Write Between The Lines.

物書き・青木勇気の日々とメディアでの記事更新情報をお届けします。

Googleの検索窓に「旦那」と入れると、「嫌い」「イライラする」などとサジェストされる。ワンオブゼムの筆者としては戦慄するわけだが、検索結果に表示される内容はまちまちで、必ずしも夫をこきおろしているわけではない。

本稿では、そういった検索ニーズを分析し世の妻たちに擦り寄るわけでも、反論したいわけでもなく、嫌い・イライラの理由は十人十色だろうが、「(初めての)育児に奮闘する妻が、夫が帰ってくるとなぜイライラするのか」について考察し、問題提起をしたいと思っている。

なぜなら、当の本人が「なぜイライラするのかわからない」ケースが多いから、そして、そういった見逃してはいけないサインを知ることが非常に重要だからだ。

■ どのようなイライラなのか、なぜ理由がわからないのか

まず、筆者がどういう観点から考察するのかを説明すると、大規模Q&Aコミュニティを運営し、大量なデータを分析する中で得られた知見をもって、である。

育児関連カテゴリにおける女性の相談をテキストマイニングし、傾向を分析していたときのことだが、興味深い共通点があることに気づいた。30歳前後の、おそらく初めての育児をしているお母さんたちの相談で、「夫が帰ってくるとなぜかイライラしてしまう」という内容の相談が非常に多かったのだ。

そしてそれらは、どちらかというと夫を責めたり、不平不満をぶちまける種類のものではなく、なぜイライラするかわからないから、感情をコントロールできないから悩ましいというものだった。回答もまた特徴的で、こうしなさいという指示よりは、「私もそうだった」という先輩からの同調や慰めが多くを占めていた。

何が起きているかわからない当人にとって、多くのお母さんたちが同じ状況を体験しており、共感を得られたという意味では、Q&Aコミュニティに相談したのは正解だと言える。まず、自分だけではない、決しておかしいことではないとわかるだけでも、悩んでいる人にとっては心強い。 

そして、最も知りたいのは、夫が帰ってきたことが引き金になるのに、なぜイライラの理由がわからないのか、である。皆がわかりやすく同じ回答をしているわけではないが、自身の体験も加味して筆者なりに出した主な理由はこうだ。

育児を通してしか経験できない特殊な状況にどっぷり浸かっている中、全く違う状況の人間が現れるからである。

■ イライラの正体は何なのか

まず、赤ん坊はほとんど自分では何もできない。だから、四六時中面倒を見なければならない。

そりゃそうだと言われるかもしれないが、遊びにいけない、仕事ができないどころか、食事もお風呂も睡眠もトイレさえも自分の好きな時にできないということが、どれほどストレスになるか想像できるだろうか。

もちろん、妊娠してから出産するまで何カ月も準備期間はある。だが、子どもが生まれた瞬間から想像を絶する日々が始まるわけで、夫が育児休暇を取っていたり、親がサポートできる環境でない限りは、母子は長い時間二人きりであり、その間お母さんはほとんど自由がないと言える。

朝から晩まで仕事をして帰ってきたら、妻にイライラされる。夫からすれば「がんばっているのに冗談じゃない」「なぜ家に帰ったらこんなに居心地が悪いのか」という話かもしれない。偉そうに書いているが、筆者自身もそう感じていたように思う。情けない話だが、家に帰るとピリピリした空気が漂っていたから、なるべく顔を合わせないよう遅い時間に帰っていた時期があった。

さておき、この話は育児と仕事のどちらが大変か、愛があるのかないのかといった議論とは別物と理解する必要があるのだ。自分の意思で家を出て、仕事を通して何らかの形で社会と接点を持ち、帰ってくる。産休に入る前は当たり前だった日常が、今はかけ離れたところにある。

「うらやましい」という言葉で片付けられる状況ではないが、当たり前の日々を過ごしている存在がどこかうらやましく、妬ましく映るのだ。社畜だなんだといったところで、育児ほど自らの自由は奪われない。だから、夫のことが嫌い、憎いというわけでなくても、帰ってくると複雑な感情を抱いてしまう。

イライラの正体は、夫そのものへの感情ではなく(もちろん夫自身にも問題はあるだろうが)、自分の意思で行動できる存在への、ある種の妬ましさなのである。

■ 産後うつやマタニティブルーとは違うのか

イライラの正体が分かったところで、次に気をつけたいのが、産後うつやマタニティブルーの可能性も念頭に置くということだ。特に、産後うつに関しては非常に深刻な事態を引き起こしかねない。

産後うつは、急激なホルモンバランスの変化や育児におけるストレスで引き起こされると言われるが、原因も症状もさまざまで、イライラや悲しみ、不安、倦怠感などがあっても、それが病気によるものなのか否か、判別が難しい。

