「一般的にあまり知られていないことだけど、腐女子とか夢女子は、定期的によく死ぬのよ」
(『おやすみシェーラザード』第3巻・P.92より)
https://twitter.com/sino6/status/1097631274716413952?s=19
先月は、美少年を愛した芸能界の巨星が世を去った訳ですが・・・。
ジャニーさんの死をきっかけに、「美少年を愛でることの意味とは何か」について考え、その考察にピッタリの映画を観たばかりなので、取り上げたいと思います。
『ベニスに死す』
監督:ルキノ・ビスコンティ
出演:ダーク・ボガード
ビョルン・アンデルセン
~ストーリー~
静養のためベニスを訪れた初老の作曲家アッシェンバッハは、滞在先のホテルで出会ったポーランド貴族の美少年・タジオに理想の美を見出す。
以来、彼は浜に続く回廊をタジオを求めて彷徨うようになる。
ある日、ベニスの街中で消毒が始まる。尋ねると、疫病が流行しているのだという。白粉と口紅、白髪染めを施して若作りをし、タジオの姿を求めてベニスの町を徘徊するが、彼は力尽きて倒れる・・・。
自らも疫病に感染したことを知るアッシェンバッハだが、それでも彼はベニスを去らない。疲れきった体を海辺のデッキチェアに横たえ、波光がきらめく中、彼方を指差すタジオの姿を見つめながら死んでゆく。
マーラー 交響曲 第5番から 「アダージェット」
https://youtu.be/Fvb1ITRFXhc
グスタフ・マーラー作曲の美しい旋律が、全編で印象に残るなか、上記の様にストーリーを概説すると、
「オッサン作曲家が、ベニスで死ぬ」
だけの身も蓋も無い映画と言うことになってしまう(^_^;)
(設定だけを見ると、中年と青年の間に、心暖まる交流が起こりそうですが、中身はオッサンの一方通行の想いのみ)
今回は、この作品が、なにゆえ『名作』『ビスコンティの最高傑作』と評価されるのかを、自分なりに探ってみたいと思います。
本格的に映画を論ずる前に・・・。
先日、ジャニー喜多川氏の訃報に際して、
「Twitter女子が、ジャニーさんを追い掛け過ぎな件」
とネタにしたのですが・・・。
この場で連呼される「待って」は、待機を促す呼び掛けではなく、数ある感情(後述します)の動きを表す語彙の1つだったのですね😅
(その事を知らず、先日まで「待って」=「(キムタク風に)ちょ、待てよ」の同義語だと思っていました😓)
さて、ここ数年、二次元キャラクターや声優・アイドルにハマった女子(腐女子もしくは夢女子)が頻繁に使用する語に、
「尊い・無理・しんどい」
などがありますが、これらは、いずれも対象に対する感情を表した言葉だとか。
さらに、感情が昂ると、『死亡』『┏┛墓┗┓』となるとか・・・(^_^;)
(なお、先述の「待って」も、その1つたぞうですが・・・←どの様なシチュエーションで使用するのか、未だに良く分かっていません😥)
『ベニスに死す』のストーリーは、この感情を表すワードを追うように展開します。
アッシェンバッハが、滞在先のホテルで出会ったポーランド貴族の美少年・タジオに理想の美を見出す(尊い期)
↓
その美貌に魅いられたアッシェンバッハは、浜に続く回廊をタジオを求めて彷徨うようになる(しんどい期)
↓
疫病が蔓延するなか、若作りをし、タジオの姿を求めてベニスの町を徘徊するアッシェンバッハは、力尽きて倒れる(無理期)
↓
自らも疫病に感染したことを知るアッシェンバッハ。疲れきった体を海辺のデッキチェアに横たえ、彼方を指差すタジオの姿を見つめながら死んでゆく(死亡期)
縦軸となる物語の途中に、頻繁に回想シーンや空想(妄想)シーンが挟まれるため、
「難解すぎて、理解できない😡」
と言われることの多い、『ベニスに死す』のストーリーも、この
《オタク女子が使用するパワーワード》
で補助線を引くと、かなり分かりやすく理解できるようになります。
この視点で解釈を進めると、この映画が、(他のビスコンティ作品と異なり)単純に男性の同性愛的な感情を描いたモノではなく、
「理想とする究極の《美しさ》に出会った人間の感情の動き」
をテーマに描いた作品であると言うことが理解できます。
(と同時に、一見すると、滑稽で奇異に見えるアッシェンバッハの行動の意味が分かってくる)
●初対面のタジオの美貌に目を奪われ、思わずチラ見を続けるアッシェンバッハ
●タジオを想い続けるあまり、彼の姿を追って彷徨し、体調が悪化するアッシェンバッハ
●体調を崩したため、一度はタジオの居るベニスを去ろうとするアッシェンバッハ(←好き避け🤔?)
●荷物輸送の手違いでベニスに留まることになったのに、タジオに再会できる喜びを隠せないアッシェンバッハ
●ベニスに戻り、浜辺で水着姿のタジオに魅いられるアッシェンバッハ
●疫病の蔓延を知らされ、「タジオの一家に知らせたら、彼は・・・」と夢想するアッシェンバッハ
●床屋でメイクを施してもらい若作りをするも、自分には、もはや自身の求める究極の美は手にできないことに絶望するアッシェンバッハ
醒めた視点で観ていると、
「オッサン、ナニやってんねん⁉️」
とツッコミを入れたくなるシーンの数々ですが、どれも、「自分の求めた美の極致」を目の前にした感動や戸惑いを描いていると考えれば、この初老の作曲家の言動が愛しくも思えてくるから不思議です🙇
(やや通俗的ですが、接触の機会が増えて、認知厨が増えた昨今のアイドルオタクではなく、初期の映画スターや黎明期のアイドルに憧れる一般人の言動に少し近いでしょうか?)
ただ、芸術家・アッシェンバッハのタジオに対する想いを《同性愛嗜好》と解釈する考えもある様ですが、ここは、《理想とする存在への執着》もしくは、もう一歩ふみ込んで《美に対する耽溺》と考えた方が良いかなと思ったりもします。
(ビスコンティと言えば、他の代表作『地獄に堕ちた勇者ども』『ルートヴィッヒ』のモデルとなった人物が、それぞれ同性愛者だったのですが、『ベニスに死す』のモデルであるトーマス・マンおよびマーラーには、同性愛嗜好は無かったと言うのもポイントの1つです)
あえて言えば、単純な《恋愛感情》に留まらず、《名状し難い感情》を抱けることこそが、真の意味で《尊い》と言えるのかも知れませんが・・・(^_^;)
(これは、ちょっと評価し過ぎか😅)
ともあれ、その《名状し難い感情》について、(40年以上も前に)映画を通して描こうと試みたビスコンティがスゴいのか、アッサリと言語化してしまう昨今のオタク女子がスゴいのかは分かりませんが、
「《美に耽溺する=耽美》とは、どう言うことなのか🤔?」
と言ったことに対して考えさせられる良い機会を得られたな、と感じました。
古典的名作と言うことに留まらず、美少年を愛する全ての人々にとっては、
「死ぬまでに絶対に見ておかなければならない一本」
であると断言しておきましょう。
いや~、映画って本当にイイモノですね~。
次回は、男性の理想の不毛さを描いた作品を紹介したいと思います。それでは、また!