合理的配慮とは

 

 障害者差別解消法で特徴的なことは、「合理的配慮」です。この「合理的配慮」は障害者を特別扱いしろということではありません。むしろ真逆です。障害者でなくても障害者であってもいつでも平等になるように一定の調整をすることが求められるということです。縦的思考ではなく横的思考が必要なのです。この思想は釈尊の平等主義に相通じるものです。

 しかし、気楽に「合理的配慮」と言っても実際には簡単ではありません。障害の状況に合わせた配慮をすること、配慮する側に過重な負担にならないようにすること、配慮するということは個別性があるということ等々具体的な事例をやはり積み重ねていくしか方法はないのです。さらに対人関係は難しい時があります。よかれと思ってしたことがしばしば裏目に出ることがよくあります。相手にしてみれば迷惑になることさえあります。「合理的配慮」は従来の「優遇措置」ではない新しい概念です。「合理的配慮」は従来の行き過ぎた配慮ではなくこの社会で生きていくうえで同じように生きていく上でのちょっとした配慮のことをいいます。

 この「合理的配慮」の考え方は、アメリカで1990年に「障害をもつアメリカ人法(ADA)」に明記されたことによるものでした。さらにイギリスでは1995年に「差別禁止法(DDA)」が制定されました。DDAは障害を理由に雇用や教育など多様な領域で障害を理由とした差別を禁止しました。さらに統合的法律として「2010年平等法」として発展しました。アメリカとイギリスの影響を受け日本でも障害者差別解消法として成立しました。+

差別ということ

 

 障害者ばかりでなく、様々な事情で困難を抱えて生きている人は世の中に多数存在しています。そして、障害や困難を抱えて懸命に生きている人に社会は非情であったり不親切であったりします。差別的行為も日常茶飯事です。

そこで昨年4月に施行された「障害者差別解消法」は具体的に差別を解消するということに焦点を当てています。「差別禁止」ではなく「差別解消」とした意図は「差別のない社会をみんなで作り上げる」ということを目標に掲げているところが従来の法律とは違うところです。この法律の中心的課題は「障害者への不当な差別」と「合理的配慮の欠如」です。合理的な配慮をすべきだというようなことはかつての法律ではなかったことです。

差別問題の場合難しいのは、その多くは受け取り方によって変わってくる場合が多々あることです。これが差別だという定義を明確化することができません。セクハラやパワハラなどもやった方とやられた方ではとらえかたが違うことがしばしばあります。従って差別やハラスメントは、具体的な個別の事例を積み重ねて「これが差別行為だ」ということを社会的に明らかにして、「してはいけないこと」を具合的に示して全国民的に学習を積み重ねていくしか方法はないのです。差別はスローガンだけでは決して解消されず、地道に具体的事例を検討し積み重ねて学習していくしかないのです。 

また、法律はミニマムスタンダード(最低基準)ですから、生きていく上では、自らがオプティマムスタンダード(最適基準)やマキシマムスタンダード(最高基準)にしていくことが求められてくるのです。

 

神さまと障害者

 

 日本ではじめて障害者が出てくるのは、「古事記」と「日本書紀」の記述です。「古事記」には次のように記されています。「くみど(寝所のこと)に興して、子水蛭子(みこヒルコ)を生みたもう。この子は葦船に入れて流し去りき。」とあります。

 国生みの夫婦神イザナギ・イザナミの二神の役割は、国土と神を生むことでした。その二神から生まれた最初の神がヒルコでした。障害者として生まれた第1子のヒルコは葦船に乗せられて棄てられたとあります。その後は、「古事記」と「日本書紀」にはヒルコが流されて以降は何ら記述がありません。

 「古事記」と「日本書紀」以降のヒルコの消息については後世の創作によるものが多数存在します。それは多くの民俗信仰と結びついて広く民衆に信仰されるようになったと考えられます。現在ヒルコを祭神した神社は全国に687社余と多数存在します。特に兵庫県の西宮神社は有名です。関西では「えべっさん」の通称で親しまれていて、「福男」の駆け足競争は毎年全国ニュースで取り上げられます。ヒルコつまりエビスが祭神ということは障害者が祭神であるということでもあります。

 障害者であっても一方では劣るところもありますが他方では優れているところもあります。障害者だけでなく人間みんな得手不得手があります。海に流されたヒルコは、海岸に漂着した漂着物信仰や龍神に拾われたという龍神信仰と結びついて民衆を守る神となったと伝えられています。

 

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