2014年06月

2014年06月11日

日本語ラップの抒情性――コーヘイ・ジャパンを中心に

ファンモンやシーモなどの歌謡ラップが馬鹿にされることは多くて、まあその気持ちは理解できるし、正直僕も、そのテの曲をあまり熱心に聴いているわけではありません。馬鹿にされる原因はいくつかあると思うけど、ヒップホップのファンからすれば歌詞が軟弱に映ってしまうのかも。ヒップホップという音楽においては、やっぱり言葉というのは重要で、日本語ラップも、他の歌謡曲が歌えなかったような内容をラップできる点に、そういう表現を許容できる点に、特異性があるんだと思います。そういう考えからすると、ファンモンを筆頭とする歌謡ラップの、いかにも安直な歌詞に反発があるのはよくわかります。

ただ個人の趣味を別として、ラップがそういう歌謡曲的な抒情性を獲得していることには感慨も少しあります。というのもジャンルや形式性の重みってあって、歌謡曲の形式でラップ的なギャングスタな内容が歌いづらいように、ラップの形式で歌謡曲的な抒情性を歌うのは、ある時期までは難しかったように思います。ハーコー系だと、だいたいが「オレ様」のノリになっちゃう。それで、90年代後半から日本語ラップを聴き始めた僕の印象だと、日本語ラップに抒情性を持ち込んだのは、おそらくコーヘイ・ジャパンです。これについては異論が出るかもしれないけど(異論歓迎です)、どうでしょうか。少なくともその一部を担ったのはたしかではないか、と思うのですが。だから、僕の日本語ラップ史観からすれば、歌謡ラップの淵源にはコーヘイ・ジャパンがいる。

というのも、メロー・イエローがアルバム『クレイジー・クライマー』(2001)を発表して、それが『Da Cypher』(J-WAVE)で紹介されたとき、MCのリコさんが収録曲「オレンジ」を指して、「こんなラップは今までなかったよ!」と、すごく興奮気味に話していました。「オレンジ」という曲は、高校生の男の子が女の子とうまく付き合えないという、思春期の物語をラップにしたもので、そのうまくいかない感じが「オレンジ」色の夕日に投影されています。



これは本当に名曲だと思います。もう一度。本当に名曲だと思う。トラックも素晴らしいけど、やっぱりリリックがすごいです。日本語ラップにおける男女関係と言えば、ほとんどが、クラブで知り合って一夜だけ過ごす、みたいなもので、この磁場は最近にいたってもなお強い気がします。だけど、「オレンジ」では高校生が主人公になっている。まず、この点が画期的です。当時やはり高校生だった僕は、そこに嬉しくなったことを覚えています。ちなみに、その数年後、柄谷行人「風景の発見」の、内的人間が風景を発見する、という指摘を読んだとき、まさに「オレンジ」を思い出しました。主人公の抒情的な内面をラップして、その視線をもって「風景」を描写する、というラップは、たぶんそれまでには存在しなかったんじゃないかなあ。型と形式が強い日本語ラップにおける、「風景の発見」。「オレンジ」は、いまとなってはほとんど語られることのない曲ですが(『blast -JAPANESE HIP HOP DISC GUIDE』では、残念ながらアルバム『クレイジー・クレイマー』は選外。まあ、仕方がない)、僕は日本語ラップ史において、かなり重要な曲だと思っています。

「オレンジ」においては、コーヘイもキンちゃんも素晴らしく抒情的なラップを達成していますが、継続的に見ていくと、やはり抒情的なラップを打ち出して行ったのはコーヘイか(ちなみにキンちゃんは、フリースタイルへの着手が早かったとよく言われます)。00年発表のソロアルバムでは、すでに「Go To Work」で応援歌的なラップを披露していました。これもトラックの雰囲気とあいまって、同時代からすれば特異な抒情性を獲得していたと思います。



そして、なんと言っても「Family」(2008)。



ファンモンは軟弱に聴こえるかもしれないけど、日本語ラップで「軟弱」なことを歌うのは、けっして簡単なことではなかったのかもしれない。うまくいかない恋愛のことや、たいへんな仕事のことや、大切な家族のことをラップで表現するためには、たいへんな試行錯誤があったのだと思う。だから、ファンモンやシーモのラップがこのような試行錯誤のうえにあるのだな、と思うと、けっこう感慨深いものがあったりもします。もちろん、コーヘイ・ジャパンだけでなく、いろいろな試みがあったうえで練磨されていった表現だと思いますが、彼の功績は大きいと思う。もちろんコーヘイ・ジャパンが、ある面においては、とてつもなく変態的なことをラップするというのも事実ですが。いずれにせよ、歌謡ラップの存在は、Jポップ・シーンにおいてラップが完全に市民権を得たことと、ラップの表現が驚くほど多様性を獲得したことを示していると思います。そしてそのこと自体は、絶対的に良いことなのだ。

