Write Between The Lines.

物書き・青木勇気の日々とメディアでの記事更新情報をお届けします。

寝たきりの、先へ行くーー

これは「人類の孤独の解消」を目指す、オリィ研究所によるプロジェクト「分身ロボットカフェDAWN」のキャッチコピーだ。たとえ寝たきりでも仲間と共に働けるカフェとは、どんなものなのだろうか。

ALS患者の声を救うサービスなど、以前からオリィ研究所のプロジェクトに注目している筆者は、今回もまた「障がい者支援」という言葉では片付けられないポテンシャルを秘めていることを確信して現場に足を運び、オリィ研究所 所長・吉藤健太朗さんにお話を伺った。

■出会いの場であり、職業訓練所でもあるカフェ

まず、「分身ロボットカフェ」について、端的に説明するとこうなる。

難病患者や重い障がいを持つ方など、外出困難な“パイロット”たちが、遠隔コミュニケーションロボット「OriHime」「OriHime-D」を通してカフェで接客を行う、新たなテレワーク、働き方の可能性を模索する社会実験

分身ロボットカフェは、2018年に第1回目を行い、今回はクラウドファンディングで1000万円を超える支援を受け(限定50枠の予約チケットは即完売)、バージョンアップして展開された。

吉藤さん曰く、働いていて辛いようではAIに任せた方がよく、お客さんが面白いと思わなければサービスとして成り立たない。これが成り立つかどうかの実験が第1回目、それが好評に終わったことを踏まえ、このプロジェクトを常設化させることが今回の狙いだったという。

一番の成果は、分身ロボットカフェで働いたパイロットたちが前向きに変わっていったこと。

「食べる量が増えた、声に張りが出るようになった、SNSを通して自分と同じような境遇の方に、励ましの言葉をかけたりするようになった、働くまでは不安だったけれど、やってみると毎日本当に楽しい、といった言葉をもらいました」(吉藤)

自分の“分身”を操って接客する様子。お客さんとの会話も楽しんでいる(筆者撮影)
自分の“分身”を操って接客する様子。お客さんとの会話も楽しんでいる(筆者撮影)

そしてもう一つの成果は、「出会い」だ。

本来、出会いや縁というものは外に出ていくことで生まれるが、リモートであってもロボットを通して出ていくことで、パイロット同士で仕事仲間としてつながることができるし、カフェに来たお客さんに接客することによる出会い、そして、スポンサーやパートナー企業との出会いもある。

つまり、このカフェには様々な人、企業、団体が集まっていて、客としてロボットの動きや会話を楽しむことはもちろんのこと、パイロットたちの仕事ぶりを見て、OriHimeを使って雇用したい、うちで受付をやらないかというように、出会いの先にある未来の話にまで及んでいる。

実際に、あるパイロットは正社員雇用のオファーをもらい、就労トライアルが始まっているとのことだ。

「普通のテレワークでもいいじゃないかと言われてきましたが、そう簡単ではないし、ほとんどの方は働くきっかけがなかったわけです。このプロジェクトを通して出会いがあり、なんだちゃんと働けるじゃないかと思ってもらえたこと、そこから雇用という話が出てきたのは、うれしい誤算でした。次のステップとして考えていたものが、早速動き始めています」(吉藤)

■ AIに取って代わられることのない場を

吉藤さんのお話を聞いていると、分身ロボットカフェというネーミングも、そこで行われていることも非常にキャッチーではあるものの、カフェを常設することやその業態にこだわっているわけではないことがわかる。

「カフェではあるけれど、店員とおしゃべりをする場でもあるので、メイド喫茶みたいなところもありますよね。人とおしゃべりして楽しい場というのは、AI に取って代わられることもないと思います。明確な目的を持って来る、というよりは、ここにいる人たちの雰囲気とかを楽しみにくる場として展開できたらと考えています」(吉藤)

エンターテインメントという意味では、ロボットがどう動くかも大切だが、それよりもロボットを遠隔操作しているパイロットとお客さん両方が良いと思い続けられる場とは何かを追求し、演出することが重要だという。

つまり、吉藤さんはロボットクリエイターではあるが、コミュニケーションをデザインしているのであり、ロボットは主役ではなく、手段のひとつなのだ。ドリンクを運んでくるOriHimeの姿、自然に笑みがこぼれるお客さんたちの反応を見ていると、なるほどとうなづける。

筆者自身、様々なオリジナルグッズが揃った売店に立ち寄った際に、パイロットの伊藤亮(りょーさん)さんに接客してもらった。顔は見えないが、写真を撮らせてもらったときにOriHimeで手を振ってくれたりして、なんて楽しい空間なんだろうと感じた。

もちろん、現場の運営スタッフのサポートがあってこそ成り立つものではある。ただ、少なくとも、単純にコーヒーを求めてお店に買いにいくのとは全く別のモチベーションが働く空間であると言えるだろう。

売店で接客してもらい、オリジナルグッズを購入(筆者撮影)
売店で接客してもらい、オリジナルグッズを購入(筆者撮影)

■ 「“30人のヒーロー”を作りたい」

カフェという業態ひとつをとっても、配膳、接客、売店、フロアマネージャー、司会などいろいろな役割、働き方があり、寝たきりの人たちの中でも適材適所はある。

また、接客はテレワークの中でもハードルが低く、かつ、それぞれが自分というものを表現できる仕事であるため、パイロットたち自身が「実はこんなことができたのか」と気づきを得やすかったのだという。

