2009年11月20日
また一つ、野馬土手が消滅しました(涙)
この前の土日は、平日の仕事の忙しさがたまり、もうヘロヘロ状態でした。自転車にも乗らないでおこうと思ったのですが、日曜日に少し走りました。写真はご存知、柏ビレジ水辺公園です。
相変わらず写真写りの良い公園ですね(笑)。隣接する自衛隊基地で工事が始まった(?)関係で、無粋なトタン壁が見えて目障りですが、水辺の風景はやはり美しいです。この公園は旧吉田家住宅の近くですので、29日の東葛ポタでも時間があれば訪れたいと思います。
その東葛ポタですが、まだまだ参加募集中です。まだお会いしたことの無い方にも、これを機にお会いしたいと思います。現在のところ27名に方から参加表明を頂いておりますが、昼食をとる不老庵さんは何人でも大丈夫だそうです(笑)。ということなので、皆さん、よろしくお願いします。参加をご希望の方はコメントを下さい。
ところで、これからは少し残念な話です。
流山市野々下の立派な野馬土手の大半が消えてしまいました。隣接するはやぶさの森が宅地開発されることになり、野馬土手の運命が懸念されていたのですが、こんな結果になっていまいました。
以前見に行った時には、こんなふうに丸裸にされ、あちらこちらがぶった切られていました。皮肉なことに、丸裸にされて初めて、この土手のスケールの大きさが分かりました。手前が小土手で奥が大土手です。江戸時代の小金牧を今に伝える堂々たる歴史的遺構でした。
それが、きれいさっぱり無くなってしまいました(涙)。ひょっとしたら保存されるかもしれない、と淡い期待を抱きましたが、全く甘かったです。今、残っているのは西側の約10mと、道を挟んだ竹やぶの同じく10mほどに過ぎません。貴重なものがまた東葛地域から姿を消そうとしています。
そう言えば、この前IKAWAさんがご報告されていた流山市十太夫の野馬土手の一部も存続が危ういです。この写真は11月7日に撮ったものですが、まだ野馬土手が道から見ることが出来ました。ところが今回訪れてみると、ネットに覆われしまっていました。
この野馬土手も消える可能性大です。流山市は今年、第29回「緑の都市賞」の「緑の都市づくり部門」で、国土交通大臣賞を受賞したそうです。うーん、なんとか、ならんものですかねぇ。とにかく、野馬土手のこれ以上の消滅を防ぐためには、貴重な文化遺産であることを、より多くの皆さんに知ってもらうしかないですね。
ところで、今年も大堀川に鮭がやってきました。最初、鯉からと思ったのですが、この鼻の曲がりは、まごうことなき鮭ですね。この鮭の遡上も考えさせられることが多いのですが、既に何度も書いていますので、今回は止めておきます。
【お詫び】↑の写真ですが、「鮭ではなく鯉」とのご指摘のコメントを頂きました。その通りですね。訂正させていただきます。
2009年11月14日
1500年の時を超えて「ヲワケの剣」に会えました(笑)
私、輪行が駄目なんです。生来、不器用なもので自転車をバラして輪行袋に詰めるのに時間がかかります。それに列車の中では他の乗客の方に気を使うので、もうヘトヘト。1回の輪行で100kmほど走った気分になります(苦笑)。
だから滅多なことで輪行しません。ですが、この前の日曜日、横山さんのお誘いに乗って、久しぶりに輪行付ポタに参加してきました。そんなに輪行が苦手なのに、なぜ参加したかというと、埼玉(さきたま)古墳群の稲荷山古墳から出土した奇跡の国宝「金錯銘鉄剣」に会えるからです。
古代日本で卑弥呼と並ぶ有名人と言えば倭王武。金錯銘鉄剣は、その大王に仕えていたヲワケさんが持っていた鉄剣です。なぜそんなことが分かったのかというと、その鉄剣に刻まれていた115文字が驚愕の古代史を語ったからです。その鉄剣を拝める! 歴史オタクの私にはたまらないお誘いです(笑)

このポタ「荒サイ上流・古代ミステリーツァー」は南流山駅7時半に集合でした。5分ほど前に着きましたが、すでに横山さん&ゆるさんご夫妻、みくまさん&アシストさんご夫妻、103さんは既に輪行準備中 or 完了の状態。私も急ぎロードレーサーをバラして、輪行袋に詰めようと・・・。
うーん、やはりうまくいかない。そのうち皆さんが手伝ってくださって・・・見送りにきてくれたまっちさんも含めて4〜5人がかりで、ようやく輪行準備が完了。皆さんのお陰で完璧にパッキングされた自転車は、素晴らしく持ち運びやすかったです(喜)
ところが、私が輪行準備に手間取ったため、横山さんの立てたスケジュールに遅れが出てしました。現地で待ち合わせの方々も随分お待たせすることになったようで、のっけから大迷惑の私でした m(_ _)m
で、輪行ですが、南流山駅からJR武蔵野線に乗り、西浦和駅へ。そこから荒川に出て現地の方々との集合場所を目指します。途中、bunaibuさんと合流。bunaibuさんとは103さん主催の「再発見ポタ」以来でしょうか。bunaibuさん、お久しぶりです。

ようやく合流地点に到着。やじばばさんご夫妻、のむのめ相方さん、やじばばさんのお知り合いの方がお待ちでした。お待たせしたのは私のせい。皆さん、ごめんなさい。やじ@やじばばさんとは「野田周遊+渡良瀬遊水池100kmサイクリング」以来です。やじさん、お久しぶりです。


さて、やじばばさんたちのご案内でポタが本格スタート。どこをどう走っているのか分からない私は、ただ付いて行くだけです(苦笑)。最初に訪れたのが榎本牧場。有名な牧場らしいですね。おお、ジェラートがあるではないですか。
以前ならジェラートには見向きもしなかった私ですが、船橋涙の野馬土手ポタでジェラートの美味さを知ってしまいました(笑)。「シングルコーンの1色盛り」で262円。メチャクチャ安いではないですか。チョコレートチップ入りのジェラートを食べましたが、感動しました。美味いです!


ジェラートを堪能していたら、103さんが何かに食いついていました。何かと思ったら、自動搾乳システム(!)です。牛がえさに釣られて勝手に搾乳機のところに行き、自動的に搾乳が行われるそうです。何でも103さんは学生時代に酪農関係を学んだそうです。専門的な質問に、牧場の方も「良くご存知ですね」と関心しきりでした。




子牛やミニ豚は本当にかわいかったですね。アヒルが本当に「あふらっく」と鳴いたのには驚きました。まあ、空耳アワーでしょうけど(笑)


さて、ここからは荒川、武蔵水路沿いのルートを走り、埼玉古墳群のある行田市へ。ただその途中、私が食いつきそうな寺へ立ち寄っていただきました(笑)。
この泉福寺の正式名称は「東叡山勅願院円頓房泉福寺」という厳しさ。それもそのはずで、平安時代に天皇の勅願によって建てられたそうです。東叡山とは「東の比叡山」とのことで、天台宗のお寺です。
当然食いついたのですが(笑)、本格的に見て回ると1時間ほど戻ってこないのは確実なため、山門から眺めるだけで我慢しました。それにしても、この石の仁王様、なかなかお茶目で素敵です。


昼食はここです。行田市役所前の「B級 グルメ大会」。いろんなところからB級グルメのお店が集結していました。迎え撃つ行田市のB級グルメの代表がイモコロッケのゼリーフライだそうで、これは食べなきゃです。
でも、最近はB級グルメの大ブームなんですね。せりーフライには長蛇の列。ほかのお店にも長蛇の列。うーん、私、輪行も苦手ですが、並ぶのも苦手です(苦笑)。もう早々と断念です。
どうしようかなと思って、周りを見渡せば、おお! テキヤさんの店が多数あるではありませんか。B級グルメの中のB級グルメです(笑)。結局、肩から腕に見事なモンモンを入れたお姐さんが焼くたこ焼きなどを食べ歩き、お腹がいっぱいになりました。

で、腹ごなしにドッカーン(笑)。食事の後、近くの忍(おし)城に行くと、なんと火縄銃の実演があるとのことで、それを見学した後、埼玉古墳群に行くことになりました。
歴史オタクを自認していながら、この忍城の歴史は全く知りませんでした。ドッカーンを待つ間に、横山さんから城主、成田一族のことなどを教えてもらいました。豊臣秀吉の小田原攻めの際、落城しなかった誉れ高い城だそうです。ただ、敵将が石田三成だったという幸運もありましたが(笑)
さて、ドッカーンですが、実は嫌な予感がしていたのです。なんせ私は、輪行や行列以上にデカイ音が駄目。でも、火縄銃のカッコイイ射撃姿を撮りたいじゃないですか。ちょっと辛抱して撮ろうと思ったのですが、最初の邪気払いの一発で、もう降参です。腹に響く凄まじい爆音。もう写真どころではなく、「こわい、こわい」の連呼モードでした(恥)



そして遂に、埼玉古墳群に到着しました。この古墳群は「さきたま古墳公園」として整備されており、きれいに整備された前方後円墳が並びます(ちょっと整備されすぎのような気がしますが)。問題の鉄剣は、大きい写真に写っている稲荷山古墳から出土しました。
その鉄剣は公園内の「さきたま史跡の博物館」に展示されています。もうワクワクドキドキです。そしたら、なんと次の日から貸し出されるそうで、本物が見られるのはこの日までとのこと。わぁーラッキーです。1日ずれていたら、レプリカで我慢しなければならないところでした。博物館内ですので、写真が撮れないのは残念ですが、もう感動ものでした。
さて。この鉄剣に何が刻まれていたかですが、これを書き出すと長くなります(苦笑)。なんせ、私はこのネタで三日三晩話し続けられる自身があります(笑)。詳細は後日、歴史オタク話として自説も入れて書くとして、ほんのさわりだけを紹介すると・・・
5世紀、中国に使者を送り、中国の史書に名を残した倭の五王のうち、一番最後が倭王武という大王です(当時は天皇という称号はありませんでした)。この倭王武は、後の世に雄略天皇と呼ばれることになるワカタケル大王にまず間違いないといわれています。
日本書紀や古事記によると、ワカタケル大王は織田信長を彷彿とさせる非情の覇王です。なんせ、兄の倭王興が暗殺されるや否や、兵を起こし、ほかの兄弟やヤマト王権で大きな力を持っていた葛城の族長らを皆殺しにします。そして、最大のライバルだった倭王讃の子(孫?)を謀殺して大王に即位しています。
大王になってからは、意に沿わない側近を粛清し、敵対する豪族を次々と滅ぼす。そのうえで渡来人らを重用し、「豪族連合議長」にすぎなかった大王の権力強化を図っていきました。
で、鉄剣の文字ですが、稲荷山古墳に眠るヲワケさん(これには諸説ありますが)が「ワカタケル大王が天下を治めるのを補佐した」と記されていたのです! しかも、鉄剣の作られた年代や埋葬の時期がワカタケル大王の治世の時期と一致しました。
もう空前の大発見です。しかし、東国の田舎者のヲワケさんが大王を補佐することなんかできたのでしょうか。唯一可能なのは、ワカタケル大王の大粛清劇の尖兵として剣を血で染めることだった、と私は妄想しております。
うーん、これでも十分話が長くなりましたね(苦笑)。では、とりあえず、この話はこのあたりで。
このポタの締めは、JR鴻巣駅まで行って反省会です。私は最初、絶好調だったのですが、途中の記憶が無い。後でやじさんに送っていただいた写真を見ると、すっかり爆睡しておりました。もう反省会を反省です(苦笑)
今回は私がグズだったばかりに、ご参加の皆さんにいろいろとご迷惑をおかけしました。その代わり、様々なネタを提供させていただきました(笑)。このエントリーでは書いておりませんので、詳細はご参加の皆さんのブログでどうぞ。
横山さん、楽しいポタへのご招待ありがとうございました。やじばばさんをはじめ皆さん、ご案内ありがとうございました。
だから滅多なことで輪行しません。ですが、この前の日曜日、横山さんのお誘いに乗って、久しぶりに輪行付ポタに参加してきました。そんなに輪行が苦手なのに、なぜ参加したかというと、埼玉(さきたま)古墳群の稲荷山古墳から出土した奇跡の国宝「金錯銘鉄剣」に会えるからです。
古代日本で卑弥呼と並ぶ有名人と言えば倭王武。金錯銘鉄剣は、その大王に仕えていたヲワケさんが持っていた鉄剣です。なぜそんなことが分かったのかというと、その鉄剣に刻まれていた115文字が驚愕の古代史を語ったからです。その鉄剣を拝める! 歴史オタクの私にはたまらないお誘いです(笑)
このポタ「荒サイ上流・古代ミステリーツァー」は南流山駅7時半に集合でした。5分ほど前に着きましたが、すでに横山さん&ゆるさんご夫妻、みくまさん&アシストさんご夫妻、103さんは既に輪行準備中 or 完了の状態。私も急ぎロードレーサーをバラして、輪行袋に詰めようと・・・。
うーん、やはりうまくいかない。そのうち皆さんが手伝ってくださって・・・見送りにきてくれたまっちさんも含めて4〜5人がかりで、ようやく輪行準備が完了。皆さんのお陰で完璧にパッキングされた自転車は、素晴らしく持ち運びやすかったです(喜)
ところが、私が輪行準備に手間取ったため、横山さんの立てたスケジュールに遅れが出てしました。現地で待ち合わせの方々も随分お待たせすることになったようで、のっけから大迷惑の私でした m(_ _)m
で、輪行ですが、南流山駅からJR武蔵野線に乗り、西浦和駅へ。そこから荒川に出て現地の方々との集合場所を目指します。途中、bunaibuさんと合流。bunaibuさんとは103さん主催の「再発見ポタ」以来でしょうか。bunaibuさん、お久しぶりです。
ようやく合流地点に到着。やじばばさんご夫妻、のむのめ相方さん、やじばばさんのお知り合いの方がお待ちでした。お待たせしたのは私のせい。皆さん、ごめんなさい。やじ@やじばばさんとは「野田周遊+渡良瀬遊水池100kmサイクリング」以来です。やじさん、お久しぶりです。
さて、やじばばさんたちのご案内でポタが本格スタート。どこをどう走っているのか分からない私は、ただ付いて行くだけです(苦笑)。最初に訪れたのが榎本牧場。有名な牧場らしいですね。おお、ジェラートがあるではないですか。
以前ならジェラートには見向きもしなかった私ですが、船橋涙の野馬土手ポタでジェラートの美味さを知ってしまいました(笑)。「シングルコーンの1色盛り」で262円。メチャクチャ安いではないですか。チョコレートチップ入りのジェラートを食べましたが、感動しました。美味いです!
ジェラートを堪能していたら、103さんが何かに食いついていました。何かと思ったら、自動搾乳システム(!)です。牛がえさに釣られて勝手に搾乳機のところに行き、自動的に搾乳が行われるそうです。何でも103さんは学生時代に酪農関係を学んだそうです。専門的な質問に、牧場の方も「良くご存知ですね」と関心しきりでした。
子牛やミニ豚は本当にかわいかったですね。アヒルが本当に「あふらっく」と鳴いたのには驚きました。まあ、空耳アワーでしょうけど(笑)
さて、ここからは荒川、武蔵水路沿いのルートを走り、埼玉古墳群のある行田市へ。ただその途中、私が食いつきそうな寺へ立ち寄っていただきました(笑)。
この泉福寺の正式名称は「東叡山勅願院円頓房泉福寺」という厳しさ。それもそのはずで、平安時代に天皇の勅願によって建てられたそうです。東叡山とは「東の比叡山」とのことで、天台宗のお寺です。
当然食いついたのですが(笑)、本格的に見て回ると1時間ほど戻ってこないのは確実なため、山門から眺めるだけで我慢しました。それにしても、この石の仁王様、なかなかお茶目で素敵です。
昼食はここです。行田市役所前の「B級 グルメ大会」。いろんなところからB級グルメのお店が集結していました。迎え撃つ行田市のB級グルメの代表がイモコロッケのゼリーフライだそうで、これは食べなきゃです。
でも、最近はB級グルメの大ブームなんですね。せりーフライには長蛇の列。ほかのお店にも長蛇の列。うーん、私、輪行も苦手ですが、並ぶのも苦手です(苦笑)。もう早々と断念です。
どうしようかなと思って、周りを見渡せば、おお! テキヤさんの店が多数あるではありませんか。B級グルメの中のB級グルメです(笑)。結局、肩から腕に見事なモンモンを入れたお姐さんが焼くたこ焼きなどを食べ歩き、お腹がいっぱいになりました。
で、腹ごなしにドッカーン(笑)。食事の後、近くの忍(おし)城に行くと、なんと火縄銃の実演があるとのことで、それを見学した後、埼玉古墳群に行くことになりました。
歴史オタクを自認していながら、この忍城の歴史は全く知りませんでした。ドッカーンを待つ間に、横山さんから城主、成田一族のことなどを教えてもらいました。豊臣秀吉の小田原攻めの際、落城しなかった誉れ高い城だそうです。ただ、敵将が石田三成だったという幸運もありましたが(笑)
さて、ドッカーンですが、実は嫌な予感がしていたのです。なんせ私は、輪行や行列以上にデカイ音が駄目。でも、火縄銃のカッコイイ射撃姿を撮りたいじゃないですか。ちょっと辛抱して撮ろうと思ったのですが、最初の邪気払いの一発で、もう降参です。腹に響く凄まじい爆音。もう写真どころではなく、「こわい、こわい」の連呼モードでした(恥)
そして遂に、埼玉古墳群に到着しました。この古墳群は「さきたま古墳公園」として整備されており、きれいに整備された前方後円墳が並びます(ちょっと整備されすぎのような気がしますが)。問題の鉄剣は、大きい写真に写っている稲荷山古墳から出土しました。
その鉄剣は公園内の「さきたま史跡の博物館」に展示されています。もうワクワクドキドキです。そしたら、なんと次の日から貸し出されるそうで、本物が見られるのはこの日までとのこと。わぁーラッキーです。1日ずれていたら、レプリカで我慢しなければならないところでした。博物館内ですので、写真が撮れないのは残念ですが、もう感動ものでした。
さて。この鉄剣に何が刻まれていたかですが、これを書き出すと長くなります(苦笑)。なんせ、私はこのネタで三日三晩話し続けられる自身があります(笑)。詳細は後日、歴史オタク話として自説も入れて書くとして、ほんのさわりだけを紹介すると・・・
5世紀、中国に使者を送り、中国の史書に名を残した倭の五王のうち、一番最後が倭王武という大王です(当時は天皇という称号はありませんでした)。この倭王武は、後の世に雄略天皇と呼ばれることになるワカタケル大王にまず間違いないといわれています。
日本書紀や古事記によると、ワカタケル大王は織田信長を彷彿とさせる非情の覇王です。なんせ、兄の倭王興が暗殺されるや否や、兵を起こし、ほかの兄弟やヤマト王権で大きな力を持っていた葛城の族長らを皆殺しにします。そして、最大のライバルだった倭王讃の子(孫?)を謀殺して大王に即位しています。
大王になってからは、意に沿わない側近を粛清し、敵対する豪族を次々と滅ぼす。そのうえで渡来人らを重用し、「豪族連合議長」にすぎなかった大王の権力強化を図っていきました。
もう空前の大発見です。しかし、東国の田舎者のヲワケさんが大王を補佐することなんかできたのでしょうか。唯一可能なのは、ワカタケル大王の大粛清劇の尖兵として剣を血で染めることだった、と私は妄想しております。
うーん、これでも十分話が長くなりましたね(苦笑)。では、とりあえず、この話はこのあたりで。
このポタの締めは、JR鴻巣駅まで行って反省会です。私は最初、絶好調だったのですが、途中の記憶が無い。後でやじさんに送っていただいた写真を見ると、すっかり爆睡しておりました。もう反省会を反省です(苦笑)
今回は私がグズだったばかりに、ご参加の皆さんにいろいろとご迷惑をおかけしました。その代わり、様々なネタを提供させていただきました(笑)。このエントリーでは書いておりませんので、詳細はご参加の皆さんのブログでどうぞ。
横山さん、楽しいポタへのご招待ありがとうございました。やじばばさんをはじめ皆さん、ご案内ありがとうございました。
2009年11月07日
第7回東葛ポタへのお誘い・・・を兼ねて旧吉田家訪問記です
今日、一般公開が始まったばかりの柏市指定文化財、旧吉田家住宅を見てきました。このエントリーの前半はその話ですが、後半は「第7回東葛ポタ」へのお誘いです。まだお会いしていない皆さんも熱烈歓迎ですので、よろしければご参加下さい。
では、まず旧吉田家住宅の話。吉田家は江戸時代の花野井村(現・柏市花野井)の名主にして、小金牧の牧士の家系です。牧士とは小金牧を管理し、農民でありながら乗馬や苗字帯刀を許された人々です。しかも、醤油醸造家としても成功した東葛地域の名士。現在のご当主は43代目だそうです(驚)
さて旧吉田家住宅は、2004年にその吉田家から柏市に寄贈され、今まで一般公開に向けた準備が進められていました。主屋の茅葺と長屋門が見事で、いつ公開されるのかと首を長くして待っておりました。
で、公開は11月3日。私なんかより首を長くしていた、このお方が当然一番乗り(笑)。「そのエントリーより詳しく書かなきゃ」と煩悩を出すと、また長くなるので(苦笑)、今回は写真と差分情報にとどめておきます。