こんなことをあらためて書こうと思ったのは、ロマンクルー「東京」という曲をラジオで聴いたからです。これは、アリキックが東京ポッド許可局の「上京論」に影響されて作られたものらしいですが、このラップも、一聴して、やはり新しい抒情性を獲得していると思いました。以前ブログにも拙い考察を書きましたが(「ポピュラー音楽における〈東京〉の表象――歌謡曲・Jポップ・ヒップホップ(試論)」)、ヒップホップにおける「東京」では、都市をサバイブする、というテーマに埋め尽くされていました。しかし、ロマンクルーの「東京」は、上京した人のことを歌っていたっぽい(ラジオで一回聴いたきりなのですが)。これは、かつてリリー・フランキーがラジオで、「東京のことを歌う人はだいたい地方出身者」と言っていたように、とても歌謡曲〜Jポップ的な視線です。連想するものとしては、くるり「東京」とかサニー・デイ・サーヴィス「青春狂走曲」とかの抒情性。ロマンクルーのようなグループが、こういう表現をしてくれることに嬉しくなってしまいます。





toshihirock_n_roll at 00:46|PermalinkTrackBack(0) 音楽 | 雑感

2014年06月05日

わが青春のDMR

25c26b02.jpgこのあいだ、DMR(Dance Music Record)のメルマガから「5月をもって渋谷店舗を閉店する」というお知らせが来た。ああ、わが青春のDMRよ。僕にとって小さくない存在であるDMRについて、個人的な印象とともに。

個人的には、シスコでもマンハッタンでもなくDMRこそが、宇田川町のレコ村を支えていた時期があったと思う。その時期とは、00年代前半〜なかばくらい。ヒップホップやハウスが多様化して、メインストリームのトレンドを追うだけでは、どうも消化不良に感じられるようになった00年代、シスコやマンハッタンではフォローしきれなかった盤を、DMRは用意してくれていた印象がある。DMRは大規模の試聴環境を通じて(おそらく手作りでCD化し、毎週金曜日には更新していた)、メインストリームの新譜だけでなく、レア・グルーヴの再発やブートのリエディットものにマッシュ・アップもの、あるいはクロスオーヴァーとか言われたようなジャンルを積極的に紹介していた。いまもレコ棚のどこかにあるファラオ・サンダースのハウス・ヴァージョンやオールドスクール・ヒップホップのリエディットものなんかは、とてもあの頃のDMRの雰囲気を感じる。00年代前半は、クラブカルチャーが全体的に底上げされ、DJ人口が増え、ひとつのイベント内で複数のジャンルをまたがるようなシーンになった感じがするが、DMRはそういう状況に見事に対応していたのではないか。これは、90年代の渋谷系的DJカルチャーともたぶん違っていて(リアルタイムではないので知らないけど)、中古のレア盤をディグるというより、クラブ用にエディットされた新品の盤を、みんな集めていたのだ。少なくとも、当時クラブで知り合った友人たちは、そういう感じだった。彼らは試聴機で即決するので、曲名やアーティスト名を知らない。体系化されない。僕は、そんな彼らに苛立ちがなかったわけではないけど、一方ですがすがしくも感じていた。

しかしその後、00年代末期には、店舗よりウェブ販売に比重が置かれる。たしか渋谷レコファンが縮小するのが、この時期だ。記憶では、DMRはJポップのアナログ盤が増えていた。曽我部恵一バンドが店頭に置かれ、あとなによりYUKIがクラブシーンを一瞬にぎわせた。YUKI「JOY」の12インチは、「すぐ値上がりしそうだな」と思って買ったら、予想以上に値上がりしたので、金欠のときに売ってしまった。YUKIのLPも、定価が高かったので買わなかったけど、すぐ値上がりしていた。時期をしっかりと覚えていないが、このJポップ期を最後にDMRも店舗縮小をする。輸入盤が、というかアナログ盤が店頭からみるみる減って、音楽インテリアの店になっていった。このときにはすっかり店舗へ行かなくなっていた。通販はときどき利用していたと思う。その通販も、同時期、ジェット・セットが、再発やリエディットものなど、それまでDMRが担ってきたクロスオーヴァーの部分を手厚くカヴァーした。さらにジェット・セットは、同時代のロックももちろん、なにより日本のインディー・シーンを積極的に紹介していた。僕的には、CEROなんかはジェット・セットに後押しされた印象を受ける(『マイ・ロスト・シティ』のアナログ盤は、ジェット・セットで通販購入した)。あるいは前野健太でさえも、3枚目以降のアルバム情報はジェット・セットを経由して読んだ覚えがある。ジェット・セットの「Japanese Pop」の新着をチェックしていれば、日本のインディー・シーンのおいしいところをおおよそチェックできるような雰囲気があったような気がする。どうだろうか。

