坂本企画の舞台裏

「嘘をつくひと」をテーマに芝居を作る、『坂本企画』の舞台裏
坂本企画 15 『寝室百景』 2018年2月23日(金)〜25日(日) シアトリカル應典院
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2011年01月

生姜茶を飲むと受験期を思い出します。

匂いと味は、 実は感じる部位が違うだけで、
同種の感覚だそうですが、
やはり匂いの記憶というのは根強いものです。

幼少の頃に嗅いだ劇場の匂い
=お出かけ
=楽しいイベント
=快

という刷り込みで、
芝居をやっている可能性すらあります。
劇場の匂いは劇場以外ではまず嗅ぐことができませんから。

あれはなんの匂いなんでしょうか。
大劇場と小劇場では匂いも違いますが、
どちらも捨てがたいものがあります。


匂い、侮り難し。


というわけで、
受験期の朝、寝起きに飲んでいた生姜茶の匂いは、
冬の記憶を喚起する、かと思えば、 
残り物の雑炊の出汁の香りと合わさった瞬間、
夏の記憶が喚起されました。

そうめんとざるそばの記憶ですね。
 
出汁の香りだけだと冬の恒例、鍋の記憶、
紅茶、それも徳用のティーバッグの香りは、高校の部室の記憶を、
それぞれ想起するので、
面白いものです。

記憶と感覚でいえば、私は、台詞を色で覚えます。
といって、ピンとくる人とこない人がいると思うのですが、
続きはまた今度。

今夜はこの辺で。
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泊まりに来ていた人間を送り出し、
日の出までの、なおしばしの時間、
冬休み集中更新、最後の更新をば。

基本的に、集中したいときは、
ひとりきりに、
それも、完全に外部との連絡を絶ちたくなる性分です。

なので、ここ数日は、
ひとつまた仕事をかかえている身としては、
本来少々面倒な状況だったのですが、
一つ公演が終わると再起不能と言わんばかりに、
パフォーマンスが落ちてしまい、
次の活動にとりかかるのに非常な労力を要するのも
また性分なので、
正月にもかかわらず生活のリズムを保てたのは、
短期的な同居人のおかげだと感謝するばかりです。

それに、資料集めや構想の段階では、
傍らに人がいて話せたほうがいいのです。
そして、その場は食卓が最適です。

魔法は台所で生まれたという説があるそうですが、
芝居は食卓で生まれるのです。
なぜなら、
どんな時でも食事はするべきだし、
「こんな時でもお腹は空く」からです。
根本的なドラマは、
つまり言葉と体のズレは、
全ての関係性は、
食卓にあります。


さて、
昨年は、とにかくガツガツすることを目標に
2月、4月、5月、5月、7月、9月、10月、12月と
8本もの作、演出、あるいは出演、照明請負と、
メインメンバーとして関わる公演を経ました。
仕込み周辺の手伝いのみを含めるなら、
両の手に余るくらいには芝居をやっていたことになります。

が、特別多いというわけではないのかもしれません。

学生時代に、

命を削るように芝居をしている

などと後輩に言われたこともありましたが、
なんのことはない、
エネルギーの割り振りが下手なだけなので、
いつも公演直前に、
全力疾走せざるを得なくなるというだけなのです。



正直、

私生活に何を抱えていようと、
目の前の芝居だけには全力を投げ込む、

という行動原則は、一種の美徳のように考えがちなのです。

そしてそれは、
基本的には、それでいいと今でも思っています。

しかし、
口ではそう言いながら、
打ち上げて、翌日寝倒せば、
すぐ次の公演の準備に取り掛かれる程度には、
パワー配分を考えておかねばならないのでしょう。

言うなれば、
全力疾走と言いながら、
最後まで自分の手綱を離さない一種の腹芸が、
今後、私には必要になってくるでしょう。

それは、
本番と締切り、締切と締切を、
一か月以内に同居させないという、
段取りと取捨選択能力かもしれませんし、
個々の作業としては非常に好きで、
しかし、一人で抱えるには荷が勝ちすぎる仕事を、
涙を飲んで手放す判断かもしれません。

魔法使いという一見ファンタジックな存在が、
実は極めて筋の通った理論体系に従い、
ドライに生きているようなものです。
(それが現実の物理とは相容れない体系だとしても。)

言い換えれば、
全生命力を引き替えにした、
世紀の大魔法を使ったように見えても、
ちょろっと余力を残しておいて、
チンチロリンと回復してみせる狡猾さが、
三年目の坂本企画には求められているのでしょう。

詐欺師、嘘吐き、魔法使い、
その手のものはやはり狡猾でないといけません。

三年目の坂本企画、
メンバーを固定しないとはいえ、
気心の知れた方々はいるわけで、
しかし、中には生活環境の変化から、
その力を貸してもらうことが難しくなる方も、
やはり出てくることでしょう。