メディアでは個性が際立つ吉藤さんばかりが取り上げられがちだが、吉藤さんは「主役はパイロット。30人のヒーローを作りたい」と考えていた。

弱者というレッテルを貼られ、諦めてしまうケースが多い中で、働けた事実だけでなく周囲から評価されることで、生きる価値を実感できるようになるからだ。

「ALS(筋萎縮性側索硬化症)などは特に、昨日できたことが今日できなくなることの繰り返しで、将来どころか、一年先を考えるのもぞっとするわけです。でも、昨日できなかったことが今日できるようになることで、もしかすると未来をポジティブに考えられるかもしれない。私たちは、テクノロジーを用いて、自分らしい人生を取り戻すことにチャレンジしたいのです」(吉藤)

30人の個性豊かなOriHimeパイロットたち(筆者撮影)
30人の個性豊かなOriHimeパイロットたち(筆者撮影)

重度障がい者は、あくまで「支援される側」であり、そもそも仕事をすることは想定されていない。

重度障がいのある、れいわ新選組の舩後靖彦氏と木村英子氏が議員になったことで潮目が変わると期待されるが、現状は24時間365日介助を受けられる福祉サービスを享受できるものの、就労中は対象外とされている。

寝たきりになってしまったとしても、自分に合った仕事をして、稼いだお金でプレゼントをあげるといった「当たり前」のことができる社会は、どのようにして実現できるだろうか。

■ サステイナブルな取り組みにしていくために

分身ロボットカフェは、期間限定の公開実験として大成功を収めたと言える。ただ一方で、いかにしてサステイナブルな取り組みにしていくか考える必要があるだろう。

先述したように、オリィ研究所はカフェそのものを常設したいわけではなく、そこに入ってきた人がトレーニングをして、いろんな企業に就職をしていくような支援の場と捉えている。

「現場に出て経験を積み、お客さんからもフィードバックをもらいながらスキルアップし、自信を高めていく。そういったエデュケーションの要素、教育プログラムというものを考えています。先輩が後輩を教えるなど、次回以降はそういうこともやっていきたい。自分事として取り組むことも大切ですが、この研究に参加することで、次の世代、いつか寝たきりになる人たちを助けるデータになるわけです」(吉藤)

技術の進歩により、ドリンクを掴んで置くこともできるようになった(筆者撮影)
技術の進歩により、ドリンクを掴んで置くこともできるようになった(筆者撮影)

パイロットたちは、誰かを助けることにつながるものという考えをもって前向きに研究に臨んでいる。助けられるばかりでなく、助けられるようになりたい、というように。

病気や障がいがあることは変わらないし、付き合っていくしかないが、ポジティブな気持ちが芽生え、それが人生を変えていくことの意味は大きい。

「パートナー企業はただ金銭的にフォローしてくれるだけでなく、実際に雇用していただくこともありますし、共同研究という形で参加していただくこともあります。もっとOriHimeを使ってどうやって働けるかを考えたいですし、課題を解決するツールも開発していきたい。もちろん、パイロットも絶賛募集中です。求む、やる気ある人!」(吉藤)

■ 「サードライフ」を再定義する意味

取材の終盤、吉藤さんの口から「サードライフを再定義したい」という言葉が出た。

どういうことだろうか。いわゆる「セカンドライフ」は、定年を迎えた人が何か趣味でも見つけて、悠々自適な老後を送ることをイメージさせるが、それらは体が動くことを前提としている、という。

「健康寿命という観点で考えると、セカンドライフはたった10年ほどしかないですよね。体が資本という言葉がありますが、体が動かなくなった後どう生きていくかはイメージできていなくて。いい老人ホームに入れたらいいな、ではないサードライフを再定義して、寝たきりになっても人生を諦めることなく、自分らしく生きられるロールモデルを作っておきたい。私たちが寝たきりの“患者”ではなく、“先輩”と表現するのはそのためです」(吉藤)

冒頭で紹介した「寝たきりの、先に行く」というキャッチフレーズには、こういう意味が込められているのだ。

確かに、日本は長生きすることには長けているが、その人たちが幸せかどうかはわからない。だからこそ、体が動かなくなったあとも、誰かに必要とされながら生きていける国にしていく必要がある。そのために全力を注ぐ人たちがここにいると知ってほしい。

■ カフェで働いたパイロットたちの声

主役はロボットではなく、あくまでパイロット。というわけで、ほんの一部ではあるが、その声を紹介して締めくくりたいと思う。

【参考】

分身ロボットカフェ「DAWN」Ver.β 2.0

分身ロボットのおしごと

寝たきりでも働ける分身ロボットカフェプロジェクト公開実験!


※「Yahoo!ニュース 個人」に寄稿した記事を転載しています

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福島における復興を語るとき、廃炉や除染済み土壌の扱いなど難題ばかりが取り沙汰され、着実に元の姿を取り戻しつつあるもの、もしくは新たに形を変えて生み出されたものには、なかなか光が当たらない。

そこで私は、2年ほど前に福島第一原発に視察に行った経験をふまえて、交通インフラや施設が再開し地域が活性化していることや、新たな役割を担いつつあることを紹介しながら、未来への期待感を伝えたいと考えた。

訪問先として選んだのは、福島県双葉郡楢葉町と広野町に跨る「Jヴィレッジ」と、同じく双葉郡の富岡町にある「東京電力廃炉資料館」。両者はともに原発から20キロ圏内に位置し、この8年間で興味深い変化を遂げた。

■ 8年ぶりに全面再開したJヴィレッジへ

6月下旬、いわき駅発富岡行きの常磐線に乗り、木戸駅~広野駅間にできた新駅で降車した。震災以来、原発事故の対応拠点となっていたナショナルトレーニングセンター「Jヴィレッジ」が2019年4月20日に全面再開することに合わせ、同日開業したJヴィレッジ駅だ。

1997年にオープンしたJヴィレッジは、FIFAワールドカップ2002ではアルゼンチン代表が、2006では日本男子代表が合宿をした、いわゆる「サッカーの聖地」である。また、プロサッカーだけでなく、アマチュアチームの合宿や企業の研修まで幅広く利用されており、震災以前の年間の来場者数は約50万人ほどだったという。