なかなか素晴らしい旧家でしょ。まだ公開間もないためか、家の中には説明員の方々が多数いらっしゃり、いろいろと解説していただけたので、楽しかったです。
どこの旧家も同じですが、主屋には家人が出入りする土間があり、そこには囲炉裏。この囲炉裏は、かつてあった場所に復元したそうです。玄関は別にあり客人が来た時にだけ使われたとか。その横に庭に張り出した茶室があります。そして茶室の窓には、下から2段目左の写真のように年代ものの波打つガラスが(これも旧家の基本ですね、笑)
主屋の隣りには客人用の書院があり、主屋とは渡り廊下でつながれていました。驚愕したのは、書院にかけられていた掛け軸。なんと、佐賀藩の勤王の志士にして、明治維新後は外務卿として辣腕を振るった副島種臣の書です。この人、書家としても有名なのですが、現物を見るのは初めてでした。
見学を終え外に出たら、いつもお話をお聞きしている流山市立博物館の学芸員の方とバッタリ。「いろんなところに来ているんですね」とお声を掛けていただき、しばし歓談させていただきました。
ところで、配られたアンケートに答えていると、興味深い質問が。「あけぼの山公園と旧吉田家住宅を行き来するレンタルサイクルを用意したら、あなたは利用しますか」。うーん、なんだか楽しくなりそうです。
【第7回東葛ポタについて】

さて、東葛ポタへのお誘いです。11月29日(日)に紅葉を愛でる7回目の東葛ポタを行いたいと思います。
昨年のツイン紅葉ポタでは、理窓会記念林自然公園と市川市動植物園の紅葉を見に行きましたが、今回は理窓会記念林自然公園と野田の清水公園の紅葉を愛でたいと思います。今年も“ツイン紅葉”です。
清水公園の南側には、やはり茅葺の牧士の家が保存されています。かつて流山にあった旧花野井家住宅で、国の重要文化財です。この旧花野井住宅と旧吉田家住宅も訪ねたいと考えています。
昼食は第1回東葛ポタで、センセーショナルな野鳥焼きで話題(爆)となった不老庵さんです。ただ、今回はおとなしく普通のランチにしましょう。もちろん、野鳥焼きを頼むのも「あり」です。
不老庵さんも見事な茅葺ですので、茅葺を三つ訪問することになります。そんなわけで第7回東葛ポタは、題して「ツイン紅葉・トリプル茅葺ポタ」です(笑)。ということで、第7回東葛ポタのスケジュールです。
【開催日】 11月29日(日)
【集合場所】 江戸川と利根運河の合流地点の公園
【集合時間】 10:00
東葛ポタは、「せっかく東葛地域を自転車で走っている者同士ですから、お知り合いになりましょうよ」という趣旨で、2007年7月に始めたお気楽ポタです。 それを機に、チーム東葛という集りをはじめ、参加した方々同士のいろんな交流が生まれました。
ということで今回も、初参加の方、熱烈歓迎です。まったりと走りますので、車種は何でもOKです。「その企画、乗った!」という方は、このエントリーにコメントを入れてください(「チーム東葛おーぷんBBS」にも同じ告知をアップしておきますので、そちらにコメントいただいても結構です)。
では、多くの皆さんのご参加、待っています。
では、まず旧吉田家住宅の話。吉田家は江戸時代の花野井村(現・柏市花野井)の名主にして、小金牧の牧士の家系です。牧士とは小金牧を管理し、農民でありながら乗馬や苗字帯刀を許された人々です。しかも、醤油醸造家としても成功した東葛地域の名士。現在のご当主は43代目だそうです(驚)
さて旧吉田家住宅は、2004年にその吉田家から柏市に寄贈され、今まで一般公開に向けた準備が進められていました。主屋の茅葺と長屋門が見事で、いつ公開されるのかと首を長くして待っておりました。
で、公開は11月3日。私なんかより首を長くしていた、このお方が当然一番乗り(笑)。「そのエントリーより詳しく書かなきゃ」と煩悩を出すと、また長くなるので(苦笑)、今回は写真と差分情報にとどめておきます。
なかなか素晴らしい旧家でしょ。まだ公開間もないためか、家の中には説明員の方々が多数いらっしゃり、いろいろと解説していただけたので、楽しかったです。
どこの旧家も同じですが、主屋には家人が出入りする土間があり、そこには囲炉裏。この囲炉裏は、かつてあった場所に復元したそうです。玄関は別にあり客人が来た時にだけ使われたとか。その横に庭に張り出した茶室があります。そして茶室の窓には、下から2段目左の写真のように年代ものの波打つガラスが(これも旧家の基本ですね、笑)
主屋の隣りには客人用の書院があり、主屋とは渡り廊下でつながれていました。驚愕したのは、書院にかけられていた掛け軸。なんと、佐賀藩の勤王の志士にして、明治維新後は外務卿として辣腕を振るった副島種臣の書です。この人、書家としても有名なのですが、現物を見るのは初めてでした。
見学を終え外に出たら、いつもお話をお聞きしている流山市立博物館の学芸員の方とバッタリ。「いろんなところに来ているんですね」とお声を掛けていただき、しばし歓談させていただきました。
ところで、配られたアンケートに答えていると、興味深い質問が。「あけぼの山公園と旧吉田家住宅を行き来するレンタルサイクルを用意したら、あなたは利用しますか」。うーん、なんだか楽しくなりそうです。
【第7回東葛ポタについて】
さて、東葛ポタへのお誘いです。11月29日(日)に紅葉を愛でる7回目の東葛ポタを行いたいと思います。
昨年のツイン紅葉ポタでは、理窓会記念林自然公園と市川市動植物園の紅葉を見に行きましたが、今回は理窓会記念林自然公園と野田の清水公園の紅葉を愛でたいと思います。今年も“ツイン紅葉”です。
清水公園の南側には、やはり茅葺の牧士の家が保存されています。かつて流山にあった旧花野井家住宅で、国の重要文化財です。この旧花野井住宅と旧吉田家住宅も訪ねたいと考えています。
昼食は第1回東葛ポタで、センセーショナルな野鳥焼きで話題(爆)となった不老庵さんです。ただ、今回はおとなしく普通のランチにしましょう。もちろん、野鳥焼きを頼むのも「あり」です。不老庵さんも見事な茅葺ですので、茅葺を三つ訪問することになります。そんなわけで第7回東葛ポタは、題して「ツイン紅葉・トリプル茅葺ポタ」です(笑)。ということで、第7回東葛ポタのスケジュールです。
【開催日】 11月29日(日)
【集合場所】 江戸川と利根運河の合流地点の公園
【集合時間】 10:00
東葛ポタは、「せっかく東葛地域を自転車で走っている者同士ですから、お知り合いになりましょうよ」という趣旨で、2007年7月に始めたお気楽ポタです。 それを機に、チーム東葛という集りをはじめ、参加した方々同士のいろんな交流が生まれました。
ということで今回も、初参加の方、熱烈歓迎です。まったりと走りますので、車種は何でもOKです。「その企画、乗った!」という方は、このエントリーにコメントを入れてください(「チーム東葛おーぷんBBS」にも同じ告知をアップしておきますので、そちらにコメントいただいても結構です)。
では、多くの皆さんのご参加、待っています。
2009年11月05日
三度目の正直のカレーめんポタ、古河の歴史も堪能しました
恒例の遅アップです(苦笑)。この前の日曜日に、はんぞうさんがご企画された「古河の七福カレーめん」ポタに参加してきました。実は、七福カレーめんは二度チャレンジして失敗しています。初回は七福カレーをお止めになった店に行ってしまい、二回目は爆風のため関宿城の手前で断念。今回は再々チャレンジです。


この日の集合場所は江戸川と利根運河の合流ポイントにある公園です。参加者はわいずさん、E-ponさん、tatsuo1さんです。それにザンコーニさんが関宿城までご同行、たすけさんがお見送りに来てくれました。
天候は少し暑いぐらいですが、風もなく穏やか。それこそ、あっという間に関宿城にたどり着きました。二度目のチャレンジの時は、関宿城にもたどりつけませんでした。関宿から古河までは、そんなに距離はありませんから、もう大丈夫です。


そうして目的のお店、大栄さんに到着。七福カレーめんののぼりも出ているではありませんか。いやぁ、ここまで来るのが長かったです。実は、「二度あることは三度ある」にならないかと、内心ヒヤヒヤしていたのですが、「三度目の正直」と相成りました(笑)

ようやく、七福カレーめんとご対面です。つけめんもありますが、私は七福カレーうどんをチョイス。そばもありましたが、うどんに限り、大盛り、特盛りにしても値段の変わらず(!)、860円です。特盛りは量がやばそうなので、大盛りにしましたが、出てきたものを見たら正解でした。
味もなかなかのもの。カレーのスパイスがよく効いているのですが、ダシはマイルド。うどんもしっかりしていて美味しくいただけました。ほかの方が注文した、つけめんの七幅カレー汁うどんも、少し細めのめんで良さげでした。
さてお腹がいっぱいになったところで、帰路へ・・・は、ちと早い。そこで、はんぞうさんが「古河歴史博物館に立ち寄りませんか」と提案。もちろん、歴史オタクの私は大賛成です。古河も東葛地域と同じ下総国、関東で戦国の動乱の引き金を引いた古河公方のいたところですね。
さらに江戸時代初期の幕府最高実力者、土井利勝の居城があったところなんです。このオッサン、家康、秀忠、家光の徳川三代に仕えて、幕府の官僚組織を作り上げ、スキあらば大名の取り潰しを画策した、かなりヤバイ人です。
したがって歴史小説では、最大の敵役として登場することが多いです。まあ、基本は立派な人なんですけど。私の好きな池波正太郎の「真田もの」でも、真田家を取り潰すため権謀術数の限り尽す恐るべきオヤジとして描かれています。
しかし、ヤクザな父(昌幸)とヤンチャな弟(幸村)に死ぬほど苦労させられながら、乱世を生き抜いた真田信之には全く歯が立たず、単なる引き立て役に終わります・・・おっと、話が全く脱線してしまいました(苦笑)。で、古河歴史博物館を目指しました。





古河歴史博物館の近くにこんな建物がありました。鷹見泉石記念館で博物館の別館です。これも、はんぞうさんの発見です。茅葺だし、はんぞうさん、ナイスです。
それにしても鷹見泉石(たかみせんせき)というオッサン、うーん、誰だっけ。案内板を読むと、江戸末期の古河藩の家老だった人とのこと。何かかすかな記憶があるのですが、でも思い出せない。仕方がないので思い出すのをやめて、茅葺の屋敷を堪能させていただきました。
なかなかいい秋の風情です。この屋敷は、鷹見泉石が隠居生活を送ったところだそうです。家老を務めた上級武士の住処にしては、質素でいい感じです。なんでも、土井利勝が古河城のやぐらを造った時に余った材木で建てたと伝えられる由緒あるもの。鷹見泉石が住んだ頃はもっと大きな屋敷だったそうです。
喜んで写真を撮っていたら、いつの間にか皆さんの姿が見えなくなっていました。遠くから「カメラ小僧、しばらく帰ってこないよ」との声が(爆)。実は、今回の写真は、カメラ小僧と言っていただくほどには、良く撮れませんでした(苦笑)

