2018年01月06日

すばるクリティーク賞発表!

『F』同人であり、大学院後輩の冨田涼介くんが、「すばるクリティーク賞」の佳作を受賞しました! おめでとうございます!

http://subaru.shueisha.co.jp/critique/history/

選評会の様子が『すばる』2018年2月号で読めますが、読めばわかるとおり、ある意味、受賞者以上に爪痕を残しています。僕が群像新人賞のやはり佳作を受賞したとき、選考委員の多くの酷評(というほどでもないけど)と少しの好評にかなり精神的にぐったりしたものですが、僕がもし冨田くんなら、今回の絶賛意見と否定意見の両極端など、それだけで心臓止まりそうな感じです。当事者じゃなくても手に汗握ったわ!

佳作は掲載ナシなので、実際の論考を読んでいるわけではありませんが、冨田くんの問題意識や議論の中身はそれなりに理解しているつもりです。今回、冨田くんは声優及び2・5次元について論じたとのことですが、冨田くんのことなので、その論に現代の社会と政治と文化が重なった時空間を生きる彼の実存が懸けられていただろうことは明らかで、擁護者の杉田俊介さんがそのことを見抜き、信じてくれたということなのかな、と想像します。一方、杉田さん以外の三者に「現代思想タームを使ったオタク系評論、しかも自己肯定のために」と思われてしまったのであれば、それは冨田くんの本意ではなかったと思いますが、そのように受け取られてしまったという事実も評価のうちと取るべきでしょう。結果的にいちばんの批判者となった浜崎洋介さんは、根本的な立場の違いを表明していましたが、浜崎さんのような立場の人に応答してこそ、冨田くんの思想が練りあがっていくのだろうなと思いました。偉そうにいろいろ書いていますが、自らの文章でこんな議論が巻き起こっている、それが誌面に開かれている、という経験自体がえがたいものなので、うらやましさも感じつつ、一読者として書かせてもらっています。

当選作の、近本洋一さんの「意味の在処――丹下健三と日本近代」、とても面白かったです。紹介されている事実レヴェル(大東亜プラン、慰霊碑をめぐる逸話など)がまず勉強になったし、問いが困難であるにもかかわらず論理構造が明確な点も好みでした。言語と実体が絡み合うポイントに建築というモノがあるのも面白く、建造物の秘密を明らかにすることで、丹下健三の試みの「意味」が浮かび上がってくるという仕掛けも唸りました。さらに、それを「奇跡」と名指すことで批評も含めた創作それ自体の「奇跡」性を謳っている点も、本当に素晴らしかったです。強いて気になったことを言えば、大澤信亮さんが指摘していたように、「世俗性」への嫌悪でした。日本における「広場」はむしろ、他方では天皇の「世俗」化に寄与した面もあるし、論の立場からすると、そのあたりはどのような整理になるのだろう。というか、近本さんの論自体が示した「奇跡」は、僕なんかは、批評による一流の「詐欺」だと思っているところがあって、その「世俗」的な軽薄さに魅了されてしまいます。大澤さんは近本さんの論を「ミステリー」のようだと言っていたけど、まさに「ミステリー」のように、「偶然」に過ぎないものを「奇跡」だと騙す「世俗」的な契機が、近本論にはなかっただろうか。そして僕は、まさにその「世俗」的な「ミステリ」的謎解きにこそ魅了されました。

「すばるクリティーク」から誕生した受賞者三人の今後のお仕事を楽しみにしております。自分もがんばらねばいけません。

toshihirock_n_roll at 22:46|Permalinkブック | 思想

2018年01月05日

正しくジャズ論壇的――後藤雅洋・村井康司・柳樂光隆『100年のジャズを聴く』(シンコーミュージック)

