セカセカさんのイラスト

ほんわか、ふんわかと、徒然なるままに、気分の赴くままにイラストを描いています。 みてみ亭などイラスト投稿しています。 夢見る少女のなれの果て、オバチャンのイラストです。

2010年11月

勝持寺

もみじ2のコピーいや~、たまにはイラストを描かんと、描き方忘れますわ。

ほんまに京都はよろしおすな~、こんだけ穴場があるんやし、渋滞がかなわんのでお見せしとうなかったんですけど、ここは太っ腹、お見せしますえ。(もう飽きた、という声も聞こえそう^^;)



勝持寺1勝持寺山門。一番最初の「京都の穴場」大原野神社から歩いて数分ほどです。



勝持寺は白鳳8年(680)天武天皇の勅によって神変大菩薩役の行者が創建したのが始まりだそうです。

勝持寺5拝観料400円を払い、ワッと目に入ってきたのがこの景色。本物をお見せできないのが残念。紅葉が素敵で本堂の写真を撮り忘れました。ここの仏像、撮影禁止。でも仏像もわっと来ました、ワッと。



勝持寺3不動堂。弘法大師が平安の始め、眼病に悩む人たちのため、不動明王に病魔退散を祈願されたところだそうです。



勝持寺西行桜西行桜です。西行法師が勝持寺において出家したそうです。一株の桜を植えて吟愛したとか。世人はその桜を西行桜と称し、寺を花の寺と呼ぶようになりました。(パンフより)。
春にも来たいところ。



魚籃観音魚籃観音(ぎょらんかんのん)。魚の観音様だとか。





勝持寺6境内です。こぢんまりしたお寺ですが、紅葉はとても多いです。





勝持寺7お弁当食べながら、こんな紅葉を見ましたよ♪







勝持寺8紅葉を堪能。西行桜を見たいので、春にも来たいけれど、駐車場(400円)は観光バスが来てたのです。穴場じゃないやん…

でも、ここはお勧めスポットです。大原野神社の駐車場に車を置いて、正法寺、勝持寺と三カ所見られます。人は多いけど清水寺、大原三千院ほどではないと思います。続きを読む

紅葉・番外編

三井寺1さて、ここは何処でしょう?
阿弥陀寺から滋賀県に行き、お弁当を食べて京都に戻ってきても午後1時半。

「帰るのはまだ早い! 今日は私の誕生日でしょ! あんた、私の夫やろ! 夫やったら妻を愛してるやろ! 愛してたら、たとえ火の中水の中、何処だって行くやろ? それとも、もう愛してないのか? そんな冷たい夫やったんか〜?」

セカセカ教祖を脅迫し、笑い続ける教祖をアッシー君に、行った先は滋賀県の三井寺。人はそこそこ多かったけど、京都ほどではありません。駐車場にも余裕あり。広いお寺でした。ここも良かったよ〜



三井寺2金堂でございますよ。



三井寺3少し後ろに三重塔が見えます。



三井寺5三井晩鐘です。初めて見ましたが有名な晩鐘だと知りませんでした(汗)^^;
近江八景の「三井の晩鐘」として知られる梵鐘だそうです。



三井寺6こんな所を歩いて観音堂へ行きました。広いお寺です。



三井寺8途中に毘沙門堂がありました。



三井寺9観音堂です。振り返れば琵琶湖が見えましたよ。写真は後で。



三井寺10観音堂の階段を上がると、真っ赤な紅葉。
明治天皇がお座りになった所だとか。



三井寺11琵琶湖が見えますが、ビルが一杯。明治天皇が見られたときは、もっと綺麗だったでしょうね。



三井寺13大津駅前では、昔そろばんを作っていたとか。今では作っていないそうです。(セカセカ教祖いわく)



