思ったからです。一時期、「妄想力」みたいな言葉で、おもに女子会などで「妻夫木が彼氏だったら〜」みたいな妄想をするのが世間で流行っていたような気がして、僕自身は「妄想というか想像みたいなことは誰でもするでしょ」とか思っているのですが、まあ、僕もわりと取るに足らない想像力はたくましいほうかもしれません(比べようもないのでわかりませんが)。で、どういった類の想像力かと言えば、このあいだ現金9千円を落としてしまい、それなりにテンションが落ちたのですが、同時に想像力をたくましくして、9千円拾った人を仮定し、その人に同化し、「うほー、ラッキー!」とテンションを上げる(ちなみに断っておきますが、もし僕自身が拾ったら100%交番に届けます。その意味では、あくまで仮構された存在です)、そういう想像力です。会ったこともない、存在するかもわからない人に自分の存在を投企して、自我を超える。ほら、言葉にするとかなりオカルト的な危なさがありますが、でも、これは文学の本領だし、ヒップホップだってアイドルだって、あるいは大和田俊之さんの『アメリカ音楽史』(講談社選書メチエ)を読めば、音楽だってずっとそうだったのです。こういう考え方は、僕が少なくない人生の中で、いかに悪いことを良いことに転ずるか、という自己防衛によって育まれた想像力です。そして、その根底には高校時代の部活経験があったりもします。とにかく、傷つきたくないという僕自身の弱さがそこにはある気もします。
話が外れてきてますが、とにかく『未知との遭遇』で例に出されていた小沼丹の小説のように、取るに足らない出来事をいかにワンダーなものにするか、というのは僕のある時期からの人生的なテーマのような気もします。そのことは、レア・グルーヴの概念に重ねて、大学卒業時「国文学だより」にも書きました。つらいことを「つらいこと」だと認識する〈個〉という牢獄からいかに解放するか、という問題です。だから、3歳児にして「僕に精神の自由はない!」と叫んだ中野裕太が、〈個〉の牢獄からの解放を目指して俳優になった、というのは、すごく説得力のある動機なんです。僕が編集者だったら、佐々木さんと中野裕太を対談させたい。それで、この〈個人〉へのある種の不信感や諦念というのは、僕からすれば、同時期に読んだ東浩紀『一般意志2.0』(講談社)にも色濃くて、「未知」的なものをむしろ可視化することで政治はネクストステージに行くんじゃないの?、という読み方をしました。おまけに言うと、こうした考え方は、アプローチは違うけど、やはり佐々木中さんも思い浮かぶし、そのへんはみんなで座談会とかやって欲しいなあ、と思うこと頻りです。なんか仲良くなさそうな雰囲気はありますが、手を取り合って。
とにかく、ブログの読者さまがどれほどにどこにいるのかわかりませんが、本年もよろしくお願いいたします。とりとめのないスタートとなりました。
さて、2011年は大きな地震があって、いまだにその記憶はこびりついているわけですが、ネットその他で非常によく議論されていたのは、震災以降に表現はいかにあるべきか、といった類の問いです。このことは、阪神・淡路大震災や911の際にも少なからず議論されていたみたいですが、創作に限らず批評行為なども含め、圧倒的な現実に対してどう向き合うべきか、という議論がいくつか勃発していました。僕自身の基本的な立場としては、やはり佐々木敦さん的な「「音楽になにができるか」などと問う必要はまったくない」(『季刊アルテス』)という言い方がしっくりくるし、加えて、表現者のあり方としては、ツイッターにおける吉田アミさんの発言の「そもそも震災でブレるような表現をしているつもりはない」(ニュアンス)的な啖呵の切り方が素晴らしいと思っています。そう、少なくとも震災以前/以後で表現自体を変更させるという考え方は、あまりない。それは、ある意味、僕が表現というものをやはり〈テクスト〉として捉えているところがあるからです。
『文化系トークラジオLife』の12月のメールテーマは、1年を振り返るという意味で「今年響いた作品」というものでした。発表されたのが今年でなくとも、今年響いたものであればオーケーという趣旨です。良いテーマだと思う。放送では、速水健朗さんが、斉藤和義「ずっとウソだったんだぜ」に対する菊地成孔からのコメントを紹介していました。そうなのだ。圧倒的な出来事を前にして人間が小手先で考えるよりもっと先に、表現はつねに/すでに/とっくに、表現者を離れて自律しており、圧倒的な出来事として生まれていたのである。基本的には、その表現の力を信じていたい。だから、菊地成孔の言う通り、斉藤和義が小手先で考えた(と言ったら、超語弊がありますが)「ずっとウソだったんだぜ」以上に、すでに「歩いて帰ろう」は圧倒的な表現の力を有していたのです。同様に、かつてオウム真理教の事件に際した村上春樹は、『アンダーグラウンド』によって、圧倒的な出来事に対抗しようと試みていましたが、そのイメージはすでに『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』の「やみくろ」として示されていた。このことを指して、自分の先生でもある千田洋幸は、「「やみくろ」は、(略)テクストがかかえこんでしまった根本的な過剰さとしての側面をあらわにすることになる」(『国文学』98・2)と述べていました。起こった出来事に対して、個別にどう向き合っていくかという点は、もちろん、その都度されて然るべきですが、〈起こった出来事〉に対峙する以上に、表現そのものを〈起こるべき出来事〉として世界に放り出す態度のようなものを感じたいと思います。
年末に、佐々木敦『未知との遭遇』(筑摩書房)を読みましたが、とても良い本だと思いました。もっとも僕個人としては、ラジオその他で言われていた佐々木さんの「未知との遭遇」的な考えを少しずつ聴いて、それで少しずつファンになっていったような経緯があるので、共鳴するのは当然と言えば当然です。いろいろと刺激になった部分はあるのですが、やはり「最強の運命論」がハイライトでしょうか。「最強の運命論」の良いところは、個人の視線を離れてもっと大きい世界の視線に同化しちゃうところだと思います。こういう言い方をするとオカルトチックに思われ、ゼミなどでも、こういう発想の仕方を意見すると「矢野はそっち系か」みたいな空気が流れるのですが、でもとにかく、文学や思想などにおいて、個人の視線からいかに逃れていくか、という問題意識は極めて正統なものです。いや、正統とは言えないのかもしれないけど、でもある種の水脈として色濃く存在します。ざっくり言うと、閉鎖的で限界を抱えざるを得ない〈個人〉という枠を外して、もっと豊穣な仕方でこの世界と接しよう、というメッセージとして受け取りました。
