俳句と主夫の間で(2)♫

俳句と主夫を仕事とする 「団塊の世代」日記

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四月から指導をお引き受けすることになった区のカルチャー句会の
打ち合わせをしてきた。
 
参加人数は、10名。3句出しの句会を月一回開くという。
家から車で15分くらいの会場。
「あだち野」支部句会という位置づけにして頂いたので、会員の
増加に繋がったのは有難い。
 
学んで来た環境よって、指導者一人一人の「俳句観」が微妙に異な
るから、それぞれの指導方法が変わるのは致し方ないこと。
前任の指導者は細かい事に拘らない「趣味としての俳句」を推奨し
てこられたようなので、何処まで細かく厳密な指導をしたらいいの
だろうか。
 
自主性を重んずる「栗山監督」のような指導をすればいいのかも。 
取り敢えずは様子をみながら・・・。 

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句材を求めて寺社などを散策していると、春の日差しをうけた鯉の
一群がゆったりと泳いでいる池の景をみることがある。
 
鯉の影が池の底に映り、その影は鯉と一体となって移動していく。
俳人であれば、誰しもが句にしてみようと思う句材だ。
 
しかし、凡人の考えることは今までに数万、数十万人の俳人考えて
いるものである。
「春日」「影」「鯉」「底」で検索すれば、すぐに以下のような句
がてくる。
 
 水底に魚の影さす春日かな   正岡子規
 
鯉の影が動く景を詠もうとする発想そのものが、既に「類想」なの
である。
 
如何に他人とは違う角度で詠むか。 
それが難しい・・・ ( ^^) _U~~
 
 

「すき焼き」という暖簾がかかっていれば、そこは伝統的な日本料
理の
専門店。
「スキヤキ」とカタカナで書かれていれば、世界中で大ヒットとし
坂本九の歌が思い浮かんでくる。
 
かつて、この「すき焼き」という料理は給料日にしか食べられない
贅沢な料理であった。 

今のように銀行振り込みでない時代のこと。
父親が帰宅すると、母親は現金の入った給料袋をニコニコ顔で受け
取り、何故かその夜の食卓には「すき焼き」の鍋が置かれたものだ。
IMG_20230325_122527 先日訪れた「下町風俗資料館」
なんとも時代錯誤の習慣だが、そんな郷愁もあって「すき焼き」
無性に食べたくなることがある。
「男性が外で働き、女性は家を守るもの」とは反対の生活を送って
いるのが我が家の現状。 
主夫として出来ることは、外で稼いで帰ってくるへの感謝を込め
て、へそくりの中から高い肉を奮発することくらいだ。 
                 今夜は、讃岐うどんも加えて。

イメージ
 
 

私は典型的な「文系タイプ」に分類される人間だ。
良く言えば「臨機応変」、悪く言えば「その場凌ぎというタイプ
ということ。
 
文系の人間と理系の人間とでは、まずもって思考経路が異なる。
例を上げると、こうだ。
 
お茶を飲もうとしたら、湯沸かしのポットが故障していたとしよう。
文系の人間は、別のポットを持ってきて直ぐにお湯を注ぐ。 それ
で終り。
理系の人間は、故障の原因を調べようと上下左右をひっくり返して
点検し始める、という具合。
 
さて4月になれば、次回のアンソロシーの企画つくりに取り掛かる
のに、パソコンの調子が今一つである。
まずもって反応スピードが遅く、作業時間が長く掛かるためにイラ
イラしてしまう。

10年近く使っているのだから、そろそろ買い変える時期ではある
のだけれど、まだまだ使える・・・と先延ばしにしてしまっている。
何とか持つつだろう・・・と考え、そのままにするのが文系人間
悪いところ。
 
四月は全てのものが新しくスタートする時期。そろそろ新品を買う
ことにしようかなぁ。
 
 壊す音造る音する四月かな     十志夫
 
「建前写真」の画像検索結果
 
 

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逝された句友が担当していた区のカルチャ―句会の指導を急遽
引き継ぐことになった。
俳句愛好者ために少しでも役立てば、という思いからである。
 
上掲の花見写真は6年前のものだが、ここから3名の仲間が泉
の人となってしまっている 
 
    けふあすは死なぬつもりや花見酒    小林 亮  
こう詠んでいた人も、そのうちの一人。
 
このところ身の回りでそんなことが相次いて起こっていて、いつ
我が身に降りかかるやも・・・
 
 

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昨日の上野花見吟行の途中不忍の池沿いにある「下町風俗資料館」
に立ち寄った。
 
昭和の一般市民の生活ぶりを紹介する資料館で、当時の町並みや、
卓袱台やモノクロテレビの置かれた三畳間、けん玉など各種の子供
の遊び道具(玩具)、銭湯の番台など・・・が展示されている。
 