美しい天然芝のピッチで高校生らしき少年たちが試合をしているのを傍目に羨みながら、クラブハウスに向かう。

取材に応じてくれたのは、株式会社Jヴィレッジ 事業運営部 営業グループ チームリーダーの高名祐介さん。メインは広報の仕事で、全面再開後はメディアや行政、企業からの視察依頼が増え、日々対応に追われているとのことだ。

■ 新生Jヴィレッジは何が変わったのか

まずはじめに、全面再開後の新生Jヴィレッジの変わった点を聞いた。施設面では、全天候型サッカー練習場(コンサートや展示会など多目的に使えるよう改修予定)、新しい宿泊棟、ビジネスニーズに対応したコンベンションホールが整備されたという。

また、次のように掲げられたJヴィレッジの使命にも注目したい。

1、福島県復興の姿を国内外に発信する

2、福島県双葉地方の復興・再生を牽引する

3、サッカー・スポーツ振興に貢献する

4、未来を担うトップアスリートを育成する

5、地域コミュニティの中核として地域の方々の健康づくりに貢献する

出典:Jヴィレッジパンフレットより

つまり、ラグビーのワールドカップ、オリンピックと一大スポーツイベントが控えているが、復興、地域活性化という観点でもJヴィレッジの存在は大きいのである。

「全面再開ということでメディアさんからの取材は多いですが、それ以外にも震災後の町の復興の状況を視察するという目的で、いろんな方たちが訪れます。Jヴィレッジが再開した様子を見たいというご要望が増えましたね。この間は老人クラブの方々をご案内しました」(高名さん)

その他、福島県のPR目的でJヴィレッジを紹介したいという要望も多いという。確かに、震災直後「前線拠点」だった姿と今の姿とのコントラストが強く、復興の象徴的な存在として用いられるのもうなずけるところだ。

■ 復興のシンボルとしての役割

「復興五輪」とも言われる2020年の東京オリンピックにおける聖火リレーのスタート地点に選ばれたことからもわかるように、Jヴィレッジはナショナルトレーニングセンターとして再開しただけではなく、復興のシンボルとしての役割を担っている。

インフラ面では、ようやく東京からの高速バスが広野、富岡インターまで通るようになり、今後Jヴィレッジも中継地点となるという。観光という観点でも、福島第一原発の視察をやっている地元の企業が、最近首都圏で旅行業をはじめたとのことで、パッケージツアーが整備されてくるのではないかと高名さんは語る。

「例えば、1日目は勉強といいますか、地域の復興状況を視察して、Jヴィレッジに泊まっていただき、2日目は観光要素を取り入れて、いわきのアクアマリン、四倉のワンダーファームなどを回ることができますよね。サッカーが好きな人だけでなく、みんなが行きたくなるようないろんなイベントをやっていきたい。ここが目的じゃなくても、浜通りに来たついで寄ってみようかなと気軽に来てもらえたら嬉しいです」

来場者数で見るとまだ震災以前のペースには届かないようだが、一通り取材を終え昼時になると、浜通り交通の観光バスが乗りつけ、レストランやカフェ、おみやげ屋は盛況を見せており、改めてそのポテンシャルの高さを肌で感じることができた。

■ 多彩なイベントが催される場として

徒歩で15分ほど離れた場所にあるスタジアムでは、無料で観戦できるサッカーの国際親善試合とアーティストのライブ、東南アジアフードフェスが一体になったイベント「JapaFunCup」が行われていた。

5000人収容できるスタジアムは満員とまではいかないものの、出店には行列ができ、老若男女、国籍を問わず楽しめる空気が感じられ、イベント自体は大変に盛り上がっていた。

高名さんが言うように、地域を活性化させるようなイベントをフックに、地元や県内の人たちはもとより県外からも人がたくさん訪れる場所になっていくことを願う。 

■ 富岡駅の再開と町の様子

もうひとつの目的地である東京電力廃炉資料館に向かうため、再び常磐線に乗り込み、最寄りの富岡駅を目指した。個人的には、その時点で感慨深いものがあった。なぜなら、富岡駅は津波の被害で駅舎が流失し、2年前も電車で行くことすらできない場所だったからだ。

当時は、早朝にいわき駅からバスで1時間強かけて行くしかなかったが、竜田~富岡間は2017年10月21日に運転を再開した。また、復旧作業中の常磐線の全面再開は2020年3月を予定しているという。車窓から海を眺めながら40分ほど電車に揺られ、富岡駅に着いた。

想像していたよりも人が行き来していて、インフラとしての役割を取り戻した印象だったが、駅から廃炉資料館に向かう道すがら中央商店街に寄ってみたところ、多くの建物が取り壊され、もしくは営業を停止したままになっており、人影はほとんど見られない。

それもそのはず、富岡町は2017年4月に避難指示が解除されたものの、2019年2月末時点の居住率は9.4%と、帰還者が少ないというのが現実だ。新しいアパートが散見されるものの、ベランダには作業着が干してあり、そのほとんどは作業員の方の住居であることがうかがい知れた。

■ 廃炉資料館の成り立ちと存在意義

東京電力廃炉資料館は、かつて原子力や発電所の仕組みについて学べる場であった福島第二原子力発電所「エネルギー館」を再活用して、2018年11月30日に開館した。

6月20日時点で来館者は約2万4700人で、その内訳は一般利用が約60%、原発の視察の一環が約30%、東京電力社員が約10%、属性としては浜通りエリアの市町村が15%、その他県内が約15%、東京電力社員を含む県外が70%とのことだ。

資料館の正面には、東京電力ホールディングス株式会社 代表執行役社長 小早川智明氏の挨拶文パネルが掲げられ、「私たちは、事故の反省と教訓を決して忘れることなく後世に残し、廃炉と復興をやり通す覚悟を持って「東京電力廃炉資料館」を運営してまいります」という言葉で、その存在意義を伝えている。