すごく悲劇的で、しかもほとんど偶然性に支配されたように感じられる事態に対面したとき、人はその偶然性を恨むわけですが(大澤真幸の言う「終わりの感覚の鈍化」)、その悲劇的な事態とまったく同じように、日々の取るに足らない日常が超奇跡的であるという想像を働かせることは、とても日常を豊かにすると思います。そして、この圧倒的で悲劇的な出来事と取るに足らない出来事を並置させる考え方こそが、「最強の運命論」である、と。僕なんかは、中観仏教で言うところの「空(くう)」をとても連想させるのですが、どうなんでしょう。ちなみに、佐々木さんと千葉雅也のトークを見に行ったのですが、千葉雅也はドゥルーズが引用したホワイトヘッドの言葉を紹介していましたが、僕も2年前に仏教思想とホワイトヘッドに少しだけ関心を持っていたので非常に得心がいきました。加えて言っておくと、なぜ、仏教とホワイトヘッドに関心を持ったかと言えば、その頃、佐々木さんがしきりにおすすめしていた保坂和志スクールの作家たちを読み解くヒントになると思ったからです。一時期、「妄想力」みたいな言葉で、おもに女子会などで「妻夫木が彼氏だったら〜」みたいな妄想をするのが世間で流行っていたような気がして、僕自身は「妄想というか想像みたいなことは誰でもするでしょ」とか思っているのですが、まあ、僕もわりと取るに足らない想像力はたくましいほうかもしれません(比べようもないのでわかりませんが)。で、どういった類の想像力かと言えば、このあいだ現金9千円を落としてしまい、それなりにテンションが落ちたのですが、同時に想像力をたくましくして、9千円拾った人を仮定し、その人に同化し、「うほー、ラッキー!」とテンションを上げる(ちなみに断っておきますが、もし僕自身が拾ったら100%交番に届けます。その意味では、あくまで仮構された存在です)、そういう想像力です。会ったこともない、存在するかもわからない人に自分の存在を投企して、自我を超える。ほら、言葉にするとかなりオカルト的な危なさがありますが、でも、これは文学の本領だし、ヒップホップだってアイドルだって、あるいは大和田俊之さんの『アメリカ音楽史』(講談社選書メチエ)を読めば、音楽だってずっとそうだったのです。こういう考え方は、僕が少なくない人生の中で、いかに悪いことを良いことに転ずるか、という自己防衛によって育まれた想像力です。そして、その根底には高校時代の部活経験があったりもします。とにかく、傷つきたくないという僕自身の弱さがそこにはある気もします。
話が外れてきてますが、とにかく『未知との遭遇』で例に出されていた小沼丹の小説のように、取るに足らない出来事をいかにワンダーなものにするか、というのは僕のある時期からの人生的なテーマのような気もします。そのことは、レア・グルーヴの概念に重ねて、大学卒業時「国文学だより」にも書きました。つらいことを「つらいこと」だと認識する〈個〉という牢獄からいかに解放するか、という問題です。だから、3歳児にして「僕に精神の自由はない!」と叫んだ中野裕太が、〈個〉の牢獄からの解放を目指して俳優になった、というのは、すごく説得力のある動機なんです。僕が編集者だったら、佐々木さんと中野裕太を対談させたい。それで、この〈個人〉へのある種の不信感や諦念というのは、僕からすれば、同時期に読んだ東浩紀『一般意志2.0』(講談社)にも色濃くて、「未知」的なものをむしろ可視化することで政治はネクストステージに行くんじゃないの?、という読み方をしました。おまけに言うと、こうした考え方は、アプローチは違うけど、やはり佐々木中さんも思い浮かぶし、そのへんはみんなで座談会とかやって欲しいなあ、と思うこと頻りです。なんか仲良くなさそうな雰囲気はありますが、手を取り合って。
とにかく、ブログの読者さまがどれほどにどこにいるのかわかりませんが、本年もよろしくお願いいたします。とりとめのないスタートとなりました。
2011年12月20日
「セプテンバー」の思い出
12月になりました。毎年、もろもろの学校行事が終わって授業に本腰が入る11月はヘロヘロになる月で、まあ、自分の誕生月でもあるのですが、毎年誕生日もヘロヘロのうちに過ぎてしまい、ブログもすっかり更新せずに冬休みに至るまで過ごしてしまいました。ちなみに去年の誕生日には、佐々木中さんの『切手』本を読み、同じ誕生日のドストエフスキーに思いを馳せていました。現在から振り返っても、去年の誕生日の読書体験は思い出深いです。
さて、今から書く記事は、本当は9月中に書こうと思っていたのですが、期を逸してしまったので、次の機会は12月しかないだろうと、なんとか今月中に書きたいと思います。9月と12月をつなぐものと言えば、ご存じ、アース・ウインド&ファイア「セプテンバー」です。「Do you remember 21st night of september.」という、中学生でも聞き取れる歌詞で始まるこの曲は、中盤ではっきりと「ナウ、ディッセンバー!」と歌われるように、12月現在から9月を振り返る歌です。だから、クラブでこの曲をプレイするとき、9月にかけるのではあまりに狙いすぎな感じがあるので、12月にさらっとかけるのは良いかもしれません。
それで、TBSラジオ「菊地成孔の粋な夜電波」では、9月の3週目に「セプテンバー」をプレイしたのですが、その紹介コメントは、ネットでも一部話題になったようですが、僕も聴いていて、とてもエモーショナルなものでした。以下に、文字を起こして引用します。
アタシがこの曲を生まれて初めて聴いたのは、テレビでもラジオでもレコードでもありませんで、今は無き赤坂MUGENというディスコで踊っていたら、今週のヒット曲ということで、DJがこの曲を流したんですね。要するに突然流れてきたんです、この曲。まったくこんな曲知らないという状況でね、ディスコでバーンとね。まあ、あまりにもありきたりなことを言いますけど、アタシは、この曲が突如始まったその瞬間から終わるまでの3〜4分くらいだと思うんですけども、もう幸福で幸福で、あまりに幸せすぎて、もう幸せすぎて死んじゃうんじゃないかって。この曲が流れているあいだなら、いつ死んだって全然かまうもんかと本気で思っていました。たった15歳のくせして、です。発売から34年経ってますが、異様なまでにですね、いまだに宇宙の宝石箱のような輝きを放つこの素晴らしい曲を、9月に耐えがたいトラウマを持っているすべてのアメリカ人に、そして、この番組を聴いている、今年の9月を生きるすべての国籍の、今年の9月を生きるすべての人々、希望に満ちているであろうあのジャズバーにいるすべての学生たち、すべての人々に捧げて今週は終わりにしたいと思います。それではみなさま。生まれて初めて聴く方も、10万回目だよという方も、いや20万回目だよ、いや30万回目だよオイラは、という方も、みなさまの住宅環境が許すかぎり、ただいまより音量を最大にしてください。どうぞ。