で、その後は古河歴史博物館へ。入館料が400円と結構高額でどうかと思いましたが、入ってみてビックリです。鷹見泉石が残した貴重な文化遺産がところ狭しと展示されていました。なんと3157点が国の重要文化財に指定されているそうです。
鷹見泉石は、幕府の要職にあった土井家の殿様のサポートを兼ねて、様々な文献や資料、絵画・陶芸などを片っ端から集めたようです。ご本人の「鷹見泉石日記」も含め、それらが散逸しないで残ったというから凄いです。
この鷹見泉石という人、無類の洋学好きだったとのこと。オランダ商館長から「ヤン・ヘンドリック・ダップル」という名前までつけてもらったほどだそうです。あの蛮社の獄で悲劇の最後を遂げた渡辺崋山とも交流があり・・・。
そうなんです。鷹見泉石は渡辺崋山が描いた国宝「鷹見泉石像」のモデルの人ではないですか。古河歴史博物館のレプリカにお目にかかった時に、ようやく思い出しました(苦笑)。それにしても、この古河歴史博物館、いいです。また来ようっと。
で、いよいよ復路。利根川沿いに関宿城を目指すという往路と同じルートで帰りました。途中、バテバテに疲れ果てた若者(高校生?)の一団に遭遇しました。
どうやらマラソンの大会か何かみたいです。わいずさんが「何キロ走るのですか」と声をかけると、「50キロ」という答えが返ってきました。わぁ、過酷ですねぇ。この日は暑いぐらいの陽気ですから、かなりばてることでしょう。
心の中で「ガンバレ、若造」とつぶやきながら、関宿城へ。少し休憩していると、南風が吹き始め、どんどん強くなっていきます。やばい、逆風じゃん。慌てて走り始めたのですが、結構きつい。これじゃ「ガンバレ、オヤジ」状態です(苦笑)
少しでも強風を避けるために、関宿からは関宿堀ルートを使いました。このルート、風除け効果はあるのですが、若干アップダウンがあります。逆風上り坂になったときは、かなりきつかったです。それでも、なんとか利根運河に到着。久しぶりの100キロ越えでした。
美味いもの&文化の充実ポタでした。はんぞうさん、三度にわたるご企画、ありがとうございました。ご参加の皆さん、お疲れさまでした。
この日の集合場所は江戸川と利根運河の合流ポイントにある公園です。参加者はわいずさん、E-ponさん、tatsuo1さんです。それにザンコーニさんが関宿城までご同行、たすけさんがお見送りに来てくれました。
天候は少し暑いぐらいですが、風もなく穏やか。それこそ、あっという間に関宿城にたどり着きました。二度目のチャレンジの時は、関宿城にもたどりつけませんでした。関宿から古河までは、そんなに距離はありませんから、もう大丈夫です。
そうして目的のお店、大栄さんに到着。七福カレーめんののぼりも出ているではありませんか。いやぁ、ここまで来るのが長かったです。実は、「二度あることは三度ある」にならないかと、内心ヒヤヒヤしていたのですが、「三度目の正直」と相成りました(笑)
ようやく、七福カレーめんとご対面です。つけめんもありますが、私は七福カレーうどんをチョイス。そばもありましたが、うどんに限り、大盛り、特盛りにしても値段の変わらず(!)、860円です。特盛りは量がやばそうなので、大盛りにしましたが、出てきたものを見たら正解でした。
味もなかなかのもの。カレーのスパイスがよく効いているのですが、ダシはマイルド。うどんもしっかりしていて美味しくいただけました。ほかの方が注文した、つけめんの七幅カレー汁うどんも、少し細めのめんで良さげでした。
さてお腹がいっぱいになったところで、帰路へ・・・は、ちと早い。そこで、はんぞうさんが「古河歴史博物館に立ち寄りませんか」と提案。もちろん、歴史オタクの私は大賛成です。古河も東葛地域と同じ下総国、関東で戦国の動乱の引き金を引いた古河公方のいたところですね。
さらに江戸時代初期の幕府最高実力者、土井利勝の居城があったところなんです。このオッサン、家康、秀忠、家光の徳川三代に仕えて、幕府の官僚組織を作り上げ、スキあらば大名の取り潰しを画策した、かなりヤバイ人です。
したがって歴史小説では、最大の敵役として登場することが多いです。まあ、基本は立派な人なんですけど。私の好きな池波正太郎の「真田もの」でも、真田家を取り潰すため権謀術数の限り尽す恐るべきオヤジとして描かれています。
しかし、ヤクザな父(昌幸)とヤンチャな弟(幸村)に死ぬほど苦労させられながら、乱世を生き抜いた真田信之には全く歯が立たず、単なる引き立て役に終わります・・・おっと、話が全く脱線してしまいました(苦笑)。で、古河歴史博物館を目指しました。
古河歴史博物館の近くにこんな建物がありました。鷹見泉石記念館で博物館の別館です。これも、はんぞうさんの発見です。茅葺だし、はんぞうさん、ナイスです。
それにしても鷹見泉石(たかみせんせき)というオッサン、うーん、誰だっけ。案内板を読むと、江戸末期の古河藩の家老だった人とのこと。何かかすかな記憶があるのですが、でも思い出せない。仕方がないので思い出すのをやめて、茅葺の屋敷を堪能させていただきました。
なかなかいい秋の風情です。この屋敷は、鷹見泉石が隠居生活を送ったところだそうです。家老を務めた上級武士の住処にしては、質素でいい感じです。なんでも、土井利勝が古河城のやぐらを造った時に余った材木で建てたと伝えられる由緒あるもの。鷹見泉石が住んだ頃はもっと大きな屋敷だったそうです。
喜んで写真を撮っていたら、いつの間にか皆さんの姿が見えなくなっていました。遠くから「カメラ小僧、しばらく帰ってこないよ」との声が(爆)。実は、今回の写真は、カメラ小僧と言っていただくほどには、良く撮れませんでした(苦笑)
で、その後は古河歴史博物館へ。入館料が400円と結構高額でどうかと思いましたが、入ってみてビックリです。鷹見泉石が残した貴重な文化遺産がところ狭しと展示されていました。なんと3157点が国の重要文化財に指定されているそうです。
鷹見泉石は、幕府の要職にあった土井家の殿様のサポートを兼ねて、様々な文献や資料、絵画・陶芸などを片っ端から集めたようです。ご本人の「鷹見泉石日記」も含め、それらが散逸しないで残ったというから凄いです。
この鷹見泉石という人、無類の洋学好きだったとのこと。オランダ商館長から「ヤン・ヘンドリック・ダップル」という名前までつけてもらったほどだそうです。あの蛮社の獄で悲劇の最後を遂げた渡辺崋山とも交流があり・・・。
そうなんです。鷹見泉石は渡辺崋山が描いた国宝「鷹見泉石像」のモデルの人ではないですか。古河歴史博物館のレプリカにお目にかかった時に、ようやく思い出しました(苦笑)。それにしても、この古河歴史博物館、いいです。また来ようっと。
どうやらマラソンの大会か何かみたいです。わいずさんが「何キロ走るのですか」と声をかけると、「50キロ」という答えが返ってきました。わぁ、過酷ですねぇ。この日は暑いぐらいの陽気ですから、かなりばてることでしょう。
心の中で「ガンバレ、若造」とつぶやきながら、関宿城へ。少し休憩していると、南風が吹き始め、どんどん強くなっていきます。やばい、逆風じゃん。慌てて走り始めたのですが、結構きつい。これじゃ「ガンバレ、オヤジ」状態です(苦笑)
少しでも強風を避けるために、関宿からは関宿堀ルートを使いました。このルート、風除け効果はあるのですが、若干アップダウンがあります。逆風上り坂になったときは、かなりきつかったです。それでも、なんとか利根運河に到着。久しぶりの100キロ越えでした。
美味いもの&文化の充実ポタでした。はんぞうさん、三度にわたるご企画、ありがとうございました。ご参加の皆さん、お疲れさまでした。
2009年10月31日
流山裏道ポタ(てんこ盛りポタ、笑)に参加、遅アップです
いつものように遅アップですが、たすけさんにご企画いただいた流山裏道ポタに参加してきました。内容てんこ盛りの充実のポタでした。詳しく書こうとすると、なかなかアップできないので(苦笑)、今回は全く知らなかった場所を中心に書いてみたいと思います。
ルート地図も、まさにてんこ盛りですねぇ(笑)。ルート地図で紹介した部分だけですと30km超ですが、この日に走った距離は合計で41km超でした。流山市内を走り回るだけで、40km以上も走ることになるとは思いませんでした。それだけ密度が濃かったということでしょう。


この日は10時に流鉄の流山駅前に集合。私は集合時間ギリギリに滑り込み(というか40秒ほど遅刻、苦笑)、当然皆さん、集合済みです。この日、最初からご参加されたのはIKAWAさん、樽さん、spiritさん、ゆるさん、まっちさん、takezawaさんと友人のITOさん、えどさんです。
早速、たすけさんから、この日のポタの説明がありました。なんとレジュメまで用意していただき、訪問する場所が一目瞭然です。ブログを書いている今も役立ったりして(笑)
そして最初の解説が、JR総武線の馬橋と流山を結ぶミニ鉄道、流鉄流山線の誕生秘話でした。流山正史では決して語られることのない、地元の方だけが知っている裏話を聞かせてもらいました。でも、その話はブログでは書けませんねぇ(笑)

さて走り出し、馬頭観音や庚申塚などを見学をして、次は富士登山です(爆)。実は、富士信仰(富士講)から築かれた富士塚だそうですが、流山にこんなに大きなものがあるとは、全く知りませんでした。本物の富士山から岩石を持ち運んで造ったそうです。


“登山”はOKとのことなので、登らせてもらいましたが、体感高度はなかなかのものでした。以前なら“山頂”から本物の富士山を望めたそうですが、今はビル(マンション?)に遮られて見ることができません。
ところで富士ですから、ここは当然、浅間神社です。氏子の皆さんの財力がしのばれる立派な神社でした。そして、ここは流山根郷だそうです。まさに旧・流山の中心地ですね。


その後、流山で新川耕地を抜け、流山で一番格式の高い寺、西栄寺を訪ね、貝塚も見学。流山には数多くの貝塚があると聞いていましたが、実際に見るのがこれが初めてです。貝塚ですから“塚”をイメージしていたのですが、実際は畑に白い貝殻が散らばっているだけ。これなら畑もミネラル豊富な良い土になり、作物がよく育つことでしょう(笑)
その後、上新宿のカメを使った土塁の説明を受けました。この土塁、上新宿を走るときに、いつも見るのですが、実はこれ、みりん醸造用のカメだったそうです。いやぁ、知らなかった。流山では、こうした使用済みのかめを使った土塁があちらこちら見られるそうです。



東葛人的なメインイベントは、これでした。東武野田線の江戸川台駅の近くに残る野馬土手です。この辺りに野馬土手があるというのは知っていたのですが、「住宅街なので、大したことないだろう」と勝手に決め込んで、これまで訪ねたことがありませんでした。
どうして、どうして、なかなか立派な土手でした。途中通過した上新宿の野馬土手に比べて高さはありませんが、きれいに整備されています。なんでも、野馬土手を残すことを前提に整備されたとのことなので、この土手はこれからも安泰です。お陰さまで、野馬土手コレクション、一つゲットです(笑)


その後、謎の建物(笑)を通り過ぎ、東深井古墳の森へ。ここは何度も訪れたことがありますが、いつも掃除が行き届いており、きれいな公園だなあと思っておりました。実は、たすけさんをはじめとする地元の自治会の皆さんが、昨年までボランティアで掃除をされていたそうです。


さて、お楽しみの昼食は、「楽し家」という飲み屋さんの30食限定ランチです。これはコストパフォーマンスが高いですね。天ぷらに寿司、蕎麦と御三家の揃い踏みです。次から次へと出され、蕎麦を置くところがなくなったので、積み上げました(笑)。味もなかなかで、大満足でした。

食事の後は、大堀川の源流の一つを訪ねました。たすけさんが「幻池」と名づけている場所で、以前はこんぶくろ池のような池があったそうですが、今はレストランの駐車場になってしまったとのこと。それでも水が湧き出るように流れ、コンクリートで固められていないところは、土がふかふかでした。こんなところが源流かと、ちょっと驚いてしまいました。


駒木台の道を南下し、「駒木のおすわさま」こと諏訪神社へ。ここでザンコーニさんと飛び入りのやっぱさんが合流。さらに、私の住処の近くにある「お化け土手」こと長崎の四重土手(野馬土手)を見学しました。
そして、生涯学習センターの広場で開かれていた流山産業博に立ち寄り、肝試しには最適の純日本風の墓地見学というシュールな体験(笑)。熊野神社を経由し、どこをどう走ったか分からないような道を行き、流山の旧市街地南端にたどり着きました。
最後は光明院・赤城神社で解散です。もう心も体も満腹状態。頭も満腹で、記憶がメモリーからこぼれ落ちるほどでした(苦笑)。たすけさん、充実のポタありがとうございました。ご参加の皆さん、お疲れさまです。
ルート地図も、まさにてんこ盛りですねぇ(笑)。ルート地図で紹介した部分だけですと30km超ですが、この日に走った距離は合計で41km超でした。流山市内を走り回るだけで、40km以上も走ることになるとは思いませんでした。それだけ密度が濃かったということでしょう。
この日は10時に流鉄の流山駅前に集合。私は集合時間ギリギリに滑り込み(というか40秒ほど遅刻、苦笑)、当然皆さん、集合済みです。この日、最初からご参加されたのはIKAWAさん、樽さん、spiritさん、ゆるさん、まっちさん、takezawaさんと友人のITOさん、えどさんです。
早速、たすけさんから、この日のポタの説明がありました。なんとレジュメまで用意していただき、訪問する場所が一目瞭然です。ブログを書いている今も役立ったりして(笑)
そして最初の解説が、JR総武線の馬橋と流山を結ぶミニ鉄道、流鉄流山線の誕生秘話でした。流山正史では決して語られることのない、地元の方だけが知っている裏話を聞かせてもらいました。でも、その話はブログでは書けませんねぇ(笑)
さて走り出し、馬頭観音や庚申塚などを見学をして、次は富士登山です(爆)。実は、富士信仰(富士講)から築かれた富士塚だそうですが、流山にこんなに大きなものがあるとは、全く知りませんでした。本物の富士山から岩石を持ち運んで造ったそうです。
“登山”はOKとのことなので、登らせてもらいましたが、体感高度はなかなかのものでした。以前なら“山頂”から本物の富士山を望めたそうですが、今はビル(マンション?)に遮られて見ることができません。
ところで富士ですから、ここは当然、浅間神社です。氏子の皆さんの財力がしのばれる立派な神社でした。そして、ここは流山根郷だそうです。まさに旧・流山の中心地ですね。
その後、流山で新川耕地を抜け、流山で一番格式の高い寺、西栄寺を訪ね、貝塚も見学。流山には数多くの貝塚があると聞いていましたが、実際に見るのがこれが初めてです。貝塚ですから“塚”をイメージしていたのですが、実際は畑に白い貝殻が散らばっているだけ。これなら畑もミネラル豊富な良い土になり、作物がよく育つことでしょう(笑)
その後、上新宿のカメを使った土塁の説明を受けました。この土塁、上新宿を走るときに、いつも見るのですが、実はこれ、みりん醸造用のカメだったそうです。いやぁ、知らなかった。流山では、こうした使用済みのかめを使った土塁があちらこちら見られるそうです。
東葛人的なメインイベントは、これでした。東武野田線の江戸川台駅の近くに残る野馬土手です。この辺りに野馬土手があるというのは知っていたのですが、「住宅街なので、大したことないだろう」と勝手に決め込んで、これまで訪ねたことがありませんでした。
どうして、どうして、なかなか立派な土手でした。途中通過した上新宿の野馬土手に比べて高さはありませんが、きれいに整備されています。なんでも、野馬土手を残すことを前提に整備されたとのことなので、この土手はこれからも安泰です。お陰さまで、野馬土手コレクション、一つゲットです(笑)
その後、謎の建物(笑)を通り過ぎ、東深井古墳の森へ。ここは何度も訪れたことがありますが、いつも掃除が行き届いており、きれいな公園だなあと思っておりました。実は、たすけさんをはじめとする地元の自治会の皆さんが、昨年までボランティアで掃除をされていたそうです。
さて、お楽しみの昼食は、「楽し家」という飲み屋さんの30食限定ランチです。これはコストパフォーマンスが高いですね。天ぷらに寿司、蕎麦と御三家の揃い踏みです。次から次へと出され、蕎麦を置くところがなくなったので、積み上げました(笑)。味もなかなかで、大満足でした。
食事の後は、大堀川の源流の一つを訪ねました。たすけさんが「幻池」と名づけている場所で、以前はこんぶくろ池のような池があったそうですが、今はレストランの駐車場になってしまったとのこと。それでも水が湧き出るように流れ、コンクリートで固められていないところは、土がふかふかでした。こんなところが源流かと、ちょっと驚いてしまいました。
駒木台の道を南下し、「駒木のおすわさま」こと諏訪神社へ。ここでザンコーニさんと飛び入りのやっぱさんが合流。さらに、私の住処の近くにある「お化け土手」こと長崎の四重土手(野馬土手)を見学しました。
そして、生涯学習センターの広場で開かれていた流山産業博に立ち寄り、肝試しには最適の純日本風の墓地見学というシュールな体験(笑)。熊野神社を経由し、どこをどう走ったか分からないような道を行き、流山の旧市街地南端にたどり着きました。
最後は光明院・赤城神社で解散です。もう心も体も満腹状態。頭も満腹で、記憶がメモリーからこぼれ落ちるほどでした(苦笑)。たすけさん、充実のポタありがとうございました。ご参加の皆さん、お疲れさまです。
2009年10月24日
鎌ケ谷と白井の市境、野馬土手訪問記
前回のエントリーで船橋の野馬土手が消えた話を書きました。実は、フラストレーションが溜まったので(苦笑)、次の日の日曜日に折り畳み自転車のPacific-18を使って、また野馬土手を見に行きました。
見に行ったのは、鎌ケ谷市と白井市の市境。中野牧の土手がまとまって残る一帯です。この辺りはたまに走るのですが(実は前日、船橋に向かう際にも走っています)、野馬土手を探したことはありませんでした。
もう1週間近く経つので、ボツにしてもよかったのですが、私のような野馬土手マニアの方に参考になるかもしれませんので、アップしておきます(笑)。




