『死刑長寿』野坂昭如著(文春文庫)『写楽・考』北森鴻著(新潮文庫)

2008年02月09日

『隠蔽捜査』今野敏著(新潮文庫)4

隠蔽捜査 (新潮文庫 こ 42-3)

 今野さんの本は以前、『このミス』で取り上げられた『蓬莱』を読んだことがあるだけだ。講談社文庫で『ST 警視庁科学特捜班』シリーズを見つけて、読んでみようかと思ったこともあるが、結局買わず仕舞いだった。この『隠蔽捜査』を読む気になったのは、文庫本の裏表紙の紹介に、吉川英治文学新人賞の受賞作とあったからだ。この賞の受賞作は割と外れがない。

 さて、この作品の主人公は警察庁のキャリア。キャリアが主人公と聞くと、例えば大沢在昌さんの『新宿鮫』の鮫島のようなはみ出したキャリアを思い浮かべてしまう。

 ところが、警察庁長官官房の総務課長である、この作品の主人公・竜崎伸也はちょっとイメージが違う。つまり、ぼくが期待するようなはみ出し者ではなく、組織の枠にキチッと収まった人物なのである。

 正直、読みはじめてしばらくの間は、全然彼に魅力を感じなかった。

 「家庭のことは妻の仕事だ。私の仕事は、国家の治安を守ることだ」とか、「東大以外は大学ではない」とか、「官僚の世界は、部下であっても決して信用してはならない」とかいった考えを持つ竜崎は、とにかく、ぼくにとっては虫の好かない人物である。

 竜崎はある朝、テレビのニュースで足立区内で殺人事件が起きたことを知る。マスコミ対策を担っている彼は、警視庁から情報が上がってこないことに腹を立てる。

 被害者は、1980年代の終わりに足立区で起きた誘拐、監禁、強姦、殺人、死体遺棄事件の実行犯の一人で、拳銃で射殺されていた。当時、少年であった被害者は、検察に逆送され、5年から10年の判決を受けたが、3年で出所していた。

 竜崎は警視庁の刑事部長である同期のキャリア・伊丹を呼びつけ、事件の詳細を説明させる。竜崎と伊丹は小学校のクラスメートであった。しかし、当時の竜崎は伊丹と彼の取り巻き連中にいじめられ、そのことがいまだに心の傷となっている。一方の伊丹はそんなことは、覚えていないようで、それがますます、竜崎を腹立たしい気分にさせる。

 結局、殺人事件は暴力団同士の抗争という結論に落ち着きそうであった。

 竜崎には二人の子どもがいる。長女の美紀は、大阪府警本部長の三村の長男・忠典と交際しており、結婚について悩んでいるらしい。一方、長男の邦彦は有名私大に合格したものの、竜崎の方針により、東大を受験すべく浪人中である。

 さいたま市で殺人事件が発生し、その被害者も、足立区の凶悪事件の共犯者であることが分かる。伊丹から事件の知らせを受けた竜崎は、深夜にもかかわらず警察庁に出向き、マスコミ対策を講じようとするが、刑事局からは蚊帳の外に置かれる。

 疲れて帰宅した竜崎は、邦彦の部屋をのぞき、そこで息子がヘロインを使用していることを知る。息子が麻薬を購入し、使用した。それは、邦彦だけの問題にとどまらず、竜崎自身の今後にも関わってくる。営々と築き上げた今の地位が、崩れ去ってしまうかもしれないのだ。

 竜崎は邦彦のヘロインの件を妻に告げることもできず、一人善後策を考える。

 そんな彼の元に、伊丹から新たな殺人事件が報告される。今回の被害者は鈍器による撲殺であるが、やはり過去にホームレスに対する傷害・殺人で逮捕されていた。伊丹は、拳銃による2件の殺人事件との関連を危惧する。

 竜崎は犯行日の規則性に気づき、その考えを伊丹に告げる。伊丹たちもすでにその事実に着目し、被疑者まで特定していた。しかし、もしその人物が犯人で、逮捕されるようなことになれば、大きなスキャンダルとなることは目に見えていた。伊丹も竜崎も警察官僚として苦悩する。そんな伊丹に、竜崎は邦彦の件を相談する。

 伊丹は家族のためにも、警察のためにも、邦彦の件をもみ消すように忠告する。納得しかねる竜崎に、伊丹は、それが父親の役割であると諭す。そして、伊丹はまた、警察を守るためであれば、自分はどんな嘘でも突き通す覚悟があると心中を打ち明けるが…



 読み進むにつれて、竜崎はイヤな奴ではあるが、それなりに理解できる部分もあると思えてくる。

 殺人事件の一報を受け、警視庁に出向いた竜崎は伊丹に揶揄される。

 「警察庁の課長職にある者が、夜中に電話一本で飛んでくる。そんなの、おまえくらいのものだ」と。

 すると、竜崎はこう答える。

 「私はすべきことをしているだけだ」

 新聞社の幹部との会食でも、非公式の会談だからと割り勘にすることにこだわり、これまでの経験から2件の殺人事件はそれほど騒ぎにはならないとねじ込んできた自分より上席の刑事局長にも、「もし、そうだとしても、私は最悪の事態に備える義務があると思います」と、きちんと言うべきことを言う。