菊地成孔のコメントは、とても素晴らしかったと思います。菊地成孔は、15歳のときにディスコで「セプテンバー」に出会ったと言っています。僕が、「セプテンバー」に出会ったのも、15歳のときでした。兄の部屋にあったカセットテープの1曲目に入っていました。多くの人と同じように、冒頭のギターの音色に頭が真っ白になり、ほどなくして指のスナップ音が聴こえてきた時点には、とてもとても感動をしていました。その後、何回も何回もくり返し聴きました。クレジットの無いダビングテープだったので、曲名は知りませんでした(その後、その曲は「セプテンバー」だと、次の曲はシェリル・リン「ガッタ・トゥ・ビー・リアル」だと、その次の曲はエモーションズ「ベスト・オブ・マイ。ラヴ」だと知ります)。15歳という時期が特別なのか、「セプテンバー」が優れているのかわかりませんが、カセットの劣化した音まで含めて、とても崇高な体験として記憶に残っています。
菊地成孔と同じように、僕も15歳のときにクラブに行きました。僕がブラック・ミュージックが好きだということを知った悪い先輩に連れていかれた初めてのクラブです。とは言え、昼のイベントだったので、20歳以下も入場することができ、なにも悪いことはしておらず、たぶんお酒も飲んでいないと思います。渋谷のハーレムで、当時始まったばかりのJウェイヴの番組「ソウルトレイン」のイベントでした。この「ソウルトレイン」がまた、僕の高校時代におけるサッカー以外の青春をかなりの部分占めることになるのですが、番組名からわかるように、ヒップホップやR&Bといった最新のブラック・ミュージックのみならず、往年のソウル〜ディスコもよくかかる番組でした。僕はそのとき、日本のヒップホップだけを追っていたくらいなので、DJが流す海外の曲はほとんどわからず、しかし、それなりに楽しんでいました。ただし、「あのテープに入っている曲さえ流れればなあ」とずっと待っていたような気もします。
そして、流れた。曲名の知らない「セプテンバー」が。あの瞬間もやはり良い思い出です。
さて、今から書く記事は、本当は9月中に書こうと思っていたのですが、期を逸してしまったので、次の機会は12月しかないだろうと、なんとか今月中に書きたいと思います。9月と12月をつなぐものと言えば、ご存じ、アース・ウインド&ファイア「セプテンバー」です。「Do you remember 21st night of september.」という、中学生でも聞き取れる歌詞で始まるこの曲は、中盤ではっきりと「ナウ、ディッセンバー!」と歌われるように、12月現在から9月を振り返る歌です。だから、クラブでこの曲をプレイするとき、9月にかけるのではあまりに狙いすぎな感じがあるので、12月にさらっとかけるのは良いかもしれません。
それで、TBSラジオ「菊地成孔の粋な夜電波」では、9月の3週目に「セプテンバー」をプレイしたのですが、その紹介コメントは、ネットでも一部話題になったようですが、僕も聴いていて、とてもエモーショナルなものでした。以下に、文字を起こして引用します。
アタシがこの曲を生まれて初めて聴いたのは、テレビでもラジオでもレコードでもありませんで、今は無き赤坂MUGENというディスコで踊っていたら、今週のヒット曲ということで、DJがこの曲を流したんですね。要するに突然流れてきたんです、この曲。まったくこんな曲知らないという状況でね、ディスコでバーンとね。まあ、あまりにもありきたりなことを言いますけど、アタシは、この曲が突如始まったその瞬間から終わるまでの3〜4分くらいだと思うんですけども、もう幸福で幸福で、あまりに幸せすぎて、もう幸せすぎて死んじゃうんじゃないかって。この曲が流れているあいだなら、いつ死んだって全然かまうもんかと本気で思っていました。たった15歳のくせして、です。発売から34年経ってますが、異様なまでにですね、いまだに宇宙の宝石箱のような輝きを放つこの素晴らしい曲を、9月に耐えがたいトラウマを持っているすべてのアメリカ人に、そして、この番組を聴いている、今年の9月を生きるすべての国籍の、今年の9月を生きるすべての人々、希望に満ちているであろうあのジャズバーにいるすべての学生たち、すべての人々に捧げて今週は終わりにしたいと思います。それではみなさま。生まれて初めて聴く方も、10万回目だよという方も、いや20万回目だよ、いや30万回目だよオイラは、という方も、みなさまの住宅環境が許すかぎり、ただいまより音量を最大にしてください。どうぞ。
菊地成孔のコメントは、とても素晴らしかったと思います。菊地成孔は、15歳のときにディスコで「セプテンバー」に出会ったと言っています。僕が、「セプテンバー」に出会ったのも、15歳のときでした。兄の部屋にあったカセットテープの1曲目に入っていました。多くの人と同じように、冒頭のギターの音色に頭が真っ白になり、ほどなくして指のスナップ音が聴こえてきた時点には、とてもとても感動をしていました。その後、何回も何回もくり返し聴きました。クレジットの無いダビングテープだったので、曲名は知りませんでした(その後、その曲は「セプテンバー」だと、次の曲はシェリル・リン「ガッタ・トゥ・ビー・リアル」だと、その次の曲はエモーションズ「ベスト・オブ・マイ。ラヴ」だと知ります)。15歳という時期が特別なのか、「セプテンバー」が優れているのかわかりませんが、カセットの劣化した音まで含めて、とても崇高な体験として記憶に残っています。
菊地成孔と同じように、僕も15歳のときにクラブに行きました。僕がブラック・ミュージックが好きだということを知った悪い先輩に連れていかれた初めてのクラブです。とは言え、昼のイベントだったので、20歳以下も入場することができ、なにも悪いことはしておらず、たぶんお酒も飲んでいないと思います。渋谷のハーレムで、当時始まったばかりのJウェイヴの番組「ソウルトレイン」のイベントでした。この「ソウルトレイン」がまた、僕の高校時代におけるサッカー以外の青春をかなりの部分占めることになるのですが、番組名からわかるように、ヒップホップやR&Bといった最新のブラック・ミュージックのみならず、往年のソウル〜ディスコもよくかかる番組でした。僕はそのとき、日本のヒップホップだけを追っていたくらいなので、DJが流す海外の曲はほとんどわからず、しかし、それなりに楽しんでいました。ただし、「あのテープに入っている曲さえ流れればなあ」とずっと待っていたような気もします。
そして、流れた。曲名の知らない「セプテンバー」が。あの瞬間もやはり良い思い出です。
2011年10月14日
長谷川町蔵・大和田俊之『文化系のためのヒップホップ入門』(アルテス)が良かった!
