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『仏教と現代物理学』(自照社出版)「序章 『般若心経』概説」(p1〜50)の「4.心般若」(p42〜44)を読みました。

『般若心経』の「心」についての解説です。一休さんの『般若心経提唱』での該当箇所を引用します。

《以下引用(p3)》
心経(の心)とは、即ち般若の心なり。この般若の心は、一切衆生、元より備わりたる心なり。愚痴無明の暗きにもくらまされず、煩悩妄想の汚れにも染まず。元より生ぜず滅せず、故に、生死の流転をも受けず。有にあらず、無にあらず、中道にも止まらず、本来空寂にして、取ることもあたわず、捨つることもあたわず。ことばにも言いがたく、心を以て量りがたし。一切の相を離れたり。釈尊一代の間、色々に説きたまえども、終に説き尽くすことあたわず。神妙不思議なるものなり。
《引用終わり》

空海はその師恵果に会う前に、密教を譲り受ける準備ができていました『般若心経』に関しては、長安で知り合ったインド僧から多くのことを学んだようです

《以下引用(p42)》
…『般若心経』の「心」(hrdaya)とは何かということですが、空海は「『大般若経』の心要を略出するが故に心と名づく」(『般若心経秘鍵』)と註を付しています。しかしそれ以上に、サンスクリット語のフリダヤには心臓という意味があり、私たちにとって心が一番大切なものであるということを象徴的に表したものと言えるでしょう。それは先に一休が自心即ち仏であり、自心の外に浄土なしというのですから当然でしょう。
《引用終わり》

「ことばにも言いがたく、心を以て量りがたし。一切の相を離れたり。釈尊一代の間、色々に説きたまえども、終に説き尽くすことあたわず。」の件は、高次元の世界を低次元で捉えるしかないからだと私的には捉えています。

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