2階建ての資料館の展示は、大きく2つのゾーン「記憶と記録・反省と教訓」と「廃炉現場の姿」に分かれている。東京電力ホールディングス株式会社 福島復興本社 東京電力廃炉資料館 副館長 中里修一さんに順に案内してもらった。

廃炉資料館の構想自体は2013年12月からあったという。約5年かけて形になったわけだが、なぜ集客という観点では決して良い立地とは言えない富岡町を選んだのか。中里さんはその理由についてこう語る。

「企画当初から資料館は避難区域の中に設置することは決まっていました。なぜかというと、事故の記憶と記録を残して、二度とこのような事故を起こさないための反省と教訓をしっかり伝承すること、そして廃炉の進捗をお伝えすることがわれわれの責任だと考えたからです」 

施設自体は大きくはないが、展示物はどれも意匠を凝らしている。社員が登場する3月11日の事故対応の様子を振り返った再現映像、原子炉建屋内での作業状況など動画コンテンツも充実しているため、じっくり見て回ると2~3時間はかかるだろう。

また、廃炉の進捗を伝えるという意味で、月次、週次でデータを更新したり、発電所内の最新の写真をスクリーンに映し出したりと、リアルタイム性があることは特筆すべき点と言える。

発電所所員が思いを語る「あの日、3.11から今」というコーナーでは、興味深い話が聞けた。廃炉には40年かかると言われ、それはつまり震災や原発事故の当事者ではない若者が担っていくということでもあり、どこか後ろ向きというか、社員のモチベーションは下がっているのではないかと思っていたが、意外とそうでもないとのことだ。

「事故を起こし廃炉にする、こんなプロジェクトは無いに越したことはないのですが、社員は福島復興のためとマインドチェンジし、廃炉を安全に進めて完了させることにモチベーション高く臨んでいます。新しい技術開発という意味では、若い世代が興味を持ち、廃炉に携わりたいと入社するケースも増えていると聞きます」(中里さん)

来館者の反応は

来館者へのアンケートの結果によると、展示に映像コンテンツを多数用意していることから、8割くらいから「分かりやすかった」と評価されているとのことだ。

ポジティブなコメントは、「地元の私たちでも忘れかけていた当時のことを学び直すきっかけになった」「遠くに住んでいる限りは知ることができなかった現実や、福島の状況を学ぶことができた」など、県内・県外それぞれポイントは違うものの、学びがあるという点で共通している。

一方、要望としては「事故の反省も必要だけれども、この先に向けた内容も充実させてほしい」「安全になっていくことへの実感がほしい」といった、未来に向けて何をしていくか、何ができるかを示すことも重要だというものが目立った。

取材中、来館者に資料館を訪れた理由を聞いてみたところ、富岡町で働く女性は、自身は2度目の来館で婚約者とその家族を案内していた。初めて来た際には、「いきなりこれでもかと謝罪の映像を見せられ、面食らってしまった」という。確かに、シアターホールで流れる8分ほどの映像は、事故を振り返り、反省と教訓を伝えることを徹底した重苦しい内容だった。

もう一人、廃炉資料館のスタッフの友人で、防災関連の仕事をしている神奈川県から来た女性は、学びの場として下見に来たとのことで、改めて仲間を連れて来る予定だという。口コミやハブとなる人の案内で県外から訪れるケースがじわじわと増えているようだ。

■ 廃炉資料館が目指す姿について

廃炉資料館は今後何を目指すのか、どんな存在であろうと思っているのか。ひとつは、「次世代層へのアプローチ」を強化していきたいという。

「廃炉資料館は、福島第一原発の視察の際にご利用いただいており、復興への取り組みやエネルギーのあり方などに関心が高い大学生以上の数は多いです。最近では高校生のニーズも増えてきているのですが、中学生、小学生はまだ少ないので、ぜひ資料館の見学にきていただきたいですね。春休みに、小学生5人組が毎日自転車で遊びにきて、コミュニティルームをたまり場のようにしていたのですが、映像などもちゃんと見ていて。初めは興味なかったけれども、来てみると面白いとか、そういう入り方でもいいと思っています」(中里さん)

東京電力は、廃炉はもちろん、賠償、除染、復興推進活動などにも取り組んでいるが、地域活性化に貢献することもまた求められている。その意味でもうひとつ心がけているのは、「浜通りエリアの交流人口を増やす」ことだ。

「廃炉資料館にというよりは、このエリアに多くの方にお越しいただき、交流人口が増えていくことに少しでも貢献したいと思っています。旅行会社から浜通りツアーのコンテンツにしたいと資料館を視察いただくことも増えていますし、大人数の団体さんには近隣施設と連携して時間差で見学していただいたりと工夫をしています。私自身が地元出身ということもありますが、県内・県外問わず、多くの方に足を運んでいただけると大変嬉しいです」(中里さん)

■ おわりに

紹介した2つの施設は任意で選んだ訪問先であったが、取材を進める中で両者とも「福島イノベーション・コースト構想」に含まれることがわかった。

福島イノベーション・コースト構想は、東日本大震災及び原子力災害によって失われた浜通り地域等の産業を回復するため、当該地域の新たな産業基盤の構築を目指す国家プロジェクトです。

ロボット、エネルギー、廃炉、農林水産等の分野におけるプロジェクトの具体化を進めるとともに、産業集積や人材育成、交流人口の拡大等に取り組んでいます。

出典:福島イノベーション・コースト構想 これまでの取り組み

また、このプロジェクトの一環で、原子力災害という観点に留まらず、震災の記憶の風化防止、防災・減災にも役立つ施設として、「東日本大震災・原子力災害アーカイブ拠点施設」が2020年夏に双葉町にオープンする予定だ。福島第一原子力発電所や廃炉資料館と連携を図るという。

