2018年03月07日

星野智幸『焔』(新潮社)を書評しました!

いま売りの『文学界』2018年4月号に、星野智幸『焔』(新潮社)の書評を書いています。ぜひ、読んで欲しいです。「政治と文学」の問題について考えるうえでも、非常に重要な短編集だと思いました。星野さんが「政治と文学」の問題にこだわり続けているのは明らかで、現在における政治小説のありかたを手探りつかもうとしている姿勢は、目を見張るものがあります。

それにしても、星野さんのサッカーや相撲に対するスタンスが面白い。「小説の自由」(保坂和志)というものがあるとして、おそらく星野さんは、その自由さと同様のものを、サッカーや相撲に見ている。星野さんもファンである浦和レッズのサポーターが、「JAPANESE ONLY」という差別的な横断幕を掲げて問題になったことがあります。これに対して、キャプテンの阿部勇樹はスピーチのなかで、「サッカーは、スポーツや社会から差別を撲滅する力を持っています」と言っていました。排外的な態度のきっかけとなるのもサッカーならば、人種や国籍などの境界を飛び越えるのもサッカーだ。ましてや、南米で育まれたサッカーは、今福龍太が『ブラジルのホモ・ルーデンス』(月曜社)で書いていたように、下半身を使ったクリエイティヴィティに満ちた美学的な側面が強いスポーツです。そのサッカーに、現秩序を批判的に乗り越えていく契機を見出す星野さんの態度、いちおうサッカー人生を歩んだものとして、とても共感します。ああ、愛すべきストイコビッチよ。愛すべきエムボマよ。

同じように、「同じ土俵の上で闘う」という言葉があるくらい、土俵も国籍や性別を越えて平等に開かれているべきかもしれない。国籍の問題、ジェンダーの問題、暴力の問題。なるほど相撲は、現代日本の問題を凝縮している側面がある。とは言え、相撲は一方で神事だから、むしろ不合理な慣習を続けることに意味があるとも言えます。相撲の神事的な側面を捨象して、スポーツとして社会に開いていくことには抵抗を覚える人もいるでしょう。僕自身はベタに近代主義的なところがあるから、前近代的な不合理はどんどん解体してしまえ、という野暮ったい意見を言いたくなります。星野さんの相撲に対する態度はわからないけど、少なくとも、『焔』収録の「世界大相撲共和国杯」などを読むと、土俵のうえの躍動感があらゆる境界を越えていくようなイメージが描かれています。星野さんは、小説に対してもサッカーに対しても相撲に対しても、この社会を変革する一歩となるような「自由」さを見ている気がします。

文學界2018年4月号
文藝春秋
2018-03-07



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