まずは、鎌ケ谷市の初富小学校の裏の小道に残る野馬土手です。「野馬土手は泣いている」を読んで以前から気になっていたのですが、この道がよく分からず、今まで訪れたことはありませんでした。
行ってみると、土手は思いのほか保存状態が良く、しかも小道に沿って点々と残っています。それにしても、この小道が凄い。道とも思えないような細さです。これじゃ、地元の方でない限り、なかなか発見できませんね。


この小道に残る野馬土手は北へ伸びていった後、鎌ケ谷自動車学校の南で西に向きを変えています。そして、市営陸上競技場の西側にも、その続きの土手が残っていました。
実は、この土手のそばにある小道は、下総基地沿いの道からの抜け道として、よく利用しているので何度も見ているはずですが、これまで野馬土手とは気づいていませんでした(苦笑)

次は、白井市側の冨士に残る土手です。小さな児童公園の中にあり、「白井市の指定文化財」というパンフレットによると、白井市内で最も保存状態の良い野馬土手だそうです。ただし、場所は分かりにくいですので、行かれる方は心して探してください。
実はこの土手、昔は南東方向から伸びてきて、先ほどの初富小裏の小道の土手に接続していたとのことです。そんなわけで、この土手の南東方向にも野馬土手が残っています。


それが、この土手です。児童公園の土手を南東方向に延長した線上に、こんな道がありますが、その道に沿って2カ所残っていました。そのうちの1つは、鉄塔の敷地内となっていますので、おそらく壊されることはないでしょう。

で、最後は再び鎌ケ谷市に戻って、稲荷前三差路の南側の野馬土手を見てきました。この土手も初富小裏の小道の土手とつながっていたようですね。この土手も脇の道も何度か走っていますが、野馬土手として眺めたことはありませんでした(苦笑)
それにしても、野馬土手を探して走ると、本当に地理感が身につきますね(笑)
見に行ったのは、鎌ケ谷市と白井市の市境。中野牧の土手がまとまって残る一帯です。この辺りはたまに走るのですが(実は前日、船橋に向かう際にも走っています)、野馬土手を探したことはありませんでした。
もう1週間近く経つので、ボツにしてもよかったのですが、私のような野馬土手マニアの方に参考になるかもしれませんので、アップしておきます(笑)。




まずは、鎌ケ谷市の初富小学校の裏の小道に残る野馬土手です。「野馬土手は泣いている」を読んで以前から気になっていたのですが、この道がよく分からず、今まで訪れたことはありませんでした。
行ってみると、土手は思いのほか保存状態が良く、しかも小道に沿って点々と残っています。それにしても、この小道が凄い。道とも思えないような細さです。これじゃ、地元の方でない限り、なかなか発見できませんね。
この小道に残る野馬土手は北へ伸びていった後、鎌ケ谷自動車学校の南で西に向きを変えています。そして、市営陸上競技場の西側にも、その続きの土手が残っていました。
実は、この土手のそばにある小道は、下総基地沿いの道からの抜け道として、よく利用しているので何度も見ているはずですが、これまで野馬土手とは気づいていませんでした(苦笑)

次は、白井市側の冨士に残る土手です。小さな児童公園の中にあり、「白井市の指定文化財」というパンフレットによると、白井市内で最も保存状態の良い野馬土手だそうです。ただし、場所は分かりにくいですので、行かれる方は心して探してください。
実はこの土手、昔は南東方向から伸びてきて、先ほどの初富小裏の小道の土手に接続していたとのことです。そんなわけで、この土手の南東方向にも野馬土手が残っています。


それが、この土手です。児童公園の土手を南東方向に延長した線上に、こんな道がありますが、その道に沿って2カ所残っていました。そのうちの1つは、鉄塔の敷地内となっていますので、おそらく壊されることはないでしょう。
で、最後は再び鎌ケ谷市に戻って、稲荷前三差路の南側の野馬土手を見てきました。この土手も初富小裏の小道の土手とつながっていたようですね。この土手も脇の道も何度か走っていますが、野馬土手として眺めたことはありませんでした(苦笑)
それにしても、野馬土手を探して走ると、本当に地理感が身につきますね(笑)
2009年10月18日
野馬土手ベスト10の四つを訪ねるつもりでしたが・・・
土曜日、ロードレーサーで下野牧の野馬土手を目指しました。江戸幕府の牧場である小金牧の土手中でも、下野牧のものは住処から遠いため、なかなか訪れる機会がありませんでした。
ただ、野馬土手研究家の青木更吉先生が選ぶ野馬土手ベスト10には下野牧の土手が三つも入っています。二和三咲、薬円台、船橋日大前駅の野馬土手でいずれも船橋市内にあります。
このうち二和三咲の土手は、今年の正月にIKAWAさんと見に行きました。あとの二つは遠い印象だったのですが、地図をよく見ると二和三咲の土手からそんなに遠くありません。「それなら」と思い出掛けてみました。そうしたら・・・衝撃の結末でした。


当然、ルートは二和三咲の土手経由です。二和三咲に行く前に、少し脱線して鎌ケ谷市の初富の捕込に立ち寄りました。ここは小金牧のうち中野牧の遺構で、野馬を捕まえるための施設です。いつもながら素晴らしい眺めです。
初富の捕込は野馬土手ベスト10の1位です。ここに立ち寄って、5位の二和三咲の土手経由で、8位の薬円台、10位の船橋日大前駅の土手に行けば、ベスト10のうち四つの土手を制覇することになります(笑)

そして、あっという間に二和三咲の野馬土手に到着。「あれっ、こんなに近かったっけ」と思ったほどでした。正月に来た時はもっと遠かったような気がしたのですが、やはり初めての場所遠く、二度目以降は近く感じるんでしょう。
それにしても、この野馬土手もやはり立派です。写真はしょぼく写っていますが(苦笑)、本物は相当なものです。道のど真ん中を堂々と占拠していますので、この土手を残す決断をした人たちに拍手です。

二和三咲の土手から、最初は船橋日大前駅の土手を目指したのですが、途中こんなアイスクリーム屋さんがありました。この日は暑くもないのに大繁盛しているようです。駐車場に車がいっぱいです。私はアイスクリームにはあまり関心が無いので、先を急ぎます。
で、船橋日大前駅に着いたのですが・・・。


野馬土手が無い! 何にもありません(涙)。青木先生の著書「野馬土手は泣いている」によると、日大の東に林があって、その間の遊歩道に沿って野馬土手がくねくねと320mにわたって伸びているとのこと。
でも目の前には、宅地造成地が広がるばかり。野馬土手どころか林もありません。おそらく大開発で土手もろとも林が切り開かれてしまったのでしょう。
土手のかけらでも残っていないかと探しましたが、結局見つけられませんでした。ひょっとしたら探しそこなっただけかもしれませんが、この状況だと望みはあんまりなさそうです。
以前、野馬土手ベスト10で7位の十太夫の土手(流山市)が開発でほとんど消滅しましたが、船橋日大前駅の土手も同じ運命を辿ったようです。
うーん、残念。でも、気を取り直して、薬円台の土手を目指しました。

途中、陸上自衛隊の習志野演習場の脇を通過。習志野演習場って、すごく遠いイメージがありましたが、結構近い。ちなみに「野馬土手は泣いている」によると、演習場の中にも野馬土手があるそうです。

で、お目当ての薬円台の野馬土手に到着しました。船橋市郷土資料館の南側の正面と、資料館の東側の道路に沿って土手が残っており、写真は資料館正面のもの。こちらはごく小規模な土手で、本命は東側の土手です。

げっ、無いじゃん! 船橋日大前駅の土手と同じで、影も形もありません。もう涙目です。
私はてっきり、写真のような宅地造成で野馬土手が消滅したのだと思ったのですが、住処へ帰って「野馬土手は泣いている」を再度読んでみると、土手の本体はもっと南側、写真で言うと、中央の木立の辺りです。
でも、そこも何度も行ったり来たりしましたが、立派な歩道があるだけで、何もありませんでした。「野馬土手は泣いている」に薬円台の土手の写真が載っていましたので、記憶と比べてみると土手の会った場所に、その立派な歩道が重なりました。
ガーン、どうやら野馬土手は壊され、歩道になってしまったようです。そうすると野馬土手ベスト10のうち、三つの土手が消えたことになります(涙)。いずれにしろ、わざわざ船橋に遠征して、見れた野馬土手は郷土資料館正面の小さな土手だけでした。
もう、ガックリ来て、夕暮れが迫る中、帰路に着きました。そうしたら・・・。

また、あのアイスクリーム屋さんの横を通ったんですよ。普通ならそのまま通過なんですが、もう傷心、甘いものが食べたくなりました(苦笑)。それに、随分客も少なくなって、そんなに並ばなくても買えそうだったもので・・・。
このアイスクリーム屋さんは佐久間アイスクリーム工房というお店です。ジェラートとソフトクリームがありますが、多くの皆さんがジェラートをチョイス。では、私もということで、バニラのシングルのジェラートを購入しました。
で、食べてみると、おそろしく美味いです。コクがあって、それでいて爽やかです。私はアイスクリームをあまり食べないので、アイスクリームに対する免疫がないだけかもしれませんが(笑)、それにしても美味い。すっかり元気になってしまいました(苦笑)
住処に帰って、こちらも調べてみると佐久間牧場が経営する店とのこと。しかも、なんと店の裏側が牧場とのこと。しまった。牧場を見てくればよかったです。それにしても江戸時代の牧場の“残光”が消える中、現代の牧場が市街化が進む船橋に残っているのも、ちょっと驚きです。
今回は残念な結果でしたが、本当に二つの野馬土手は消えてしまったのか。短時間の訪問でしたので、見逃した可能性も否定できません(そうだと良いのですが)。いずれまた再度確認したいと思います。
ただ、野馬土手研究家の青木更吉先生が選ぶ野馬土手ベスト10には下野牧の土手が三つも入っています。二和三咲、薬円台、船橋日大前駅の野馬土手でいずれも船橋市内にあります。
このうち二和三咲の土手は、今年の正月にIKAWAさんと見に行きました。あとの二つは遠い印象だったのですが、地図をよく見ると二和三咲の土手からそんなに遠くありません。「それなら」と思い出掛けてみました。そうしたら・・・衝撃の結末でした。
当然、ルートは二和三咲の土手経由です。二和三咲に行く前に、少し脱線して鎌ケ谷市の初富の捕込に立ち寄りました。ここは小金牧のうち中野牧の遺構で、野馬を捕まえるための施設です。いつもながら素晴らしい眺めです。
初富の捕込は野馬土手ベスト10の1位です。ここに立ち寄って、5位の二和三咲の土手経由で、8位の薬円台、10位の船橋日大前駅の土手に行けば、ベスト10のうち四つの土手を制覇することになります(笑)
そして、あっという間に二和三咲の野馬土手に到着。「あれっ、こんなに近かったっけ」と思ったほどでした。正月に来た時はもっと遠かったような気がしたのですが、やはり初めての場所遠く、二度目以降は近く感じるんでしょう。
それにしても、この野馬土手もやはり立派です。写真はしょぼく写っていますが(苦笑)、本物は相当なものです。道のど真ん中を堂々と占拠していますので、この土手を残す決断をした人たちに拍手です。
二和三咲の土手から、最初は船橋日大前駅の土手を目指したのですが、途中こんなアイスクリーム屋さんがありました。この日は暑くもないのに大繁盛しているようです。駐車場に車がいっぱいです。私はアイスクリームにはあまり関心が無いので、先を急ぎます。
で、船橋日大前駅に着いたのですが・・・。
野馬土手が無い! 何にもありません(涙)。青木先生の著書「野馬土手は泣いている」によると、日大の東に林があって、その間の遊歩道に沿って野馬土手がくねくねと320mにわたって伸びているとのこと。
でも目の前には、宅地造成地が広がるばかり。野馬土手どころか林もありません。おそらく大開発で土手もろとも林が切り開かれてしまったのでしょう。
土手のかけらでも残っていないかと探しましたが、結局見つけられませんでした。ひょっとしたら探しそこなっただけかもしれませんが、この状況だと望みはあんまりなさそうです。
以前、野馬土手ベスト10で7位の十太夫の土手(流山市)が開発でほとんど消滅しましたが、船橋日大前駅の土手も同じ運命を辿ったようです。
うーん、残念。でも、気を取り直して、薬円台の土手を目指しました。
途中、陸上自衛隊の習志野演習場の脇を通過。習志野演習場って、すごく遠いイメージがありましたが、結構近い。ちなみに「野馬土手は泣いている」によると、演習場の中にも野馬土手があるそうです。
で、お目当ての薬円台の野馬土手に到着しました。船橋市郷土資料館の南側の正面と、資料館の東側の道路に沿って土手が残っており、写真は資料館正面のもの。こちらはごく小規模な土手で、本命は東側の土手です。
げっ、無いじゃん! 船橋日大前駅の土手と同じで、影も形もありません。もう涙目です。
私はてっきり、写真のような宅地造成で野馬土手が消滅したのだと思ったのですが、住処へ帰って「野馬土手は泣いている」を再度読んでみると、土手の本体はもっと南側、写真で言うと、中央の木立の辺りです。
でも、そこも何度も行ったり来たりしましたが、立派な歩道があるだけで、何もありませんでした。「野馬土手は泣いている」に薬円台の土手の写真が載っていましたので、記憶と比べてみると土手の会った場所に、その立派な歩道が重なりました。
ガーン、どうやら野馬土手は壊され、歩道になってしまったようです。そうすると野馬土手ベスト10のうち、三つの土手が消えたことになります(涙)。いずれにしろ、わざわざ船橋に遠征して、見れた野馬土手は郷土資料館正面の小さな土手だけでした。
もう、ガックリ来て、夕暮れが迫る中、帰路に着きました。そうしたら・・・。
また、あのアイスクリーム屋さんの横を通ったんですよ。普通ならそのまま通過なんですが、もう傷心、甘いものが食べたくなりました(苦笑)。それに、随分客も少なくなって、そんなに並ばなくても買えそうだったもので・・・。
このアイスクリーム屋さんは佐久間アイスクリーム工房というお店です。ジェラートとソフトクリームがありますが、多くの皆さんがジェラートをチョイス。では、私もということで、バニラのシングルのジェラートを購入しました。
で、食べてみると、おそろしく美味いです。コクがあって、それでいて爽やかです。私はアイスクリームをあまり食べないので、アイスクリームに対する免疫がないだけかもしれませんが(笑)、それにしても美味い。すっかり元気になってしまいました(苦笑)
住処に帰って、こちらも調べてみると佐久間牧場が経営する店とのこと。しかも、なんと店の裏側が牧場とのこと。しまった。牧場を見てくればよかったです。それにしても江戸時代の牧場の“残光”が消える中、現代の牧場が市街化が進む船橋に残っているのも、ちょっと驚きです。
今回は残念な結果でしたが、本当に二つの野馬土手は消えてしまったのか。短時間の訪問でしたので、見逃した可能性も否定できません(そうだと良いのですが)。いずれまた再度確認したいと思います。
2009年10月12日
下総航空基地の航空祭を初めて見学しました
日曜日にロードレーサーに乗り、海上自衛隊下総航空基地の航空祭を見てきました。この航空祭は毎年やっているようですが、今年は基地開設50周年記念の行事として開催とのことでした。
私はミリタリーマニアでないので、基本的に基地や軍用機には関心がないのですが、なんせ空と飛ぶ被写体を間近で撮影できます。デジイチを初めて手にした昨年は行きそびれたので、今年は70-300mmの望遠ズームを久しぶりに持ち出して訪ねてみました。




いやぁ、いっぱい飛んでいました(笑)。この航空祭の目玉は、哨戒機や練習機、ヘリの体験試乗ですが、今年は50周年記念ということで出血大サービスのようです。相次いで滑走路を飛び立つので、撮影スキルのない私でもなんとかなりました。
ただ、それでもピンの甘い写真のオンパレード(苦笑)。比較的マシな写真をこちらにアップしてみましたので、おヒマな方はご笑覧ください。やはり瞬時の判断が要求される動きの速い被写体を撮影するのは難しいですが、勉強になります。
ところで、この体験試乗はもの凄い競争率のようですね。高いところが大嫌いな私はノーサンキューですが、ミリタリーマニアや飛行機が大好きな方には堪えられないでしょうね。そう言えば、毎年航空祭に参加されているkashiwanさんは見事ヘリ試乗に当選されたそうです。








