2011年10月

2011年10月14日

長谷川町蔵・大和田俊之『文化系のためのヒップホップ入門』(アルテス)が良かった!

b346c31a.jpgアメリカ文学/ポピュラー音楽研究者の大和田俊之が、「自分はしょせんヤンキー側だった」と語るライターの長谷川町蔵からヒップホップの歴史をレクチャーされる、というのが『文化系のためのヒップホップ入門』の基本構成だが(もちろん大和田は聞き手に徹することなく、長谷川の話を補足もするし展開もする)、本書において重要なことは、冒頭から「ヒップホップは音楽ではない」と驚愕の発言をする長谷川の提示するヒップホップ史が、あくまでメインストリームを軸に置いていることだ。メインを軸に置くなんて当然のことだ、と思うかもしれないが、とくに読者の対象が「文化系」となると、これが意外にそうもいかない。このことについては後述したい。

本書はもちろん、ヒップホップ黎明期――すなわち、オールドスクールと呼ばれる時代から始まるわけだが、オールドスクールはいいのだ。既存の曲を再利用するという形での、ロック的オリジナリティ信仰の否定を大きな特徴とする、ヒップホップの発生は、それこそ大和田がたびたび言及するように、「ポストモダニズム」という文化系に向けて言葉でくり返し説明されてきた。したがって、仮に本書が、ヒップホップの本質を、既存の曲をコラージュして作る「ポストモダニズム」のみとしたならば、それは類書と同じような内容にとどまり、類書と同じように、00年代以降のメインストリームのシーンに接続ができなくなる。先述の、メインのシーンを軸に置くことの困難の原因も実はここにある。

長谷川が「他の曲から持って来るという手法が無効になってしまった」と指摘するように、00年前後から、サンプリングに彩られたヒップホップの「ポストモダン」的なクレバーな音作りは、メインのシーンで低迷することになる。うるさ型の、つまり「文化系」的なヒップホップ・ファンが、ヒップホップを離れるのもこの時期である。すると当然のことながら、同時にヒップホップを語る「文化系」の言葉も、この時期から失われていき、辛うじて生き残った「文化系」とその言葉も、ヒップホップのメインストリームを離れ、アンダーグラウンドに向かっていく(「ギャングスタ・ラップでヒップホップから離れた人たちもこのへんは聴いているという話がある」長谷川)。したがって、ヒップホップの本質を「ポストモダニズム」としか捉えられない限りにおいて、「文化系のためのヒップホップ入門」は、00年までで終了しなければならない。しかし、本書は違う。本書において、長谷川はヒップホップを音楽ではなく「ゲーム」だと捉え、大和田はその上で、「ダズンズ」「シグファイニング」といったアフリカ起源の話芸からの影響を指摘する。共通するのは、ヒップホップが、プレイする「場」を提供する、ということだ。この、ヒップホップを「場」の提供ツールだと捉える視線が、「文化系」に向けて、00年代以降のメインストリームを語ることを可能にする。したがって、本書の本領はとくに第3部以降で発揮される。

「場」を志向するヒップホップは、「自分たちが「今」いる「この」場所のドキュメント」(長谷川)である。第3部は「ウエストコースト」についてだが、本書によれば、車社会の西海岸において、ギャングスタ・ラップはカーステレオで聴かれることを前提にしたサウンドとなる。またリリックの内容も、東海岸のゲットーをめぐるものではなく、ビーチ、夕焼け、車、美女……という西海岸の風景に取って変わる。すなわち、西海岸勢の台頭は、従来の「文化系」が言うような、ヒップホップの音楽的・思想的退化ではなく、「場」を志向するという点で一貫している、という捉え直しだ。的確だと思う。「ヒップホップ、南へ」と題された第5部では、昨今、シーンを席巻しているサウス系について考察されている。このへんになると、いよいよ従来の「文化系」の言葉はまるで太刀打ちができないが、本書ではむしろ第5部こそがピークである。とくに、ティンバランドの特徴的なリズムが、カリブ的な「セカンドライン」であるという長谷川の指摘と、それを受けた大和田の「アメリカの黒人たちはカリブに先祖帰りしている」という考察は、それこそ大和田が言うように、「ルーツというのはあくまでも現在からさかのぼって構築されるものだという前提」に立ったとき、アメリカを中心に紡がれてきたポピュラー音楽史を、もっと南下させた地点からとらえ直すことができるかもしれない、という意味できわめて重要である。
いずれにせよ、「ヒップホップは音楽ではなくゲームである」という視点で語られた本書は、ゲットーのヒップホップもギャングスタ・ラップもサウスのヒップホップも、一緒くたに暴力的だとして敬遠する「文化系」に、非常に新鮮な言葉を与えてくれる。「ポストモダニズム」的でも、政治的でもなくなったかのように見える00年代以降は、ともすれば、ギャングスタ・ラップもサウス系も同じものに見えてしまうかもしれないが、「ゲーム」であるという視点からそれぞれの接続/切断点を提示した本書によって、それは個別的に見えてくる。まさに、「ヒップホップ入門」の名に相応しい。

本書によれば、「場」を提供するヒップホップは、Twitterであり初音ミクだそうだ。ほら、「文化系」の諸君が大好きなものばかりではないか。Bボーイが楽曲をブレイクビーツとして受容したように、受容の仕方が一変してしまうのがヒップホップの大きな特徴の一つだったとすれば、ヒップホップはすでに、Twitterとして初音ミクとして、「文化系」的に受容されることを待っている。


toshihirock_n_roll at 23:50|Permalink ブック | 音楽

2011年10月12日

『TUTU』のジャケット

中山康樹『ジャズ・ヒップホップ・マイルス』(NTT出版)は、まだ読んでいない、どころか手に入れてもいないのだけど、元となった四谷いーぐるでの講義は、以前も書いたように、何回か聴きに行っていました。それで、先々週の金曜日に刊行イベントが新宿タワーでおこなわれて、メンバーが、中山康樹・須永辰緒・大谷能生さんという超異色な感じだったのですが、なかなか面白かったです。マイルス・デイヴィスの後期はなんだったのか、といった点が話題の中心だったような気がします。ところで、お三方の前にはマイルスの『TUTU』のCDがありましたが、
tutu








