December 31, 2025

ようこそ!

東京大学長唄研究会のブログへようこそ。

現在、コメントは部員やOBの方がほとんどですが(^^ゞ、
どなたからのコメントももちろん大歓迎です!!

当研究会では長唄三味線と着物が不足しております。
お譲り(お売り)頂ける方がいらっしゃいましたら右プロフィール欄のアドレスまでご連絡いただければ幸いです。

東大長研 2020年度の活動(感染防止のため以下はすべて中止になりました)

4/13,21 新入生向け三味線ワークショップ
4/18 お稽古体験@自由が丘

5/16,17 東京大学五月祭 三味線こんさーと @東京大学弥生キャンパス



8/31,9/1,9/2 夏合宿 

 

10月末頃  秋合宿

11月 駒場祭

12月 第46回東大ICU合同定期演奏会

    第72回全国学生長唄連盟定期演奏会



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東大長研 2019年度の活動

4/15,23新入生向け三味線ワークショップ

5/18,19 東京大学五月祭 三味線こんさーと @東京大学弥生キャンパス



8/31,9/1,9/2 夏合宿 

9/28 学連OB会 

10月末頃  秋合宿

11月 駒場祭

12月 第45回東大ICU合同定期演奏会

    第71回全国学生長唄連盟定期演奏会



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東大長研 2018年度の活動

4/11,19,24 新入生向け三味線ワークショップ

5/5 目黒区邦楽会 @めぐろパーシモンホール

5/6 第40回希扇会 @国立劇場

5/19-20 東京大学五月祭

8-9月 夏合宿

10月 全国長唄連盟OB会

    秋合宿

11月 駒場祭

12月 第44回東大ICU合同定期演奏会

    第70回全国学生長唄連盟定期演奏会



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東大長研 2017年度の活動

4/5,20,25 新入生向け三味線ワークショップ

4/23 第39回希扇会 @国立劇場小劇場

5/6 目黒区邦楽会 @めぐろパーシモンホール

5/20-21 東京大学五月祭

8-9月 夏合宿

10月 全国長唄連盟OB会

    秋合宿

11月 川口市文化祭 三味線祭り

    (駒場祭)

12月 第43回東大ICU合同定期演奏会

    第69回全国学生長唄連盟定期演奏会

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2016年度の活動

04/09 第38回希扇会
05/07  目黒区邦楽演奏会
05/14, 15  五月祭

05/28 新入生歓迎会
08/09 JAPAN BOWL volunteer
09/02~09/04  夏合宿
10/16 全国学生長唄連盟OB会 @日本橋公会堂
10/28~10/30  秋合宿
11/13  川口市 三味線まつり
11/25~11/27 駒場祭有志企画:日本舞踊研究会、チリカラ座との共同演奏
12/10 東大ICU合同定期演奏会 @江戸東京博物館
12/28 全国学生長唄連盟演奏会 @日本橋公会堂
            

(20190626更新)------------------------------------------------

追記より、東大三味線クラブの現役メンバーを紹介いたします。


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January 20, 2023

徒然長唄記 《那須野》

松の内は明けてしまいましたが、新年あけましておめでとうございます。本年も東京大学長唄研究会をよろしくお願い申し上げます。

2023年最初の「徒然長唄記」、例年通り新年に相応しい曲をと思い探してみますと、お正月に初演されたと思われる長唄で、なおかつタイムリーな曲に行き当たりました。それは《那須野》。というのも2022年3月5日、栃木県那須野が原にある殺生石が真っ二つに割れたというニュースがあったのです。風化によって自然に崩壊したようですが、いわくつきの名勝ということで色々な憶測を呼んだようです。

ということで、祝儀曲でもないし去年3月のどこがタイムリーなんだという真っ当な疑問の声を華麗に無視し、《那須野》の解説を始めていきましょう。

***

《那須野》
本名題「三国妖狐物語下之巻 日本那須野之段」(さんごくようこものがたりげのまき にっぽんなすののだん)
作詞3世桜田治助(1802-1877)
作曲初世杵屋六四郎(1811または12-1871)
初演文久4(1864)年または元治元(1865)年正月か
調子全曲二上り
囃子笛・小鼓・大皷・太鼓・カゲ(なしも可)
人数独吟(2挺1枚)~6挺6枚程度?
演了約14分