それにしても下総航空基地って、本当にデカイですね。基地の中を自由に見れるのはめったにない機会ですので、歩き回ってみたら、くたびれてしまいました(苦笑)。
そのデカイ基地に多数の人が訪れ、滑走路に近くはごった返していました。自衛隊の皆さん(?)による出店が並び、これまた自衛隊の皆さんのバンド(?)によるステージも。そこを花電車が走り回り、完璧なお祭り状態でした。
うーん、平和だ。



そんなお祭り状態の基地の中で、唯一物騒な兵器の展示が、この対戦車ヘリでした。確か陸上自衛隊の「コブラ」だったかと思いますが、物騒ゆえに美しく、子供たちに大人気でした。
昔、ソ連がまだ存在した頃、核戦争寸止めを前提にした米ソ戦争の可能性がゼロでなく、その際にソ連軍が日本を限定占領するシナリオも語られていましたので、こんな兵器も必要だったのでしょう。でも、今はどうか。少なくとも、あの国に対しては無意味ですね。
とにかく、こうした兵器が永遠に無駄であってほしいものです。写真撮影に来ただけでしたが、帰り際にそんなことを考えていました。

そうそう帰り際に、基地内の駐輪場で来場記念にGPSにポイント登録。しっかり基地の中に旗が立っています(当たり前か、笑)
私はミリタリーマニアでないので、基本的に基地や軍用機には関心がないのですが、なんせ空と飛ぶ被写体を間近で撮影できます。デジイチを初めて手にした昨年は行きそびれたので、今年は70-300mmの望遠ズームを久しぶりに持ち出して訪ねてみました。

いやぁ、いっぱい飛んでいました(笑)。この航空祭の目玉は、哨戒機や練習機、ヘリの体験試乗ですが、今年は50周年記念ということで出血大サービスのようです。相次いで滑走路を飛び立つので、撮影スキルのない私でもなんとかなりました。
ただ、それでもピンの甘い写真のオンパレード(苦笑)。比較的マシな写真をこちらにアップしてみましたので、おヒマな方はご笑覧ください。やはり瞬時の判断が要求される動きの速い被写体を撮影するのは難しいですが、勉強になります。
ところで、この体験試乗はもの凄い競争率のようですね。高いところが大嫌いな私はノーサンキューですが、ミリタリーマニアや飛行機が大好きな方には堪えられないでしょうね。そう言えば、毎年航空祭に参加されているkashiwanさんは見事ヘリ試乗に当選されたそうです。



それにしても下総航空基地って、本当にデカイですね。基地の中を自由に見れるのはめったにない機会ですので、歩き回ってみたら、くたびれてしまいました(苦笑)。
そのデカイ基地に多数の人が訪れ、滑走路に近くはごった返していました。自衛隊の皆さん(?)による出店が並び、これまた自衛隊の皆さんのバンド(?)によるステージも。そこを花電車が走り回り、完璧なお祭り状態でした。
うーん、平和だ。



そんなお祭り状態の基地の中で、唯一物騒な兵器の展示が、この対戦車ヘリでした。確か陸上自衛隊の「コブラ」だったかと思いますが、物騒ゆえに美しく、子供たちに大人気でした。
昔、ソ連がまだ存在した頃、核戦争寸止めを前提にした米ソ戦争の可能性がゼロでなく、その際にソ連軍が日本を限定占領するシナリオも語られていましたので、こんな兵器も必要だったのでしょう。でも、今はどうか。少なくとも、あの国に対しては無意味ですね。
とにかく、こうした兵器が永遠に無駄であってほしいものです。写真撮影に来ただけでしたが、帰り際にそんなことを考えていました。
そうそう帰り際に、基地内の駐輪場で来場記念にGPSにポイント登録。しっかり基地の中に旗が立っています(当たり前か、笑)
2009年10月09日
東葛地域の「森の公園」をハシゴ、やはり美しい!
台風18号は凄まじかったですね。木曜日は松戸駅で足止めをくって、職場にたどり着くのに5時間以上かかりました。江戸川での風速は30mだったそうで、大変な目に遭いました。ただ、このエントリーはそんなことと全く関係なく、この前の日曜日の平和な話です(笑)
この日曜日、近場の“森の公園”をロードレーサーでハシゴしてきました。紅葉前の中秋の風情を楽しもうと考えたのですが、少し暑かったですね。おそらく森の吸血鬼たちも襲ってくるだろうと予想し、虫除けを塗るなど万全の対策をしたはずだったんですが・・・。




まず訪れたのは「こんぶくろ池自然博物公園」です。ここはいつ来ても本当に美しいですね。木漏れ日が池の水面に揺れて、なんとも言えない風情です。前日の雨で森全体がしっとりとして、なおさら良い感じでした。小道に生えたキノコや落ちたドングリも森の雰囲気を盛り上げてくれました。
ただ、写真を撮っていると蚊が襲ってきます。「あれっ、虫除けを塗ったはずなのに」と思いましたが、よく考えると顔はともかく首筋に塗るのを忘れました。まさに小泉八雲の怪談「耳なし芳一」の耳状態。ここだけは蚊が近づけるので、たまりません。キノコを撮っている時に2カ所刺されてしましました(かゆ)


ところで、こんぶくろ池と対になる弁天池が完全に干上がっていました。湧水が枯れたのかと心配しましたが、後で調べたところ雨が少ないと、こんぶくろ池も弁天池もあっと言う間に水位が下がってしまうそうです。
そう言えば、こんぶくろ池も随分水量が少なかったです。ただ、今回の台風18号の雨で、きっと水位は回復したことでしょう。


で、ついでと言ってはなんですが、こんぶくろ池の森の中にある野馬土手をパチリ。今まで写真で撮ったことがなかったのですが、再び野馬土手のマイブームですので、写真に収めてみました(笑)。
ここに野馬土手があるということは、当然こんぶくろ池や弁天池は野馬たちの水飲み場だったわけです。こんな美しい森の中で、馬が湧水を飲んでいた・・・想像するだけで絵になりますね。


さて次は、「東深井古墳の森」。ここは本当に久しぶりです。12の古墳が残っていますが、以前は40の古墳が存在したそうです。開発と共に多くの古墳が消えました。だから、「古墳は、古代人のお墓です。墳丘に登らないでください」と言われてもねぇ・・・というのは以前書きましたね(笑)
それにしても、改めて訪れてみると、この公園もなかなか良いです。下草がきれいに刈り採られているので、歩きやすく気持ちが良いです。古墳にカメラを向けても、写ってはいけないものは写りそうも無いので、そちらの面でも安心です(笑)



そして3番目に訪れたのは「理窓会記念林自然公園」です。ここも、いつもながらの美しさでした。園内の池の水位はやはり低いですね。やはり山のふもとから湧き出す泉と違って、東葛台地は保水力が弱いので湧水も降雨量に左右されるようです。
今の季節の紅葉前の森も美しいのですが、やはりここは紅葉の隠れた名所です。昨年はイマイチでしたが、果たして今年はどうでしょうか。

最後は「篠籠田緑地公園」。これも随分前ですが、野馬土手を探しに訪れたことがありました。IKAWAさんのブログで、野馬土手が森の中にあるということを知っての訪問でしたが、結局見つけることができませんでした。
で、リベンジしたのですが、見事見つけることができました。それにしても、ここの野馬土手は三重土手なんですね。普通の野馬土手は二重土手なんで、なかなか珍しいです。
ところで森の吸血鬼たちには容赦なく襲われ、結局10カ所近く刺されてしまいました。特に篠籠田緑地公園では、虫除けを塗ったはずの手足も攻撃対象。夏ならともかく、中秋の日にこんなに献血することになろうとは思いも寄りませんでした(苦笑)
この日曜日、近場の“森の公園”をロードレーサーでハシゴしてきました。紅葉前の中秋の風情を楽しもうと考えたのですが、少し暑かったですね。おそらく森の吸血鬼たちも襲ってくるだろうと予想し、虫除けを塗るなど万全の対策をしたはずだったんですが・・・。
まず訪れたのは「こんぶくろ池自然博物公園」です。ここはいつ来ても本当に美しいですね。木漏れ日が池の水面に揺れて、なんとも言えない風情です。前日の雨で森全体がしっとりとして、なおさら良い感じでした。小道に生えたキノコや落ちたドングリも森の雰囲気を盛り上げてくれました。
ただ、写真を撮っていると蚊が襲ってきます。「あれっ、虫除けを塗ったはずなのに」と思いましたが、よく考えると顔はともかく首筋に塗るのを忘れました。まさに小泉八雲の怪談「耳なし芳一」の耳状態。ここだけは蚊が近づけるので、たまりません。キノコを撮っている時に2カ所刺されてしましました(かゆ)
ところで、こんぶくろ池と対になる弁天池が完全に干上がっていました。湧水が枯れたのかと心配しましたが、後で調べたところ雨が少ないと、こんぶくろ池も弁天池もあっと言う間に水位が下がってしまうそうです。
そう言えば、こんぶくろ池も随分水量が少なかったです。ただ、今回の台風18号の雨で、きっと水位は回復したことでしょう。
で、ついでと言ってはなんですが、こんぶくろ池の森の中にある野馬土手をパチリ。今まで写真で撮ったことがなかったのですが、再び野馬土手のマイブームですので、写真に収めてみました(笑)。
ここに野馬土手があるということは、当然こんぶくろ池や弁天池は野馬たちの水飲み場だったわけです。こんな美しい森の中で、馬が湧水を飲んでいた・・・想像するだけで絵になりますね。
さて次は、「東深井古墳の森」。ここは本当に久しぶりです。12の古墳が残っていますが、以前は40の古墳が存在したそうです。開発と共に多くの古墳が消えました。だから、「古墳は、古代人のお墓です。墳丘に登らないでください」と言われてもねぇ・・・というのは以前書きましたね(笑)
それにしても、改めて訪れてみると、この公園もなかなか良いです。下草がきれいに刈り採られているので、歩きやすく気持ちが良いです。古墳にカメラを向けても、写ってはいけないものは写りそうも無いので、そちらの面でも安心です(笑)
そして3番目に訪れたのは「理窓会記念林自然公園」です。ここも、いつもながらの美しさでした。園内の池の水位はやはり低いですね。やはり山のふもとから湧き出す泉と違って、東葛台地は保水力が弱いので湧水も降雨量に左右されるようです。
今の季節の紅葉前の森も美しいのですが、やはりここは紅葉の隠れた名所です。昨年はイマイチでしたが、果たして今年はどうでしょうか。
最後は「篠籠田緑地公園」。これも随分前ですが、野馬土手を探しに訪れたことがありました。IKAWAさんのブログで、野馬土手が森の中にあるということを知っての訪問でしたが、結局見つけることができませんでした。
で、リベンジしたのですが、見事見つけることができました。それにしても、ここの野馬土手は三重土手なんですね。普通の野馬土手は二重土手なんで、なかなか珍しいです。
ところで森の吸血鬼たちには容赦なく襲われ、結局10カ所近く刺されてしまいました。特に篠籠田緑地公園では、虫除けを塗ったはずの手足も攻撃対象。夏ならともかく、中秋の日にこんなに献血することになろうとは思いも寄りませんでした(苦笑)
2009年10月03日
企画展と野馬土手、そしてジャージ試着会、話に脈絡がありません(苦笑)
またまた、超遅アップです。しかも、この前の土日の併せワザのエントリーです(苦笑)。このところ公私共々てんてこ舞いの忙しさでしたが、それもようやく終息に向かっておりますので、これからはきちんとアップできるはずです(ホントか)。
と、エクスキューズを入れておいて、まずは土曜日の話から。
【土曜日編】

サスケハナさんに教えていただいて、白井市郷土資料館の企画展「印西牧場之真景図の世界」を見に行きました。この企画展は名称の通り、江戸時代の牧である小金牧の一つ、印西牧を描いた屏風絵を展示するものです。この印西牧場之真景図は明治3年に、消えゆく牧を惜しみ、野馬捕りの風景を描いたものだそうです。
展示室内の撮影はNGとのことでしたので、上の写真はパンフレットを撮ったものです。本来は6枚から成る屏風絵だったそうですが、左の2枚は現存せず、写真にあるように残りの4枚にも欠損があります。ただ、下絵が残っているとのことで、企画展ではこの本物の絵だけでなく、下絵を基に復元した屏風も見ることができました。


この屏風絵を発注したのは谷田村(白井市谷田)の内藤猪太郎という人で、描いたのが発作新田(印西市発作)の腰川芳齊という絵師とのこと。真景図というのは、事実に基づき描かれた絵という意味だそうで、野馬や野馬土手、野馬を追う牧士や勢子、当時の街道などが描き込まれています(サムネールをクリックしてみてください)。
この絵に描かれた野馬捕りというのは、徳川幕府が小金牧で放牧していた野馬を捕まえる行事です。左の写真は、その野馬捕りで勢子土手(野馬を誘導するための土手)に沿って追い込まれる野馬たちです。右の写真は、牧の中を往く木下街道です。写真ではよく分からないのですが、道標が描きこまれており、その道標は現存するそうです。
いやぁ、なかなか素晴らしかったです。この企画展は10月18日(日)までですので、ご関心のある方はお早めにどうぞ。
ところで、資料館は、白井市役所の脇の素晴らしく立派な文化センターの建物の中にあるのですが、マヌケなことに写真を撮り忘れました(苦笑)。その代わりと言っては何ですが、近くに鎮座する鷲神社の写真をアップします。




この鷲神社は、なかなかの風情があります。葺不合神社や鳥見神社と同様、見事な透かし彫りに覆われていました。祀神は天日鷲命(あめのひわしのみこと)ですが、この神様もいろいろと面白い。ただ、書き出すと長くなるので割愛します(笑)
ちなみに、ここの鳥居、えらく年季が入っているなと思ったら、1759年に建立された石造鳥居だそうです。白井市の指定文化財で市内では二番目に古いものとのこと。ちなみに一番古い鳥居は、白井市白井の鳥見神社の石造鳥居で、1713年に建てられたようです。


資料館からの帰り道に、松戸と鎌ケ谷の市境、くぬぎ山の野馬土手も見てきました。新京成線くぬぎ山駅の南側にかなりまとまった野馬土手が残っています。すぐ近くよく走っているにもかかわらず、今まで一度も訪ねたことがなかったのです。
土手が残っているのは、新京成電鉄くぬぎ山車両基地の西側と東側です。要するに、本来はつながっていた土手が車両基地で分断されたわけで、西側の土手は道に沿って東西方向に、東の土手は南北方向に伸びています。
野馬土手研究の第一人者である青木更吉先生の著書「野馬土手は泣いている」によると、江戸時代に小金牧に張り出すように開墾された串崎新田に、野馬が侵入しないように築かれたようです。確かに、松戸市である串崎新田が半島のように、鎌ケ谷市に突き出していますね。そうすると昔は、串崎新田の北側と東側、南側の三方を野馬土手が囲んでいたことになります。
次は、くぬぎ山駅の北側に回り“野馬土手のかけら”を探しました。実は、よくコメントを頂くメタ男から“かけら”の存在を教えていただきました。
出かける前に正確な場所の当たりをつけようと、Googleマップなどの航空写真を見てみましたが、よく分かりません。はたっと思いつきました。そうだ、今昔マップがあるじゃないか。
今昔マップで過去の地図を見ると、くぬぎ山駅付近にはっきりと野馬土手が書き込まれています。で、航空写真と照らし合わせて、くぬぎ山駅の北側で野馬土手の名残りのような緑を探すと、おっ、これしかありません。と言うことで、訪ねてみました。
確かに、野馬土手のかけららしきものがありました。わずかな盛り土しかなく、まさにかけらです(笑)。“土手”の上には祠が載っていました。でも、本当にこれがメタ男さんのおっしゃる野馬土手のかけらでしょうか。ちょっと自信がありません(苦笑)。仮に野馬土手の名残りとすると、小金牧時代のくぬぎ山周辺は、将軍様の御馬が引退後に余生を送る御囲(おかこい)のあったところですから、御囲の土手かもしれませんね。
さて、話は替って日曜日の話です。
【日曜日編】