Jヴィレッジと廃炉資料館は、責任も役割も異なるが、交流人口を増やし、福島、特に浜通りエリアを盛り上げる存在になりたいという意思は共通していた。今後、どれだけ存在感を高め、観光や研修という軸で県外から多くの人を呼び込むことができるかが試されるだろう。

東京からいわきまで、電車で約2時間半。気軽に行ける距離ではないし、観光名所も少ないかもしれない。ただ、復興に向けて本来の姿を取り戻すものと、新たな役割を担うために生み出されるものがここにはあるし、それを見にいく理由は十分にあるのではないだろうか。

【参考】

「Jヴィレッジ」公式サイト

「東京電力廃炉資料館」公式サイト



「Yahoo!ニュース 個人」に寄稿した記事を転載しています

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6月21日は世界ALSデー、全身が動かなくなってしまう難病「ALS(筋萎縮性側索硬化症)」の啓発活動が行われる日だ。

これまで私は、このタイミングにあわせていくつか記事を書いてきたが、今回はALSデーの前日に参加した二つのイベントを通して、難病を抱える人たちがいかにして自分らしく生きているのか、生きていこうとしているのかフォーカスしたいと思う。

■ “自分の一部”を永久に失うことと、それを取り戻す意味

ひとつめは、分身ロボット「OriHime」の開発者であるオリィ研究所所長の吉藤健太朗さんと、ALS患者であり一般社団法人WITH ALS代表の武藤将胤さんのトークイベント。

先日話題になったクラウドファンディングプロジェクトの支援者向けのもので、開発中の「ALS患者の声を救うサービス」のお披露目会でもあった。

デモを見てそのプロダクトの素晴らしさに圧倒され胸が熱くなったが、本稿のテーマから脱線してしまうので、それについては別の機会で書くとして、彼らが何をしようとしているのかを簡潔に述べたい。

まず、すでに難病や身体障害があって体が動かなくても、目の動きだけで意思の伝達ができるデジタル文字盤「OriHime eye」は商品化されていて、患者は介護者の手を借りずに視線だけで文字を入力し、音声を合成、発話することができる。

これだけでも、体を動かすことができず気管切開をした後の患者や介護者にとって画期的なサービスだが、吉藤さんはそれだけでは不十分、あくまで合成音声だという。


つまり、声を出せなくなるということは、”自分の一部”を永久的に失うことであり、本人の声で発話できる方がいいということだ。なぜ、そこまでするのか。

それはひとえに、「自分らしく生きる」という意味で重要だからである。武藤さんは気管切開をして生きることを選んだが、スピーチカニューレを付けてもう一度自分の声を出せたときに、家族や仲間が泣いて喜んでくれた光景を見て、声は自分だけのものではないのだと気付いたという。

気管切開をした状態で話すのはかなり大変であろうと想像できるが、イベント中もクラウドファンディングの支援者たちに感謝の気持ちを伝え、自身が代表を務めるWITH ALSの活動についてプレゼンしており、できる限り自分の声でコミュニケーションを取りたいという思いを感じ取ることができた。


ALSという病気の過酷さを物語るエピソードは数多あるが、最も端的に示す言葉は「患者の7割が人工呼吸器を付けずに死を選ぶ」だろう。

・声を失い、より体が動かなくなることで、コミュニケーションが取れなくなる恐怖

・24時間365日介護が必要になり、そこまでして生きることに前向きになれない

一概にその理由を決めることはできないが、患者の声を聞く限りこの2点が大きい。だが、このプロジェクトが実現することで、気管切開をする決断ができる人が増えるかもしれない。生きるか死ぬかの選択をするだけではなく、自分らしさを取り戻し、未来に向けて希望を見出せるかもしれないのだ。

実用性という点でも、当初「OriHime eye」搭載のデバイスは45万円だったが、厚労省の認定を受け補助制度により患者負担は1割で購入できるようになっており、開発中のサービスは決して夢物語ではない。

一方で、課題もある。現在100名ほどの患者さんに利用してもらっているとのことだが、「もっと早く知りたかった」という声が届くことも少なくない。

つまり、テクノロジーは進化しているのに、まだまだ知られていない、届けられていない、ということだ。だからこそ、彼らはイベントを通して発信し、受け取った私はそれを伝えているのである。


「可能性を拡張するテクノロジーをセレクトする時代」と吉藤さんが言うように、今や個々人の望むQOLに応える医療やテクノロジーの提供が求められている。そして、そこに全力で向き合う人たちがいる。

ALSのように今はまだ予防も治療もできない難病であっても、できることはある、そう強く感じさせてくれる空間だった。

■ 患者からのメッセージを受け取ってほしい

原因不明の難病ALS

平均寿命3~5年

不動の体、クリアな意識

過酷な状況で

人は何を見つめて

生きるのだろう

これは、東京・六本木ミッドタウン地下1階の50mウォールで開催中の、写真家・武本花奈さんによるフォトエキシビジョン「THIS IS ALS IN TOKYO~難病ALS患者からのメッセージ~」にある言葉だ。

私は写真を見にいく目的で足を運んだが、たまたま通りかかって思わず足を止める人々の姿が印象的だった。写された人たちは誰なのか、この展示のテーマは何なのだろうか、そういった興味、関心を惹起させる演出が奏功したのだろうと思う。

ALS患者であり、NPO法人 境を越えての代表を務める岡部宏生さんは、武本さんの写真をこう評価する。

私たちとのコミュニケーションを通して、私たちの気持ちを深く切り取ってくれています。(中略)私たちの日常と、深いところにしまってある非日常を見事に引き出しています。

出典:「THIS IS ALS IN TOKYO」フライヤーより

日本のALS患者は約1万人と言われる。写真展に登場しているのは、ほんの一部である25人だが、武本さんはただ被写体として撮影するだけでなく、インタビューを通してそれぞれの思いを切り取り、患者の生き様を写し出そうとしている。