歌詞を見る / 隠す

〈二上り〉〔前弾〕〽ここは下野賤機帯を、かけて七度氏神様へ、闇の夜参り、そんれはそんれは、それそれそれ憂や辛や、辛苦那須野の縁結び、しどけなや。〔宮神楽の合方〕
〽助蔵助作目を覚まし、とひょうもない夢を、〽汝も見たか、〽俺も見た、〽どのような面白い夢か、話して聞かせなさんせんかいな、〽ようよういつの間にやらお玉女郎、今日は祭りのほどあって、美しゅう、じょなめいて来やったの。〽なんじゃ、裾の模様は水に藻の花、誘う水あらばという謎々か、これ、上総生まれでも、それはそれは情のある、俺が女房に、〽どっこい俺は相模の三浦生れ、今は狩人なれど、もとは船乗り波の上。〔合方〕
《浜唄》〽沖で峰見りゃ松の枝動くのう、今宵待つとの、ええ、ええ知らせかや。
〽ええあじゃらにも、それほどに言うて、後れ毛取り上げて、心細くも喜連川、〽早乙女坂に見交わせて、人目の関や隔てられ、また太田原こうしてと、思うばかりを楽しみに、はかない恋じゃないかいな、恥ずかしや。
〽浮かれ狂うて懐中より、錦の包み取り落とせば、早くも三浦が拾い取り、〽やや、こりゃこれ確かに夜光の明玉、これを所持なす汝が俗性、いで顕してと弓矢おっ取り、引き絞れば、
《鼓唄》〽のうあさましや幾万代の、年を重ねて劫を積み、業通自在に身をなせど、〽神力擁護の尖り矢に、今は何をか包むべき、三国の王法を傾けんと、玉体に近付きしが、安倍の泰成が丹精の祈りに、今は立ち処なく、これなる那須野へ飛び去りし、万国無双の悪獣なるわ、〔狂いの合方〕
〽聞くより両助抜き連れて、打ってかかれば、〽やよ待ち給え方々よ、今より悪念ひるがえし、四海太平民安全、五穀富裕の神なると、〽約束堅き石に磐、末の世までも守るべし、ゆめゆめ疑いあらありがたや、神国の蟇目の弓の勲に、悪魔降伏治まる御代、語り伝えし故事も、また新玉の春の興、謡い囃すぞめでたけれ。

***

《那須野》は江戸時代末期に作られた《三国妖狐物語》という長唄を上・中・下の3段に分けたうちの下の巻であり、正式には「三国妖狐物語下之巻 日本那須野之段」と呼びます。最初に《三国妖狐物語》を説明しますと、作詞は《末広がり》と同じ3世桜田治助、作曲は初世杵屋六四郎。天竺(インド)・唐土(中国)・日本の3国において九尾の狐が美女に化けて悪行を働くというストーリー(注1)を長唄化したものです。上が三下りで天竺、中が本調子で唐土、下が二上りで日本という対応関係になっていて、全編通すと約50分かかるという文句なしの大曲です。長すぎて全曲演奏はめったに行われず、特に下の巻だけ独立して演奏されることが多いのですが、この下の巻のみを特に「那須野」と呼ぶのです。上と中それぞれの軽めの解説を下に載せておきます。

《三国妖狐物語上之巻 天竺檀特山之段(てんじくだんとくせんのだん)

全曲三下り、約20分。舞台はガンダーラ地方(現在のパキスタン北西部)の檀特山。洞窟にこもって修行をしている悉達太子(後の釈迦)のもとに、妻が従者と共に国の窮状を訴えに来ます。隣国の王・班足大王と妃の華陽夫人が軍勢を率いて攻めてきたというのです。故国の危難に心乱れる太子ですが、そこに別の使者が現れ、不思議な援軍によって班足大王軍が敗走したと伝えます。しかも華陽夫人は億万劫を経た妖狐であり、太子の法力によって正体をあらわにされ、東方へと飛び去って行きました、という内容です。

主人公たちが知らないうちに場外で戦闘が終わっていたという内容の盛り上がりのなさに加え、作曲も(前弾はなかなか格好良いのですが)渋く浄瑠璃がかっており、屈指の難曲とされます。『長唄の美学』の宮田哲男・稀音家康も口を揃えて一番苦労したと語るほどで、独立して演奏される機会はほぼ皆無、全曲演奏の企画以外ではまず聴くことができません。

《三国妖狐物語中之巻 唐土華清宮之段(もろこしかせいきゅうのだん)(暴力的な記述がありますので注意)

全曲本調子、約18分。舞台は殷王朝末期の古代中国。周の文王は傾国の美女・妲己に溺れる紂王によって家族と共に捕らえられ、華清宮の庭に鎖で繋がれています。紂王は妲己に箏を弾かせつつ文王の子を目の前で殺し料理するという暴虐を行います。しかし文王が懐に持っていた退魔の鏡の力によって、妲己が妖狐であることが暴かれます。妖狐はさらに東、日本の地を目指して飛び去って行くのでした、という内容です。

内容に残虐なところがありますが曲自体の完成度は悪くなく、上よりは演奏機会があり、中と下の連続演奏も行われます。義太夫を長唄三味線で弾いているような独特の音楽性、最後のごくわずかな部分以外に唄のツレがない(三味線のツレも少ない)という破天荒な特色を持ち、また妲己による琴唄の部分は優美な曲調で美しいと評価されています。

本コーナーで初登場となる作曲者の初世杵屋六四郎についても少し説明しますと、旗本の次男で本名は山本鉄次郎といい、《勧進帳》で知られる4世杵屋六三郎に師事。1825(文政8)年ごろに杵屋鉄次郎から六四郎と改名し、後に中村座のタテ三味線になっています。演奏の技術に優れていただけでなく人格も円満だったようで、師とライバル関係にあった10世六左衛門からも後輩としてかわいがられ、大名屋敷での演奏会でワキや上調子として頻繁に起用された記録が残っています。作曲は六三郎・六左衛門ほど多くはありませんが、三国妖狐以外にも40分クラスの《雷電》《草紙洗》など大曲が多く、《此君(たけ)の一節》といった小品も凝っていて演奏が難しいと言われています。