国立成育医療研究センターによると、初産における産後うつは出産から2週間後をピークに1カ月後くらいまで高リスクであるというが、里帰り出産をした場合、出産の前後1カ月ほど実家でサポートを受けていたため平気だったものの、夫のもとに戻ったら…ということもある。

先述した「夫が帰ってきたときのイライラ」だったものが、違った種類のイライラへと姿を変え、産後うつへと発展してしまうかもしれない。

つまり、この感情はよくあるもので問題ない、この状態は深刻だと自己判断することは危険であるし、夫をはじめ周囲の人間が正確に把握することは難しいわけで、まずはとにかく何かがおかしいと自覚すること、気付くことが重要なのである。

そして、親としての資質云々ではなく、産後うつは抗いがたい「病気」であることを知る必要がある。自分の子どもはかわいい、愛すべき存在なのだと自分に言い聞かせても、どうしてもそう思えない。大いに絶望し、自分は母親失格だと思い込んでしまう。事実、このような不幸な状態に陥る母親は少なくない。

だからこそ、他人事ではなく誰にでも起こりえることだと認識し、事前にアンテナを張っておく必要がある。仮に本人が大丈夫、がんばるからと言っていたとしても、大丈夫じゃないよ、がんばらなくていい、と言えることが大切なのだ。

ただ、それでもやはり、最良の答えを導き出すことは簡単ではない。産後に精神的なケアまでをしてくれる産院は稀だろうし、心療内科を受診するという選択肢にもなかなか辿り着けないかもしれない。

また、未病、予防、正しい知識の収集、早期発見が重要ですと言ってみたところで、それができたら苦労しないし、準備をしていても産後うつになってしまうことはある。専門的な知識を有する女医さんから「本気で子どもと心中することを考えた」という体験談を聞いてから、それは確信に変わった。

では、育児という初めての体験を通してどうして良いかわからなくなったとき、私たちには何ができるのだろうか。

■ 不都合な現実から目をそらさないことが大切

夫にイライラするのはなぜかという出だしから産後うつまで話が飛躍してしまったが、論点としては同じだ。つまり、今起きていることがたとえ不都合な現実であっても、目をそらさないことが大切なのである。

良き母であろう、良き妻であろうと思っているのに、うまくいかない、夫に当たってしまう。妻は変わってしまった、どうやってサポートすればいいのかわからない。仮にそうなってしまったとしても、それ自体は仕方のないことだし、「こんなはずじゃなかった」と思考停止していても物事は好転しない。

先述の通り、筆者の場合はたまたま事なきを得ただけで、夫婦で何かを乗り越えた、解決したとは言い難い。その意味では、反省の意を込めてこの記事を書いているし、反面教師にしてほしいと思っている。

では、どうすればいいのか。親に頼る? それも一つの解決法かもしれない。かかりつけの産婦人科、心療内科、精神科などを受診する、これも正しい選択だ。

もしくは、まずは自治体の保健センターや精神保健福祉センターに行って相談するのも良いし、「子育て・女性健康支援センター」などの助産師による電話相談を利用しても良いだろう。

電話に抵抗がある、子どもがいると集中して話せないというならば、スマホで手軽に使えるオンライン健康相談サービスを利用したり、コミュニティサイトで同じ悩みを持つ人/乗り越えた人とつながるのも良いかもしれない。

必要な情報源は一つではないし、とにかく自分の中で「正解」を決めつけず選択肢を複数持っておくことが重要だ。

まず、今感じていること、起きていることを自覚する。そして、自分が悪いのだからと抑えこまず、また、そんなはずはないと拒絶もしない。こんなことがあるのかと知る、でも「これは○○だ」と決めつけない。頼れる人、ものを探して、使う。

妊娠、出産、育児を控えている方には、ぜひこのアプローチを試してほしいと思う。そして最後に、繰り返しにはなるが、現実から目をそらすことなく、できるだけ夫婦で話し合い、共に問題に向き合うことが何より大切であると付け加えておきたい。

◎参考

妊娠・出産に伴ううつ病の症状と治療 - e-ヘルスネット - 厚生労働省
全国の精神保健福祉センター一覧
「子育て・女性健康支援センター」一覧



※「Yahoo!ニュース 個人」に寄稿した記事を転載しています

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東日本大震災から7年。警視庁によると、2018年3月1日現在の東日本大震災における死者は1万5895人、身元不明のご遺体は62人(岩手県52人、宮城県10人)いる。

また、行方不明者は2539人で、警察はこれまでにのべ67万人以上を投入して捜索し、この1年では15人(うち死者2人)の身元が特定できたとのことだ。

所持品や身体的な特徴、歯型鑑定、DNA鑑定により99.6%以上の身元が判明しているものの、時間の経過とともに特定は難しくなっており、身元不明のご遺体をゼロにする道のりは険しい。