アメリカ文学/ポピュラー音楽研究者の大和田俊之が、「自分はしょせんヤンキー側だった」と語るライターの長谷川町蔵からヒップホップの歴史をレクチャーされる、というのが『文化系のためのヒップホップ入門』の基本構成だが(もちろん大和田は聞き手に徹することなく、長谷川の話を補足もするし展開もする)、本書において重要なことは、冒頭から「ヒップホップは音楽ではない」と驚愕の発言をする長谷川の提示するヒップホップ史が、あくまでメインストリームを軸に置いていることだ。メインを軸に置くなんて当然のことだ、と思うかもしれないが、とくに読者の対象が「文化系」となると、これが意外にそうもいかない。このことについては後述したい。本書はもちろん、ヒップホップ黎明期――すなわち、オールドスクールと呼ばれる時代から始まるわけだが、オールドスクールはいいのだ。既存の曲を再利用するという形での、ロック的オリジナリティ信仰の否定を大きな特徴とする、ヒップホップの発生は、それこそ大和田がたびたび言及するように、「ポストモダニズム」という文化系に向けて言葉でくり返し説明されてきた。したがって、仮に本書が、ヒップホップの本質を、既存の曲をコラージュして作る「ポストモダニズム」のみとしたならば、それは類書と同じような内容にとどまり、類書と同じように、00年代以降のメインストリームのシーンに接続ができなくなる。先述の、メインのシーンを軸に置くことの困難の原因も実はここにある。
長谷川が「他の曲から持って来るという手法が無効になってしまった」と指摘するように、00年前後から、サンプリングに彩られたヒップホップの「ポストモダン」的なクレバーな音作りは、メインのシーンで低迷することになる。うるさ型の、つまり「文化系」的なヒップホップ・ファンが、ヒップホップを離れるのもこの時期である。すると当然のことながら、同時にヒップホップを語る「文化系」の言葉も、この時期から失われていき、辛うじて生き残った「文化系」とその言葉も、ヒップホップのメインストリームを離れ、アンダーグラウンドに向かっていく(「ギャングスタ・ラップでヒップホップから離れた人たちもこのへんは聴いているという話がある」長谷川)。したがって、ヒップホップの本質を「ポストモダニズム」としか捉えられない限りにおいて、「文化系のためのヒップホップ入門」は、00年までで終了しなければならない。しかし、本書は違う。本書において、長谷川はヒップホップを音楽ではなく「ゲーム」だと捉え、大和田はその上で、「ダズンズ」「シグファイニング」といったアフリカ起源の話芸からの影響を指摘する。共通するのは、ヒップホップが、プレイする「場」を提供する、ということだ。この、ヒップホップを「場」の提供ツールだと捉える視線が、「文化系」に向けて、00年代以降のメインストリームを語ることを可能にする。したがって、本書の本領はとくに第3部以降で発揮される。
「場」を志向するヒップホップは、「自分たちが「今」いる「この」場所のドキュメント」(長谷川)である。第3部は「ウエストコースト」についてだが、本書によれば、車社会の西海岸において、ギャングスタ・ラップはカーステレオで聴かれることを前提にしたサウンドとなる。またリリックの内容も、東海岸のゲットーをめぐるものではなく、ビーチ、夕焼け、車、美女……という西海岸の風景に取って変わる。すなわち、西海岸勢の台頭は、従来の「文化系」が言うような、ヒップホップの音楽的・思想的退化ではなく、「場」を志向するという点で一貫している、という捉え直しだ。的確だと思う。「ヒップホップ、南へ」と題された第5部では、昨今、シーンを席巻しているサウス系について考察されている。このへんになると、いよいよ従来の「文化系」の言葉はまるで太刀打ちができないが、本書ではむしろ第5部こそがピークである。とくに、ティンバランドの特徴的なリズムが、カリブ的な「セカンドライン」であるという長谷川の指摘と、それを受けた大和田の「アメリカの黒人たちはカリブに先祖帰りしている」という考察は、それこそ大和田が言うように、「ルーツというのはあくまでも現在からさかのぼって構築されるものだという前提」に立ったとき、アメリカを中心に紡がれてきたポピュラー音楽史を、もっと南下させた地点からとらえ直すことができるかもしれない、という意味できわめて重要である。
いずれにせよ、「ヒップホップは音楽ではなくゲームである」という視点で語られた本書は、ゲットーのヒップホップもギャングスタ・ラップもサウスのヒップホップも、一緒くたに暴力的だとして敬遠する「文化系」に、非常に新鮮な言葉を与えてくれる。「ポストモダニズム」的でも、政治的でもなくなったかのように見える00年代以降は、ともすれば、ギャングスタ・ラップもサウス系も同じものに見えてしまうかもしれないが、「ゲーム」であるという視点からそれぞれの接続/切断点を提示した本書によって、それは個別的に見えてくる。まさに、「ヒップホップ入門」の名に相応しい。
本書によれば、「場」を提供するヒップホップは、Twitterであり初音ミクだそうだ。ほら、「文化系」の諸君が大好きなものばかりではないか。Bボーイが楽曲をブレイクビーツとして受容したように、受容の仕方が一変してしまうのがヒップホップの大きな特徴の一つだったとすれば、ヒップホップはすでに、Twitterとして初音ミクとして、「文化系」的に受容されることを待っている。
2011年10月12日
『TUTU』のジャケット
中山康樹『ジャズ・ヒップホップ・マイルス』(NTT出版)は、まだ読んでいない、どころか手に入れてもいないのだけど、元となった四谷いーぐるでの講義は、以前も書いたように、何回か聴きに行っていました。それで、先々週の金曜日に刊行イベントが新宿タワーでおこなわれて、メンバーが、中山康樹・須永辰緒・大谷能生さんという超異色な感じだったのですが、なかなか面白かったです。マイルス・デイヴィスの後期はなんだったのか、といった点が話題の中心だったような気がします。ところで、お三方の前にはマイルスの『TUTU』のCDがありましたが、

マイルスとヒップホップ、と言えば、なぜかLLクールJは、自身のベストアルバム(初期の代表曲を網羅。値段も100〜300円くらいで買えるし、入門編としておすすめ)で、このジャケットを引用していました。

