セカセカさんのイラスト

ほんわか、ふんわかと、徒然なるままに、気分の赴くままにイラストを描いています。 みてみ亭などイラスト投稿しています。 夢見る少女のなれの果て、オバチャンのイラストです。

台風18号

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すごい雨です。

だんだんひどくなります。こわいなぁ…

明日は午後から止むらしいけれど、被害が出ませんように。

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一晩経って、雨が止まない。至る所特別警報です。

近くの山科川がどうなっているか心配、写真を撮りに行きました。

9月16日午前7時55分頃の写真です。
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これは今年の3月の山科川
これで増水がわかるわね〜、こわ!

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この川では見たことがない水のうねり

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これがもう一日降るとあふれそうだ@@;

渡月橋
渡月橋、こんなの初めて見ました。

皆さんの所、大丈夫ですかぁ〜?



赤とんぼ

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赤とんぼを描いてみました。

稲の上をたくさん飛んでいます。稲を描くのが難しかった〜

赤とんぼの歌がありました。

♪夕焼け小焼けの赤とんぼ

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なぜか我が家に居着いたノラ猫

この周辺、猫が多く、以前は我が家のプランターをトイレと心得、糞を一杯しておりました(>_<)

アジサイの葉の側にいたり、車の周辺のコンクリートの上にいます。

餌はやっていません。やるとご近所に迷惑がかかります。

ただ、車の下が涼しいのか

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もぐっております。

以前は私の姿を見ると逃げていましたが、今は逃げない。

写真を撮っても逃げません^^

purieta
プリエッタ、最盛です。


今日は蒸し暑い。

週末は曇り空のようで

また、台風が来ないと良いけれど。

竜巻やらゲリラ豪雨やら、来ないように頼みます。

日曜日は母の施設の敬老模擬店、また暑いだろうなぁ〜

9月になりました

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秋のイラストが描けなくて、まだ夏のイラスト。

ひまわりですが、一応、描いたのでアップ^^;


怖い気候です。いきなり雨が降ったと思うと、すぐに止む。

雷も鳴ったりして、台風はどうなったかと思えば温帯低気圧になっている。

涼しいのか蒸し暑いのか、その両方で、動くと汗ばむ。

年を取ると現実感が乏しくなっていくらしい。

「現実感が乏しくなった分、何かが濃くなる」と、本で読む。

魂の分野かも、と思いながら、夏の終わりにさしかかっていく。

今年も夏が終わり、秋がやってくるのかと思うが、この気候で季節感がなくなっていく。

夏の次は冬という感じになって

四季の移ろいがわかりにくい。

明治天皇(四) おまけ

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「資料不足を補うため、キーンさんが目を付けたのが明治天皇の作成した和歌である。

手紙や日記を書かないい反面、明治天皇は詩歌を愛し、自分の感情をしばしば和歌をとおして表現した。とくによく知られているのは、日露戦争開戦の時に詠った和歌で、


四方(よも)の海、みな同胞(はらから)と思ふ世に、など波風の立ち騒ぐらん」


これは昭和天皇が太平洋戦争前夜に引用したことでも有名。


四方の海は、みな仲間と思うのに、なぜ波風が立って騒ぐのだろう

いちいち意味を書かなくても分かる詩歌。

こんな歌を詠んでないで、なぜ止めてくれなかった〜〜!
国民感情は戦争へと高まっていた。

それは日清、日露戦争も同じだった。
そして大東亜戦争も。

でも、「東京の奴らが勝手に戦争始めやがって」と、関西のおっちゃんたちは言っていたそうですわ。

誰も好きで戦争に行くんじゃない、行かないと殴られてコロされて

それが嫌で行ったんでしょう。

戦争への意識が高まっていたのは政治家と軍部だけでしょう。

普通の庶民は不安感と危機感だけ。

70年近く戦争せずに済んだのは9条のお陰と思っている。

改憲は改悪です。


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朝顔見てると、清々しいが

四方の海は騒がしい。

願わくば、この辺で収まってくれ〜〜!