100年のジャズを聴く
後藤 雅洋
シンコーミュージック
2017-11-16


後藤雅洋さん・村井康司さん・柳樂光隆さんによる『100年のジャズを聴く』(シンコーミュージック)を読みました。『Jazz The New Chapter』で柳樂さんらが提示する現代のジャズの大局的な動向(クラブミュージックとの関係、アンサンブルの重視など)はつかんでいるつもりなので、そんな自分のような読者からすると、本書のおもしろさは、その現代的な視点をビバップを中心とする旧来的なジャズ史観と衝突させている点にありました。この作業で見えてくる重なる点や異なる点を明らかにすることから次なる100年は出発するのだ。そんな意志を感じます。個別には、聴いていない音源も多いので、エリック・ドルフィー、セロニアス・モンク、ポール・ブレイあたりはちゃんと聴かないとなあ、と思います。あと、ジュリアン・ラージもまだ聴いていない。ジャズは珍屋の店番をしながら聴いていることが多く、もしくは、ダンスミュージックリスナー的に引っかかるものはよく聴いていたけど(ディジー・ガレスピーとかファラオ・サンダースとかグラント・グリーンとか)、あらためて意識的に聴こうと思います。そのきっかけとしては、とても良いですね。

ということで、本書においては、現代ジャズから振り返ったかたちのジャズ史観を提示するのが柳樂さん、旧来的なジャズ史観を提示するのが後藤さん、そのあいだを上手につなぐのが村井さん、と役割がとても明確で、その構図がわかりやすかったです。そのうえで、ちょっとメタ的な感想(以下の感想はすでに柳樂さん本人に話していますが)を承知で言うと、この座談会の感じ、かつて刺激を受けた批評系の座談会を思い出します。まあ、『批評空間』とかなのですが、ようするに、価値観がドラスティックに変化するときにその新旧が衝突している感じが、僕が好きな感じの論壇・文壇を思い出します。『現代ニッポン論壇事情 社会批評の30年史』(イースト新書)で、栗原裕一郎さんが、批評話の流れで柳樂さんのことに触れていますが、その感覚はなんとなく共有できます。

その点で言うと、俺が真に重要だと思ったのは、旧来的な価値観をブレずに提示する後藤さんでした。後藤さん、柳樂さんや村井さんが文脈を作ってミュージシャンや作品を評価しようとすると、それに対して「面白い」「つまらない」で一刀両断する。レアグルーヴ以降で批評空間以降の自分とかからすると、この「面白い」「つまらない」という形容詞的な価値観こそ疑いの対象になるのだけど(注1)、そこは権威主義的にバサリと行くわけです。そういう「物分かりの悪い権威主義的な振る舞い」は重要な気がします(「新人小説月評」を担当してますます)。既得権でまみれたような文壇・論壇などがあるとすれば(ソフトにはあるだろうし、自分も片足突っ込んでいる)、そんなものは早晩無くなれば良いと思っているけど、個人的には、議論の場としての「壇」はあったほうが良い、という立場です。そこでは、「物分かりの悪い権威主義的」(に見える)な立場は重要。後藤さんなど、これだけアンテナが高く、新しい音楽にも熱意と好奇心を向けている(村井さんもそうかもしれない)のに、ある面においては「物分かりの悪い人」としてブレない。これって若い世代から突き上げを食らうぶん、必ずしも得な役回りではない。柳樂さんは柳樂さんで格闘をしてきた人だと思うけど、ある意味、力いっぱい闘うだけなので、そこは若々しく迷いなく行くだけです(とは言え、その格闘がいかに大変かも想像します)。振る舞いとして難しいのは後藤さんのほうで、よほど無頓着な人物でない限り、物分かりの悪い保守的な年長者なんて嫌なはずです。しかし、そんな、他人からどう思われようなどという、器の小さい損得勘定が働くまえに、真摯に自分が考えてきたことや感じてきたことを提示する披瀝する後藤さんが良いですよね。結果、正しく打倒されるべき権威としての立場を引き受けていらっしゃる。なんたる横綱っぷり! 中途半端に理解を示して、「あれもいいね、これもいいね」と言う人のほうが、ある面においては不誠実な気がします。だって、ひとりの意見として、あれもこれもいいわけないのだから。自分の直感的な部分と社会や時代の変化を衝突させて出てくるような評言が読みたいというのはある。三者とも、それぞれの立場で、そのようなブレなさはあったように思います。だから面白かったです、この衝突のかたち。

注1 例えば、「形容詞」について強烈に思い出すのは、蓮實重彦による以下のような発言。「僕は、共同体というのは形容詞と非常に近い関係にあると思うんです。事実、ある種の申し合わせがなければ、形容詞というのは出ませんよね。それから形容詞が指示すべき対象とも違って、共同体のなかであるイメージを使わないかぎり、形容詞というのは出てこないと思うんです」(『柄谷行人蓮實重彦全対話』講談社文芸文庫)。

【追記】
読み直すと、後藤さんに嫌味を言っているようにとられるおそれを感じますが、ひねくれなしにまっすぐに良いと思っています。しばしば見られる価値相対主義的なぐずぐずに巻き込まれていないからです。

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2017年12月30日

『ユリイカ(サニーデイ・サービス特集)』に少しだけ書きました!