加えて、そういえばモンド・グロッソも同じことやっていたなあと思い、

しかし、元アルバイト先の先輩に「いやいや、あれはビリー・プレストンではないか?」と。

本当だ。どちらも、視線が上を向いていますね。ヒップホップ(に限らずですが)の引用なりサンプリングなりというのは、たいてい元ネタへのリスペクトの表明なわけで、もちろん、LLクールJがマイルス・デイヴィスをリスペクトしていても全然おかしくはないわけなのですが、ただ、時期的に考えてもLLクールJのキャラ的に考えても、少し違和感がありますね。

マイルスとヒップホップ、と言えば、なぜかLLクールJは、自身のベストアルバム(初期の代表曲を網羅。値段も100〜300円くらいで買えるし、入門編としておすすめ)で、このジャケットを引用していました。

加えて、そういえばモンド・グロッソも同じことやっていたなあと思い、

しかし、元アルバイト先の先輩に「いやいや、あれはビリー・プレストンではないか?」と。

本当だ。どちらも、視線が上を向いていますね。ヒップホップ(に限らずですが)の引用なりサンプリングなりというのは、たいてい元ネタへのリスペクトの表明なわけで、もちろん、LLクールJがマイルス・デイヴィスをリスペクトしていても全然おかしくはないわけなのですが、ただ、時期的に考えてもLLクールJのキャラ的に考えても、少し違和感がありますね。
2011年10月04日
貧乏に憧れる
「貧乏」は青春として振り返られることが多い。青春とは生きていくうえで必要ないことに多くの熱量を費やすことであり、生きていく上で必要なことは多くの場合、金銭の価値として計量されるからだ。金を稼ぐことが社会の一員として生きることであり、人は金を稼ぐことで一人前の大人になったと言う。「貧乏」とはしばしば、大人になる前段階の青春時代である。永島慎二『黄色い涙』は、夢を追う5人の青年が三畳一間で過ごす青春=「貧乏」物語だ。『黄色い涙』では「貧乏」生活が楽しそうに描かれているが、彼らにとって「貧乏」生活とは、夢を目指す自分のために守らねばならないものだった。一方、永島慎二「青春裁判」では、恋人との青春を打ち砕いた青年に「青春を血に染めた罪」が適用され、「今後一生生あるかぎりにおいて人間を愛してはならない」という判決が下される。青春の不可能性を問うているような作品だ。青春の不可能性とは成長の不可能性のことだ。成熟/未成熟が未分のまま時間が経つ。ECDはすでに50代だが、「何度確かめても残高ゼロ」(ECD「Land Of The Dead」)という素晴らしいパンチラインは、社会に対してオルタナティヴな価値観を突きつけているように思える。それはまるで若かりし頃の青春を引きずっているかのようだが、かつてエイベックスを飛び出してインディーになり、自ら「貧乏」生活を引き受けたECDが、50代を迎えてなおどこまでも真摯にラップをする姿にはやはり胸を打たれる。また、同じラッパーでは、西成地区をレペゼンするSHINGO☆西成「Ill 西成 Blues」も「貧乏」(というより「貧困」)を表現に昇華させた作品である。どこかしら文化資本を感じさせたのはさんぴん世代のラッパーだったが、その活動は日雇い労働者地区や少年院、被差別部落のヘッズのもとまでヒップホップを届けた。SHINGO☆西成の存在は、ゲットー音楽としてのJヒップホップの登場として非常に象徴的だった。日雇い労働者の歌と言えば、古くは岡林信康「山谷ブルース」があるが、その山谷から始まるちばてつや・高森朝雄『あしたのジョー』は、打ち捨てられたドヤ街から拳一つで成り上がっていく様が印象的だった。「貧乏」からの成り上がりと言うと麻生久美子を思い出さずにはいられない。叔母の失踪と死、服が無くて体育着で登校、捕まえたザリガニの鍋など(『hon-nin列伝』)過去の「貧乏」生活のエピソードは笑ってしまいつつも壮絶である。壮絶な実体験をどこかユーモラスに描いたものと言えば、吾妻ひでお『失踪日記』も忘れ難い。とくに山中で雪の朝を迎えたときの見開きページなどは、カタルシスに満ちておりながら、ふと冷静になるとかなり悲惨な現状だったことに気づく。とり・みきは『失踪日記』について、四段割りのコマの中にキャラクターの全身を入れている点を褒めていたが、同じような条件としては森川弘子『年収150万一家』が思い出される。SF作家の夫・北野勇作と娘の3人家族を年収150万円で支えつつときにはエステや海外旅行にも行くという、貧しくも楽しそうな家庭が二等身のイラストで描かれているが、それはやはり、大正期の私小説とはまた違ったものである。とは言え兼ねてから西村賢太と同様、藤澤清造の熱烈なファンで、その作品に挿画まで提供している(正津勉「清造命――西村賢太讃江」)つげ義春『無能の人』などを見るにつけ、「貧乏」というのは切実さの中にどこか可笑しさを含んでいるような気がしてならない。
私立高校〜私立大学、あまつさえ大学院にまで進んでしまった僕の「貧乏」への憧れは、「矢野は恵まれているからそういうことを言うのだ」と、言い訳不可能な言葉で遮られる。バブル世代がいくら現代の若者に必死の助言をしようとしても、「バブルだったからそういう考えでも大丈夫だったんですよ」と遮られる。「貧乏」が可笑しいと言う主体自体の経済的な背景が問われながら、今日もロマン主義的に「貧乏」に憧れる。
2011年09月21日
【告知】第2回ジャニーズ研究部「ジャニーズと広告ビジネス〜KANSHAしてタイアップしようよ〜」
第2回 ジャニーズ研究部
ジャニーズと広告ビジネス〜KANSHAしてタイアップしようよ〜
OPEN17:30START18:00
CHARGE¥2000(w/1drink)
スマップが体現する団塊ジュニア世代の消費傾向、V6のバレーボールに見られるスポーツ・ビジネス……。振り返れば、私たちが触れるジャニーズの背後にはいつもタイアップがあった。ジャニ研の第2回目は、そんなジャニーズと広告ビジネスの関係について語ります。おなじみのあのCMから懐かしのあのCMまで、実際に映像を見ながら振り返りましょう!
【出演】
大谷能生(音楽家)
速水健朗(編集者・ライター)
矢野利裕(ライター、DJ、漫画家、イラストレーター)
予約はこちらからどうぞ!