三賀日が過ぎ、今日は4日。
日が登れば、新たな座を組むため、
スカウトをさせていただきにゆかねばなりません。
思えば、このメンバーを固定しないという形態は
安定を好む私にとって、
あるいはよいルールなのかもしれません。

さて、同居人が去った食卓を片付け、また台所へ戻ります。
次の食事を用意するために。

実は、
魔法と演劇の類似性の話題を、
もっと飛躍させるつもりだったのですが、
それはまたの機会ということで。
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さて、宇宙人。

台詞、というものを用いる以上、
それがいくら有名な、手垢のついた、陳腐化した、
つまりは巡り巡って、
陳腐化するほど有用性のある定型句だとしても、
その一言について検討しなければなりません。

例えば、
「ワレワレ ハ ウチュウジン ダ」
という定型句を、
地球外生命体が使用すると仮定するならば、

私たちもまた、
他の惑星の生命体と接触するときに、
上記の台詞を用いる必要があるのではないでしょうか。

「我々はM78星雲人だ」
「我々はガミラス星人だ」
という口上で異星人がやってくるのであれば、
私たちが他星を訪れるときには、
「我々は地球人だ」
と名乗ればいいわけです。

しかし、現実にヤツらは
「ワレワレ ハ ウチュウジン ダ」
とやってくるはずなのです。

この台詞の意味するところはなにか。


仮に、このようなシチュエーションを用意してみましょう。


遥か彼方の惑星から、タコ型宇宙人が襲来。
不幸にもファーストコンタクトを果たしてしまった農場のおっちゃんは、
害獣駆除用の二連装の猟銃を構え、
並び立つタコ型の群れにこう問うはずです。

「なんだお前らは!」

そして、タコ型宇宙人は、
ほんやくコンニャク的な何かを駆使し、
幾分たどたどしい例の扇風機声でこう応えます。

「ワレワレ ハ ウチュウジン ダ」

そして、彼らのリーダーらしき一体が、
複数ある、手とも足ともつかない節のない柔らかな器官を、
おっちゃんに向かって掲げます。

彼らは遥かな星々の海を越えてやってきたのです。
いかに猟銃を装備していようと、農場のおっちゃんでは
(ドラゴンボールを参考にするなら戦闘力は5ほどしかないでしょう)
手も足も出ないはずです。
危うし、おっちゃん!

しかし、彼らのリーダーはこう続けます。

「アナタタチ モ ウチュウジン ダ」

そして
彼らの頭上に、彼らの船が、光り輝く船が現れます。

映画「未知との遭遇」では、
地球人に配慮して、
地球人が生理的嫌悪感を抱かないデザインの宇宙船でやってきた、
という設定があるそうですが、
おそらく、崇高さは感じても醜さは感じないであろうその神々しい船の光を背に、
彼らのリーダーはさらに控えめに手を、触手を差し出します。

「トモ ニ ギンガ ノ ムコウ ヘ イキ マショウ」

そこでおっちゃんの記憶は途切れます。

「はい、祖父が、その話をよく私にしてくれました。祖父のそのまた祖父が、そんな出来事を経験したと。」
「えぇ、私も半信半疑でした。ウチはお酒に目のない家系ですから、おおかた酔っ払ってそんな夢をみたんだろうと。」
「いまですか? 今はシラフですよ。二日酔いのままワープ酔いするのは二度とごめんですから。」
「それに、どうして、その時彼らは祖父のおじいちゃんを連れていかなかったんでしょうか。それがずっと疑問でした。それが知りたくて、この仕事についたのかもしれません。」
「もしかしたら、彼らには分かっていたのかもしれませんね。私が、つまり祖父のおじいちゃんの子孫が、こういう役目を担うということを。」
「えぇ、怖くはありませんでした。比較的人型でしたし、握手の習慣もあると分かっていましたから。」
「だから、私もこう言ったんです。彼らに習って。」
「我々は宇宙人だ。そして、貴方達もまた、宇宙人だ。共に銀河の向こうに旅立とう。同胞よ、ってね。」
「やめてください。銀河史に残る名言なんて。それに、仮にそうだとしても、その言葉によって刻まれる名前は僕のではいけませんよ。まだ見ぬ、タコ型の彼らの言葉ですから。」

……そうやって彼は、後に銀河連邦憲章の前文に掲げられることになる一文の考案者と呼ばれるたびにそれを否定した。銀河は未だ広大で、その外側の宇宙はなお計り知れない。その片隅でようやく手を取り合ったばかりの我々宇宙人は、いつか、先んじて旅だったタコ型の彼らに出会うことができるのだろうか。来るべきその日を夢見て、今はただ、星の大海を進んで征こう。

そうです。
あの扇風機の前で誰もが一度は口にしたことのあるはずの台詞は、
壮大なコスモポリタニズムに支えられた、
なんともセンス・オブ・ワンダーあふれる台詞だったのです!






