2016年12月

2016年12月26日

比屋定篤子とエイミー

imageパンクした佐川急便からやっとレコードが届きました。ジャケ買いした、流線形と比屋定篤子「まわれまわれ」は、TOTO「ジョージー・ポージー」を下敷きにしたセンス良い曲でした。シティポップ売りだけどSSW的なフィーリングで、やはりこういうほうが自分は好きです。エイミーはやはり素晴らしくて、あらためて夭逝が悔やまれます。同い年のヒーロー。トランプ時代に聴く「ネルソン・マンデラ」のカヴァ−は、なんかすごく心に響いてきます。

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2016年12月24日

さやわか『文学の読み方』(星海社新書)を読みました。

文学の読み方 (星海社新書)
さやわか
講談社
2016-09-22



さやわかさんの『文学の読み方』(星海社新書)は、近現代文学の流れを明快に記述しているけど、自分としては批判的な立場です。気になったのは例えば、「貧乏な書生が型破りな生活をするという、明治初期の文士」(p.115)ってところで、「型破りな生活をする」「文士」は普通、大正期の私小説家を指すのではないか。さやわかさんは、明治期の自然主義と大正期の私小説を一緒くたにしているフシがある(ましてや「明治初期」は、やはり間違いだと思う)。この部分も、円本ブームが「文士」を潰した、とされているけど、円本ブームはむしろ、「破滅型」の「文士」を成立させた、という指摘がある(山本芳明『カネと文学』)。あと、村上龍が「「ありのままの現実を描く」という理念」の不可能性を初めて暴露した、とあるけど(p.192)、それも間違いで、少なくとも太宰治はそのことばかり作品化していたはずです。だから、江藤淳の村上に対する「サブ・カルチュア」批判は、やはり敗戦やアメリカといった政治的関係のなかで考えるべきだろうと思う。同じように、さやわかさんが「錯覚」として扱う「リアリズム」の問題も、近代における民主化の問題と一緒に考えなくてはいけないだろうと、個人的には思います。さやわかさんが「錯覚」としている問題はたぶん、もっとごつごつしたものとしてあり続けている。さやわかさんの文学史観と照らし合わせながら、自分の問題意識を明確化していきたいです。大学院の研究以来の自分の問題意識は、安藤宏『「私」をつくる』(岩波新書)に近いです(まあ、安藤さんの論文に影響を受けているので当然ですが)。




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2016年12月16日

『ジャニーズと日本』(講談社現代新書)が発売したよ!




『ジャニーズと日本』(講談社現代新書)という本が発売となりました。名門レーベルである講談社現代新書に名前を連ねることになり、嬉しい限りです。本書は、SMAP解散騒動以前に企画がもち上がったもので、ジャニーズ事務所をめぐるあれこれを横目に執筆していた感じです。本書に顕在的・潜在的に流れているテーマを著者なりに言うと、次のようなものです。

1、日本ポピュラー音楽におけるジャニーズの位置づけ
まずは、これが中心的なテーマ。カヴァーポップス〜GS〜ディスコ〜クラブミュージックという、日本ポピュラー音楽の非‐ロック的な流れを担っているのがジャニーズだと思います。ロックグループであるザ・グッバイも、山下達郎・大瀧詠一経由のビーチボーイズを目指すなかで、初代ジャニーズ的なジャズコーラスを受け継いでいる感じがあります。あと、郷ひろみが筒美京平経由でオックスのR&B歌謡の流れで来ている感じとか面白い。デビュー当時の関ジャニも謎だけど、「スシ食いねえ!」以来のジャパニズムの系譜だろうと思います。ちなみに、関ジャニは服部良一トリビュート盤で笠置シヅ子「買物ブギー」をカヴァーしていますが、これはかつて笠置の「ヘイヘイ・ブギー」のリメイクを歌った忍者の流れでもあります。ジャニーズによるポピュラー音楽への視線の注ぎかたは、独特で面白いです。

2、「アメリカの影」問題
戦後にアメリカからやってきたジャニー喜多川が日本で芸能活動をすることは、そのままアメリカの占領政策に関わります。かつて加藤典洋が『なんクリ』をきっかけに、あからさますぎて見えない戦後日本の「アメリカの影」を指摘していましたが、ジャニーズもまた、あからさま過ぎて見えない「アメリカの影」の一部でした。移民二世としてカリフォルニアを過ごしたジャニー喜多川は、ショービジネスの自由さに魅了されていました。そんな彼は、これから民主化していこうという戦後日本で、ショービジネスによる日本の民主化を目指していたフシがあります。当時、民主主義を教えるツールとしては、ベースボールとスウィングジャズがありましたが、ジャニーはこれらを意識しているし、そもそも、封建的な芸能界にまったく新しい青少年グループという存在を放り込むこと自体、具体的な制度変革としてありました。ジャニーズは、戦後日本に民主主義が浸透していく一場面として見るべきでしょう。

3、芸能と差別
そもそも、お祭りにおける芸能とは、わたしたちの日常を活性化させるための非日常の営みとしてあります。その非日常の祭りの場でいけにえ的に芸を披露するのが、芸能‐人という存在です。彼らは日常と隔絶された存在であるべきで、芸能はその意味で、本来的に差別構造を抱えています。前近代は、それがもろ差別としてあらわれていましたが、近代以降は芸能も社会の一部です。戦後はますますそうなります。とは言え、「昭和」の芸人や芸能人は、まだまだ日常離れした豪快さが許されていた気がします。しかし、ゲスの極み乙女以降の世界である現在は、そういう「昭和」的な豪快さはコンプライアンス的に厳しい時代になりました。「平成」においては、「黒い交際」も糾弾される。そして、その裏側で、芸能人に日常的な自由を認めないありかたも批判されます。結婚とか恋愛とか独立とか、個人の意志を認めばいいじゃん、と、僕も基本的にはそういう立場です。「平成」の時代とともにデビューし、アイドルでありながら自由な姿を体現したSMAPは、そういう芸能と差別の問題をアップデートするような雰囲気がありました。しかし、解散騒動によって、SMAPもまた自由を奪われていた存在だったのか、という疑念もよぎります。民主主義と差別に引き裂かれるジャニーズのゆくえはいかに。これは、本書だけでは答えの出ない大きな問題です。

4、日本特殊論(日本という悪い場所)
クールジャパン華やかなりし現代、日本の独自なありかたが注目されます。アニメ、ゲーム、はたまた女性アイドル。そこでは、自立できない「萌え」な感じが面白がられます。ジャニーズの歌や踊りも、危なっかしい「萌え」な感じなのか。そこには異を唱えたいです。そもそも戦後日本の特殊性とはなにか。それは、平和憲法かもしれません。しかし、その平和憲法の裏には、自由を抑圧された天皇や、基地を置かれた沖縄があります。僕らが平和に生きる日常の裏には、差別され抑圧された芸能の存在があります。これが、戦後・日本・芸能を考えるべきポイントです。ジャニーズは、その問題にかなり強く絡んできます。

このように、ジャニーズは、近代国家として自立しているかもわからない日本をそのままの姿で照射しているようです。このことを言うには、もっともっとさまざまなことに論及しなくてはいけないので、本書では、ジャニーズの変遷を追うにとどまっていますが、潜在的にはそのようなテーマがあります。自分はよく、音楽も文芸も政治も芸能の一部だ、と言うことがありますが、それは、差別の問題をいかに考えていくか、という問題とともにあるつもりです。ご一読いただければ幸いです。

矢野利裕

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