このような時期、DMRのメルマガ新譜情報は、忘れたころにやってくるものになっていた。あげくの果てに、音楽インテリアどころか「父の日に掃除機のルンバはいかがですか」なんていうメールが来て、僕はDMRを完全に見放した。そのとき、「さらば、青春のDMRよ」と、ひとりつぶやいた。そして、その数年後にやってきたのが、店舗閉店のお知らせというわけである。

あらためて言おう。わが青春のDMRよ、さようなら。たいへんお世話になりました。

toshihirock_n_roll at 20:58|PermalinkTrackBack(0) 音楽 | 日記的

2014年06月01日

筒井康隆とライムスター(とアルフィー)

創作の極意と掟
筒井 康隆
講談社
2014-02-26


グーグルで「ウィークエンドシャッフル」と検索すると、いちばん最初に出てくるのは、もはや言うまでもなく、TBSラジオ『ライムスター宇多丸のウィークエンド・シャッフル』のページです。このラジオ番組名は、ライムスターのアルバム『HEAT ISLAND』のハイライトとなる曲名から借用したもので、実際番組のオープニングでは、その「ウィークエンド・シャッフル」のオケが薄く流れています。ところで、筒井康隆『創作の極意と掟』(講談社)に、こんな記述がありました。

小生の作品では「ウィークエンド・シャッフル」という、考えに考えてつけたタイトルが、そのままのタイトルで、あるグループに歌われていた。悔しかったものの著作権を主張することができず、諦めたことがある。


「グループ」と書かれているし、たぶん、ライムスターのことなのでしょう。筒井ほど文化的素養のある人は、ヒップホップにおける借用文化についても、きっとある程度の理解はしていると思うので、素朴な「パクリだ、けしからん!」という態度ではない感じがします。とくに筒井は、『日本以外全部沈没』のようなパロディ作品だって多いわけだし、オリジナリティについて徹底的に問うた人である。とはいえ、むしろそれだけに、「悔しかった」という思いがあるのでしょう。

一方、ライムスター側から見ると、これは筒井康隆というより、それを原作にした映画作品「ウィークエンド・シャッフル」を意識して借用した感じがします。すなわち、「ビッグ・ウェンズデー」「ブレックファスト・クラブ」「現金に体を張れ」あたりの、ライムスター作品ではおなじみ(?)の映画タイトルもの。実際宇多丸さん自身、どこかで映画「ウィークエンド・シャッフル」に対しても言及していた記憶がありますが、ちょっと定かではないです。ちなみに宇多丸さんはしばしば、小説は全然読んでこなかった、と言っているので、小説からの引用はあまりない印象があります。トマス・ピンチョンの「スローラーナー」くらいか。筒井に対しては、なにか言及していた記憶もあるような、ないような。『時をかける少女』の熱烈なファンであることはよく知られた事実ですが、これももちろん映画版の話です。勢い宇多丸さんの話が中心になってしまいましたが、もちろんライムスターは3人います。今回は宇多丸色の強い部分についてだけ書きました。

個人的には、どちらにも感情移入できる悲しいすれ違いですが、筒井が「著作権を主張することができず」とまで言っているのは印象深いもので、「盗作の文学史」(栗原裕一郎)的に、記憶の片隅に置いておきたい出来事ではあります。ちなみに『HEAT ISLAND』というアルバムは、歌詞中の言葉の引用についてすべて注釈をつける、という田中康夫スタイルを取っているのですが、残念ながら曲タイトルには注釈がついておらず、「ウィークエンド・シャッフル」に対する言及はありませんでした。

【追記】
と、書きましたが、ツイッターで石川誠壱さん(このあいだ、『誠壱のタモリ論1&2』買いました。ご指摘、ありがとうございます)から「アルフィーの『WEEEKEND SHUFFLE』のほうが早いですよ。88年。」と指摘がありました。ライムスター以外にも同名曲がある可能性はほんの少しだけ考えたのですが、愚かにも「まあ、ないだろう」とタカをくくっていました。記事は追記と併せてよろしくです。筒井がアルフィーとライムスターとどちらを指していたのかは、わかりません。たぶん、アルフィーのほうが正解だと思います。

HEAT ISLAND
Rhymester
キューンミュージック
2006-03-08



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