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例によって胸を借りる立場というか、とくに今回は、『タイアップの歌謡史』(洋泉社新書y)の著者である速水さんの分析が、打ち合わせの時点ですでに面白いわけなのですが、とりあえず広告というのは、ロラン・バルト的にはかっこうの表象分析の対象なので、そういう立場を考えています。光GENJIのマイクロマジック・ポテトは、くり返し観た『ドラえもんのび太のパラレル西遊記』の録画ヴィデオに入っていたので、よく覚えています。というか、一種のトラウマCMです。
ジャニーズと広告ビジネス〜KANSHAしてタイアップしようよ〜
OPEN17:30START18:00
CHARGE¥2000(w/1drink)
スマップが体現する団塊ジュニア世代の消費傾向、V6のバレーボールに見られるスポーツ・ビジネス……。振り返れば、私たちが触れるジャニーズの背後にはいつもタイアップがあった。ジャニ研の第2回目は、そんなジャニーズと広告ビジネスの関係について語ります。おなじみのあのCMから懐かしのあのCMまで、実際に映像を見ながら振り返りましょう!
【出演】
大谷能生(音楽家)
速水健朗(編集者・ライター)
矢野利裕(ライター、DJ、漫画家、イラストレーター)
予約はこちらからどうぞ!
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例によって胸を借りる立場というか、とくに今回は、『タイアップの歌謡史』(洋泉社新書y)の著者である速水さんの分析が、打ち合わせの時点ですでに面白いわけなのですが、とりあえず広告というのは、ロラン・バルト的にはかっこうの表象分析の対象なので、そういう立場を考えています。光GENJIのマイクロマジック・ポテトは、くり返し観た『ドラえもんのび太のパラレル西遊記』の録画ヴィデオに入っていたので、よく覚えています。というか、一種のトラウマCMです。
2011年09月18日
ジャズ・ヒップホップやいかに
ここ半年くらい、ジャズ喫茶・四谷いーぐるで、中山康樹さん企画によって定期的におこなわれた「ジャズ・ヒップホップ学習会」を数度、及び、原雅明さん・アズーロさんによる「ヒップホップ・プロデューサーを聴く」を聴きに行っていました。話自体も勉強になることが多かったけど、ジャズ喫茶のステレオで聴くブレイクビーツの鳴りの良さはすごかったです。とくに印象的だったのは、パブリック・エナミーの「ファイナル・カウントダウン」(だっけ? セカンドに入ってるユニゾンのやつ)で、チャックDとフレイヴの声がくっきり分かれすぎていて、すごく不思議な感じでした。あと、RZAのサウンドが、すごく低音質のステレオ向きだと分かったことも興味深かった。これ、磯部涼が神聖かまってちゃんについて指摘したことと同じですよね、ニコニコ動画で見てる方が良い、っていう。
それで、後藤店長のブログには、「ジャズ・ヒップホップ学習会」の総括めいたことも書いてあるのだけど、まあ、こういう話になってくるとジャンル名が途端に無意味になってしまうので、面白おかしく説明が出来たら勝ち、みたいな世界になってくると思います。ただ、事実として言えるのは、ヒップホップのサンプルとして、ボブ・ジェームスを筆頭にフュージョンが採られ、
あるいはファラオ・サンダースが採られ、
その他、アーチー・シェップとかケニー・ドーハムとかアーマッド・ジャマルとか、数えたらキリがないほど、いわゆる「ジャズ」をサンプリングした曲は多い、ということ。元ネタとの聴き比べをするだけで曲によっては面白いので、そういうの並べてみたいですね。
とは言え、「ヒップホップとジャズ」という名目を掲げられたとき、僕なんかは「曲を一旦バラバラに解体して、で、旋律とコード進行って要素に抽象化・分割化して把握し、演奏していく。こうしたやり方をぐーっと推し進めることによって、ビバップっていう音楽は、それまでのアメリカのポピュラー音楽にあり得なかったようなサウンドを作り出して」いったんです。」(菊地成孔・大谷能生『東京大学のアルバート・アイラー(歴史編)』メディア総合研究所)という説明を、ヒップホップの生い立ちを連想しながら読んだことを思い出します。このあいだのジャニ研でもそういう話が出たけど、曲を下部構造(ビート)と上部構造(ヴォーカル含め鳴り物)に分解する発想から、2枚使いやブレイクビーツが登場する、というディスコ期からの生い立ち。で、ビバップにおける演奏のゲーム化なんて、これは改めて指摘するのも野暮なくらいラップのフリースタイルを連想します。こういう説明をつけることに意味があるのかどうかはよくわからないけど、個人的に思う「ヒップホップとジャズ」感であることはたしかです。加えて言えば、大谷さんの活動とかは、こういう即興性の感覚という意味で一貫している気がするし、だからこそ、ジャズとヒップホップとエレクトロニクスがクロスオーヴァーしている気がします。
1年ほど前、佐々木敦さんとお話する機会があったときに、佐々木さんが「ヒップホップとジャズはどちらも、そのジャンルであるということ自体に意味を見出したがる」と(否定的に)おっしゃっていて、たしかにそういうイメージはあります。聞けば、ウルサ型のジャズファンは、クラシックにはコンプレックスを持っているものの、他のポップソングは見下している感があるらしいとのこと。ジャズのことは全然わかりませんが、しかし一目置かれている感は、間違いなくあるでしょう、わかりやすく権威。そして僕が気になるのは、一部のジャジー・ヒップホップが、サンプリングという手法を良いことに、虎の威を借るようにこの権威を借りているという事態。とりわけ、『DIS IS IT』におけるキリコのこの姿勢は目につく。キリコは基本的に応援しているし、このアルバムはけっこう好きですが、「極悪JAZZ」とか「SLOW JAZZ」とかって曲名で、曲によってはブラシで叩かれるドラムのビートが強調されすぎると、ちょっと身を引いてしまいます。そして、知識の無い昨今のBボーイ風のラッパーに嫌味を言い募った挙句、「Blue note 楽譜じゃなくてrythem(ママ)に感じてgroove」(「UNDERGROUND CONVERSATION」)、「知識と経験まるでjazz」(「QUALITY CONTROL」)と歌われてもなあ。「リップスライムはまぎれもなくHIPHOPだがリップスライムのフォロワーはHIPHOPじゃないな」(「90's FLAVOR」)と言うほどに、ヒップホップに対する理念があるのなら、安易にジャズの権威を盾にしないで欲しい。だったら、愚直にUSヒップホップに憧れて、必ずしも似合わないBボーイファッションをしているヘッズのほうが、よほど愛を感じるよ。