既にチーム東葛の自転車仲間の皆さんが多数アップされていますが、日曜日は「チーム東葛ジャージ試着会」に参加してきました。チーム東葛では今、チームジャージの制作が進行中です。私なんか何の貢献もできないので恐縮なのですが、完成が楽しみです。
この試着会は、はんぞうさんにご企画いただいたもので、サンプルジャージで、各人のサイズを確認しようというものです。試着の結果、私の場合はぴっちりサイズだとM、ゆったりサイズだとSがピッタリでした。問題はどっちにするかですが、せっかくですからレース用のぴっちりサイズでしょうか。
さてこの日は、はんぞうさんのLOOK、わいずさんのPINARELLO、たすけさんのリカンベントTSUNAMIといった新車が続々と登場。せっかくのそろい踏みだったのに、話に夢中になり撮影するのを忘れました(泣)。しかし皆さん、凄いですね。私は最近カメラにはまっているので、自転車系物欲から遠ざかっていますが、かすかな物欲の復活を感じました(笑)
その物欲の復活を決定付けそうなのが、E-ponさんに試乗させてもらったロード用のチューブレスタイヤの乗り心地の素晴らしさです。「乗ってみませんか。ぜんぜん違いますよ」とE-ponさんに勧められた時は半信半疑でしたが、乗ってみてビックリでした。ロードバイクなのに6気圧台でも大丈夫だそうで、地面からの衝撃の丸さは特筆ものでした。
シマノのチューブレスタイヤ対応のDURA-ACEホイールですか。うーん、欲しい! 以前まっちさんが購入された時に見せてもらって、プチ物欲が生じたのですが、やはり見るのと、乗るのとでは違いますね。写真はまっちさんに見せてもらった時に撮影したものですが、DURA-ACEのロゴがまぶしいです(笑)
試着会後は、印西市の沖縄料理店「やんばる2」へのポタだったのですが、私は残念なことに所要で途中までのお付き合い。同じく用事があるワンチャンさんと共に、泣く泣くの帰還となりました。ソーキソバ、食べたかったです。
思わぬ長文となりました。ご容赦を。
と、エクスキューズを入れておいて、まずは土曜日の話から。
【土曜日編】
サスケハナさんに教えていただいて、白井市郷土資料館の企画展「印西牧場之真景図の世界」を見に行きました。この企画展は名称の通り、江戸時代の牧である小金牧の一つ、印西牧を描いた屏風絵を展示するものです。この印西牧場之真景図は明治3年に、消えゆく牧を惜しみ、野馬捕りの風景を描いたものだそうです。
展示室内の撮影はNGとのことでしたので、上の写真はパンフレットを撮ったものです。本来は6枚から成る屏風絵だったそうですが、左の2枚は現存せず、写真にあるように残りの4枚にも欠損があります。ただ、下絵が残っているとのことで、企画展ではこの本物の絵だけでなく、下絵を基に復元した屏風も見ることができました。
この屏風絵を発注したのは谷田村(白井市谷田)の内藤猪太郎という人で、描いたのが発作新田(印西市発作)の腰川芳齊という絵師とのこと。真景図というのは、事実に基づき描かれた絵という意味だそうで、野馬や野馬土手、野馬を追う牧士や勢子、当時の街道などが描き込まれています(サムネールをクリックしてみてください)。
この絵に描かれた野馬捕りというのは、徳川幕府が小金牧で放牧していた野馬を捕まえる行事です。左の写真は、その野馬捕りで勢子土手(野馬を誘導するための土手)に沿って追い込まれる野馬たちです。右の写真は、牧の中を往く木下街道です。写真ではよく分からないのですが、道標が描きこまれており、その道標は現存するそうです。
いやぁ、なかなか素晴らしかったです。この企画展は10月18日(日)までですので、ご関心のある方はお早めにどうぞ。
ところで、資料館は、白井市役所の脇の素晴らしく立派な文化センターの建物の中にあるのですが、マヌケなことに写真を撮り忘れました(苦笑)。その代わりと言っては何ですが、近くに鎮座する鷲神社の写真をアップします。
この鷲神社は、なかなかの風情があります。葺不合神社や鳥見神社と同様、見事な透かし彫りに覆われていました。祀神は天日鷲命(あめのひわしのみこと)ですが、この神様もいろいろと面白い。ただ、書き出すと長くなるので割愛します(笑)
ちなみに、ここの鳥居、えらく年季が入っているなと思ったら、1759年に建立された石造鳥居だそうです。白井市の指定文化財で市内では二番目に古いものとのこと。ちなみに一番古い鳥居は、白井市白井の鳥見神社の石造鳥居で、1713年に建てられたようです。
資料館からの帰り道に、松戸と鎌ケ谷の市境、くぬぎ山の野馬土手も見てきました。新京成線くぬぎ山駅の南側にかなりまとまった野馬土手が残っています。すぐ近くよく走っているにもかかわらず、今まで一度も訪ねたことがなかったのです。
土手が残っているのは、新京成電鉄くぬぎ山車両基地の西側と東側です。要するに、本来はつながっていた土手が車両基地で分断されたわけで、西側の土手は道に沿って東西方向に、東の土手は南北方向に伸びています。
野馬土手研究の第一人者である青木更吉先生の著書「野馬土手は泣いている」によると、江戸時代に小金牧に張り出すように開墾された串崎新田に、野馬が侵入しないように築かれたようです。確かに、松戸市である串崎新田が半島のように、鎌ケ谷市に突き出していますね。そうすると昔は、串崎新田の北側と東側、南側の三方を野馬土手が囲んでいたことになります。
出かける前に正確な場所の当たりをつけようと、Googleマップなどの航空写真を見てみましたが、よく分かりません。はたっと思いつきました。そうだ、今昔マップがあるじゃないか。
今昔マップで過去の地図を見ると、くぬぎ山駅付近にはっきりと野馬土手が書き込まれています。で、航空写真と照らし合わせて、くぬぎ山駅の北側で野馬土手の名残りのような緑を探すと、おっ、これしかありません。と言うことで、訪ねてみました。
確かに、野馬土手のかけららしきものがありました。わずかな盛り土しかなく、まさにかけらです(笑)。“土手”の上には祠が載っていました。でも、本当にこれがメタ男さんのおっしゃる野馬土手のかけらでしょうか。ちょっと自信がありません(苦笑)。仮に野馬土手の名残りとすると、小金牧時代のくぬぎ山周辺は、将軍様の御馬が引退後に余生を送る御囲(おかこい)のあったところですから、御囲の土手かもしれませんね。
さて、話は替って日曜日の話です。
【日曜日編】
既にチーム東葛の自転車仲間の皆さんが多数アップされていますが、日曜日は「チーム東葛ジャージ試着会」に参加してきました。チーム東葛では今、チームジャージの制作が進行中です。私なんか何の貢献もできないので恐縮なのですが、完成が楽しみです。
この試着会は、はんぞうさんにご企画いただいたもので、サンプルジャージで、各人のサイズを確認しようというものです。試着の結果、私の場合はぴっちりサイズだとM、ゆったりサイズだとSがピッタリでした。問題はどっちにするかですが、せっかくですからレース用のぴっちりサイズでしょうか。
さてこの日は、はんぞうさんのLOOK、わいずさんのPINARELLO、たすけさんのリカンベントTSUNAMIといった新車が続々と登場。せっかくのそろい踏みだったのに、話に夢中になり撮影するのを忘れました(泣)。しかし皆さん、凄いですね。私は最近カメラにはまっているので、自転車系物欲から遠ざかっていますが、かすかな物欲の復活を感じました(笑)
その物欲の復活を決定付けそうなのが、E-ponさんに試乗させてもらったロード用のチューブレスタイヤの乗り心地の素晴らしさです。「乗ってみませんか。ぜんぜん違いますよ」とE-ponさんに勧められた時は半信半疑でしたが、乗ってみてビックリでした。ロードバイクなのに6気圧台でも大丈夫だそうで、地面からの衝撃の丸さは特筆ものでした。
試着会後は、印西市の沖縄料理店「やんばる2」へのポタだったのですが、私は残念なことに所要で途中までのお付き合い。同じく用事があるワンチャンさんと共に、泣く泣くの帰還となりました。ソーキソバ、食べたかったです。
思わぬ長文となりました。ご容赦を。
2009年09月23日
物部氏と東国、鳥見神社の謎に迫ろうとしましたが・・・
このエントリーは久しぶりの歴史オタク話です。今回は「物部氏と東国」に関することです。長文で、かつ東葛地域だけに限定できる話でもありませんので、これまでのように「よし、オタ話に付き合ってやらぁ」という方だけ読んでください。
手賀沼の南、旧・沼南町から印旛沼にかけて鳥見(とりみ or とみ)神社が約20社も分布しており、そこを訪ねた話は何度か書きました。で、この神社の祀神がニギハヤヒです。
この神様、神話&歴史好きにはたまらない存在。東征してきたカムヤマトイワレヒコ(=神武天皇)にあっさり国を譲るばかりか、決死の覚悟で神武と戦う忠臣ナガスネヒコを誅殺する、とぼけたオッサンなのです。さらにニギハヤヒは、蘇我氏に滅ぼされた古代の大族、物部氏が祖神として祀っていました。
そのニギハヤヒを祀る神社が手賀沼から印旛沼にかけてだけに多数存在するのは大きな謎です。しかも、旧・沼南町の布施にある香取鳥見神社の碑には、「手賀とは蝦夷語で鷲の意味」と書かれているので、妄想をかき立てられます(笑)。物部氏と蝦夷のつながりに関して、東日本を中心にいろんな伝説があるからです。
ただ、物部氏を語るのは難しいです。古代日本、まだ倭と言われた頃の有力豪族の中でも茫洋としてつかみどころない一族だからです。それでも、古代日本の王家の可能性があり、古代の最大の敵役、蘇我馬子に滅ぼされるという悲劇性から、歴史オタクにとっては極めて気になる存在なのです。
さて、なぜ東葛地域から印旛地域にかけて物部氏の祖神を祀る神社が多数存在するのかですが、これは物部氏を語る以上に難しい話です。「どうしてだろう」と考えあぐねていたら、最近、大きなヒントになる二つの文献を知りました。
一つは「続日本後紀(しょくにほんこうき)」。平安時代前期の歴史書で、私は直接原典を読んだわけではありませんが、面白い記事が載せられているそうです。なんでも、物部小事(オゴト)という人物が関東地方を征した武勲により、下総国の匝瑳郡を与えられ、物部匝瑳氏などの祖となった、というものです。
このオゴトさんの活躍の時期は諸説ありますが、私は5世紀後半だと思います。その頃ですと、関東地方を単に征しただけでは、古代日本の中央の連中にとって大した話ではありません。当時は租税制度がなかったため、金山でも見つからなければ領土拡大の意味はほとんどなかったからです。
にもかかわらず、関東制圧を高く評価されたのだとしたら、それはオゴトが現地の人々を従え、兵として送り出せるようにしたからでしょう。まあ妄想レベルの話ですが、後の世に関東の人々が防人として徴発されたことを思い起こせば、有り得ることだと思います。その中に、蝦夷の人々もいたのかもしれません。
もう一つの文献は「物部氏の伝承」(畑井弘著、講談社学術文庫)です。これは少々難解な本でしたが、メチャクチャ面白かった。この本の趣旨は、物部というのは“一族”のことではなく、日本中の多種多様な部族の総称だというもの。そして、物部の中でも有力な一族が他の物部を束ねており、時代の変遷と共に覇権がいくつも物部の一族の間を移動したと主張しています。
しかも、物部氏の最大の英雄、物部麁鹿火(アラカイ)は東国の人の可能性があるとしています。このアラカイという人は、古代日本の覇権を賭けた、大王ヲホド(=継体天皇)と九州の覇者である筑紫君磐井(イワイ)と決戦で、ヲホド大王に全権を任され大勝利を納めたオッサンです。


さて、そのアラカイの母親ですが、伝承では信濃国の諏訪氏の出との伝承があります。諏訪氏と東葛地域のつながりについては、「おすわさま」の話として「西より来たりし人々」で書きました。しかもアラカイの祖父の弟が、あのオゴトです。ですから、アラカイが坂東(関東)人である可能性も、妄想レベルですが有り得ますね。
そもそもアラカイと、蘇我氏に滅ぼされた物部守屋(モリヤ)との血のつながりは伝承レベルでも極めて薄いのです。むしろ、「物部氏の伝承」の通りだとすると、全くの赤の他人の可能性もあります。
まあ、アラカイを坂東人、あるいは東日本の人と断定するのは無理があるとしても、アラカイが配下の坂東の兵を率いて九州に攻め入ったと想定することはできると思います。そして、難敵イワイを粉砕した坂東兵の圧倒的な強さの記憶から、後の世に防人の制度ができた、なんて仮説も成り立つかもしれませんね。
そんなわけで、手賀沼から印旛沼にかけて点在する鳥見神社の謎には迫りきれてはいませんが、関東と物部氏の関係はかなり濃密なのは確かです。まだまだ鳥見神社を研究する価値はありそうです。
この神様、神話&歴史好きにはたまらない存在。東征してきたカムヤマトイワレヒコ(=神武天皇)にあっさり国を譲るばかりか、決死の覚悟で神武と戦う忠臣ナガスネヒコを誅殺する、とぼけたオッサンなのです。さらにニギハヤヒは、蘇我氏に滅ぼされた古代の大族、物部氏が祖神として祀っていました。
ただ、物部氏を語るのは難しいです。古代日本、まだ倭と言われた頃の有力豪族の中でも茫洋としてつかみどころない一族だからです。それでも、古代日本の王家の可能性があり、古代の最大の敵役、蘇我馬子に滅ぼされるという悲劇性から、歴史オタクにとっては極めて気になる存在なのです。
さて、なぜ東葛地域から印旛地域にかけて物部氏の祖神を祀る神社が多数存在するのかですが、これは物部氏を語る以上に難しい話です。「どうしてだろう」と考えあぐねていたら、最近、大きなヒントになる二つの文献を知りました。
一つは「続日本後紀(しょくにほんこうき)」。平安時代前期の歴史書で、私は直接原典を読んだわけではありませんが、面白い記事が載せられているそうです。なんでも、物部小事(オゴト)という人物が関東地方を征した武勲により、下総国の匝瑳郡を与えられ、物部匝瑳氏などの祖となった、というものです。
このオゴトさんの活躍の時期は諸説ありますが、私は5世紀後半だと思います。その頃ですと、関東地方を単に征しただけでは、古代日本の中央の連中にとって大した話ではありません。当時は租税制度がなかったため、金山でも見つからなければ領土拡大の意味はほとんどなかったからです。
にもかかわらず、関東制圧を高く評価されたのだとしたら、それはオゴトが現地の人々を従え、兵として送り出せるようにしたからでしょう。まあ妄想レベルの話ですが、後の世に関東の人々が防人として徴発されたことを思い起こせば、有り得ることだと思います。その中に、蝦夷の人々もいたのかもしれません。
もう一つの文献は「物部氏の伝承」(畑井弘著、講談社学術文庫)です。これは少々難解な本でしたが、メチャクチャ面白かった。この本の趣旨は、物部というのは“一族”のことではなく、日本中の多種多様な部族の総称だというもの。そして、物部の中でも有力な一族が他の物部を束ねており、時代の変遷と共に覇権がいくつも物部の一族の間を移動したと主張しています。
しかも、物部氏の最大の英雄、物部麁鹿火(アラカイ)は東国の人の可能性があるとしています。このアラカイという人は、古代日本の覇権を賭けた、大王ヲホド(=継体天皇)と九州の覇者である筑紫君磐井(イワイ)と決戦で、ヲホド大王に全権を任され大勝利を納めたオッサンです。
さて、そのアラカイの母親ですが、伝承では信濃国の諏訪氏の出との伝承があります。諏訪氏と東葛地域のつながりについては、「おすわさま」の話として「西より来たりし人々」で書きました。しかもアラカイの祖父の弟が、あのオゴトです。ですから、アラカイが坂東(関東)人である可能性も、妄想レベルですが有り得ますね。
そもそもアラカイと、蘇我氏に滅ぼされた物部守屋(モリヤ)との血のつながりは伝承レベルでも極めて薄いのです。むしろ、「物部氏の伝承」の通りだとすると、全くの赤の他人の可能性もあります。
まあ、アラカイを坂東人、あるいは東日本の人と断定するのは無理があるとしても、アラカイが配下の坂東の兵を率いて九州に攻め入ったと想定することはできると思います。そして、難敵イワイを粉砕した坂東兵の圧倒的な強さの記憶から、後の世に防人の制度ができた、なんて仮説も成り立つかもしれませんね。
そんなわけで、手賀沼から印旛沼にかけて点在する鳥見神社の謎には迫りきれてはいませんが、関東と物部氏の関係はかなり濃密なのは確かです。まだまだ鳥見神社を研究する価値はありそうです。
2009年09月22日
日曜日は歴史ポタ、充実の「流山超高密度ポタ」となりました
「誰もが人殺しをした時代」「何もしなければ餓死者がでる時代」。なんともおどろおどろしい話ですが、この前の日曜日の講演「関東の戦国時代」で聞いた話です。この日、横山さんのお誘いで、歴史ポタをご一緒してきました。
この「関東の戦国時代」は、流山市立博物館の企画展「中世の流山を探る」に併せた記念講演で、私が受講した「ふるさと入門講座 中世コース」も含め、流山中世三部作です。この講演は是非行きたいと思っておりました。最近かなり忙しくスケジュール的に厳しかったのですが、なんとか参加することができました。
この日集ったのは横山さんをはじめ、たすけさん、サスケハナさんご夫妻、断腸亭髭爺さん、そして東葛人。もう無類の歴史好き(?)が集りました(笑)。で、講演会までどこを走ろうという話になった時、横山さんがたすけさんに先導役をパス。
「聞いてないよ」のたすけさんでしたが、さすが地元力。これまで知らなかった流山を案内していただきました。まずはルート地図をご覧下さい。流山超高密度ポタと相成りました(笑)
まずは赤城神社。流山の発祥の地です。それから、イトーヨーカ堂で横山さんが虫除けスプレーを買って、東福寺へ。ここまではとてもオーソドックス。ただ、東福寺の境内に自転車でそのまま行けるとは、この日初めて知りました。