では《那須野》はどうなのでしょう? 学生長唄でも何度か出されたことがあるとはいえ、曲のあらましといい作曲者の傾向といい、どうも一筋縄ではいかない感じがしますが……

***

《那須野》は楽しげな前弾と唄で始まります。前弾には地としてテンツツを繰り返して合奏すると効果的です。舞台は下野国(現在の栃木県)にある那須野が原。助蔵助作という狩人たちが居眠りから目を覚まし、揃って妙な夢を見たと語ります。この曲だけだと何の夢かちっとも分からないのですが、実は夢の内容は中の巻。上の巻の内容も中の巻の文王が見ていた夢という設定(注2)なので、二重の夢オチ構造になっているのです。途中の「宮神楽の合方」は、《あたま山》をやったことのある人にはなじみ深いものですね。

夢の話をしようとする2人のところに、お玉という名前の美しい女性が現れます。〽じょなめいて来やったの」は台詞と唄の中間のようなところで、唄い方が難しいです。男2人はお玉と戯れ、自分の出身地と絡めて口説きにかかります。今は狩人だがもとは船乗りだったと言い、浜唄を唄い出します。

浜唄は《越後獅子》にもありますが、節が細かい上に三味線の手が大間でタイミングを取りにくいのは共通しています。音程の正しさはもちろんのこと、節でしっかりとリズムを作れるか、適切なメリハリで唄えるかなど要求が多く難所といえます。一方で節はとても綺麗で、大きな見せ場でもあります。浜唄の後も掛詞を巧みに用いて恋の手管を唄っており、節付もなかなか艶っぽくやりがいがあります。ただ、ここに限った話ではありませんが唄の調子がかなり高いので、私みたいな人が唄うと高確率で干上がります。

〽浮かれ狂うて懐中より」からは曲調が一転。戯れるうちにお玉は懐から錦の袋を取り落とします。中に入っていたのは怪しい宝玉。助蔵と助作はお玉を問い詰めます。実はこのふたり、狩人などではなく、妖狐討伐に差し向けられた武士(上総介広常と三浦介義純)だったのでした。神の加護を得た弓矢の前に妖狐はついに正体を現します。かつて天竺と中国で君主を篭絡し、日本では天皇の寵愛を得たが、陰陽師の安倍泰成(注3)に正体を見破られ那須野まで逃げてきたと語る妖狐。ここは鼓唄が主体で、メロディは《小鍛冶》の冒頭などによく似ています。お囃子と合わせる場合は〽業通自在に身をなせど」が難関。その後は語り物的な運びになり、〽悪獣なるわ」は大薩摩で、迫力を持たせてバトルスタートです。

妖狐の狂いの合方で三味線の腕前を見せた後、ふたりは妖狐に斬りかかります。敗北を悟った妖狐は悪念を放棄、これからは五穀豊穣の神と変じてこの国を守護すると誓います。日本だけ都合が良すぎやしまいかと思いますが、とにかくめでたしめでたしということになり、〽また新玉の春の興、謡い囃すぞめでたけれ」と新春を言祝いで終わります。よくある段切の型ですが、大曲の終わりでもあることを意識せよと伝えられています。

***

演奏会の演目として見た場合、《那須野》は長さが手頃調子替えがない筋がわかりやすい曲調に変化がある、唄三味線共に腕の見せ場が多い、と流行曲としての要件を一通り備えています。実際よくできていて面白いのは確かであり、お囃子も活躍するとあって、上や中を遥かに凌ぐ人気を得続けてきました。下にだけ通称が付いているのも、それだけ再演を重ねてきたからといえます。

では《勧進帳》や《越後獅子》クラスの人気が《那須野》にあるのかというと、実はそうでもありません。確かに面白い要素は豊富にありますが、小難しくて変なところも結構多く、どうにもやりにくい曲なのです。そのエキセントリックさは特に後半で顕著で、筆頭は〽悪獣なるわ」の大薩摩。大薩摩は基本的に本調子で弾くものであり、それを二上りでやるのですから実に強引です。狂いの合方も決して奇抜な手は使っていないのですが、フレーズの取り合わせが実に奇妙。箏曲段物《みだれ》のような手があるかと思えば獅子の狂いがちょろっと顔を出し、最後には《神田祭》にもあるような手まで出てきてカオスです。言葉の地の三味線も妙に弾きにくく、もうちょい滑らかにならんかとついケチをつけたくなります。

したがって《那須野》の評価はどうしても「(いい曲かもしれないけれど)変な曲」となってしまうのです。出す曲の候補には上がっても、同じような性格でひねくれたところの少ない曲も他にあるので、だったらわざわざ《那須野》にせんでもと結局選ばれない、なんてことが東大で何度あったか知れません。学生を指導する側も「最初からあまり変わった曲をやらせると後に障る」と考えてしまい、なかなか《那須野》を推せなかったりします。また、下だけとはいってももとが50分級の大曲。その貫禄もそこかしこに見え隠れするもので、なおのこと初心者向けとは言い難いのです。