それで、後藤店長のブログには、「ジャズ・ヒップホップ学習会」の総括めいたことも書いてあるのだけど、まあ、こういう話になってくるとジャンル名が途端に無意味になってしまうので、面白おかしく説明が出来たら勝ち、みたいな世界になってくると思います。ただ、事実として言えるのは、ヒップホップのサンプルとして、ボブ・ジェームスを筆頭にフュージョンが採られ、
あるいはファラオ・サンダースが採られ、
その他、アーチー・シェップとかケニー・ドーハムとかアーマッド・ジャマルとか、数えたらキリがないほど、いわゆる「ジャズ」をサンプリングした曲は多い、ということ。元ネタとの聴き比べをするだけで曲によっては面白いので、そういうの並べてみたいですね。
とは言え、「ヒップホップとジャズ」という名目を掲げられたとき、僕なんかは「曲を一旦バラバラに解体して、で、旋律とコード進行って要素に抽象化・分割化して把握し、演奏していく。こうしたやり方をぐーっと推し進めることによって、ビバップっていう音楽は、それまでのアメリカのポピュラー音楽にあり得なかったようなサウンドを作り出して」いったんです。」(菊地成孔・大谷能生『東京大学のアルバート・アイラー(歴史編)』メディア総合研究所)という説明を、ヒップホップの生い立ちを連想しながら読んだことを思い出します。このあいだのジャニ研でもそういう話が出たけど、曲を下部構造(ビート)と上部構造(ヴォーカル含め鳴り物)に分解する発想から、2枚使いやブレイクビーツが登場する、というディスコ期からの生い立ち。で、ビバップにおける演奏のゲーム化なんて、これは改めて指摘するのも野暮なくらいラップのフリースタイルを連想します。こういう説明をつけることに意味があるのかどうかはよくわからないけど、個人的に思う「ヒップホップとジャズ」感であることはたしかです。加えて言えば、大谷さんの活動とかは、こういう即興性の感覚という意味で一貫している気がするし、だからこそ、ジャズとヒップホップとエレクトロニクスがクロスオーヴァーしている気がします。
1年ほど前、佐々木敦さんとお話する機会があったときに、佐々木さんが「ヒップホップとジャズはどちらも、そのジャンルであるということ自体に意味を見出したがる」と(否定的に)おっしゃっていて、たしかにそういうイメージはあります。聞けば、ウルサ型のジャズファンは、クラシックにはコンプレックスを持っているものの、他のポップソングは見下している感があるらしいとのこと。ジャズのことは全然わかりませんが、しかし一目置かれている感は、間違いなくあるでしょう、わかりやすく権威。そして僕が気になるのは、一部のジャジー・ヒップホップが、サンプリングという手法を良いことに、虎の威を借るようにこの権威を借りているという事態。とりわけ、『DIS IS IT』におけるキリコのこの姿勢は目につく。キリコは基本的に応援しているし、このアルバムはけっこう好きですが、「極悪JAZZ」とか「SLOW JAZZ」とかって曲名で、曲によってはブラシで叩かれるドラムのビートが強調されすぎると、ちょっと身を引いてしまいます。そして、知識の無い昨今のBボーイ風のラッパーに嫌味を言い募った挙句、「Blue note 楽譜じゃなくてrythem(ママ)に感じてgroove」(「UNDERGROUND CONVERSATION」)、「知識と経験まるでjazz」(「QUALITY CONTROL」)と歌われてもなあ。「リップスライムはまぎれもなくHIPHOPだがリップスライムのフォロワーはHIPHOPじゃないな」(「90's FLAVOR」)と言うほどに、ヒップホップに対する理念があるのなら、安易にジャズの権威を盾にしないで欲しい。だったら、愚直にUSヒップホップに憧れて、必ずしも似合わないBボーイファッションをしているヘッズのほうが、よほど愛を感じるよ。
2011年08月29日
8・28「大東京ポッド許可局“日比谷公会堂に2000人集めたい”論」に行ってきた!
「大東京ポッド許可局“日比谷公会堂に2000人集めたい”論」に行ってきました。結論から言うと、とても素晴らしいイベントで、非常に感銘を受けました。限定50個で1万円のUSBは買おうと思っていたので、物販に並ぶため、15時過ぎに着くように行ったのですが、並んでいるときに売り切れのアナウンス。予告編でプチ鹿島が、「俺も1個買うから限定49個だよ」と冗談混じりで言ってましたが、もし本当だったら、その1個が回ってきたかもしれないのに、思いながら、同じく買おうと思っていた公式パンフレットを買いました。くまおさん(書籍版、公式パンフを編集)や速水さんなど、面識のある方々のコメントも載っていて、内容盛り沢山でした。また、自称「ヒップホップ・シーンの黎明期を支えた」プチ鹿島が所属していたイエロー・モンキー・クルーのCDも売っていたので買いました。ECD主宰で、キミドリ「つるみの塔」が収録されていることで知られるJヒップホップのコンピ名盤『チェック・ユア・マイク』には、YMCという、あまり聞かないグループがいたのですが、それがこれなんですね。
さて、イベント自体も本当に素晴らしかった。幕開けではラップも披露するということで楽しみにしていましたが、許可局おなじみのあのメロディをイントロに、BPM115くらいのローランドっぽい4つ打ちビートという、図らずも(?)いまのUSヒップホップっぽいトラックが始まって、かなりアガりました(タツオさんのニュアンス的に、曲名は「東京ポッド許可曲」ということだったのかな)。予告編では、音楽に疎いサンキュータツオのヴァースが不安視されるアングルになっていたけど、個人的な感想としては、ほんのりラガスタイルだったタツオさんがいちばんかっこ良かったです。それでまあ、冒頭のフリートークも宇多丸さんが登壇したゲストトークも非常に面白くて、公式パンフには、「「インタレスト」と「エンターテイメント」の融合を標榜している」とありましたが、まさに両者が融合されていたように思いました。僕なんかは、実証的でアカデミックで第三者的で客観的な「研究」と、芸達者で一人称的で主観的な「評論」(=「批評」)を強く区別したがる人なんですが、タツオさんが言うように、評論家が新しい景色を提示するメガネ屋だとするならば、そこでは「文体」的なものが問題になるはずなんです。トークの途中にまさに、小林秀雄と蓮實重彦が召還されたように。で、すごく興味深いのは、「「インタレスト」と「エンターテイメント」の融合」という志向が、まさにこの「文体」の問題と強く関わっている、ということ。したがって、「「インタレスト」と「エンターテイメント」の融合」というのは、単純に、評論めいた話(「インタレスト」)をおもしろおかしく語る(「エンターテイメント」)という、両者が二分化されたものではなく、相互が「文体」という水準で干渉し合ったものなのである。それが具体的にどういうことか、ということは、とても歯がゆいことに説明できるほど明確になっているわけではないのだけど、許可局にはたしかにそういうものがある気がして、本当に感銘を受けた。ただ暫定的に思うこととしては、そこには、たぶん「見立て」への強い執着が絡んでいると思う。それは、サンキュータツオがプチ鹿島に「女子か!」とツッこむ、その見立ての感じ。ここで、ボケとツッコミにおいて、比喩と間テクスト性の問題が関わってくると思うけど、それはまたいずれ機を改めて考えてみたいです。
