セカセカさんのイラスト

ほんわか、ふんわかと、徒然なるままに、気分の赴くままにイラストを描いています。 みてみ亭などイラスト投稿しています。 夢見る少女のなれの果て、オバチャンのイラストです。

2008年12月

ありがとう

bd95e8b5.jpg私達は、言葉を使って多くの人とコミュニケーションを取ります。

米国のコミュニケーションの研究者、レイ・L・バードウィステルによると、言葉によって伝えられるメッセージは全体の35%だそうです。

残りの65%は、話しぶり動作ジェスチャー相手との間の取り方など、言葉以外の手段によって伝えられるということだそうです。

目だけでなく、手や足も口ほどに物を言うそうで、一挙一動、普段の動作が自分自身を物語っているそうです。

では、ブログは? 文字によるコミュニケーションですね。
相手の顔も分からない、感情も分かりにくい、表情も動作も何も分かりません。
文字だけ読んでも、笑いながら書いておられるのか、少々疑問に思いながら書いておられるのか? 分からないことは多いです。

でも、長らくお付き合いをしていると、どんな方だろう? 楽しいブログだな、落ち着いた方だな、優しい文章だな、花や自然の写真が綺麗だな、冗談が上手だけど、難しいことを考えておられるな、ユーモアがあるな…、などなど、私なりに想像しておりました。

想像の域を出ないのですが、コメントやメールはとても嬉しかったです。
今年は社会的にも大きな変化があり、ブログも理屈をこねたようになったこともあり、それでもコメントを頂いて、私なりに考えさせられることは多かったです。私は皆さんのコメントを、いつも嬉しく拝見しています。

ニコニコ笑っていると思っていてくださいね。

時には頂いたコメントに、真剣に考えることもできて、まじめな顔をしていたこともありますが、とても有意義でした。

さて、今年もあと数日です。
コメントやメールを下さった方、読み逃げの方も、みなさん、ありがとう!!

良いお年をお迎え下さいね。

また面倒な記事を書いて、コメント入れるの面倒だ〜〜、という方のために
コメント欄を閉じますね。(爆)

《独り言》
今年も週に1回、かかさず母のところに行けて良かった…
来年は1月1日に行く予定。年末は忙しいし、行けそうにない。
1日は行くぞ〜、行けるかな?

違いすぎる女

9151b946.jpgそりゃ、当たり前です。瀬戸内寂聴さんのことですから。

この方は、今は仏様に帰依されておられますが、過去に夫と娘を捨てて別の男性と暮らした人です。
不思議に思うのは、こんなことをしておきながら、何故今、人前で青空説法をしたり、人生相談などをできたりするのか? 「あまり次々男性を変えない方が良いですよ、あまり変えると最後は尼になります」などと冗談まで言えるのか?

偏見はいけないと、「ひとりでも生きられる」という1978年第一刷(今から30年前、寂聴さんが58歳の時)の本を読みました。
結婚したのは1回のみで、あとは数人の男性と同棲という形を取られます。もちろんその中にも妻帯者もおられました。

「妻の座という物に魅力も感じず、結婚の一夫一婦制に疑問を持ち、世間の夫婦をみまわしても心底から羨ましいと思えるような家庭もなかった」
戦後の時代を先取りした、新しい女性というイメージです。

寂聴さんは情熱が一杯で、絶えず誰かを好きにならずにいられなかったという感想を持ちました。普通の人より大きなエネルギーがある人なのでしょう。数人の男性の中から精神的なものを吸収して小説を書いていかれたという感じがします。ご本人も書いておられましたが「男性的思考」であったということでしょう。

しかし、結婚に情熱など存在しないのが当たり前。寂聴さんは、何人もの男性を愛したということですが、愛と情熱を混同されてるのではないか? 情熱など、いつまでも持続すれば疲れて仕方がない。(笑) 情熱が消えたときに、初めて「愛」なるものを育てていくのが結婚ではないのか? それができないなら、結婚しない方が良いだろうなと思いました。だから2番目の男性からは、籍など入れず、同棲という形を取られたのです。

どうもこの方は、罪深い女のような気がして仕方がない。こんな生き方は小説を書けるという経済力があってこそできることであって、普通の女たちにはとても出来ることではありません。普通は我が身の分際をわきまえて、自分の器で生きるしかない。