取っ付き易そうで難物、やり易そうで変てこりん、小曲の顔をして大曲。いかにも悪い狐の曲らしいというか、色々な面であまのじゃくなのが《那須野》です。実力不足だと振り回されて終わりますが、この曲の顛末のように圧倒的な暴力でねじ伏せれば立派に渡り合えるだけの力量をもって相対すればきちんと輝きを示してくれます。そもそも第一級の流行曲というには演奏機会が少なめではありますが、三・四年曲や卒業曲としての適性は高い、力量を試される曲というのが総評になるでしょう。

***

東大長研は今、春に来るべき新しい出会いとこれから本格化する演奏会のため、現役OBともに準備を始めているところです。近いうちに《那須野》を演奏する機会はありませんし、また曲の性格上今後当分来ないかもしれませんが、新しく入ってくる方も含めて現役の皆さんにはぜひ、この曲に出会える時が来るまで(もちろん来た後も)続けていってほしいと思います。

2022年は色々大変なことがあった年でした。2023年には七海太平民安全、五穀富裕の神のご利益が全世界にあるよう、祈らずにはいられません。

***

☆録音名鑑☆
『長唄の美学』第2集その22(NHKサービスセンター)ほか収録
唄:宮田哲男/三味線:杵屋五三郎、稀音家六治/笛:中川善雄/小鼓:藤舎呂船、藤舎華鳳/大鼓:藤舎円秀/太鼓:堅田喜三久/鳴物:外池真裕美
[解説]
《那須野》の録音はかなり少ないのですが、その中でもやはり『長唄の美学』は鉄板です。第2集には独立で、第3集その50には《三国妖狐物語》上・中からの続きで収録されています(音源自体は変わりません)。1993年5月6日の録音です。
演奏者解説

東音 宮田哲男3世 貴音三郎助
(1934-現在)
東音会の長唄唄方。出身地である北海道札幌市で稀音家六幸治に師事した後上京し、8世稀音家三郎助、山田抄太郎、西垣勇蔵らに師事、1957年に藝大を卒業。長唄東音会の創立当時からのメンバーで、現在に至るまで第一線で活動を続けてきました。円熟味のある美声と貫禄ある唄いぶりで、長唄の芸術性を高度に体現していると定評を得ています。98年長唄・唄の人間国宝に認定、2015年日本芸術院会員など栄誉も多数。収録曲全てでタテ唄をつとめた『長唄の美学』は20世紀最大の長唄録音全集であり、規範的演奏としての価値を高く認められています。

3世 杵屋五三郎
(1918-2013)
昭和から平成にかけて活躍した長唄三味線の名人。笛方の望月長之助の子で、本名は増田元弘(ちかひろ)、東京出身。初世杵屋五三郎、のちに山田抄太郎に師事。重厚な撥捌きと確かな技巧、音色の美しさで若手時代から注目を集め、1978年に杵五派の家元を継承し初世五三助から3世五三郎を襲名。歌舞伎、舞踊、演奏会、放送と各方面に出演、大曲や難曲の演奏にも実績を残し、第一人者として晩年まで活躍を続けました。1989年長唄三味線の人間国宝に認定、2005年日本芸術院会員など栄誉も多数。

2世 稀音家六治東音 関毅貴音抄太郎
(1936‐現在)
長唄三味線方。仙台に生まれ、1953年に藝大に入り山田抄太郎に師事。61年藝大副手を経て長唄東音会の同人となり、70年に2世稀音家六治を継承。含蓄に富んだ音色と洗練された技術の持ち主として東音会など演奏会や放送などに幅広く活躍、録音も『長唄の美学』(特に第1集での活躍が顕著)でワキや上調子を担当するほか、自身がタテをつとめたものも多くあります。大病を経験したこともあり、現在の彼の芸には往時ほどの鮮やかさはありませんが、それでも絶妙そのもののケシなど技量の高みを示す瞬間に出会えるあたり、名人の貫禄は失っていません。

中川善雄
(1946-現在)
現在の長唄笛方の第一人者のひとり。藤舎流笛家元である藤舎秀蓬の次男で、2世藤舎名生(こちらも笛の名手で人間国宝)の弟。大津に生まれ、6歳ごろから父に笛を学び、1965年に藝大に入学し人間国宝の4世宝山左衛門(6世福原百之助)に師事。多方面の舞台や放送に活躍し活躍を続けています。

6世 藤舎呂船
(1944-現在)
長唄囃子方、藤舎流の現家元。本名は橘利明、鼓の名人として有名な4世藤舎呂船の子で、父および5世呂船(藤舎せい子)に師事。1967年に藝大を卒業して翌年藤舎成敏を名乗り、87年に6世藤舎呂船を襲名しました。故実に通じ、格調高い芸風を持つ現代を代表する名手であり、藤舎一門の指導者として放送や公演、歌舞伎の舞台などに活躍を続けています。