徒に反感を煽ってくれるな、政治家さん。

明治天皇(四)

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全四巻、読み終えました。

天皇の顔が見えてこない、その人間性が見えてこない。

明治天皇紀から引用した部分が多く、誰かが見るだろうと意識して書かれたものは、天皇の良い部分しか書かれていない。

どんなに禁欲的であったかとか、思いやりがあったとか。
そんなことが書かれていました。

例えば、日露戦争時、寒い所で冬服が間に合わず、夏服で戦っていた日本兵を思い、広島にいた天皇は決して暖房を使わなかったと。

西園寺公望に
「朕(ちん)は京都が好きである。ゆえに京都に参らぬ」と語ったとか。

生母の中山慶子(よしこ)が亡くなった時も、葬儀に行っても誰も非難しないだろうに、行きたくても身分の低い人の葬儀は、生母であっても行かなかった。

そんなにまで禁欲であっても誰が褒めるかしら?

かと思えば、酒好きで運動不足、糖尿病であったらしい。

中年以降は肥満になり、節制が出来ていないんじゃない?

これが禁欲的か?ちょっと矛盾している。

尿毒症になり、直接の死因は心臓麻痺だったそうです。

亡くなる前

「どうもわしが死んだら世の中はどうなるのであらう。もうわしは死にたい」と。

凡人は、死ぬ前は世の中のことなど、どうも思わないのか思うのか?


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侍従、日野西資博(すけひろ)の回想によれば

「どうも永く奉仕を致してをりましたが、その間に極端に御喜びになったり、極端に御憂ひになったといふことは伺ひませぬやうに存じてをりますでございます…」

日野西が勇気を奮い起こして伊藤博文(天皇が信頼していた総理)暗殺の報せを天皇に報告したのは、暗殺から2、3日たってのことだった。しかし、最も信頼すべき大臣が暗殺されたと知った時、天皇は「うん」とだけ応えたのだった。

憲法会議に出席中、天皇は猷仁(みちひと)親王の死を知らされた。天皇は「むう、むう」と頷き、会議はそのまま続行された。
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↑ これらは、昭和天皇にも共通することで、万世一系の天皇としての自覚がそうさせたのか?

↓本文から抜粋

地方巡幸中も、今通り過ぎている国を統治してきた万世一系の歴代天皇の自分は末裔である、と言う事実を天皇は片時も忘れることはなかった。天皇は古代の「国見」の慣例に従って国の隅々まで検分する義務があると感じていた。自分の祖先たちが作った先例に従うという決意を、天皇は一瞬たりともおろそかにしたことがなかった。天皇は細心の注意を払い、ひたすら祖先たちの目から見て恥じない行動をするよう努めた。

同様にして天皇は、巡幸中に出会った人びと全てを自分の「臣民」として受け入れた。天皇は東京に初めて行幸する時まで、おそらく農夫や漁夫が働いている姿を見たことがなかった。しかし彼らを初めて見た時、天皇はそれが自分の臣民であることがわかった。天皇は平安朝の貴族がそうしたように、彼らのことを人間以下の卑賤の者とは考えなかった。天皇は一般庶民の娯楽である曲馬団や競馬、花火大会を彼らと共に楽しむことをいとわなかった。時には巡幸中、彼らの質素な食事を共にしたこともあった


上記など、まったく優しいカミサマか、キリストさんかという感じがする。


さて、天皇の宗教は

「めったに神社を訪れることはなかった。京都に戻った時も天皇が参拝したのは父孝明天皇の陵墓であり、神社ではなかった。天皇の信仰は神道と言うよりは、むしろ祖先崇拝だった」