三井寺14空を見上げると、こんな紅葉〜♪

さて、次はとっておきの写真。

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京都の穴場3

大原京都〜大原三千院〜恋に疲れた女が一人〜♪
などという歌がありました。
恋にぜ〜んぜん、疲れていないオッサンとオバサンが二人、この大原(車窓から撮影)を素通り。大原のまだ奥、阿弥陀寺に行きました。



阿弥陀寺2この中国風の玄関、誰もいないようで、私と同じように写真を撮っている人が、周辺に数人いるのです。

「どこが穴場じゃ?」と、セカセカ教祖が言うとおり、すでに駐車場(無料)には5、6台の車がありました。ナンバープレートは、湘南、尾張小牧、名古屋…

知る人ぞ知る、知らない人は知らないという秘境のお寺のはずだったのに。やはり、ネットの威力ですね。ブツブツ…




阿弥陀寺3こんな薄暗い山道を歩くこと、十数分。ひんやりしていましたが、



阿弥陀寺4拝観料を300円払い、お庭に入りました。



阿弥陀寺5本殿



阿弥陀寺6私がとても好きな景色です。



阿弥陀寺7阿弥陀寺を開基した弾誓(たんぜい)上人の石廟です。石棺の真下に掘ってある二重の石龕(せきがん)に生きながら入られ「ミイラ仏」となられました。

阿弥陀寺は慶長14年(1609)、弾誓上人が開基された妙法念仏の道場です。弾誓上人は尾張国海辺村に生まれたそうで、9歳で出家、苦行修練をされ、佐渡島、信濃国、そして最後の修業の地この大原古知谷に赴任、山中深く分け入り、岩穴に住み、念仏三昧の日々を送りました。近江国伊香立村の人たちのご縁で、この地に一寺を建立、ご本尊は上人が求め続けた人間としての理想像を草刈り鎌にて刻み、自身の頭髪を植え、これを本尊として本堂に安置、寺の名を「光明山法国院阿弥陀寺」と付けました。

弾誓上人は阿弥陀寺に四年在住、慶長18年(1613)5月23日、62歳で入定(パンフより)



阿弥陀寺8本殿から見た庭です。



阿弥陀寺10ご本尊の阿弥陀さま。
神さま 仏さま 阿弥陀さま〜!



阿弥陀寺11石仏



そして、山を下り、駐車場に戻ると車はどんどん増えてきました。

どこが穴場じゃ!

そして大原を超え、滋賀県の途中町から鯖街道に入りました。



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京都の穴場2

金蔵寺1備忘記録です。興味のない方スルーしてね。
京都の西、正法寺から車で山奥を2.7キロほど走り、こんな所にお寺があるの〜?、というところにあったのが金蔵寺(こんぞうじ)です。
車を降り、こんな山道を歩きます。けっこうきつかったよ〜^^;




金蔵寺2ようやくたどり着いたのが、金蔵寺の山門。なんだか雰囲気のあるお寺のようで〜




金蔵寺9さて、この階段を上がっていくと、上の方に赤々とした紅葉が見えます。ワクワク…




金蔵寺の説明HPから

「奈良時代初期の養老2年(718)、天正天皇の勅命により隆豊(りゅうほう)禅師により創建したとされる。その後、神亀5年(728)には聖武天皇から「金蔵寺」の勅額を賜り、さらに翌年には天皇が各地の霊山に「華厳・普門品」など経典を書写して埋めたときの一つの山に選ばれている。」

山号西岩倉山とも言い、戦火などにより再建を幾度となく繰り返す歴史を辿って荒廃。江戸時代前期の貞亨(じょうきょう)4年(1687)から宝永2年(1705)の間、徳川幕府五代将軍徳川綱吉の母、桂昌院によって再建されたのが現在の伽藍だそうです。