このように、淡々と数字で語ってしまうのは心苦しいものがある。ご遺体を遺族のもとに帰すことができたのは、無名の人たちによる並々ならぬ尽力があったからだ。

そのことに対して心から敬意を表したいし、多くの人にとってひとかたまりの数値でしか語れないものが、残された者にとってはかけがえのない「1」であるという、ごく当たり前のことを忘れてはいけない。

たとえば、1000人近い死者を出した岩手県釜石市では、震災直後何が起こっていたか。同時に多くの人が亡くなった際の問題として、まず遺体安置所が足りなくなる。そして、火葬場も機能せず、亡骸を火葬することすらできない状態になる。衛生上そのままにしておくわけにはいかないので、苦渋の決断として一時的に土葬する。近隣の県の自治体に支援を依頼し、目処がついた時点で遺族が遺体を掘り起こして、遠くまで火葬しにいったという。

そこでは、遺体を「物」として扱うようなことはなく、人間としての尊厳とは何かを示し合わせるまでもなく、1分1秒でも早く遺族のもとへ帰そう、誠意をもって弔おうという行動が優先される。

懸命に救助やご遺体の発見に取り組む自衛隊員やただひたすらにご遺体の死体検案をする医師、遺体安置所で読経し続ける僧侶など、彼らは誰に命じられたわけでもなく、必死で死者と遺族に向き合っていた。

ごく一部ではあるが、震災直後から今日に至るまでに、震災遺族・遺児のために誰が、どんな活動をしてきたのか紹介しよう。

■ 警察歯科医と海中捜索潜水士

大ヒットナンバーの『キセキ』などで知られるボーカルグループ「GReeeeN」のリーダー・HIDEさんが、歯科医師として検視作業に参加したことでその存在を知った人も多い「警察歯科医」。

検視は、刑事訴訟法第229条に基づき、医師の立ち会いのもと検察官ないしは警察官がご遺体の状況を調べるもので、警察歯科医は警察からの協力要請に基づき、検視の補助行為として身元確認作業を行う。

ご遺体の身元を特定するために用いるデータには、歯科所見、DNA型などがあり、今回のような震災や大事故によって身元の確認が長期化するケースでは、特に歯科所見の有効性が高いと証明されている。

震災発生から約1カ月後、歯科医師の人手が不足する中、HIDEさんは自ら志願して福島県相馬市の遺体安置所に向かった。想像を絶する状況に衝撃を受けながらも「この方を早く家族に会わせたい」という一心で身元確認作業にあたったという。

また、冒頭で行方不明者の数について触れたが、行方不明者の捜索もまた壮絶なものがある。

宮城海上保安部の巡視船「くりこま」は、潜水士や水中探索カメラ等を備えており、震災直後はもちろんのこと、いまなお行方不明者の家族や自治体からの要望に応える形で、潮の流れにより漂流物が止まりやすい地形など特定の地域に潜水して捜索している。

先日、七十七銀行女川支店職員の家族の要請により女川町石浜地区の沖合で行われた潜水捜索では、午前午後で30分ずつ直径20メートルの範囲、水深20メートルほどを捜索し、車のナンバープレート等が見つかったという。

海中捜索は年月が経つに伴い、海底の車やがれきには土砂が積もって海藻が付着し、手がかりとなるものが見つけにくくなるが、それでも「ひとかけらでも見つけたい」という思いで潜水し続ける人たちがいる。

もちろん、行方不明者を一人でも減らすことができれば最善であるが、たとえ収穫がゼロでも、その報告自体が遺族にとっては次善となる。「ここにはいない、もう来なくてもいいんだ」というように。

死者にそこまでしてお金や労力をかける必要があるのか、そういう意見もあるかもしれない。だが、それはもう理屈ではなく、突然訳も分からないうちに命を落としてしまった人を家族のもとに帰してあげたい、ただそれだけなのだ。

頭ではわかっていても、愛するものの死は受け入れがたい。帰りを待つ人たちには、別の時間が流れている。しかし、たとえそれが辛い現実であっても、一つの区切りがあることで、前に進むきっかけになる。遺族を救う、サポートする形は必ずしも一つではない。

■ 遺族・遺児支援について

東日本大震災において遺族となった人の数は約10万人とも言われ、遺族へのケアは重要なテーマの一つだ。具体的には、被災地における電話相談や遺族同士でのわかちあい、親を亡くした子どものケアプログラムなどが挙げられる。

仙台市、石巻市、気仙沼市で行われている震災で子どもを亡くした親の集い「つむぎの会」、岩沼市の「灯里の会」、石巻市の「蓮の会」では親同士の交流場所とし、震災遺族の集いを開催している。また、行方不明になった家族のいる方に向けて、仙台市、石巻市、気仙沼市、岩沼市では宗教者と連携した「法話の会」が行われている。