夫の浮気で苦しんでいる女性も多いし、もはや愛などという気持ちも消え失せ、「『今さら離婚しても損だから― 子供が可哀想だから― 夫の財産だと、対して金も取れないから―』と、まったく味気ない実利的な問題に落ち着くのがオチである。」

確かになあ… 女が離婚となれば、寂聴さんのように小説が書けるか、漫画家になるか、医師か看護師か、教師か、専門職であるか、または親の援助を受けられる女性でしょう。

寂聴さんを羨ましいと思う部分もありますが、平凡な私よりもはるかに苦しい思いもして、次々と男性と関わり、相手の妻も傷つけ、まして、たった一人の娘も捨て、小説を書いて成長したいという自分の「エゴ」を通して生きていった人です。もちろんそれ以上に出会いは素晴らしかったし、得た物は大きかったと言い切れる人です。

少し前の新聞記事ですが、性格の不一致で離婚調停をした裁判官が、妻の希望は「経済力がなく、子供を育てることが出来ない」ので、夫に親権を与えるということにしようとした。その判決を出す日、二人の小さな子供が訳も分からないはずなのに、察知したのか、「お母さん、行かないで」と泣き出したのを見て、これに強いショックを受け、親権を母親に与え、父親には養育費を出すように説得した話しがありました。

普通なら、子供を置いて、夫以外の男性に走るなど、まず、出来ない人の方が多いでしょう。
少数ながら、おられるのは知っていますが。

若い頃なら、寂聴さんのような女性はとても受け入れることなど出来ませんでした。
でも、今はこんな人がいてもいいかな、などと思っています。情熱がなければ生きていけない人だったのです。自分は成長したくて仕方なかった人です。自分のエゴを通し抜けた人です。その分、大きな犠牲も払われ、様々な批判も受けられました。

社会的には成功した人ではありますが、多くの人を、ましてや愛すべき家族を傷つけた人です。しかし、寂聴さんが、男性なら何の文句も出ないでしょう。女はこうあるべきという固定観念で考えるのは間違っているのでしょう。

あまり好きにはなれない人ではありますが、生き方としてはすごい。
寂聴さんに感化された女性も多いことでしょう。女性の皆さん、少しは寂聴さんのエネルギーが欲しい? 如何?

私はこんなエネルギーもありませんし、何より、男性にもてません。(笑)
比較するのもおかしい。違いすぎる女です。


以下、寂聴さんの略歴 ウィキペディアの引用
寂聴さんは1973年に今春聴(今東光)大僧正の導きにより中尊寺にて天台宗で得度されました。
翌年、比叡山で60日間の行を経て、京都嵯峨野で寂庵と名付けた庵に住まれています。

中略

麻薬で逮捕された萩原健一の更生に尽くしたことや、徳島ラジオ商殺し事件の再審支援などの活動でも有名。山岳ベース事件等で死刑判決を受けた永田洋子とは、永田が獄中で出家して瀬戸内に手紙を書いたことから文通し、控訴審でも証人となったそうです。連続ピストル射殺事件で死刑執行された永山則夫とも親交があり、死刑廃止論者。また、脳死による臓器移植にも反対。1991年2月に湾岸戦争の停戦を祈って7日間の断食を行い、4月には救援カンパと故郷徳島の大塚製薬寄付の薬を持ってイラク訪問。同時多発テロの報復攻撃にも抗議し、短期間のハンガーストライキを決行されました。

師走 雑感

eefd3213.jpgお掃除モードもボツボツ… 合間に仕事もボツボツ…
ちょっとしたつぶやきです。

その1 

在宅介護の頃、「寒いやろ」と言いながら扇風機を持ってきた認知症の母も、老人ホームで12日に82歳になりました。先日、長男と一緒に行ってきました。孫を見て大喜び。孫の名前は言えないけれど、一番可愛がった孫を見て、「どんぐりコロコロ」と歌い出しました。長男が2歳の頃、お婆ちゃんが歌ってくれるのを覚え、初めて歌った歌です。

その2

夫教などと言い出したものだから、すっかり教祖モードになってしまった我が亭主。
生活費が入っている袋から、「お布施もらっていくぞ」と言いながら、仕事に行きました。教祖様、よろしくお願いします。あなたのおかげで生きております。元気でいてね。