はい、アホな話です。
むしろ、こういう話は、
最初の思いつきから、どこまで飛距離を伸ばせるか、
というところにその醍醐味があるわけですが、
今回は無難なスペースオペラ風に着地したので、
まぁ、平均的な出来と言えます。

こういうことを、まぁ、潤滑油として、坂本企画は進んでいきます。
今年も、おそらくは。

それでは今夜はこのへんで。
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固定の劇団員を持たない坂本企画とはいえ、
普段お世話になっている役者さんスタッフさんはいるわけで、
むしろ、そういう役者さん、スタッフさんが
「一緒にやりたい」という方を連れてきていただき、
そうしてコミュニティーを広げていく
「芋蔓式」キャスティングがウチの特色だったりします。

普段の坂本企画。

何回も現場を共にすれば、
自然気心もしれてくるもので、
色々と芝居と関係の無い話題も出てきます。

例えば、幽霊と妖怪の違いについて

こたつを囲んで討論。

結論として、その存在を支える思念の所在の問題だということに落ち着きました。

つまり、

幽霊というのは、
幽霊となる人が、その個人に由来する心残りによって、
自ら具現化する存在であり

妖怪というのは、
妖怪となる事物(唐笠、いかにもな天候、伸びそうな首)が、
「あぁ、なにか化物じみてるな」「なにか寄り憑きそうだな」と、
誰かに思われ、その感じが人口に膾炙し権化する、
不特定多数の他者によって具現化する存在なのではないかと。

例えば、将門公のフライング首は、
将門公本人的には幽霊ですが、
「将門公は首だけ飛んで帰ったらしいぜ」
「まじかよ、やっぱりあれだけ恨みを募らせてればなぁ」
「なるほど」
「さもありなん」
という感じで、
多数の他者の共通イメージに支えられ妖怪と化すわけです。

まぁ、こんな感じの話を、こたつ周辺に限らず、
稽古の最中にもかかわらずやってたりするものですから、
なかなか、稽古が進みません。

ブログの更新も遅々として進まず、
そろそろ2日が終わってしまうので、
宇宙人のお話はまた明日ということで。
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あけましておめでとうございます。
坂本企画も3年目。
今年も何卒宜しくお願いいたします。

昨年は、「ディスコミュニケーション」をテーマに、

発せられた台詞、動作は、自覚的無自覚的にかかわらず、
その登場人物の意図、目的と矛盾する部分を含み、
その表出を受取る相手役は、往々にして相手の意図を誤解する。

ということをなんとか表現しようと、
やってまいりました。今にして思えば。

簡単にいえば、
お腹が空いてるから、「お腹が空いていない」と言う、
みたいなことです。

もっと言うなら、

「お腹が空いていない」と言っているということは、
お腹がすいているに違いないと思ったら、
ホントにお腹はすいていなかった、

というような事態もありえます。

こういうことをすると、情報量の差異によるドラマが生まれます。


今年は、どうも劇中劇モノが増えそうな気がしています。

劇中劇もの、
もっと言えばメタフィクションものは、

個人に対して逃れ得ない物語を突きつけてくる世界(運命)

という既存の構造(=悲劇)に対して、

個人に対して自分の意図通りの行動をとらせたがる他の個人(含む集団)

という構造の登場によって成立したものです。

しかし、これは持論になりますが、
自分に対する集合的他者は多分、
現代においては非常に運命的な振る舞いをしてくるはずなので、
ここに、相手に対して自分の都合のいい世界を押し付けあう悲劇、
という演劇が可能になるのではないかと思うのです。

まずは3月、「ぼくたちは さいごのこども」で
色々と試してみようと思います。

きっと、
「みたかったけど、みたことのなかったもの」
をお見せできると思います。

ぜひ、劇場へいらしてください





さて、
少しはお正月らしい話題を

私の初夢は、
濡れ衣を着せられそうな親友のために、
エレクトーン教室の経営者と戦うというものでした。

どうもエレクトーン教室から脱出しようとしてるのですが、
内部の協力者の部屋で逃走に必要なレンタカーの手配をしたあと、
経営者たちに追いつかれます。

そして重要な秘密を握る(ような気がする)金庫の鍵を、
経営者と舌戦を繰り広げてる間にコートのポケットに入れられてしまい、
うっかり取り出そうとして
指紋をつけてしまったことに気づきピンチに陥る、
というところで起きました。

濡れ衣→「月光グールド」本編参照
エレクトーン→同じく「月光グールド」のリハーサルで使った電子ピアノ
レンタカー→搬入搬出にはニッポンレンタカーを使っています
金庫→本番中の出納に使っている青い金庫がそのまま出てきました
そしてなにより全体に漂う心理戦感……

なんとなく、年末の芝居を引きずっているような内容。
あわてて二度寝しましたが続きは見られませんでした。
まぁ、去年においてくるにはいい夢だったと思います。


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