藤舎華鳳
(1942‐現在)
藤舎流の長唄囃子方。本名は尾崎太一、大阪出身。父である囃子方の藤舎呂華泉から手ほどきを受け、4世・5世呂船や初世田中伝一郎に師事。1970年に藝大を卒業し、現在の芸名を許されています。家元と並ぶ藤舎流の長老格で、伝統芸能のみならず、「日本音楽集団」に籍を置いて現代邦楽の分野にも活躍しています。91年モービル音楽賞を受賞。息子に現在若手囃子方として活躍する藤舎呂凰がいます。

藤舎円秀
(1961‐現在)
藤舎流の長唄囃子方。1971年より初世藤舎呂秀に入門し、79年藝大別科入学。87年に円秀の名を許されました。大皷の演奏を特に得意とし、数多くの演奏会や舞踊会に出演しています。

3世 堅田喜三久
(1935-2020)
昭和~令和にかけて活躍した長唄囃子の第一人者。本名は安倍康仁。名人と名高い父・9世望月太左衛門をはじめとする囃子一家に生まれ、伯父にして堅田流の家元である3世喜惣治に師事。喜惣治の没後はほぼ独学で修行。太鼓・小鼓の名人として古典曲の演奏や歌舞伎・舞踊などの舞台に活躍するほか、新曲の作調なども多く手がけました。1999年に長唄・鳴物の人間国宝に認定されるなど栄誉も多数。

外池真裕美
(1958-現在)
堅田喜三久社中の長唄囃子方。名は「眞裕美」とも書かれます。1984年より3世堅田喜三久に師事。社中で陰囃子を主に担当し、放送や舞台、録音など各方面で活動しましたが、現在は業界から離れているようです。

***

注1:平安時代の末期、鳥羽上皇は玉藻前(たまものまえ)という女性を愛するようになりましたが、実はその正体は九尾の妖狐。陰陽師によって正体を見破られた彼女は、下野国(栃木県)の那須野が原に逃げて石と化しました。その石は毒気によって周囲に近付く人間や鳥獣の命を奪い、それにより「殺生石」と呼ばれました――という伝説が室町時代ごろに御伽草子にまとめられ、さらにその殺生石となった妖狐を玄翁和尚が退治したという後日談をつけて能《殺生石》が作られました。江戸時代になるとインドや中国の伝説まで関連付けられ、高井蘭山による読本『絵本三国妖婦伝』(享和3(1803)年~文化2(1805)年)や岡田玉山の読本『絵本玉藻譚』(文化2年)などによって《三国妖狐物語》のベースが作られていきました。

注2:ただし歴史的にいうと紂王や文王は紀元前12~11世紀ごろの人、釈迦は紀元前7~5世紀ごろの人なので、時間軸がおかしなことになっています(少なくとも『絵本三国妖婦伝』では正しい順序です)。地理的な遠さが時間的な遠さに重なってしまった、インド=仏教発祥の地ということで物語の起点としての適性が高かった、などが理由でしょうか。

注3:生没年不詳? 平安時代末期の実在の人物で、安倍晴明の昆孫(6代目の子孫)です。妖狐との対決者として名前が出てきますが(南北朝時代の(フィクション性が強い)年代記『神明鏡』に名前が出るそう)、歴史上鳥羽院政期に強力な陰陽師として活躍したのはむしろ父の安倍泰親(1110-1183?)であり、泰成の実績について詳しいことはよく分かっていないようです。

December 30, 2022

徒然長唄記 《都風流》

気が付けばもう2022年も終わりを迎えようとしています。コロナの影はまだ去らぬ中、日本も世界も激動の一年でしたが、このブログをお読みの皆様にとってはどんな一年でしたでしょうか。過ぎ去ろうとする一年を誰もが振り返らずにはいられない年末、今日はその時期にぴったりな長唄《都風流》の記事をお届けしようと思います。こちらは去る12月17日(土)の定期演奏会で東大長研のOBが演奏した曲でもあり……

……え、ちょっと待てと? はい、そうですね……新年特別稿以来なーんの更新もないまま、新歓が終わり希扇会が終わり、夏の合同稽古も秋の合同稽古も三鷹邦楽会も終わり、いつの間にやら今年の定期演奏会まで終わってしまいました(150名以上のお客様においでいただくことができました。ご来場いただいた皆様、本当にありがとうございました)。いかにコロナでもこれは言い訳できません。更新を楽しみにしてくださっている方、大変申し訳ございませんでした。また、当ブログを通じて東大長研にコンタクトを取ろうとしてくださった方にひとかたならぬご迷惑をおかけしたこともありました。来年はもう少し更新できるよう頑張らせていただきます……

いたって不充分な反省をしたところで、徒然長唄記《都風流》、お届けしたいと思います。

***

《都風流》
本名題「都風流」(みやこふうりゅう)
作詞久保田万太郎(1889‐1963)
作曲4世吉住小三郎(1876-1972)
2世稀音家浄観(1874-1956)
初演昭和22(1947)年6月1日 第400回長唄研精会
調子三下り→本調子→二上り
囃子基本的になし
人数独吟(2挺1枚)~3挺3枚程度
演了約14分