金蔵寺8階段を上がると、こんな景色が見えました。みごとな紅葉! ご本尊は千手観音です。



金蔵寺3これ、けっこうお気に入りの写真。黄色が多いですね。



金蔵寺7ご本尊の横の弘法大師像のようです。編み笠の上に乗る紅葉がまたいいですね。



金蔵寺5境内に降りれば掃除をしている小坊主さんの像がありました。一休さんみたいで可愛いです。




金蔵寺4小坊主さんの像の後ろを振り返れば、燃えるような紅葉。^^v



金蔵寺6境内から少し降りてみれば、蔵がありました。ホッと落ち着くような景色です。





金蔵寺10再び境内に上がり、休憩。目の前の紅葉を撮ってみました。



金蔵寺子猫ニャンニャンと、泣く声がするので、行って見れば子猫ちゃん。なんで、こんなところに子猫がいるの?
手を出すと遊んでくれました。里親捜ししているとか?
だれかいりませんか〜?

というわけで、この日は三カ所の紅葉巡りです。

最近はあまり外出もしていなかったのですが、小春日和に紅葉を愛でるのはいいものですね。私だけでなく、みなさんそうですが、自然の移り変わりの美しさを感じますよね。

いや、ほんまに、京都はよろしおすわ〜

翌日21日(日)は、穴場の穴場、京都〜大原三千院〜♪を素通り、その奥の「阿弥陀寺」に行きます。ここもすご〜く雰囲気のあるお寺でしたよ〜

もう飽きたって? ま、ま、私の備忘記録なので、興味のある人のみ、ご覧下さいね。

京都の穴場

大原野神社1京都市西京区南春日町の大原野神社です。
私は京都の有名観光地は、ほとんど行きません。観光客の少ない所を探して行きます。紅葉も綺麗になってきたので、今日は私が穴場と思うところを紹介しますね。




大原野神社2観光客が写らないように撮るのは難しい〜〜、人が少ないと思っていきましたが、そこはネットの時代、みんな同じこと考えるのですね。







大原野神社3そやけど、やっぱり京都はよろしおすわ〜








大原野神社4普通、神社は狛犬が多いですが、なぜか鹿が狛犬の代わりにいました。紅葉を食べてるような、ちょっと可愛い鹿でしょ。

大原野神社のHPより

「延歴3年桓武天皇が都を奈良から長岡京(現向日市)に遷されたとき、天皇はしばしば大原野に遊んで鷹を放たれた。藤原氏の人や多くの供奉の人達はこの美しい風景を賞でて氏神春日大社の分霊を遷し祀ることにした。これが当神社の起りである。」

ここ大原野神社は、春日大社の分霊を祀っているということなので、春日大社と言えば鹿。狛犬代わりの鹿なのでしょうね。



大原野神社5猿沢の池を真似て作った池だそうですよ。この景色を見ながらお弁当を食べたのです。美味しかったなぁ〜〜、し あ わ せ ♪






大原野神社6七五三のお参りに来られたご家族です。女の子は可愛い盛りですね。







大原野神社7なぜか茶筅の形をしたものがありました。何の意味があるのか分かりませんでしたが、面白かったので写しました。

まだまだ続きますよ〜。次は正法寺へ
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暇なお話

86bb41aa.jpg中国漁船衝突のビデオ流出など、様々なことは起こってはいますが、ちょっと気分を変えて徒話。

改築中に母の施設に通ったのは、週に一度、それも日曜だけがやっとでした。平日は工事で人の出入りがあり、家を空けられないためです。

すると、母の反応が鈍いような気がしました。私が行ってもあまり反応がないのです。週二回から一回になっただけで刺激が減るのか〜?

でも、先週金曜日の穏やかな暖かい日に、母を散歩に誘うと、「行く」と言うのです。外に出れば気持ちが良いのか、ボランティアで花の世話をして下さる方とバラ談義などしながら

「え〜い、咲いてくれないなら、もう切って捨てるぞ!と言ったとたん、バラが咲き出した」などと話していると、母がそれを聞いて笑います。
意味が分かっているのか〜? でも楽しい雰囲気は伝わるのです。

