北インドで釈尊が始めた仏教は、布教によってインド内外に広まりました。しかし、インドは仏教発祥の地ですが、21世紀においては、従来のインドの仏教はほとんど消滅してしまっています。
13世紀にイスラム教徒が、仏教の拠点を破壊したことによって滅んだといわれています。だが完全には滅んだわけではなかったと言われ2011年の国勢調査では840万人以上の仏教徒がいるとされています。
仏教の開祖釈尊からアショーカ王時代までを一般的には原始仏教または根本仏教と言います。
釈尊は古代インド十六大国に一つコーサラ国に生まれました。29歳で出家し35歳の時に悟りを得て、修行仲間5人に説法した時がインド仏教の始まりとされています。80歳で入滅されるまで各地に教えを広めたと言います。釈尊には多くの弟子がいましたがその中でも特に有能で信頼の厚かった弟子は「十大弟子」と呼ばれています。 釈尊が入滅してすぐに500人の比丘による第1回結集(けつじゅう)が行われ経典と戒律がまとめられました。座長は大迦葉、経は阿難、律は優波離が担当したと伝わっています。
経典は「三蔵」つまり経蔵は釈尊の言行をまとめた阿含経であり律蔵は生活規定と運営規定をまとめた戒律であり、論蔵は教義を体系化した文献であるとされています。
仏教が急速に広まるのは釈尊入滅100年後のマウリヤ朝第3代アショーカ王の時代です。アショーカ王は釈尊の仏教を広めるのに尽力しました。またこの頃、戒律の解釈をめぐって教団内で対立し上座部と大衆部に分裂しました。これを根本分裂と言います。この戒律をめぐって第2回結集が700人の比丘を集めて行われました。その後200年にわたって分裂を繰り返し18部になりました。この分裂を枝末分裂と言います。様々な派閥に分裂した仏教を部派仏教と言います。そして、その時に第3回結集が行われました。
紀元前1世紀頃に、部派仏教とは別に大乗仏教が起こりました。部派仏教が出家者だけが修行することによって輪廻の苦しみから離脱することを目的としていましたが、大乗仏教では出家者・在家者にかかわらず仏陀となる道を歩む修行者を菩薩と言います。その菩薩が修行中に経験した仏陀からの教えを書き留めたのが大乗経典です。代表的な経典として「般若経」「法華経」「無量寿経」など多数伝わっています。原始仏教や部派仏教が釈尊の言行によって成立したのとは異なっています。大乗経典の思想化体系化は紀元後2世紀~3世紀の龍樹によってなされました。その後、無着と世親が心の潜在意識であるアーラヤ識を発見し、それは「涅槃」であるとしました。根底には如来蔵思想があるとしました。人の心は本来的に清浄でありすべての人々が如来や仏陀になる可能性があるという考え方です。
教団が整備され僧侶が知識人として諸学を研鑽するようになると仏教教義学だけでなく仏教論理学も体系化されました。
さらに、密教経典の7世紀に「大日経」「金剛頂経」が成立すると密教が盛んになります。密教はバラモン教やヒンズー教の儀礼や呪術をも取り入れ行法によって行者と仏が一体となって即身成仏が可能であるとしました。以後インドの仏教は密教が中心となっていきました。しかしながら、ヒンズー教徒の数が増していく中でイスラム教徒により仏教寺院が破壊され僧侶が離散していきました。1203年に仏教の中心であったビクラマシーラ寺院が破壊され衰退は決定的となりこの年を仏教滅亡年としています。
現代インドの仏教はカースト制度からの解放を目指して、アンベトカルによって提唱された新仏教徒運動が復興されたものです。