 原理原則を貫くことは、簡単なことのように思えるが実は難しい。そういう姿勢を「杓子定規」と非難し、「臨機応変」という都合のいい言葉で、原理原則を曲げようとする輩はどこの世界にもいる。「変人」扱いされる竜崎であるが、読後には、「なかなかイイ奴じゃないか」と思えてくるから不思議である。

 「ノーブレス・オブリージュ」という言葉がある。高い社会的地位を持つ人には、それだけの社会的な責任があるということだ。キャリアとしての竜崎の仕事ぶりは、この言葉を具現化していると言える。

 事務方トップの次官が率先して業者にたかっていた防衛省や、繰り返し薬害事件を引き起こす厚労省のキャリアには、是非彼の姿勢を学んで欲しいものだ。

 最後に異動となった竜崎は新しい職場でも活躍をするようだ。続編の『果断 隠蔽捜査2』も読んでみたくなった。(2月6日読了)



touch3442 at 23:36│Comments(4)TrackBack(2) BOOK−ミステリー | BOOK−その他の「か」行の作家

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1. 「隠蔽捜査」今野敏  [ 日だまりで読書 ]   2008年02月20日 09:57
おもしろかった! 何事も、突き抜ければ痛快。 ★★★★☆ 竜崎伸也、四十六歳、東大卒。警察庁長官官房総務課長。連続殺人事件のマスコ??.
2. 隠蔽捜査 (今野敏)  [ 花ごよみ ]   2008年03月21日 01:21
竜崎、警察庁長官官房総務課長、 自分が一番正しいと思いこんでいる男。 息子とのかみ合わない、 一方通行の会話。 この家族にこれから一体、 なにが起こるのかと 不安材料が一杯。 ある事件が起きる。  警察の威信を守るための 隠蔽工作。    供述の信憑性がないと...

この記事へのコメント

1. Posted by なな   2008年02月10日 11:14
なんか事件そのものはデスノートみたいですが(笑)


>原理原則を貫くことは、簡単なことのように思えるが実は難しい。そういう姿勢を「杓子定規」と非難し、「臨機応変」という都合のいい言葉で、原理原則を曲げようとする輩はどこの世界にもいる。

ごもっともなんですけれど、実際、竜崎さんが側にいらっしゃったら、周りの人間はとても疲れてしまいますもんね。
だから息子さんもおかしなものに手を出してしまう…という背景が見えるような気がします。
だからといって総てを“臨機応変”に、なんてしていたら、それこそ世の中の秩序はめちゃくちゃ。
そこでその一線を引くか、すごい難しい事ですよね。
2. Posted by touch3442   2008年02月10日 22:16
ななさん

こんばんは。
確かに、法で十分に裁くことができない犯罪者を殺害するというのは、『デスノート』のキラみたいですね。

ななさんのおっしゃるように、竜崎のような上司がそばにいたら、息が詰まるかもしれません。
ただ、竜崎の行動は、「警察官僚の仕事は国を守ることにある」という原理で貫かれており、それが、「警察の体面」とか「自己の保身」を優先させる他のキャリアと大きく異なっています(とはいえ、竜崎も人間ですから、多少は自己の保身も考えてしまいますが)。

防衛省の「国の防衛を担う」、厚労省の「国民の健康を守る」という原理を貫くための「臨機応変」なら理解できまずが、天下り先を確保したり、特定の企業に利益をもたらしたりするための「臨機応変」は許せませんね。
3. Posted by そら   2008年02月20日 09:55
touch3442さん、こんにちはっ♪

「ノーブレス・オブリージュ」…私も同じ言葉を思い浮かべました。

>「なかなかイイ奴じゃないか」と思えてくるから不思議である。

そうなのよ〜。読む側の竜崎に対する見方が見事に逆転するよね。
原理原則を貫こうとする竜崎に、むしろ清々しいものを感じたりして。何事も突き抜ければ爽快に思えるんだなぁと、ちょっと発見がありました。

…まぁ、それでも奥さんにはなりたくないけど(*^_^*)
4. Posted by touch3442   2008年02月23日 23:04
そらさん、こんばんは。

「ノーブレス・オブリージュ」
今の役人たちに、こうした意識があるんでしょうかね。
防衛省、厚労省、国交省の官僚は、竜崎の爪の垢を煎じて飲んで欲しいものです。

竜崎のように一生懸命に仕事をするのであれば、都心一等地の家賃が相場より格安であっても、文句は言わないんだけどなあ。

>…まぁ、それでも奥さんにはなりたくないけど(*^_^*)

その気持ちはよく分かりますが、竜崎の奥さんもいい味を出していますよね。
邦彦の自首の件で、竜崎をやり込めた時の奥さんの得意げな顔が想像できるような気がします。

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