部屋に戻ると、いつも命令口調のお爺さん(Tさん)のご機嫌が良いのです。突然笑いだされるので

「楽しいことがありましたか?」と聞くと

「あった」

「何が楽しかったですか?」

「仕事帰りの酒は旨い」と、ニコニコ。

きっと、往年の仕事をしていた頃の、ホッとしたひとときが思い出されているのでしょう。

「酒は燗(かん)をしたらアカン、冷や酒が旨い」と、ニコニコ。

高齢の方の様子を見ていると、どうも気候の変化も気分の変調をきたすようです。
気候の変わり目に人が亡くなることを思うと、私たち以上に高齢の方は気象条件の影響を受けやすいのでしょうね。
その日は穏やかな日だったので、他のみなさんも機嫌がよかったようです。


さて、新聞で読んだことですが

夜に消灯すると、

「空襲だ! B29が来る!」と叫んだお爺さんがおられたそうです。突然の消灯で、過去がよみがえったのでしょうね。

でも、若い職員さんは、

「B29って、お笑いグループですか?」と聞かれたそうです。

あはは〜、と笑った人は世代が分かるよ。(私も笑ったけど)
さて、貴方はB29が何だか分かりますか?
私は分かりますよ。

天花粉(てんかふん と入力すれば、ちゃんと変換しました)
シッカロール
ベビーパウダー

様々な言い方がありますが、貴方はどの言い方をされますか?
これも世代が分かりますよね〜
私はどれも分かるよ。母が遠い昔、「天花粉」と、言っておりました。
それが一番懐かしい。  

              ほっこり…

私は中国の国旗を足で踏みつけるような気は起こりません。
畏れ多くも他国の国旗なのです。やはり敬意は表します。
そこまでのナショナリズムって、よく分かりませんね〜。
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ふぅ〜ん

8398b47c.jpg尖閣諸島衝突事件のビデオ流出事件、ふぅ〜ん、という気分。

なるほど、外交は力関係ね。これ分かります。
9月12日、中国の戴秉国(たいへいこく)・国務委員(=副首相級)との会談で

「衝突事件のビデオ流出を公開しない」
「仲井真弘多(沖縄県)知事の尖閣諸島視察を中止してもらいたい」

この二点の要求に仙石さんは応じたらしい。(らしいというのは、あくまで新聞記事なので)

この会談で戴氏と出会ったのは、外務省職員ではありません。仙石氏が日本企業の対中進出に携わる民間コンサルタントで、長く親交のある篠原氏に中国への橋渡しを依頼、民主党の細野豪志前幹事長代理の訪中が実現したそうです。

どうやら官邸、外務省、与党バラバラのようで。

しかし、まあ893さん(政治家なんて893と同じ〜、と夫からの突っ込みあり)のような恐喝に応じざるを得なかった仙石氏、なんか裏取引をしましたか?

海保のどなたかが、ビデオを流出させたということらしいけれど、日本の対応にイライラした海保のどなたか、あなたの気持ちは、すごく、よ〜く分かるので、国民みんな、分かっているので。

犯人捜しなど適当にして、探す格好だけで良いのじゃないの?
ビデオを持っていたのは海保と検察当局だけらしい。
それなら、検察から流出しなかったと言い切れるのかしらね?
あの村木さんの例もあることだし。

犯人捜しなど適当にやって下さいよ。怒ってる振りくらいしておきましょうということにしないと、日本のような弱い国、自己主張できにくくなってるんだし。

思い起こせば、信長、秀吉、家康、みんな賢かったのね〜。
長崎の出島だけでオランダのみと貿易しておかないと、いろんな国から狙われるって、知っていたんじゃないか。

今更鎖国もできないし。
米国保守系シンクタンク「ヘリテージ財団」(長いですね、こんな財団、あったんだ〜)のディーン・チェン研究員は、
「日本は政治的に非常に脆弱であることが(尖閣事件で)露呈した」と指摘されたそうですが、ごもっとも。