その3

久し振りに長男に出会ったけれど…
「お布団にカビが生えた」などと言うので、ギョッ!!
そのお布団を取りに行き、新しいお布団と交換しました。ゴミだらけの家の中に入ることは出来ず、よくぞここまで汚したな〜! というお布団をゴミに出すため持って帰りながら、
「こんな息子に、誰が育てた?!」   すみません…

その4

田母神さんの論文を、私は知りません。
でも「日本だけが侵略国家じゃない」という一文のみを取り上げると、

何を今さら、当たり前〜〜♪

戦争は、みんなが他国を侵略しているものなんだと思います。
植民地政策も侵略だし、悲しいけれど、人間は人間を駆逐して生きてきた歴史があります。そして日本は無条件降伏をしたのだから、戦勝国が歴史認識を作っていくのも仕方のないこと。
永世中立国のスイスも軍備を持っているのだから、日本の自衛隊、災害救助なども行って下さるので、綺麗事は言いません。

ただ、憲法9条を守ってくださいね。

政治家の皆さん、その辺の微妙なバランス、よろしくお願いします。

戦争はいけないよ。結局、言いたかったのは、これ。

神さま仏さまPart2

9c1099d0.jpgさて、前回の記事では日本人の宗教観について書きました。

こんな事を考えるのは、よほどの暇人か、オタクか、学者さんですね。私は暇人の部類です。

神教に関しては、自然に関するカミサマ(火の神、水の神、その他色々)が多いことから、どうやらアニミズムにも関連しているな? と、独断と偏見の考えも出てきました。
それに日本語には季語も多いでしょ。

クリスマス(キリスト教)はイルミネーションを楽しんでいるだけ。その後の除夜の鐘は仏教から、お正月のお参り、注連飾り、門松は神教から…
年賀状は? これはお公家さんの挨拶状から始まったようで、宗教は関係なさそうです。

他には、
お盆、四十九日、一周忌、三回忌…(仏教)→亡くなってからの行事
安産祈願、お宮参り、七五三、合格祈願、各種お祓い…(神教)→生きている間の行事

たくさんありますよね〜、これだけあれば、やはり生活の中に入り込んでいるとは思います。

私個人は、それらの神さま仏さまを信仰しているわけではない。

宗教なんて、何でも良いのだと思っています。

生活する上で、取捨選択して利用しているだけということになります。

でも無宗教と断定もできない。お参りして手を合わせることもありますから。

ならば、私は 「あいまいな日本人」 というのがぴったり。

あいまいな文化、あいまいな態度、あいまいな○○…

風見鶏のように、あちらこちらの様子を見ながら自分の位置を考える、という生き方。

これ、日本の国の生き方そのものではありませんかしら?

こんな風に考えられるのは、日本が平和と言うことでしょう。


以前、四国のお遍路に6番まで行ったことがあります。

その時、同行のお坊様が、
「もしも、あなたがお寺の大きな石や石塔、何気なくあるお地蔵様、石仏、観音像など、それらに、ふと目が行ったとき、それはあなたが気が付いたのではなく、あなたがそれらに呼び止められているのです。だから、その時はじっくりと見つめてください」
と言われました。

近くの神社の狛犬に目が止まり、それについて質問し、いろんなことを教えていただき、こんな記事まで書きました。

もしかしたら、あの時、狛犬に呼び止められたのか?
(こんな風に考える私を笑ってね)
その後、近くの神社にある木製高麗狛(弘長二年のもの)にまで行き当たりました。木製なので、どこかに隠してあります。隠してあると見たくなる…

御利益ありますように。(この辺が、ちゃっかりしてるよね。)


先日、夫教なるものを勝手に考え出してから

夫が、お布施、お布施と言うものだから、紅白のノシ袋に「お布施」と書いて
「妻から」、と書いたら、なぜか「毒から」という文字に見えました。
その中に、千円入れて、「おたばこ代」と裏に書いたら

「お布施が少ない!」と言われました。


そりゃね…



みなさん、師走になり、お忙しいことと思います。今年もあと一カ月もありません。

今年はどんな年でしたか〜〜?

気が滅入るような世相ではありますが、人間はしたたかなもので、自らを励まし、ほがらかになろうという元気、そんなものを持ち合わせていたいとも思います。

みなさんに、楽しいクリスマスと、よいお正月が迎えられますように。
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