宇多丸さんとのパートも終わって、最後のパートでは、ネット上で話題になったらしい「鳥人間コンテスト」に出場した方の話を軸にトークが展開した。いろいろ話題が出たけど、「一億総ツッコミ」で「ツッコミ高・ボケ低」の時代に、ベタな内面吐露や本気度、熱量こそが反動的に感動を生む、という話だったと思う。マキタスポーツは、メタからベタへ、という図式を提示していたけど、これは北田暁大が「電車男」の時点で示していた図式でもあるので(『嗤う日本の〈ナショナリズム〉』NHK出版)、そこに還元しきってしまうと少しもったいないとも思います。イベント終了後、「#tokyopod」でツイッターを見ていたら、この「ネタからベタへ」話にももクロを思い出した、という意見が少なくない量あって、僕もたしかに自分がももクロについて考えたこと(「徹底した形式の先のグロテスク――小室哲哉とももいろクローバーを中心に」)を考えながら、聴いていました。ということで、昨日の話も、自分が考えていることの延長上に捉えたいと思います。
イベント終了後、例の「鳥人間」の動画を見ました(下記参照)。なるほど、これは興味深い。トークを聴いていたときから薄々思っていましたが、たぶん、この東北大学の彼は、そうとうCCDカメラやテレビのことを(無意識ながら)意識していますよね。「俺の人生、晴れときどき大荒れ」なんて、すごく良いセリフですが、これも一般的に考えれば、絶対、テレビで劇化された自分まで半ば想定して言葉にしている。だから、これがベタな意味で「内面」「心情」かと言えば、そうではないと思うのです。ただ重要なことは、かと言って、彼がベタな意味で「演技」「虚構」を演じているかと言えば、やはりそうではない、ということです。テレビ(他人の目)をほんのり意識しながら自分の感情をカスタムアップしていく迫力――ここにまずは魅きつけられるものがあるのかと思います(そして、この点に関して言えば宇野常寛の「変身」の議論と重なる)。YouTubeなどでは、「鳥人間コンテスト」動画に対して、エヴァなどのアニメとアレンジした形での二次創作が始まっているようですが、彼が本意か不本意かは別にして、実際に彼の振る舞いがアニメやゲームのそれと呼応しているのは明らかだし、おそらく、エヴァ的なアレンジは、彼の脳内の正しい反映だと思います。CCDカメラを意識した彼は、明らかに自分自身を二次創作化していたはずなのです。
くり返しますが、彼のあの振る舞いが「内面吐露」で、だからこそ感動できるという考えに関しては、僕は意見が異なります。だってそれなら、基本的に甲子園の「筋書きの無いドラマ」で事足りるもの。「鳥人間コンテスト」がアニメーションのワンシーンだったら陳腐なアニメに過ぎないのだけど、その陳腐さに言い訳無用の「本気さ」「熱量」を注入するからこそ、新鮮な感動が駆動されるのだと思う。そして、その先に、自分で与えた枠組みを内破する何か(それを暫定的に「グロテスク」と呼んでいるわけだが)を、僕たちは期待してしまいます。ちなみに僕が、今回の動画でいちばんグロテスクだと思ったのは、「俺の人生、晴れときどき大荒れ」のあとに、「いいね、良い人生だ」と笑ったところ。あの瞬間の吹っ切れた笑顔は、言葉による解釈に余る、しかし、それなのに/だからこそ、説得力を持つ表情だと思った。「内面」/「虚構」の二項対立を超えていると思います。「ネタからベタへ」という言い方自体はその通りなのだけど、そのとき「ベタ」と言われるものの内実は、よく考えたいと思います。
それにしても、どういう話の流れかは忘れたけど、マキタスポーツによる、お笑いが競技化するときにまさにスポーツ(具体的には、野球)に対抗していたという話は、すごく面白かった。お笑いの競技化みたいな話は、「決断主義」「ゲーム化」といった言葉で社会構造の変化として語られることが多かったけど、そこにジャンル内の論理をちゃんと導入させる、そうとうクリティカルな意見だと思った。マキタさん曰く、ヤンキー/オタクの両面の性質を持つ松本人志による「一人ごっつ」的な大喜利ゲームの導入は、クラスの隅っこで人知れず変なことを考えて、加えて言えば、漫画とか描いているような人(まさに、『IPPONグランプリ』の覇者・バカリズムのことではないか!)が表に立てるフォーマットの整備だった、と。そして、そこには、『ごっつええ感じ』が野球に放送枠を取られた、という怨念によって、「スポーツに客を取られないためのお笑いのスポーツ化」というマニフェストがあった、と。『アメトーーク』の「中学のときイケてなかった芸人」を筆頭に、「人見知り芸人」「気を使いすぎ芸人」などは、まさに、そのフォーマット整備によって生まれたものだろうし、そう考えると、トークでも言われていたことだが、ヤンキーの筆頭だった島田紳助が暴力団との交流によって引退する、という出来事も象徴的どころか必然的だと思えてくる。この指摘は、そうとう目ウロでした。
ということで、語るべきことはマジで尽きないのですが(音楽における「自意識」問題とか)、驚くべきことはやはり、イベントにおいて、これらの話がお笑い芸人の文法で繰り広げられていたことです。「アイドル部」のときにも思いましたが、芸人さんは足腰が本当に強い。頭の回転が早くてキレキレである。『東京ポッド許可局』も、発足当初の回は聴けていないものも多いのですが(だから、本当にUSB欲しかったのですが)、二週目聴き直すと「”風邪”論」のような、内容は決して濃いわけでもないのに、芸人の足腰の強さだけでぐいぐい聴かされる回が素晴らしいと思えてきます。評論などににハマるより古い層に、ラジオや松ちゃんにハマった層を抱える僕としては、本当に感銘を受けたイベントでした。ちなみに、くまおさんのご厚意で、セクシー川田あぶない局員とお話できたことも大変良い思い出です。宇多丸さんとは1年ぶりに、タツオさんとは初めて、あいさつすることもできました。ありがとうございました。