民主党が政権を取る以前から、自民党の総理が三人代わり(あの酩酊会見も忘れられない〜)、民主党政権になってからも妙な政策ばかりのゴタゴタは続き、普天間でもめ、総理もまた代わり、これだけ政治的に脆弱であれば、中国やロシアから「これ幸い、チャンスです」と、付け入れられても仕方ない。外交は最初に国防ありきなのか…。日本が国防しても知れてますね。
いくら軍備をしても戦争できる状況にない。誤解を覚悟で言えば、戦争するなら勝たねば意味はない。また勝てるはずもない。せめて人的資源を!子供の教育を!と叫んでも、なぜかむなしい。

晩秋です。なんか力が入りませんね、脱力してます。

普通のオバチャンである私は、三時のおやつに美味しいおまんじゅうなど食べられる生活ができますようにと、祈るばかり。

座布団

66ebe205.jpg座布団で正座をする機会って少ないと思いませんか?

親に持たせてもらった婚礼用の座布団20枚、主人の実家(田舎で大きい)に置かせてもらったまま(我が家は小さすぎて、座布団20枚も置く場所がない)、義両親の法事に2、3回使ってもらっただけで、その後ウン十年使わずに今まできました。

夫の実家は義兄一人住まい。妻子もいない義兄がいなくなれば、その座布団は捨てられる運命にあります。もったいないので、20枚ある座布団のうち10枚くらいを夫の実家から持ち帰り、打ち直し、お布団を作ることにしました。

今後、法事をするとしても身内だけ、家族葬や密葬、料亭を借りての会合など、座布団を使用する機会が、おそらく、ない。
それに、高齢になればなるほど膝を痛めている人もいて、椅子とテーブルという暮らしの方が多くなると思います。私だって、正座の生活など、トンとしておりません。

そこで、お布団屋さんに来てもらいました。

一目見て
「こんな、正絹… こんな座布団、もったいない! なんで使わんの?」

「使う機会がないんです。市販の座布団でこれまで暮らしてきたし、法事もしないし、法事だってみなさん料亭で椅子とテーブルだし…まだ田舎に10枚残ってるんです。」

「田舎はどこ?」

「○○市です」

「○○市に帰ったらええやん」

「え〜っ? 帰りませんよ、というか帰れません。こっちに仕事があるのに…」

なんで、座布団ごときで田舎に帰らんといかん?

使うにしても、大きくて市販サイズの座布団カバーが合わない!

「僕、こんなん、よう作らんわ、親の気持ちがこもっているもんを…」とまで言われ、

「あのね、このまま放置しても捨てられる運命にあるんです。親の気持ちがこもっているからこそ、お布団に作り直して使おうと思ったんです」

「それだけ言わはるんなら、作るけど…」

と、さんざん言われて6枚だけ、ようやく持って帰って下さいました。
(残った4枚、どうしてくれる?)

本当は、綿を打ち直してお布団作るより、新品を買った方が安い。

親の気持ちがこもっているからこそ、せめて座布団のリフォームをする気になったのですが…


二条城に徳川慶喜が各地の大名を集合させ、大政奉還をした大広間があります。意外に狭かったのを覚えています。47府県と考えても、50人くらいが畳の上で正座でしょう。座布団はあったのかと、ふと考えました。あの頃は日本人も小さかった。

今の日本人の生活など洋風化して、正座もろくに出来なくなっています。寂しいけれど、残しておいても、やはり捨てられる座布団なのです。リフォームするしか使い道がない。

でも、本当にもったいないのは

着物です!!

どうしよう、それこそ親の気持ちがこもっているのに。

昔は着物で割烹着姿、けっこうおられました。きりっとしたイメージがありますね。
今、着物を着る生活など、どこのええとこの奥さんやねん?

京都では、たまに着物姿の女性を見かけますが、お茶やお花を習っている人でなければ、そんなに着物も着ないしなぁ…

そんじょそこらのオバチャンと化した私、今後も着物を着ることはなく、上等の座布団に正座など考えつかないのです。

モッタイナイ!!
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