NPO法人ライフリンクが運営する「震災で大切な人を亡くされた方へ~東日本大震災遺族支援ホームページ」では、岩手県、宮城県、福島県のみで通話可能な「死別・離別の悲しみ相談ダイヤル」や手紙での相談を受けており、各種相談・支援窓口の紹介も行っている。

災害における様々な支援事業を手がける一般社団法人日本DMORTは、精神医学やカウンセリングを専門にしていない人でも「グリーフ(悲嘆)ケア」のポイントを押さえられるようにと、震災の1カ月後に作成した「家族(遺族)支援マニュアル」は、第三者が被災者と向き合う際に非常に有用である。

同様の事例は枚挙にいとまがないが、私がここで伝えたいのは、有事の際の対応における「役割」を知るということだ。そしてそれは、当事者ではない人には何ができるだろうか、という問いでもある。

復興、脱原発といった大きな主語で語るのではなく、一人ひとりができることを考えたい。

■ 私たちに必要なもの、それは想像力を働かせること

東日本大震災は、被災者に寄り添うという名目のもとプロパガンダとして利用されたり、原発の是非を絡めることでイデオロギーの発露の場にされてきた。

しかし、そのような思惑とは別のところで、必死に力を尽くした人、いまもなお被災者と向き合っている人たちがいるのは先に述べた通りである。

たとえ知り得る情報はほんの一握りであっても、死者の数や行方不明者の数がわかれば、その先に多数の遺族・遺児がいることはわかるし、捜索にあたった人の数がわかれば、どれだけ多くの人が動員し、様々な職業の人がどんな役割を担ったのかがわかる。

また、時が流れ震災の記憶が薄れても、時を経たからこそ詳らかに語られることもあるし、一方で、語ることはできても、到底受け入れられない現実もまた見えてくる。当事者ではない人間にとって、それらは非常に重要な情報となるだろう。

期せずして震災遺族に出会うかもしれないし、何気ない会話の中でその事実を知ることになるかもしれない。そのとき自分に何ができるだろうと想像力を働かせ、向き合うことには意味がある。

遺族の悲嘆を想像してみる、無神経な一言を発しない、そのことだけでも十分役割を担っていると言えるのではないだろうか。

いまさら、ではなく、いまから。3.11が遠い記憶になっていくからこそできることもある、そう考えることからはじめてみてはどうだろうか。

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超高齢化と核家族化が進む中、日本は深刻な状況にある。2025年には、第一次ベビーブームの時期に生まれた世代が後期高齢者(75歳以上)になり、介護・医療費等の社会保障費が急増すると懸念され、高齢者は約3,500万人(人口比約30%)、さらに認知症の患者数は約700万人、つまり5人に1人になると見込まれている。

これは遠い未来の話ではなく、認知症患者が徘徊中に電車にはねられ死亡、介護疲れによる心中事件や殺人事件、認知症同士で介護する認認介護問題など、毎日のように暗澹たる思いにかられるニュースを見るにつけ、否が応でも現実味を帯びたものとして感じられる事態だ。

いずれにせよ、認知症の最大の危険因子は加齢である限り、高齢化社会においては必然的に認知症患者が増え、多くの人にとって特別なことではなくなっていくことは間違いない。

このようなタッチで書くと重苦しくなってしまうが、本稿では暗い未来予想図でもって危機感を煽りたいわけではなく、むしろ逆で、避けられないことだからこそ、より身近な存在として受け入れるヒントになるトピックスを紹介したいと思う。

認知症の人も、周囲の人も笑顔になれる空間、その名も「注文をまちがえる料理店」だ。

■ 認知症の人が働く、「注文をまちがえるレストラン」とは

「注文をまちがえる料理店」実行委員会提供

「注文をまちがえる料理店っていうのをやろうと思ってるんだよね」

彼は、こともなげにこう言った。宮沢賢治の『注文の多い料理店』をもじった何かなんだということはすぐにわかったが、私は内容を聞いて、それは面白い、ぜひ実現させたいな、でも大丈夫なの?と聞き返した。

「注文をまちがえる料理店」の発起人である小国士朗さんは、テレビ局のディレクターであり、飲食店経営の経験はない。きっかけはグループホームを取材中に体験したある「間違い」だった。

認知症の方々が作る料理を食べたときに、聞いていたメニューと全く違うものが出てきて一瞬戸惑ったが、「注文したものと違うものがきたけど、ま、いっか」そう言えるだけで、自分をとりまく世界は少し変わるのかもしれないと思い至ったという。つまり、治療や法律、制度を変えることは大切だけれど、周囲がほんの少し寛容であるだけで解決する問題もたくさんあるんじゃないかなということだ。

間違えること、うまくできないことを受け入れる、一緒に楽しむ。そんな新しい価値観を、認知症の方々が働く不思議なレストランから発信したい、その思いに突き動かされ、先日ついにプレオープンまでこぎつけた。