そしてそれは、1万という数字によりひとくくりにされてしまった人々に光を与えているとも言えるだろう。私は、疾患を啓発する目的を超えた、他者を想像するという、より根源的かつ重要なアプローチであると感じた。

武本さん自身が写真展に向けて寄せた言葉を紹介しよう。

少しずつ動けなくなっていくALSの患者さんたちからの言葉は、自分たちはこうして欲しかった、こうしたかったという後悔ではなく、今から「自分の道を生きていこう」という、決意が聞こえます。

出典:「THIS IS ALS IN TOKYO」フライヤーより

どうであれ、生きていくという決意、意思。そういった患者さん一人ひとりの伝えたいことを写真から受け取る、これも一つの理解の形であると実感するエキシビジョンだった。

■ 疾患や患者の存在を知ったうえで、私たちができることは何か

最後に、では私たちは何ができるだろうか、ということについて触れたい。

まず、私は一応物書きなので、多くの人に読んでもらえる場所で伝えたいことを発信し、共感、拡散してもらおうと考える。

記事を通してALSを知る人もいれば、吉藤さんや武藤さんの活動に興味を持ち支援したいと思う人もいれば、買い物ついでに武本さんの写真を見にいく人もいるだろう。

武藤さんが、「4年ほど前にALSの症状が出始めたとき、インターネットで検索するとネガティブな情報ばかりだった、でも今はいろいろと明るいニュースが飛び込んでくるようになった」と言っていたが、確かに世界ALSデー前後では様々なイベントや記事を目にすることができる。

今私は、まったく別のテーマの取材で北に向かう道すがら書いているが、昨日のイベント後に購入したWITH ALSのチャリティリストバンドを付けている。


もしかしたら、これから会う人に「それは何ですか?」と聞かれ、ALSについて、問題解決に向けて日々活動している人たちについて、話すきっかけになるかもしれない。

まずは、知る。次に、何をする? 誰かに伝えたい。そんな風に思う人が、ひとりでも増えることを願う。


【参考】 

オリィ研究所

WITH ALS

Project THIS IS ALS


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女子や浪人年数の多い男子の合格を抑制する目的で、不利な得点調整を行ったとされる「東京医科大不正入試問題」は記憶に新しい。

いかなる理由があろうとも不正は不正であり、女性差別であると厳しい批判を受けることは免れないが、「女性は結婚や出産で長時間勤務ができない」とその理由が語られたことで、医師と母親を両立する難しさもまた一筋縄ではいかない課題として浮き彫りになった。

育児と仕事を両立することの大変さ、医師という職業の厳しさがどれほどのものか想像に難くはないが、だからといってスーパーウーマンしかできないことと結論付けてよいものだろうか。

女医さんたちは、困難な状況をどう乗り越えてきたのか、いかにして医師であり母親であり続けているのか、もう少し具体的に知るべきではないだろうか。

そう考えたとき、真っ先に頭に浮かんだのは、クリニックの院長として活躍する小児科医・竹中美恵子先生だった。小児科医となり、出産を経て開業し、現在に至るまでのストーリーを紹介しよう。

■ 復帰後に待ち受けていた、母親としての懊悩

「我が子以上に入院患者さんや外来患者さんと過ごす時間が長くなればなるほど、いっそのこと子どもを入院させたい、その方がたくさん会えるのに、たくさん抱っこしてあげられるのにとさえ思いました」

竹中先生は、出産後職場に復帰した当時を振り返り、小児科医ならではの懊悩を交えて医師と母親を両立させることの難しさについて語ってくれた。

「首のすわらない子どもを保育園に預けて仕事にいくことには大いに抵抗がありました。病棟で子どもの泣き声を聞くと、我が子が泣いていないかと、心配でたまりませんでした。

唯一しっかりと母と子のコミュニケーションが取れたのは、授乳する時間だったと思います。朝は寝ている状態で保育園に連れていき、また帰って寝ている姿を見て、私は我が子と何分一緒にいれたのだろうと申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。

母親らしいことは何一つできなくなる自分に苛立ちを覚え、母親としての時間を持ちたいと強く思いました。急な子どもの発熱、参観日、他のお母さんはできているのに、女医という職業上、諦めなければいけないことがありましたから」

当然ながら、このように悩んでいたのは彼女だけではなく、同年代の、同じ時期に出産していた女医さんたちは皆同じ悩みを抱えていた。

そこで、1人では一人前の働きができなくても、同じ悩みを持つ女医が集まれば一人前の働きができるのではないかと考え、子どもを含む家族全員を1回の診察で治したいという思いを込めて、「女医によるファミリークリニック」を開業したという。

■ 小児科医の素晴らしさを伝えたい 

同じ悩みを抱える女医だからこそ、子どもと向き合うからこそできることを模索しながら、竹中先生はもう一つ取り組みたいことがあるという。そしてそれは、彼女が小児科を志した理由と密接につながっていた。

「私は、生後間もない頃生死をさまよったことが何度もありましたが、そのたびに小児科医であった祖父が全力で助けてくれました。大病院でのあまりにも過酷な生活に、なぜ小児科を専攻したのか分からなくなる日もありましたが、出産して我が子が熱を出したとき、祖父と同じ小児科医になって良かった、小児科医として大切な時期を一緒に見守りたいと心から思いました。

ただ、小児科医のなり手は少なく、その数は減っています。小児科を志してきてくれた研修医の子が、私が子どもをおんぶしながらカンファレンスに出ている姿を見て、『私は先生のように仕事ができません』と言い小児科を離れていくこともありました。母親になり心から小児科医で良かったと思ったことを伝えきれず本当に残念でした。

