2015年09月23日

小津さんへ――『ホロッコレクション』を観て

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渋谷ユーロライブでおこなわれた『ホロッコレクション』に行ってきました。ホロッコさんは「夫婦お笑いコンビ」として、ときどきテレビでも見かけますが、僕自身は実は以前から面識があって、最近こそなかなか行けないのですが、主催されているライブもよく行っています。

ホロッコさんについては、多くの文字数と愛情を費やしたサンキュータツオさんのブログ記事が必読です。
http://39tatsuo.jugem.jp/?eid=1372

「夫婦お笑いコンビ」としてメディアに出演することが多いように思いますが、今回の『ホロッコレクション』は、こまりさんがフーテン者を演じる「小津さん」シリーズが中心になっていました。僕が思うに、ホロッコの本領は、この「小津さん」シリーズに顕著な、不穏かつハートウォーミングな世界観にあると思います。単純な喜怒哀楽にフォルダ分けできない奥行きが、本当に魅力的です。先に「フーテン者」と書きましたが、これは『男はつらいよ』に通じるものかもしれません。『男はつらいよ』はあまり観ていないのですが(数作観たら面白かったので、観たいとは思っている)、いずれにせよ、この不穏かつハートウォーミングな感じは、僕の好みど真ん中なのです。そして、自分にこういう好みが醸成されたことの大きな一因は明確に分かっていて、それは、幼少時に読んだ『ドラえもん』の、そして、もう少しあとに読んだ藤子・F・不二雄先生の異色系短編の影響なのだろうな、と思います(むろん、それだけではなく、つげ義春とかしりあがり寿とかもあるとは思いますが)。ほり太さんは、その「のび太」感のあるネームからも推察されるように、無類の藤子不二雄ファンとして知られています。僕がホロッコのネタが好きなのは、藤子好きということが共通しているのかもしれません。

具体的に。「小津さん」シリーズというのは、藤子先生の言葉を借りれば、「生活ギャグ」に他なりません。「生活ギャグ」とは、ほり太さんの説明を借りれば、「普通の家庭に異質なものが飛び込んでくることで出てくる面白いギャグのお話」(ポッドキャスト『熱量と文字数』2013.9.18配信)です。平凡な一人暮らし大学生のもとに突然「小津さん」という異質な存在が飛び込んでくる、という設定において、「小津さん」シリーズは「生活ギャグ」なのです。そして、さらに重要なことは、「小津さん」シリーズは、この「生活ギャグ」システムを置くことで、読み切りギャグ漫画のように毎回異なる話を展開することができる、ということです。それはまさに、アニメ/漫画の『ドラえもん』が終わらない日常を繰り返すことで、半永久的に継続されるように。僕は毎月第三土曜日、ホロッコさん主催の『フフフのフー』に行くことで、「小津さん」の世界に行って、「小津さん」に会いに行くことができるのだ。

自分の話になりますが、今年からフルタイムで働きはじめました。土曜日も夜まで仕事になって、なかなか『フフフのフー』に行く機会が少なくなってしまいました。音楽とかお笑いとか、いわゆる芸能というのは大事なもので、一般的な社会とは違う世界の空気を吸うことが、いかに翌日への活力になることか。ほり太さん演じる「大学生」も、「小津さん」に触れることで、きっと翌日への活力を得ていたことでしょう。フルタイムで働けば働くほど、クラブにも行きたくなるし、お笑いライブにも行きたくなるのです。今年度になってから、どれだけ『フフフのフー』に行って、「小津さん」に会いたかったことか。僕にとって、『ホロッコレクション』というのは、そういう思いのなかで観に行ったライブでした。当初、ほり太さんからお誘いいただいて日程を確認したとき、仕事と重なっていました。「また仕事と重なっちゃったよ」と思っていたら、それは実は僕の勘違いでした。「公演2日目の21日なら、午前中で仕事を終わらせて観に行けそうだぞ!」ということで、予約しました。実際には、仕事が思ったより延びて、お花を買っていたら、少し遅刻してしまいました。朝からご飯を食べる余裕もなくて、仕事終わりで体力的にもクタクタだし、精神的にも少しだけ疲れていました。でも、そんな状態だったからこそ、遅れて飛び込んだステージに「小津さん」の世界が繰り広げられていたのを観たら、それだけで、なんかとてつもない安心感にやられて、涙ぐんでしまいました。「小津さん」のユーモア、不穏さ、のんきさ。職場ではありえない「異質なもの」に触れることで、本当に元気が湧いてきます。

今回、「小津さん」が中心になっているのはたしかなのですが、外部の作家陣もネタを書いています。「小津さん」の親戚が登場人物となっている大麻ネタなど、最高に不穏で、とても笑いました。同時に、これまで隠されていた「小津さん」の人物像が、少しずつ立体になっていきます。とくに、「小津さん」ファンなら誰もが気になっていた奥さんの存在が、今回のライブではクローズアップされます。『ホロッコレクション』のハイライトは、やはりラストの「さようなら、小津さん」でしょう。細かい展開は伏せますが、「さようなら、小津さん」は、まるで「さようなら、ドラえもん」のように、「小津さん」の成長らしきものが描かれます。しかし、ここにはジレンマがある。のび太が成長してしまったらドラえもんが「さようなら」をせざるを得ないように、「小津さん」が成長してしまったら「小津さん」も「さようなら」をせざるを得なくなる。「小津さん」は「異質なもの」であるがゆえに、「大学生」の彼の日常を彩りのあるものにするわけで、「小津さん」が成長してまともになってしまったら、それは単なる日常の延長です。というか、まともになってしまった「小津さん」は、奥さんに追い出される理由がなくなるので、自分の家に帰ってしまいます。今回明かされたのは、「小津さん」シリーズの、そのような構造でした。つまり、「小津さん」は、奥さんに追い出されるほどの「異質なもの」であるがゆえに、「大学生」の日常を、そして、他ならぬ俺(この、矢野利裕としての俺だよ!)の日常を彩りのあるものにするのです。したがって、「さようなら、小津さん」は、あの「大学生」だけの問題ではありません。観客としての僕らの日常に関わる問題です。あのとき、他ならぬ僕らが、「小津さん」の幸せと観客としての自分の幸せを天秤にかけていたのです。「小津さん」に会えなくなったら、俺はどうやって明日からを乗り切れば良いのだ。でも、「小津さん」が幸せであることが、俺の幸せではないのか。とは言え、でも……。

はたして結末は、あのようになりました。終始、笑いました。同時に、泣きそうになりました。泣きそうになった、という感想がほり太さんとこまりさんにとって嬉しい感想かはわかりませんが、自分の現実の生活とコントの展開が重なる地点で、僕は笑い泣きをしました。ライブが終わって、客電が点くと、僕以上に思いきり涙を流している女性がいました。同じような気持ちだったのかもしれません。終了後、楽屋にあいさつに行って、「なんか泣きそうになりました」ということだけ伝えたのですが、上手く説明できなかったように思います。というか、ややこしい説明をするような場ではなかったので、率直な感想だけを伝えました。ややこしいことについては、批評文として、ここに書いておきます。意味不明かもしれませんが、そういうことなのです。また、ゆっくりごはんでも食べたいです。

toshihirock_n_roll at 00:33│TrackBack(0)日記的 | 芸能

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