歌詞を見る / 隠す

〈三下り〉〔前弾〕〽これよりして、お馬返しや羽織不二、不二としいえば筑波嶺の、川上さして行く船や、葦間隠れに面白き、白帆のかげの夏めきは、〽千成市の昼の雨、草市照らす宵の月、柳の蔭に虫売りの、市松障子露くらき、梅雨の声々聞き分けて、鉦を叩くはかねたたき、更けては秋に通う風。〈本調子〉〔虫の合方〕
〽菊供養、菊の香もこそ仲見世の、人波分けてうち連るる、わけて一人は年嵩の、目につく仇な挿櫛も、〽はや時雨月しぐれ降る、べったら市の賑わいも、昨日に過ぎておしてるや、酉の日近き星の影。〔合〕
〽引けは九つ、なぜそれを、四つと言うたか吉原は、拍子木までが嘘をつく、さのえ。〔新内流しの合方〕
〈二上り〉〽お歯黒どぶに映る灯も、明けてあとなき霜晴れの、熊手にかかる落ち葉さえ、極月今日ぞ歳の市、〔竹巣の合方〕境内埋めし、〔吹雪の合方〕雪の傘。

***

どんな三味線音楽のジャンルにも「古典」「新曲」があります。決して綺麗に分かれるものではありませんが、長唄では江戸期~20世紀初頭くらいまでのものが確実に古典に入るでしょう(ただし明治年間、とりわけ20世紀の作品は、どれほど広く再演されているかによって古典とみなされるかは変わってきます)。それに対して大正期以降の作品は新曲とみなされることが多く、上演に当たって暗譜を必ずしも求められないなどの扱いを受けます(場合にもよりますが)。

しかし中には、大正期以後、それもアジア太平洋戦争後に作られたものであっても、古典に準ずる扱いを受けるような曲もまれにあります。それが今回取り上げる《都風流》。作曲は4世吉住小三郎2世稀音家浄観、他に《神田祭》《紀文大尽》など多くの名曲を生んだ長唄研精会の両雄です。このコンビによる最後の曲でもありますが、当時浄観は病気で三味線を弾けなくなっていたため、高弟である稀音家六治(山田抄太郎)がかなり手伝ったといわれています(実際、山田抄太郎の後年の作品と似ているところも感じられます)。初演は昭和22(1947)年6月1日、長唄研精会の第400回記念演奏会にて、唄:吉住小三郎/三味線:稀音家六治、稀音家六四郎のメンバーでした。当時の演奏はラジオで放送され、録音が残っています。

その内容は東京都内、特に作詞者である俳人・久保田万太郎の出身地である浅草で開かれる様々な市(いち)を中心に(構想段階では「市尽し」という曲名だったそう)移り変わる季節の様子をうたったものです。歌詞には落ち着いた明るさのある優しい調べが五七調でつづられており、曲の方も全体に平明で親しみやすい雰囲気があります。長さ・難易度も手ごろで扱いやすく、演奏会・放送でもよく出される人気曲となっています。

***

最初は三下り、独特の前弾から〽これよりして、お馬返しや羽織不二」という酒井抱一(注1)の句から唄い起こします。初夏の風物詩だった富士詣(注2)から富士と対になる筑波山を引き出し、ふもとに広がる水郷へと移り変わりを見せ、三味線も水辺の描写によく使う手を配してあります。船の行き交う夏の風情を描いた後はいよいよ市が登場します。「千成市」は今でいう7月9日~10日のほおずき市、「草市」は盂蘭盆会に先立って7月12日~13日に開かれる市のこと。市には虫売りがいて、カネタタキの鳴き声が三味線でも描写されています。秋の風を感じながら本調子に転じ、虫の声を描写した虫の合方にかかります。

虫の合方は長唄で非常に類例が多く、《秋色種》《四季の山姥》《大原女》などのものが有名です。ただ《都風流》の虫の合方がそれらと違うのは、野に鳴く虫ではなく、虫売りが売る虫の声を描写しているのです。従来の虫の合方につきものだったチンチロリンの繰り返しがないなど、作曲面にもその違いは表れています。落ち着いた中にも華のあるすっきりした手が付いており、とても美しい合方です。

虫の合方を終えたら、落ち着いた合の手から〽菊供養」にかかります。菊供養は浅草寺の10月(旧暦9月)の行事。仲見世の雑踏の中に連れ立つ二人の女性、さらにそのうち年かさの方に目を留め、あだっぽく髪に挿された櫛へとズームインしていく描写の妙は、まさしく俳人の言語感覚のなせるところでしょう。滋味豊かな三味線の手が紡がれるうちに秋は深まり、時雨の降る季節に。べったら市(10月19日~20日に開かれる日本橋の宝田恵比寿神社の市。「べったら漬」が売られる)の時季も過ぎ、酉の市(例年11月の酉の日に各地で開かれる祭礼・市で、浅草の鷲(おおとり)神社のものが特に有名)が近付く空には星の光が冴え渡ります。

