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「唯識入門」(春秋社)
「第六章.唯識の修行論」の「一.修行の階梯」の「ブッダの知恵と身体」を読みました。

識が智に転依するということでしたが、転識得智は八識が転じて四智を得るということで、『仏地経』という経典や、『仏地経論』や『成唯識論』に書かれています。

・アーラヤ識→大円鏡識(円鏡のごとく清浄な智、無分別智)

アーラヤ識がそうであったように、大円鏡智も全ての智の根源として平等性智以下を生みだします。したがって、全体的には、アーラヤ識なる所依が大円鏡智という所依に変貌することが転依と言えます。

その仏は真如、即ちもののありのままのすがた――空性・縁起――と一体となった如来であり、法を身体としているという意味で法身と呼ばれます。

あるいは仏の仏たるゆえんのものとしてのさとりそのものという意味で、自性身と呼ばれます。

・マナス(末那識)→平等性智(自我意識をすて自他平等とみる智)

自他平等の知恵としてはたらき、生死と涅槃の平等を知って、大悲を起こします。

平等性智以下は、仏の法身・自性身がおのずから具えている知恵で、さとりの後で得られる(後得)清浄な世間智ということになります。

・第六意識→妙観察智(ありのままに事物の相を洞察する智)

自他・主客を分別する形をとってはたらきますが、もののありのままの姿をも知っています。

平等性智と妙観察智は、仏の受用身、あるいは報身と呼ばれる身体に伴う知恵。浄土にあって菩薩たちのために説法したりします。

・前五識→成所作智(衆生済度のために種々の仏業を現ずる智)

眼・耳・鼻・舌・身を通じて五種の認識を行う点ではアーラヤ識に基ずく五識と同じですが、その性質は五識の転換したものとしてひたすら衆生の救済のためにはたらきます。

仏がわれわれ凡夫の前に現れた時、すなわち仏の変化身(化身)に伴っている知恵のはたらきです。

この仏の持つ四種の知恵と同じものを、菩薩は転依によって獲得し、その力で、生死輪廻の世界にとどまり、仏と同じ衆生済度の事業に邁進します。

《つづく》