■ プレオープンから見えた可能性と課題

プレオープンは、都内某所で2日間、ランチタイムのみ限定80名で行われた。私は営業時間ぎりぎりに5歳の息子と駆け込んだが、大盛況でお腹を空かせながらかなり待つことになった。

席に通されると、にこにこと笑いながらおばあさんがお水を運びつつ、注文をとりにきてくれた。私はハンバーグとアイスコーヒー、息子はピザとオレンジジュースをオーダー。客が自分で希望するメニューにチェックを入れて渡す方式だったこともあり、「まちがえる」ことなく正しいものが運ばれてきた。

「メゾンカイザー」「吉野家」「中国料理新橋亭」プロデュースは伊達ではなく、どのメニューも美味しい。もちろん、間違えたとしても大丈夫なように、アレルギーには配慮してくれる。

息子はコーンが好きではないのではじめは積極的に食べようとしなかったが、美味しかったからかお腹が減ったからかはわからないが、私が実行委員会の方々と話している間にほぼ完食していた。

試しに、これを書きながら息子にプレオープン時の写真を見せて覚えてるかと聞いたら、「うん、ピザを食べたよ」とだけ返ってきた。他には?と聞くと「美味しかった」と。

私は、あることに気づいた。大人たちは「注文をまちがえる料理店」というネーミングと、認知症の方が働くということが何を意味するかわかるし、どうしてもそこで起こることに期待してしまう。

だが、息子にとって特別な点は、普段行かないところでご飯を食べた、かなり歩いた、待たされた、ということであり、認知症のおじいちゃん、おばあちゃんがいたことではない。5歳の子どもは何も知らなかったから、特に違和感を覚えなかったわけで、むしろその状況こそが望ましいのではないかということだ。

もちろん、このプロジェクトを批判したいわけではない。「注文をまちがえる料理店」のプレオープンは、介護や飲食のプロだけでなく、ロゴや空間デザイン含め、さまざな領域のプロフェッショナルによって綿密に準備されたイベントであり、奇跡的とも言えるレベルでバランスが保たれていた。だからこそ、そこにいる人たちが笑顔で、心地よい時間を過ごすことができたのである。

事実、参加した客はもちろんのこと、ニュースとなった後のSNSにおける反応を見ても、認知症患者を見世物にするなといった批判もほぼなく好意的に受け入れられており、海外からも絶賛され多数のメディアから取材が殺到している。

その上で私は、「何も知らないでこのお店に来たらどうなるのか知りたい」と思ったのである。プレオープンは2日間で80人、かつ実行委員会のメンバーが招待した客だったため、「たまたまふらっと来た」わけではなく、プロジェクトに対して好意的で、認知症の方々を優しく受け入れる余裕があったとも言える。

果たして、『注文の多い料理店』のように「どなたもどうかお入りください。決してご遠慮はありません」とだけ書いてあったとしても、同じような空間になるだろうか。

■ どうすれば、“てへぺろ”の輪を広げていけるのか

そのような筆者の懸念は織り込み済みで、ハイレベルな運営ありきの「注文をまちがえる料理店」サステイナブルなものにするために、実行委員会はまずクラウドファンディングを用いた。

より本格的なイベントとフランチャイズする際に貸出し可能な公式グッズの制作、レギュレーションの整備などに必要な費用を募り、見事達成している。

認知症の方と作る「注文をまちがえる料理店」広がれてへぺろの輪

9月にプロジェクトが実行されることが決まり、どんな空間になるか楽しみだが、その後の展開についてもすでに飲食チェーンや市区町村とのタイアップが決まっているという。これからさまざまな形で“てへぺろも輪”が広がっていく様に注目したい。

最後に、小国さんから聞いた後日談に重要な示唆を与えるエピソードがあったので、紹介して終わろうと思う。

「注文をまちがえる料理店」で働いてくれた方々に謝礼を渡した際に、そのことを忘れていて「このお金は何?」と聞かれてしまった、でも、一生懸命働いてくれたじゃないですかと説明したら、「よくわからないけど、何か楽しかったのは覚えてるよ」と笑顔で答えてくれたという。

当たり前のことだが、すぐ忘れてしまうとしても、その時々で楽しいとか、充実しているとか感じられるのに越したことはない。

「注文をまちがえる料理店」に、認知症の治療・予防、雇用の創出といったことを過度に期待するのではなく、QOL(生活の質)という観点で、認知症の人が社会に参加し、たとえ一瞬でも、充実した時間を過ごしていると感じられることを大切にすれば良いのではないだろうか。

なぜなら、それは人間の尊厳が確立している状態であり、弱者として囲い込むことなく、共にあるということだからだ。

参考:

内閣府 平成28年版高齢社会白書(概要版)