〽星の影」の後の手で少し気分を変え、舞台は浅草にほど近い吉原に移ります。〽引けは九つ~拍子木までが嘘をつく」は山田抄太郎作曲の小唄としても演奏される部分ですが、吉原の事情を知らないと意味が分からない部分です。吉原の遊女屋は法令により、夜四つ(午後10時頃)までしか営業してはいけないことになっていましたが、それでは夜の商売は成り立ちません。実際は暁九つ(深夜12時頃)まで営業したのですが、終了(引け)の時刻になると拍子木を4回打ち、「引け四つ」と称して法令を守っていることにしていたのです(注3)。唄の節や三味線の手も吉原の描写によく使われてきたものが取り入れられており、纏綿たる情緒を醸し出します。

遊郭の場面の締めくくりは、廓を代表するメロディーである新内流し(注4)を取り入れた合方です。大間な本手と細やかな高音が絡み合うという新内三味線の特徴をよく取り入れた合方になっていますが、一方で演奏に際しては新内っぽく弾いてはならず、あくまで長唄らしく弾くようにと教えられました。何より綺麗な音で弾かなければならないので、テクニック的には簡単なのに難しい合方です。正式な演奏では2回繰り返され、ノリなどに変化を付けることになっています。

新内流しの合方をフェードアウトするように終えると、一音上げた二の糸をトンと鳴らし(鐘の音の描写でしょうか)、しっとりと〽お歯黒どぶ(注5)に~」を唄い出します。もう季節は冬。吉原の風情を後にして、〽熊手にかかる落ち葉さえ」から一気にノリを速め、年末商戦の賑わいに入ります。浅草寺の歳末の市は特に大規模で活気があるので有名でしたが、それを竹巣の合方で描写します。「竹巣」とは「竹に雀」などとも呼ばれる寄席囃子ですが、大衆的な明るさと、本手と替手の合奏効果が魅力です。竹巣自体は本手には出ず、替手に入れられているというのがまた小憎い。

市の熱気に夢中になっていると、いつの間にか雪が降り出していました。雪はだんだん激しくなり、吹雪に変わります。ここで入る吹雪の合方は、曲想や構成は単純ながら技巧的にとても難しく、頑張って弾こうとするとお寺の境内だったはずが昭和基地のブリザードになります。激しくも風情を失わないように弾きこなすのは、大変な実力を求められます。合方が終わると、しんみりした手から〽雪の傘」と歌い終えます(小唄ドメという新しい形式の段切です)。〽境内埋めし」の後に〽雪の傘」をそのまま続け、吹雪の合方を弾きながら幕とする演出もあります。

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《都風流》には新曲にありがちな奇抜な調子や指遣い、特殊な技巧、洋楽的なフレーズなどがほとんど使われず、全体が古典的手法によってまとめ上げられています。その意味では、江戸時代からの長唄の美学を正統的に継承している曲といえます。かといって陳腐では全くなく、細かな指遣いには古典にないものがありますし、また曲全体に何とも言えないモダンさが漂っており、やはりいわゆる古典とは違った味わいを出すことにも成功しています。伝統を踏まえつつ独自性を出すという、創作上もっとも当たり前かつ難しいことを見事にやってのけた出色の「新曲」なのです。他にも、穏やかで平和な題材と変化に富んだ曲調、合方の効果等他の様々な点でも好感を持たれ、初演後も替手や演出の工夫が重ねられました。今では長唄のレパートリーとしてすっかり定着、藝大系や研精会系の演奏家を中心に再演されているだけでなく、振付されて日舞の会でも出るようになっています。

学生長唄でもそれなりに人気が高く、東大長研でも10年以上昔には卒業曲などとしてお稽古していたそうです。私の学生時代は人が増えたこともあり、あまりお稽古しなくなりましたが、どこで聞いてきたか少し下の後輩が先生にこの曲の教授を願い出ることもありました。ひねくれたところのない唄ですし、三味線も一部を除けば技術的には易しい方とあって学生向きにも思えますが、純江戸前の粋な味を出そうとなると結構大変で、曲への理解力と相応の修練・音楽的素養が求められ、OB勢も大弱りでした。さらりとした演奏が求められる曲というのはやはり難度が高いです。また暗譜は少し難しいような気もします。決して難曲ではないですが、腕前と心構えの無い者に易々と微笑んでくれる曲ではないですね。

六綾先生に伺いましたが、師である4世稀音家六四郎からは「あっという間に終わった、と客が感じるような演奏をしろ」と指導されたそうです。我々の演奏は果たしてどうだったでしょうか。

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《都風流》初演の1947年といえば、アジア太平洋戦争の終結からたったの2年。復興が進みつつあったとはいえ、大空襲で焼け野原となった東京に戦争の傷痕はまだ生々しく残り、何をするにもモノがなく、その日を生きていくのに精一杯の人が圧倒的に多かった時代です。ましてや希望溢れる未来を思い描くなど、とても困難だったのではないでしょうか。《都風流》に描かれた東京の風物は、慰めを与えてくれる過去の影だったのかもしれません。平たく言えばノスタルジア、後ろ向きと言えばそうですが、大変な現在と見えない未来に直面した時には、来し方を抱きしめることが明日への希望になることもあるものです。