家族づれのお父さんが、遊び慣れた当時の玩具を子供たちに自慢げ
に教えていた。
私の方は私で、一度は上りたかった風呂屋の「番台」から下を見下
ろして楽しんだり(笑)。

 卓袱台は何処も上座や蜆汁    十志夫
 

今日は、超結社の細道句会(早稲田句会)の有志による花見吟行
上野恩賜公園で開催された。
参加者は9名。遠路、芦屋からの参加者も。
 
予想通り雨の一日だった、
文化会館に11時に集合して午後2時まで、恩賜公園から不忍池
をめぐつて満開の桜を見て回った。
 
句会場所は、例によって「カラオケ店」で。
花見時期ということで割り増し料金を取られたが、ドリンク付き
で、ゆっくり句会を楽しめた。
 
さすがに「花曇り」「花の雨」「花冷」といった趣きの句が多か
ったのは、やむを得ない。
参加者が力ある俳人なので秀句ばかりだった。未発表扱いにする
ために、ここで紹介出来ないのが残念である。
 
お目汚しに、自句を3句ほど。
  子規の影うかぶ球場花の雨      十志夫
  ふくらみてはじけて桜きはめたる
  爪先で春さがしをり潦    
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WBCも一段落ついて、野球一色だったマスコミ報道も今夜の
サッカー・ウルグァイ戦あたりから変わってくるだろうか。
 
報道といえば、マス・メディアの「マッチポンプ報道」に関し
て、このblog上で度々書いてきたが、再びその話題について。
 
些細な言動を取り上げあたかも「大事件」かのように仕立て
上げる「話題づくり」手法で、ピークを過ぎてしまえば、自ら
が火消しに走るという視聴率(販売部数)稼ぎの常套手段。
 
私たちを煽るためのアジテーション方法としては、概ね次のよ
うな表現が使われる。
「国民が納める🔴🔴億円もの血税が使われているのだ」 
この「税金」という言葉で、私たちの怒りは増幅されてしまう。
 
メディアによって作り出される「怒り」というものは、不満の
捌け口という意味において、お隣り韓国の「反日感情」「財閥
に対
妬み」と構造的には同じ。
 
結果、問題の本質(何が大事か)を見誤り、目の前の出来事を
感情だけで判断するようになってしまう。
時に、報道された人間が自らの命を断ってしまうこともある。 
最近でいえば老舗の温泉宿の社長のように。
 
各国の政治状況を見ていると、政治をコントロールしているの
は主権者たる国民でもなければ、為政者としての政治家でも
ない。 公僕という仮面を被った「マス・メディア」のような
気がしてくる。
昨今の「報道の自由」をめぐる議論も、或る意味でマスコミの
奢りととれなくもない。
 
こうした時代であればこそ報道のみに踊らされることなく、冷静
幾通りもの視点を持つことが必要。
英語でいうMedia(メディア)とは、Medium(メディアム=中間)
という言葉の複数なのだから。

「半季語」という言葉がある。
 
名づけ親は山本健吉。
例えば春鴉/夏列車/秋空/冬河原といった類のもので、
一般名詞の上に春・夏・秋・冬を冠して季語にしたも
のをいう。
中には、お手軽 or 無理やりという感の免れないものも多い。
 
また、本来は別の「季」のものに春・夏・秋・冬を乗せて時期を
換える季語もある。いうならば「言換え季語」。
春ショール/春炬燵/秋団扇秋日傘/冬霞・・・の類である。
こちらのほうは、本来の季語とは異なる微妙な季感表現してい
て好きな季語もある。
 
いずれにしても「半季語」にしろ「言換え季語」にしろ、春・夏・
秋・冬を冠した句が続くと単調になりがち。
お手軽季語の甘い罠にはまらないようにしなくては、と自戒して
いる。
 
 夕暮れを折つて仕舞ひぬ秋日傘  十志夫(2016年) 
 
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写真は句友Oさん。
4月の牡丹吟行の時の御召し物だから「春日傘」です

 
おそらく今日の花見の席には、タブレットを置いてWBCの決勝戦
を見ているグループも多かっただろう
 
    花茣蓙の酒宴をゆらす大歓声     十志夫  
 
開花宣言が出てから一番の花見日和は今日まで。
今週末は、いわゆる「菜種梅雨」という生憎の空模様になりそうだ。
 
早稲田句会のメンバーと吟行を予定している土曜日も、今のところ
雨模様との予想である。WBC優勝の美酒を味わいたいと思って
いたのだが・・・。
 
「俳句には生憎という言葉はない」と言ったのは「畦」創刊主宰の
上田五千石氏。 
雨なら雨の句を詠め、ということなのだろう。
「花の雨」のオンパレードになるやも・・・(@^^)/~~~
 
 

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