内閣府 平成23年版高齢社会白書



 ※「Yahoo!ニュース 個人」に寄稿した記事を転載しています
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「キミは大丈夫だよ、おもしろいもん」


これは、Twitterで人気の燃え殻さんのデビュー作『ボクたちはみんな大人になれなかった』で、「最愛のブス」が「ボク」に向かって言ったセリフだ。


何気ない一言だけで生きていける、事実そういうことがある。「自分より好きになった人」の言葉は、他の何物にも勝る。


『ボクたちはみんな大人になれなかった』は、そういうことが書かれた小説だ。その意味でこの物語は、100パーセントの恋愛小説だと思うし、処女作にふさわしいと言える。


「燃え殻って誰?」という方もいると思うが、百聞は一見に如かず、Twitterアカウントを見てほしい。彼の投稿を見れば、「あぁなるほどね」と思っていただけるのではないだろうか。なので、ここでは割愛する。


さて、燃え殻さんが書いたのはどんな小説なのだろうか。


記憶は小説に似ていて、小説は記憶に似ている

物語は43歳のボクの今から始まる。どん底を抜け出し晴れて業界人となり、器用に、でもどこか虚しさを抱えて生きる主人公の日常が描きながら、Facebookという過去の人間とつながる最強にKYなツールをうまく使い、自分の人生を大きく変えた昔の彼女を召喚する。


スノッブな人々の振る舞いや女優の卵との気のないセックスと、「最愛のブス」のみずみずしい記憶とのコントラストが際立つ冒頭で、読者は一気に物語へと引き込む。20年前の記憶が今へと集約されていく様を見届ける中で、人と人とのつながりから生まれる切なさと優しさに、思う存分浸ることになる。


記憶とは曖昧で不安定なものだが、同時に事実よりも鮮明で、確からしく感じるものでもある。だからこそ、過去から現在につながる記憶を紐解くことで、物語になるのだ。


村上春樹は、短編集の中で記憶と小説についてこう表現している。

「記憶というのは小説に似ている、あるいは小説というのは記憶に似ている」

出典:村上春樹『午後の最後の芝生』

恋人についてであれ、他愛のない出来事であれ、忘れられないもの、忘れたくないものの中に物語がある。そして、それらの記憶のかけらを拾い集め、改めてストーリーとして紡いだものが小説だ。


その中には、読む人の記憶を呼び起こし、胸を締め付け、心をゆさぶるものが詰まっていて、登場人物やそこにある世界に自らを重ね合わせ、物語に入り込むことができる。


物語を共有するというその行為において、パーソナルな記憶は普遍的なものへと昇華される。燃え殻さんは、短編小説のようなタイトルが付けられた19の章それぞれのシーンで、現在と過去を行ったり来たりしながら、それをやってのけた。まさに、ストーリーテラーである。


■ 全くの新人の小説が売れる意味

それにしても、この小説は売れ行きがすごい。Amazonの「文学・評論」カテゴリで1位になり入荷待ち、発売日に何店舗か回ってようやく買えたし、異例の売れ方だよなと思っていたら、案の定1週間も経たないうちに、初版の3倍という大増版が決まったとのことだ。


芥川賞を受賞して売れるのとはワケが違う。Twitterで人気の「140文字の文学者」とはいえ、燃え殻さんはマスメディアに露出していない会社員なわけで、小説というジャンルでいきなり売れるのはほとんど奇跡的と言える。


主人公の経験してきたことは決して「よくあること」ではないし、かといってセンセーショナルな何かがあるわけでもない。10代、20代の読者には当時の感覚は理解しにくいはずだ。わかりやすく共感できるストーリーだから、文才があるから、という一言では片付けられない。


では、なぜ売れるのか。それはやはり、記憶をこれでもかと刺激され、思わず「自分語り」をしてしまう小説だからではないだろうか。


「俺にも似たような経験がある」「特別可愛くもないのに、なんであんなに好きだったのだろう」「私もこんな人と恋愛がしてみたかった」


読んだ人は、それぞれの言葉で、それぞれの経験、物語を語りたくなる、そういう種類の小説なのである。


Twitterとの相性も良く、レビューよりも早く同時代を生きたおじさんたちが自分語りを始める。それを見たフォロワーは自分も読まなきゃ、だって燃え殻さんが書いたんだぜ? あの人が薦めてるんだぜ?と思わず手に取ってしまう。


それだけ話題になれば、メディアもこぞって取り上げ、露出が増え、燃え殻さんを知らなかった人たちのもとにも届く、という算段だろう。


というわけで、発売日に書店を回りどうにか手に入れた筆者も、ご多分に漏れず自分語りをしたいと思う。


■ 燃え殻さんへ

燃え殻さん、出版おめでとうございます。一気に読みましたよ。勝手ながら、僕が23歳くらいのときに書いた未熟極まりない小説と同じことを書いているなと思いました。


つまり、徹底してひとりの女性を描いているということです。彼女は僕にとって、女性そのもの、恋そのものでした。ボクと同じように、はじめて他人を自分より好きになりました。そんなことがあり得るかわからないけれど、そう感じた人です。