新型コロナウイルスの脅威を経験した今の世の中は、《都風流》の時代と少し共通点があるようにも感じられます。コロナ禍は世界を大きく動揺させました。学生長唄や東大長研も例外ではなく、様々な問題に直面し、中には重大でありながら今すぐの解決が難しいものもあります。来年度以降に我々がコロナ禍前と同等あるいはそれ以上の活動を続けられるかどうか、楽観視はできません。そんな中で何を頼り、支えとしていけばよいのか。《都風流》の甘美な調べが教えるものがその答えなのかはわかりません。力強く未来を拓いてくれもしないでしょう。それでもひとときの慰めと、明日を迎える活力くらいは得られるかもしれません。

今年一年、ありがとうございました。どうぞ2023年も、お元気で。

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☆録音名鑑☆
『邦楽舞踊シリーズ[長唄] 助六/都風流』(日本伝統文化振興財団VZCG-6004)ほか収録
唄:吉住小三郎/三味線:稀音家六四郎、花垣長幸
[解説]
作曲者およびその正統な後継者による規範的演奏。1958年11月の録音です。80歳を超えてなお美声を保ったタテ唄の枯淡の境地と、飾り気のない三味線が味わい深い演奏となっています。
演奏者解説

4世 吉住小三郎吉住慈恭
(1876-1972)
大正から昭和にかけて活躍した、近代長唄を代表する唄の名人。東京出身で、幼名は長次郎。義兄かつ養父でもあった3世小三郎に師事。若い頃は劇場に出演していましたが、故あって歌舞伎を離れ、1902年より三味線方の3世杵屋六四郎(2世稀音家浄観)とともに長唄研精会を結成、本格的な長唄演奏会の先鞭をつけました。長唄を演奏会で鑑賞される音楽として芸術的に昇華させた功績は大きく、また演奏家としては美声と明瞭な発音、格調高い芸風で現代における長唄の模範となりました。63年に吉住派の家元を長男に譲り、慈恭を名乗りました。藝大教授、日本芸術院会員(1948)、人間国宝(56)、文化勲章(57)。単独、あるいは2世浄観との合作による作曲も多数。

4世 稀音家六四郎
(1904-1987)
昭和期の長唄三味線方、稀音家派の家元。3世六四郎(2世浄観)の子として東京に生まれ、本名は杉本茂一。最初は住田由之助として笛の修業をしましたが、1929年に三味線方に転向して7世稀音家三郎助を名乗り、1939年に4世六四郎を襲名しました。気品のある洒脱な芸風で、長唄研精会で長くタテ三味線をつとめたほか、長唄協会理事等も歴任。作曲にも優れ、《聖母と軽業師》《深山手事》などを残しています。稀音家六綾先生の師匠でもあります。54年紺綬褒章。

花垣長幸花垣嘉秀
(1933-2020)
昭和~平成期の長唄三味線方で、花垣流の家元。5世小三郎の子(つまり慈恭の孫)で本名は吉住演夫。祖父である吉住慈恭に師事して研精会で三味線方として活躍、後に名を嘉秀と改め彼の相三味線も務めるようになりました。2005年には『長唄研精会百年史』を編纂しています。

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注1:1761-1829 化政文化期の絵師・俳人。本名は酒井忠因(ただなお)。文化芸術を愛する姫路藩主の家系に生まれ、若い頃から諸芸に親しみ、幅広い文人と交友関係を持ちました。37歳で剃髪・隠居後は文人としての生を極め、絵画や文筆で優れた業績をあげました。特に日本美術史上では存在感が大きく、最初は狩野派を学びながらも尾形光琳に私淑、琳派に江戸前の洒脱・優美さを加えた画風を確立して江戸琳派の祖となりました。

注2:富士参りとも。もとは陰暦6月にお山開き直後の富士山に登り、山頂の富士権現社に集団で参詣する宗教行事でした。江戸時代にはわざわざ富士山に行かなくても富士詣ができるようにと江戸の浅草など8か所に模造のミニ富士と富士浅間神社が作られ、陰暦5月の晦日や6月1日の両日に参詣するのが流行しました。

注3:教科書にも取り上げられる古典落語『時そば』では、九つの前が四つになるという江戸時代の時法が下げ(オチ)に活かされています。

注4:「新内節」という三味線音楽には、演奏家が2人一組となって三味線を立奏しながら遊里を歩き回り、お座敷からお呼びがかかると上がり込んで浄瑠璃を語るという独自の営業形態がありました。これを「流し」と呼び、その最中に演奏された旋律が「新内流し」です。

注5:遊女の逃亡を防ぐため、吉原を取り囲むように設けられた溝のこと。遊女たちが使うお歯黒の汁を捨てたから、あるいは真っ黒に濁った水がお歯黒のようだったからその名がついたと言われています。お歯黒どぶに灯が映るという描写は、樋口一葉『たけくらべ』の冒頭を彷彿とさせますね。