ほお〜〜、国民の一部だけですか、神道信仰は。

「また天皇は常に自分自身のためには金を使いたがらなかったようで、それは例えば継ぎを当てた軍服の話が証明している。」

つぎあての軍服、質素倹約に努められました。
今の皇室もそれを引き継いで、華美になるということはなさそう。

天皇の正式に受けた学問は、主として元田永孚(ながざね)が進講した儒教。これは天皇が30代まで続いたそうです。


たった一回、感情を爆発させたのは天皇の晩年

久留米の大演習の時、天皇は誰の目にも疲れがひどく、三田尻からの帰途
「名古屋までの汽車の揺れが天皇の気に障ったことがあった。天皇は汽車が早く走りすぎるとして、それを運転手の不手際のせいにした。「もっとゆっくりやらせ」と不平を述べた。供奉していた北条侍従は、汽車は普通野速力で走っていると申し上げた。これに天皇は鋭く反応し「お前は鉄道の肩を持つ」と叱った。

結局速度を落としたため、汽車は一時間近く遅れて名古屋に到着したそうです。
天皇がこのように感情を爆発させたのは、実に珍しいことだったそうです。

「天皇はなにをするにしても肉体的苦痛に耐えたし、それを側近の者たちに気取られないように努めた。夏の暑さや冬の寒さを気にしなかったように、天皇は苦痛を禁欲的に受け入れた」

天皇の顔が見えてこない。

でも、皇室は菊のカーテンの向こうにいらしてください。

開かれた皇室になる必要はないと思っています。



戦後の天皇と明治天皇は、現人神と人間との違いですね。
もう神格化はないけれど

明治天皇崩御の時には、大勢の日本人が泣いたとか。時代が時代でした。
天皇は時代と共に変わっていくのか。日本人も変わるのか。

http://www5a.biglobe.ne.jp/~t-senoo/Sensou/kaiken/sub_kaiken.html
「敗戦から1年余りの昭和21年11月3日、それまでの大日本帝国憲法に代わって、GHQの改正案を元に政府が手を加えて、日本国憲法が公布された。その第1条にこう書かれている。『天皇は日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、その地位は主権の存する日本国民の総意に基づく』。」

そうだ、象徴で良い。

施設の盆踊り大会

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アサガオのイラスト〜

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8月17日(土) 母の施設の盆踊り大会でした。

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職員さんも浴衣姿で可愛い〜

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小さな女の子、ご家族かな?

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職員さんがお婆さんに話しかけておられます。

この職員さんが、母を屋上まで連れてきて下さいました。ありがとう〜


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懐かしいヨーヨー

時折涼しい風が吹いて、蒸し暑くなくて、良かったです。

明治天皇(三)

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明治天皇の三巻を読み終えました。

とにかく!

宮中祭祀にはあまり興味が無く、中止にすることが多い天皇だったようで

その代わり、政治には興味を持たれ、いろいろなご決断をされたようです。

伊藤博文を信頼し、彼が内閣総理大臣の間は、いろんなことを相談していました。

がっ!

他の政治家は「病気」と称して、嫌なことは逃げることが多い。

天皇そのたびに困る。

たまに怒る。


割合、平和主義な天皇だったようです。
賢者を出した国との日清戦争もあまりしたくない様子だったし

明治維新を生き抜いた一人の天皇、明治天皇
照憲皇后には優しい夫だったようです。

側室とは単に世継ぎを産んでもらうというだけのおつきあい

それにしても側室が産んだ大勢の子供たち、早世してしまい、男子で残ったのは大正天皇だけ。
この天皇が病気がち、非常に心配されていたようです。

人間、明治天皇、真面目で融通の利かない人だったように思えます。

いやはや、皇室は大変です。こうして千年続いてきたのですねぇ。

次、四巻行きます。

明治天皇(二) その2

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明治天皇、傾聴に値する論評があります。

明治維新はすんなり行ったわけではなく、いつの時代も変革期には混乱があります。
しかし、革命にまでは到っていない所が日本の不思議な所。

そんなとき、明治天皇曰く

「大臣や参議は維新の際の功労、軍功が大きいとはいえ、政治について心得があるわけではない。なにも政治に秀でた人物を登用したわけではないから、今日に到って内閣が難渋するのは当然のことである。いずれ真の政治家が内閣に加わることを期待するよりほかはない。しかしこれも時勢の然(しか)らしむところであるから、しばし時機が熟するのを待って対処するしかあるまい」(明治天皇紀第五巻319ページ)