5、6年ぼど前に燃え殻さんから「ども、いつもツイート拝見させてもらってます」というDMをいただいて小躍りしたのを思い出します。僕はファン感丸出しで「燃え殻さんのツイートが一番好きです!」とかなんとか暑苦しいリプをしており、そこから会いたいですね、いつにしましょう、やっぱり無理になっちゃいましたと数年ダラダラやり取りしましたね。


ようやく会えた日、燃え殻さんの勤務先のエントランスで長々とお話してすごく盛り上がった気がしましたけれど、内容は全然覚えてないです。たぶん、燃え殻さんも同じなんじゃないかと思います。


3年くらい前まで、燃え殻さんは本を書け書け言われているけれど自信がなく逃げ倒していると言ってましたよね。そして、もし書くなら、今までのことを半自伝的に見たいな感じなのかな、とも。


プライベートなやり取りを晒してしまい、すみません。でも、ボクは最愛のブスの言葉を信じて書いたんですよね? きっと。だから、僕はこの物語を読めたことが嬉しいんですよね。


「次回作に期待しています!」なんて絶対言わないので、おごってください。下戸なので、コーヒーでも。




 ※「Yahoo!ニュース 個人」に寄稿した記事を転載しています
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6月21日は、世界ALSデー。文字通り、世界中で難病ALS(筋萎縮性側索硬化症)の啓発活動が行われる日だ。


私は以前、ALSにおける疾患啓発について書いたが、今回は疾患そのものではなく、ある患者さんにフォーカスしたいと思う。


去る3月31日、ALS患者の藤元健二さんが亡くなった。3月25日には初の著作『閉じ込められた僕』を上梓しており、出版記念パーティーを目前に控えた矢先のことだった。


48歳のときに不自然な手の震えを感じ、その後確実に体の自由は奪われていき、50歳で確定診断が出て、胃ろうの造設、気管切開をすることで生きることを選択したが、53歳で胃がん、心筋梗塞を併発し、54歳で亡くなった。


一行で表現するとこういう紹介になるが、あまりにも味気なく、藤元さんの人となりをこれっぽっちも伝えることができない。いかに壮絶な最期だったかを描き、ALSという病気の難しさ、患者や家族の苦悩や公的サポートの重要性を伝え、疾患啓発につなげることが「北風」形式だとすれば、これから書くことは「太陽」とまではいかないまでも、頬を撫でる「そよ風」のようなものでありたいと思う。


伝えたいのは、ALSの恐ろしさではなく、ひとりの患者の生き方。手放しに称賛するわけではない、でもそれでいて、心から敬意を表したい生き方についてである。


■ 藤元健二さんと出会い、受け取ったもの

藤元さんとは、冒頭で触れた記事を通して知り合った。取り留めのない記事ではあったが、それでも藤元さんは「とても丁寧な文章で繊細ささえ感じます。事実を大局的に、多面的、複眼的に捉えられていて、そこから単なる批判、批評で終わらない素晴らしさがあると思います」というコメントをいただいた。


ALSの患者さんに読んでもらい、かつお褒めの言葉をいただいたことは、純粋に嬉しかったし、さらにはFacebookでメッセージ付きの友達申請までいただき、ありがたい限りだった。


あまりにも普通にメッセージが届くので当時は意識していなかったが、著作に書かれている時期と照らし合わせてみると、このときはすでに指先は動かなくなっており、視線入力装置を用いていたであろうことがわかり、改めてありがたみを感じた。


それからしばらくは、お互いの投稿に頻繁にいいねし合っていたが、時間の経過とともに彼の投稿、いいねの頻度は減り、ポジティブでユーモアに溢れる投稿が悲痛な叫びに変わり、私は胸が苦しくなることが多くなっていった。


ここでひとつ、彼の人となりを表す一節を紹介しよう。

さらっと生きよう

みなさんお気づきですか?