いま発売中の『ユリイカ』サニーデイ・サービス特集で、ディスクレビューを少しだけ手伝いました。最初期の『SUPER DISCO』『星空のドライブEP』、あと『若者たち』と『BEST FLOWER』。僕はわりとストレートに『東京』が好きなクチですが、今回、マンチェスター期のサニーデイもかなり中毒的に好きになりました。『SUPER DISCO』とか全体的にモンド感もあって、『ヘッド博士』より好きかも。あと、当時のインタビューでは、渋谷系的なあからさまな引用はしない、と言っていたけど、明らかにQTIPのラップを模していた部分があったのが、大きな(小さな?)発見でした。スタンドブックスから『青春狂走曲』も出たし、久しぶりにサニーデイづいていた。書き手は新旧入り乱れた感じで、読むの楽しみです! よろしければ!


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2017年08月28日

Midnight Tour Guide

『真夜中』の杉作J太郎他ゲスト回を観ました。杉作さんを観ていると、いかに自分が姑息な人間かが問われているようで、襟を正される。トータル、とても元気が出る。リリーさんも杉作さんも、確実にある時期の(鬱めいた)自分を救ってくれた人でした。そのことを思い出しました。というか、そのことを忘れていたことに驚愕しました。だから、最近ダメなんだ。『ギョーカイ騒然!』のDVDも久しぶりに観直そう!

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2017年08月16日

ジェフ・パーカーのライブを観ました!

コットンクラブに、話題のジェフ・パーカーのライブを観に行きました。知人友人もちらほら。アルバムからは2曲くらいだったかな。ジェフのギター、めっちゃ気持ち良かった! ジャマイア・ウィリアムス、プレーの幅広っ! アルバム『The New Breed』、アレサ・フランクリンが使われているからか、なんか70年代のソウル感を覚えるのですが、ライブもやはりそういう印象。なんだろう、この随所に感じるニューソウル感。その感じが自分的には新鮮でした。とても良いライブでした!

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2017年08月06日

『ユリイカ』にcero論を書きました!

いま売りの『ユリイカ』cero特集に、「渋谷系から井の頭線で少し離れて ceroと武蔵野シティのミュージック」と題した文章を寄稿しています。ceroに対しては、細野晴臣『HOSONO HOUSE』的な郊外の音楽の系譜に小バコクラブ的な生音系ダンスミュージックが流れ込んだバンドだと思っており、そのへんのことを書きました。西東京を拠点にするceroはよく東京中央との距離感を強調しますが、この感じは典型的な武蔵野人の態度だなと、三浦朱門『武蔵野ものがたり』を読んだあとには思います。知人もたくさん書いているし、よろしければ!




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2017年08月05日

『文藝』の座談会に参加しました!

いま売りの『文藝』2017年秋号で、江南亜美子さん・倉本さおりさんとともに、「現代文学地図2000→2020」特集の座談会に参加しています。基本的には「文学」業界の話をしつつも、さまざまな領域を貫通していくような問題意識で話をしているつもりなので、出てくる固有名がわからなくても楽しめるものになっていれば、と願います。路字マイメン碇本 学さんもアンケートで名前が挙がっています。よろしければ!

追記
聞くところによると、賛否巻き起こっているとのこと。好き勝手に言わせていただいているので、言及された作家さんが不本意だったならば、申し訳ない気持ちがないではないです。好意的であろうと批判的であろうと、こちらは思ったことを精一杯言葉にしておくだけなので、それ自体は今後も精一杯にやります。「文壇」的な権威を感じさせた部分もあるかもしれないけど、いわゆる「文壇」的かどうかはともかく、様式としての「文学(史)」の維持には加担しつつ、同時に「文学(史)」に対する破壊者として現れるしかない、というのがいまの気持ち。前者のみでも後者のみでも無責任ではなか、と思っています。