だから、私はこんなに素晴らしい職業をもっと多くの女性に小児科医を目指してほしいと声を大にして言いたいです。やはり、子育て中の女性医師だからこそできるアドバイスもあると思いますし、小児科医であってもしっかりと時間を区切って働けるようなシステムができれば、小児科医の先生を増やせるのではないでしょうか」

こう語る竹中先生に悲壮感や諦めのムードは漂っていない。むしろ、「女性は結婚や出産で長時間勤務ができない」と断定することがどれだけ無意味であるかを教えてくれる。

それでも医師であり、母親である女性がいて、この前提で何ができるだろうかと日々奮闘しているからだ。

■ 医師こそ多様な生き方、働き方を

今回は、「女性は半人前」という論調に対してのある種のアンチテーゼとして竹中先生を紹介したが、私は日々の仕事を通して実にさまざまな生き方、働き方をしている女医さんたちと出会ってきた。

産後もバリバリの現役医師として復帰する方もいれば、医師である夫の海外留学についていく形で病院勤めを辞める方もいれば、育児しながら医師資格を活かして別の仕事をする方もいる。

本稿で私が伝えたかったことは、医師の働き方はひとつではないし、病院に勤務して患者を診察していなくても、医師としての責務を果たし、大いに役立つことができるということだ。

例えば、私は医療情報サイトを運営しているが、疾患についての解説、記事監修、オンライン健康相談など、産休育休中の女医さんを中心とする医師の方々の協力なくしては、質の高いコンテンツ、サービスを提供することはできない。もちろん、これは事業者側のみにメリットがあることではなく、医療の専門家による確かな情報を求めるユーザーはもとより、医師にとってもメリットがある。

まず、安定した収入源になり得るだけでなく、臨床を離れることで乏しくなる知識を補充したり、調べ物をする機会になり、診察中は拾いにくい患者の生の声に向き合うことで、医師としてのスキルを維持することにつながるのだという。

妊娠・出産、留学や海外移住により現場を離れざるをえない、これは事実である。だが、医師である前に人間であり、一人の女性である以上当たり前のことで、何よりも大切にすべきライフステージというものがある。

そして、医師としての知識がどんなにあろうとも、初めての育児を前に打ちひしがれることもあるだろうし、場合によっては育児うつなど深刻な状況に陥ってしまうことだってある。それでも、「女性だから」「医師なのに」と言い続けるのだろうか。

働き方改革が叫ばれて久しいが、医師こそ多様な働き方、生き方が必要なことは自明である。道のりは険しくとも、構造的な問題や差別を無くし、研修医が自分には無理だと諦めることなく、あの先生みたいになりたいと憧れ、志すことができる職業にしていかなければならないだろう。



※「Yahoo!ニュース 個人」に寄稿した記事を転載しています

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Googleの検索窓に「旦那」と入れると、「嫌い」「イライラする」などとサジェストされる。ワンオブゼムの筆者としては戦慄するわけだが、検索結果に表示される内容はまちまちで、必ずしも夫をこきおろしているわけではない。

本稿では、そういった検索ニーズを分析し世の妻たちに擦り寄るわけでも、反論したいわけでもなく、嫌い・イライラの理由は十人十色だろうが、「(初めての)育児に奮闘する妻が、夫が帰ってくるとなぜイライラするのか」について考察し、問題提起をしたいと思っている。

なぜなら、当の本人が「なぜイライラするのかわからない」ケースが多いから、そして、そういった見逃してはいけないサインを知ることが非常に重要だからだ。

■ どのようなイライラなのか、なぜ理由がわからないのか

まず、筆者がどういう観点から考察するのかを説明すると、大規模Q&Aコミュニティを運営し、大量なデータを分析する中で得られた知見をもって、である。

育児関連カテゴリにおける女性の相談をテキストマイニングし、傾向を分析していたときのことだが、興味深い共通点があることに気づいた。30歳前後の、おそらく初めての育児をしているお母さんたちの相談で、「夫が帰ってくるとなぜかイライラしてしまう」という内容の相談が非常に多かったのだ。

そしてそれらは、どちらかというと夫を責めたり、不平不満をぶちまける種類のものではなく、なぜイライラするかわからないから、感情をコントロールできないから悩ましいというものだった。回答もまた特徴的で、こうしなさいという指示よりは、「私もそうだった」という先輩からの同調や慰めが多くを占めていた。

何が起きているかわからない当人にとって、多くのお母さんたちが同じ状況を体験しており、共感を得られたという意味では、Q&Aコミュニティに相談したのは正解だと言える。まず、自分だけではない、決しておかしいことではないとわかるだけでも、悩んでいる人にとっては心強い。 

そして、最も知りたいのは、夫が帰ってきたことが引き金になるのに、なぜイライラの理由がわからないのか、である。皆がわかりやすく同じ回答をしているわけではないが、自身の体験も加味して筆者なりに出した主な理由はこうだ。

育児を通してしか経験できない特殊な状況にどっぷり浸かっている中、全く違う状況の人間が現れるからである。

■ イライラの正体は何なのか

まず、赤ん坊はほとんど自分では何もできない。だから、四六時中面倒を見なければならない。

そりゃそうだと言われるかもしれないが、遊びにいけない、仕事ができないどころか、食事もお風呂も睡眠もトイレさえも自分の好きな時にできないということが、どれほどストレスになるか想像できるだろうか。

もちろん、妊娠してから出産するまで何カ月も準備期間はある。だが、子どもが生まれた瞬間から想像を絶する日々が始まるわけで、夫が育児休暇を取っていたり、親がサポートできる環境でない限りは、母子は長い時間二人きりであり、その間お母さんはほとんど自由がないと言える。