平成二六年のデータによると、日本人の死因上位三位は、

第一位 がん

第二位 心臓疾患

第三位 肺炎

だそうです。

この三つに同時に罹患するなんて、すごいと思いますし、ましてや平均余命五年以内のALS患者なわけです。

さらっと生きようと思います。

それがカッコいいと思いますので。

出典:閉じ込められた僕』P182

これは、意識を失い緊急搬送され、ALSだけでなく複数の病気を罹患していることがわかった約1カ月後の投稿だ。残酷な運命という言葉が生温く感じられるような凄惨な事態だが、他人事のようにさらっと書いている。


私でさえ、なぜこんなひどい目に遭わなければいけないのかと心から同情し、悔しい思いをしたのに、どうしてこんなことが言えるのか。いや、あえて強がり、平静を装っているのかもしれない。実際に、この後はカッコつけてなどいられなくなっている。


そうか、藤元さんは病と闘っているのではなく、自分自身と向き合っているのか。ALSによって動かなくなる体とクリアなままの頭が、否が応にもそうさせるのだとしても、強いとか弱いとか、すごいとか偉いとか、そういうことではなく、藤元さんの生き方の表れなのだと思い当たった。


そうして私は、極めて稀なケースではあるが、難病だから、がん患者だから、という枠組みに当てはめて考えず、あくまでひとりの人間の生き様として見守りたいと思った。


これがALSという病気をセンセーショナルに書くことはやめようと決めた背景である。


■ 絶望的な状況における夢と希望

胃ろう造設、気管切開、TLS(Totally Locked-in State:完全閉じ込め状態)…ALSという難病を難病たらしめる、物々しく象徴的な言葉は数多くある。だが、病気の進行をステージで切ってしまうと、ALSを知らない人に対して絶望感を端的に伝えることはできるが、その代わり日々の細やかな悩みや障害、病状とは直接関係しない部分での問題が端折られてしまう。


基本的にはプライベートがなく、食事や入浴、排泄などはもとより、体の位置を変える、痒いところを掻く、虫を手で払うなど、普段は意識すらしないような所作さえも、他者の力を借りるしかない状況ではどんな気持ちになるのか。


自暴自棄にすらなれないのがALSの辛いところで、泣き叫んだり、物に当たったり、酒をあおったり、現実逃避の旅に出たりすることもできないのであれば、患者のストレス発散や日常における小さな幸せとは何なのか。治療やメンタルケア以外でもQOLを高めるためにできることはないだろうか、なかなかそういったことまで想像が及ばない。


平均余命が2年~5年というと、それだけしか生きられないのかと絶望するが、一方で条件が揃えば長く生きることも可能な病気でもあり、むしろそれをどう実現するか、日々をどう過ごすのか、という部分が非常に大事になってくる。


防げない病気である以上、患者本人には責任はないし、動けなくなろうが、ご飯が食べれなくなろうが、声を失おうが、生きたいと思う権利がある。そして、必ずしも十分とは言えないかもしれないが、医療従事者や介護者、各種制度・保険はその意思を尊重するべく存在している。


ただ、やはり理屈では片付けられない問題がある。家族による介護だ。親が認知症になったときは子どもが面倒を見るべきだ、夫の介護は妻がしないで誰がするのか、こういった論調は根強いし、事実そうせざるをえない状況がある。


そこで藤元さんは、家族の負担の大きさや、奥様の介護離職のリスクを鑑みて「24時間他人介護」という目標を掲げたのである。これには、非常に大きな意味がある。家族が介護しないなんて…という後ろめたさだけでどうにかできるレベルの問題ではないし、家族にも人生がある。そこを損なえば、QOLも何もあったものではない。目指すところは延命ではなく、あくまでより良い人生を過ごすことなのだ。


夢や希望というと、少し違うものをイメージするかもしれないが、ALSと共に生きる方法を考え、実践していくことには希望がある。そうでなければ、絶望と恐怖に絡め取られてしまうだろう。病気が治ることを期待し続けることも、死を受け入れることもしない選択があり、そこに自ら向かえる患者力のようなものを垣間見た気がした。


今後、アイス・バケツ・チャレンジのような一大ムーブメントは起きないかもしれないし、難病はALSだけではない、結局理解は深まっていないとたしなめられるかもしれない。あるいは、予防も治療もできない以上どうしようもないんだから、知っても仕方ないじゃないか、ALSの患者さんを見ても辛くなるだけだよ、そんな風に思う方もいるかもしれない。


でも、それでも、ひとりのALS患者がどのように生きたのか、伝えたかったのだ。自分自身と向き合い、生きていくことは、誰にとっても他人事ではないはずから。


ぜひ、エッセイを読む感覚で、『閉じ込められた僕』を手に取ってもらえればと思う。


■ 最後に

藤元さんへ

前向きの理由

前向きですねと

言われると

違和感がある

前以外に

どこを向くんだろう

出典:『閉じ込められた僕』P76

この一節がとても好きです。まさにその通りだと思うんですよね。


お会いすることは叶いませんでしたが、Facebookの投稿や著作を通して、多くのことを受け取ることができました。本当にありがとうございます。


相も変わらず取り留めのない文章ですが、藤元健二さんとご家族に捧げます。


【参考】

『閉じこめられた僕 - 難病ALSが教えてくれた生きる勇気』(中央公論新社)



 「Yahoo!ニュース 個人」に寄稿した記事を転載しています 

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