東福寺では目つぶしの鴨と仁王様にご対面。この目つぶしの鴨は、左甚五郎作と伝えられる相当あやしい彫り物です。左甚五郎作というだけで、もう嘘くささ満点です(笑)。その辺りの話はこちらでどうぞ。
次は伊勢屋さん。これは凄いビジュアルのお店でした。せんべい屋さんとのことです。いなり寿司も売っているとのことでしたので、昼食代わりに買おうかと思ったら、残念、この日は作っていなかったようです。
それにしても乱立する看板の文字はヘタウマの境地。なかなか味わい深いですね。たすけさんによると、ここのオバサンは無類の話好きだそうですので、いつか改めて訪ねてみたいですね。


次は鰭ヶ崎三本松古墳。これは知らなかったです。教えてもらわなければ、絶対に入れないような小道の先にありました。前方後円墳だそうですが、古墳のかなりの部分が削り取られたしまったとのこと。なぜか稲荷神社の祠がありました。訪れた時は木の葉の覆われて景色が楽しめませんでしたが、葉が落ちると絶景とのこと。冬場にまた訪ねてみます。


鰭ヶ崎三本松古墳の後は、思井の熊野神社。この神社は私も大好きな神社で、何とも言えない風情がありますね。この神社は八木郷伝説の発祥の地です。その話は随分前に書きましたので、こちちをお読み下さい。
その後、こんな道があったのかと驚愕した小道を走り、昼食の場所を求めて放浪しました(笑)。
で、昼食は金太郎鮨の流山店です。このお店、美味い回転寿司が登場するまでは、かなり評判になったとのことです。私は初めて入りました。にぎりランチの1.5を注文しましたが、思いのほか美味しく、量も十分でコストパフォーマンスが高かったです。
この店で、皆さんと歴史談義。うーん、メッチャ楽しい。東葛地域の中世の話はもちろん、どんどん話は発展し尽きることを知りません。鳥見神社や物部伝承の話もできて、本当に愉快に過ごせました。
この後、大原(だいばら)神社から流山の景観を楽しみ、そして「関東の戦国時代」の講演会場である流山市生涯学習センターに向かいました。


さて、本日のメインイベントの講演です。講師は駿河台大学准教授の黒田基樹先生。で、冒頭の「誰もが人殺しをした時代」「何もしなければ餓死者がでる時代」から講演が始まりました。
確かに、戦国時代は気候が寒冷化したため、飢饉の時代でした。黒田先生の話では、当時の村は“政治組織”であり、生き残るために武装し、他の村を襲撃していたとのこと。特に戦国大名の徴発に応じて出征した村民は、敵地で略奪の鬼と化したそうです。
村が大名に協力するのも、略奪が権利として与えられるから。逆に襲撃から村を守るために、敵対する戦国大名の間で二股をかけるなんてことは当たり前。それでも襲ってくる略奪者には、村民が兵となり戦ったそうです。
戦国時代の戦争は略奪戦争だという話を以前聞いたことがありますが、これほど凄まじいものだったとは初めて知りました。少なくとも、戦国大名の狭間で翻弄される無辜の民というドラマのイメージは、実際とはかなりかけ離れていますね。略奪者と化した村人は戦国武将よりも恐ろしかったようです。
講演会ではゆるさんも合流。そして講演終了後、皆さんで流山市立博物館に向かい、企画展「中世の流山を探る」を見せてもらいました。実は、私は何度も訪れています。学芸員の方にも顔を覚えられ、「何度もありがとうございます」と声を掛けていただきました(苦笑)
それでも、皆さんとワイワイ話しながら観るのは、とても楽しいです。企画展だけでなく、常設展でもあんなに盛り上がるとは思わなかったです。なんせ、たすけさんがスイッチ入っちゃっています(笑)。流山の昔を語り尽していただきました。それに、ブログにはとても書けない恐ろしい話も・・・。
横山さんやたすけさんをはじめ皆さんのお陰で、本当に楽しい歴史ポタになりました。ありがとうございました。
この「関東の戦国時代」は、流山市立博物館の企画展「中世の流山を探る」に併せた記念講演で、私が受講した「ふるさと入門講座 中世コース」も含め、流山中世三部作です。この講演は是非行きたいと思っておりました。最近かなり忙しくスケジュール的に厳しかったのですが、なんとか参加することができました。
この日集ったのは横山さんをはじめ、たすけさん、サスケハナさんご夫妻、断腸亭髭爺さん、そして東葛人。もう無類の歴史好き(?)が集りました(笑)。で、講演会までどこを走ろうという話になった時、横山さんがたすけさんに先導役をパス。
「聞いてないよ」のたすけさんでしたが、さすが地元力。これまで知らなかった流山を案内していただきました。まずはルート地図をご覧下さい。流山超高密度ポタと相成りました(笑)
まずは赤城神社。流山の発祥の地です。それから、イトーヨーカ堂で横山さんが虫除けスプレーを買って、東福寺へ。ここまではとてもオーソドックス。ただ、東福寺の境内に自転車でそのまま行けるとは、この日初めて知りました。
東福寺では目つぶしの鴨と仁王様にご対面。この目つぶしの鴨は、左甚五郎作と伝えられる相当あやしい彫り物です。左甚五郎作というだけで、もう嘘くささ満点です(笑)。その辺りの話はこちらでどうぞ。
それにしても乱立する看板の文字はヘタウマの境地。なかなか味わい深いですね。たすけさんによると、ここのオバサンは無類の話好きだそうですので、いつか改めて訪ねてみたいですね。
次は鰭ヶ崎三本松古墳。これは知らなかったです。教えてもらわなければ、絶対に入れないような小道の先にありました。前方後円墳だそうですが、古墳のかなりの部分が削り取られたしまったとのこと。なぜか稲荷神社の祠がありました。訪れた時は木の葉の覆われて景色が楽しめませんでしたが、葉が落ちると絶景とのこと。冬場にまた訪ねてみます。
鰭ヶ崎三本松古墳の後は、思井の熊野神社。この神社は私も大好きな神社で、何とも言えない風情がありますね。この神社は八木郷伝説の発祥の地です。その話は随分前に書きましたので、こちちをお読み下さい。
その後、こんな道があったのかと驚愕した小道を走り、昼食の場所を求めて放浪しました(笑)。
この店で、皆さんと歴史談義。うーん、メッチャ楽しい。東葛地域の中世の話はもちろん、どんどん話は発展し尽きることを知りません。鳥見神社や物部伝承の話もできて、本当に愉快に過ごせました。
この後、大原(だいばら)神社から流山の景観を楽しみ、そして「関東の戦国時代」の講演会場である流山市生涯学習センターに向かいました。
さて、本日のメインイベントの講演です。講師は駿河台大学准教授の黒田基樹先生。で、冒頭の「誰もが人殺しをした時代」「何もしなければ餓死者がでる時代」から講演が始まりました。
確かに、戦国時代は気候が寒冷化したため、飢饉の時代でした。黒田先生の話では、当時の村は“政治組織”であり、生き残るために武装し、他の村を襲撃していたとのこと。特に戦国大名の徴発に応じて出征した村民は、敵地で略奪の鬼と化したそうです。
村が大名に協力するのも、略奪が権利として与えられるから。逆に襲撃から村を守るために、敵対する戦国大名の間で二股をかけるなんてことは当たり前。それでも襲ってくる略奪者には、村民が兵となり戦ったそうです。
戦国時代の戦争は略奪戦争だという話を以前聞いたことがありますが、これほど凄まじいものだったとは初めて知りました。少なくとも、戦国大名の狭間で翻弄される無辜の民というドラマのイメージは、実際とはかなりかけ離れていますね。略奪者と化した村人は戦国武将よりも恐ろしかったようです。
講演会ではゆるさんも合流。そして講演終了後、皆さんで流山市立博物館に向かい、企画展「中世の流山を探る」を見せてもらいました。実は、私は何度も訪れています。学芸員の方にも顔を覚えられ、「何度もありがとうございます」と声を掛けていただきました(苦笑)
それでも、皆さんとワイワイ話しながら観るのは、とても楽しいです。企画展だけでなく、常設展でもあんなに盛り上がるとは思わなかったです。なんせ、たすけさんがスイッチ入っちゃっています(笑)。流山の昔を語り尽していただきました。それに、ブログにはとても書けない恐ろしい話も・・・。
横山さんやたすけさんをはじめ皆さんのお陰で、本当に楽しい歴史ポタになりました。ありがとうございました。
2009年09月20日
またやっちゃいました!「ペルシャ馬」に遊ばれているのかも(笑)
昨日の土曜日は折り畳み自転車のPacific-18で軽めのポタに出掛けました。最近、自分がマヌケだと思う出来事が多いのですが、またやってしまいました(苦笑)。そんなわけですので、ご笑覧ください。


今年の2月に、このPacific-18のシートポストに携帯ポンプやタイヤレバーなどを入れておいたら、それが全部、いつの間にか落としていた話を書きました。
実は、Pacific-18やBD-1のシートポストの直径は広く、いろんなものが入るのです。問題は何でフタをするかですが、BD-1系の自転車の簡易リアサスであるエラストマがちょうどよいフタになります。この辺りの話はこちらでお読みください。
なぜ落としたかですが、エラストマのフタをきちんと締めていなかったようです。いつの間にかフタが外れ、シートポストの中に入れておいた空気入れなども落ちてしまったのでしょう。呆れたことに、落としたのに全く気づきませんでした。


で、最近、ようやくこの“仕込み杖”を復活させました。細身の携帯ポンプを買い、タイヤレバーと共にシートポストに挿入し、やはり新しく買ったBD-1のエラストマでフタをして完成です。
エラストマをフタにするには、エラストマの中央の穴にボルトを通し、それに蝶ナットをはめます(もちろん、エラストマの両端には特大のワッシャをかませます)。パンク修理セットや携帯ポンプをシートポストに入れた後、シートポストの先にエラストマをはめ込み、蝶ナットを締め込むと、エラストマが膨らみ、シートポストの内側に密着し外れなくなります。
実はシートポストの中身を落としてから随分になりますが、そのことをすっかり忘れていました。もし住処から離れたところでパンクしたら、かなり悲惨なことになったかもしれません(苦笑)。ようやく仕込み杖を元に戻したので、これで安心です・・・のはずでした。
そして昨日の土曜日です。Pacific-18で向かったのはモラージュ柏。別にショッピングセンターには用がなく、そこに残る野馬土手を見るためです。この野馬土手が残っていることは知っていたのですが、場所がどうしても分かりませんでした。以前、流山市立博物館の野馬土手講座を受講した時に、エールさんに場所を教えていただいたのですが、行く機会に恵まれず。ようやくの訪問です。
で、大堀川沿いを走り、モラージュ柏に近づいたこの辺りで、カシャンと何かが落ちる音がしました。一瞬、気のせいかと思いましたが、ちょっと胸騒ぎがして、戻ってみるとタイヤレバーが散乱しているではないですか。「げっ!」と思って、シートポストの先端を見てみると、エラストマのフタが無い!
また、落としてしまいました(涙)。しかも、周りを探してもエラストマのフタがどこにもありません。どうやら、随分前に落としたようです。携帯ポンプをレジ袋に入れて収納していたため、どうやらタイヤレバーはその袋に引っかかり、エラストマのフタが外れた時に一緒に脱落せずに済んだようです。携帯ポンプは半分ぐらい出たところで止まっていました。
それにしても・・・マヌケだ。またエラストマを蝶ボルトで締め付けるのが甘かったようです。やはり学習効果のない私です。とにかく、探してみようと思い直し、来た道を戻ってみると・・・。


随分戻りました。やはりダメかと諦めかけた時、大堀川のこの辺りで黄色のエラストマを発見! 喜びのあまり、その感動を記録すべく写真を撮りました・・・というのは嘘で、見つけた瞬間、ブログのネタにしようと思ったのです(笑)。
それにしても、よくそのまま残っていたものです。考えてみれば、何の用途に使うかよく分からない得たいの知れない物体ですから、誰も手に取ろうなんて思わなかったのでしょう。ただ、犬にくわえられたり、子供に蹴っ飛ばされたりしたら、アウトでした。
今度は蝶ナットを思いっきり締めて、一件落着です。しかし、この調子なら、またやるかもしれませんね(苦笑)


さて、気を取り直して、再びモラージュ柏へ。そして、これがモラージュ柏とマンションの境に残る野馬土手です。この野馬土手は大堀川の北側に点々と残る高田牧の土手の東端です。それにしても、よく野馬土手が残ったものですね。この辺りはモラージュ柏をはじめイオンタウンやヤマダ電機が集る商業地区として整備され、周りとは全く違う景色です。
野馬土手は西側から立ち上がり、東に行くほど高くなります。東側は金網のフェンスで完全に隔離されており、よく見えないのが少し残念ですが、これならば永久保存されることでしょう。


帰路の途中、久しぶりにオランダ観音に立ち寄りました。鳥居が白く塗られ、少しおしゃれになっていました(笑)。
ところで住処に戻り、2月にシートポストの中身を落とした記事を読み直して、ちょっと驚きました。このときも大堀川を経由して、オランダ観音に行こうとしていたのですね。どうやら、祀られているペルシャ馬に、私は遊ばれているようです(笑)
そう言えば、このペルシャ馬に関する話を書こうとして、それっきりになっているのも思い出しました。これを含めて東葛の歴史オタ話は3つほどあるのですが、なかなかアップする機会がありません(苦笑)
今年の2月に、このPacific-18のシートポストに携帯ポンプやタイヤレバーなどを入れておいたら、それが全部、いつの間にか落としていた話を書きました。
実は、Pacific-18やBD-1のシートポストの直径は広く、いろんなものが入るのです。問題は何でフタをするかですが、BD-1系の自転車の簡易リアサスであるエラストマがちょうどよいフタになります。この辺りの話はこちらでお読みください。
なぜ落としたかですが、エラストマのフタをきちんと締めていなかったようです。いつの間にかフタが外れ、シートポストの中に入れておいた空気入れなども落ちてしまったのでしょう。呆れたことに、落としたのに全く気づきませんでした。
で、最近、ようやくこの“仕込み杖”を復活させました。細身の携帯ポンプを買い、タイヤレバーと共にシートポストに挿入し、やはり新しく買ったBD-1のエラストマでフタをして完成です。
エラストマをフタにするには、エラストマの中央の穴にボルトを通し、それに蝶ナットをはめます(もちろん、エラストマの両端には特大のワッシャをかませます)。パンク修理セットや携帯ポンプをシートポストに入れた後、シートポストの先にエラストマをはめ込み、蝶ナットを締め込むと、エラストマが膨らみ、シートポストの内側に密着し外れなくなります。
実はシートポストの中身を落としてから随分になりますが、そのことをすっかり忘れていました。もし住処から離れたところでパンクしたら、かなり悲惨なことになったかもしれません(苦笑)。ようやく仕込み杖を元に戻したので、これで安心です・・・のはずでした。
そして昨日の土曜日です。Pacific-18で向かったのはモラージュ柏。別にショッピングセンターには用がなく、そこに残る野馬土手を見るためです。この野馬土手が残っていることは知っていたのですが、場所がどうしても分かりませんでした。以前、流山市立博物館の野馬土手講座を受講した時に、エールさんに場所を教えていただいたのですが、行く機会に恵まれず。ようやくの訪問です。
で、大堀川沿いを走り、モラージュ柏に近づいたこの辺りで、カシャンと何かが落ちる音がしました。一瞬、気のせいかと思いましたが、ちょっと胸騒ぎがして、戻ってみるとタイヤレバーが散乱しているではないですか。「げっ!」と思って、シートポストの先端を見てみると、エラストマのフタが無い!
また、落としてしまいました(涙)。しかも、周りを探してもエラストマのフタがどこにもありません。どうやら、随分前に落としたようです。携帯ポンプをレジ袋に入れて収納していたため、どうやらタイヤレバーはその袋に引っかかり、エラストマのフタが外れた時に一緒に脱落せずに済んだようです。携帯ポンプは半分ぐらい出たところで止まっていました。
それにしても・・・マヌケだ。またエラストマを蝶ボルトで締め付けるのが甘かったようです。やはり学習効果のない私です。とにかく、探してみようと思い直し、来た道を戻ってみると・・・。
随分戻りました。やはりダメかと諦めかけた時、大堀川のこの辺りで黄色のエラストマを発見! 喜びのあまり、その感動を記録すべく写真を撮りました・・・というのは嘘で、見つけた瞬間、ブログのネタにしようと思ったのです(笑)。
それにしても、よくそのまま残っていたものです。考えてみれば、何の用途に使うかよく分からない得たいの知れない物体ですから、誰も手に取ろうなんて思わなかったのでしょう。ただ、犬にくわえられたり、子供に蹴っ飛ばされたりしたら、アウトでした。
今度は蝶ナットを思いっきり締めて、一件落着です。しかし、この調子なら、またやるかもしれませんね(苦笑)
さて、気を取り直して、再びモラージュ柏へ。そして、これがモラージュ柏とマンションの境に残る野馬土手です。この野馬土手は大堀川の北側に点々と残る高田牧の土手の東端です。それにしても、よく野馬土手が残ったものですね。この辺りはモラージュ柏をはじめイオンタウンやヤマダ電機が集る商業地区として整備され、周りとは全く違う景色です。
野馬土手は西側から立ち上がり、東に行くほど高くなります。東側は金網のフェンスで完全に隔離されており、よく見えないのが少し残念ですが、これならば永久保存されることでしょう。
帰路の途中、久しぶりにオランダ観音に立ち寄りました。鳥居が白く塗られ、少しおしゃれになっていました(笑)。
ところで住処に戻り、2月にシートポストの中身を落とした記事を読み直して、ちょっと驚きました。このときも大堀川を経由して、オランダ観音に行こうとしていたのですね。どうやら、祀られているペルシャ馬に、私は遊ばれているようです(笑)
そう言えば、このペルシャ馬に関する話を書こうとして、それっきりになっているのも思い出しました。これを含めて東葛の歴史オタ話は3つほどあるのですが、なかなかアップする機会がありません(苦笑)
2009年09月12日
超遅アップのビール工場ツアー、で、アサヒ vs キリン風に書いてみました(笑)
案の定、超遅アップとなってしまいました(苦笑)。先週の土曜日、自転車仲間のspiritさんにご企画いただいたビール工場見学ツアー「去りゆく夏を惜しむ生ビールの会」の話です。ここのところ忙しさは尋常ならざるものがあり、公私ともどもバタバタしておりました。
と、言い訳はこの辺にして本題。このツアー、守谷のアサヒビール茨城工場とキリンビール取手工場をハシゴして、さらに3次会の飲み会になだれ込もうという恐るべき企画でした(笑)。当然、今回は自転車の出番はありません。まさに足と電車とバスを使った「大人の遠足」(by たすけさん)でした。
で、フルタイムの参加はspiritさんをはじめ、103さん、ワンチャンさん、takezawaさん、そして東葛人、アサヒ工場と3次会の参加がたすけさん、アサヒ工場のみの参加が翌日センチュリーラン笠間に参加するはんぞうさん、まっちさん、わいずさん、ザンコーニさん、3次会のみの参加がIKAWAさん、おっしーさん、よどさんでした。