朝から晩まで仕事をして帰ってきたら、妻にイライラされる。夫からすれば「がんばっているのに冗談じゃない」「なぜ家に帰ったらこんなに居心地が悪いのか」という話かもしれない。偉そうに書いているが、筆者自身もそう感じていたように思う。情けない話だが、家に帰るとピリピリした空気が漂っていたから、なるべく顔を合わせないよう遅い時間に帰っていた時期があった。

さておき、この話は育児と仕事のどちらが大変か、愛があるのかないのかといった議論とは別物と理解する必要があるのだ。自分の意思で家を出て、仕事を通して何らかの形で社会と接点を持ち、帰ってくる。産休に入る前は当たり前だった日常が、今はかけ離れたところにある。

「うらやましい」という言葉で片付けられる状況ではないが、当たり前の日々を過ごしている存在がどこかうらやましく、妬ましく映るのだ。社畜だなんだといったところで、育児ほど自らの自由は奪われない。だから、夫のことが嫌い、憎いというわけでなくても、帰ってくると複雑な感情を抱いてしまう。

イライラの正体は、夫そのものへの感情ではなく(もちろん夫自身にも問題はあるだろうが)、自分の意思で行動できる存在への、ある種の妬ましさなのである。

■ 産後うつやマタニティブルーとは違うのか

イライラの正体が分かったところで、次に気をつけたいのが、産後うつやマタニティブルーの可能性も念頭に置くということだ。特に、産後うつに関しては非常に深刻な事態を引き起こしかねない。

産後うつは、急激なホルモンバランスの変化や育児におけるストレスで引き起こされると言われるが、原因も症状もさまざまで、イライラや悲しみ、不安、倦怠感などがあっても、それが病気によるものなのか否か、判別が難しい。

国立成育医療研究センターによると、初産における産後うつは出産から2週間後をピークに1カ月後くらいまで高リスクであるというが、里帰り出産をした場合、出産の前後1カ月ほど実家でサポートを受けていたため平気だったものの、夫のもとに戻ったら…ということもある。

先述した「夫が帰ってきたときのイライラ」だったものが、違った種類のイライラへと姿を変え、産後うつへと発展してしまうかもしれない。

つまり、この感情はよくあるもので問題ない、この状態は深刻だと自己判断することは危険であるし、夫をはじめ周囲の人間が正確に把握することは難しいわけで、まずはとにかく何かがおかしいと自覚すること、気付くことが重要なのである。

そして、親としての資質云々ではなく、産後うつは抗いがたい「病気」であることを知る必要がある。自分の子どもはかわいい、愛すべき存在なのだと自分に言い聞かせても、どうしてもそう思えない。大いに絶望し、自分は母親失格だと思い込んでしまう。事実、このような不幸な状態に陥る母親は少なくない。

だからこそ、他人事ではなく誰にでも起こりえることだと認識し、事前にアンテナを張っておく必要がある。仮に本人が大丈夫、がんばるからと言っていたとしても、大丈夫じゃないよ、がんばらなくていい、と言えることが大切なのだ。

ただ、それでもやはり、最良の答えを導き出すことは簡単ではない。産後に精神的なケアまでをしてくれる産院は稀だろうし、心療内科を受診するという選択肢にもなかなか辿り着けないかもしれない。

また、未病、予防、正しい知識の収集、早期発見が重要ですと言ってみたところで、それができたら苦労しないし、準備をしていても産後うつになってしまうことはある。専門的な知識を有する女医さんから「本気で子どもと心中することを考えた」という体験談を聞いてから、それは確信に変わった。

では、育児という初めての体験を通してどうして良いかわからなくなったとき、私たちには何ができるのだろうか。

■ 不都合な現実から目をそらさないことが大切

夫にイライラするのはなぜかという出だしから産後うつまで話が飛躍してしまったが、論点としては同じだ。つまり、今起きていることがたとえ不都合な現実であっても、目をそらさないことが大切なのである。

良き母であろう、良き妻であろうと思っているのに、うまくいかない、夫に当たってしまう。妻は変わってしまった、どうやってサポートすればいいのかわからない。仮にそうなってしまったとしても、それ自体は仕方のないことだし、「こんなはずじゃなかった」と思考停止していても物事は好転しない。

先述の通り、筆者の場合はたまたま事なきを得ただけで、夫婦で何かを乗り越えた、解決したとは言い難い。その意味では、反省の意を込めてこの記事を書いているし、反面教師にしてほしいと思っている。

では、どうすればいいのか。親に頼る? それも一つの解決法かもしれない。かかりつけの産婦人科、心療内科、精神科などを受診する、これも正しい選択だ。

もしくは、まずは自治体の保健センターや精神保健福祉センターに行って相談するのも良いし、「子育て・女性健康支援センター」などの助産師による電話相談を利用しても良いだろう。

電話に抵抗がある、子どもがいると集中して話せないというならば、スマホで手軽に使えるオンライン健康相談サービスを利用したり、コミュニティサイトで同じ悩みを持つ人/乗り越えた人とつながるのも良いかもしれない。

必要な情報源は一つではないし、とにかく自分の中で「正解」を決めつけず選択肢を複数持っておくことが重要だ。

まず、今感じていること、起きていることを自覚する。そして、自分が悪いのだからと抑えこまず、また、そんなはずはないと拒絶もしない。こんなことがあるのかと知る、でも「これは○○だ」と決めつけない。頼れる人、ものを探して、使う。

妊娠、出産、育児を控えている方には、ぜひこのアプローチを試してほしいと思う。そして最後に、繰り返しにはなるが、現実から目をそらすことなく、できるだけ夫婦で話し合い、共に問題に向き合うことが何より大切であると付け加えておきたい。

◎参考

妊娠・出産に伴ううつ病の症状と治療 - e-ヘルスネット - 厚生労働省
全国の精神保健福祉センター一覧
「子育て・女性健康支援センター」一覧



※「Yahoo!ニュース 個人」に寄稿した記事を転載しています

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