2010年10月

2010年10月05日

ザ・ガールはどこへ行った?

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ほとんどの教科でいつも100点なんだけど、名前の書き忘れだったり、記号やマークシートの解答欄を1個ずつ間違えて書いちゃったりして0点を取ることもあるのがガールなんですよ。――田中裕二「勉強ガール」

フライング的に独り言を言ってみると、次回『F』の特集は「ガール」にしようという話が持ち上がってて、けっこう濃厚です。このテーマ、なんだかんだで書けそうなものあるだろうと甘く見ていたんですが、意外とどうしようか困っているのが現状です。だからと言ってというわけではないのですが、中古で見つけるまで待っていた爆笑問題・田中の単著『ザ・ガール』(宝島社)を図書館で取り寄せて読みました。このブログでも何回も言っているように、かれこれ10年以上爆笑問題のファンなのですが、ラジオを少しでも聴いたことがある方ならば、この、ウーチャカこと田中裕二の「ガール」論がいかにイラ面白いかは想像に難くないと思います(というか、そもそもラジオ発の本だしね)。ファン以外の方がおもしろいかそうかはわかりません。

それで、冒頭に挙げた一節が『ザ・ガール』で田中が講釈をたれる理想のガール像の一例なのですが、写真と見比べれてくれればすぐわかるように、そこにはかなり色濃いあだち充的世界観が投影されているわけです。このことは、本のなかでもくり返し言われてますが、キョン2とともに田中が学生時代にハマったラブコメに出てくるような女性、それが田中にとっての理想なガールなのです。「まえがき」には、「1970年代後半〜1980年代前半に思春期」「そんな時代が僕を育みました」と書かれています。

70年代後半〜80年代前半とは日本が高度経済成長をほぼ達成し、好景気のピークをむかえる時期であることは言うまでもありません。家族モデル的には、終身雇用を担保にしたマイホーム主義と核家族(+犬1匹)が理想となる時代です。そして、田中の理想とするガールを取り巻く家族はと言えば、「一緒に住んでる家族として、おじいちゃん、おばあちゃんが登場してもおかしくないんだけど、なんかキャラクターとして影が薄い感じだよね。回想シーンのみの登場に終わるみたいな。」と、まずソフトに祖父母を排除して核家族化。そして続けて、「あと、家族の一員であるペットは犬。これは譲れません。」と、(偏執的な愛猫家にもかかわらず)犬を1匹追加して、典型的な高度経済成長期の家族モデルです。とすれば田中が、ひいてはあだち充が描くガールとガールをめぐる物語が、今から考えればほんの一瞬に過ぎなかった経済成長期という特殊な条件の上で駆動している可能性が、少なからずあるかもしれません。たとえばあだち作品に対する素朴な社会反映論になってしまったらもったいないのですが、なんかそのへんで良いアイデアがないか考えてみたいとか、適当に言っておきます。

toshihirock_n_roll at 02:13|Permalink ブック