さて、ビール工場ツアーですが、この期に及んでは、普通に書いてもつまらないので、アサヒvsキリン風に書いてみます。左の写真がアサヒービル茨城工場、右の写真がキリンビール取手工場です。
一応、工場見学ですから、ビールの製造法を一通り学びます。二条大麦とホップと水を原料に・・・2回も続けて聞くと、さすがに頭に入りました。ただ工場施設の撮影は禁止されているので、そんな話は省きます。言いたかったのは、たたビールを飲みに行ったわけではないということです(笑)


アサヒの工場は1991年竣工、キリンの工場は1970年です。この21年の差は大きかったです。
アサヒの工場は最初から見せることを前提に工場を設計してあるかのようでした。最初に案内されるオリエンテーションシアター・ルームでは、上演終了後に前方のパネルが下がり、工場内の庭が一望できる仕掛け。ちょっとしたサプライズ演出で来訪者の心をつかみます。
一方、キリンの工場のほうは、オリエンテーション・ルームはちょっとレトロな公民館の上演会場といった趣。見せる仕掛けではアサヒに負けてますが、工場内には麦汁の香り(?)が強烈にたちこめ、飲料系の工場にやってきたという臨場感があります。そう言えば、アサヒの工場は全く匂いというものがなかったですね。


さて、お楽しみの試飲です。両工場ともグラス3杯まで試飲できます(キリンの工場は普段は2杯までだそうですが、この日は3杯までOKでした)。
やはりアサヒは演出上手。すべてはお客様の「うまい」のために、と例のキャッチフレーズを連呼された後で、地上60mの試飲会場でスーパードライを飲むと、本当にうまく感じます。実は私、スーパードライはあんまり好きじゃないのですが、作りたてということもあり、おいしく頂きました。
キリンのほうは、ごく普通の試飲会場。一番絞りの試飲がメインですが、提携して作っているハイネケンがうまかった。残念なのはラガーがなかったことです。実は、私はキリンビール党。特にラガーが大好きなので、出来立てのラガーを飲んでみたかったです。


お世話になった両工場のガイドさんです。アサヒのAさんはアイドル系のノリ、キリンのHさんは松本明子系のノリといった感じです。お二人ともとても明るく、なかなかの名ガイド。すっかり楽しませていただきました。


こんな演出もありました。アサヒの工場は庭の池を渡る回廊の天井にプリズムが仕込んであり、お昼ごろにご覧のような虹が廊下に出来ます。それがどうしたと言えば、それまでなのですが、実に細かな演出ですね。
一方、キリンのほうは、そんな演出の仕掛けはありませでしたが、試飲会場にあった氷のビールサーバーがナイスです。ハイネケンを0℃以下で味わうという代物で、「ハイネケン エクストラ コールド」としてプロモーションの最中のようです。冷たすぎるのはいかがかと思いましたが、思いのほか美味でした。

ところで、キリンの試飲会のアトラクションで、ワンチャンさんが泡の土手作りにチャレンジし、見事な土手を作りました。
やり方ですが、まず高いところからグラスにビールを注ぎ、グラスを泡だらけにします。その後、泡が落ち着いてきてグラスの半分ほどになったら、普通にビールを注ぐ。そしてしばらく落ち着かせて、再びビールを注ぐと、こんなふうに泡が盛り上がっていくそうです。
それにしても、ワンチャンさん、お見事でした!
ところでこの日は、牛久沼ポタの時にご一緒したエドさんから差し入れを頂きました。たすけさんによるとご本人は下戸なのにわざわざ差し入れを用意していただいたそうです。
もう感謝です。アサヒの試飲会でみんなで味わいました。お陰で素晴らしい飲み会、いや試飲会になりました(笑)
感謝と言えば、spiritさんに本当に感謝です。「この前に行って、あまりに楽しかったので、その楽しさを皆さんと一緒に」との趣旨でご企画いただいたそうですが、本当に楽しかったです。もちろんビールの製造法も学べて、有意義でもありました(と単に飲んでただけじゃないよと言いたい、笑)

ところで、アサヒの工場見学が午前で、キリンの工場見学が午後。その間に取手で昼食を採りました。駅ビルの中にあった「鬼や」という店で、十割蕎麦を食べましたが、これが結構いけました。鬼やはチェーン店らしいのですが、この十割蕎麦は腰があって良いです。しかも、大盛りでも普通盛りと値段は変わらず500円。とてもリーズナブルでした。




で、食事の後、時間があったので、久しぶりの取手本陣へ。いつ来ても、ここは良いですね。この日は、いつもは立ち入れない殿様の間である「上段の間」も開放されていました。そこで、すっかりくつろいで、なごませていただきました。

ということで、なごむspiritさんです(笑)
さて、ビールツアーが終わった後は、柏の「福みみ」で3次会です。皆さんとはいろんな話をしたはずですが、あまり覚えていません(苦笑)。
ただ、この写真だけは、撮影意図を覚えています。写っているのはサントリーのプレミアム・モルツ。つまりアサヒ、キリン、サントリーの3銘柄の飲んだぞ、という意味ですね。これでサッポロのエビスを飲めば完璧でした(笑)
さらに4次会への突入。ですが、情けないことに、私は眠くなり撃沈モード。うーん、チーム東葛の飲み会で2連敗です。ちょっと疲れと睡眠不足が溜まっていたと言い訳しておきます(苦笑)。ですから4次会の後、IKAWAさんが駅で焼酎をラッパ飲みしていたなんて、覚えていません(笑)
と、言い訳はこの辺にして本題。このツアー、守谷のアサヒビール茨城工場とキリンビール取手工場をハシゴして、さらに3次会の飲み会になだれ込もうという恐るべき企画でした(笑)。当然、今回は自転車の出番はありません。まさに足と電車とバスを使った「大人の遠足」(by たすけさん)でした。
で、フルタイムの参加はspiritさんをはじめ、103さん、ワンチャンさん、takezawaさん、そして東葛人、アサヒ工場と3次会の参加がたすけさん、アサヒ工場のみの参加が翌日センチュリーラン笠間に参加するはんぞうさん、まっちさん、わいずさん、ザンコーニさん、3次会のみの参加がIKAWAさん、おっしーさん、よどさんでした。
さて、ビール工場ツアーですが、この期に及んでは、普通に書いてもつまらないので、アサヒvsキリン風に書いてみます。左の写真がアサヒービル茨城工場、右の写真がキリンビール取手工場です。
一応、工場見学ですから、ビールの製造法を一通り学びます。二条大麦とホップと水を原料に・・・2回も続けて聞くと、さすがに頭に入りました。ただ工場施設の撮影は禁止されているので、そんな話は省きます。言いたかったのは、たたビールを飲みに行ったわけではないということです(笑)
アサヒの工場は1991年竣工、キリンの工場は1970年です。この21年の差は大きかったです。
アサヒの工場は最初から見せることを前提に工場を設計してあるかのようでした。最初に案内されるオリエンテーションシアター・ルームでは、上演終了後に前方のパネルが下がり、工場内の庭が一望できる仕掛け。ちょっとしたサプライズ演出で来訪者の心をつかみます。
一方、キリンの工場のほうは、オリエンテーション・ルームはちょっとレトロな公民館の上演会場といった趣。見せる仕掛けではアサヒに負けてますが、工場内には麦汁の香り(?)が強烈にたちこめ、飲料系の工場にやってきたという臨場感があります。そう言えば、アサヒの工場は全く匂いというものがなかったですね。
さて、お楽しみの試飲です。両工場ともグラス3杯まで試飲できます(キリンの工場は普段は2杯までだそうですが、この日は3杯までOKでした)。
やはりアサヒは演出上手。すべてはお客様の「うまい」のために、と例のキャッチフレーズを連呼された後で、地上60mの試飲会場でスーパードライを飲むと、本当にうまく感じます。実は私、スーパードライはあんまり好きじゃないのですが、作りたてということもあり、おいしく頂きました。
キリンのほうは、ごく普通の試飲会場。一番絞りの試飲がメインですが、提携して作っているハイネケンがうまかった。残念なのはラガーがなかったことです。実は、私はキリンビール党。特にラガーが大好きなので、出来立てのラガーを飲んでみたかったです。
お世話になった両工場のガイドさんです。アサヒのAさんはアイドル系のノリ、キリンのHさんは松本明子系のノリといった感じです。お二人ともとても明るく、なかなかの名ガイド。すっかり楽しませていただきました。
こんな演出もありました。アサヒの工場は庭の池を渡る回廊の天井にプリズムが仕込んであり、お昼ごろにご覧のような虹が廊下に出来ます。それがどうしたと言えば、それまでなのですが、実に細かな演出ですね。
一方、キリンのほうは、そんな演出の仕掛けはありませでしたが、試飲会場にあった氷のビールサーバーがナイスです。ハイネケンを0℃以下で味わうという代物で、「ハイネケン エクストラ コールド」としてプロモーションの最中のようです。冷たすぎるのはいかがかと思いましたが、思いのほか美味でした。
やり方ですが、まず高いところからグラスにビールを注ぎ、グラスを泡だらけにします。その後、泡が落ち着いてきてグラスの半分ほどになったら、普通にビールを注ぐ。そしてしばらく落ち着かせて、再びビールを注ぐと、こんなふうに泡が盛り上がっていくそうです。
それにしても、ワンチャンさん、お見事でした!
もう感謝です。アサヒの試飲会でみんなで味わいました。お陰で素晴らしい飲み会、いや試飲会になりました(笑)
感謝と言えば、spiritさんに本当に感謝です。「この前に行って、あまりに楽しかったので、その楽しさを皆さんと一緒に」との趣旨でご企画いただいたそうですが、本当に楽しかったです。もちろんビールの製造法も学べて、有意義でもありました(と単に飲んでただけじゃないよと言いたい、笑)
ところで、アサヒの工場見学が午前で、キリンの工場見学が午後。その間に取手で昼食を採りました。駅ビルの中にあった「鬼や」という店で、十割蕎麦を食べましたが、これが結構いけました。鬼やはチェーン店らしいのですが、この十割蕎麦は腰があって良いです。しかも、大盛りでも普通盛りと値段は変わらず500円。とてもリーズナブルでした。
で、食事の後、時間があったので、久しぶりの取手本陣へ。いつ来ても、ここは良いですね。この日は、いつもは立ち入れない殿様の間である「上段の間」も開放されていました。そこで、すっかりくつろいで、なごませていただきました。
ということで、なごむspiritさんです(笑)
ただ、この写真だけは、撮影意図を覚えています。写っているのはサントリーのプレミアム・モルツ。つまりアサヒ、キリン、サントリーの3銘柄の飲んだぞ、という意味ですね。これでサッポロのエビスを飲めば完璧でした(笑)
さらに4次会への突入。ですが、情けないことに、私は眠くなり撃沈モード。うーん、チーム東葛の飲み会で2連敗です。ちょっと疲れと睡眠不足が溜まっていたと言い訳しておきます(苦笑)。ですから4次会の後、IKAWAさんが駅で焼酎をラッパ飲みしていたなんて、覚えていません(笑)
2009年09月05日
鎌ケ谷の森の道に感動して、こんなルートを作りました
鎌ケ谷市にこんな森の道があります。大津川の上流の右岸(東岸)沿い、鎌ケ谷の市制記念公園の脇を通る約900mの未舗装の道ですが、鎌ケ谷の印象が変わるほどのインパクトがあります。なんせ鎌ケ谷は、自動車の交通量が激しく、自転車で走って楽しいところがあまりない印象なので、こんな自然豊かな道がある自体、大変な驚きなのです。
で、この森の道を使ったポタルートができなものかと思い、このところ鎌ヶ谷方面を走っていました。そうしたらありました。手賀沼から大津川沿いを南下し、この森の道を走り、江戸時代の小金牧の野馬捕獲である「初富の捕込」に向かうルートが出来上がりました。まずはルート地図をご覧ください。
未舗装道をメインに据えたポタルートなので、ロードレーサーではちょっと苦しいです。MTB、クロスバイク、ママチャリで走りましょう。私の場合、MTBのAttitude?で走りました。
大津川が手賀沼に注ぐヒドリ橋からスタート。すぐに大津川の土手を離れて、大津川ルートの舗装道を走りましたが、土手の草が枯れる冬場には、可能な限り大津川の土手を走るのも楽しいです。
大津川ルートは途中で大津川から離れるコース設定ですが、今回は大津川に沿ってさらに南下します。大津川ルートは左岸(西岸)を走りますが、その先は右岸(東岸)側の道を走ったほうが、分かりやすいですし、変化もあり楽しいです。
左岸から右岸にスイッチするポイントは、この立派な庚申塚が目印です。この庚申塚を通り過ぎ、信号のある交差点を渡ったら、次のT字路を左折して右岸に向かってください。この辺りはIKAWAさんが詳しいですね(笑)
右岸の道に出て丘を越えたら、沼南高柳高等学校の建物が見えてきますので、高校の方へ走ってください。高校の門に突き当たったら左折。地図では途中で道が消えているのですが、小さな林の道があり、そこを抜けることができます。
で、その後もひたすら南下すると、未舗装道になります。ただし、このお目当ての森の道ではありません。しばらく走ると、再び舗装道に出ますので、さらに南下します。
そうしたら、こんな薄暗い森の入り口が見えてきます。
お目当ての森の道ですが、実に素晴らしいですね。1km近くある一本道のせいか、人があまり通りませんので、どこかの深い森に迷い込んだ錯覚にとらわれます。しかし、ここは鎌ケ谷。梨園のほかは一部を覗いて都市化が進んでいますので、こんな道が残っているのは実に意外です。
気分よく走り、市制記念公園の脇を抜けたら、上り坂です。一気に景色が鎌ケ谷市になります(笑)。坂を上がりきったら右折して、北総線をくぐって北側の道路を西へ。アクロスモール新鎌ケ谷の北側から回り込んで、目的地の初富の捕込に向かいます。
で、久しぶりの初富の捕込です。捕込の詳しい情報は野馬土手のページをご参照いただくとして、帰路を急ぎます。同じルートを走っても楽しくないので、松戸の五香方面を目指すことにしました。
こんな梨園の道を走り、新京成のくぬぎ山駅方面を走りました。五香十字路からは富士川経由で、富士見橋方面から帰路に着きました。これは、第5回東葛ポタでも使った走り慣れたルートです。もちろん、五香十字路から大津川を目指し、手賀沼へ戻る手もありです。それはこちらをご参照ください。