文芸 2017年 08 月号 [雑誌]
河出書房新社
2017-07-07



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2017年07月04日

映画『メッセージ』を観た!

arrival映画『メッセージ』をやっと観ました。作品自体が発する「メッセージ」についてどう考えるかは、ひとりで思索したり友人と議論したりしながらゆっくりと向き合おうと思いますが(世界観が決定論的すぎる気もするが、そんな単純ではない気もする)、とりあえず、リニアではないものとしての時間を示した作品の挿入曲とエンディング曲として、マックス・リヒターの音響的な楽曲が流れてきたことに、とても感動しました。というのも、音響派とはまさに、楽曲をリニアなタイム感から解放し、空間的な配置によって構成するものだからです。あの重層的なサウンドは、作品のテーマと深い部分で共振している。その共振を、言葉ではなく音楽それ自体で体感させてくれることに身体的に感動します。そして、この、言語を介しつつ言語以外の部分で共振するということ自体、やはり作品のテーマと共振している気もします。

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2017年06月19日

『別冊ele-king コーネリアスのすべて』にフリッパーズ・ギターのレヴューを書きました。




先日発売となった『別冊ele-king コーネリアスのすべて』で、フリッパーズ・ギターの3作についてまとめてレヴューを書いています。小沢健二派かコーネリアス派か、という問いかけがもしあるとして、僕は断然小沢健二派なのですが、今回、久しぶりにコーネリアスをまとめて聴き直したら、けっこう楽しめました。コーネリアスの新曲については、「あなたがいるなら」はまあ普通かなという感じだったのですが、「いつか/どこか」がなかなか良かったです。今回驚いたのは、フリッパーズの「いとこの来る日曜日」の冒頭が、まんま「ダイナ」のメロディだったこと(驚いたけど、『前略小沢健二様』を確認したらちゃんと指摘されていた)。レヴューには、いちおうそのことも書いておきました。よろしければ!

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2017年06月14日

又吉直樹『劇場』が良い作品だった!

劇場
又吉 直樹
新潮社
2017-05-11



「又吉直樹『劇場』は感動するか、ダメ人間にうんざりするか大論争」(飯田一史さんと藤田直哉さんの対談記事)
http://www.excite.co.jp/News/bit/E1496997178356.html

又吉直樹『劇場』、遅ればせながら読みました。とても良い作品でした。ダウンタウンと太宰治に同時にハマった(『夜を乗り越える』)又吉さんの本領は、自意識の問題をヒューモアで突破する点にあって、これを自意識共感系としてのみ捉えると読み違える。太宰はじめ町田康、西加奈子など、又吉さんと小説の好みが重なる僕は、そのことがよくわかる(と勝手に思っている)。問題(?)は、その本領を当の又吉さん自身がわかっていないフシがあることで(本人すら知らないことを「知っている」と言い張るのが、不遜で魅惑的な批評の詐欺的性質だ)、悪いことに『火花』はほとんど自意識青春モノに陥っていた。一方『劇場』はあきらかに、対象となる演劇と自意識の問題(および言語の問題)が厄介に絡み付いてたクリティカル・ポイントがあって、その点こそ太宰的なのだ(藤田さんが言及するように、平野謙や伊藤整が破滅型について問題視していたのも、その点)。だから、『劇場』も『人間失格』も共感ベースでのみ読むべきでない。それにしても飯田さん、会話文が関西弁で「アンコトローラブル」、地の文が標準語で「抑制」、としていたが、まさか標準語をめぐる政治性を知らないわけではないだろうに、無批判に「関西弁=アンコトローラブル/標準語=抑制」とはどういう了見。むしろ、地の語りと会話文の差異が決定不能になっていくのが、主人公の真の困難であり喜びではないか。ラスト、恋人が「僕」のように関西弁を使い、「僕」が「冬場は水を少なめにします」と恋人のような標準語を使うことからも、それは明らかだ。だからラスト、脚本が一瞬現実を越えてくるのだ。「僕」の言う演劇の「奇跡」は、ここに込められていたはずで、飯田さんのように、実社会と比較して「僕」の演劇への向き合いかたを評価しても、あまり意味はないのだ。で、本当は、『火花』ではこれを漫才で達成して欲しかったのだ。『火花』とは違い、『劇場』はとても良い作品でした。

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