薩長藩がほとんどの政治家たち、維新の際によく働いたと言うだけ。不平士族もいて、西南戦争まで勃発し、内乱もあった時代です。

確かに傾聴に値する論評ではあります。


そして伊藤博文は、天皇の将来の役割について深く憂慮していたそうです。

「外債募集、及び地租米納論を否定した天皇の裁断は、もはや受動的、象徴的役割に止まることなく自ら重大な決定に積極的に関わりたいという天皇の意思の表明ではないか、

伊藤が恐れたのは、このことが政治責任問題の発生や天皇制の是非を問う論議にまで発展するのではないかということだった。伊藤の考えでは、天皇はあくまで天皇を補弼(ほひつ)する内閣の象徴的な指導者としての役割を演じることが望ましかった。

特に伊藤は、政治的責任のない宮中派が天皇を通じて影響力を振るうことを心配した。

それは内閣の国家運営の不安定につながるだけだ、と伊藤は考えた」


面白いね〜〜

天皇は当時、国民みんなが畏れる存在、この人の影響力はスゴイのだ。

天皇制が千年以上続いたというのは、政治利用も大きかったけれど、もちつ持たれつの面もあったように思うのだけれどね〜。

板垣退助、後藤象二郎を目的もなく外遊させ、当時の自由党をバラバラにした政府のやり方も面白い。

自由党は、政府側としては面白くない存在であったようで、よくもこの二人をふぬけにしたもんだ。

でも、動きは止められず、二年後にはまた復活したようではあるが〜


さて、二巻読了。

これから三巻を借りに行ってきます^^v

長座布団

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ガクアジサイを描いてみました。


長座布団を作ったんです。

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これを四枚、ほどきまして、綿を取り出しました。

出来上がったのが

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これは、私の長座布団

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夫の長座布団

これを作るまでは、袋の中に2枚、座布団を入れていました。

でも、途切れてしまい、使い勝手が悪かったのです。

それで百均の布を買いに行き、家にある余り布で、苦肉の策。

まあまあ、可愛いでしょう?

カバーも百均の布で作りました。座布団カバーを変えると、部屋の雰囲気が変わります。

これに寝転び、本を読んだり、お昼寝したり〜♪

ものぐさです…^^;

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明治天皇は酒好きで乗馬好き。側近に諫められるほどのことであったらしい。

西南戦争の傷病兵を見舞い、みんなが正座しかけると、「寝たままで良い」と言われ、傷病兵は感泣。

「痛みは取れたか」と聞かれ、傷を触ってもらい、傷病兵は感泣。

感泣、感泣、感泣………

慈愛にあふれた天皇のイメージが出来上がり。

でも、明治天皇も大変だったのね、明治天皇って、どんな人だったんだろう?

イメージは書物による物、人間である明治天皇は?

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川沿いにはムクゲが咲き出しました。

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良い香りがするクチナシも咲いています。

夏がやってきますね。

梅ジュース

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アジサイを描いてみました。

暑くなりました。

吉利俱八幡宮に写真を撮りに行きましたが、暑くて頭もぼーっとしてます。

umezyusu
梅ジュースを15日に作りました。

作ったのは久しぶりです。

以前作ったのが平成18年6月@@;

ずいぶん作っていなかったのね〜

というか、飲み忘れです。

今度は飲むよ〜(本当?)

6月16日カエルのコピー
カエルがいるのは珍しくないのですが、こんな色のカエルは珍しいです。

アジサイのピンクが薄く染まったような色です。保護色なのかな〜?

去年、真っ白なカエルを見たけれど、アルビノという病気のカエルでした。

色んなカエルがいて面白いです。

今も田んぼで大合唱しています^^
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