マイルスとヒップホップ、と言えば、なぜかLLクールJは、自身のベストアルバム(初期の代表曲を網羅。値段も100〜300円くらいで買えるし、入門編としておすすめ)で、このジャケットを引用していました。
llcoolj








加えて、そういえばモンド・グロッソも同じことやっていたなあと思い、
mondogrosso








しかし、元アルバイト先の先輩に「いやいや、あれはビリー・プレストンではないか?」と。
billy








本当だ。どちらも、視線が上を向いていますね。ヒップホップ(に限らずですが)の引用なりサンプリングなりというのは、たいてい元ネタへのリスペクトの表明なわけで、もちろん、LLクールJがマイルス・デイヴィスをリスペクトしていても全然おかしくはないわけなのですが、ただ、時期的に考えてもLLクールJのキャラ的に考えても、少し違和感がありますね。

toshihirock_n_roll at 18:16|Permalink 音楽 

2011年10月04日

貧乏に憧れる

97f1f50f.jpg「貧乏」は青春として振り返られることが多い。青春とは生きていくうえで必要ないことに多くの熱量を費やすことであり、生きていく上で必要なことは多くの場合、金銭の価値として計量されるからだ。金を稼ぐことが社会の一員として生きることであり、人は金を稼ぐことで一人前の大人になったと言う。「貧乏」とはしばしば、大人になる前段階の青春時代である。

永島慎二『黄色い涙』は、夢を追う5人の青年が三畳一間で過ごす青春=「貧乏」物語だ。『黄色い涙』では「貧乏」生活が楽しそうに描かれているが、彼らにとって「貧乏」生活とは、夢を目指す自分のために守らねばならないものだった。一方、永島慎二「青春裁判」では、恋人との青春を打ち砕いた青年に「青春を血に染めた罪」が適用され、「今後一生生あるかぎりにおいて人間を愛してはならない」という判決が下される。青春の不可能性を問うているような作品だ。青春の不可能性とは成長の不可能性のことだ。成熟/未成熟が未分のまま時間が経つ。ECDはすでに50代だが、「何度確かめても残高ゼロ」(ECD「Land Of The Dead」)という素晴らしいパンチラインは、社会に対してオルタナティヴな価値観を突きつけているように思える。それはまるで若かりし頃の青春を引きずっているかのようだが、かつてエイベックスを飛び出してインディーになり、自ら「貧乏」生活を引き受けたECDが、50代を迎えてなおどこまでも真摯にラップをする姿にはやはり胸を打たれる。また、同じラッパーでは、西成地区をレペゼンするSHINGO☆西成「Ill 西成 Blues」も「貧乏」(というより「貧困」)を表現に昇華させた作品である。どこかしら文化資本を感じさせたのはさんぴん世代のラッパーだったが、その活動は日雇い労働者地区や少年院、被差別部落のヘッズのもとまでヒップホップを届けた。SHINGO☆西成の存在は、ゲットー音楽としてのJヒップホップの登場として非常に象徴的だった。日雇い労働者の歌と言えば、古くは岡林信康「山谷ブルース」があるが、その山谷から始まるちばてつや・高森朝雄『あしたのジョー』は、打ち捨てられたドヤ街から拳一つで成り上がっていく様が印象的だった。「貧乏」からの成り上がりと言うと麻生久美子を思い出さずにはいられない。叔母の失踪と死、服が無くて体育着で登校、捕まえたザリガニの鍋など(『hon-nin列伝』)過去の「貧乏」生活のエピソードは笑ってしまいつつも壮絶である。壮絶な実体験をどこかユーモラスに描いたものと言えば、吾妻ひでお『失踪日記』も忘れ難い。とくに山中で雪の朝を迎えたときの見開きページなどは、カタルシスに満ちておりながら、ふと冷静になるとかなり悲惨な現状だったことに気づく。とり・みきは『失踪日記』について、四段割りのコマの中にキャラクターの全身を入れている点を褒めていたが、同じような条件としては森川弘子『年収150万一家』が思い出される。SF作家の夫・北野勇作と娘の3人家族を年収150万円で支えつつときにはエステや海外旅行にも行くという、貧しくも楽しそうな家庭が二等身のイラストで描かれているが、それはやはり、大正期の私小説とはまた違ったものである。とは言え兼ねてから西村賢太と同様、藤澤清造の熱烈なファンで、その作品に挿画まで提供している(正津勉「清造命――西村賢太讃江」)つげ義春『無能の人』などを見るにつけ、「貧乏」というのは切実さの中にどこか可笑しさを含んでいるような気がしてならない。

私立高校〜私立大学、あまつさえ大学院にまで進んでしまった僕の「貧乏」への憧れは、「矢野は恵まれているからそういうことを言うのだ」と、言い訳不可能な言葉で遮られる。バブル世代がいくら現代の若者に必死の助言をしようとしても、「バブルだったからそういう考えでも大丈夫だったんですよ」と遮られる。「貧乏」が可笑しいと言う主体自体の経済的な背景が問われながら、今日もロマン主義的に「貧乏」に憧れる。


toshihirock_n_roll at 23:55|Permalink 雑感